彼岸の芸術

 わたしのバーンスリー(インドの竹笛)のグルに、演奏中、何を考えているのかと尋ねたことがある。
「楽器を手に持ち、舞台に向かうとき、わたしは神経質になる。友人のこと、家族のこと、会場にはどんな人たちがいるのか。彼らは、非日常的なことを期待している。神経質になるのは、このようなことを考えるからだ。
 しかし、舞台に座り楽器に触れた瞬間にそうしたことは忘れ、演奏に集中するようになる。これが自分の祈りなのだ、これが自分の宗教なのだ、と感じる。そして、聴衆と自分の間に存在するものに向かって今座っているのだ、と感じる。その存在というのは、ある種のパワー。わたしは、自分と聴衆の間にその存在をはっきりと感じる。もしその存在がわたしの演奏を喜べば、わたし自身も喜びを感じる。そして、わたし自身が喜びを感じれば、それが聴衆に伝わり、彼らも喜びを感じる。わたしが演奏中に考えていることは、こういうことだ」
 不肖のデシであるわたしは、演奏するたびに彼のこの言葉を思い出す。
 彼のいう聴衆と演奏者の間に存在するものとは、何だろうか。演奏者が秩序のある音の連なりを紡ぎだすと初めて現れる、外的存在なのか。あるいは、自分に内在するものの違った現れなのか。あるいは、聴衆ひとりひとりのこころに存在する意識の集合体のようなものが、演奏者の紡ぎだす旋律に刺戟を受けてたち現れるのか。
 いずれにせよ、わたしのグルに限らず、これまで会ったインドの音楽家たちは、音楽を単なる個人の表現行為ではないと考えている。ある人は、音楽家は、それぞれの音に宿る「神」を現出することだ、と言った。
 インド古典音楽には、そこからある特定の感情や具体的なイメージを思い浮かべることができるような、(そして1曲ごとに曲名をもつような)いわゆる「曲」はない。音楽家が目指すものは、標題や時間的限定にしばられない抽象的な「美」である。それは日常の喜怒哀楽、つまり恋愛の切なさ、別離の悲しみ、自然に対する美や畏れ、豊作の喜び、不条理さに対する怒りや抵抗といったものとはかけ離れたものだ。
 こうした態度は、西洋古典音楽などいわゆる芸術音楽とあまり変わらないといえる。しかし、違うのは、人間が中心にあるのではなく、人間を超えた「大いなる」ものがイメージされ、表現されることだろう。
 さて、インド音楽のことを長々と書いたのは、石踊さんの作品が、このようなインド音楽的世界ととてもよく似ているように感じるからだ。
 石踊さんの描くものは、水壷を頭にのせた女性、車座に座る男たち、駱駝とともに砂漠を歩く民、旅先で出会った人々、美しい女体、土壁に描かれたヒンドゥーの神々、草花などの静物。どれも画家の視界に入ってきた現実の断片である。現実の断片は、画家の優れた描写力によって画面に定着される。正確かつ精密に描かれたそれぞれの現実の断片はとてもリアルだ。しかし、画面全体から現れてくるものは、生身の「現実」からは超越して見える。
「ある婦人の話」のエッセイに続く一枚の絵「ターバンを巻いたウムラオ」には、理不尽な現実によって妻と胎児を失った男が描かれている。男の目には確かに悲しみの光がある。しかし、喪失感に打ちのめされた個人的な悲哀よりも、もっと根源的な、人間の存在そのものの悲しみや諦観のようなものが伝わってくる。
 このような感覚は、上の作品に限らない。たとえば、水壷を頭にのせた女性の作品から放射されるのは、描かれる女性の生活を具体的に思い描くことを拒むような気品と静かさである。暑く乾燥した砂漠、埃まみれなはずの衣服、歩くたびに揺れる壷の中の水の音、頭と首にかかる水の重量、過酷な生活。題材としての「現実」はこうしたものを思い起こさせる。しかし、画面上の彼女たちに同情の言葉をかけることができたとしても、彼女たちは凛として無言のまま立ち去ってしまう、そんな気がする静かさがある。
 私が石踊さんの作品から受ける印象は、このような日常の喜怒哀楽を超越した、静謐で透き通った感覚である。描かれる物や人間は、まるで「大いなる存在の力」の幻影であるかのようだ。同じ感覚は、インドを題材とした作品ばかりでなく、初期の作品にも感じられる。石踊さんは、インドに出会う前からインド音楽的世界を視覚化してきたのではないだろうか。
 私たち夫婦がバナーラスに住んでいる頃、石踊さん夫妻がわれわれの下宿に訪ねてこられたのはもう20年前のことだ。以来、そうたびたびではないが一緒に酒を飲んだり語り合ったりしてきた。しかし、彼の作品そのものを話題にしたことはなかった。今度お会いしたときは、シャイな表情で訥々と話す「生身」の石踊さんに、この辺のことを聞いてみたい気がする。
 ご本人には怒られるかもしれないけれど、石踊さんの芸術を「彼岸の芸術」と名付けたい。美術とまったく縁のない、単なる笛吹きの、単なる印象による命名である。(2004)

hiros
絵:石踊紘一

石踊紘一画集掲載