AFOについて

 10月は、東京の赤坂ブリッツでAFOのコンサートが2日間ありました。メンバー構成は、これまでの出来事に書いています。このプロジェクトは91年からスタートしたので、10年目ということになります。それぞれのミュージシャンの持ち味と全体がうまく組み合わされたせいか、なかなかにまとまりのある良いコンサートだったと思います。メンバー構成がほとんど変わらないということも、チームの一体感を引き出した原因です。今回は、新たに長唄の今藤郁子さんが加わり、独特の粋な雰囲気がありました。
 ところで、このコンサートでは、いつも考えさせられることがあります。それは、音楽を創る側の意識の問題です。企画制作全体としては、さまざまな意図が込められていて、参加者は評価しているとはいえ、演奏する、創るという側に限定していえば、また違った意識も出てくるのです。
 地理的区分や歴史的関わりからだけでは同一視することが不可能なほど多様なアジアのさまざまな音楽に文法や表現の嗜好の共通性はあるのか、ないのか。「欧米人が一人もいないオーケストラ、という意味で意味がある」(インドツアーのときの観客の感想の一つ)という、いわばアジア・ナショナリズムのような、反欧米主義的賛辞は別として、消費音楽で圧倒的な影響力をもつ欧米の音楽文法にかわるものが作り出せるのか。欧米の消費音楽生産にたいするカンフル剤のような役目を担った、いわゆるワールド・ミュージックの「変わった」音色や「変わった」様式がフュージョンという様式を生み出したわけですが、文字通りの意味での融合とはほど遠い。これは、「融合」対象である「開発途上地域」の音楽に対する生半可な理解と浅薄な解釈によるところが大きい。アジアには、芸術音楽から低俗で安物の音楽まで途方もない多様さでそれぞれの(国)地域に併存していますが、それらをいっぱひとからげで、たとえば「インド音楽風」などとして安易に借用されてしまう。これはちょうど、単なる野菜の煮付けに調合スパイスをふりかけると「インド風野菜の煮込み」になったり、ニョクマムを使って「ベトナム風煮込み」と呼ぶことと同じように、ある国、地域の特有のエッセンスをわずかに加えて、ちょっとばかり「変わった」ものに仕立て上げようという精神が元になっているといえます。もちろん、カレースパイスやニョクマムは、インドやベトナムの人々の嗜好をある程度代表して集約しうるとはいえ、彼らの多様な味覚を理解したことにはなりえません。フュージョン料理というものがあるとするならば、それは、一つの一つの素材や調理手順において、それまでなかった調味料が、創作される料理にとって必然性を伴ったときです。
 このような音楽プロジェクトは、おそらく日本でしか発想されないかも知れません。日本の音楽家は、デラシネ(故郷喪失者)の自由と不安定をもっていると思うからです。明治以来の西洋音楽教育は、音楽家の故郷を喪失するのに多大な貢献をし、いまだに着地点を見いだせないように見えます。西洋音楽教育、あるいは欧米的近代合理主義的生活へのあこがれの醸成によって蹴散らされ見捨てられた「伝統」は、今ではほとんど生命力を失っています。日本の音楽家たちがいざ故郷を訪ねようとしたときに目にするのは、かろうじて立っている廃屋の残骸か、生活から遊離した装飾で飾り立てられたえせ御殿しかありません。そこで、われわれが「故郷」を思うよすがとするのは、丹念に拾い集められた生きた廃棄物と、もしかしたら似たような原風景を共有していると思わせる「アジア」の音楽になるのかも知れません。しかし、いまや幻想でしかないかも知れないわれわれの「故郷」や「アジア」の音楽をつなぐ接着剤として、いわゆる西洋的手法を使わざるを得ないという限界がある。われわれはまだ、真の意味でデラシネの自由を満喫するほど厚顔になりきれていない。自由でいながら荒涼としたデラシネの自由を互いに謳歌し、同時に荒涼とした孤独を癒すこと、そして癒しあいの中から新しく快適な住居が見つかるかも知れないという希望が、エイジアン・ファンタジーの目的の一つだと思うことがあります。
 ほぼ10年のAFプロジェクトが、この辺をどこまでクリアーできたのかは明確ではないとはいえ、少なくともそれぞれのミュージシャンの資質や性格や音楽性を互いに認識し刺激しあい、音楽活動の動機を高め、なにものかを作り出すという意味では、意義のあるものだと思います。ただ、まだまだ課題は残っています。

サマーチャール・パトゥル第27号(2001)より