カルチャーショック

 学生時代から束の間の会社時代には一応専門分野のことをやっていましたが、就職した会社が倒産するという「幸運」に恵まれ、現在は主夫兼音楽プロデューサー兼インド音楽の演奏家として仕事をしています。兼兼兼と書いたのは、列記したどの職業においても生計が成立していないからです。
 ともあれ、現在はインド音楽が一応専門ということになっています。しかしインド留学時代に受けたカルチャーショックのせいで、日本を含むアジアの音楽芸能にも興味をもちだし、抜きさしならないほどどっぷりと浸かってしまっています。
 カルチャーショック、これは異文化に触れたときに受けるものです。しかし、わたしの場合、異文化接触によるそれではなく、アイデンティティの欠落に対するものでした。
 わたしは、インド音楽の理論と実際を学ぶために、三年ほどインドのバナーラスに留学生として滞在しました。大学には、わたしと配偶者以外にも、欧米、タイ、パレスティナ、アフリカ、南米、日本など実にさまざまな国からの留学生がおり、「国際的」雰囲気に満ちていました。同じ留学生仲間として交流も盛んで、まさに「国際交流」の渦中にいたわけです。
 ところがあるとき、一つの事実に気がついたとき、つまりこれがカルチャーショツクなのですが、いったいわたしたちの文化的背景は何なのかと思うようになったのでした。
 インド人とはインドについて、ヨーロッパ人とはヨーロッパについて、タイ人とはタイについてというように、それぞれにある程度会話を続けることができたのですが、彼らとの話題が対話相手であるわたしたち日本のこと、特に伝統文化などになったとたん、会話が維持できなくなる。わたしたちには、西洋音楽のあれこれ、ベートーベンの交響曲がいかに素晴らしいか、バッハの「フーガの技法」にはある種の神的なものを感じる、などという会話をするのにそれなりの知識があるにもかかわらず、同じ音楽の話題でも日本の伝統的古典音楽についてはほとんど無知に近いことを知る。音楽だけではありません。キリスト教、ヒンドゥー教、仏教についての会話をある程度できても、同じレベルと知識量で神道や日本仏教について語ることができないのです。
 よく、外国にでると日本人であることを強要される、といわれます。わたしのインドでの体験もその一つでした。考えてみればこれは当たり前のことです。相手をもっと理解しようとしたとき、相手の文化的背景や社会的な事情を聞くのは当然のことです。外国人からのこうした当然な質問にまともに応えることができなかったわたしたちには、自身の知識アンバランス状態を知ってショックを受けたのでした。
 今日の教育や文化状況をみてみると、このようなショックを受けるのはわたしたちだけではないように思えます。むしろ、確固とした自己アイデンティティを保持している日本人は極めて少ないのではないか。
 わたしたちには日本固有の文化を過大に評価する必要はありませんが、少なくとも外国のことと同じレベルで自身のことを語れるバランスは持ちたい。そうでなければ、ゼニカネのみの交流はできても、真の意味での人間的な「国際交流」は不可能なのではないか。 わたしには、こうしたカルチャーショックを受けたことだけでも、外国留学の意義は大きかったと思っています。

北大農学部同窓会誌掲載原稿