日本の誇るワールド・ミュージック

 沖縄民謡をベースとしたネーネーズ、津軽三味線の木下伸市、そして河内音頭をひっさげて世界を回る河内家菊水丸は、日本を代表するワールド・ミュージックの担い手である。今回、この三者を舞台で一挙に楽しめるのはすばらしい。
 かつて、民謡は日本国中にあった。わたしが子どものころ、母もよく歌っていたし、村の婚礼のときに聞いた「長持ち唄」もかすかに覚えている。お祝いの席や労働の後に歌われ、ラジオでも民謡は流れていた。でも、このごろはほとんど聞くことがない。
 もちろん、プロの民謡歌手はちゃんといるし、一部では熱心に歌いつがれている。また各地には、○○節保存会とか正調○○節などという形で残ってもいる。しかし、こうして保存され、残っている民謡の問題は、普通の人々が勝手に節回しや歌詞を作り替えたりして歌う、という生きた形ではないことだ。それはまるで、ラップして冷凍庫に入れて腐敗から守っているようなものだ。
 ところで最近、いわゆるワールド・ミュージックが注目されはじめ、状況は少し変わってきた。土地の個性をもたないポップスが世界に氾濫する反面、音楽の独自性のよりどころを再び土地に求める動きが出てきた。アジアやアフリカの唄と声、土地のクササの象徴だったコブシのもつ、言語を越えた力が再認識されてきた。わたしたちは、ウチナーグチ(沖縄弁)や津軽弁やアフリカの部族の言葉やモンゴル語や河内弁がさっぱり分からなくても、歌い手たちのコブシや旋律のメッセージを読みとり、その音楽を聞いている。ネーネーズ、木下伸市、河内家菊水丸が、今日、同じ舞台に立つことは、こうしたいわゆるワールド・ミュージックの文脈のなかでとらえれば、必然的なのである。
 ところで、このワールド・ミュージックという言葉、実はわたしはある意味で好きではない。この言葉は欧米中心の考え方から出てきたものだからだ。でも、たとえば、バッハのカンタータもワールド・ミュージックである、とみんながいい出すようになれば、話は別だ。


ネーネーズ

 以前「りんけんバンド」の照屋林賢さんがこんなことをいっていた。「沖縄ではとにかく音楽がないと、なにも始らないんです。祝い事やお祭りになるとまず音楽です」。ヤマトでは、大災害とかで世の中が騒がしくなると、音楽どころではない、という雰囲気があるが、沖縄では逆に、そういう苦しいときにこそ歌を歌う。まあ、この頃は沖縄もヤマトナイズされてきて、昔みたいに、たいていの人が民謡を歌うということはなくなったというが、それでもまだ六千以上の民謡があり、新しい歌も作られているという。新しい民謡がいまだに作られている、というところが沖縄のすごいところだ。
 こうした沖縄の土壌から生み出される音楽が、このところヤマトでも大人気である。その人気を支える代表的なアーティスト、ネーネーズの魅力は、なんといっても4人の女声のパワーである。おネーサンたちはそれぞれがパワフルな実力のある民謡歌手である。その4人が揃うと、そのパワーは単純に4倍した以上にわれわれに迫ってくる。
 今回は純粋な沖縄民謡中心の選曲であるが、ネーネーズの魅力はこうした民謡ばかりではない。チャンプルーよろしくなんでも取り込んだポップ感覚にあふれるアレンジのオリジナル曲も、すばらしい。機会があれば、そうしたオリジナルの曲もぜひ聞いて欲しい。

木下伸市

 三味線やお囃子は、唄いものや語りものの伴奏を主とする日本の伝統のなかにあって、津軽三味線は、純粋に器楽的な使われ方をする点で、異質と思えるほど、特徴のある音楽だ。琵琶のように楽器を斜めに立て、打楽器のように激しく撥(ばち)を打ち下ろすといった演奏技法は、いわゆる邦楽三味線の微妙な洗練とは対照的に、攻撃的でさえある。この挑戦的なスタイルは、奏法を最初に打ち立てた北津軽の秋元仁太郎(1857~1928)という一人の坊様(ぼさま、盲目の門付け芸人)の過酷な生き様を目の当たりにするようだ。権力、権威、安定を否定するパワーと自由さ、エネルギーの奔流、苛烈さが津軽三味線の大きな魅力である。1960年代になって全国に知られるようになった比較的新しいこの芸能は、今回の和歌山出身の木下伸市のようなすぐれた弾き手の輩出によって、北津軽という一地方の特殊な芸能としてではなく、日本の数少ないインストゥルメンタル音楽としてますます脚光をあびていくことは間違いない。現に、95年の「エイジアン・ファンタジー・オーケストラ」アジア・ツアーで、アジアの聴衆からもっとも注目を浴びたのが木下伸市の津軽三味線であった。これは日本をはじめ韓国、中国、インドの弦、管、打楽器その他、伝統楽器と洋楽器が集合した大編成オーケストラであったのだが。

河内家菊水丸

 山形出身のわたしは、河内地方には古くから、今回の河内家菊水丸のような才人がうじゃうじゃいて、あの調子でにぎやかしく、ずっと盛んに行われてきたのだろうと思っていた。しかし、河内地方のそれぞれの村に昔から伝わってきた盆踊り唄だという河内音頭は、昭和初期から中期にかけ、いったんは衰退し、忘れられようとしていたのだという。全国にその名が知られ、また多分そんな影響で、地元でも再び盛んになったのは、昭和36年(1961)の鉄砲光三郎の「河内音頭」が爆発的にヒットして以来という。
 それにしても、100人の音頭取りがいたら100種類の節ができるという河内音頭の柔軟さは日本の民謡としてはかなりユニークである。河内家菊水丸は、そんな河内音頭の柔軟さを存分に生かし、今や河内音頭の代名詞といえる才人である。彼の、時事ネタなどを即妙に取り込んだ新聞(しんもん)詠みは、河内音頭というものがそれ以外に考えられないほど、強烈な印象を与えた。あの派手な着流しの河内家菊水丸が舞台に登場し、コブシたっぷりの新聞詠みが始まると、国際政治であろうがエイズであろうが、伴奏にどんな楽器が入ろうが、一気に揉み手二拍子の盆踊り的世界に入ってしまう。なれなれしく軽妙でいて社会への鋭い観察を盛った唄いぶりは、もちろん菊水丸本人の才能にもよるが、権威や権力を笑い飛ばし茶化す関西の伝統がここにも生きているように思う。


かわちながの世界民族音楽祭プログラム原稿


データ

とき/1997年9月13日18:30開演
ところ/河内長野市立文化会館ラブリーホール
出演者/ネーネーズ、木下伸市、河内家菊水丸
タイトル/にっぽんのうた 北から南から/かわちながの世界民族音楽祭
入場料/\3,500(前売り\3,000)
問い合わせ/ラブリーホール 電話0721-56-6100