《むちうん》的国際化とアジアの音楽

 神戸ポートアイランドのジーベックホールで四年ほど前から始めた「アジアの音楽シリーズ」は、この七月のオールナイトコンサート「アジアのスーパーフルーティストⅡ」で一一回を迎える。
 日本の音楽文化は、なんらかの形でアジア各国のそれと密接な関係にある。わたしたち日本の文化の客観的見直しは、こうした近隣関係にある文化と比較し初めて可能であり、はるか彼方の西洋文化を通してはなかなか自己を照射することはできない。そこで、アジアの音楽を通してわれわれの足元を見つめ直し、日本とアジア各国の同種の音楽を同時に聞くことでそれぞれの違いと共通点を知ること、がこれまでの一連のコンサートの主旨である。
 と、まあ一応しかつめらしい能書きをコンサートのたびごとに主張しているのは、わたしがインド留学中にある種のカルチャーショックを体験したからである。
 わたしと配偶者が学生として三年ほど住んでいたのは、バナーラスというヒンドゥー教の大聖地であった。とにかくインドに長く住む、という目的のわたしたちにとっては、ビザの問題などで学生という身分が最も適していたのでバナーラス・ヒンドゥー大学に入学した。わたしたちが所属していたのは、当時外国人にのみ開講されていた「インド音楽鑑賞科」で、三年のコースであった。しかし、もともと勉強が好きで行ったわけでもなく、大学が学生運動などで混乱していたため、講義らしい講義をまともに受けていたのは一年ぐらいで、あとは本を読んだり、友人たちとしゃべったり、旅行したり、楽器の練習をしたり、と「留学」というイメージからはほど遠いものであった。
 同じ学科に、イタリア人のキリスト教牧師、ドミニクがいた。彼の専門は比較宗教学であったが、音楽にも興味をもっていてわたしたちと一緒に授業を受けていた。
 あるとき、わたしたちのアパートで彼とおしゃべりをしていた。インド人の思考方法、宗教、哲学、大家の悪口などから、西洋の音楽、キリスト教へと脈絡なく話題は変化する。バッハ、ベートーベン、モーツァルト、ヴィヴァルディなど西洋古典音楽、ジャズ、インドの音楽の魅力などについて話題が盛り上がったところでドミニクがわたしたちに質問した。
「ところで日本の伝統音楽はどんなか」
「うーん。いろいろあるからねえ」
「尺八の音楽を聞いたことはあるが、あれはインドや西洋とどう違うのだろうか」
「うーん。困ったなあ。まあ、日本には尺八だけではなく箏、琵琶とか能の音楽などあるわね」といいつつ、わたしは困惑の表情で配偶者に目で助けを求めるが、配偶者もわたしと変わらない。
「シントーイズムなんかと関係あるのか」
「ん。シントーイズム。あっ、あっ、神道のことか。うーん。関係あるんやろか」
「仏教と神道の関係は」
「うーん。うーん。うーん」
 わたしたちは、ごまかしめいた返答をときどき返すのみで、無知的困惑うーんうーん状況(以下《むちうん》)におちいるのであった。いわゆる先進文明国からやってきた仲間としてドミニクなどの欧米人に親近感をいだいていたわたしたちは、にわかに突き放された感じであった。心やさしいドミニクは、すぐさまインド音楽へと話題を転じたが、わたしたちは《むちうん》からしばらく立ち直れなかった。
 インド人とおしゃべりするときも同じである。わたしたちはインドのことを知りたいためにインドに住んでいたのであるから、聞きたいことは山ほどあり、かつ彼らはインドの文化に関しては大変な誇りをもっているのでわたしたちは格好の聞き役であった。ところが、しゃべり疲れたインドの友人たちが、ところで日本の文化は云々などと質問したとたん、わたしたちはたちまち《むちうん》になってしまうのであった。
 西洋人が誇りや嫌悪で西洋社会や文化について語るとき、わたしたちにはある程度の知識があり、それなりに対応できる。しかし、仮に西洋人との西洋文化に関するおしゃべり持続可能時間を一時間とすると、わたしたちの日本文化に関する時間は一〇分も満たないのではないか。わたしは、ベートーベンが運命の扉が叩かれるのを聞いて交響曲第五番を作曲したとか、後年耳が聞こえなくなったなどということは知っていても、例えば同時代の邦楽家である八橋検校が有名な「六段」の作曲者であったことすら当時知らなかったし、能も歌舞伎も一度も見たことがなかったのである。だから、インドという異質文化の接触でさまざまなカルチャーショックは当然あったが、それ以上にわたしは、わたし自身の日本文化と西洋文化に対する知識や思考量のアンバランスな状態にショックを受けたのだった。
 もちろん、こうした知識量のアンバランスによる無知的困惑うーんうーん状況はわたし個人の状況であり、ちっともうーんうーんにならない人はちゃんといる。しかし、インド留学から帰り、特に音楽文化に関して日本の状況を見直してみると、外国で《むちうん》になってしまうのはどうもわたしだけではないのではないかと思った。
 芸術音楽というと西洋古典音楽が代表であり、ジャズ、ポップスなどの大衆音楽も西洋的方法論の上で行われている。古典邦楽はあるにせよ、腐敗しないよう冷凍庫にビニールパック保存されたものをときどき出す、という程度で紹介されているにすぎない。ましてやアジアの音楽などに関心のある人は、変り者、珍しものずきだとされる。これは、NHKのFM放送番組の西洋と非西洋の時間比率をみるまでもなく、現在のわたしたちの状況である。学校の音楽教育では、相変わらず五線譜が読めなければ成績はだめであるし、先生になるにはピアノは必須である。わたしたちは、こうした環境で教育を受けてきた。通信交通の発展によってわたしたちは限りなく「国際的」にならざるをえないが、今のような環境に変化がなければ、その国際化に比例して《むちうん》状況におちいる人は増えるのではないか。
 神戸という都市は、中国、朝鮮、インドといったアジアの人々や西洋人と日本人が混然と住む日本でも特徴のある都市である。グルメシティーなどと自称するように、およそあらゆる国々の料理をいながらにして楽しむことができる。しかし、こと音楽文化となるとこうした特徴はまったく感じられない。このような現状を少しでも変えることができれば、そしてわたしのように《むちうん》にならなくともすむ人が少しでも減れば、というのが「アジアの音楽シリーズ」というコンサートを続けている動機である。

『兵庫のペン』掲載原稿/1999.5