声明とインド音楽

 前回と前々回、声明について触れた。わたしの肩書きはインドの竹笛バーンスリー奏者となっているので、声明とインドの楽器がどう関係するのかと思う方もいるかもしれない。
 インドの音楽に興味をもったのは、ビートルズの「ノルウェーの森」で使われたシタールという楽器のせいだ。その音に強く惹かれ、ついには81年から約4年間、インドの大学で音楽理論学科に在籍し、かたわら、グル(師匠)の元で声楽やバーンスリーの演奏を学ぶことになった。学んでみてわかったのは、インド音楽がとても長い歴史と精緻な理論体系をもっていることだ。なので、この音楽をマスターするのは一筋縄ではいかない。
 さて、インド音楽は当時も今も日本ではまだ「珍しい」音楽だが、実は日本の伝統音楽と関係がなくもない。特に声明とは関係が深い。なにしろ仏教は古代インドで生まれたのだ。その後、中国や朝鮮半島を経て日本にもたらされたのだが、なにげなく聞くお坊さんの読経や声明は、元をただせば古代インドのバラモン僧の経典詠唱が基になっている。伝来の過程で古代インドの詠唱法は変質したものの、旋律がある一定の高さの音(音楽用語では「核音」)を重心にして進行するという音楽的な基本構造は大きく変わってはいない。やはり古代インドの経典詠唱から端を発し現代まで続いてきたインド音楽も、複雑になったとはいえ実は同じ構造である。そして、ほとんどの日本の声による伝統音楽のルーツは声明にあるともいわれるので、日本とインドの音楽はどこかでつながっている。
 わたしが<七聲会>の歌う声明にインドの竹笛を合わせて演奏することが可能なのも、ともに音楽として共通するものをもっているからだ。

神戸新聞(夕刊)2010年7月16日(金)掲載