仮の生活

 この頃は、給水車に水をもらいにいくときも、スーパーに買い物に行くときも、つまり家を離れるときは常に最重要と思われるものをリュックに積めて携行する癖がついた。中身は、銀行の預金通帳、現金、キャッシュカード、クレジットカード、免許証、はんこ、パスポート、健康保険証を入れたウエストバッグ、懐中電灯、住所録データのバックアップフロッピーディスク、重要書類セット(生命保険証書、各種免許証などの他に、どうみてもあまり重要ではないような紙関係も混在している)、タオル、指の薬、お泊まりセット(石鹸、歯ブラシ他いろいろ)、あめ玉、タバコ、ライター、メモ用紙、カメラ、手帳、ポケットティッシュ、ミニ裁縫セット、トイレットペーパー、ホカロン、眼鏡ケース、手袋、家と自動車の鍵、などである。家を離れているときに再び戻れなくなっても当座困らない最低限の持ち物というわけだ。書き出してみると、どれも更新の際のエネルギーロスを少なくするためのもので、現金以外は仮に全部なくとも換えのきくものばかりである。リュックの中身は、フロッピーディスクとカメラの他は私が帰国する前に配偶者が選択した。ポケットティッシュとトイレットペーパーが併存しているところが配偶者らしい。こうした、仮の生活にとって重要と思われるものの選択は、個人や住む社会によってかなりの差があるのでしょうね。。ふと、インド人だったら、アメリカ人だったら、エスキモーだったらどんなものを選択するのか、などと考えてしまう。
 さて、これらの物は常時携行するだけではなく、寝るときには、開けっ放しにした寝室の扉の横にコートやズボンと共に置いておく。枕元には懐中電灯を配置し、いざというときにすぐ使えるよう備える。眼鏡は、寝る前に必ずケースに収納しリュックに入れる。眼鏡をかけた友人たちが、「そのとき」眼鏡がなくて世界がぼやけたまま避難した、という話を聞いたからだ。眼鏡のように、からだの一部を外部のもので補完せざるを得ない人たちは「そのとき」は非常に不利だ。
 ところで、冒頭でこうしたモノを携行する癖がついたと書いた。しかしこれは、私が自らそうしようとしたのではなく配偶者の発案である。元来ノーテンキな彼女が異常な熱心さで携行を促すのは、「そのとき」の恐怖が原因なのだと思う。「思う」と書いたのは、私がその恐怖の体験をしていないので想像するしかないからである。「そのとき」から2日後にインドから帰国した私には、三宮の倒壊したビルや、JR六甲道駅周辺の空爆を受けた後のような惨状を見て、光景としてはすさまじさを感じるものの、配偶者や被災した友人たちが味わったであろう恐怖に裏打ちされた視線を持ち得ないでいる。われわれの安否を気遣う電話を多くの友人知人たちからもらった。みな「大変だったでしょう」といってくれる。たしかに家の中は混乱し、水なしガスなしの生活は今もって続いていて大変なのだが、癒されるべき恐怖を持たない私の返答には切実さがこもっていない。被災した友人たちは、熱心に「そのとき」の恐怖を語り合ってきりがないのだが、傍らで聞いている私にはその熱心さが伝わらない。
 ともあれ、恐怖感情の深浅は別にして、手ひどい余震の再来に備える毎日ではある。貴重品の入ったリュックを常時担いでいて思ったのは、こうした「仮の生活」が実は本来なのであって、いずれ旧に復すかもしれない元の生活こそ仮だったのではないか。また、当分「仮の生活」を続けざるをえないこうした状況から何かを学ぶとしたら、それはいったい何だろうか、ということである。生そのものを揺さぶるような今回の恐怖から人間は何かを学ぶのかどうか。
 今回の地震は、老若男女、貧富の差、社会的地位、名誉を問わず平等に災難をもたらした。もっとも、何も持たないことを選んだ、あるいは選ばされたいわゆるホームレスの人たちにとっては災難といえるかどうか。聞いた話によれば、大阪に住んでいたその種の人たちが神戸にやってきているという。彼らのところにも平等に救援物資は回るはずだから、むしろ生活は一時的にせよ向上したといえるかもしれない。いずれにせよ、今回の震災は「大地に根ざした揺るぎない」生活とか、モノのあふれた「豊かな」生活が実に不安定な地盤の上に築かれていたかを教えてくれたと思う。絶対安全な構造だと宣言されていた建築物や橋脚などがいともアッサリと壊れたのは工事管理の杜撰さや手抜きのためではなく「設計時の想定を越えた揺れだった」からだなどというエクスキューズを聞くと、人間の想定はせいぜいそんなものか、オロカモノめが何をほざいておる、という自然の嘲笑が聞こえてくるような気がする。自然を、人間と対立する、征服すべき対象とみなしてきた近代科学も、今回のような自然の気まぐれな「微動」の前にはなすすべもなかった。当然やってくるだろう夏の暑さがひょいとかわされると凶作だと騒ぎ、暑くなればなったで電力の不足を嘆き、予想以上の雨が降れば洪水だと天を恨み、溶岩流に燃やされる家を呆然と眺める。マルチメディアだ、情報社会だ、宇宙開発だ、バイオだと忙しい現代社会も、結局は地球のわずかな身震いによって脆くも崩れることをあらためて教えてくれたのである。
 では、現代科学に裏打ちされた「揺るぎのない豊かな生活」がこれほど危ういものであるならば、われわれはどうしたらよいのだろうか。最も単純な解決法は、元々大地は揺らぐものだと観念し、壊れてしまって本当に困るようなモノは作らず、あっても持たないことだ。インドの修行者のように、寒さをしのぐ最低限の衣類と少々のことでは壊れない金属の食器だけであとは何ももたない。これほど簡単な解決法はないであろう。しかし悲しいかな、われわれ都市住民はまったく自力では生活できず、専門化したそれぞれが互いにもたれあって生きざるをえない。
 われわれは、シジフォスの神話ような不毛な努力を永遠に続けることが宿命なのか。

1995年震災直後に書いた未発表エッセイ