納豆のつぶやき

 我が輩は納豆である。名前はすでにある。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも暑く薄暗いじめじめした所にしばらくいた事だけは記憶している。綺麗に包装された吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれはミュージシャンという人間中で一番脳たりんな種族であったそうだ。その一人だと自称する中川というのは始終我々を食うという話である。・・・納豆目漱石『我が輩は納豆である』より

 茨城県小川町あたりでパックされ、トラックに揺られてポートアイランドのダイエーの棚に今朝着いた我が輩が、中川家の冷蔵庫の2段目でうとうとしていたら、上の段から話し声が聞こえた。
「下の段にいるくさい納豆との激烈な地位争いはあるとはいえ、朝食おかず業界ではナンバーワンといってもいい。しかし・・・」。
 案の定、塩ざけだ。どうもやつはプライドが高く、しじゅうオレだオレだとかしましい。くさいというのは、まあ、当たってはいるが、最近では密閉包装になっているし、匂いも控えめにしておる。それに、我が輩の本来の特徴はそのくささにもある。そういわれても困るのだ。塩ざけにしても、数日放っておかれると生臭くなってくるではないか。
 塩ざけが朝食おかず業界ナンバーワンを我が輩と争っている、というのも片腹痛い。水子のイクラに親の威厳を示したいのだろう。我が輩をライバル視していることは評価するが、我が輩は誰とも競い合うつもりはない。ここではっきりと言っておこう。どんなおかずであれ、我が輩と競うのは無意味だと。我が輩はその辺の有象無象とは格が違うのだと。
 我が輩の両親は、言わずと知れた大豆である。この大豆家の日本に於ける食卓貢献度が多大なものであることは誰しも首肯せざるをえないであろう。ビールの友として圧倒的支持の枝豆はもとより、主要塩分補強業界で屹立する味噌、醤油、味噌汁具業界のみならずおかず業界そのものに盤石の存在感を示している豆腐、牛乳以上の実力を誇る豆乳、清廉な品格を誇る湯葉、そして我が輩。この強力ラインナップを前にしては、肉、魚などの動物系は沈黙せざるを得ないのだ。
 業界一はオレだ、などという塩ざけのような手合いが最近の中川家冷蔵庫には多すぎる。この間も外国生まれのキムチが似たようなことをぶつぶつ言っておった。このような冷暗所に安置されてしまった不満は分かる。だから、多少のつぶやきはある程度認めてもよい。しかし、最近やたらと耳にする「オレが一番」には、放置すると将来に禍根を残す怖れがないともいえん。ここらできちんと不毛な業界ランキング意識の誤りを認識してもらうことが重要ではないか。
 我が輩に言わせると、朝食おかず業界であれ定番おかず業界であれ、いやもっと大きく食業界全体においても、仲間の優劣を判断するのは間違いなのである。だれしも万能ではないし、欠点もある。われわれには、それぞれが固有の価値をもつ、という普遍的で寛容な認識が必要である。
 我が輩は、幸いにして朝食おかず業界のみならず定番おかず業界でも相当に高い評価を得ている。自信もある。しかし、あつあつごはんとの相性の良さから評価が高いことも自覚している。
 その純白な気品のあるふっくらしたたたずまい、飽きのこないほのかな甘さとエネルギー備蓄力、誰にでも慕われる包容力。ごはんに抱かれて無上の喜びを感じない仲間はいない。ただ、ごはんにも欠点はある。その一つは、粘着性のため円滑な口中咀嚼、嚥下に難があることである。この円滑な嚥下をいかに補助するか、がおかず業界の重要な任務の一つである。この点では汁系にかなうものはいない。しかし、汁系はおかずというよりも嚥下補助的存在である。したがって、非汁系となるとわれわれ定番おかず業界トロトロねばねば支部が断然他を圧する。我が輩は、山芋、とろろ昆布、最近進出のめざましいめかぶ昆布、きざみオクラ、生玉子、なめこ、もずく、ジュンサイなどの仲間たちを束ねる、いわば兄貴のような存在である。ときには大同団結してごはんに寄り添うことももある。
 ごはんのもう一つの欠点は、塩分が決定的に不足していることである。この欠点をわがおかず業界全体で補っているわけである。まあ、我が輩も基本的には同じであるが、我が輩には醤油や味噌といった強力な単純塩分補強業界の支援が常に得られている。
 それにしても、ま、多少はごはんの友ナンバーワンという自負はあるものの、ごはんの親友とはいえない。親友とは、つねに寄り添うものだからである。我が輩は、あつあつのごはんには強い愛情を感じるが、冷や飯はどうにも我慢がならない。炊き込みごはんも苦手である。したがって、弁当やおにぎりといったテイクアウトごはんにはあまりつき合うことはない。
 もっとも、ここの家主の中川は、中高生のころ、ごはんの間に我が輩を敷き詰めた弁当を学校へもっていったそうである。
「冬はみんなからにらまれたよ。当時は、石炭ストーブのそばに片面ブリキの棚をおいて弁当を温めたもんだが、昼前になると納豆の臭いが教室中に漂ってくるんだ。まだひろす君だべ、納豆弁当さもってきだのは、なんて言われて恥ずかしかったなあ。でも、うまかったんだよね」
 などと、この間も言っていたのである。こういう脳たりんの種族もいるのだ。また、すし飯の場合は、例外的に冷や飯であっても一応つき合っている。なにせ寒いのはいやなので、海苔のコートを着せてもらうが。
 我が輩のもう一つの特徴であるねばねばも、嫌われる原因の一つである。

ごはん様との相性

 これは、おかずとして生きるための最低限の要件である。デンプン界の帝王であるごはん様は、小粒で気品のある純白なたたずまいだが、いかんせん、その粘着性のため口中咀嚼、嚥下には抵抗がある。したがって、ごはん様との相性の良さが判断されるのは、円滑な嚥下をいかに補助するか、もその一つである。この点では汁系にかなうものはいない。しかし、汁系はおかずというよりも嚥下補助的存在である。したがって、非汁系となるとわれわれ定番おかず業界ねばねば支部が断然他を引き離す。我が輩は、山芋、とろろ昆布、最近進出のめざましいめかぶ昆布、きざみオクラ、生玉子、なめこ、もずく、ジュンサイなどのいる支部の支部長に推されるほどその評価は高い。

未完