もっと広い音楽の喜びを

 打楽器奏者の高田みどりさんと京都の大谷大学に行ったとき、同行した平田尚子さんが偶然長井高校のブラバンOBと知り、それがきっかけとなり、これまで一度も関わりのなかったOB会の記念誌にこの小文を書かせていただくことになった。
 現在わたしは、主にアジアの音楽を中心にコンサートやCDを企画制作したり、ときどきインドの竹の横笛、の演奏をしている。高校、大学と西洋音楽に親しんでいたのだが、インド留学中にある種のショックを受け、帰国後は積極的にアジアや日本の音楽に接するようになった。
 で、どんなショックだったのか。留学中は西洋人やインド人の友人たちと、音楽に限らず色々なことをよく論議した。西洋人とは、西洋音楽や宗教や哲学のことなど、こちらにある程度の知識があるので話題は尽きなかった。インド人とは、こちらはインドの音楽を習いに行っているわけだから聞くことは山ほどあり、長時間会話が持続した。ところが、当然のことなのだが、一通り論議が進んだところで相手はこんなふうに聞いてくる。「日本の音楽は?古典音楽はあるのか?能の音楽について教えてくれ」などなど。こういう質問が出た途端に、それまでの論議の流れが突然途絶えることになる。なぜなら、わたしのほうにそれらに答えるだけの知識がないのだ。一方的な吸収だけでこちらからの発信がなく、本質的な意味での交流がない。こういうことを度々経験しているうちに、いったい自分は何者なのだ、という大げさに言えばアイデンティテイクライシスにおちいる。そして、発信不能者であるわたしが所属する日本の音楽環境が相当いびつに見えてきたのだった。
 帰国してから始めた「アジアの音楽シリーズ」は、アジアと日本の共通性と異質性を同時体験するという音楽会である。声明とインド音楽、ウードと琵琶、ガムランと和太鼓など、毎回スポンサー探しにあくせくしながら続けているのは、上記の体験が大きい。
 現在のように音楽に関わった活動をしている原点は、やはり高校時代のブラバンである。ブラバンは、音楽体験を広げてくれた。しかし、今でもそうだと思うが、基本的には西洋音楽、あるいはそれを基礎とした作品の演奏や聴くことが中心である。
 日本の音楽環境は、まだまだ「西洋古典音楽」だけが芸術音楽として認知され、インドや他のアジアの国々の、そしてなによりも日本の音楽が軽視され、時には蔑視されている。しかし、音楽の喜びの選択肢は年々広がっているし、今や「ワールドミュージックブーム?」でもある。人いちばい音楽好きなOB会の人たちには、もっと広い音楽の喜びを知って欲しいし、また個性のある音楽を生産して欲しいと思う。特にアジアや日本の音楽、文化にもっと接することで、音楽の喜びと同時に自己のアイデンティティも確認して欲しいと思うのだ。そうすれば、インドでのわたしのように、ただただ変な笑顔を作って相手に聞入るのみの体験はせずに済む。

山形県立長井高校ブラスバンドOB会機関誌原稿