お坊さんを連れてイギリスへ

 この7月、京都、大阪の浄土宗のお坊さん7人のプロデューサー兼通訳としてイギリスへ行ってきた。ロンドンやモールトン、ケンダル、ウィンチェスターなどの地方都市で9回の聲明(しょうみょう)公演を行なった。聲明というのは、いわば節(ふし)のついたお経のことである。天台聲明や真言聲明は、これまで欧米ではたびたび紹介されているが、浄土宗のものは初めてということもあり、各地で好評であった。わたし自身も、グリニッジパークの音楽祭で、数千人の前でインドの横笛バーンスリーを演奏した。
 わたしは林産学科の卒業生である。しかし、今は音楽演奏やプロデュースを主な仕事にして15年以上になる。大学での専門知識はほとんど無用の世界だ。ミュージシャンの世界では実力だけが要求されるので、たまに聞かれて出身大学を申し述べる場合は、できるだけ小声で答えることにしている。
 では、なぜこんなことになったのか。なぜお坊さんを連れてイギリスにまで行くようになったのか。
 わたしが、音楽にかかわるようになったのは、インド留学がきっかけである。
 卒業後に3年ほど勤めた大阪の合板メーカーが倒産し、しばらくしてインドに3年間留学した。厳密な入学審査もなく、語学力もそれほど問われないという単純な理由で、インド音楽理論の学科に入った。向学心に燃えて留学したわけではない。しかし、インドに生活して音楽を勉強してみるとなかなかに面白く、とうとう完全にはまってしまった。以来、ずっとはまりっぱなしである。94年には、『インド音楽序説』という本も翻訳して出版した。
 留学中はいろいろなことを考えさせられた。その一つが、わたし自身の知識のアンバランスであった。当時、インド人はもとより、ヨーロッパやアメリカからの留学生仲間たちと音楽談義を交わすことが楽しみだった。ある日、イタリア人の友人と西洋古典音楽についてしゃべりあった。バッハ、ベートーベン、モーツァルト、ヴィヴァルディなどの音楽について話が盛り上がった。イタリア人にとって西洋音楽の話題は彼らの土俵である。わたしも音楽は好きだったので、会話に乗り遅れない程度の知識はあった。ところが、彼は最後に「ところで、日本の古典音楽というのはどんなものだ」と聞いてきた。「えっ」と、わたしは不意をつかれて詰まってしまった。何も知らなかったからである。わたしは、この、自分の育った土地の音楽に関して何も知らない、ということにショックを受けた。インド人はインド音楽という会話の土俵があり、イタリア人は西洋音楽の土俵があるのに、わたしには日本音楽の土俵を持ち出せない。もちろん、日本人が日本音楽についての知識がなくとも、人間関係においてそれほど困ったことにはならない。しかしわたしには、アンバランスであることすら無知であったことにショックを受けたのだ。教育の目的の一つが、幅広い知識によって偏向をなるべく避け、できるだけ長距離でものを見ることを教えることであるとするならば、わたしは誤った教育を受けてきたことになる。
 そんなショックもあり、留学からの帰国後、インド古典音楽の演奏や演奏会を制作するかたわら、意識的に日本の伝統芸能に触れようと努めた。それまでわたしは、歌舞伎や雅楽、能はもとより、筝、三味線、尺八などのいわゆる邦楽についてはほとんど無知に近かった。そのためか、それらは非常に新鮮に聞こえた。同時に、インド音楽に触れたことで、中国、韓国、インドネシア、タイ、ベトナムなどの他のアジアの民族音楽と日本の音楽の共通点や相違点に興味がわいた。というのは、われわれの音楽芸能も自立して成立することはなく、長い歴史のうちに相互に影響しあい、それそれ独自の特色をもち現在に至っているからである。聲明に出会ったのはそんなときである。
 わたしには当初、お坊さんの唱えるお経が音楽の一つという認識はまったくなかった。お経のイメージは、線香や、ひんやりとした薄暗い本堂とつながっていた。しかし、インドで宗教が音楽と密接な関係にあること知り、古代から口伝で伝わるヴェーダ詠唱などを聞いた後で改めて日本のお経を聞いてみると、紛れもなく音楽の一つなのであった。また、そうした認識で日本のお寺を見ると、鐘、鉢、木魚、銅鑼などの楽器にあふれている。ご本尊やそれを取り巻く飾りつけ、祭壇、照明装置(ろうそく)のある本堂を舞台として、手の込んだデザインの衣装をつけた僧侶がお経を唱えながら打楽器を叩いたり、厳かに舞うように動く。本堂はまさにパフォーマンス空間だと思い知らされた。かつての僧侶もお経を音楽だと認識していたことは、凝然大徳(1321年没)の『声明源流記』の次の記述からも伺える。「声相清雅にして諸人の耳を悦ばしめ音体哀温にして衆類の心を快からしむ」。また、こうした寺院の音楽こそ、ほとんどの日本の伝統的声楽の元になっているのである。
 仏教音楽である聲明は、しかし、われわれの音楽のルーツ探しの対象としてのみ重要ではない。それ自身、音楽表現の一つのあり方として現在でも有効である。
 聲明は男声による単声合唱といえる。派手なリズムの飛躍も、音楽の三要素の一つであるハーモニーもなく、旋律も概して単純である。しかし、読経によって鍛えられた僧侶の声からは何重もの倍音が立ちのぼり、まるで混声合唱を聞くかのように複雑に響く。初めて聲明を聞いたとき、わたしはその美しさに魅了された。いわゆる現代音楽の作曲家たちは、聲明のための音楽を数多く作曲しているが、彼らもこうした音楽的特徴に魅力を感じたに違いない。
 京都の浄土宗総本山知恩院のお坊さんたちによる聲明バンド「七聲会」を1993年にプロデュースした。以来、わたしは彼らに寺院からコンサートホールの舞台へ場所を移して唱えてもらうようになった。今回のイギリス公演ツアーもその一環である。今年はさらに11月に舞台公演を予定している。
 仏教はもともとインドが発祥であり、経文の唱え方も古代インドのやり方に影響を受けている。たまたま学ぶことになったインド音楽とも関係が深い。インドで受けた知識アンバランスは、このような活動を続けることでちょっとは解消したいものだと思っている。

北大農学部林学系同窓会誌「シルバ」掲載原稿/2000年11月