山形方面ミニツアー04よれよれ日記


18日(土)/出羽庄内国際村ホール・鶴岡市/+木村麗子:タンブーラー/19日(日)/大石田町クロスカルチャープラザ、大石田町/20日(月)/見龍寺、立川町/+斎藤一:タンブーラー/21日(火)/赤湯実家宿泊


17日(金)

 アミット・ロイ(以下バッチュー)とブーシャン(以下セットでB&B)と旅に出るのは、昨年の島根県八雲村以来。強烈鼾打ち上げ好きバッチュー、酒の飲めない睡眠神経過敏ブーシャンという組み合わせは、必然的に睡眠不足をもたらし、なかなかに楽しくかつ朦朧とした旅になりました。

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 新幹線と羽田からの飛行機を乗り継いで、公演前日の17日に鶴岡に入りました。今回もお世話になったのは、鶴岡で日本一の蕎麦 を食べさせる「大松庵」店主の漆山永吉さん。ちょっと見た感じウズベクスタン人と見まがう痩身長躯前頭髪後退の漆山さん、10歳になる娘のゆりのちゃんがわれわれを庄内空港まで出迎え、そのまま漆山家に直行。

 ひとみ夫人の手になる白ネギ山盛りあじの南蛮漬け、エビとじゃがいものイタリア風チーズ焼き、チキンカレー、漬け物という豪華絢爛夕食をいただきつつ、大きく成長した娘たちとのおしゃべりは幸せでありました。最初に会ったときはまだ5歳だったゆりのちゃんは、ぐっと小学生らしくなり、ずいぶん印象が違ってみえました。子供の成長は速いのです。また、オリンピックの女子レスリングで金メダルを取った吉田沙保里選手によく似た13歳の弥生ちゃんは、柔道をやっているせいか頼もしくさわやかなひょうきん娘。漆山家には、この二人の娘の他に、新潟の高校へ行っているあかねちゃんというもう一人の娘と、大阪芸大で声楽を勉強している大吉君という息子がいます。 その日、インド人B&Bとわたしは平行に並ぶ布団で寝ることになったわけですが、案の定、強烈ダブル鼾攻撃にさらされ、二人を呪いつつ朝まで半覚半睡状態でありました。

18日(土)

朦朧としたまま7時に起きだし、漆山家のキッチンでコーヒーを作り、どんぶりで2杯飲み干し、所定の作業を完了させた後、近所に散歩。

 まわりに田圃の広がる田舎道を歩く。(有)水沢ボデーから右に折れ、背後に坂のある墓所を控えた洞雲寺の立派な塀に沿って歩くと、正面に杉林のあるこんもりとした丘が見えました。地元では丸山といっている神社です。入り口の鳥居のところに「石動社」という表示がありました。苔むした崩壊寸前の157の石段を上りきったてっぺんに小さな神社がたっていました。

 散歩から帰ると、バッチューはまだ寝ていた。みんなで、彼が何時まで寝るかという賭けをした。わたしと弥生ちゃんが9時半以降起床説、ブーシャンとゆりのちゃんが9時半以前起床説でそれぞれ100円賭けたのだ。もっともゆりのちゃんは支払い能力の問題があるので賭け金は20円。ちょうど賭けが成立したところで玄関から声がかかった。永吉さんが「貸し布団屋が布団を引き取りにきたみでだ。アミットを起こすべ。返さないとの」といったのでみなが、えーっ、と叫ぶ。結局、わたしと弥生ちゃんが負け、ブーシャンとゆりのちゃんが勝利した。もっとも、人生は賭博であるという事実に疑念のあるブーシャンは110円の獲得金を受け取らなかったのでゆりのちゃんが220円獲得したのでありました。yamagata

 9時半すぎに会場である出羽庄内国際村へ。ホールに入ると、ボランティアスタッフたちが忙しくしていました。両サイドのスピーカーからは大音量のポップスが流れている。マイクの調整ができるかと下見に来たのでしたが、プロではないスタッフは余裕がなくそれどころではないのでした。

 2階の控え室に案内されると、1時開演の準備でやってきていたバンドが待機していました。「どこから来たの」「札幌です」「へええ、札幌ですか。懐かしいなあ。わだすは7年ほど住んでいたのよね」「そうですか。どの辺に」「北17条西8丁目あたり」「北大ですか」「そうです。恵廸寮だった。農学部」「この人も北大ですよ」というやりとりをバンマスらしい人と話していたら、その北大だったという38歳男が「学科は何ですか」と訊いてきた。「林産だべ」「ぎょえっ。僕もです」てなことになりました。まったく世間は狭い。それにしてもわが林産学科からミュージシャンになったのはワダスだけかと思っていたらそうでもないんですね。彼らは、Hard to Findというアイリッシュ音楽のバンドなのでした。

yamagatayamagatayamagata そんなこんなのやり取りの後、再び大松庵へ戻ると、地元のシタール青年斎藤一君、秋田県庁のシタール役人相場君、今回タンブーラー演奏を頼んだ新潟の木村麗子さんとそのダンナのシタール青年木村倫朗君がわれわれを待っていました。一君は中村仁さんの仙台教室でシタールを習っています。相場君はときどき名古屋まで足を運んでバッチューに習っています。もともと東京にいたという木村夫妻は、看護士である麗子さんの仏教系ホスピスで働きたいという希望もあって新潟に移り住んだということ。倫朗君はモニラール・ナーグの弟子です。

 この日われわれの前に演奏することになっていたバンド、Masaraのメンバーも合流しての昼食会を一君が企画したのです。木村夫妻たちは早めに会場へ行くというので、われわれ以外は先に蕎麦を食べてもらいました。ところが、Masaraはいっこうにやってこない。彼らがおいしそうに食べるのを見ていたブーシャンは、「なぜ俺たちだけが食べないで待っているのか。時間の無駄である。したがって拙者は隣の漆山宅でリラックスして待機したい」と申し述べる。「まあまあ、俺たちがこうしてここにいることで彼らが楽しんでいるんだからもうちょっと待ってよ」とバッチュー。ということでわれわれも蕎麦を注文して食べたのでありました。期待に違わずうまかったなあ。食べ終わってわれわれが退出しかかったころ、入れ違いにMasaraのメンバーがやってきました。ウードの常味さんと会うのも久しぶりでした。

「昼寝する」と宣言したバッチューもブーシャンも真剣なおしゃべりに熱中するのを尻目にワダスは完璧な昼寝に成功。

 4時半ころ、漆山さんの車で会場に向かいました。「やっぱり寝る」というB&Bをいったんホテルにおろしたワダスは国際村の控え室で練習。ほどなく麗子さんも現れてタンブーラーを弾いてもらいました。

 30分ほどしかないサウンドチェックをあわただしく終え、前の舞台を終えた常味さんとヴァイオリンの太田恵資さんと挨拶以上の言葉を交わす間もなく開演の時間がやってきました。まずワダスが、Hansdhvaniでアーラープ、Jhaptal、Tintal、そして付録でベンガルの舟唄を演奏。ついで休憩なしでバッチューがMaru Bihagをじっくりと1時間演奏しました。久しぶりに聞くバッチューのシタールも美しかったが、ブーシャンのタブラーソロもとてもよかった。

 終演後、2階の和室でスタッフや出演者による打ち上げ。料理はボランティアスタッフの手作りでした。芋煮が出てきたので、山形の秋を実感。アトラクションとして、Masaraのギタリスト、高木潤一さんとわだすでにわかセッションをしました。曲は、真ん中にフラメンコ風即興を挟んだ最上川舟唄。サラサラ金髪パラリ職業音楽家的雰囲気放射の高木さんは、知人の尺八奏者土井啓輔さんと最上川舟唄を最近録音したとかで、実にスムーズなセッションになりました。

 打ち上げを終えたB&Bとワダスは、漆山さんに送ってもらって居酒屋の「滝太郎」へ。「最近、なになに太郎という居酒屋が増えたな」などとバッチューがいう。

 ここでは地元シタール青年斎藤一君、秋田の相場さん、おなじ秋田からやってきたいずれも年上女房の二組の夫婦が宴会で盛り上がっていたのでした。ひと組の夫はフォークリフト運転手でシタールを習い、もう一方はホームページ制作業のかたわらタブラーを習う、というようにみなインド音楽が好きで、それぞれ相場さんから習っているのです。一君の家に泊まる相場さんを除いた秋田組はあの後、車を飛ばして秋田まで帰ったはずです。

 寝不足やツアー初日ということもあり相当よれよれのわれわれは、主催者が用意してくれたホテル・ルート・イン鶴岡で沈没。

19日(日)

 7時半起床。小雨。1階の食堂で朝食。カウンターの隣に座っていた男が思い出したように立ち上がり納豆を取ってきてまぜまぜ始めるのを見たワダスは、納豆の存在に気付かなかった不覚を罵り同様に立ち上がって取ってきて同じようにまぜまぜしひとときの幸福を味わうのでありました。

 所用中の8時にノック。B&Bが「8時に電話するっていったべ、メシいくべ」という。10時半、漆山さんが迎えにきて、いったん大松庵へ行きました。ワダスは漆山さんの車をお借りして、CDや本やスパイスセットの販売物清算のために国際村へ行きました。

 音楽祭はその日もあり、国際村ではバザーや飲食店が雨のなかで準備中。販売物の入った箱を抱えて車に向かう途中、ふとこんにゃく売りの女性と目が合いふらふらとこんにゃくを注文してしまいました。「山形ではなにかというとこのこんにゃくが・・・」説明を聞きつつはふはふ食べていると、別の女性が「おいしいでしょ」という。「ワダスは山形出身だべ。そげなごど分かってんなや。今、神戸に住んでるけどね」「えっ、わたしも神戸。六甲です」てなことになりしばらく立ち話なのでした。まったく、どこにでも山形出身、札幌出身、神戸出身がいるものです。本当に油断がならない。

 大松庵に戻ると、大石田からわれわれを迎えにやってきたアイヌ的風貌の小玉さんと高橋さんがすでに待っていました。農業および山岳写真家である高橋さんが大きなワゴンをもっているのでかり出されたとのこと。高橋さんは町会議員でもある小玉さんのリクエストを断れなかったと見えます。その高橋さん、小玉さん、ブーシャン、ワダスは大松庵の特別室で蕎麦定食。やはり、ここの蕎麦は絶品です。バッチューは、朝食を2トンほど食べたのでパスでした。

 昼食後、16名の町会議員にすれすれの16位で当選した小玉さんの町会議員活動や、老父や家族のことを聞きつつ、月山越えで一路大石田へ。「あれはおれんとこの蕎麦畑だ」といったあたりで下車し、可憐な白い蕎麦の花を撮影。

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 この辺りの蕎麦畑は「確認蕎麦」というらしい。つまり、休耕田が稼働しているということをお役人に確認してもらうためだけの畑。蕎麦というのは一反で2表くらいしか収穫できず農家にとっては割に合わない作物なんだそうです。「んだがっす」などとうなづいていると、向こうから小さなトラクターがことこととやってきました。小玉さんが「あらら、あれは親父だ。80だ」。赤ら顔の小玉父はとても元気そうでありました。

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 3時前に大石田駅前の「最上屋旅館」到着。小玉さんの配偶者敏子さんが待っていました。ふっくら白髪美人だべ。古くて安普請の懐かしい雰囲気。この旅館は近々再開発で取り壊されるという。荷を解いていると、新潟からやってきたバッチューの生徒、上田中年も合流しました。

 4時半、楽器を積んだ小玉さんのメタリックブルーピッカピカのシビックを運転して会場のクロスカルチャープラザへ。車ではほんの2分の距離でした。ブーシャンとワダスは実は去年ここに宿泊したのです。

 2階の板敷きの会場にはPA、座布団などの準備がほとんど終わっていました。PAを担当していたのは、たった今稲刈りをすませてきたという雰囲気のおじさん。

 6時開場には数えるほどだったお客さんも開演のときは80人ほどになっていました。

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 まずワダスが、最上川舟唄、Jog、ベンガルの舟唄。ブーシャンのソロのとき拍手が沸きました。この途中拍手は小玉さんが後ろで仕掛けていたようです。ついでバッチューのKhamaj。美しかったなあ。またまたブーシャン・ソロ拍手。アンコールが入りバッチューはKafiでベンガル民謡を演奏。これもとても美しかった。

 打ち上げは、われわれの泊まる最上屋旅館2階。刺身、トリの竜田あげ、ラザニア、焼きそばという雑多なメニューでしたが、どれもおいしかった。司法書士をやっているという上田さんが持ち込んだ「越の寒梅」で、ブーシャン以外のの全員ががんがん飲むのでした。参加は、小玉夫妻、小玉妹夫妻、高橋さん、アキ・ウエダにシタールを習っているというニトベのりこ、チカコ姉妹。着メロ業界で働いているというのりこさんは、偶然にも大石田出身で相模原に住んでいる若い女性です。お開きは1時ころ。若い女性にめのないバッチューはニトベ姉妹とさらに飲んでいたらしい。

20日(月)

 8時起床。ブーシャンと朝食をとる。とうぜん納豆が出たが彼は忌避。われわれを訪ねた小玉夫妻は「今日は稲刈りなんだ。そういうことで」と農作業へ向かいました。

 普段は子供たちがテレビゲームをしている食堂の壁に斎藤茂吉の写真がありました。川岸に座ってじっと流れを見ている彼を横から撮ったもの。ここ大石田町は茂吉がしばらく住んでいたことで有名なのです。そのポーズで写真を撮っておきたい、と思ったワダスはブーシャンと上田中年を誘って最上川まで散歩に行きました。上田中年と茂吉ポーズを撮影しました。われわれが何をやっているのか分かっていないブーシャンにも、川辺に佇み思索するポーズを強要し撮影。

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 予定通り1時に、見龍寺副住職の池田好斉さんがピカピカのゴージャスワゴンで立川町からわれわれを迎えにやってきました。新形に帰る上田中年と旅館で分かれ、かなりの雨の中をわれわれは最上川に沿って一路立川町へ。車中、剃髪も初々しいいかにも青年僧侶の池田さんが4年間アメリカの大学で宗教学を勉強したのち永平寺で修行されたことなどを聞きました。


 見龍寺はかなり大きな寺でした。大きな本堂や手入れの行き届いた庭園、すっきりと整理された庫裏、近所の人たちに茶道を教えている品の良い母親、絵に描いたような庄内美人の奥様と2歳の娘。茶菓子や抹茶で接待を受けたわれわれは、なんとなく品性が2割ほどアップしたように感じられるのでありました。

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 5時前に漆山さんと庄内シタール青年斎藤君が到着。この日タンブーラーを演奏してもらうことになっていた斎藤君はかなり緊張気味でした。ほぼ同時に到着したお坊さんたち7名と、最後にやることになっているセッションのリハーサルをしました。「観音経」読経の発声音は、シタールの基音レに合わせてラにしてもらうことにしました。

 聴衆は150人ほど。予算の関係もありこの日はPAなしの生音だけの演奏でした。最後列の人たちには聞きずらかったかもしれません。

 予定通りまずワダスが最上川舟唄とVacahspatiのアーラープに続いて9拍子のMattatal、そして16拍子のTintalで演奏。初めて演奏した斎藤君は「タンブーラーでリズム合わすのは難しいですね」という。「リズムは合わせてはいけないのだ」「えっ、そうなんすか」。相当に緊張して初舞台に座っていたのでありました。

 休憩後、バッチューがYamanのアーラープ、11拍子のChartal Ki Savariと12拍子のEktalで演奏。ブーシャンは、ワダスが9拍子とバッチューが11拍子という変なリズムを選んだので「今日はなんという日だあ」とつぶやく。

 最後のセッションでは、リハーサルの打ち合わせと違い、お坊さんたちがシで読経を始めてしまったのでわれわれはちょっと慌てました。とくにシタールはあらかじめ共鳴弦を半音低いバイラヴィーに調弦していたので、全弦を変えることはできません。バッチューは即座にラーガをAhir Bhairavに変えて演奏することにしたので、かなりイメージとは異なったセッションになっていました。それでも、涙ぐんで聞いていた人もいたので聴衆には良い印象だったのかもしれません。お坊さんたちとのセッションはたいていこうしたハプニングはつきものなのです。それにしても蒸し暑い日でした。

 例によって打ち上げ。山海美味珍味てんこ盛りの豪華版でした。隣に座った滝さんといろんなおしゃべりをしました。現在70歳でもうじき定年、駒沢大学でシェークスピアを教えているという滝さんは、お父さんを見ていて坊主にはなりたくなかったので関係のない道に進んだ、バーミンガム大学で4年間住んだ、定年になるのでいよいよ坊主に戻るなどという話を聞きつつ酒を飲み、勢いで秋田長持歌を唄い、それにブーシャンとバッチューがそれぞれ民謡を唄いとなかなかに盛り上がった打ち上げでした。われわれとすれば、立川の人たちに最上川舟唄を歌ってほしかったなあ。

 庄内おばこ池田夫人の車で、この日の宿泊先である松山温泉「観音湯」まで送ってもらい、バッチューとワダスはすでに席が用意されている二次会場で焼酎を飲み始めました。酒の飲めないブーシャンは温泉入浴。そうこうしているうちにお坊さんたちが到着し、なんとなくどろどろの二次会へ突入したのでした。参加したお坊さんは、池田好斉さん、3月に演奏させていただいた玉泉寺住職の斎藤さん、短身活発光輝剃髪のショウジさん、つい最近まで永平寺に勤めていた若くてとても寡黙な大滝さん。なぜ大滝さんは寡黙なのか、などという話題で盛り上がり、結局ワダスが部屋に入ったのは朝の5時でした。バッチューはショウジさんとまだなにやら話し込んでいましたが、何をしゃべったのか思い出せない、などと後で申し述べる。部屋に帰ると、睡眠神経過敏ブーシャンが「寝れない」とぽつり。常時睡眠不足だった彼には辛いミニツアーなのでした。

21日(火)

・・・8時にブーシャンと食堂でコーヒー。あまり大音量のBGMに小生が文句をいいました。「この音楽はだれか聞いているのですか」「いや、とくにそういうことは」「他に客はいますか」「あなたがただけだ」「ワダスらが聞きたくないということだったら止めてもらえますか」「うーん、それはどうだが。聞いてみないと」「誰に」「責任者に」「でも、せっかくこんな山のてっぺんまできて温泉につかるのは、自然に親しみリラックスしたいからだべ。こんなんだと自然の音もまったく聞こえない。おがすいでねえが」「・・・」というやりとりのあとしばらくしてBGMが止みました。もっとも、業務用掃除機の機械音は猛烈に響くのでしたが。

yamagata 猛烈鼾轟音を発して寝ているバッチューを部屋において、ブーシャンと露天風呂へ。周囲は緑の輝く山々、眼下にはゆったりと流れる最上川。シチュエーションとしては最高の雰囲気でした。しかし、安普請の建物、部屋の非計画的装飾、不要な注意書き、看板などなど、やはりここは典型的な経営者優先志向の強い温泉宿なのでした。なんとかならないものか。

 バッチューもようやく起きだしたので、見龍寺へ電話し駅まで送ってもらうことになりました。やってきたのは昨晩の庄内おばこ池田夫人。当初は庄内観光物産館でバスに乗り山形へ行く、という計画を立てていましたが、すぐ近くに駅があり、新庄まで30分で行くことができることを知り変更したのです。

yamagata 無人の清川駅からワンマン2両ディーゼル列車で新庄、新庄で山形新幹線に乗り換え帰途につきました。ワダスは山形でB&Bに別れを告げ、次の新幹線で赤湯でおり、タクシーで「龍上海」に乗りつけて、ちよっとスープがしょっぱくなったなあと思いつつ世界一のラーメンをすすり、実家へ。こうして、興奮と寝不足のB&B+HIROSの山形ミニツアーは無事完了したのでありました。

■ 2004年9月17日(金)~22日/アミット・ロイ:シタール、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、HIROS:バーンスリー