アメリカ旅行

 5月9日~6月2日、生まれて初めて夫婦でアメリカへいってきました。われわれは結婚して23年になるので、銀婚前旅行みたいなもんです。
 アクト・コウベ・プロジェクト2001(AK2001)の準備作業がピークに達する5月に3週間も旅行したのは、北大時代の友人、新井義郎医師(以下ドクトル新井)が余ったマイレージで二人分の航空券を提供してくれたからです。
 ピッツバーグ在住のドクトルからは、かねがね「新しい家を買ったけど見に来ない?」と誘いを受けていました。「旅費がなあ」「ほい、そいじゃあ、ぼくのマイレージが貯まってるからそれで来る?」。こんな願ってもない申し出を断る理由はありません。どうせなら去年イギリス公演を行った聲明バンド「七聲会」のプロモーションも兼ねようということで、ピッツバーグ、ニューヨーク、ロサンゼルス行となりました。おかげで、AK2001の準備は事務局長である下田展久さん一人に集中することになり、彼の恨みを買ったことはいうまでもありません。
 滞米中、約4万字ほどの記録を書きました。ここでは強く印象に残ったことだけを書きたいと思います。

ピッツバーガー

 最初に降り立ったデトロイト空港やピッツバーグの街で見かけた人々は、ほとんどが肥満体型でした。わたしの印象では、全住民の8割は肥満ではないか。というわけで、アメリカにおける肥満者をピッツバーガーと名づけました。
 まず、デトロイト空港の待合室で見た光景。太った若い女が、トランクを股にはさんで紙パック入りの大きなケーキを無心に食べ、それを見たネクタイ姿のビジネスマン風の肥満男がチョコバーをかじり始める。ぐるっと見回すと、たいていの人が口を動かしていて、そのほとんどが不健康そうなでっぷり腹肥満体型なのでした。アメリカ入国の最初の光景なので、この印象は強烈でした。
 この現象は空港だけではありません。高層ビルの立ち並ぶピッツバーグの閑散としたダウンタウンを歩く男女も、ほぼ例外なく肥満者です。
 ヒステリックな禁煙キャンペーンや、つぎつぎに登場する健康器具、健康食品など、アメリカの健康志向がけっこう目立ちます。しかし、こうした健康志向には、膨大な数のピッツバーガーの存在を逆に証明しているのかも知れません。
 この印象を友人のバール・フィリップス氏にいうと「太ったブタに革命はおこせない。政府は、政情安定策として人々を太らせる。簡単だよ。くだらないテレビ番組と油と肉を大量に消費させるだけでいいからね」といってました。
 ニューヨークやロサンゼルスは、肥満者率がそれほど高いようには見えませんでしたので、全米人がピッツバーガーというわけではないようです。デトロイトとピッツバーグだけが特別だったのでありましょうか。いずれにせよ、日本よりはずっと肥満者率が高いのは間違いないようです。

高エネルギー消費型社会

 比較的安全な地下鉄が縦横に走るニューヨークは別として、ピッツバーグとロサンゼルスを見た限りでは、やはりアメリカは高エネルギー消費型社会だと実感しました。なにせ、世界人口の5パーセントなのに、消費するエネルギーは世界の30パーセントという国です。
 車社会であるため、われわれのようなビンボー旅行者が重宝する公共交通機関があまり発達していない。
 ピッツバーグのドクトルの住宅は、非常に美しい緑に包まれた閑静な郊外地、マウント・レバノン地区にあります。ゆるやかな起伏のある曲がった道路沿いに、まばゆい緑の芝生とまばらな大木の絶妙のコンビネーションを見せる美しい前庭、ヨーロッパのあらゆる時代の建築様式が混ざった大きな邸宅が並んでいます。早朝に起きて、澄んだ空気の中で木々を飛び交う鳥たちの歌声を聞きながら散歩するには、理想的な環境といえます。実際、ドクトル宅の前庭でぼやっとタバコを吸っていると(ドクトルには敷地内禁煙と厳命された)、ときおり人品いやしからぬ人々が犬を連れて散歩する姿が見えました。
 このように、実に住環境のすばらしい場所でわれわれはほぼ2週間過ごしたわけです。日本でいえば邸宅といっていい、ゆったりとして清潔かつ機能的な彼の家の住み心地は素晴らしい。われわれは、広い一室とほぼ専用のバスルームを提供してもらいました。
 付近の地理の把握のためもあり、毎日、相当な距離を二人で散歩しました。われわれが起動する頃には、主であるドクトルはいません。彼は、朝5時に起き、自分で朝食を作り、付近の散歩を済ませて大学病院へ車で出勤するのです。
 問題は、このあたりが徒歩生活者を前提にしていないという点です。広い住宅敷地や巨大なショッピングセンターも、都心までの通勤も車が基本。したがって、車のないわれわれ臨時居候にはとても困る。
 ある日、近所の酒屋にビールを買いに行きました。もちろん徒歩なのでたどり着くのに20分ほどかかります。「ビール6缶パックほしいんですが」「うちはケースでしか売ってない。車はないのか」「ない。徒歩だ。もって帰るのが大変だ」「んなこといわれても。ケース単位だ」。われわれは、しかたがないのでギンギンに冷えた24缶入りのケースを抱えてさらに20分歩くことになりました。
 ちょっとした買い物はいうに及ばず、都心に出るにも、電車駅まで上り下りの道を30分は歩かなければならない。バスは通っていましたが、乗り方やルートが分かりません。2度ほどダウンタウンに自力で行きました。しかし基本は、ドクトルの車頼みの日々。外国に行くと街をうろうろするのがわれわれのスタイルなのに。
 だだっ広いロサンゼルスも似たような状況です。バスを使ってサンタモニカまで行きましたけど、あとはほとんど長距離徒歩です。
 人々の環境への認識が高まってきたとはいえ、化石燃料ジャブジャブ消費二酸化炭素出し放題の車社会であるアメリカが、京都議定書はパスするもんね、というブッシュの宣言にむべなるかなの思いなのであります。

人種の「おでん」

 よく、アメリカは人種のるつぼだのサラダボールだのといわれます。しかし、現実には司馬遼太郎のいう、おでん、が正しいように思います。おつゆに浸かってはいても、豆腐は豆腐、コンニャクはコンニャクと形があるからです。
 ニューヨークでも、ロサンゼルスでも、たしかに混血は進んではいるのでしょうが、中国、イタリア、日本、韓国、メキシコ、インドなどからの人たちがまだまだ固まって住んでいます。混血が進んで肌色の分布がグラデーションの様相を見せるブラジルなんかとそのあたりが違っているように思います。そういう意味ではやはり、「るつぼ」よりは「おでん」といったほうが正しいのかも知れません。おでんのおつゆがアメリカという国家観念とすれば、それぞれのコミュニティーが具。具におつゆはしみこんでいますが、煮くずれるほどにはなっていない。
 ところで、ロサンゼルスの日本人街、リトル・トーキョーには生気がありません。日本人旅行者やビジネスがらみの人々がめっきり減ったからということです。また、お土産屋や飲食店のオーナーが日本人から、韓国人や中国人に代わってしまったとも聞きました。メキシコ人街や中華街は、オリジナリティーを色濃く残し結束しているように見えたのに引き替え、淡々としていて、むしろ淋しい雰囲気でした。これは、この街周辺に固まって住んでいたかつての日系人たちが、拡散していきつつある証拠なのでしょうか。

サマーチャール・パトゥル第28号(2001)より