みそ漬けのつぶやき

 いったい、この家の主人は、わたしをどうしたいと思っているのか。もちろん、いつかは食べたいとは思っているのに違いない。でなければ、いつ執行されるかと不安な日々を無為に過ごす死刑囚のようにわたしを扱うはずがない。わたしは、でも、こんな不安定な状態に耐えるには十分、漬かりすぎた。最初はかろうじてあった元の味も、今では隙間なくわたしを取り巻く味噌の味に同化してしまった。わたしの隣で体を寄せ合う元大根さんも、元瓜さんも、元キュウリのわたしも、元の特質をすっかり失い、残っているのはわずかな弾力性と形の違いだけだ。どうしてこんなことになってしまったのか。嘆いても始まらないけど、とにかく、この冷たく湿った泥のような環境から抜け出したい。
 かつて、わたしたちみそ漬けは、特に東北地方の人間の食卓には欠かせないおかずであった。もちろんご飯様の有力な伴侶としてであり、決して主役であることはなかったが、食材業界下部業界であるおかず業界ではちょっとした顔だったのだ。昔のわたしたちの仲間といえば、やはり漬け物だった。冬の長い土地では、人々はほぼどんなものにも塩をたっぷりとふりかけ、石で圧縮されたわれわれの仲間たちだけで、おかず業界というものを組織していた。そりゃ、ときには干からびた魚や、肉やたまごなどが、どうもどうも、と気安い態度でわたしたちの業界にくることもあったが、どうせ一時的であることを知っていたわたしたちは、なにもいわずに彼らを受け入れていた。彼らには、勢いはあるが、長持ちしないという欠点があった。今わたしを閉じこめている冷たい牢獄のなかった時代はとくにそうだった。
 しかし、いつのころからか、わたしたちみそ漬けは文字通り冷遇され始めた。わたしたちの特徴は、全身にしっかりと保持した塩分のために、元の状態よりもずっと長生きができ、少量で人間のご飯様摂食を手助けすることにある。そのためにわたしたちは、みずから味噌の中に潜り込んだし、つらい塩責めにも耐え、全身にしっかりと塩分をため込み、ぴちぴちとした張り切った体を縮めしわしわに姿を変え、あでやかな緑であったことすら想像できないほど味噌の色と同化したのだ。
 その味噌さんだってわたしたちの同類だ。田圃のあぜ道に植えられ、ぱんぱんにさやを張らせていた大豆くんたちにしてみれば、乾燥され脱色されてメッチャ熱い蒸気に蒸され中までフニャフニャにさせられ、大量の塩とこうじなんていう変なものを入れられて体をバラバラにされて原型すらとどめられなくなってしまうことは、予想だにしなかったにちがいない。それでも、味噌さんはまだよい。だって、味噌汁という、自分がフィーチャーされた不動の立場を持っているし、味のある塩分供給者としてさまざまな舞台で活躍している。ペースト状のたたずまいにおさらばして自身を液状化してしまった醤油さんなんか、アプリケーションに対するOSのように、おかず業界の圧倒的シェアを勝ち取っている。
 それに比べてわたしたちの今はあまりに悲惨だ。塩分の取りすぎは脳卒中の元だ、などといわれ出した頃から、だんだん見捨てられてしまった。少量多品種摂食のバランスのよい食事、なんていわれ出した頃から、おかず業界の構成メンバーがすっかり代わってしまった。最近のおかず業界では、まだまだ野菜たちが頑張っているけれど、肉だの新鮮な魚介類だのが大きな顔をするようになった。食材業界という一次業界ですら、かつては圧倒的な実力者だったご飯様まで肩身が狭くなっている。まあ、時代は代わるっつうことだけど、のぞんでこんな姿形になったわけではないわたしたちとすれば、どこかで始末をつけて欲しいという気持ちはある。もっとも、わたしは別にみそ漬け界を代表しているわけでもないのであれこれいっても始まらないけど。でも、いずれにしても、もう3年以上もこの冷たく湿っぽい牢獄に入れられることにはうんざりしている。塩出しして細かく刻んでもらって炒め物かなんかにしてもらってもいいから、早くここから出して欲しい。ここのご主人の性格からして、わたしたちを無慈悲に捨ててしまうことはないと思うけど、あまり長く放っておかれれば、最終処分者であるかびさんに身を任すこともあるのよ。ええかげんせんか、え、中川よ。おれたちはだてに山形から送られてきたんじゃねえんだぜ。バーロ。オレのまわりから味噌だけこそぎ落とすんじゃねえってのに。