インド古典音楽とドゥルパド

インド音楽は声楽が基本

 インド音楽の特徴の一つは、声による音楽が基本にあることだ。楽器のための純然たる器楽というものは、ほとんど存在しない。われわれにはなじみのシタールの演奏も、声による音楽の模倣をベースにしている。
 ここで、歌といわずに「声による音楽」としたのは、インドには歌詞と旋律があらかじめ決まっている一般的な意味での「歌」以外に、声をまるで楽器のように駆使して演奏される音楽があるからである。
 その代表的なものが古典音楽である。
 一般にインド古典音楽の演奏は、器楽であれ声楽であれ、全体に二つの部分から成り立っている。「限定されない」という意味のアニバッダと「限定された、あるいは枠づけられた」という意味のニバッダである。この二つの部分はおおまかに、完全な即興とそうでないもの、と理解してもよい。アニバッダでは、あらかじめ作曲された曲に限定されず、その場で自由に、即興的にメロディーを作っていく。逆にニバッダは、歌い始めも終わりも決まっていて、前もって作られた曲に限定された演奏が行われる。

ダーガル流派のアーラープ

 アニバッダ形式の最も重要なものがアーラープである。アーラープでは、演奏家が選んだラーガ(音階型あるいは旋法)の全容と雰囲気を、音数をしだいに増やしていくなかで即興的に紹介していく。ここでは意味のある歌詞ではなく、アー、エー、オー 、テレ、デレ、レ、ナ、ノーム、トームなどの意味のないシラブルや、「オーム・アナンタム」「オーム・ハリー・ナーラーヤナ」といった文句が使われる。たとえば「オーム・ハリー・ナーラーヤナ」というのは、神聖なヴィシュヌ神よ、といったような意味だが、宗教的儀式における神への呼びかけとは違う。即興的旋律の流れの単位を形成するための文句である。演奏者がヒンドゥー教徒かイスラーム教徒かということとは関係ない。ちなみに、ここで演奏しているグンデーチャーの家系はジャイナ教徒である。
 そして、このアーラープの表現を非常に重視するのが、ヒンドゥスターニー音楽(北インド古典音楽)のドゥルパド様式である。そのドゥルパドのなかでも、とくにグンデーチャー・ブラザーズの属するダーガル流派は、アーラープの表現が際だっていることで知られている。
 最初はささやくような、祈るようなゆっくりとした旋律の胚が、少しずつ変形が加えられ、成長していく。急激な跳躍や速い動きはなく、まるで音の階段を行きつ戻りつゆっくりと上っていくように表現を膨らませていく。ダーガル流派のアーラープには、ヒンドゥスターニー音楽のもう一つの主要な様式であるハヤールや、ドゥルパドの他の流派のような派手さはない。しかし、彼らの演奏を聞くと、一つ一つの旋律の動きに神聖なものが宿っていくプロセスの妙を味わうことができるだろう。

ドゥルパドにおけるニバッダの表現

 アーラープの後に続くのが、打楽器のタブラーやパカーワジュが加わる部分である。ハヤール様式とドゥルパド様式の違いは、この部分で際だってくる。ハヤールの場合、あらかじめ用意された歌詞の付いた曲を演奏はするが、タブラーによるターラ(リズムサイクル)の刻みのなかで旋律やリズムの即興的変奏がかなり自由に行われる 。この自由さがハヤールの大きな魅力であり、世界的に多くの人々から支持されている理由の一つである。
 いっぽうドゥルパドでは、この部分はターラも歌詞もあらかじめ決まった曲の演奏が中心になる。リズムや旋律の多少の変奏はあるものの、元の曲の流れから大きくはずれることはない。アニバッダ、ニバッダという分類でいえば、ドゥルパドではこの二つが演奏全体の前後半を分け、ハヤールではニバッダのなかにアニバッダが組み込まれるような形になる。
 ハヤールでは、アーラープをほんの数分だけ行い、演奏の大半をこの打楽器の加わる後半で表現の多彩さを披露する場合が多い。しかし、ダーガル流派の演奏では、たとえばアーラープが1時間、打楽器の入る後半が10分などということがざらである。実際、グンデーチャー・ブラザーズの最初の曲では、パカーワジュの入る楽曲部分がほぼ10分ほどだが、アーラープには40分を費やしている。タブラー奏者の華麗なテクニックや歯切れの良い音質に比べて重々しい響きのするパカーワジュと緊密に作られた歌(ドゥルパド)の反復には、神々への賛歌のような厳かな雰囲気が漂い、ハヤールにはない魅力がある。

グンデーチャー・ブラザーズの貴重な存在

 今日、ヒンドゥスターニー音楽ではハヤール様式が一般的である。ハヤールという言葉自体、「考え」「想像」という意味のペルシア語であることから想像できるように、インド音楽の伝統に中東的要素の加わったより自由な表現様式で、17世紀以降人気が出てきた。いっぽう、ドゥルパドは、15、16世紀にもっとも隆盛した様式である。地味で重厚なドゥルパドはインドでも一般にあまり知られていないし、消えつつある伝統といえる。
 そうした状況下にあるだけに、グンデーチャー・ブラザーズの存在は今やとても貴重だ。しかし、彼らがインド内外で高い評価を受けているのは、単に伝統を受け継ぐ貴重な存在としてよりも、その揺るぎない技術、兄弟でありながらそれぞれ独自の声質、表現の違いを組み合わせた絶妙のやりとり、そうした要素に支えられた芸術的表現力である。古代から続くインドの宗教性や哲学性をより濃く漂わせる彼らの音楽は、聴く者をして深遠な音の宇宙を想起させる深さをもっている。消費される音楽がますます氾濫し、われわれの精神の内部まで深く到達しうる力をもった音楽の居場所が数少なくなった現代社会のなかで、いっけん地味な彼らの音楽は、時空を超えた人間の声の持つ呪力を思い出させてくれる。

DVD「<北インドの古典声楽>グンダーチャー・ブラザーズのドゥルパド 東京の夏音楽祭」(2005)解説原稿