「サマーチャール・パトゥル」09号1991年6月15日

 皆様いかがお過しでしょうか。今年は、例年のインド行を取止め、ずうっーと家でぐだぐだしていました。そうこうしているうちに湾岸戦争が始り、そして終り、環境問題が多くなり、戦争の影響が特にアジアの国に広がり、クルド人難民が悲惨なめにあい、東欧やソ連国内が怪しくなり、バングラデシュに大洪水が起き、貴の花が大躍進し、西武が独走し、ゴルバチョフが来日し、ゼニ儲けだけだもんね、儲けたあとどない使うなんて関係ないもんね、世界がどうなろうが知ったこっちゃないもんね、ゼニになれば芸術でもなんでも買うもんね的我が日本企業の一つイトマンの、ゼニ儲け理論に徹底して忠実であるためについ普段のやり方を見せてしまって叩かれ、2050年(わたしが丁度100歳の年)には世界人口が100億人になるであろうという計算が発表され、好景気は終ったのかと新聞は気にし、人々は不平不満のネタをほじって退屈さを紛らすのだよ平和なスイスでは、と友人のピーターは言うし、そうこうしているうちにラジーブ・ガンジーが暗殺され、雲仙が噴火し、ついこの間買ったこのコンピュータが最早色あせるほど性能が良く安価になり、目新しいモノや物件の宣伝スピードが加速的に増し・・・と、いやはや世界中大変な騒ぎになっているのでした。


「ホーキングの最新宇宙論」

「ホーキングの最新宇宙論」を睡眠薬代りに最近まで読んでいたのですが、その中に、上記の騒ぎも無理からんと納得してしまう記述に出会いました。

 熱力学の第2法則によれば、時間とともに無秩序、つまりエントロピーが増加する、と。ジグソーパズルでは、ピースが集って絵を完成する配置はただ一つ。一方、ピースが無秩序に置かれ、絵とならない配置のほうは大変な数になる。完成した絵を箱に入れて動かしていくと、時間の経過に従って次第にばらばらと配置が無秩序になるだけで、何千年、何万年たとうが決してもとの秩序だった絵にかえることがない。簡単に言えば、われわれの宇宙の時間の矢はエントロピーの増大に向っていて、我々の心理的な時間の矢も熱力学の法則に準じている、と彼は言っているのです。もちろん話はもっとややこしいのですが。

 ワープロで通信を書く、と言う現象を熱力学的に言いかえてみます。何万とある言葉や文字、音声、脳の思考の断片を秩序だった状態にしてこの文は成立ちます。一見、時間の経過と共に秩序だてられていく作業のようです。しかし、物事を秩序だった状態にしていくためにはエネルギーが必要です。思考をめぐらすにも、じっと机に向って目をしばつかせながらキーボードを押し続けるにも、電力でワープロを動かすにも、記憶装置を働かすためにもエネルギーが必要です。これらもろもろのエネルギーは熱となって宇宙に放出され、宇宙の無秩序の総量を増やしていく。この無秩序の増大は、つくられる秩序の増大よりも大きい、と。

 ホーキングは、この本の「時間の矢」の章の最後に、冗談のように具体的なエントロピー増大の計算をして見せます。

「もし、私が今までに言った言葉を皆さんがすべて記憶したとすれば、皆さんの記憶には15万ビットの情報が収められたことになります。つまり、皆さんの頭脳は15万単位分だけ秩序が増大したことになります。しかし、私の話をお聞きになっている間に、皆さんは食物という形の秩序あるエネルギーを、約30万ジュール分、熱という無秩序なエネルギーに変え、それを熱の対流や汗と言う形で空気中に放出しているはずです。そうすると、3×1024単位ほど宇宙の無秩序が増大します。これは、私の話を記憶したために皆さんの頭脳に増えた秩序の、約2×1019倍になります。だからこのへんで終りにしたほうがいいでしょう。完全な無秩序の状態になってしまうと困りますから」

 宇宙のエントロピー増大の法則が、現代の人間社会や地球環境に当てはまるのかどうかは、わたしは確認できませんが感覚的にはうなづけるものがあります。だからどうなんだ、と問われればちょっと困るのですが。いずれにしても、世界がますます混乱の度を加えつつあるのは確かなようです。秩序を破壊することが最大の喜びであった侵略者たちも、無意識のうちに熱力学の第2法則に沿ったものであったのでしょうか。

 前回の通信が昨年の10月20日ですから、半年以上もたってしまいました。もともとこの通信は、年賀状を出していただいた人へ年賀状代りに返信するという意図で始めましたが、まあ、ときどき忘れた頃にやってくる便りと解釈して下さい。年賀状をいただいた方々にはお礼申上げます。

 今回は、このところ上記のように世界では目まぐるしく色々なことがあまりにたくさんおきているためなのか、精神活動退化現象なのか、これは是非書かなければというものがふつふつと沸上がってきません。で、ちょっと自堕落なようですが、よそで書いた小生の文や引用で済ませることにしました。

 まず、隣組の高野和子さんの個人通信「ひとりあそび」にのせていただいたもの。

「湾岸戦争なんて、そんな古いトピック、載せるのお」という配偶者の非難が飛んできましたが、めげずに載せます。

 ◎湾岸戦争◎

 さて、小生の体形変化(テレビを見過ぎて運動不足におちいり少しお腹が出てきた)に若干の影響を与えた湾岸戦争は、とりあえず終り、やれやれといったところです。しかし、アメリカを主とした多国籍軍の徹底的圧倒的勝利で終ってみると、なにかスッキリしないものが残りました。知合には、アンチ・アングロサクソンになってしまったものもいます。とりあえず、戦争中の「ひとりあそび」の原稿です。

「戦争報道のBGM」

 国際政治学者、軍事専門家、ジャーナリスト、政策のない政治家、いわゆる評論家、新聞投書愛好家、文学者・・・などの人々の、この戦争に対する感想にこのごろ毎日接している。当たりまえだが、ほとんどの人々がこの戦争には反対だと言っている。もちろん小生もこんな馬鹿げた戦争には反対である。しかし、ほとんどの反対意見は、すぐ戦争を止めさせる現実性がなく、神様的視点である。かく言う小生も、どうやったらいいか分らない。どんなことをしゃべっても無力感がつのる。だから、ここで素人的にわか評論家然と世界の秩序がどうの、だからアメリカはアホだとかイラクに同情するとかは書かないし、また少ない情報では書けない。しかし、90億ドルの殺人機器購入金及び殺人謝礼金をコクミンから徴収するのだ、などと言い出した我が政府自民党の没主体的無脳馬鹿的政策には、無力感などと言っているわけにもいかないし、できるだけ不服従の輪を広げて抵抗しなければならない、と思う。アメリカや日本の正義の論理のアホさ加減やまやかしにまんまと乗せられている人々に、自己の短期的利益のみに目のくらんだ人々に、ダマサレルナと訴える努力をしなければならない。

 ここでは、戦争開始以来かなり気になった、戦争報道における背景音楽についての若干の考察を申し述べたい。

 我が家では、ケーブルテレビ用アダプターを設置したので、この頃CNNをよく見るようになった。早口の英語はついていけない場合が多いが、まあ、難しい単語はすっ飛ばして聞いても、どんなトピックかはなんとなく分る。CNNは今、24時間ぶっとおしの湾岸戦争報道です。ちなみに、アメリカでは、戦争開始以来、飛躍的に契約者が増えたそうです。

 もどかしいほど現場の情報が少なく、嫌になるほど周辺の予測情報の多い報道だが、ときおり映る血まみれの怪我人や油まみれの海鳥をみると、ただ事ではないと思う。よくない、と思う。しかし、どうにも実感に乏しい。意識的にそう見えるように画面を作っている気もする。何故なんだろうと思っていたら、絵の作り方や音楽も一因だということに気がついた。

 CNNのタイトルが、まず、ハリウッド映画の会社のシンボルのようだ。戦闘意欲促進的字体(70年代のタテカンの字体に似ている)と言ったらいいか、大スペクタクル場面期待的字体と言ったらいいか、炎の色であるオレンジに赤の縁どりをした太字のこまぎれが、気分高揚的音楽とともに湾岸の地図の上に収束する。WAR IN THE GULF。映画のノリである。そしてアンカーや特派員の淡々とした戦況報告や、政府や戦争専門家のコメントなどが流れだす。ニュースの区切りには、リズミックなエレキベースのパターンにかろやかなフィンガーピアノの高音域アルペジオが重なり、シンセトランペットのテーマメロディーが次第にスペクタクル場面の到来を予告するかのように高みに向う。この音楽を背景に、ジェット機の離発着、ミサイルの装着、汚染された海、戦車や装甲車の砂漠を疾走するの図、爆弾落下現場などが何度も何度も映される。どうも、ウォークマンを聞きながら雑踏を歩く感じに似ているのだ。ウォークマンをつけて街に出ると、街の風景が音楽によって変質し、まるで映画の一場面のように非現実なものになる。しかも、音楽の内容によっても同じ風景が異なって見えてくるものだ。

 で、あの、タイトルバックの音楽は、湾岸戦争番組のために特に委嘱されたものなのだろうか。だとしたら、作曲家は、戦争を単なる戦争映画に変化させる効果を実にうまく出している。結構かっこよい曲なのだ。また、編集者が曲を選んだのであれば、かなり計算された戦争遂行者の意志が感じられる。

 とりあえず音楽を職業としているものとしては、CNNの音楽を聴いて、複雑な思いになったのでありました。音楽は文字どおり音を楽しむことなのではありますが、使われかたによっては、血みどろの戦場を作り物のように変えることができる。現実のシーンに背景音楽を加えると即座に映画的になってしまう。

 戦争の直接当事者である公然殺人公務員(軍人)とその雇人たちは、当たり前だが、人殺し、つまり人間の四肢筋肉血骨臓脳性器の致命的効率的破壊作業をしている。しかし彼らにとっては、この直接的作業をあからさまにそのまま知らせて人々の根源的心情を刺激したくない。正義という論理で自我が安定している状態を脅かされる。自我の安定のためには人間はなんでもするわけで、利用できるものはなんでも利用する。音楽もその例に洩れない。

 楽しいからいいじゃん、と楽天的に音楽している人も、ちょっと気をつけなければならない。少なくとも、戦争という最も虚しく馬鹿げたことに利用されないように気をつけなければならない。音楽が共同幻想の補完物になったとき、楽しさや美しさからはかけ離れてしまう。

 と、CNNを見ていて、小生は感じたのでありました。

◎インディアンの手紙◎

 上記を書いているときにふと思い出したインディアンの手紙を、続いて脈略なく紹介します。今から133年前の、現在のわれわれの状況をするどく指摘した切ないような文明批評です。

 1858年、ワシントン州のインディアンの酋長からアメリカ大統領にあてた手紙

 あなたがたの都会のありさまは、レッドマン(インディアンのこと)の目を痛くします。だがそれは多分、レッドマンが野蛮人で頭が悪いからでありましょう。

 白人の都会には静かなところが一つもない。春の芽ぶきや、虫の翅のこすれる音に耳を傾ける場所がありません。だが、たぶん私が野蛮人で理解できないために、物音が耳を侮辱するようにしか聞こえないのでありましょう。インディアンには池の面を撫でて渡る風の柔らかな音や、真昼の雨に洗われた風、ピニョン松のかぐわしい香りのする風の匂いがすきです。空気は、レッドマンにとっては貴重このうえないものです。獣も、木々も、人も、あらゆるものが同じ呼吸を分かちあうのですから。白人は自分の吸っている息に気がつかないように見えます。何日も前から死にかかっている人のように、白人は臭い匂いを嗅ぎ分ける力がないのでしょう。

 獣を失った人間は何ものでありましょうか。もしも獣たちがみんないなくなってしまったら、魂の寂しさに耐えかねて人も死んでしまうにちがいない。獣たちに起きることは、人にもまた起こることなのですから。すべてのことは、より合わされています。大地の上にふりかかることは、大地の息子たちにもふりかかるのです。

 われわれが残された日々をどこで送るかはたいしたことではありません。もはや、そう長くはないのですから。あと何時間かのちには、あるいは冬があと何回か来て去ったのちには、かつてこの地に生き、小人数の隊をつくって森林を徘徊した偉大な種族の子供たちは、遺されて、その昔あなたがたと同じほど力と希望にあふれていた祖先の墓に涙をそそぐのみでありましょう。

 白人もまた、いつかは死ぬ。おそらくは他の種族よりは先に。あなたがたの寝床を汚し続けていかれるがよろしい。ある晩、自分の汚物で窒息するでありましょう。バッファローがみんな殺され、野生の馬が飼い馴らされ、森のすみずみまで人間の匂いがしみつき、豊な山野の風景に電話線がクモの巣のようにかかってしまった今、その昔の静まりかえっていた森はどこへいったのでしょうか。消えたのです。鷲はどこへいったのですか。いなくなったのです。自由に山野を駆けめぐり猟をすることに別れを告げることはどのようなことでありましょう。生きることの終り、あやうく生きのびることの始りではないのですか。白人が明日のいのちに想いをいたすために抱く夢のかずかず、長い冬の夜に子供たちに聞かせるのぞみ、心に燃やすあこがれがどのようなものであるのかがわかったら、われわれにも理解できるかもしれない。たが、われらは野蛮人であります。白人がたの夢はわれらにはとうていわかりません。

  (訳=片岡しのぶ)

◎昨年、神戸新聞に書いた記事◎  

 神戸は、アジアの人々、特に中国人、朝鮮・韓国人、インド人などが混然と住む、日本でもユニークな香りを持つ都市である。わたしは、こうした神戸の独自性をより生かす意味で「アジアの音楽シリーズ」を昨年から開いている。来る十一月十六日夜半から十七日未明にかけてのオールナイトコンサート、「アジアのスーパーフルーティスト」は、その第三回目である。このシリーズの基本的な考え方は、日本とアジアの伝統古典芸能を同時に視聴することで、その違いと共通点を理解しようということである。また、同様な発想から、神戸発のエスニック(この言葉はあまり好きではないが)レコードの自主制作も始めた。

 わたしたちは、先に挙げたアジアの人たちと長いあいだ隣人として住んでいるにもかかわらず、互いの文化的な交流が少ない。食文化においては、神戸は充分にその独自性を示してはいるが、こと芸術文化の面では、決して誇れるような環境ではない。音楽文化に限って言えば、相変らず西洋古典音楽は「高級」であり、アジアの隣人たちの長い伝統を誇る素晴らしい古典音楽は、未だに「変った」「珍しい」ものとしてみなされている。

 この六月、シリーズ二回目の「エキサイティング・ガムラン+和太鼓」というコンサートを、ポートアイランドのジーベックホールで開いた。さいわい、三百人しか入れないホールに延べ五百人以上の人が聞きにくるほどの盛況だった。神戸からの人は意外に少なく、大阪や大阪近郊、京都の人が多い。遠くは岡山、静岡からの人もいた。このコンサートは集客という意味では成功だったと言えるが、採算性から言えばスポンサーの協力抜きには成立たなかった。一定の水準を保ち、かつ入場料の安い演奏会を目標にしているので、当然、なんらかの援助がなければ、興業的に採算は取れない。

 このコンサートでは、インドネシアの企業(以下G社)が、スポンサーであった。G社の協賛金は、日本的基準から言えば大きな金額とは言えないが、インドネシアの労働者の年収分にあたると聞いた。G社にとって、遠く離れた日本の小さな催しへの協賛は、実質的に何の利益にもつながらない。にもかかわらず、インドネシアのためになるならば、と快く引受けてくれた。

 神戸の企業にも協賛依頼に回った。しかし、どの企業も協賛を断った。理由は、協賛するメリットがないと言うことである。この種の催しは公官庁がバックアップすべきだ、と言う企業もあった。アジアものではねえ、と言う人もいた。結局は、よく分らないもの、投資効果がすぐ期待できないものには金は出せない、と言うことである。

 さすがに日本は世界に冠たる経済大国であるとヤケクソに納得した。経済大国では、利益につながらない投資はしないのだ。また、先のことは分らないからという論理で、すぐ目に見える投資効果しか計算しない。したがって、歌舞音曲にゼニを出す、なんてことは、それがイメージアップや商売にならない限り無駄な投資なのである。このごろ流行の、企業利益の社会への還元だとか文化振興云々を標榜する冠コンサートだってちゃんと計算してやっているのに違いない。社会への還元と、文化振興を真剣に考えているのなら、あんなに高い入場料は取らないはずだ。無駄なゼニをいっさい使わず、さらなる利益を追求する、これが経済大国の秘訣なのだ。ふむふむ、そういうことなのだ、などとわたしは弱々しい独り言をつぶやきつつ、妙に悲しく切ない気分を味わい、一方、企業メリットなどと一言も言わずに協賛してくれたG社の心意気に感動したのであった。

 わたしは、ここ二年、バーンスリーの修業のため毎年インドに行っている。普段つきあうのはインドの人であるが、たまに、現地に赴任している日本企業の人たちと話をする機会もある。彼らと話してつくづく感じるのは、現地の文化に対する無関心、そして現地の人々に対する尊敬の無さである。こちらから尊敬しなければ当然、相手だって尊敬はしない。この加速的相互不尊敬状況がますます進行しているように思える。現地の人とは商売以外の深い交渉はしない。メリットがないじゃない、とはっきり言う人もいた。こんな人間関係の中に相互尊敬の余地はない。このようなことは、おそらくインドだけではなく、他のアジア、また非西洋の国々でも変らないと思う。

 わたしたちは、こちらから出かけて行かなくとも日常的にアジアの人々と接することのできる神戸に住んでいる。大阪や東京の人が、神戸へ行けば、おいしい中華料理やインド料理ばかりではなく、素晴らしい非西洋音楽も安く日常的に聞ける、ということになれば、加速的相互不尊敬状況もすこしは解消されるし、神戸も捨てたものではないと人々は思うに違いない。そんな思いで、毎回スポンサー探しに明け暮れながらコンサートを開いている。

 ◎これまでの出来事◎

 このコーナーは、年々エントロピー的に増大する物忘れ傾向にたいする小生の忘備録としても書いています。

◆10月20日/和歌山浄土宗青年会会合での演奏会/タブラー:吉見征樹、タンブーラ/松本泉美、バーンスリー/中川博志

 国道沿いの温州みかん売りで、ジッチョクそうなおばさんに、

「甘くておいしいよおー」

 と言われて、つい大量に買ってしまった。

 ところが、おいしいと思って試食した部分は、箱の上部一列のみだった。捨てるのはもったいないので、しばらくのあいだ、アーア、ダマサレタ、ダマサレタといいつつ食べました。

◆10月24日/関西エルム会総会アトラクション/三井アーバンホテル

◆11月1日/タイ王国伝統芸能 「ナン・ヤイ(影絵芝居)/新神戸オリエンタル劇場/主催:淡神文化財協会、アジア民族造形研究所、五色町、国際交流基金アセアン文化センター/出演者: 人形使い15名+楽器演奏者5名(タイの人間国宝もメンバーに入っている)

 インドの古代叙事詩「ラーマーヤナ」に基づいた物語を影絵で上演するというものでした。

 本来は長時間の出しものを、平均的日本観客舞台忍耐時間の2時間にするところに無理がありました。

◆11月9日/枚方ライブ/タブラーの吉見征樹さんと

◆11月10日/インド音楽ライブや象/大阪・アイル モレ コタ/シタール:田中峰彦、タブラー:吉見征樹、バーンスリー/中川博志

◆11月16日PM9:30~17日AM5:30/アジアの音楽シリーズ第3回コンサート/「アジアのスーパーフルーティスト」/ジーベックホール/出演者/バーンスリー/ハリ・プラサド・チョウラシア、バーンスリー/ルーパク・クルカルニ、タブラー/アニンド・チャタルジー、笛子/劉宏軍+二胡+楊琴、ジョン・海山・ネプチューン/尺八+三味線+十七弦+十三弦

 期待に違わぬ素晴らしいコンサートになりました。演奏途中に、我が師、ハリジーのバーンスリーが湿度の変化によるものなのか、ぴしっと音をたててわれるというハプニングがありました。小生ならば狼狽してしまうところを、彼は平然と最後まで演奏し続けたのは、さすがプロという感じでした。ライブの模様は録音しましたのでそのうち天楽企画発CDとなるはずです。

◆11月18日/ハリジー歓迎パーティー/神戸鴨子ケ原・中西勝宅

 須磨の一弦琴が素晴らしかった。

◆12月8日/高橋アキ・プレイズビートルズ/ジーベックホール

◆12月27日/天藤建築設計事務所忘年会/有馬グランドホテル

◆12月28日/宝地院忘年会

◆91年1月3日/新春麻雀大会”雀仙会”/神戸鴨子ケ原・中西勝宅

 役満をあがった小生が2回目の優勝、なんと配偶者が2位。

◆1月19・20日/クロスカレントコンサート/京都KSKホール/クロスカレントは、京都在住のアメリカ人、日本人のミュージシャンで構成される無国籍風臨時バンド。小生も参加しました。

◆1月25日/インド領事館主催リパブリックデイパーティー

◆2月3日/「バンドは楽しい」コンサート/大阪IMPホール/出演・りんけんバンド、上々颱風、オルケスタ・デル・ルス

 やっぱりりんけんバンドは良いのです。しかし、PAが余り良くなく、ノリがもう一つ。

◆2月14日/明石婦人生活大学OB会/小生の演奏と露の団五郎の落語でした。

◆2月17日/バレンタインコンサート/貴生川公民館/インド音楽のレクチャーと演奏

 公民館の中村道男さんは、昨年からの天楽企画のコンサートに欠かさずこられている人。当日はすごい雪でしたが、なかなか良い雰囲気でした。

◆3月6日/「りんけんバンド」ライブ/神戸・チキンジョージ

 条件のよいライブでした。トモチャンの歌唱は今回が最高でした。これまでは、いつも少し音程がずれていて若干気になっていたのです。りんけんバンド追っかけの小生は、再前列で孤高の踊りをやっていました。回りは若い人たちでしたのでかなり浮き上がっていたようであります。

◆3月22日/ダンスリー定期演奏会/吹田メイシアター

 気持の安らぐ演奏会でした。

◆4月6日/「雅の音楽」コンサート/主催・ジーベック、企画・天楽企画、出演/アミット・ロイ、パビットロ・デブナート、雅楽グループ「ら・む~」

 これは「アジアの音楽シリーズ」第4回目のコンサート。パビットロのタブラーと雅楽の合奏は非常に良かった。アミット・ロイは一段と成長したようです。

◆4月11、13、14日/インド古典音楽演奏会/新潟県民会館小ホール、山形県生涯学習センター、仙台市青年文化センター

 アミット・ロイの東北ツアー。小生は山形の実家に飛び、そこで実家の軽自動車を借りて新潟へ。鈴木静子さんのお宅にお世話になりました。坂道になるとスピードががっくり落ちる実家の軽自動車で新潟を後にし、津川温泉で芯まで身体を重くし、ラーメンの故郷喜多方をかすめ磐梯山を仰ぎつつ猪苗代湖を回って夜半、小生の両親にいる赤湯へ。「標準語よりズーズー弁のほうがずっとクリアー」だというアミット・ロイは、通じているのかどうか両親と結構会話をし、パビットロには嫌いだという海苔を連日強要し、次の日、近所の素晴らしい温泉宿「いきかえりの宿、滝波」の須藤さんの好意に甘え、またまたぐったりとなるほど温泉に浸かり、そのけだるい感覚のまま山形の会場へいき、山形公演の主催者、小玉夫妻と一緒に山形市で月美八と言うラーメン屋をやっている叔母の招待を受け、世界一のラーメン(真実、世界一おいしい)を食べ、(「このような美味なるもの、かつて食したことがない」とアミット・ロイとパビットロに言わしめた)、2日に及ぶ温泉疲れにもめげないアミットの素晴らしい演奏を聞き、打ち上げでパビットロが完璧にできあがり、赤湯に帰ったのが深夜2時。睡眠不足のまま仙台へ行き、待ち構えていた青年文化センターの高橋さんと打ち合せ、400人を越える聴衆の前で無事演奏を果し、ワディ・ハルファのマスター、中田さんとともにメキシコ料理の打ち上げ、山形では変なバングラデッシュ人留学生のために苦杯をなめたパビットロはミキチャンというかわゆい女の子と波長が合い、そうこうしているうちに小生のみ、その打ち上げが終った後再び軽自動車を駆って赤湯へ。たどりついたのが深夜2時。次の日、ヒコーキで山形から神戸に帰還。いやはや、素晴らしくもほろ苦く少々の疲労を伴った東北ツアーなのでした。

◆4月21日/芋煮会/再度山河原

春秋恒例の芋煮会でしたが、その日たまたま、ダンスリー・ルネッサンス合奏団のフィーデル奏者でかつ「たぬき」という焼肉屋をやっているパクさんと、昨年「エキサイティングガムラン+和太鼓」のチラシデザインをしてもらった劉さんの結婚式があり、小生は盛大な2次会に出席しました。

◆4月26日/アミット・ロイ演奏会/京都KSKホール/企画・天楽企画

◆4月28日/ボンベイの佐々木夫妻+3、相馬さんと神戸に。おいしいけど、徹底して愛想の悪いベトナム風中華料理屋「鴻華園」へ。

◆4月29日/カクラバ・ロビ演奏会/六甲

14しかない木製のシロホン、コギリは、カクラバさんによって大シンフォニーのごとく響き感激でした。

◆5月5日/1000人によるパフォーマンス/ウドゥロ・ウドゥロ/京都・仁和寺

 小生と配偶者はヴォーカルを担当、なんて言うと格好いいですが、あーー、とか、うーーとかで済む簡単なもの。主催者である藤島さん夫妻は、1000人集まるかしら、と言っていましたが、参拝客や観光客を引張り込み大人数にふくれ上がり、パフォーマンスもなかなかで作曲者のホセ・マセダ氏も満足の一日でした。見知った顔がかなりいて、やあやあ、の社交場のごときでした。仁和寺から京都駅まで歩いたら心底疲れました。

◆5月7日/高田みどりさんと大谷大学へ

 高田さんと同行した「つるかめ・アートコーポレーション」の平田さんに、なにげなく郷里をたずねたところ、なんと彼女は小生の母校長井高校の後輩と判明。しかも、小生が創立メンバーである栄光のブラバンだというではないですか。いやはや。京都ははずめでだす、という平田後輩と高田さんとで竜安寺へいき、湯豆腐を食べました。

◆5月17日/大谷大学/ジャズと尺八コンサート

 元たきおバンドの水川さんの尺八でした。もうちょっと尺八の独自性を出せたらと思いました。

◆5月19日/インド音楽、演奏とレクチャー/奈良・チャイチャイアジア/タブラーの吉見さんとエスラージの松本さん夫妻と

 午後2時から7時までの長丁場。チャイチャイアジアは、それぞれチャンとした会社でキャリアを積んでいる人たちが集っている団体というかサークルというか。メンバーの中に配偶者と関係の深い会社の人がいて、かつ配偶者を知っていると聞き、全く世間は狭いと感じたのでありました。

◆5月26日/クロスカレントライブ/京都・高島屋

 クロスカレントは、京都在住のアメリカ人と日本人のミュージシャンで構成される多国籍バンド。小生も参加しています。

◆5月30日/心斎橋パルコオープニング/「志多ら」太鼓/企画・天楽企画

 心斎橋筋を通行中の人々が、3尺8寸の大太鼓にギクッと振向いたのが印象的でした。「志多ら」は、鬼太鼓座の流れにある太鼓集団で、技術的に非常にすぐれています。メンバーの吉村信介さん、城太郎さん、橋本さん、大島さん、太田さん、村松さん、チョボさん御苦労様でした。

◆6月2日/アミット・ロイライブ/ラジオ関西さんちかサテライトスタジオ

 決して静かな環境ではありませんでしたが、これまでラジオで25分もぶっとうしでシタールが流れることがなかったので、それなりに意味のあるものだと考えています。

 本番後、アミットが鯉カリーをつくるぞ、と宣言したので買物へ。30センチぐらいの鯉をぶつぎりにして煮込んだ「おふくろの味」カリーでした。しゃばしゃばしたカリーだと、御飯がいくらでも食べれるのです。近所の津村喬さん一家にも協力してもらい、お腹が苦しくなるほどのカリーパーティーなのでありました。

 ◎これからの出来事◎

 

◆6月9日/山中浩子+ピーター・クラット結婚及びサクラ・ラリタ・クラット制作発表会/堺・山中宅/16:00PM~

 サクラ・ラリタは4月10日に誕生しました。

◆6月16日15:00PM開演/「がんばれ地球の子供たち」/東京・日生劇場/出演者 ハムザ・エル=ディン、高田みどり、高橋アキ、吉原すみれ、劉宏軍、友部正人、金昌国など/\35,000-\5,000-\4,000-\3,000/問い合せ/実行委員会/電話03-3359-0800

 ハムザ・エル=ディンさんの呼びかけで集った演奏家たちのチャリティーコンサート。

◆6月25日/兵庫文化サロン第1回/アジアの食について考えるシリーズ第1回/北上ホテル白雲の間/参加量一回\1,000,5回通し\4,000/18:30~20:00PM/主催:淡神文化財協会

 淡神文化財協会は、考古学発掘調査の団体です。これから、文化的な活動を展開するということで、小生もアドバイザーとして関わりました。

 このサロンは取り敢えず5回シリーズでスタートします。ラインナップは以下の通り。

6月25日/第1回「アジアの食文化」
講師:金子量平(アジア民族造形文化研究所長)

7月15日/第2回「アジアの麺」
講師:奥村彪生(神戸山手女子短大教授)

8月19日/第3回「うつわと食文化」
講師:阿部嗣治(淡神文化財協会代表)

9月17日/第4回「スパイスのはなし」
講師:中川博志

10月21日/第5回「お米のはなし」
講師:津村喬(評論家、関西気功協会代表)

◆7月6日/アミット・ロイコンサート/京都・大谷大学/午後/タブラー:吉見征樹/入場料:無料

 大谷大学恒例のライブです。

◆7月7日/早朝コンサート/六甲山腹のどこか/4:30AM~6:00AM/詳細は未定/バーンスリー:中川博志、ヤンチン:友枝良平、タブラー:古幸邦拓

◆7月21日/「夏だ!夏だ!ガムランだ!」「アジアの音楽シリーズ」番外編/バーズビル(神戸・住吉)/出演者:ガムラン・ダルマ・ブダヤ/\2,500前売\2,000)/企画・制作・主催:天楽企画/ぴあ、セゾンなどで6/15販売開始/電話予約は小生まで

◆8月10日、11日/"MUSIC FOR THE ETERNAL CYCLE"コンサート/京都・MIJOR HALL/出演=友枝良平:ヤンチン、逆瀬川健治:タブラー、慧奏:パーカッション、中川博志:バーンスリー他/作曲構成:友枝良平

◆8月19日/バーンスリーライブ/神戸三宮・フーケ/バーンスリー:中川博志

◆8月21日~23日/EARTH CELEBRATION/佐渡・小木町/出演=鼓童、スアール・アグン(バリの巨竹打楽器アンサンブル)、ミルトン・カルドーナ&エヤ・アランラ(アメリカ)、アジャ・アディ(ガーナ)など

◆9月14日、15日/アジアマンス/福岡/出演予定者=グヌン・ジャティ(60名のケチャ)、PT. D.K. DATAR :バイオリン、R.KULKARNI:タブラー、ヤクシニ谷沢+PT.VIJAY SHANKARと来日伴奏者

◆9月18日19:00PM~22:00PM/「アジアの音楽シリーズ」第5回《インドの超越暝想ヴァイオリン》/神戸・ジーベックホール/PT.D.K.DATAR:バイオリン、R.KULKARNI:タブラー/\3,000(\2,500)

 「アジアの音楽シリーズ」もいよいよ第5回目です。今回はインドのヴァイオリンです。タブラーのラグベンドラは、昨年ハリ・プラサド・チョウラシアとともに素晴らしいバーンスリーを聞かせてくれたルーパクの兄です。御期待下さい。スポンサーを募集中です。

◆9月29日15:00PM~/《インドの超越暝想ヴァイオリン》/仙台市青年文化センター/PT.D.K.DATAR:バイオリン、R.KULKARNI:タブラー

◆10月27日13:00~14:30,18:00~19:30/世界の竹笛楽器による美の競奏-竹の音楽・風のハーモニー/徳島県阿南市民会館大ホール/出演予定者=阿南阿波踊り連、三橋貴風:尺八、劉宏軍:中国笛、岩田英憲:パンフルート、中川博志:バーンスリー他

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 サマーチャルはニュース、パトゥルは手紙、という意味のヒンディー語です。個人メディアとして不定期に発送しています。美奈様の情報もお待ちしておりますのでよろしくお願いします。

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