打ち上げ飲酒的体力

 僕は、ちょっとでもアルコールが入ると、演奏はもちろん、頭を使う仕事は全くできなくなる。ところが、なかには酒を飲みながら文を書く人や、楽器の演奏をする人がいたりする。僕にとっては、彼らの頭脳の構造は想像しがたい。
 僕は、基本的には酒という液体は好きではないのです。ただ、酩酊状態は好きなので、意識を失わない程度に飲む。
 演奏会のあと、たいてい打ち上げと称し、飲み食いをする。後の打ち上げが楽しみで演奏する、という演奏家もいる。これまで会った演奏家は、たいていこのタイプが多い。これがあるから止められないと言うわけだ。
 南アフリカの黒人音楽劇「アシナマリ」神戸公演の後、出演者たちと例によって打ち上げをした。アパルトヘイトを告発したその舞台では、汗が飛び唾が散る熱演だったが、彼らのエネルギーは、打ち上げになっても衰えない。誰かが止めなければ朝まででも続く勢いで、彼らはよく飲み、よく食べ、よく歌った。彼らのコーラスは、間近に聞くだけに、本ステージ以上の迫力があった。それに引きかえ、われわれ日本人スタッフの返し歌は、公演実行委員長である某女子大学長代行氏の歌った猥歌で唯一盛り上がった以外なんとも貧弱だったし、全体におとなしかった。こういう大勢で酒を飲むとき、今の日本人には、楽しむべき歌がない。彼らに較べると、われわれは、飲むにしろ、食べるにしろ、歌うにしろ、なんかこう、基礎体力が違うのではないか、と思った。
 ウチナーグチ(沖縄弁)の歌詞と独特の沖縄サウンドで注目を集めた「りんけんバンド」。六甲アイランド公演後の打ち上げで、「普通、沖縄では朝まで泡盛を飲むんですよ」と、リーダーの照屋林賢さんが言った。そのそばで、「りんけんバンド」のマドンナ、上原知子さんが、「そうそう」とうなずきながら泡盛をうまそうにくいっくいっと飲んでいて、ヤマトンチューの僕は飲酒体力の差を感じた。
 普通、打ち上げは演奏会の後である。ところが、アフリカのミュージシャンたちは、舞台に上がる前に酒を飲みドンチャン騒ぎをし、よっぱらった躁状態のまま一気に舞台で爆発させる。そして舞台が終った瞬間、全エネルギーを消費し尽くし、演奏前や演奏中の状態が信じられないほど、ぐったり死んでしまうそうだ。この話は、彼らと共演する機会の多い打楽器奏者の高田みどりさんに聞いた。舞台爆発促進的飲酒体力の差である。
 酒という液体は好きではない、などと言いながら、結局なんやかんやと飲むことが多いのだが、やっぱり酒は、演奏会の後の打ち上げで、いずれも紋切型でない音楽家たちと馬鹿話をしながら飲むのがおいしいなあ。

月刊『神戸っ子』1991年2月号掲載原稿