「長い」歌と「短い」歌

「 私の小中学校時代、音楽は三要素から成り立つと教わった。三要素とは、旋律(メロディー)、和声(ハーモニー)、リズムのことだ。私を含め、たいていの子どもたちはそのことに何の疑いも抱いていなかった。音楽教室の壁の周りにカツラをかぶった西洋人大作曲家の肖像画がずらっと並んでいた頃のことである。
 しかし、いわゆる民族音楽に触れてみると、この三要素を満たさない音楽が実に多く存在し、それらがとても味わい深い豊かなものであることが分かる。
 そこで今回の庭火祭でテーマとしたのは、三要素のうちのリズムがあるのかないのか、あやしい音楽である。西洋音楽的には、定量的、等拍的なリズムを持たない自由リズムの音楽ということになる。簡単にいえば、手拍子が打てない音楽。
 モンゴルのオルティン(urtin=長い)・ドー(duu=歌)はそうした音楽の一種である。もちろんモンゴルには、等拍リズムのボグン(短い)・ドーもあり、オルティン・ドーとは区別されている。中国語では長調と短調と呼んでいる。こういう歌は、歌手の息継ぎ次第で長く引っ張られたり短くなったりするので、まわりにいる人が一緒に歌うことはできない。歌詞を自由に伸縮させて歌手の心情を切々と訴えるには適した歌い方である。
 このような、手拍子の打てない音楽はモンゴルだけにあるのではない。日本にもこうした音楽の伝統が残っている。尺八の古典本曲、聲明(しょうみょう)、長唄などを思い浮かべば了解できるだろう。
 今回のもう一つの演目テーマである日本民謡の追分様式もその一つである。みんなで合わせて手拍子を打ったり一緒に口ずさむことのできる八木節系の民謡とはひと味違った、広い空間を感じさせる歌である。ちなみに、ご当地の安来節は手拍子が打てるので八木節系である。この追分様式の民謡は、ほぼ同じ5音音階(ペンタトニック)であること、独特のこぶし回しなど、モンゴルのオルティン・ドーととてもよく似ている。また「小諸馬子唄」など、馬に関する歌に多い。両者があまりによく似ていて、かつ馬に関する歌が多いことから、日本に馬が入ってきたのはモンゴルからだろうとする説もあるほどだ。
 さて、モンゴルや日本の自由リズムと等拍リズムの二通りの音楽のあり方が、ユーラシア大陸全域に広がっていることを指摘したのは、著名な民族音楽学者の故小泉文夫である。彼はその典型的な例として、イランのアーヴァーズ(無拍)とタスニーフ(有拍)、トルコのウズン・ハワ(無拍)とクルク・ハワ(有拍)、ハンガリーのパルランド・ルバート(無拍)とテンポ・ジュス(有拍)などを紹介している。これらはほんの一例である。自由リズムの音楽の広がりは実はもっと広い。アラブ古典音楽のタクスィームもそうだし、なによりも私の専門である北インド古典音楽では発達の極致にあるといってもいい。
 北インド古典音楽の演奏では、ラーガ(音階型)に基づいて自由に即興を展開するアーラープと呼ばれる自由リズムの部分があり、リズムを刻むタブラーとの合奏部分ガットとは明確に区別されている。インドの音楽家のなかには、このアーラープこそが演奏者の音楽に対する深い理解と表現力をもっとも求められる部分だと断言する人もいるほど、重要なパートなのである。
 こうみると、メロディー、ハーモニー、リズムがそろって初めて音楽といえる、というのは実際は大間違いだったことになる。これは西洋音楽(しかもごく一部の)でしか成立しない音楽の定義だったのだ。むしろ世界には、西洋的音楽観からはずれている(いるからこそ)美しい音楽に満ちあふれている。今回のテーマである「長い」歌の地理的な広がりと表現力の豊かさ、深さは、このことを教えてくれる。

2007年庭火祭プログラム原稿