アジアのイメージ

 ここ数年、全国各地の自治体が「アジアに開かれた都市」「アジアとの文化的国際交流」というようなスローガンを掲げて、さまざまな催しを展開している。福岡の「アジア・マンス」、仙台市の「アジア音楽祭」、北九州市の「アジア民族芸能祭」、大阪市の「アジア・太平洋トレードセンター」、「新潟アジア文化際」などの他、地方の博覧会などでもアジアがずいぶん取り上げられ、優れたパフォーミング・アーツ(体現芸術)に触れる機会も増えた。
 兵庫県の「現代芸術劇場」でも、「人的、地理的にもゆかりの深いアジア・太平洋地域の芸術文化が交流する拠点」として「アジア・太平洋芸術フォーラム」という部門を設け、活動の一つの柱としている。
 アジアの優れた芸術に触れる機会が増えるという面で、こうした傾向は歓迎されるべきものである。しかしわたしは、こうした傾向に対して積極的に評価したいという気持ちと同時に、一方ではまた、日本の文化状況を真剣に見据えた上のスローガンなのだろうかと、つい疑ってしまうのである。悪いことやないんやから何も文句いわんでもええやん、といわれそうだし、事実そうかも知れない。しかし、ちょっと文句をいいたい気分なのである。
 理由はいろいろある。まず、アジア、アジアという割りには、紹介されたり制作される内容の質、量が圧倒的に貧困であること。しかも、行政主導の場合、自主企画事業とはいいながら、実際は民間プロデューサーの企画に頼っているケースが多い。
 つぎに、「ゆかりが深い」からアジアだ、という説明に対してである。「ゆかりが深い」という認識であるならば、アジアとの芸術文化交流が、最近になってにわかに声をそろえる必要もないほど昔からずっと重要だったはずである。にもかかわらず、これまでほとんど無視されてきた。われわれは、にわかにアジアと「ゆかりが深く」なったわけではない。
 それに、この「ゆかりが深い」という言葉は、かなりイメージ的に使われている。世界地図区分上のアジアには、たとえばイスラエルやイスラム諸国のように、われわれとはかなり異なった文化圏も入ってくる。日本とイスラム諸国の「ゆかり」はもちろん否定できない。しかし、日本文化との相互影響や接触にはかなりの濃淡の差があり、単に地理的区分に入るからという理由では、一口に「ゆかりが深い」とは言えないであろう。
 各地のアジア関連催事や機関のパンフレットには、われわれ自身の文化芸術の創造や、伝統の見直しと再生が今、真に重要であるとうたわれているにもかかわらず、日本の芸術文化と対比してアジアの重要性を説いた記事はほとんどない。
 こうした点を考えると、なぜ、今アジアなのか、という展望がよく見えてこないのである。だから、最近の行政のいう「アジア」には、ついうがった見方をしてしまう。つまり、トレンドに乗り遅れたくないという意識や、経済進出に対する免罪符としての意識があるのではないか、と。
 では、スローガンだけにせよアジアの文化芸術に目を向けられてきたこうした傾向をより実のあるものにするためには、どう考えればよいのか。
 地理的区分上のアジアすべての文化芸術を網羅的に扱う、という考え方も一つである。この範囲には、あまり日本に紹介されていない優れた文化芸術が存在しているし、ヨーロッパ人によってひとからげに定義されたアジアという地が、実に多様な文化をもつことを認識させてくれるにちがいない。
 しかしわたしは、さまざまなアジアの文化芸術を単に紹介するというのではなく、われわれの芸術文化を、これまでの伝統を踏まえて今後どう創造していくか、という視点でアジアをとらえたいと思っている。
 われわれの足元で受け継がれてきた日本の伝統文化芸術は、この島国で純粋培養されてきたものではなく、さまざまな文化との交流によって初めて成立したことはいうまでもない。そうした交流の軌跡を辿ってみると、結果として、われわれにとっての「アジア」が浮び上がってくるであろう。
 わたしは、インド留学時代、欧米やインドの友人たちから受けた日本の文化に関する質問にしどろもどろになった経験から、積極的に日本の伝統芸能に触れようとしてきた。わたし自身はインド音楽を実践しているが、そのインド文化に深く関わって初めてその美しさや文化的意味を知ることになった日本の芸能文化は多い。そうした日本の文化が、経済活動優先によって痩せ細りつつある今こそ、アジアの文化芸術を扱う意義は大きいと思うのである。

サマーチャール・パトゥル第15号(1995)より