ザキール、ドタキャン事件

 2月7日にプラネーシュからファクスが入った。 
「2月2日にあなたからの連絡を落手した。兄はインドでツアー中なので下記のところへ詳しい日程をファクスしてほしい。また自分も詳しい日程が分からないので私宛に連絡を乞う。ザキールの奥さんのアントニアに至急連絡しなければならないのだ。ちなみにザキールのボンベイのファクス番号は下記の通りである。---プラネーシュ・カーン」      
 このファクスが入るまで、ヒロシは実はアーシシ・カーンにプラネーシュという弟がアメリカにいることは知らなかった。彼がアーシシ・カーンの弟でありかつアーシシの不在中の連絡代理人であることが明記されていず、アーシシもプラネーシュに関してはそれまでなんらコメントがなかった。またファクスの送付が「S&Kトラベル」などとなっているので当初誰からの通信なのか分からず、ヒロシはとりあえず通信に書かれてある連絡先に日程を送ったのであった。当時、ヒロシの家には水もガスまだ復旧していなく、家の中はどうせ次の余震がくればまたグチャグチャになるのだからと平面的モノ散乱状況は放置しつつ、インドだな、インドだなあ、なつかしいなあと嬉々として給水車へ水もらいに行く日々なのであった。そうした日常にありながら、依然としてアーシシとの関係が判明しないプラネーシュなる男にも最終的な日程を送っていた。ところが、3月7日にとんでもない連絡がプラネーシュから入った。                  
「貴殿がすみやかな当方への日程連絡遅延のため、われわれに大変な障害がもたらされたかにみえる。つまり、ザキールは6月2日3日の当地での演奏会に出演することを承諾したのである。ということは、日本ツアー予定の6月2、3、4日は彼は日本にいることはできない。小生の兄にこのことを告知したところ、彼は次のように事態解決方法を示唆した。
 6月4日予定のコンサートを7日以降に延期する。5日(京都)、6日(東京葛飾)はそのままとし、5月28日(仙台)を6月7日とする。5月31日(東京・国際交流フォーラム)は6月8日へ、6月2日(福井・武生)は9日へ、3日(滋賀・水口)を10日へ、4日(神戸・ジーベック)を11日にせよ」             
 当時すでに、主催者によっては半年も前に会場を決定していたり、公演チラシの印刷にかかっているところもあった。ヒロシの公演関連雑誌記事校正も届きつつあった。「・・・にせよ」っつうーのは何事か、んー?。20キロ入りポリタンク2個をほぼ毎日運搬して疲れ気味のヒロシは、マックいじりのせいでもあるのだが、目をしょぼつかせつつ通信を読むのであった。通信は続く。           
「当方は、貴殿がかような変更を今からなすことは非常な困難を伴うであろうことを理解する。小生は、貴殿がこのニュースを読んで血圧が急上昇し、一升酒に浸るであろうと予測する。したがって小生は、貴殿に痛飲せぬよう、今日はバイクに乗らぬよう助言するものである」冗談じゃねえ。
「第2の選択肢もあろう、と兄は次のように示唆している。5月28日と31日は予定通り日本で演奏会を行う。アーシシはそのまま日本に滞在するが、ザキールのみがただちにアメリカへとって返し6月4日に再度日本に渡航し、6月5日と6日のコンサートを予定通り行う。こうすれば6月2日と4日の予定のみ7日以降へと変更すればよい。問題は、こうしたとき、貴殿がザキールのアメリカ往復旅費を出せるかであろう」じょ、冗談じゃねえ。ただでさえ乏しい予算の今回のツアーである。長時間かけて構築したヒロシの綿密な計画をいきなり「・・・せよ」や「第2の選択肢もあろう」などという簡単な言葉で覆すことは許されない状況となっていたのである。ヒロシの心中にふと「ポアしたろか」という思いが芽生える。通信は次のような言葉で締めくくられていた。                   
「兄はまた、ギャラが安いのでは、とも申されている」
 申すな!!ちゃんと合意したではないか、半年も前に。
「兄はインドで多忙を極め、貴殿との直接連絡不可能状態である。またザキールははっきりいってどこをうろうろしとるか分からん。・・・貴殿の震災的生活が漸次正常化しつつあることを知り喜んでいる。貴殿の誠実なプラネーシュより」     
 しかし、一方的でかつ根拠不十分な通信ではあったが、その日のヒロシの血圧が550にまではね上がり、空になった1升瓶が数本ちらかった室内に転がることはなかった。変更の原因がすべてヒロシの連絡遅延によってもたらされたのだと断定するところは、なかなかにインド的である。インド人特有の最大願望告知的なくてもともと的発想とみた。だいたい、ボンベイでザキールに会ったときは、日本行きを楽しみにしている、などといっていたのだし、なにかのマチガイであろうと思っていたのだ。ヒロシはただちに「変更は不可能。タブラー奏者としてザキールを指定したのは貴殿の方であるし、貴殿が責任をもって当初の計画通りに進めよ。小生の連絡遅延などという理由は論外。これまで小生の送付したファクス記録を再チェックされたし。聴く耳もたん」と申し述べたのであった。しかし、そのころアサハラなる男の率いるあやしげな集団が、「私はやっていない。潔白だ」という歌も用意しつつ密かに日本人総ポア計画を練り実行段階にあったことを知るものはいなかった。
 よく翌日の3月9日、今度はザキールの代理人でもある妻のアントニアからファクスが届いた。   
「アーシシのツアーの混乱に対しては非常に遺憾の意を表明する。ザキールから貴殿からのファクスを受け取っていた旨を聞いた。しかし、一部日程の末尾に?が付されていたので彼は次のような印象を抱いた。つまり、地震によってあらゆる日程が不確定になったと。プラネーシュの話では、どうも日本公演はなくなったのではないか、との印象を受けたのである。そこで、わたくしは約束を迫られていた当地の公演主催者に6月3日に出演承諾の旨をただちに連絡した。そこで相談だがそちらの日程のほんの一部を若干変更するようお願いしたい。ところで、西宮にわたしの友人がいる。彼はザキールの神戸でのコンサートを手伝いたいと申し述べた。もし必要であれば彼になんでもいってほしい。もし変更不可の際は、代替タブラー奏者を考慮されたし。再び、まことに遺憾の意を表明する。尊敬するあなたへ。トニー」
 ヒロシが日程の一部に?マークを付していたことは事実であった。それは最終的なツメの段階に入っていることを意味せんとした記号であってキャンセルのそれではないし、そのことについては何度も説明してきた。出演者側のやむを得ない事情の場合以外は、日本公演がキャンセルになるかならないかはすべて日本の側の判断によってなされる。それをザキールの印象だけで勝手に判断されてはたまらない。キャンセルになるならないかは、別の公演出演を決定する前に電話でヒロシに聞くだけですむではないか。「印象」はケシカランので再考を促したい、他公演を断固キャンセルすべし、とただちに返信したことはいうまでもない。          
 それから何度もやりとりがあった。ヒロシは、ザキールやプラネーシュの一方的な変更申し出は受け入れがたい旨を再三申し入れ、敵は、もう固まっちまったからこらえてえな、と返事が来る。プラネーシュは次の日の10日に「ザキールが極度に多忙な男であることを理解せよ。?記号は貴殿の大きなミスである。さらに小生の日程連絡要請を貴殿は深刻に受けとめなかったのも原因である。わたしはなーんも悪くない。わたしは潔白だ。もちろん貴殿が小生に怒るのは理解できる。貴殿には怒る立派な理由がある。いや俺だってあったまきてんのよ、実は。貴殿は各主催者との信頼関係の維持を強調されるが、ここで考え方を変えてみてはどうか。たとえばザキールが来日直前に病気になったらどうする?もうやんややんやと小生たちを責めるのは非生産的である。別のタブラー奏者を考えよう。ザキールに匹敵する奏者はいくらでもいるやん。人生には悪いことがあって初めて良いことが分かるではないか。なあ、もっと前向きにいこうや」というファクスを送ってきた。そして12日に再びきた。「ザキールに再三こちらの公演のキャンセルを申し出たが、無理だ。そこで、カルカッタの兄に連絡した。兄はこういってる。代替タブラー奏者として小生の名前をヒロシに伝えろ、と。ヒロシ、すぐカルカッタの兄に電話してくれ」たちどころにカルカッタに電話した。アーシシはひたすら平謝りで、「トニーはとんでもない、ザキールもケシカラン、あいつは普段はアメリカ人のようだが、どうも今回はインド人になったようだ、たのむからプラネーシュでこらえてえな、彼だって優秀なタブラー奏者なんだぜ」と話している。この時点でヒロシはザキールをあきらめた。もともとザキールを指定したのはアーシシだし、彼がそういうのであれば仕方がない。また、聞いたことがないので実力は分からないが、兄弟による公演旅行の方がヒロシとしては気が楽だ。

●Zakirquake●

 こうして今回のアーシシ・カーン日本公演のタブラー奏者はプラネーシュに変更されたのでありました。この決定にいたるまでの日々は震災どころではなく、小生はこの状態をZakirquakeと名付けたのでありました。このZakirquake後、各地主催者への変更連絡、雑誌原稿の変更、チラシ校正やりなおしなど、本来不要なエネルギーを費やさざるを得なかったことはいうまでもありません。招聘者である小生の方にもこの変更に多大な責任があります。ご迷惑をかけたにも関わらず変更を理解し了承していただいた各主催者には本当に感謝しております。そうこうしている3月20日、アサハラなる男の率いるあやしげな集団が、「私はやっていない。潔白だ」という歌も用意しつつ日本人総ポア計画第1段階である地下鉄サリン事件が、高らかな「ショショショ、ショショショショ、ショーコー」のファンファーレとともに発生したのでありました。ところで、これは後からプラネーシュに聞いたことですが、ザキールのアメリカでの6月3日4日公演出演は、トニーが地震の前にすでに決めていたのだそうです。するとわれわれの取り交わした膨大な通信はいったいなんだったのか。もしこれが事実であれば、多分間違いないように思えますが、ザキール・フセインという希代のタブラー奏者とは今後信頼関係を維持するのは困難です。余人をもって代え難いザキールだからこそ許される不誠実なのか、とにかく彼またはアントニアには今でもあったまにきてるのよね。今度あったら絶対「ポア」するとはいかないまでも、不信感と深い憐憫を感じるのでありました。それでも彼のタブラーは他にぬきんでて良いことも事実であることを認めざるを得ないのですよね、悲しいことに。

サマーチャール・パトゥル第18号(1995)より