チチェスター大聖堂でお葬式を見学

「へええ、これがチチェスター大聖堂であるか。1075年に司教区が設立され、1108年に一部が建てられたと。さらに1180年から1204年の主教が大仕掛けに手を加えロマネスク様式の基本を作り、後にゴシック様式や垂直様式の部分が増築されたのであったか、ふんふんふんふん。あららあー、マルク・シャガールのデザインの窓とはねえ。なんと、作曲家ホルストの遺灰ははここに埋葬されていると・・・へえー、ふんふんふんふん」
 と日本語の案内書を眺めつつ、荘厳な大聖堂のなかをぶらついていると、青いつなぎの作業服を着た青年が忙しそうに床にケーブルを這わせていました。凝った彫刻の柱に固定されたスピーカーのケーブルでした。主祭壇にはキーボードやドラムセットも設置されているのが見えました。「あのお、これは何の準備してんの?」。青年は面倒くさげな表情で答えました。「葬式さ」「いつのですか」「今日さ。3時からなんだ」「誰の葬式?」「よく知らないけど、ロックスターと関係あるって」。ということはなにか生バンドの入った特別な葬式なのかも知れません。そこで、日本語の案内書を配った真っ赤なカーディガンの老婦人に尋ねました。「誰の葬式があるんですか」「なんでもピンク・フロイドのマネージャーだった人のお葬式と伺ってますよ」「われわれも参列できるんでしょうか」「もちろんですよ。3時になったらいらっしゃいな」。
 同行した宍戸崇真さんとわたしは、この思いがけない情報に喜んだのでした。イギリスで、しかもこんな大聖堂での葬式を見ることができることはそうめったにありません。
 ところどころにクリスマスの飾り付けが見られる、石造の古い低層建築にはさまれた石畳の商店街で買い物をすませたわれわれは、他の坊さんにぜひこの情報を伝えなければと宿舎と急ぐのでありました。
 パブの裏手にある宿舎には、他のメンバーたちも買い物から帰ってきていました。さっそく葬式情報を伝えると、他にやることがないという理由もあり、全員、即座に「行きたい」との返答。それに、つねづね葬式とは縁の深いお坊さんたちですから、当地の葬式に興味がないはずがありません。
 再び大聖堂を訪れると、すでに準備は整っていました。入口周辺にはジャグワやメルセデスなどのリムジンが並び、黒い皮コートを来た、スキンヘッドの精悍な表情の黒人が付近に目を光らせていました。
 わたしと6人の仏教僧侶はざわついた入口を抜けてなかにはいると、まずスーツ姿の紳士に呼び止められました。「あなたがたは、今日のお葬式の参列者ですか」「え、まあ、そうです」やましくはないのだ的表情を作ったわたしがいいました。「ではあそこにいって席について下さい」と中央正面を指さしました。われわれは故人の写真が表紙の白い式次第がきちんと置かれたイスにぞろぞろと進みました。すると別の紳士が同じ質問をしました。「あなたがたは、故人の関係者かなんかですか」「い、いえ、あの、その、たまたま今日この大聖堂に来て、ええ、そ、葬式があると聞いたものですから、み、見せていただこうと・・」。彼の表情は、それまでの歓迎的から事務的なそれへと変わり「だったら、あそこの横に並んだイスのほうへいって下さい。ここは関係者が多く座るところです」と、聖堂の右側面にびっしりと並べられたイスを示すのでした。
 ふたたびわれわれはぞろぞろと示された場所に移動し、すんげえなあ、などと高い天井の装飾やステンドグラスを眺めるのでした。そうか、亡くなったのはスティーヴン・オロークという人で63歳だったのか、なになに、ピンク・フロイドのマネージャーでかつMusic Sound Foundationの創設者であったと、と式次第を読んで判明したことをお坊さんたちに伝え終わったころ、今度は赤いスカートをはいた中年女性がきびきびと近づいて申し述べるのでした。「あなたがたはなにか関係者ですか」。「いや、たまたま...」「そうですか。今に友人や家族がたくさん見えてそこに座るので、こちらのほうに移動して下さい」と隅っこを指さしました。「葬儀は3時から1時間あります。その間は外に出ることはできませんが、いいですか?」。ますます肩身を狭くしたわれわれは、ずるずると最も目立たないコーナーに追いつめられたのでした。どんどん集まってくる参会者たちの一部が、チラチラとこちらをみて隣の人につぶやくのが見えました。「ありゃあなんだ、東洋人が来てるぜ」などとしゃっべっているに違いありません。イギリス芸能界お歴々っぽい豪華な喪服の人たちも多く見受けられました。きっと有名な人もいたはずです。
 そうこうしているうちに袖の入口から、8人の男にかつがれた棺がおごそかに運び込まれ中央の祭壇に向かいました。先導はサキソフォン奏者Dick Parry。サックスのむせぶようなメロディーが伽藍に響き渡る。重厚なパイプオルガン伴奏による合唱隊の賛美歌、司祭の祈り、少年合唱隊のコーラス、詩編の朗読、バンド演奏による<Fat Old Sun>、朗読、賛美歌、友人代表の言葉、コーラス、祈り、全員による賛美歌、司祭の長い祈りと故人の業績や逸話、そして最後は、ピンク・フロイドと二人の女性歌手による`Great Gig in the Sky`と、葬式はおごそかに淡々と進むのでした。アイルランド民謡の演奏が美しく、とても印象に残っています。
 こうして、仏教僧侶6名とわたしは、偶然にもイギリスの大聖堂で行われた、きっとちょっと変わったお葬式に参列するという得難い体験をしたのでありました。

           ・・・サマーチャール・パトゥル第30号(2003)より