震災の三宮を歩いて思ったこと

 20日に神戸大橋を渡って再度筋まで行ってきた。ドイツにいる友人のご両親の消息を尋ねるためである。友人の父親は人工透析が必要なので、もし逃げることができなかったとしたら最悪の事態になっているのではないかと心配だった。
 市街とポートアイランドを結ぶ神戸大橋は、なんとか自動車の通行もできるくらいには復旧していたが、徒歩や自転車で渡る人が多い。橋を渡り切り、フラワーロードを北上するにしたがい、ビルや道路の損壊のひどいありさまが見えてくる。インド料理の「ゲイロード」が地下にあった明治生命ビルは途中で折れ曲がり、市役所旧庁舎の5階あたりは一つの階が完全に押しつぶされている。押しつぶされたあたりからは白いブラインドがびらびらと外にたなびいている。どこを見ても似たような状況だ。どこがどのように壊れているかは、テレビ映像のほうがずっと説得力があるのでここでは触れない。
 こうした建物などの破壊されたありさまを見ていると、かつての装飾過剰な一見きらびやかな「近代都市」がいかに表面的で底の浅いものだったかを感じる。復旧作業に動き回る人々や建設機械のうごめきは、ふたたびそうしたものをすみやかに復元する努力だ。われわれの作るものは所詮その程度のものでしかない。作っては壊れ作っては壊しの連続である。今回の災難はたまたまそれが一瞬に同時に発生したにすぎない。この災難で家族や財産を失った人々にとっては深刻なものがあろうが、そうでない人にとっては一種の壮大なイベントを見ているような感じだろう。
 現にバシャバシャとシャッターを押しているプロや、にわか素人カメラマンらしき人もうろうろしていた。
 そんな中で、ほのかに暖かい冬陽を受けてじっと歩道に寝そべっている、いわゆるホームレスの男がいた。彼は、無表情で、ただただ陽のぬくもりを楽しんでいるだけのように見える。断言できないが、こういう大災害も彼の日常にとってなんの障害要因ではない。復旧作業や友人知人の安否を気づかい街を往来する人々の姿も、彼の視点から見れば、守るべきものをもつ人々のうごめきがにわかに増えたくらいにしか映らないだろう。守るべきものを獲得したエネルギーに比例して人はその復旧にエネルギーを注いでいる。しかし、このモノのあふれかえる今の日本で、なにも持たないことを選んだ、あるいは選ばされた彼にとって、深刻な表情でうごめく人々の活動は、壊れたモノと同様、はかない。
 地震の2日後にインドから急遽戻ってきたが、そのとき関西新空港にはスキーを担いで海外へ出かけようとしている若者たちがたくさんいた。その光景を見た友人が彼らをなじっていたが、僕はそんなものだろうと思う。それぞれがそれぞれの目先の喜びや悲しみで生きているのである。もともと愚かで脆弱ではかない人間であるわれわれは、彼らをなじってもしかたがないのだ。現にかなりの被害を被ったわれわれと、スキーを担いでいる若者の間にはそれほどの違いはないのだ。そんなふうに考えていると、歩道で日向ぼっこをしていた男がなにやら崇高に見えてくる。
 インドから急遽帰国したのが19日の早朝である。ちょうどその日から関西新空港とポートアイランドを結ぶK-JETの運行が再開された。1日2便の臨時便である。そのおかげで、当初予想された大阪経由徒歩艱難辛苦的終戦直後的帰宅は免れた。
 空港にあるK-JETの港では何事もなかったように通常営業していた。わたしは、インドやバンコクで見たテレビニュースの壮絶な光景が頭にあったので、空港全体がなにかしらざわざわした緊張感が漂っているのではないかと想像していた。しかし、港の軽食堂の若い女史従業員は、深刻な顔をしたレポーターが現地の惨状を伝えるテレビ画面などまったく見ることなく、はあーい、うどんですねえ、はあーい、コーヒーでえーす、などと客をさばいている。偶然K-JETに乗り合わせた友人の話によると、難波のあたりではスキーをかついだ若者たちがルンルンとバスを待っていたという。外国からはボランティアの人たちが続々と被災地に向かい活動を開始したというのに、スキーバスを待つ若者たちは一体ありゃどうことだ、と怒っていた。
 ニュースでたっぷりと悲惨なありさまを詰め込んでいたわたしは、K-JETがポートアイランド港に着いたときちょっと拍子抜けする思いだった。確かに、住吉のあたりからは煙があがっているのが見えるし、岸壁のコンクリートは陥没したり歪んで曲っていたが、もっとすさまじいのではないかと思っていたのだ。しかし、車で我が家に近づくにつれ、やはりただならない大災害なのだと実感し始めた。道路は、かつて舗装されていたのかと思われるほど泥だらけで、ところどころ波うっている。歩道と車道、建物と地面が広いところでは20㌢くらい段差ができている。しかし、ポートアイランドの建物は、おおきなひび割れも目につかない。また、メチャメチャなありさまを想像していた我が家も、意外にかたずいている。

津村喬氏編集雑誌掲載/1995.3