曲目解説がなぜできないか

 本日おいでいただいたみなさんは、ここで、曲のタイトル、作曲者などの解説を期待なさっていると思います。しかし、インドの古典音楽では、そうしたものを書くことはできません。その理由は、演奏家はあらかじめ用意された曲を演奏するのではなく、ほとんど即興的にその場で音楽を作っていくからです。したがって、楽譜というものはありません。ここにインド古典音楽の大きな特徴があります。
 では、演奏家はなにを基準にこの日の演奏内容を決めるのか。
 インド音楽では、即興的に曲を演奏していくための大きなガイドラインがあります。それがラーガと呼ばれているものです。
 ラーガは、簡単にいえば音階の型です。ピアノの白鍵を順番にならすと、ドレミファソラシドという一つの音階が得られます。たとえばこの音の並びから、ファとシを抜き去ると、ドレミソラドという5つの音からなる違った音階の型、つまり一つのラーガができます。そこでこの音階にある名前をつけます。インド古典音楽では、このラーガには、プーパーリーという名前がつけられています。インド音楽では、プーパーリーといえばこの音階の型しかありません。演奏家が、今日はブーパーリーを演奏するといったら、このドレミソラドの音だけで最初から最後まで曲を組み立てます。ファとシの音は一切使えません。
 こうした考え方は、実は日本の音楽とある意味で共通しています。例としてあげたブーパーリーは、日本民謡の代表的な音階なのです。ほとんどの民謡は、この音階の型でできています。有名な「昴(すばる)」などもこの音階です。しかも、民謡などの日本の音楽はハーモニーをもたないという意味でも、インド音楽と共通しています。
 いまあげたのは、ラーガのきわめて簡単な例です。このような考え方で、たとえば半音である黒鍵も加えたなかから、5音から7音の音階の型を作ろうとすると、その組み合わせは無数にあります。こうしてできあがったいろいろな音階の型に名前がつけられたものが、ラーガです。もちろん他にもラーガを成立させる要素はありますが。さて、このようにして作られたラーガには、その音階の型にしかないそれぞれのムードがあります。演奏家は、このラーガに特有のムードを最後まで表現し、維持することにつとめます。
 演奏家は舞台に上がる前に、その日に演奏しようとするラーガをまず心の中で決めます。どのラーガにするかは、演奏者の気分や会場の雰囲気、演奏する時間、季節にぴったりとくるムードを感じとることで決まってきます。
 さて今日のラーガは何でしょうか? これが、曲目解説で曲目を解説できない理由です。

北九州国際交流ウィーク/アドリブ音楽の妙味「インド古典音楽の夕べ」(97.10.8)/プログラム原稿