インドは音楽大国

 インドは音楽大国である。気候風土、社会、人種、言語、宗教、どれひとつとっても一言では語れない多様な国インドは、音楽のあり方もまた多様である。少数部族の単純な音楽や路上の蛇使いの笛から、非常に緻密な理論体系をもつ古典音楽まで、とにかくその種類は多い。しかし、多様なインドの音楽には、もちろん例外はあるが、大まかにいって次のような共通した特徴がある。
 ハーモニーをもたないことがまず一つ。
 音楽の三要素は、メロディー、ハーモニー、リズムだとわたしたちは学校で習った。インドの音楽には、そのハーモニーという考え方がない。これはいかにも独特なようだが、しかし実は日本の伝統音楽も同じである。日本の音楽も、ハーモニー、つまり、異なる音を同時に重ね合わせることをほとんどしない。ハモって歌われる花笠音頭なんてとても考えられない。合唱形式の演歌などというのも聞いたことがない。実は、インドや日本にかぎらず、このハーモニーをもたない音楽の方が世界的には多数派で、むしろ西洋音楽がずっと特殊なのである。
 第二には、リズムである。インドのリズムの考え方には大きな特徴がある。あるリズムのパターンが周期性をもって繰り返され、そしてリズムのあらゆるバリエーションはその周期の最初のビートで終了する。つまり、ズンチャッチャッ、ズンチャッチャッ、と繰り返されるワルツを例に取れば、どんな曲でも必ず第1泊目のズンのところで終わるのだ。この、終わりイコール始まりというインド独特のリズム観は、今生の死は来生の出発点、というヒンドゥーの世界観、輪廻の思想と似ている。
 一方、日本の伝統音楽の特徴は、「日本人は始めよりも終わりが最も重要で、その重点の置き方が諸民族のあいだで並はずれているように思う」と、民族音楽学者の故小泉文夫氏が述べているように、どうも日本人は「終わりよければすべてよし」という感覚が強いようである。
 もう一つの特徴は、声で歌われる音楽が基本であること。器楽はもちろんある。しかし、それはあくまで声による音楽の模倣をベースにしている。西洋クラシックの、たとえば交響曲のような、楽器のためだけの音楽はほとんどない。
 こうした特徴を緻密な芸術音楽体系にまで発展させたものが、インドの古典音楽である。古典音楽には、大きく分けて北インドのヒンドゥスターニー音楽と、南インドのカルナータカ音楽がある。この二つは、基本的な部分では共通しているが、表現スタイルはかなり違っている。ともに、一人前の表現者になるためには、長期間にわたる非常にハードな訓練が必要である。
 ヒンドゥスターニー音楽は、ビートルズのジョージ・ハリソンの師匠として有名になったラヴィ・シャンカルによって、世界的に知られるようになった。わたしが初めてインド音楽に触れたのも、ビートルズを通してだった。高度な技術が要求されるが、即興性という自由さにはジャズと似たところがある。現在では、世界の音楽ジャンルの主要な一つとして認知され、欧米の大学でも正課として扱われているところがあるほどだ。日本でも、真剣にこのインド古典音楽を聴く人が増え、演奏活動を行う人も出てきている。
 さてインドの音楽は、民謡であろうが宗教歌であろうがラブソングであろうが、上のような共通した特徴をもっているわけだが、興味深いことは、200年以上、イギリスの植民地だったにもかかわらず、西洋音楽がほとんど定着しなかったことである。
 ヴァイオリンなどの一部楽器は西洋からもたらされたが、それは楽器だけであって、上にあげたような音楽の特徴は古代から大きく変わってはいない。日本のように、欧米列強を意識して積極的に西洋音楽を取り入れたやり方とはこの点で大きく違っている。日本ではたいていの学校にピアノはあるが、インドには全くといってよいほどない。
 わたしは、1981年から84年までの3年間、バナーラス・ヒンドゥー大学の音楽理論学科に在籍した。学科はインド音楽関係だけである。音楽教室には、伴奏用の弦楽器であるタンブーラーが数台、壁に立てかけてあった。もちろん、五線譜用の黒板もなければ、バッハやベートーベンなどの偉大な作曲家たちの肖像画も、まったくない。
 だいたい、インドの音楽には紙に定着された「作品」を演奏するという習慣はない。おおまかな旋律の流れを記録する「楽譜」はあるのだが、それはあくまで記憶の補助用である。学生たちは、先生の模範演奏を耳で覚える。たとえば、リズムの授業の時は、先生にいわれて学生全員が手拍子を打つ。わたしも最初のうちは、なんだか自分が幼稚園児か小学生になったような落ち着かない気分だった。学生たちは、こうした先生の実技を何度も何度も聞いて暗記していくわけである。
 他の音楽学部のある総合大学や音楽大学でも、西洋音楽を教えるところはないし、授業のスタイルも、多かれ少なかれ似たようなものだと思う。生活スタイルは「近代化」しつつあるとはいえ、この、音楽だけはかたくなといえるほどインドの独自性を守っている。3年間にわたしたが知り合った大学関係の知識人のうち、西洋の古典音楽を聴いている人はたった一人であった。こうした事情から、インド出身のいわゆるクラシック音楽家はほとんどいない。ムンバイ出身の指揮者、ズービン・メータのような人は、本当にまれな例だ。
 インドの学校にはピアノがない、というと、たいていの日本人はちょっとびっくりするかも知れない。しかし、考えてみれば、どの学校にもピアノがあり、五線譜を読むことを教え、世界の偉大な音楽家としてバッハやベートーベンなどがリストアップされているような日本の音楽教育はかなり異常なのだ。音楽は、それぞれの国や民族が古来作り上げてきた文化の一つなのに、日本ではあまりにも伝統音楽を軽視している。むしろインドの方がずっと当たり前なのだと思う。そして、こと音楽に関しては圧倒的に輸出超過国であるインドこそ、まさに音楽大国といえるのではないか。

「月刊アジア倶楽部」1999年8月号原稿