プネー音楽祭からの問いかけ

 この2月、5年ぶりにインドを訪ね、プネーの音楽祭に参加してきた。
  プネーは、アラビア海に面したインド最大の商業都市ムンバイから車で3時間の距離にある大都市である。バンガロールと並んでインドのハイテク・ブームの中心地でもある。デカン高原に位置するため、蒸し暑く車も人も過密なムンバイよりもずっとしのぎやすかった。
 Baajaa Gaajaa(ヒンディー語で「器楽声楽」)という名の音楽祭は、2月5日、6日、7日の3日間にわたって、プネー市街地から離れた巨大ショッピング・モール「イシャニヤ」で行われた。イシャニヤは、幾何学的な建物の絡み合う奇抜で未来的なデザインの施設で、万博のパビリオンを思わせた。
 音楽祭を主催したのは、国民的人気歌手シュバー・ムドガルとその夫のタブラー奏者アニーシュ・プラダーンである。二人とも10年来の友人で、わたしにセミナーのパネリストとして発言し、演奏もしてほしいという招待状がきた。ただし、日本との往復はおろかインド国内の交通費も宿泊費も日当も出ない、という条件である。こういうのは招待というのだろうか。しかし、二人や他の友人、グル、弟子仲間にひさびさに会いたくなったので承諾した。
 アニーシュ・プラダーンから送られてきた招待状には、音楽祭の主旨として以下のようなことが書かれていた。
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1. インド音楽の豊かさと多様性を体験してもらう。今日、ヒンディー映画音楽はすごいスピードでインド音楽を代表する唯一のものになりつつある。ヒンディー映画音楽が世界的に人気を得ている状況は誇らしいことだが、民謡、少数部族の音楽、ヒンドゥスターニー音楽とカルナータカ音楽の古典音楽ほか、多くの他の音楽様式が角に追いやられ、ゆっくりと消え去っていくのではないかと危惧している。音楽祭では、多くの聴衆がそうした多様なインドの音楽に触れ、楽しむ場所を創造する。
2. ここ10年の間にインドに育ってきたオルタナティブあるいは独立した音楽制作の流れを紹介する。この流れは、主流である映画音楽に限らない、さまざまな嗜好をもつ音楽家や音楽愛好者に支えられている。独立系レーベル、自費制作出版など、こうした音楽制作関係者が直面する問題を考えるために、セミナー、ワークショップ、討論なども行う。
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 音楽祭では実に多彩な音楽が紹介された。シタール、サロード、バーンスリー、タブラー、パカーワジ、サーランギー、サントゥールといった伝統楽器と声楽による古典音楽、ラージャスターンやマハーラーシュトラの民俗音楽、学校児童による集団歌唱、伝統楽器にドラムス、キーボード、ギター、ベース、サックスなど西洋楽器の加わったいわゆるフュージョン音楽などが、2つの舞台で次々に披露された。展示ブースには、楽器メーカー、楽器商、独立系レーベルのCDショップ、音楽出版社などが商品を並べた。また、学校での音楽教育、師弟伝承と学校教育との関係、版権問題などを議論するセミナーも開かれた。すべてに参加することはとても無理なほどの盛りだくさんのプログラムだった。アメリカ、オーストラリア、カナダ、イギリスなど海外からの音楽家たちも演奏した。わたしもソリストとして45分間の時間が与えられ、ヒンドゥスターニー音楽と山形民謡の最上川舟唄を演奏した。「師弟伝承と学校教育の関係」というセミナーにもパネラーとして参加した。日本人では他に新進の新井孝弘さんがサントゥールを演奏し、高い評価を受けていた。

インド音楽家の危機意識

 さて、上記主旨文からうかがえるのは、恐ろしい勢いで経済成長に突き進む現在のインドの文化状況に対するアニーシュたちの危機意識である。社会全体がせわしくなり、短期的欲望を追い求める人びとのニーズをたくみに取り込んだ音楽産業が目新しい音楽商品を生産し、それを人びとが日々消費していく。音楽の賞味期限は短くなり、長い歴史の積み重ねによって成立したさまざまな音楽様式が忘れられていく。多様で豊かな音楽文化、特に精緻な体系をもつインド古典音楽に誇りと自己のアイデンティティーを感じてきた彼らが、こうした事態に強い危機意識を抱くのは自然なことだろう。
 アニーシュたちのいうように、ヒンディー映画音楽がインド音楽を代表する唯一のものというほどに世界的な人気を実際に得ているのか、わたしにはなんともいえないが、日本でもインド料理屋ではたいていヒンディー映画音楽がBGMとして流れているので、そうなのかとも思う。インド文化にそれほど触れたことのない人は、ああ、これがインド音楽なのかと思うかもしれない。
 現実に、ムンバイやデリーの大きなCDショップで目につくのはヒンディー映画音楽を主としたポップス系で、たいてい一番目立つコーナーを占めている。わたしが30年来かかわってきたヒンドゥスターニー音楽(北インド古典音楽)のCDは目立たない棚にひっそりと並んでいるだけだ。では古典音楽演奏家の露出が少なくなったかというとそうでもなく、演奏家は地味な古典ものよりも、西洋楽器の入ったフュージョン系音楽で活躍している。フュージョン音楽CDの売り場は純粋な古典音楽よりもずっと大きい。ムンバイなどの大都会では、きちんと調べたわけではないが、古典音楽家たちの加わったフュージョン音楽のコンサートがかつてより増えたように思う。こうしたことを考えると、おそらくアニーシュたちの指摘は正しいのだろう。
 とはいえ、古典音楽では別の事情もある。今回の音楽祭にインド人以外のヒンドゥスターニー音楽演奏家が招かれていることからもわかるように、インド音楽のエッセンスともいえる古典音楽は60年代からじわじわと世界中に広がり、一般的な音楽表現の一つとして認知されている。インド人演奏家が外国公演に出かけることは今や一般的だし、インド人以外の演奏家も増えてきた。最近ではインドで演奏活動を行う日本人演奏家もかなりいて、30歳前後の若い新井さんのようにインドの聴衆から高く評価される演奏家も出てきた。インドでは傍流に追いやられつつある古典音楽が国外で高く評価されている皮肉な側面がある。
 たしかに、わたしがムンバイに通いはじめた90年代初期と2010年の今日とは大きく状況が変わった。社会が大きく変化すれば音楽環境も変わらざるを得ない。アニーシュたちは、その変化の質に疑問と危機感を抱いてこのような音楽祭を企画したのだった。
 アニーシュたちの危機意識に一部共感しながら日本の状況をふと考えた。カツラをかぶった西洋人の肖像画に囲まれた音楽室で、五線譜の読み方や和音の仕組みを習い、18世紀と19世紀のたかだか200年の間にヨーロッパの宮廷で花開いた音楽がいまだに芸術音楽の代表のように認識され、西洋音楽のシステムの元に流行歌が商品として生産され、かたや保存すべきものとしての古典音楽・芸能がなんとか細々と命をつないでいる。わたしはインド古典音楽を知ることで日本のこのヘンチクリンな音楽状況に気づかされたのだが、この状況を変えることは可能なのだろうか。こんな日本のありようからすれば、アニーシュたちの危機意識と実行力がうらやましくも思えてくる。

「インド通信」掲載原稿/2010年379号