第2次讃岐うどん巡礼

 これは、一人でも敢行しようと思っていました。しかし、前回の通信のうどんの記事に触発された、現代美術作家の植松奎二さん、シタールを弾く建築家の橋本健二さん、額縁制作者の宮垣晋作さんが、家族、友人をひきつれて参加してきました。(植松)渡辺信子夫人+篤君、学習塾経営かつうどん道探求者の藤原洋介氏+ピアノ教授晴美さん、配偶者久代さん、そして毎回登場する現地案内人萱原孝二氏、と全部で9名。
 今回の目的は、裏うどん店を最低5店巡った後、丸亀の美術館へいく、というもの。5軒の店を食べ歩くので、うどんは1店1玉、トッピングなし、という方針でした。たどったコースは、「池内」(綾上町)→「山越」(綾上町)→「谷川」(琴南町)→「山内」(仲南町)→「中村」(飯山町)→「猪熊弦一郎現代美術館」(丸亀市)。
 まず、池の鯉がうどんを食べて肥えている、という「池内」。ここは、製麺が主で、その場で食べるのはあくまで付け足し、という典型的なウラうどん店です。したがって、摂食空間もかなり雑然としています。うどんはそれなりにおいしかったのですが、どこか、ぴりっとしない。真剣な目をぎょろつかせつつ「吟味」した藤原洋介氏は、うどん切断面の角度が...などと専門家的印象を申し述べる。1玉90円。
 ついで、同じ綾上町の、伝説の「山越」へ。昨年の讃岐巡礼のとき、その高名ぶりを聞いていました。綾上町在住の萱原孝二さんも「ま、あそこが一番やろな」という店です。製麺所だったものがその場で食べさせるために拡張していったようです。すでに10人以上の人々がうどんをすすっていました。
「池内」で鋭いうどん分析をしてみせた藤原氏は、ここでも、麺の切断面、角度、塩分濃度、噛み込み抵抗度、だし汁品質、嚥下抵抗度などを子細に検分。大きく開けた目を虚空に漂わせた彼は、大きくうなずくのでありました。「うんうん。このだし汁はホンモノ。イリコを使っている。うどんも、理想的といってよい」。おそらく、のっけの「池内」で、氏自身の過剰な讃岐うどん期待感と現実とのズレにわずかに失望していたものが、この「山越」で「やっぱりすごいものだ」と変化した模様でした。生卵ぶっかけを試みました。これはいわばうどんのカルボナーラ。しかし、ちょっと失敗でした。「山越」くらいのレベルのうどんには、やはり何も足さないストレートがベストのようです。それにしても、1玉90円+生卵40円=130円というのは驚くべきことです。
 30分ほどかけて次の「谷川」へ。11時過ぎでしたが、すでに入り口には列ができていました。前回の通信でも、ここのうどん質については触れています。こしの力強さは「山越」や「山内」には劣るものの、誠実な製作努力が好ましい軽めのうどんです。讃岐の日常食としてのうどんのプロトタイプなのかもしれません。すすり込んだ瞬間に、ああ田舎に帰ってきたのだな、と思わせるうどんです。ここも1玉100円です。営業時間は、なんと11時~1時のたった2時間だけです。この店は、ご婦人たちだけで運営されています。簡素でかつ清潔な摂食空間と調理空間はきちんと分離されてるので、製麺所から発展した店ではないように思えます。
 続いて「谷川」から40分ほど走って「山内」へ。久代さんの取材できたときにもっとも印象深いうどん体験をした店です。ここのうどんは、太めの麺でかなりコシが強く、重量感にあふれています。それだけに、すでに3玉食べているわたしには、ちょっと重い感じがしました。天ぷらトッピングを横目にみていた植松篤君は「天ぷら食べたい」と小声で申し述べましたが、「まだ1軒残っているからトッピングは慎むよう」と厳命され、無念そうな表情を浮かべる。「おれはここのうどんが好きやなあ」と宮垣さん。「このコシはどうやったら....」と、自身もうどんを打つ藤原氏が感心するのを横目で見つつ、晴美夫人とノブチャンは「けっこうお腹いっぱい。けどおいしい」とつぶやくのでありました。1玉200円。
 第2次讃岐うどん巡礼の最後は「中村」です。ここの特徴は、なんといっても、食堂としての装飾をいっさい排したそのたたずまいです。外見はまったくの納屋。
 店内をのぞくと、客の一人が「用意してあったうどんがちょうど終わったところなんでえ、あらためて粉の段階からうどんを作ってる」とわれわれに告げる。われわれはかなり長い時間の待機状態でした。わたしは、前回のとき気が付かなかったのですが、土壁の掘っ建て小屋に近いうどん屋の奥に、まっさらの住宅が建っていました。うどんで家が建ったのだろうか。ここも1玉100円ですけど、家が建つほど儲かるのだとしたらすごいものです。藤原晴美さんは「ちょっと腹ごなしと菜の花摘み」に近所の堤防まで散歩。おもてをぶらぶらしていると、ようやくうどんが打ちあがり、われわれも含めた客がぞろぞろと店内に入り、素早く注文、摂食。ここのうどんはかなり塩辛く、水分の多いうどん質には難点があります。もっとも、われわれはすでに4玉も食べているので、適切公正な批評は難しい。橋本さんは、客を出しきった店内でうどんを打つ店主の動きをのぞき見したらしいのですが、その厳しい製作態度に感動した、と申し述べ、次のようなファクスを送ってきました。讃岐うどん初体験の感動が大きかったためか、おおげさでフレッシュな表現で書かれています。
「考えるに、あの中村のオヤジは何もしないのである。ハチは客にとらせ、釜の前に進み出てうどんをありがたく受け取る間も、亭主はたっているだけで何もしない。娘が(これは奥さんのマチガイ:中川注)アミでうどんをよせ、ゆで具合をチェックして盛りつける間も何もしない。打ったうどんを釜に放り込んだだけと、食った後のハチを洗っていただけ。客は、うどんを受け取り、ショウガをすり、ネギを切る。台所で自ら食事の用意をさせる。この策略は、中村オヤジの深謀なり。これは一大文化なり。世界に誇りうる独自性は、世界の人々を感じ入らせることであろう。それほどの行為として評価できる。これをロンドンでニューヨークでパリでやれば、えらいことになるだろう。マクドをこえよう。うどんを簾のように捧げ、刷毛で打ち粉を払い落とす儀式は、まさに食い物であることをこえている。精神世界といえようか。マイッタマイッタマイッタよ。あの袋小路の向こうに見えたシンプルな小屋、その窓の向こうに見えるうどんの前にはべる客人の頭頭。この情景演出にもマイッタ。にこりともしない無表情のオヤジの顔。いっさいの雑音もない静けさ。沸騰する大鍋だけを見つめるしかない。なんともにくいオヤジだった」 
 苦しいほどの満腹感を抱えたわれわれは、次に丸亀駅のそばにある「猪熊玄一郎美術館」へ。建物はクライアントにいっさい文句を言わせないという建築家、谷口吉生の作品です。オープンスペースと開口部をたっぷりとった内部に入ると、ここが丸亀とはとても思えないモダンさです。丸亀出身の猪熊玄一郎は、50歳を過ぎてからアメリカへ渡り精力的な制作活動を行い、70歳で故郷に戻ってきたそうです。50歳を過ぎてからアメリカへ渡る、というのは、その年齢に近いわたしには勇気づけられます。
 美術館の喫茶店で、今回の総括をしました。みんなのベストうどん店は「山越」「山内」「谷川」と分かれました。どこも優劣つけがたいのですが、あえてわたしがランキングをつけるとすれば、1.「山越」2.「谷川」3.「山内」4.「中村」5.「池内」かな。
 ともあれ、こうして、讃岐のうどんと美のツアーはつつがなく終了したのでありました。

サマーチャール・パトゥル第25号(1999)より