<最上川舟唄考>

 山形民謡のなかでも、最上川舟唄は名曲です。リズムのはっきりした八木節系とフリーリズムの追分系が絶妙に組み合わされた構成になっていて、他の民謡とはちょっと違って独特です。最近はHIROSのテーマ曲としてインド音楽の前にたいてい演奏しています。


【掛声】

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマーガセ

 エエンヤア エーエヤア エーエ エーエヤア エード

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマー ガセ

・・・船頭が櫓を漕ぐときの掛け声。この部分は、日本音楽特有の「揉み手二拍子」で歌われます。つまりちゃんとしたリズムがあります。リズムに乗って船を漕いでいる情景描写。

【舟唄】酒田さ行(え)ぐさげ達者(まめ)でろちゃ ヨイト コラーサノセー

 はやり風邪(かじぇ)など ひがねよに

・・・オレはこれから酒田に行くのでしばらく留守にする。留守中は達者でいてくれよ。風邪なんかひかないようにな。 ここで、掛け声の二拍子が崩れ、朗々とした歌唱に変わります。歌いあげる感じですね。馬子歌や追分、モンゴルのオルティン・ドー、ペルシアのアーヴァーズなどと共通する、フリーリズムの歌唱。民謡界では、こうしたフリーリズム系の民謡を「竹モノ」というそうです。 さてこのメインの部分。ふと漕ぐ手を休めてしばらく流れにまかせて心情を歌ったのか、あるいは川岸で手を振る相手に歌いかけているのか。ここでリズムがあると淡々となるところを、息の続くかぎり音を引っ張ることで強い哀惜感を吐露しています。はやり風邪をひくな、といっていることから、寒い季節が背景であらふ。雪がチラチラ降っている冬かも知れません。 主語が省かれているのでなんともいえませんが、この歌の主人公は、内陸部の産物を日本海の酒田港まで最上川を下って運ぶ船の船頭と思われます。今でいえば、長距離トラックの運転手みたいなもんですね。 達者でいろよ、と呼びかける相手は、後段から推測すると、婚約者なのか、新婚ほやほやの妻なのか、あるいは自分の娘なのか。その相手によってずいぶん状況が変わってきます。ともあれ、主人公と呼びかけ相手の推測は後段に譲ります。

【掛声】

 エエンヤア エーエヤア エーエ エーエヤア エード

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマーガセ

・・・舟唄の部分で気持ちよく歌いあげていたら舳先が傾いたので、あわててまた櫓を漕ぎ始めたのか、あるいは、見送っていた娘(こ)の姿が見えなくなって本来の仕事に戻ったのか。あるいは、荷物と一緒に乗り合わせた客が、しっかり漕げよと囃したてたのか。乗客がいると想像すると、それはどんな乗客なのか。単なる旅人か、副船頭か、女衒か、商人か、役人か。乗客の有無、種類によっては、長大な物語にまで発展しそうだ。困った。

【囃子】

 股(まっかん)大根(だいご)の塩汁煮(しょっしるに)
 塩(ししょ)しょぱくて食(くら)わんにゃエちゃ

・・・ここも掛け声に続いて二拍子です。普通、囃子というのは歌い手以外の第三者がかけるものです。ということはやっぱり、船頭の他に、彼の船には乗客がいるということなのだろうか。
 それにしても、なぜこの段で大根の煮物がしょっぱいので食べられないと囃すのか。この船頭は、いつ、どこで大根煮を食べたのか。塩辛い味の好きな山形の男ですら食えないほどの煮物とは。また、股大根とは何か。うーむ、分からない。二股大根というのは昔よくありました。二股大根を女性の下半身と見立てれば、なんとなく意味深な響きにもなってきます。歌の主要テーマが男女の愛なのだとしたら、酒田の女はしょっぱいので食えない、つまり、酒田に行っても浮気なんかしないから安心せよという解釈も成り立ちます。風邪をひくなよと語りかけた娘(こ)が、船頭の出航前に朝食で出した大根煮があまりにしょっぱかったので不満を表明したのか。いや、達者でいろよ、と愛情込めて歌うくらいなのだから、そんなことを途中で囃したてるのは不自然。舟唄にいきなり大根の煮物を登場させるのは、山形人特有のレトリックなのか。なにか避けがたい必然性が背後にあるのか、山形人であるわたしにも不明です。

【掛声】

 エエンヤア エーエヤア エーエ エーエヤア エード

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマーガセ

・・・再びここで掛け声。しみじみと別離の情に浸っていると、いきなり第三者が大根煮がしょっぱい、などと関係のないことを囃したてるのでそれを無視しようと櫓を漕ぐのに専念しようとしたのか。

【舟唄】

 碁点はやぶさ ヤレ三ケ(みか)の瀬も まめで下ったと頼むぞえ
 あの娘(こ)がえねげりゃ 小鵜飼乗(ぬ)りなどすねがったちゃ

・・・「碁点はやぶさ三ケ(みか)の瀬」というのは、現在の村山市あたりにある川下りの難所。最初の段落は、「難所を無事に越えた安堵の便りを家郷に頼む船人らしい心情を叙す」(岩波文庫)のだそうです。船頭本人は酒田までずっと操船していくわけですから、携帯電話でもないかぎり家人に無事通過を伝える手段がありません。ということは、便りを頼む人が必要です。彼は誰に便りを託すのか。難所越えをしたらすぐに下船する乗客なのか、たまたま難所付近で遡航する舟の船頭なのか、あるいは、詩的に、船上をたわむれる水鳥のたぐいになのか、風になのか。無事通過の報告が必要なほどの難所なんでしょうね。
 後段で、達者でいろよと声をかける相手が初めて判明します。あの娘(こ)だったんですね。ここで船頭は、あの娘(こ)さえいなかったら、オレはこんなつらい船乗りなんかしていなかったのになあ、とぼやいているともとれるし、こんなつらい仕事はいとわないほどあの娘(こ)が好きだという宣言にもとれます。職業の選択肢はあれこれあったのに、あの娘(こ)の存在によって船乗りをせざるを得なかった、と。これはどういうシチュエーションなんでしょうか。最初の文句を読んで「婚約者なのか、新婚ほやほやの妻なのか、あるいは自分の娘なのか」と書きましたが、なんとなくぐちっぽい響きからすると、もうちょっと複雑な事情がありそうです。
 あの娘(こ)というのはいったい誰なんでしょうね。

(1)婚約者
 結婚を約束した好きな娘がいる。娘もオレを好いている。しかし娘は、オレがあまり貧乏なので、そこそこのゼニが貯まったら結婚しようね、なんていう。仕方がないので、まとまったゼニになる船頭をしぶしぶやることになった。

(2)新妻
 最近、ある娘と結婚した。みんなに祝福はされたものの、所帯を維持するにはあまりに貧乏だ。一日たりとも離れて暮らすのはつらいけど、ゼニのために仕方なく船頭の仕事を引き受けた。

(3)実の娘
 あまりに貧乏で、娘には正月の振り袖はもとより、まともな食べ物すら食べさせてやれない。このままだと女衒に売ることになるかも知れない。ここは一つ、辛い仕事だが船頭をしてゼニを稼ごう。

 というように、話はどんどん底辺生活的暗黒方面へ向かってしまいます。困った。どっちにしても、この船頭はウキウキと酒田へ向かうわけではなさそうです。つらいなあ。 ところで、「小鵜飼乗り」は『日本民謡全集後編』(ミカド天風編、シンフォニー楽器店)では「航海乗り」となっています。 

【舟唄】

 山背風だよ あきらめしゃんせ

 おれをうらむな 風うらめ

・・・山背風というのは順風のことです。逆風であれば、別れぎわもぐずぐずして名残りを惜しむことができるけど、あいにく舟はビュンビュン進んでしまう。だから、お前の前から早々と去ってしまうけどそれはオレの本意ではなく風のせいだ。だから風を恨めと。 この歌詞からは、あの娘はオレを相当に慕っているはずだという過信とすらいえるほど自信が伺えます。

【囃子】

 あの娘(こ)のためだ なんぼ取っても タランコタンだ

・・・「あの娘のためだ」は分かるとして、次の「取っても」の直接目的語が不明です。何を誰から取るのか。タランコタンというのは意味のない掛け声ともとれますが、取っても、につながるので、いくら取っても足りない、という意味なんでしょうね。とすると「取る」のはゼニということになりそうです。こんな辛い賃仕事をしても稼ぎはわずかなんだ、と嘆いているのか。あるいは、恋に狂った船頭が、運んでいる荷物を途中で誰かに売り飛ばし多額の現金を得ようと企んでいて、その企画を「あの娘のためだ」と自己正当化しようとしいるのか。あるいは、実際は船頭本人が自己を他者化して自身を励ましているのかも知れません。それにしても、ここまでの船頭は、お前を好きだ、という一方的な心情を表明しているわけですが、相手のあの娘も同じようにこの船頭を好きであってほしいと願わずにはおれません。
 第三者のお囃子文句だとすれば、前の文句で、おれをうらむな、風うらめ、などと格好つけたのを聞いた乗客が、そうだそうだ、辛いだろうけど、すべてあの娘(こ)のためなんだろう、やーい、いいんだあ、などと揶揄しているともいえます。 

【掛声】

 エエンヤア エーエヤア エーエ エーエヤア エード

 ヨーイサノ マッガーショ エーンヤコラマーガセ

・・・といったような様々な事情や関係をはらみつつ、船頭は再びこの掛け声でリズムをとって櫓を操り、舟はゆっくりと最上川を下っていくのでありました。酒田に着いて荷を降ろしたらまっすぐ帰るのでありましょうか、この船頭は。
 歌詞は、『日本民謡集』(岩波文庫)から引用。他の民謡集やCDには、「碁点はやぶさ ヤレ三ケ(みか)の瀬も・・・」の歌詞のないものがあります。
 この唄の由来については、「昭和11年頃、左沢町の渡辺国俊・後藤岩太郎氏らが中心となって、原曲を復活・編曲したもの、徳川末期から明治の中頃まで酒田港に流行した『酒田追分』の前唄を船歌としそれに船頭達の掛け声を組み合わせたものである」(『日本民謡集』)、「昔からあった唄のように思われているが、昭和11年に作られた新民謡です。左沢町の船頭だった後藤作太郎、民謡家の後藤岩太郎、郷土史家の渡辺国俊の三人が最上川に舟を浮かべ、『松前くずし』とロシア民謡の『ボルガの舟唄』を櫓を操りながら歌って、不自然な個所を修正しながら作り上げたものです」(CD「日本民謡百選【二】」)と違った説があります。いずれにせよ、いろんな唄を混合して作られたようです。あの娘(こ)と船頭の関係とか、いきなり股大根の塩汁煮なんかが出てくるのはそのせいなのかもしれません。

サマーチャール・パトゥル第29号(2002)より