ジュフ海岸の凝縮された人間模様

 ムンバイ市中心部から車で40分ほどのジュフ海岸は、現在は比較的裕福な人々の住む郊外住宅地のようになっているが、砂浜沿いには高級リゾートホテルが林立し、まだ立派なリゾート地である。
 海岸から一段高いホテルのプールサイドからアラビア海に沈む夕日を眺めていると、ぼろをまとった親子連れが砂浜からこちらを見上げて「バクシーシ」と叫んでいた。わたしは、視線をあわせないように遠くを見るふりをした。すると彼らは芸を始めた。3歳ぐらいの女の子が砂浜で何度も何度もでんぐり返りをする。がりがりに痩せたルンギ姿の父親は、それを見て大声で「ホイ、ホイ」とかけ声をかける。彼らを囲むように人だかりがし始めた。それに勇気づけられたのか、今度は父親自身が激しく砂の上で回転した。誰でもできる程度の簡単な回転を必死にやっているところが痛々しい。穴の空いたランニングシャツは砂と汗にまみれた。横目で見ていたわたしも、ついつられて顔を向けた。わたしにチラと媚びを含んだ視線を投げかけた父親が、今度は仰向けになり、娘を両足にのせくるくる回し始めた。隣に力無く座る母親らしい女は、手提げから取り出した太鼓を叩き、うつむき加減で歌い始めた。弱々しく、なんとももの悲しい歌声だ。彼らの繰り広げる芸も、あまりに稚拙でやりきれない。父親の発案なんだろうか。それとも彼のカーストの伝統芸なんだろうか。などと考えていると、一本の長い竹竿の先端に娘を紐でくくりそれを肩に担いだ。ほこりと汗で煮染めたような赤っぽいワンピースを着た娘は、竹竿の上で逆立ちしたり手をばたばたさせたりしている。何日も洗っていない長い髪を揺らし、うつむき加減に黙々と「芸」を披露する。もうやめてくれ、と叫びたいほど執拗にその芸が続く。父親は、再びわたしに視線を投げた。彼は娘をくくりつけ竹竿を担ぎながら、こちらに移動してきた。砂浜とわたしの位置には3メートルほどの高低差があり、わたしは見おろすかたちで彼らの芸を漫然と眺めていたのだが、小さな娘はわたしと同じ目の高さですっとこちらにやってきた。そして目の前で「バクシーシ、旦那」とつぶやき、小さな手を差し出した。わたしは、彼らの計算に舌をまいた。それまでの稚拙なでんぐり返りも、父親の足の上の娘の回転も、弱々しい母親の歌声も、最初からわたしが目当てだったのかもしれない。うーむ、やるなあ、と思わず心の中で喝采したわたしは、迷わずに20ルピー札を少女に手渡した。ちょっと離れたところでわたしと同じように眺めていた白人の男は、わたしと視線が合うと苦笑を返してきた。ぼくも一度やられたんだよ、と語っているようだった。
 この後、砂浜に降りて1時間半ほど散歩した。砂浜はまるで祭りのような人出だった。ちゃんとしたジャージーとスニーカー姿でジョギングや速歩している太った男女に、一掴み100円ほどのピーナツを売りつけようと一緒に走る痩せた青年。太った金持ちが痩せるために走り、痩せた貧乏人たちが太るために小商いをしている。手をつなぐ男同士、恋人同士らしい男女、なにげなくたたずむ男、クリケットをする少年たち、痩せた物売り。砂浜で展開される小商いの業種も多様だ。小さな団子を油で揚げて中空ボール状にし、それを酸っぱいスープに浸して食べるベールプリー(これがもっとも多い)、焼きトウモロコシ(1本20円くらい)、紙飛行機凧、犬散歩少年、チャナ豆、投げ輪、乗馬、馬車、手回し観覧車、手回しブリキ自動車メリーゴーラウンド、炭酸飲料、親子曲芸師、物乞いの老婆。投げ輪屋は、砂を固めて平らにしその上に白い布を敷いて、安物の商品を並べる台の代わりにしている。砂地に円い線をひき、そのまわりを犬がぐるぐるまわり、その犬が止まった人にゼニを乞う初老の痩せた男。三枚の円盤の裏の色を当てる賭屋とどうもサクラらしい男たち。円錐状にした新聞紙に入れたピーナツを15円で売っている中年男。板につけたゴム風船をあてる射的屋。どれもみな悲しいほどの小商いである。
 小さな電球が点滅する箱形の機械にヘッドフォンをつないで、何かを聞かそうという商売もあった。わたしは、何かなと思ってそのヘッドフォンを耳に当てると、ヒンディー語の説教が聞こえてきた。シヴァ神に毎日お祈りすれば何でも願い事が叶う、といったような内容だった。若い男は、お前聞いたんだから10ルピー(35円)出せという。するとかたわらでわたしを見ていた少年が、こいつは外人だよ、言葉分からないのにお金せびるのはよくない、とその若い男にいう。歩き出したわたしの後をついてきた少年は、ああいう人間がいるからインドは恥ずかしい、僕はジャイプルの近くの村からきた、あんたはどこからきたのか、どこに泊まっているのかと英語で話しかけてくる。黙って無視していると、最後に「僕は手相見なんだ。あんたの手相からなんでも当てるから一回見せてみろ。たった100円だから」と営業活動をしだす。服装も顔つきも体型も社会も学歴も違った人間たちは、ジュフ海岸に毎日毎日このようにして繰り出すのだ。ジュフ海岸には凝縮された世界がつまっている。

サマーチャール・パトゥル第22号(1997)より