配偶者離職する

 中川家の主な収入源を担ってきた会社員の配偶者が、ついに8年10ヶ月在籍した勤務先を退職しました。これまで267回ほど彼女の「辞める」を聞いてきましたが、今度は本気でした。
「仕事をしていて喜びを感じることがなくなった」というのが理由だそうであります。わーい主夫だもんね、などといって好きなことしかしていないわたしは、あまり強く慰留をはかることもできず「ああ、そうですか」というしかありません。今後、わが家の生活がどのようになっていくのかまったく見当がつきません。
 先日、バリ島から帰ったばかりの中川真さんに将来的生活不安をちょっと申し述べると、「ヒロシさんの生活不安いうのはリアリティがないなあ」とのこと。これを書いているわたし自身も実は、あまりリアリティを感じていないのであります。まあ、実際リアリティなんてないですよね。だって、こんなどうでもよい個人通信をだらだらだらだら書いて時間つぶしをしているんですから。 

 今後の生活は? 

 考えてみれば、今後の生活をどう設計するか、などということをあまり考えずにこれまでなんとなく生活してきました。こういう態度でこれたのは、扶養すべき子供がいないということもあります。同時に、まだこない将来のあれこれを心配してもしょうがおまへんやないか、というインド的というか刹那的というか無常観のようなものがどこかにあるからかもしれません。といって、ある程度の収入がなければ現在のレベルの生活は維持できなかったわけでありまして、まあ、それなりに必要にして十分なものがあったというわけでありますね。当座食いつなぐ程度の貯金はあるし、とりあえず今年は配偶者の失業保険もある。ま、なんとかなるか。
 ただ問題なのは、これまでのわれわれの生活のリズムに若干の修正を施さなければならないことです。ちょうど、定年退職した夫が何もすることがなくただただ家でごろごろし始め、それまでの生活リズムに狂いを生じた主婦、という感じか。まあ、いってみれば主婦と主夫が一日中存在するわけで、これまでの主夫としての家事労働のある程度の軽減は見込めるにせよ、ずるずるとしたメリハリのない生活になるのではないか、という予感がするのですね。配偶者はいったん布団に入れば何時間でも寝る人だし、わたしはわたしで家事以外は仕事らしい仕事もしていないのであります。こうなるといったいどういうことになるのか。 

バナーラス的生活

 ここで思い出すのは、約3年ほどのインドのバナーラスでの生活です。当時は二人とも一応学生ではありました。しかし、授業はほとんどないに等しく、学問のためではなく、ただインドで生活するための方便として学生という身分を使用していたのでおよそ勉強などというものもやらず、毎日ベッドに横になってごろごろと本を読むという生活でありました。他にやることといえば、おかずの材料を買いにバザールへ行ったり、ふらふらとガンガーの川岸を散歩したり、切手を買うのに一日かけて街の郵便局へ行ったり、小旅行に出かけたり、読む本もなくなったときのヒマつぶしで始めたバーンスリーの練習をしたり、演奏会に行ったり、人の家に遊びに行ったりという暮し。よかったなあ、あのころは。
 で、なぜあのころのバナーラス生活を思い出したかといいますと、今後展開されるであろう神戸ポートアイランド公団賃貸住宅50-515での生活も似たようなものになるのではないかと思ったからなのであります。
 違うのは、ここが日本であること、震災で整理されたとはいえモノがあふれていること、ちょっとしたことをするのにも馬鹿にお金がかかること、生活自体が喜びとなかなかなれない環境にいることくらいです。あのころは、バザールで野菜を買いに行くのも一種のエンタテイメントでありました。しかしここではねえ。ダイエーやトーホーといったスーパルマルケットでの買い物は生活義務のような感じだし、ただただ街を歩くという喜びにも乏しい味気ない街並みと人々。
 ともあれ、違いはいろいろあるにしても、二人とものったりと家にい続けるという意味では似ているのです。当分は二人のリズム調整を行いつつなんとなくこのままいくことが予想されます。

サマーチャール・パトゥル第18号(1995)より