「サマーチャール・パトゥル」06号1989年8月17日

 暑い日々が続いていますが、皆様、いかがお過ごしですか。まったく時間の進み具合は恐るべきもので、前回のこの通信から既に4ケ月、3ケ月のインド滞在を終えてから半年以上も過ぎてしまいました。前回は、そのインド滞在のホットな記憶をよびさますことができましたが、このごろの、もんもん汗みどろ的夜の暑さで脳が溶解したかのありさま、いざワープロに向かうと机の上の散らかりが気になったりの、目先のことのみ気にかかり、それなりに刺激に満ちていたインド滞在の記憶があいまいになりつつあります。従って、前回、書ききれなかったから次回書くがリクエストはありませんか、などと書いてみたものの、現在の精神怠慢情況予測の甘さを痛感しています。なお、リクエストは、

1.「非インド人はインド音楽演奏家になれるや否や」

2.「日本語を習うインド人」

 隣組の高野和子さんより

3.「ボンベイの映画音楽スタジオ見聞記」

 埼玉県の坂田貞二さんより

4.「中年夫婦バリ島の落日」

 芦屋市の宮川光世さんより

 を戴きました。ありがとうございました。溶脳情況ではありますが、律義にリクエストを下さった人には申し訳がないので、今回は1、2につきまして、とりあえず以下に書いてみました。

◎非インド人はインド音楽演奏家になれるや否や◎

 これは、隣組の主婦、高野和子さんからのリクエストです。和子さんは、自身もちょっと意味シンなタイトルの個人通信「ひとり遊び」を発行している人で、前回のこの通信に熱烈に反応して下さいました。こういう人は無条件に良い人です。最近、エストニアに大きな関心を寄せ、「歌いながらの革命」という本を書いた気功達人、津村喬氏夫人でもあります。この紙面で再度謝意を表します。

 さて、このトピックは、カルカッタの友人、アミット・ロイの家にしばらく居候していたとき、彼と毎晩徹夜で論議したものの一つです。アミット・ロイ(以下バッチュー)は、シタールの若手演奏家で、父は有名なシタール製作者、ヒレン・ロイ。

「外国人がインド音楽演奏家になれる可能性はあるかって?なれるとも。良い演奏、素晴らしい演奏とはどういうものかが分かれば、つまり耳があり、かつ練習を持続できたら、誰だってインド音楽の演奏家になれる」 そのときは、わたしはバッチューの言葉に半ば納得してうなずいた。自分も、現在やっているバーンスリーを、それなりに人に聴かせる程度にはなりたいと思っていたし、また彼の言葉のように考えなければとても続けることができない。

 良い料理人になろうと思えば、何がおいしくて何がまずいかをまず知らなければならない。つまり、良い舌をもつことが良い料理人になるための必要条件である。もちろん、おいしいかまずいかの基準はあくまでその料理人個人のものだが、他人にも通じる普遍的な味覚をもっているからこそ、彼あるいは彼女は、良い料理人たりうる。同様に、よい演奏家は、おいしい演奏とまずい演奏の違いが分からなければ話にならない。

 練習の倍の時間を聴く時間に

「とは言っても、インド音楽にはインド独特のテイストがあるでしょう。あれはなかなか外国人には難しいのではないだろうか」

「当然だ。われわれは子供のときから聴いているから親しんでいるが、外国人は聴く体験の量がまず違うことは認める。しかし、美しい音楽には国の違いなんてないだろう?」

 外国人が、毎日3時間を練習に費やすとすれば、その倍、つまり6時間を聴く時間に充てれば良い、とバッチューは言う。そのでんでいくと、わたしはハリ・プラザド・チョウラシア師の通告によって「1日最低4時間は練習する」ことになっているわけだから、8時間の聴く時間を入れて1日12時間をインド音楽に捧げなければならないことになる。

 ハリジーの通告すらまともに実行できていない現状としては、まず実行は不可能に近い。こんな、一方通行的非営業個人通信なんて書いているヒマはないのだ、プロのトップミュージシャンになるためには。ニュースステーション+プロ野球ニュースで2時間もテレビの前に寝転んでいるヒマはないのだ。キンピラごぼうとこまつ菜、もやしのナムルを作っているヒマはないのだ。ブライアン・イーノを聴きに天川村まで行くヒマはないのだ。家庭教師の子供の模擬試験を作るのに4時間もかけてはいけないのだ。ブルガリアンポリフォニーいいなあ、ガムランいいなあ、鼓童いいなあ、ビートルズいいなあ、エンヤいいなあ、などとレコードを聴いているヒマはないのだ。ダイ・ハード+レッド・スコルピオンの2本だてをパルシネマで見るヒマなんかないのだ。フレッド・テイラーの「総統暗殺(上下)」なんて読んでいるヒマはないのだ。パチンコであっと言う間に3000円負けた、と悔しがるヒマはないのだ。川島四郎著「まちがい栄養学」(正、続)を読むヒマはないのだ。ましてや、長時間たばこプカプカチーポンロンリーチリャンウーパー3面待ちウラドラ2つバンバン、なんてやっているヒマはないのだ。とにかく、ヒマはないのだ。プロのトップクラスミュージシャンになるためには。

 徹底的なヤル気とヒマがあれば

 非インド人がインド音楽演奏家になるための第一条件は、だから、感受性と同時に、生活の糧を得るための諸活動、せつ那的肉体的精神的快楽追及活動、気分転換的消費活動などなどを制限することがまず必要だろう。つまり、徹底的なヤル気とヒマが必要。もう、楽器を弾くぐらいしか時間を潰しようがない環境を整備すること。われわれがインドで2年ほど暮らしていたときは、感受性は別として、かなりそれに近かった。だから、相当な長期間生活するに足る充分なゼニを持ちインドで生活するのが、インド音楽演奏家になる最も近道だ。ここをクリアーできる非インド人は、多いとは言えないが、存在可能であろう。

 また、社会が必要なら、そういうことを望む人材を援助しようとするだろう。どうも日本の社会は、まだまだ徹底してマイナーなインド音楽は当然としても、一般に、芸術を必要としているとは思えない現状である。人と人との比較によって自我を安定させるこの社会では難しいのかも知れない。従って、練習を持続したり、インドへ行って先生についたりするためには、かなりの時間、自力でゼニをためるということに頭を悩まさなければならない。

 表現力

 次に問題は、いかに感受性と捧げられる時間があったとしても、表現力が無ければ良い演奏家にはなれない。表現力は、もちろん、技術の蓄積に因るところが大きい。しかし、美しい表現をする力は、テクニックでは補いえない部分がある。ある種の才能が必要だ。あるものへの集中力を持続することは才能の一つだとは言えるが、努力の人が、ポッと出の才能のある人に、難なく道を譲るという例は少なくない。とは言え、これまでの経験として、次のようなことが言えるかも知れない。最も感受性の鋭い人生のある時期に、盲目的にあるものへ集中できるかどうかが才能を決定する、と。

 優れたインドの演奏家に直接聞いたり、本で知ったりしたことによれば、彼らのほとんどは、1日十数時間などという猛烈な練習を幼少期から青春期にかけてなさっていらっしゃるのである。天才と呼ばれ、現代の最も素晴らしいシタール演奏家であった故ニキル・ベナルジー氏は、練習室の外から錠をかけさせ、不眠不休の練習をしたそうだ。この話は、自身も試みたことがあると言うバッチューがしてくれた。ちなみに、バッチューは故ニキル・ベナルジー氏の最後の弟子である。

 最も感受性の鋭い人生のある時期に、かくも過酷な訓練を年単位という長期間、自ら強いるという点になると、当のインド人ですらごく限られた人が可能であって、ましてや非インド人であるわれわれには決定的とも言えるぐらい困難なことだ。30過ぎてインドの楽器を始めたわたしのような人間には、インド音楽以外の精神的肉体的快楽を既に捨てきれない段階に来てしまっているし、またその種の誘惑にやすやすと乗ってしまう。レコードを聞けるとは言っても、日本に住んでいるかぎりインド音楽に対する感受性は鈍る一方だし、1日十数時間も練習に没頭する気力も体力も、はっきり言ってない。

 結局、思うに

 インド音楽の演奏という面で、非インド人とかインド人とかの、“血”や“民族”の違いはそれほど大きな問題ではない。環境、気力、体力、感性、表現力があれば、非インド人がトップクラスのインド音楽演奏家になることは不可能ではない、と思う。バッチューの意見は正しい。しかし、最も感受性の鋭い人生のある時期に、異なった環境で異なったことをやっていた人には、その人しかもっていない感受性や感性や表現力があるわけだから、外国の楽器や表現方法を学習したとしても、それらを生かす道はあるのだ、とわたしは自分を慰めるのであった。

◎日本語を習うインド人◎

 ボンベイ滞在中、天理教ボンベイ支部の佐々木さんに大変お世話になったことは前回の通信で触れました。佐々木さんの普段の活動は、インド人に日本語を教授することです。現在二十数名の生徒が通って来ています。上達度に合わせて数人づつのクラス編成をとっていて、上級クラスでは、通訳や翻訳など、日本語をすでに職業として使っている人もいます。それぞれ個性の強い生徒たちを指導するのは並大抵ではありませんが、佐々木さんは根気よく頑張っていました。わたしは、ほぼ毎日佐々木家で寄食していましたから、生徒たちと接することも多かった。

 日本語弁論大会

 ボンベイの日本語を習っている人たちが最も張り切るイベントは、確かボンベイ印日協会主催の日本語弁論大会です。あまり詳しいことは知りませんが、テーマは出場者の程度によって異なっているようです。初級者の場合は、既に文章が決まっていて、それをいかによどみなく読みあげるかが審査の対象になります。ですから、出場者は、大会が近づくと課題の暗記に忙しくなります。そこで彼らは、アクセントやイントネーションを覚えるために、われわれに模範録音をせがみにやってきます。厚かましい人もいて、こちらの時間などおかまいなしにやってくるのです。本人たちの理解度を超える文章というか、われわれ日本人ですらすっと意味の通らない文章もありましたが、彼らはそれをひたすら暗記しようと躍起です。まあ、初級者にとっては、中に意味の分からない単語が多少あっても暗記することが先決だから、読みかたのコンテストというのは良いことだと思います。ちょっと気にかかったのは、課題文の内容でした。課題の一つに、七夕の物語、つまり織り姫と彦星の物語がありました。制限時間があるためか、ざっとあらすじを追った短い文章なのですが、はしょりかたが不自然で、変てこな飛躍があるのです。どう考えても、日本語教授のプロが出題しているとは思えないものでした。

 フリーテーマの上級者

 上級者になりますと、自分でテーマを考えそれを日本語で発表しなければなりません。わたしは、日本語の翻訳やっているという若い女性、フィルさんに相談を受けました。彼女は昨年の入賞者です。聞いているようでいて、その実ちっとも他人の話を聞かない頑固な自己主張確信断定派ですが、頑固に日本語を勉強する根気にはどこか欠けているボンベ都会派ヤングレディーです。

 最初、こんな文で発表しようと思うのだが、と見せられたのを読んでみると、日本についての一面的なきれいごとを断定的に並べたものでありました。文法的混乱を整理して読んでみると、要旨はざっとこんなものです。

「日本は、挨拶の習慣がある。社長ですら、社員には、おはよう、今日は、と挨拶する。今日、日本は素晴らしい経済的な発展をみた。経済的発展の一因は、こうした良い伝統を捨てることなしに経済活動をやったからなのではないか」

「社長ですら・・・」という文章は、インドの実状からするとなんとなくうなづけるような気がします。なぜなら、社長ないし会社の幹部が、労働者と半ば対等に挨拶を交わすことは、インドでは希だと思うからです。会社の幹部と労働者の間には、カーストなどの圧倒的な階級差があります。

 しかし、こういう文章を読むと、わたしはむらむらと意地悪心が沸いてくるのです。

「フィルさんは、日本人の社長が挨拶するのを見たことがあるや否や」

「ありません。でもなんかの本に書いていましたし、それは正しいと思います」。(なぜ正しいと断定できるのだ!)。フィルさんはまだ日本に来たことがありません。

「しからば、なにゆえ、見たこともないのに正しいと言へるのか、問ふ。あなたが本当に見たり聴いたり体験したりしたことなら、この文は良ひと思ひますが、さうでないのに、かように断定的に述べるのはいかがかな。それに主題としては、あまりに大きすぎる。もそっと身近に、自分自身が体験したことを書いた方が良いと思ふがいかが」

「実は、これは知り合いの日本人に書いてもらったんです。でもお、これからまた書き換えるには時間がないんです。わたし、どうしよう」

「佐々木さん家族とか、他の日本人に接して、どこが自分たちと違ふかを書いた方が弁論としてはオリジナリティーはあるんぢやあないですか、いかが」

「例えばどんなことですか」

「と言われてもね。だって、あなた自身の感じかたですからね」

「困ったなあ。もう時間が・・・。例えばこんな、というのを教えてください」

 彼女は必死である。そして、しぶとく粘っこい。佐々木家の夕食が迫りつつあった。めぐみ夫人が様子をみにときどき顔を見せる。もう、いい加減にして夕飯にしましょ、と言いたげな表情なのでありました。空腹も重なり、だんだんわたしも面倒になっくるのでした。しかし、敵はひるむ様子を見せない。

「例えばですね、この折り紙なんてだうでせうか。これやったことありますか。日本では、子供でもきれひに折ることができますが、よその国の人にとっては難しいらしい。手先の器用さがあるんだと思ふのである。そこで、書くとすれば、と。んー。自分もやってみたがどうもうまく折れない。仮に、この後半部を生かすとすれば、まあ、例えば、日本人は手先が器用であるが故に、発展したのではないだらうか。それには、この折り紙も一役買っているのではないか。なあーんていうことでもいいんじゃないですか。いかが」

 スカーフをヒラリと肩にかけなおし、フィルさんは即座に英語で答える。

「それいいですね。じゃあ、それにします。もう一回、きちんと文章にして言ってください。わたし書きますから」

「えっ、そんな」

 しかし、気を取り直して、わたしは言うのでした。「しかれども、これはあくまで例である故、自分で考えてみてはいかが」

「んもー、ホントに時間がないんです。それに、わたしもそう思いますから」

しかし、そう言う割に、わたしが渡した色紙をもてあそぶだけで折ってみる気はないそぶり。

 結局、彼女は、わたしの言う通りの文章を引っ提げて弁論大会に臨んだ。しかし、暗記が不完全ということもあって今年は入賞しなかったのでした。

 日本語習得の動機

 佐々木さんに相談している他の生徒たちも、フィルさんのような、日本人審査員好印象期待的、こびたと言えば言いすぎかもしれないが、日本礼賛テーマが多い。しかも、日本人の知り合いが手助けして、そのような文章を書くこともあるのです。人間、生活、文化と言ったことよりも、とにかく経済的に発展したという一点を強調する。自己主張の強いインド人、という思い込みの強かったわたしは、彼らに、オリジナリティーのある切り口で日本を論ずることを期待していたのですが、どうも期待外れだったようです。

 日本語を習っているのは、中流から上流の家庭出身の若い人たちです。彼らも、あこがれの内容の差はあれ、英語を習う日本のおおかたの若い人たちと同様、オリジナリティーが乏しいと感じたのでした。どんなに外国語が堪能でも、自分の意見をもたないならば単なる翻訳機械にすぎない、ということが分かっていないのではないか。もちろん、インドを始めアジアの人々にとっては、日本語を習得すれば、かなり割りの良い仕事につけるということが最大動機になっているので、しかたがないのかも知れません。彼らの動機も、結局有利な仕事につけるから、というものでありました。それにしても、ボンベイの日本語弁論大会出場者の弁論テーマが、ほとんど日本経済発展礼賛のワンパターンになっていることに対して、それらを審査する日本人はいったい何を考えながら入賞者を決定しているのだろうか、と考えるわたしなのでありました。

 

◎これまでの出来事◎

◆4月30日、大阪インテックスのツアーエキスポでライブ。エアーインディアの依頼でした。

◆5月12日大阪・アイル・モレ コタ、13日神戸バーズビル、14日神戸・マヒシャースラマルディニー、15日京都・大谷大学にて、アミット・ロイのシタール演奏会

◆6月2,3,4日/「東西の地平」音楽祭/東京本郷・バリオホール/主催:日本音楽文化会議

 これは、わざわざ東京へ見に行ってきました。ジャワのチルボン地方からガムラングループが来日し、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。特に、トペン(仮面舞踊)や、主催者がサルドノ・クスモ氏に依頼した創作舞踊が今でも印象に残っています。日本のガムラングループも出演しましたが、かれらの、どこか知的エリートの遊戯という雰囲気と、チルボンの人たちの腰のすわった自由さと明るさが対象的でありました。

 シンポジウムの席上、ある日本の学者が、アメリカヘ最初にガムランを紹介したマントル・フット教授に質問しました。

「日本では、特にガムラン音楽は学問の対象として研究されてきましたが、そういう学問の対象としてガムランを見るべきなのか、新たな創作・表現の手段として見るべきなのか、それについてどうお考えですか」

 自身も作曲家である教授は、

「どんな音楽でも、実際演奏しないと意味がありません。どんどん創作をするべきで、学問は後から来るものでしょう」

 このやりとりは、インド音楽をやっているわたしとしては非常に興味深いものでした。

 ◎

 アメリカに住む友人の話では、主要な総合大学にはたいてい芸術学部があり、特に民族音楽を教えているところもあるそうです。東大や北大、早大、慶大などに音楽学科があるようなものです。タブラーで有名なザキール・フセインは、ワシントン大学でインド音楽の学位を取っています。予算的に豊とは言えないインドの主要大学、例えば、デリー大学、タゴール大学(ヴィシュワ・ヴァーラティ)、わたしたちの行ったベナレス・ヒンドゥー大学などにも、ちゃんとした芸術学部がありました。それに引き換え、日本の主要大学には、ほとんど、芸術学部をもっていません。やはり、日本では、優秀な人材が芸術などにうつつを抜かしてはいけない、ということか。あっても良いと思いますけどね、わたしは。

 

◆6月17日(土)、愛知県豊田市のレストラン「魚十」でライブ。シタールの井上憲司さん、タブラーの逆瀬川健治さんと一緒でした。

◆6月18日(日)、神戸・バーズビルで、シタールの堀之内孝二さんとライブ。関西気功協会総会に飛び入りでやってくれ、と代表の津村喬氏に頼まれていたものです。

◆7月11日、北九州市の葬儀会場で一吹き。生まれて始めて、博多へ行き、山笠を見ました。精神的協力者も同行しました。小倉のインド料理店「カーシー」のチャトゥルヴェディ・スダンシュさん、由紀子さんには、土産にからし明太子までいただいてお世話になりました。

◆7月27日/ブライアン・イーノの奉納演奏/吉野・天川村の天川神社/全国からおよそ1000人がおしかけ盛況でしたが、しゃべっている人が多く音楽に集中できませんでした。

◆7月29日/平曲/平家琵、能・忠度/大阪・大槻能楽堂

◆7月30日/芸能山城組「ケチャ祭り」/つかしん

◆8月5日/花火大会/神戸・メリケンパーク/今年は、真下まで行って見ました。

 ◎これからの出来事◎

◆8月18日/18:30~/ブライアン・イーノ神戸のオープニングレセプション/神戸・ジーベックホール(ポートアイランド内)/19日~27日まで一般公開/11:00AM~21:00/\1000円

 ◎

◆里帰り転々ライブ東北・北陸路、バーンスリーと尺八による吹き吹き行脚シリーズ'88/尺八/森川玄風、バーンスリー/中川博志

◇8月20日/金沢・もっきりや/19:00開演/タンブーラ:岸下しょうこ/問:Tel.0762(32)0692ガネー舎/\1800

◇8月21日/新潟・WOODY/18:30PM~/+シタール、シンセサイザー:堀之内幸二+新潟のジャズベーシスト/問:Tel.025(224)4525WOODY木村

◇8月22日/佐渡・佐和田/問:WOODY木村

◇8月24日~27日/EARTH CELEBRATION/主催:鼓童/新潟県佐渡郡小木町/出演:鼓童、サムルノリ、ハムザ・エルディン、ツインズ・セブンセブン、近藤等則(トランペット)、中沢新一、藤井知明他/4日間通し券\10,000/問:Tel.0259(86)3630鼓童

◇8月29日/山形市・ぎゃるり葦/主催:チャイハネ/+タブラー:荒井俊也/問:Tel.0236(33)3673チャイハネ/\2000

◇8月31日/仙台市・ワディ・ハルファ/+タブラー:荒井俊也+タンブーラ:小出康子/問:℡022(225)5241

◆8月20日(日)/ガムラン「ダルマ・ブダヤ」コンサート/13:00PM~、16:30PM~/ユニトピアささやま花の植物館/\2000/問:Tel.0795(52)5220/京都市立芸大講師中川真さんの話つき/企画協力:天楽企画

◆9月10日(日)/ナゲシュワラ・ラオ、ヴィーナコンサート/奈良市中院町11元興寺/18:00PM開演/\3500/問:Tel.0727(22)4174/マノダルマ・サンガム・オオサカ/南インド古典音楽ヴィーナの第一人者、ナゲシュワラ・ラオの来日コンサート。この人はすごい。是非ご一聴を。

◆9月19日(木)/木佐貫邦子ソロダンス公演/主催:新神戸オリエンタル劇場/会場:新神戸オリエンタル劇場/\4500,\4000/Tel.078(291)1100新神戸オリエンタル劇場木佐貫邦子さんは、アメリカで圧倒的な支持を得ているモダンダンサー。11月には、名古屋で行われる世界デザイン博での山本寛斎によるメーンイベント「KANSAI HUMAN VOLCANO」に出演予定。

◆9月28日/チャペルで聴くインド音楽コンサート/主催:あしゅん企画Tel.078(882)2475/神戸YMVAチャペル/19:00PM開演/シタール、エスラージ:中村仁、バーンスリー:中川博志、タブラー:山中浩子、タンブーラ:亀井真理子/\2500(前売り\2000)/チケットあります。プログラムの最後に、中村仁さんのエスラージとわたしのバーンスリーでデュオを演奏する予定です。

◆10月19日/国際交流団体交流パーティ/主催:神戸国際交流協会/18:00PM~/国際交流会館3Fレセプション/ちょっとバーンスリーを吹き、ちょっと話をする予定

◆11月20日/アシナマリ神戸公演/主催:「アシナマリ!」神戸実行委員会/19:00PM開演/\3800全席指定/神戸国際会議場メインホール/作・演出:ムボンゲニ・ンゲマ、出演:コミッティド・アーティスツ/問:078(851)2760神戸学生青年センター/昨年、日本で初演し衝撃をもたらした南アフリカ黒人音楽劇の神戸公演です。南アフリカの牢獄を舞台とし、5人の囚人が各々の事情を言葉、ダンス、歌を通して表現する、事実に基づいたドラマとして成立している。ニューヨークでは、リンカーンセンターからブロードウエイに移り、5週間のツアー予定は、8ケ月に延びた。現在も世界ツアー中。----ASINAMALI!上演に関して、外務省は国連アパルトヘイト制裁決議以来初めて特例的にビザ発給を認める方針を明らかにした。(朝日新聞'88 10/15)

 わたしも実行委員会のメンバーとして、なんとか成功させたいと考えています。良い席のティケットをもっていますので、早めにご連絡を。


 ◎サマーチャル・パトゥルについて◎

 サマーチャルはニュース、パトゥルは手紙、という意味のヒンディー語です。個人メディアとして不定期に発行しています。皆様の情報もお待ちしておりますのでよろしくお願いします。

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 編集発行発送人 中川博志/精神的協力者 中川久代

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