神戸新聞を読んで1--地域の独自文化の紹介を

 私はこれまで「アジアの音楽シリーズ」と銘打ったコンサートを神戸ポートアイランドのジーベックホールを中心に八九年から開いてきた。インド、中国、韓国、インドネシアなどアジアの音楽と日本の音楽の違いと共通性を幅広く知ってもらう目的である。
 日本の伝統音楽家とアジアの音楽家を招いて同じ舞台で演奏してもらうこの企画を通じて痛感したことがある。アジアから招いた音楽家は自分の音楽に強い自信と誇りを持っている。他方、私も含め日本人である聴衆がアジアはもとより日本の音楽についてあまりに知らないということだ。
 このことは私に限らず、多くの人も感じているはずである。文部科学省が二〇〇二年度から新学習指導要領を導入し、学校教育の現場でいわゆる民族音楽や邦楽を積極的に紹介する試みを始めたのも、同様の認識からであろう。
 しかし、先生がいくら日本の伝統音楽を子どもたちに教えようとしても、ほとんど西洋音楽一辺倒の教育を受けてきた先生自身が意識変革し、社会的な環境がそれを支えなければ意味がなく、子どもたちも戸惑うばかりだろう。そしてこの環境を支える重要な媒体の一つが新聞である。
 一月三十一日付け朝刊は神戸新聞主催「松方ホール音楽賞」の受賞者を大きく紹介していた。「兵庫県ゆかりのクラシック演奏家を顕彰する」目的であるこの音楽賞は、若い演奏家を育てる意味で貴重な機会を提供している。それはそれで意義があり評価できる。若い受賞者たちには大きく世界に羽ばたいてほしいものである。
 しかしこの記事を眺めていて、いわゆるクラシック音楽に関わる話題以外で、たとえば地元で頑張っている邦楽演奏家などがこれだけ大きく取り上げられることはあるだろうか、とふと思ってしまった。
 地方紙の独自性は、地方に特有の文化を紹介し顕彰することにもあろう。そうした情報を読者も共有することで、地域コミュニティーの一人としての個人のアイデンティティー形成に少なからず影響を与えるはずである。そうであるなら、同じくらいの紙面を使って足元の独自の音楽文化をもっと紹介してもいい。
 知人の沖縄の音楽家、照屋林賢さんにこんなことを言われたことがある。「沖縄にはそれぞれの地域にそれぞれの音楽があるが、ヤマトではどこに行ってもそういうものがない」。
 確かにそうである。しかし私たちの足元には地域生活に根付いた音楽文化がまったくないというわけではないだろう。地方独自の音楽生産力を高めるためにどうすればいいか、新聞はもっと真剣に考えていいと思う。(音楽プロデューサー)

神戸新聞2005年2月6日朝刊掲載原稿