「サマーチャール・パトゥル」01号1988年1月23日

 昨年中はいろいろお世話になりました。今年もよろしくお願いします。

 ◎今年のわたしたちのお正月◎

 今年の正月は、例年のような人の家を渡り歩くというパターンと若干異なり、淡路島の先山千光寺に登り、さらに、いざなぎ神宮に足を伸ばし初詣でをしてきました。大みそかの夜に家を出発し、須磨からフェリーに乗り約45分で淡路島の大磯港に着きます。大みそかですから混んでいることを予想し早めに出かけたのでしたが、普段よりはゆったりめで待ち時間もなく、予定よりかなり早く大磯港に着きました。船内のゆらゆら揺れるテレビ画面では、例の紅白歌合戦が進行中でありました。普段めったに船に乗ることなどありませんから、お尻から響くエンジンの振動が特別な気分を誘います。旧年と新年の境界線上をゆるゆる移動しているという趣でありました。このフェリーも、明石海峡大橋ができると消えていく運命だということです。

 別格本山先山千光寺は、淡路富士といわれる先山の頂上にある高野山真言宗のお寺です。淡路の人々には、古くから高山信仰があり、人が亡くなるとその35日目の法要で、宗派を問わずこの先山に登り、後ろ向きにお餅を投げる風習が伝わっていたりして、わたしの田舎の山形を思い出します。お祭りのとき、よく標高1000mぐらいの白鷹山頂へ夜から深夜にかけて大人と一緒に登りました。約1000の石の階段をはあはあ言いながら夜道を登っていった記憶があります。高山信仰は、山深いわたしの田舎のような場所だけでなく、海に近い淡路にもあるんですね。

「帰るとき、車がムチャクチャ渋滞する。従って、ずっと下の方に車を停めて歩いて登った方が良いのである。島のかしこい人は皆そうするのだ、という確かな情報をつかんでいる」という配偶者の言葉を信じてかなり下に車を停め(かなり下というのはもちろん後で分かったことですが)、曲がりくねった月夜の道を、ワインと先夜の忘年会の残り物であるごぼてんや野菜てんなど練り物関係主体のおかずやゆで卵を伴い、歩いて登りました。

「誰も上がって来ないじゃない」

「時間が早すぎたのかしら」

「えらい寂しい道だね。道を間違っているんじゃないのかなあ。全然明かりも無いし」

「間違うはずないわよ。さっきちゃんと標識あったし。大丈夫、大丈夫」

月夜でしたが、樹木の間からオリオンが輝いて見えました。この日は快晴でした。

 20分たっても30分たっても誰とも会いません。まっ暗になったり、月に照らされたりする夜道を歩きながら、わたしはふと、歩いていることの現実感覚がいやに薄いと感じ始めました。眼鏡のせいかと思い取ってみましたが、かえって世界がぼやけるだけでした。帽子のせいか。ひどく寒かったのですが取ってみました。きーんと冷たい空気が耳に触れ、その分だけ現実を取り戻したかに思えました。しかし、すぐにその感じも薄れ、またふわふわと夢の中で歩いているような気分でした。しかし、そのうち軽トラックが後ろからやってき、ヘッドランプの強い光を浴び、そして地元青年団らしい警備の人達に出会い、非現実感覚の浮遊状態からいつのまにか抜け出ていました。

「今、なんか夢の中にいるようで、現実感がなかったなあ」

「そうお」

 同行者があまりにすんなり相槌を打つもんですからちょっと拍子抜けしました。

「こういう場所では、ほら、あの沼のあたりから幽霊が出るのだ、ひひひひ」

「そんなこと言わないでよ」

 奇妙に感じたのは、どうもわたしだけだったようでした。

 あれはなんだったんだろうか、と今でも思います。先山の“気"だったのか。月の“気"だったのか。とにかくなにかもどかしいような非現実感でありました。霊魂の生体離脱というのは、あの状態がとことん進行した状態なのではないだろうか、などと後で思ったりもしました。昔話などに、山の中で不思議なことに出会うというのがありますが、人間の存在感を危うくさせる“気"が山に満ちているのかもしれません。

 頂上に近づくにつれ、車も人も増え、途中の茶屋には高校性か中学生とおぼしきグループがけっこう来ていました。紅白歌合戦の音をラジカセでやかましくならしている男の子もいましたが、おおむね皆先山登りを楽しんでいるようでした。こういうところで若い人達をみるとうれしくなってしまいます。

 1時間近く歩いてきていたため、最後の急勾配の石段を登るころには、もものあたりがきしむようでした。境内には2,3の人がウロウロしているだけ。帰るときに混雑で困るぐらいたくさんの人が本当に来るのだろうか、とちょっと心配になりました。まだ12時までは1時間半ほどありました。正面左手にあった鐘楼に入って勝手に鐘を鳴らしている人もいました。まあ、適当に、突きたければどうぞ、といった感じです。鐘楼越しに見下ろすと、海岸沿いに展開する人家の明かりと、月明かりに照らされた瀬戸内海が広がっていました。

 本堂に詰めていた作務衣姿の若いお坊さんに、六角堂があると聞きましたと尋ねたところ、彼の後ろの、住職とおぼしき金ピカ衣のお坊さんが、

「あっ、それやったらこの裏手の方です。今、電気つけますからそっちの方から回ってください」

 六角堂は、本堂と縁続きの小さな矩形のお堂です。中は2軒四方ぐらいの大きさです。六角という名前の由来は、室内中央に六角形のちゃんと屋根のついた小さなお堂があるからです。六角形のそれぞれの面には、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道におわす諸仏の像が安置してあります。また、東、南、西の三方の壁面には、明るい土色の地に地方的に素朴な阿弥陀来迎図が描かれ、北面の、えんまさんを始めとしたおどろおどろしい地獄の様相を現す、蝋燭ですすけた木像群と対照的です。天井の電球に照らされ、かすかな鐘の音以外なにも聞こえない狭い堂内にたたずんでいますと、さきほどの存在希薄感が再びやってくるように思われました。

 12時近くになったとき、10人ほどのお坊さんが1列になって下の石段から本堂に向かいます。そのころになると、境内は新年のお参りにきた人達でいっぱいになっていました。本堂の内陣に整列した僧侶たちは、右横に積み重ねた般若経典の1冊1冊を、まるでたたきうりのように机にたたきつけ、ぱらぱらと開いて流します。大般若です。1冊を開き切るとそのお経を1回読んだことになるといわれていますが、本などもあんな風にして読めたら時間がかからなくていいなあ、などと馬鹿なことを考えていました。この儀式の途中で年が改まります。旧年から新年に移っていく時間はディジタルな瞬間ではなく、幅をもっているのですね。この幅のある時間帯は、境界領域です。お祭りや宗教儀式は、それまでの日常が次の日常に移行していくはざま、境界領域で行われる再生作業のときなのだ、ふむふむ、などと思いながら大般若を見ていました。

 大般若が終了すると、福餅撒きです。境内をぎっしりと埋めた参拝人がいまかいまかと待っているところへ、僧侶たちや洲本市長によって福餅が投げられます。ビニールに包んだ紅白の福餅をわれがちに拾うのです。わたしも、群衆の中に入り福餅拾いに狂奔しました。人々の足の隙間にあったのを、すばしこそうな少年と浅ましくも奪い合いながら、1つせしめたのでありました。

 というわけで、「ただいま1988年になりました、明けましておめでとうこざいます」、例年ならばアナウンサーがこのようにテレビ画面で言うのを寝転んで聞いて、ああ、そうかそうか、新年なったか、そろそろ寝るか、という調子ですが、今年はちょっと厳粛な気分で年を向かえたというわけです。

 1日は、同行者の勤める「ホテルアナガ」で淡路の人形浄瑠璃を鑑賞。人形の動かしかたなどを解説してもらい、その後、ホテルのフランス料理を食し、と、なかなか意義のある1988年の第1日目でありました。

◎今年の出来事◎

 ◆インド祭◆

 さて、今年はエスニックファンにとっては忙しい年になりそうです。まず、4月15日、東京の国立劇場で行われる開会式をもってスタートするインド祭が、ほぼ半年間全国各地で開催されます。インド祭は、インド政府が中心になって、85年フランス、86年アメリカ、87年ソ連邦と開催されてきた一連のインド文化フェアーです。フランス・アヴィニヨンでの、ピーター・ブルック演出で世界的に話題を呼んだ「マハーバーラタ」もやってきます。音楽家、舞踊家、舞踊グループ、絵画、伝統工芸品などなど、とにかく盛りだくさんのメニューです。

 今、手持ちの資料だけを紹介します。

 ◎オープニングセレモニー+コンサート

演目 1.サーマ・ヴェーダ詠唱、ドゥルパドスタイルヴォーカル(北インド古典音楽)/ ダーガル兄弟(デリー)グループ6名/ 2.バーンスリー(横笛)キャヤールスタイル(北インド古典音楽)パンディット・ハリプラサド・チョウラシア グループ6名/3.オリッスィ舞踊(中東インド、オリッサ地方)/グル・ケルチャラン・モハパトラ グループ8名(86年にも来日しました)/4.プーング・チョロム(東北インド、マニプール地方)/舞踊団グループ8名

期日 4月15日(金)東京国立劇場、4月19日(火)神戸国際会議場、4月20日(水)京都(会場未定:実 際開催されるかどうかまだはっきりしていません。開催ということになれば、わたしも マネジメントスタッフとしてかかわるかも知れません)

4月24日(日)~26日(火)なら・シルクロード博覧会会場

 ◎インド四大古典舞踊

演目 1.カタック(リズムの妙を見せる宮廷舞踊・・・北インド)/ビルジュ・マハラージュ+音楽アンサンブル/2.カタカリ(舞踊劇・・・南インド、ケララ地方)/ケララ・カラマンダラム舞踊団/3.バラタナティアム(祈りの踊り・・・南インド)/マラビカ・サルカイ+音楽アンサンブル/4.マニプリ(蓮花の踊り・・・東北インド、マニプール地方)/ネール・アカデミー・マニプリ舞踊団

期日 4月16日(土)~24日(日)・5月12日(木)・・・東京、4月27日(水)名古屋、4月29日(金)岡山、4月30日(土)福岡、5月2日(月)大阪、5月3日(火)奈 良、5月8日(日)横浜

◎民俗音楽

演目 パンジャブ地方の民謡、ジャハル・フセインとそのグループによる歌の競演、ラジャス タン地方からのランガとマンガニヤルによる歌唱、ケララ地方の打楽器演奏など 会場 全国12都市

期間 4月2日~28日

 ◎古典音楽(民音協力)

演目 ビムセン・ジョーシ(北インド古典、ヴォーカル)/ザーキル・フセイン(タブラー)《彼の演 奏は、昨年11月のシヴクマール・シャルマとの共演が記憶に新しい》/南インド古典など

会場 東京、大阪、神戸、横浜他

期間 5月中旬~下旬

 ◎クリヤッタム(古代インド演劇)・・・ケララ地方

会場 東京、名古屋、大阪、広島、福岡、武蔵野

期間 7月8日~22日

 ◎アーディヴァシ(インド部族)芸術展

実演及び作品展示

4月19日~5月22日兵庫県立近代美術館、6月11日~8月7日埼玉県立近代美術館、10月8日~11月 6日世田谷美術館/このシリーズでは、日曜祝日にインドにちなんだパフォーマンスも予定されています。

 ◎ラビンドラナート・タゴール展

5月14日~7月12日東京西武美術館

◎インド宮廷衣装展

5月22日~7月10日有楽町西武百貨店、6月16日~7月17日北海道立近代美術館

 ◎インド民芸展

7月~9月東京日本民芸館

 ◎インド古典芸術展

7月11日~23日東京伊勢丹美術館、10月22日~11月27日山口県立美術館

 ◎インド建築展

11月15日~12月25日世田谷美術館

 他に、インド近代美術展、インド映画祭、写真展「インド・祭り」、ミティーラ壁画展、インド料理展、インドのメーラー(お祭り)、先にあげた「マハーバーラタ」(西武セゾン劇場)、シンポジウム、セミナーなどなどです。とにかくどっさりありすぎて、プログラム全部網羅しようと思ったら大変なことです。問題は、全体に日本側、インド政府側の取り組みが遅れていることです。まあ、これだけのものが今年やってくるわけで、良い意味でインドの理解につながるよう、進行や準備が滞りなく行われることを切に期待しています。また、このような大規模な文化紹介が、いろいろな“珍しいもの"の単なる羅列に終わってしまうことは意味が無いことなので、その中からわたしたち自身の文化や生活をみつめなおす作業が、わたしたち受け入れる側に要求されると思います。

 ◆なら・シルクロード博覧会◆

 環境破壊などの問題もはらみつつ、なら・シルクロード博覧会が4月24日からいよいよ始まります。これには、わたしもオアシス物語館のパフォーマンスのコーディネーターとして若干かかわっています。全体の計画はまだ分かりませんが、いろいろ聞いてみますと、スポンサーなどの問題があるようです。日本の企業というのは、基本的にこうした文化的な事にたいしておしげもなく援助するという態勢になく、若干かかわるものとしては不満な面がなきにしもあらず、といったところです。これまでの博覧会の延長(たとえば、国際グルメランドなどといって期待して行ってみると、やきそばラーメンお好み焼きたこ焼きカレーライスなどのブースが並び、大テレビビジュアルショーにえんえんと人が列をつくるといったイメージ、がわが大仕掛けで中身が薄い)になってしまうような気もします。どうしてこのように考えるかといいますと、たとえばオアシス館という最大のパビリオンの建設コストが増えたので、ソフトつまりパフォーマンスなどの予算がそれにつれて圧迫されている、などとある人に聞いたからです。確かに建物も重要な要素とはいえますが、そこに入る中身が本来の重要性をもっているわけです。また、駐車場建設のための樹木伐採ということがニュースになっています。もっと柔軟で有機的な発想でかつソフトの充実したものを期待したいと思っていますが、どうなることか。とまれ、この博覧会はインド祭とも関係していますし、シルクロードにスポットを当てたという意味で楽しみにはしています。パフォーマンスなどの具体的なプログラムがはっきりしましたら、みなさんにもお知らせしたいと思っています。

◆“インド・ムガール帝国からの輝ける響き"演奏会のお知らせ◆

「ウスタード・イムラット・カーンの息子たちによる」と副題のついた演奏会が神戸で開かれます。シタール演奏家、イムラット・カーンは、知る人ぞ知る現代インド音楽の巨匠です。彼の家系は、ムガール朝から連綿と続く数少ない音楽家の家系の1つで、今回演奏予定の息子たちも将来のインド音楽の将来を担う有望な音楽家たちです。長男のニシャット・カーンは、既にインド内外で勢力的に活躍中で、個人的なことですがわたしの先生の1人です。今回は、ニシャットを除いた3人が一挙にやってくるということで、今から彼らの演奏を非常に楽しみにしているところです。また、今回の演奏会の大きな特徴は、同封のチラシでも分かるように、6時間半のぶっ通しの演奏だということです。インドでの演奏会は、日本でのコンサートのように区切られた時間で行うことは希で、夕方始まっても終わるのが早朝などというのが一般的ですから、その意味で今回の形式は最も本来の姿に近いものといえます。おそらくこのような長時間の演奏会は、日本では初めてでしょう。彼らのもつ豊かな表現と、インド古典音楽の魅力をあますことなく堪能できる機会です。また、昨年10月4日バーズビルでの『天竺音楽模様』で素晴らしい演奏を披露しました、イランの麗楽人プーリーさんもゲストとしてペルシヤンサントゥールを演奏して下さいます。是非皆さんもおいでください。このプログラムで3000円は絶対に安い!!チケットを預かっていますので、ご連絡下さい。

 プロデュースは、昨年まで東京の下北沢の“あしゅん"を経営していた岩崎咲子さん(旧姓大西)です。筋金入りのインド音楽フリークです。ご結婚して故郷である神戸に戻り、主婦業に専念されているのかなと思っていましたら、やはりそれだけでは絶えられず動き始めたというわけです。場所は、魚崎の旧酒蔵の一部を使います。非常に雰囲気の良い場所ですが、まだ寒い季節ですのでくれぐれも防寒対策万全でお越しを。企画時期が遅かったので充分な宣伝期間がとれず、ちょっと入りが心配ですが、できるだけ知り合いの方などにも知らせて戴ければ幸です。

◆ヒマラヤンフェスティバルⅣ◆

 日本ヒマラヤ諸国友好協会主催のこのフェスティバルも4回目を向かえました。『天竺音楽模様』まではパフォーマンス中心でしたが、今度はエベレスト登頂を女性では始めて果たした田部井淳子さんの講演「わたしのヒマラヤ」がメインです。4月9日(土)pm6:00/大阪ピロティ大ホール(森の宮)。前半では、「夢幻の世界」と題してわたしも演奏で参加する予定です。

 
◎サマーチャール・パトゥルについて◎

 サマーチャルはニュース、パトゥルは手紙、という意味のヒンディー語です。個人メディアとしてこれから気がむいたときに発送していく予定です。よろしくお願いします。

 中川博志・久代
〒650神戸市中央区下山手通8-16-11金物ビル306
tel 078-351-5211