文化的町おこしの悩み

 最近、兵庫県は県民の文化向上ということで「芸術・文化センター」の創設や「丹波芸術村構想」などを政策として掲げてきた。こうした動きは兵庫県に限ったことではなく、日本全国で大なり小なり企画されている。これは、一見大変結構なものに映るが、建物や道路などのハードの内容と比較すると、ソフトである文化芸術の中身がまったく考えられていないような気がする。先日、鹿児島県の鹿屋市へ行ってきて、ますますその感を深くした。
 鹿児島県の鹿屋市で「まことげ」という居酒屋をやっている上園信さんの家でなにげなくテレビを見ていたら、ある地方の「町おこし」がたてつづけに二件紹介されていた。上園さんに鹿屋市のいろんな施設を案内された後、焼酎を飲みながら朝まで鹿屋おこしについてしゃべった次の日のお昼の番組だった。番組の中の一つの町は、芝居をその目玉にしようという報告。もう一つは、特産品のりんごの畑を公園化して人を呼込もうという作戦。 テレビで紹介されていた「町おこし」に共通しているのは、過疎化をなんとかしなければと切実に考える住民の存在と、その目玉に大変なお金をかけた近代的な施設があることである。そして、住民たちの意気込みや施設の立派さに反比例して、活気がない。
 さて、わたしが鹿屋市を訪れたのは、友人である垂水市の元気青年甲崎さんと上園さんらが設立したイベント企画会社のアドバイスをするためである。彼らは、「町おこし」の一環として作られた霧島台公園の大きな野外音楽堂を使って何か「アジア芸能祭」のようなものをしたいと目論んでいるのである。彼らによると、せっかくできた壮大な野外音楽堂も、できてから一、二度使われただけでほとんど眠っているという。
 芸能や芸術などの文化イベントを核に町おこしをしたいと考えているのは、日本のおおかたの市町村が思っていることであろう。そのために多大な資金を費やして立派な音楽ホールが地方市町村にたくさんできた。内外の有名音楽家が鳴り物入りでこけら落とし上演を行い、そのときだけは全国的に話題になるものもあった。しかし、いざ作って花火を打ち上げてみたものの、後が続かない。こうした例は、全国に無数にあるのではないか。話題になったあの人は今、という感じでそれらを徹底して調べてみたいと思ったことがある。

 文化的町おこしのパリ型とバリ型

 鹿屋市役所の「鹿屋地域商業近代化街づくり委員会」の人たちや青年会議所の人たちとしゃべっていて次のように感じた。
 まず、「町おこし」の動機。「おこそう」とするホンネはどこにあるか。暴力的にまとめるとこのようになると思う。

1.過疎化をふせぎ若い人を定着させたい。
2.よその地方からたくさん人を集めてゼニを落としてもらい、もっと町全体がカネモチになり豊かになりたい。
3.文化的に充実した生活を送りたい。

 で、わたしは、「文化・芸術」を核に町をおこすにはということで、パリとバリの話をした。
 パリは言わずと知れた芸術の都市である。パリがその地位をこれまで保ちえた原因の一つは、芸術を人間が生きていく上で不可欠だという認識で、芸術家や特にその卵を庇護し育成した点である。そのために提供された富は、結果的に還元されることになる。還元された富は社会資産として投資され、それがまた人を寄せつけた。芸術家たちがパリに集るのは、そこへ行けば食べて行ける、自分の芸術を分る人がいる、という希望があるからである。
 一方、バリ島にプリアタン村という芸術村がある。そこでは昔から、農民が独自の芸能を発達させてきた。南国の一小島の農民たちがやっていた芸能を見た一ドイツ人画家のアドバイスで成立したのが、今や世界的に有名なケチャである。農民たちは、ただただ村の伝統として芸能を育てていたわけだが、にわかにそれが一つの普遍的な芸術として世界に認知されることになる。そして村にさまざまな芸術家が集り出した。隣の絵画芸術村、ウブドゥと並んでプリアタン村は今では世界的に有名になり、多くの人が訪れるようになった。 
 では鹿屋市はパリ型、バリ型どちらを目指すべきか。どちらを目指すにしろ、人間が生きていく上で芸術・文化が不可欠だ、という認識が必要である。パリはこの認識で芸術を庇護し、バリは自分の芸能を育てた。鹿屋にはそれがあるだろうか。バリのような普遍的芸術になりうるような伝統芸能はあるのだろうか。あるいはそういうものをこれから産み出すことが可能だろうか。
 上園氏によれば、この辺はそういうのがなあーんもないところなのだそうである。ただただ焼酎を飲んで食べることだ、という。
 芸術不可欠認識もなければ生きた芸能もないとなれば、ひたすらゼニを出すぐらいしか残らない。これも一つの在り方かもしれない。鹿屋市がアジアの芸能などの徹底したスポンサーになるのだ。とにかくわたしらはなあーんもないけん、素晴らしい文化をもったあなたがたには口はださんがゼニを提供しよう。いいものをずっと続けて下さい。あなたがたのいいものを見聞きしているうちにわたしらも何かできるかも知れん。
 日本の鹿屋は、世界の日本である。案外これが、日本の取るべき態度なのかもしれない。日本が世界中の文化芸術のスポンサーになる。貿易黒字を減らす最も有益な方法の一つではないか。

 鹿屋市ゴーストタウン化促進協議会

 なんとなく座が絶望的な雰囲気になりつつあるとき、市役所のエライサンたちがお帰りになった。残った人たちと焼酎を飲みつつしゃべっていたら、学校で絵を教える先生が、冗談交じりにポツリとこう言った。
「むしろ町おこしを止めて、美しい廃墟を目指した方がいいんじゃないんけ。シルクロードの廃墟や、西部劇に出てくるゴーストタウンは美しいもんなあ」
 この先生の発言が、町おこし論議に疲れたわたしたちをにわかに活気づけることになった。物事をポジティブに考えようとするとなかなかアイデアが出てこないが、つぶすとなると後からあとから湯水のように湧いてくる。
「えらい先生に大金を払って都市再開発の図面を書いてもらうのもいいなあ」
「そうだ。鹿屋唯一のアーケード商店街は、そうやって現に廃墟化に成功している」
「山をどんどん削って道路を整備してもらおう。そうしたら緑が少なくなる」
「荒涼とした大地もきれいだからねえ」
 くだんの絵の先生。
「利権あさりに目ざとい政治家を送り込むのもなかなかだよ。彼らも町つぶしにはかなり貢献している」
「特産の焼酎を安くしてはどうか。みんな酔っ払ってまともに考えられなくなる」
「それじぁあ町おこしになってしまう」
「あっ、そうかあ。それでは、汚い町づくり。原発誘致とか廃棄物処理施設の誘致」
「世界中の人が『鹿屋だけは行きたくない』と思わせる方法だな」
「ソフトのないハード(うつわだけ立派で中身のないもの)を今以上に大金をかけて作ればどうか。そういう意味では鹿屋市は結構成功してるんじぁないの」
「いやいや。もちろん、行政に任せておけば早晩ゴーストタウン化は免れないが、時間がかかる。ゆっくり進めるのは彼らの得意芸だからなあ。もっとすみやかにゴーストタウン化を進めるために、まず英知を集める意味でシンポジウムを開いてはどうか」
「そこですでにゴーストタウン化に成功した町や村の長を表彰する」
「いいなあ、いいなあ」
「維持費だけで年200万かかる市民ホールの回り舞台にパネラーを並べよう」
「シンポジウムには、町づくりと称して町つぶしに大いに貢献した学者や建築家やそれっぽい有名人に出席してもらう」
「それなら電通とかの広告代理店も呼びたい。町おこしイベントでガッポリ手数料を稼いでいるから、ゴーストタウン化には欠かせない」
「そう言えば垂水市の去年のマルタ公演では800万もかかったが、どうも中間業者からかなりヌカレたらしい。どうやったらうまくヌケルかを教授してもらえばどうか。町の財政を食い潰すには効果的だ」
「町つぶし論は、学問的にもしっかりとする必要がある。理論化のためにまじめに研究してみよう」
 などなど。実際はもっとたくさんのユニークなアイディアも焼酎の量に比例して出てきたが、最後は全員一致で《鹿屋市ゴーストタウン化促進協議会》が発足し、この秋にも本格的なシンポジウムを開くということで締めとなった。その後《鹿ゴ協》がいかなる研究活動をしているかはまだニュースとして届いていない。
《鹿屋市ゴーストタウン化促進協議会》は、ふざけてはいるがブラックユーモアとしても面白いし、文化的町おこしの妙案に悩む全国の市町村には逆説的妙薬として癒しの材料になるのではないか。《鹿屋市ゴーストタウン化促進シンポジウム》の記録を「町ツブシ論の研究」などという本にまとめたら案外受けるかもしれない。
 町おこしのお手伝いのつもりで出かけた鹿屋市への旅だったが、結局「町つぶし」論議に拍車をかけることにになってしまった。しかし、「町おこし」と文化芸術を考える意味では意義の深い旅でもあった。

サマーチャール・パトゥル第11号(1992)より