かくして知恵は去った

 以前からものを食べるときにうずいていた親しらずの虫歯が、5月26日から6月11日までのアーシシ・カーン日本公演の途中から猛烈に痛みだし耐え難いほどになりました。読者の中には舞台で瞑目しながらタンブーラーを弾いているわたしの姿を見た人もいると思います。タンブーラーという、まあ、だれでも弾ける楽器は、通常は主奏者の旋律をじっくり聴きながら眠気をこらえつつ音楽の煙に包まれて演奏するものです。退屈きわまりないと同時に瞑想できる楽器です。ですから、ツアー中の舞台上のわたしは「音楽に浸っている」姿として聴衆には映っているかも知れません。しかし、実は右頭内部全体を持続的にひっかきまわす強烈な痛みに耐える苦悶と闘う姿だったのであります。瞑想どころではないのだ。
 そこで、ツアーの終わった10日後の6月21日、神戸中央市民病院にて親しらずを抜いてもらいました。と簡単に書きましたが、抜歯にいたる細部の工程を想像するだけですっと血の気が引くほどの対人体被切開打撃出血過敏症の小生は、虫歯は痛むものの手術を受ける決断をぐずぐずと引き延ばしていました。かかりつけの森寺歯科医師は、うちでは苦労の割に収入の少ないことはやりたくないもんね、楽して金儲けたいもんね、という顔をしつつこう宣告していたのです。「あなたの親しらずは、ほら、ここんとこが奥の方で曲がっているでしょう。この曲がりっぱなの横から虫がくっているんですよ。困りましたねえ。麻酔注射を打つと気分が悪くなるというし、この状態では神経をクスリで殺して処置するにも難しい。困りましたねえ。親しらずは大きいしねえ。基本的には抜くしかないんだがあ、ウチでは難しいな。市民病院とかの大きな病院で抜いてもらった方がいいですよ」  レントゲン写真を見ると、たしかに露出部分のところで勾玉のように奥にひん曲がっていて、とてもストレートにあっさりと抜けるような姿ではなく、麻酔注射数発、歯茎切開、トンカチ状器具による打撃分断、などというありさまがありありと想像されたのでありました。
 抜歯忌避願望と歯痛とのバランスが崩壊したとき、非常に憂鬱な気分で市民病院へ予約をしにいったのが抜歯の1週間前。とりなおしたレントゲン写真を見たまだ若いアンチャン風の医師は、「鼻の後ろに空洞があるのですが、そこに穴があく可能性があります。注意してやりますけど、もちろん」などとおっしゃる。わたしは一瞬、最悪の状態を想像して暗澹たる気持ちになりました。予約から手術までの1週間の悶々とした日々は容易に想像できることと思います。                  ところが、抜歯は想像以上あっさりと終わってしまったのです。トンカチによる分断もなく、メリメリという感覚がしたかと思ったら、はい、終わりました、なのでありました。抜いた後、高圧のノズルから水を噴射した医師は「水が鼻へ抜ける感じはありませんか」などとうれしそうな口調で聞く。残念そうともいえる。わたしは、んがんがしながら頷きつつ「ありまはへん」と答えたのでありました。もちろん決して気分の良いものではありません。でも、これで虫歯はすべてなくなり元のようにバリバリ食べれるのですから、永続的な苦痛に悩むよりは、多少の気分の悪さは我慢せざるを得ませんでした。
 その抜歯以来、どうも集中力に欠け、なにをするにも怠惰な気分が抜けません。国際謀略ミステリーは読めても、ちょっと頭を使う本も読めません。運動不足な割に食欲のみが馬鹿に旺盛で、書き物をしようとするととたんに眠くなる。腹部脂肪蓄積活動と頭脳思考活動は反比例的に進行しているかのようであります。また、なんでもないときに頭をぶつける。車に乗り込むときにも天井に頭をぶつける。もっともこうした傾向は今に始まったことではありません。ともあれ、なにか、平衡感覚というかピンが抜けて全体の崩壊が始まったような気がする。今回の抜歯で、4本あった親しらずがすべてなくなったことになりますが、親しらず歯のことを英語でwisdom toothということを知り、そうだったのかと納得したのです。わたしにはもうwisdom=知恵がないのでありますね。困ったことになりました。

サマーチャール・パトゥル第18号(1995)より