ニ胡と津軽三味線とバーンスリーと割り子そばの関係

 というタイトルで何かを書きます、と冗談半分で瀬古さんにいってしまった。いったからには、無理矢理にでも何かを書かなければならなくなってしまった。
 出雲地方の名物、割り子そばは、三段重ねにした割り子(破篭、破子とも書く)という入れ物にいれたそばであることは周知のこと。いってみればざるそばの三段重ねだ。ただ、つゆと一緒に、おろしなめこ、おろしいくら、とろろなどの「そばのトモダチ」が附随して出てくるので、段ごとに違った味わいを楽しむことができる。1段目にかけた甘めのつゆが余ればそれを2段目にふりかけて食べすすめる。出雲大社に近い「荒木屋」や松江市内の「神代そば」などの有名な店には、瀬古さんに案内されて食べた。田舎そば風の香りのあるそばはとてもおいしく、わたしの 故郷の山形のそばを思い起こさせた。意外な発見は、お酒である。そばを肴に酒を飲む、というのはわりと普通だが、割り子そばの場合、そばの上から酒を少し垂らすと、そばの香りが一瞬のうちに口中に広がり実に味わい深いのだ。
niwabisai などと、そばのことを書きはじめるときりがない。うどんやラーメンなど、麺とい うものを偏愛しているので暴走するのだ。ここらで強引に音楽にいく。
 さて、今回のメイン楽器の一つ、ニ胡は、胡という字から分かるように、もともと西域の擦弦楽器で、ペルシアのケマンチェあたりが祖だといわれている。賈鵬芳さんによれば、二文字の名前がつく楽 器はどれも中国以外の起源をもつという。ニ胡以外の楊琴、阮咸、琵琶などももとも と中国にはなかった楽器らしい。しかし、長年に渡って中国的に改良されてきたので今ではどれもすっかり中国の代表的な楽器になった。
 二胡の音色は、どうしてあんなにもの悲しく、郷愁を誘うのだろうか。とくに賈さんの二胡の音は、本当に美しく叙情的だ。最近は、テレビコマーシャルのBGMでもよく二胡が使われているが、ほんの一瞬きいただけで、ああ、これは賈さんだな、と分かる。それくらい、彼の音色の美しさは際だっている。彼の音色の秘密をぜひ知りたいものだとかねがね思っている。きっと、そのおおらかでユーモアにあふれる人間性にあるとは思っているけど。音色にも流行りがあるようで、現代の日本では二胡の音色がとても人気がある。バーンスリーを吹いているわたしとしては、ちょっとずるいなあ、と思う。こんな事を書くと、希代の名手には失礼かな。
 もう一つのメイン楽器、津軽三味線には、叙情的な、ちょっと甘い二胡と違って、権力、権威、安定をはねかえすパワーと自由、エネルギ-の奔流、そして苛烈さがある。以前にも庭火祭のプログラムに書いたことがあるが、それは、この楽器および奏法の始まりがおおいに関係している。
 津軽三味線は、江戸末期から明治のはじめにかけて生きた秋元仁太郎(1857~1928)という一人の坊様(ぼさま)によって始められた。坊様とは、目の不自由な人に対する津軽地方の呼称である。子供の時に両親を失い天涯孤となった秋元仁太郎は、生きていくための手段として現在のような奏法を編み出した。楽器をもつ構えを横から縦に、音量をより大きくするために太棹を使い、バチも琵琶で使うような大きなものに代えたのは、いかにして人目を引いて多くの投げゼニを得るか、という仁太坊の工夫の結果であった。このような出自が、現在の津軽三味線を特徴づけた。だから、いわゆる邦楽の三味線の、しっとりとした感じと違って、苛烈でかつ自由なのだ。その津軽三味線が一躍脚光を浴びたのは、昭和34年(1959)の「三橋美智也民謡生活20周年記念リサイタル」で白川軍八郎という希代の弾き手が東京の聴衆を驚かせたことがきっかけだという。その後木田林松栄、竹山ブ-ムを引き起こした高橋竹山らによってこの芸能は全国に知られることになった。現在では、今回の佐藤通弘さんはじめ、前回の庭火祭で演奏した木下伸市さんなどの才能がどんどん出てきている。これは、創始者である仁太坊の、厳しいけれども自由な生き方を反映した奏法が多くの人を惹きつけるからだと思う。
 今回はコンサートは、賈鵬芳さんの二胡、佐藤通弘さんの津軽三味線、そしてわたしのバーンスリーという、ちょっと異質な組み合わせである。あえていえばいわゆるアジアの音楽の紹介ということになるが、それぞれの音楽どおしをつなぐ共通性はあまりないかも知れない。しかし、ちょうど三段重ねになった割り子に入ったそばを音楽とみれば、三つの違った味わいを楽しむことができるという意味で、割り子そば的コンサートといってもいい。というと、ちょっと無理があるかな。

2001年庭火祭プログラム原稿


データ
とき/2001年9月8日(土)
ところ/島根県八雲村熊野大社
出演者/賈鵬芳:二胡、周路:楊琴、村富満世:津軽三味線、HIROS:バーンスリー