『伝統芸能復興―ハンガリーのダンスハウス運動』(横井雅子著)を読んで


伝統芸能復興
 東京でのコンサートのために来日したハンガリー人演奏家に数日間つきあったことがある。テケレーという擦絃楽器を演奏するナジ・バラージュである。テケレーというのは、ハンガリー版ハーディー・ガーディのことだ。同じホテルに泊まっていたバラージュは、食事などで一緒になるたびに「ハンガリーでは伝統音楽をとても誇りにしているんだ」と何度も言っていたが、最近、音楽研究者の横井雅子氏(国立音楽大学助教授)の近著『伝統芸能復興―ハンガリーのダンスハウス運動』を読み、彼の自慢するハンガリーの伝統音楽事情がおぼろげながら理解できた。 本書によれば、ハンガリーでは70年代に「ダンスハウス運動」と呼ばれる伝統芸能の復興が若者の間から自発的に始まり、盛んになった。この運動は「民俗舞踊や民謡などの伝統芸能に対する多くの人、特に若者の意識や取り組み方を変え」、さらに「この種の芸能が都市生活や音楽文化の中で機能するための新たな脈絡を作ったという意味で、とても興味深い事例」(本書57ページ)だという。日本にたとえれば、東京、大阪など大都市の学生や若者が、民謡や盆踊りを熱心に学び、演奏したり踊ったりする現象があちこちに沸きおこるようなイメージだろうか。この「ダンスハウス運動」は、今ではハンガリーばかりではなく、ルーマニア、スロヴァキア、オーストリア、アメリカなどにも広がっているという。本書では、こうした伝統芸能復興運動の発生と展開には、ハンガリーの地域的特殊性だけでは片付けられない要素があるとして、バルトークやコダーイなど、民謡を精力的に研究し自身の作品に反映させた作曲家たちの活動も紹介されている。特に、国家レベルで実施されたというコダーイの、歌唱を中心とした独特な音楽教育法であるコダーイ・メソードの影響も下地としてあったことに触れている。
 新しい学習指導要領には「郷土の伝統音楽及び世界の諸民族の音楽」(中学1年)を鑑賞教材として取り扱うことなどが盛り込まれている。しかし、そうした音楽教育によって具体的にどのような音楽文化の未来像が描かれるのかについては極めて漠然としている。本書を通して伝わってくるハンガリーの人々の伝統芸能に対する取り組みや音楽の楽しみ方は、こうした漠然とした未来像に一つの形を与えてくれる。その意味では、学習指導要領による教育の動機に今ひとつ自信を見出せない音楽の先生たちには一読の価値があるだろう。
 冒頭で触れたバラージュだが、この運動に影響されて、当時廃れつつあった楽器テケレーを製作し始めたことが本書でも紹介されていて、懐かしくなった。

「おんかん」2005年7月号掲載原稿