野村誠をさがせ!

 野村誠は、職業的専門家としてのいわゆる作曲家とはいえない。
 作曲家というのは、自分が演奏するためであったり依頼されたりするかして音楽を作り収入を得る職業である。なんとなく、天井を見上げたと思ったらピアノの上に広げられた譜面になにやら書き込み、鍵盤を叩いて書いたものを確認し、また天井を見上げるというようなイメージが浮かぶ。野村誠はいっぽうでそういうこともやっているようで、彼の作品は内外の著名な演奏家によって演奏されているし、楽譜集も発行されている。第1回アサヒビール芸術賞、JCC ART AWARDS現代音楽部門最優秀賞などを受賞していて、普通の作曲家としてもとても優秀な人なのだ。もっとも、その作品は、テレビやラジオで繰り返し流されたり、風呂に入っていてふと口ずさむといったような種類の音楽ではない。どちらかというとハイブローな、いわゆる現代音楽に近いものだ。「でしでしでし」とか「ナマムギ・ナマゴメ」とか「つん、こいつめ」とか「オルガンスープ」とか「踊れ!ベートーヴェン」など、ちょっとへんちくりんなタイトルが多いけど。
 野村誠はこうした「ちゃんとした」作曲家でありながら、他方で、鍵盤ハーモニカ奏者として路上で演奏しながら聞きに集まった人たちを観察して面白がっていたり、共同作曲などと称して動物園で動物相手に演奏したり、とても作曲とは縁のなさそうな子供たちや老人ホームにいる老人たちと音遊びをしながら音楽を作ったり、街のだじゃれ好きオッサンたちとのコラボを目指す「千住だじゃれ音楽祭」などというプロジェクトに関わっていたりする。また、日本だけでなく、ヨーロッパやインドネシアなど、世界中いろんなところに出没して、これもやっぱりへんちくりんなことをやっている。どうにも統一した野村誠像が結びにくい。あるインタビューで彼はこんなことをいっている。
「野村誠を一人のアーティストととらえると、難しいです。鍵盤ハーモニカ奏者としての野村誠は、鍵盤ハーモニカの世界を極めようとしていますが、作曲家としての野村誠は、オーケストラの傑作を書こうとしています。しかし、子どもと音楽を作る野村誠は、子ども達と音楽の実験を繰り返し、音楽の常識を根底から覆したいと考えています。理論派の野村誠は、独自の音楽理論を提唱しようとしています。アジアに出かけて即興を繰り広げる野村誠がいて、イギリスで活動する野村誠がいます。複数の野村誠を併存させることは、商業的に言えば、非常に効率が悪い。野村誠というイメージを固定化させて、その路線でターゲットを絞り、売り込みをかけて、売っていけばいいわけですから。しかし、ぼくは、そうした複数の野村誠を共存させながら、多面的に音楽の探求を続けていきたいと考えています。そして、その一つ一つが、およそ繋がりそうにない別々な音楽性に見えても、それが、相互作用して浮かび上がる音楽が提示できる、と考えています。ですから、目指しているところは、この複数の野村誠によるコラボレーションをどう実現するか、です。それを実現するために、この複数の野村誠を収束させることがなく発散させていく。今は、そういう段階だと思っています」(Performing Arts Network Japanインタビューより)。
 野村誠の中にいていろんな野村誠を走らせている音楽というエンジンはいったいどんなものか。その燃料はどこからどのように調達されているのか。あまりにたくさんの野村誠がいるので、まずどの野村誠から話を聞こうか考えているところである。野村誠をさがせ!

CAPTURE Jan 2013