インド音楽の超自然力

 音楽は、言葉や絵画のように、感情や情報伝達の一つ手段ということもできる。
 インド音楽もその意味では同様に考えられている。特に古典音楽のラーガ(旋律型あるいは音階型)には、ラーガそれ自身に特定の感情が内在すると一般にいわれている。演奏者は、自分で選び取ったラーガのそうした特定の感情を聴衆に露にし伝えるわけである。この、音楽と感情、あるいは芸術行為と感情との関係は、インド美学独特のラサ論として知られている。
 あるメロディーを聞いて、悲しさ、敬虔、幸福などを感じることはわたしたちは普通に経験していることである。しかしそれは、聞き手である主体の受け止め方によっているとわたしは思う。ところがインドでは、ある特定のメロディーそのものに特定の感情や超自然力が絶対的に内在するという考えが伝統的にあった。もちろん、そんなことは空理空論にすぎない、という研究者も多いが。
 いずれにせよインドの人々は、音楽など芸術行為に、受け止める側の主観から超越したある種のパワーが秘められていると昔から思っていたようである。そうでなければ、以下に紹介するような種類の多くの逸話は残らなかったであろう。

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 ターンセンは、中世インドの大音楽家であった。彼は、当時の支配者、ムガル王朝のアクバル皇帝の宮廷音楽家で、あまりの名手であったため彼に関する逸話は数多い。その中の最も有名な話はこうである。
 アクバル皇帝の宮廷音楽家たちは、ターンセンの名声と彼に対する皇帝の寵愛を妬んでいた。そこで彼らは、ターンセンにラーガ・ディーパク(光の旋律)を歌わせては、と皇帝に進言する。それを歌えば彼も焼け死んでしまうことを知りつつ、ターンセンを陥しいれるために彼らはこのような奸計を謀ったのである。
 こうした策略があるとは知らない皇帝は、この偉大な音楽家にディーパクを歌うよう命ずる。
 皇帝の命とあっては従わないわけにはいかず、ターンセンはこのラーガを歌い始めた。すると、演奏が行われている宮廷のランプがつぎつぎとひとりでに点き始め、演奏が進むにつれて熱気がターンセンの体を焼き始めた。
 しかし、この成り行きに呆然とした王は、放っておけば間違いなく死にいたるような事態を収拾する術を知らない。
 ある人が、彼女自身も大変な音楽家であるターンセンの妻のことを思いついた。
すぐさま彼女は、この悲劇的な状況を知らされる。そこで彼女は、愛する人の危機を招来する演奏を聞きながら、ラーガ・マルハールを歌い始めた。すると、雨が降り始め、ターンセンを濡らし、彼の命を救ったのである。-An Introduction to Indian Music; B.C.Deva著より/中川博志訳

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 ちなみに、この逸話で触れているラーガ・ディーパクとマルハールの音階を紹介しておこう。ただし、表記の便宜上、基準音をハ長調のドであるCとしているが、インド音楽には絶対音がないので必ずしも常にCである必要はない。また、マルハールは、ターンセンその人の創造したラーガ、ミヤーンキ・マルハールである。

 ラーガ・ディーパク(火のラーガ)

C E F♯ G A♭ B C / C A♭ G F♯ D♭ C

ラーガ・ミヤーンキ・マルハール(雨のラーガ)

CFD,FD,G,B♭A,BC / CB♭G,FG,E♭F,DC

 ディーパクというラーガはわたしはこれまで聞いたことがない。このターンセンの逸話のために、現代の音楽家たちもこのラーガに秘められたパワーを恐れているのかも知れない。

庭火祭プログラム原稿