湾岸戦争

 さて、小生の体形変化(テレビを見過ぎて運動不足におちいり少しお腹が出てきた)に若干の影響を与えた湾岸戦争は、とりあえず終り、やれやれといったところです。しかし、アメリカを主とした多国籍軍の徹底的圧倒的勝利で終ってみると、なにかスッキリしないものが残りました。知合には、アンチ・アングロサクソンになってしまったものもいます。とりあえず、戦争中の「ひとりあそび」の原稿です。

「戦争報道のBGM」

 国際政治学者、軍事専門家、ジャーナリスト、政策のない政治家、いわゆる評論家、新聞投書愛好家、文学者・・・などの人々の、この戦争に対する感想にこのごろ毎日接している。当たりまえだが、ほとんどの人々がこの戦争には反対だと言っている。もちろん小生もこんな馬鹿げた戦争には反対である。しかし、ほとんどの反対意見は、すぐ戦争を止めさせる現実性がなく、神様的視点である。かく言う小生も、どうやったらいいか分らない。どんなことをしゃべっても無力感がつのる。だから、ここで素人的にわか評論家然と世界の秩序がどうの、だからアメリカはアホだとかイラクに同情するとかは書かないし、また少ない情報では書けない。しかし、90億ドルの殺人機器購入金及び殺人謝礼金をコクミンから徴収するのだ、などと言い出した我が政府自民党の没主体的無脳馬鹿的政策には、無力感などと言っているわけにもいかないし、できるだけ不服従の輪を広げて抵抗しなければならない、と思う。アメリカや日本の正義の論理のアホさ加減やまやかしにまんまと乗せられている人々に、自己の短期的利益のみに目のくらんだ人々に、ダマサレルナと訴える努力をしなければならない。
 ここでは、戦争開始以来かなり気になった、戦争報道における背景音楽についての若干の考察を申し述べたい。
 我が家では、ケーブルテレビ用アダプターを設置したので、この頃CNNをよく見るようになった。早口の英語はついていけない場合が多いが、まあ、難しい単語はすっ飛ばして聞いても、どんなトピックかはなんとなく分る。CNNは今、24時間ぶっとおしの湾岸戦争報道です。ちなみに、アメリカでは、戦争開始以来、飛躍的に契約者が増えたそうです。
 もどかしいほど現場の情報が少なく、嫌になるほど周辺の予測情報の多い報道だが、ときおり映る血まみれの怪我人や油まみれの海鳥をみると、ただ事ではないと思う。よくない、と思う。しかし、どうにも実感に乏しい。意識的にそう見えるように画面を作っている気もする。何故なんだろうと思っていたら、絵の作り方や音楽も一因だということに気がついた。
 CNNのタイトルが、まず、ハリウッド映画の会社のシンボルのようだ。戦闘意欲促進的字体(70年代のタテカンの字体に似ている)と言ったらいいか、大スペクタクル場面期待的字体と言ったらいいか、炎の色であるオレンジに赤の縁どりをした太字のこまぎれが、気分高揚的音楽とともに湾岸の地図の上に収束する。WAR IN THE GULF。映画のノリである。そしてアンカーや特派員の淡々とした戦況報告や、政府や戦争専門家のコメントなどが流れだす。ニュースの区切りには、リズミックなエレキベースのパターンにかろやかなフィンガーピアノの高音域アルペジオが重なり、シンセトランペットのテーマメロディーが次第にスペクタクル場面の到来を予告するかのように高みに向う。この音楽を背景に、ジェット機の離発着、ミサイルの装着、汚染された海、戦車や装甲車の砂漠を疾走するの図、爆弾落下現場などが何度も何度も映される。どうも、ウォークマンを聞きながら雑踏を歩く感じに似ているのだ。ウォークマンをつけて街に出ると、街の風景が音楽によって変質し、まるで映画の一場面のように非現実なものになる。しかも、音楽の内容によっても同じ風景が異なって見えてくるものだ。
 で、あの、タイトルバックの音楽は、湾岸戦争番組のために特に委嘱されたものなのだろうか。だとしたら、作曲家は、戦争を単なる戦争映画に変化させる効果を実にうまく出している。結構かっこよい曲なのだ。また、編集者が曲を選んだのであれば、かなり計算された戦争遂行者の意志が感じられる。
 とりあえず音楽を職業としているものとしては、CNNの音楽を聴いて、複雑な思いになったのでありました。音楽は文字どおり音を楽しむことなのではありますが、使われかたによっては、血みどろの戦場を作り物のように変えることができる。現実のシーンに背景音楽を加えると即座に映画的になってしまう。
 戦争の直接当事者である公然殺人公務員(軍人)とその雇人たちは、当たり前だが、人殺し、つまり人間の四肢筋肉血骨臓脳性器の致命的効率的破壊作業をしている。しかし彼らにとっては、この直接的作業をあからさまにそのまま知らせて人々の根源的心情を刺激したくない。正義という論理で自我が安定している状態を脅かされる。自我の安定のためには人間はなんでもするわけで、利用できるものはなんでも利用する。音楽もその例に洩れない。
 楽しいからいいじゃん、と楽天的に音楽している人も、ちょっと気をつけなければならない。少なくとも、戦争という最も虚しく馬鹿げたことに利用されないように気をつけなければならない。音楽が共同幻想の補完物になったとき、楽しさや美しさからはかけ離れてしまう。
 と、CNNを見ていて、小生は感じたのでありました。

サマーチャール・パトゥル第9号(1991)より