アラン・ディオ中川家滞在

 先号でも触れましたが、フランス人画家アラン・ディオが、この1月25日から2月1日までわが家に滞在していました。アランは、1月27日から28日にかけてオールナイトでジーベックで行われた「アクト・コウベ」に参加するために来日したのでした。日本語はもとより英語もまったく話さないアランとわれわれの意志疎通のてんやわんやは先号でちょっと触れました。曲がりなりにも仏文出身であるにも関わらずほとんど彼の言っていることが分からない配偶者と、意味不明むちゃくちゃフランス語風発語には定評あるもののフランス語会話能力ゼロの小生が、夜毎酒を飲みながらどのような会話をしていたのか。ほとんど漫画のようなやりとりでしたが、ここでは触れません。
 ただ、一度、アランにわたしの意味不明むちゃくちゃフランス語を披露したことがありました。アランは、げらげら笑いながら「ちょっと聞けばフランス語のように聞こえるが意味がまったく分からないので、フランス人政治家の演説のようだ」といっていたようです。ようです、と書いたのはわれわれは彼の言葉を推測するしかないからです。したがって、以下はあくまで推測によるわたしの理解です。わたしと配偶者のあらん限りの推測力と辞書を引き引きなんとか理解したように思う彼の阪神大震災にまつわる発言には深い含蓄があると思いました。
 彼によれば、震災後の人々の様子を見にフランスからやってきたが、それがまったく見えないということでした。たしかに街は「復興」の工事で忙しく、場所によっては大地震があったことさえ分からないほど急ピッチで「復興」が進んでいることが分かるといいました。しかし、震災によって変化したであろう人々の生身の暮らしや考えがほとんど見えてこない。このことを説明しようとアランは紙に図を書いて説明を試みました。これが実に分かりやすかったのです。
 まず彼は、中央にビル群を表す大きな四角形を数個書き、その周辺に住宅らしい小さめの四角形をたくさん書きました。そして「で、トレンブルマン・ドゥ・テール」(地震)といいつつその紙を揺らした。そしておおざっぱに斜線を引いて災害があったことを表現し、さらに「リコンストラクスィオン、ン、ダコー?」といいつつ太線で四角形群をなぞりました。これは復興を意味しています。ついで「エー(そして)」とつぶやきつつ大小の四角形群のまわりをさっと円形で囲み、その円周の内側に沿って小さな丸を加えました。小さな丸は「オンム」といっていたので人々のことを指しています。
「で、アウトサイダーであるわたしはここにいるわけだ」と、アランは本人を表す丸を円の外側に書き加え、わたしたちが理解しているかどうかを確認するかのように笑顔を向けました。わたしたちは、図解されてなんとなく彼の説明がわかったので「ダコー(了解)」などとしたり顔で頷く。
「で、街を囲んだ円は塀のようになっていて、わたしから見えるのは真ん中のビルだけなんだ。外周の塀越しの光景しかわたしには見えない。塀の内側のこれ、」と人々をさす小さな丸をペンで示して続ける。
「ここがまったく見えない。真ん中のビル群の復興の様子はわれわれにもよく見えるけど、肝心の人々が見えない」「ダコー」と再びいいつつわれわれは日本酒をすする。
「実は、これはパリも同じことだ。パリを訪れるアウトサイダーも、塀越しにパリを見る。見えるのは事務所のつまった高い建物だけ。でも、高い建物に人々が住んでいるわけではない。夜はがらんどう。で、塀の内側のきわにいる、本当の生身の人々はアウトサイダーからは見えない。がらんどうの華やかなビル、つまり発展とか進歩とかいったものしか見えない。現代の社会というのは、どこもこんな風になっている。アフリカもアメリカも一緒だ。震災復興中の神戸は、こういう現代社会の構造がよく分かる意味で象徴なんだ。ぼくがここに来ている意味はそこにある。鈴木昭男さんのカートゥーン(段ボール生活者)のパフォーマンスは、そこのところをよく表現していた。外周の塀を低くして見せるのが芸術家なんだ」
 うまそうにグラスの酒をぐいっと傾けつつ、アランはこういったのでした。とはいっても、彼のこうした主張を一気にわれわれが理解したわけではないことはいうまでもありません。幾多の紆余曲折を経て理解した内容を、あたかもすらすらと分かったかのように書いているだけです。くどいようですが。
 で、「ダコー」といいつつわれわれも日本酒をすする。
 アランも「ダコー?」といいつつ、空になったグラスをわたしに差し出すのでした。わたしは彼のグラスに酒をとくとくと注ぐ。それを口にもっていったアランは、真面目な表情を一転させ実に楽しそうにそのグラスを持ち上げるのでした。
「はははははは、ま、とりあえず乾杯。はははは、サーケー、トレビアン、カンパイ」

サマーチャール・パトゥル第20号(1996)より