「サマーチャール・パトゥル」10号1992年1月15日

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。

あけましておめでとうございます。年賀状を下さったかたがた、ありがとうございます。

◎久代さんの関白宣言◎

 なんとなんと、だいそれたことに、精神的協力者である配偶者は、恒例の中西勝家正月麻雀大会の自画自賛的自己紹介挨拶の場といういわば公の席で、こう宣言したのでありました。

「最近わたしは、オトウサンです。最初は博志さんがオトウサンさんで、わたしがオカアサンでした。そして、わたしも博志さんもオトウサンという時期がありましたが、最近では博志さんが掃除洗濯炊事関係をそれなりにこなすようになり、オカアサンとして完璧に近くなってきました。いまや家事における未踏の分野として残っているのは、アイロンかけと繕いものだけなのです」

 自画自賛的自己紹介挨拶の場でありますから、彼女は言外に、これほどまでにオットを教育した自分を褒めてやって下さいと言いたかったのだ、と理解するのが自然でありましょう。確かに。はい。間違いありません。そうです。現在、我が家は、女性配偶者(久代)が会社勤めで毎日10時に出かけ、わたしは彼女がいない間ほぼ家にいまして、買物をし、御飯を炊きオカズを作り、掃除をし洗濯をしてベランダに干し、ビールを冷やし、各種訪問販売勧誘員攻勢を切り抜け、浪費を警告しつつゼニ関係を管理し、配偶者が家事に煩わされることなく仕事に専念できるようにと心配り、会社関係のさまざまなグチをふんふんと聞き、ポイントをついた適切なアドバイスをし・・・、と、なんとまあ、理想的な配偶者になりつつある自分を発見するのでありました。などと書くと若干語弊がありまして、ちと言い過ぎ。一般的オカアサンを毎日やっているわけではないのであります。しかし、いつの頃からか、中川家女性配偶者が上記の家事作業全般から徐々に撤退し、いまや彼女がほぼ何もしないという事態になっているのは、隠そうと思えば隠せるが隠しようのないまぎれもない事実です。わたしも、ときどき自己紹介するときに「主夫です」と言ってしまうぐらいです。まあしかし、主夫のかたわら趣味でバーンスリーやってます、とならないようにしなければ正真正銘のほんまもんの主夫になってまう、という男性性危機意識のようなものがないことはないのです。とまれ、久代さんの宣言を聞いた後、麻雀大会主催者であり主婦、中西咲子さんは、来年の大会準備の台所仕事は博志さんへ、と重大な決心をしたもようで、波紋はすでに大きく広がったのでありました。麻雀大会の結果ですって?はい。久代さんがどうどうの2位、わたしは7位でした。

 ◎サイキック・ナミング psychic numbing◎

 この言葉は、NHKの正月番組で大江健三郎と立花隆が対談していたときに出てきました。

 意味は、心理的麻痺状態です。人間が大規模な破壊などの変動に直面したとき、そうした変動に対する判断や対処から逃避し心理的麻痺状態になってしまう現象。などと大げさに書くとにわかに大変なことになってしまうのですが、要は、たとえば、このサマーチャル・パトゥルを書かねば書かねばとずっと考えていたのに、インド音楽愛好関係者農閑期に入って時間もずっとあるのに、やらなければならない仕事もずっと少ないのに、コンピューターの電源を入れ、さあ書くぞ、と決意してキーボードに触れたとたん、にわかに頭がぼんやりし、やりきれないほど非生産的で終えたあとがっくりと後悔の念に苛まれるコンピューターゲームに、気が付くと何時間も費やしていたりするようなときのわたしの心理状態に近いのかな、あるいは、銃殺寸前の人があと数秒後には確実に死ぬことが分っているのに、射手の服にかすかに残るコーヒーの染みが気になったりするような心理状態のようなものかと理解したのでありました。

 番組では、人類の危機との関係でこの言葉を使っていました。たとえば、いま地球的規模で環境問題が深刻になってきています。この環境問題は、単なる自然環境破壊進行という意味ではなく、いわゆる南北問題や人口問題、政治的経済的問題などすべてがリンクしあっている複合的な問題です。いまのままいくと、いずれは地球は破滅し人類は絶滅する、といわれれば世界中のだれもが納得し、何か対処しなければと誰もが思うわけです。しかし、そういう問題が厳然とあり、それに対してなんとか手を打たなければと誰もが思っているにもかかわらず、それがあまりに大きく危機的でややこしい問題であるために、サイキック・ナミングに陥ってしまう。なすすべもなく確実に状況の悪化が進行していく。大量のエネルギー消費による二酸化炭素の放出で地球が温暖化していく、深刻なことになりますよ、という新聞記事やテレビの報道を見て、ふんふん、なるほど、さあ、たいへんだ、ほんま、どないなるんやろか、気いつけなあかんなあ、などと考えるのに、ちょっと寒かったり暑かったりすると、ま、とりあえず、いいか、てな感じでエアコンをつけ、歩ける距離にもかかわらず、公共交通手段を使った方がずっと速く安く確実に着けるのに、明らかに渋滞が予測されているのに、ま、とりあえず、いいか、てな感じで、自家用車に乗る。こうしたもろもろの個人的なささいな、「ま、とりあえず、いいか」感覚の集積が問題なのでありますね。この、「ま、とりあえず、いいか」と思った瞬間が、心理的麻痺状態、すなわちサイキック・ナミングなんでしょうね。

 こう考えてくると、わたしたちは日常的に「ま、とりあえず、いいか」を繰り返しているわけです。現にわたしは、のどがひりひりするのに、毒だと分っているのに「ま、とりあえず、いいか」とタバコを吸っているのです。人類というのはこれまでいろいろな智恵と想像力を獲得し、かなりの精度で未来を予測したりすることができるようになっているわけなのでありますが、その予測が明るい場合はいいとして、個人個人の手に負えないような危機的未来が予測されるようになってくると、「ま、とりあえず、いいか」的サイキック・ナミングに陥り、結局、絶滅へのスピードアップを無意識にはかっているのであったのであらうか、とテレビを見つつ考えたのでありました。できるだけ「ま、とりあえず、いいか」をやめたい、というのがわたしの、「ま、とりあえず」の年頭所感でありました。

 ◎ボンベイバーンスリー修業◎

 さて、昨年はコンピューター購入という多大な出費で行けなかったインドへまた行きます。この月の19日に伊丹を発ちまして、3月10日に帰国予定です。5年間有効のインドのビザももらいました。19日のエアーインディアです。偶然にも、同じ便で、今やスイスに居住するタブラーの山中浩子さんのダンナ、ピーターも乗ることになっているのです。彼らは長女サクラを伴って堺の実家に来ているのです。

 ところで、昨年ヴァイオリンのダタールさんと一緒にきたタブラー奏者、ラグベンドラによりますと、彼の地でわたしの初のインド公演を準備するとの由、ひょっとすると公演が実現するかもしれません。大変なことになりました。といいながら、昨年の12月から歯の治療やら忘年会やらでまともに練習していないのですが。どうなることか。

 あ、そうそう、ダタールさんとラグベンドラの演奏録音をCD化する準備をしています。願望としては4月に発売したいと考えています。ご希望の方は、お早目にわたくしまでご連絡ください。第1枚目のアミット・ロイのCDは、ほぼ売れまして、あまり在庫(1000枚製作し現在は60枚)がないようになりました。ご支援ありがとうございました。

 で、インド行のことでした。例によってわたしの連絡場所は、以下の3ヵ所になる予定です。

c/o Mr.Norio Sasaki
No.14,B-6,Khira Nagar
S.V.Road,Santacruz(W)
Bombay-400054
℡(001-91-22)-6132631

c/o Pt.Malhar Kulkarni
a/3,Matrukripa,Opp.Don Bosco
L.T.Road,Borivali(W)
Bombay-400092
℡001-91-22-6010949

c/o Pt.Hariprasad Chaurasia
Savitri 19th Road
Khar,Bombay 400052
℡001-91-22-6463535

 配偶者は、もし時間がとれたらバンコクで落合おうではないか、そして列車で南下しシンガポールへ行きたいと。で、途中のSONGKLAで下車し、昨年しりあったピトウォンさんに会う。シンガポールでは、わたしの義理の弟である駒井さんのいとこである人のところに厄介になると。なんてことを画策もしているのでありますが、オトウサンの取得可能休暇日数及び時期と意思がいまだ判然とせず、どないなるかわかりまへん。

 ◎今年の「アジアの音楽シリーズ」◎

 今年は、アジアの音楽シリーズを3回開催したいと願望しています。もちろん例によってスポンサーが見つからなければ取り止めの可能性もありますが、下記の様な企画を、初めて日本文化芸術振興基金の助成要望書に書きました。もらえなくてもともとです。

●第7回コンサート「爪弾き、歌う」(仮タイトル)

とき/1992年6月28日(日)19:30PM~21:30PM

ところ/ジーベックホ-ル

出演予定者/ハムザ・エル=ディン/ウード・  タール・歌/徳久寿清 JUKIYO TOKUHISA/三線・歌/棚崎富子 TOMIKO TANASAKI/三線・歌・相方

プログラム(案)

 第一部  奄美島歌

 第二部  アラブの語り歌

企画主旨抜粋

-この企画で第7回目をむかえる「アジアの音楽シリーズ」は、日本と他のアジア諸国の伝統芸能をより広く紹介する目的でスタートしました。アジアを中心とした各民族の音楽芸能と日本のそれとの共通点、相違点を同時に見聞きすることで確認し、この出会いから新たな創造の芽を育てることを主眼にしています。

 また、ここ神戸は、アジア諸国、特に朝鮮・韓国、中国、インドなどの人々が多数定住し、独特の雰囲気をもっている都市です。こうした神戸の独自性は、それぞれの文化と日本のそれとの不断の交流によって成立ってきました。本シリーズは、こうした独自性をもつ神戸のより一層の文化交流の活動としても意義深いものと考えています。

 これまでの本シリーズでは以下の公演をもち、毎回好評を得ています。

 第1回『真言密教とインドの音楽』

  1989年11月25日入場者数約300名

 第2回『エキサイティング・ガムラン+和太鼓』

  1990年6月24日 入場者数約500名

 第3回『アジアのスーパーフルーティスト』/オールナイト

  1990年11月16日~17日 入場者数約300名

 第4回『雅(みやび)の音楽-日本と印度』

  1991年4月6日 入場者数約300名

 番外編『夏だ!夏だ!ガムランだ!』

  1991年6月21日 入場者数約300名

 第5回『インドの超越暝想ヴァイオリン』

   1991年9月18日 入場者数約300名

 さて、この度取上げるのは、奄美大島に伝わる島唄と、アフリカ・ヌビアに育ったハムザ・エル=ディンの歌です。奄美とヌビア、まったく異なった環境で育まれた歌なのですが、共に撥弦楽器を爪弾きながら歌う点で共通しています。

 奄美大島や沖縄を始めとした日本の南諸島では、歌が生活に密接につながり、現在でも数多くの歌が生産されています。そこでは、歌が消費され消えていく、といった現在の内地の音楽状況とは異なり、生活者が同時に歌の生産者であり、歌い手なのです。また、近隣の島々や中国、朝鮮など海を伝ってくる様々な民族の文化が混ざりあった独特の「国際性」が、その絶え間ない創造に寄与してきました。

 ハムザ・エル=ディンの、ウードを爪弾きながら歌われる歌にも、生きることと密接につながった底深さと、国際性があります。彼は、アラブ世界の人間でもあります。ですから、アジアの一部である中東から広がった広大な文化圏を感じ取ることができます。しかしなによりも、彼のシンプルな歌い口から感じることのできるものは、生きることが、民族、習慣、文化などの違いをこえて普遍的である、というメッセージです。そこには、奄美の島唄とヌビアのそれを隔てるものはありません。

 今回の企画意図は、爪弾き歌う、という共通性だけではなく、上述のような、生活とつながった、歌、音楽を共に聴くことで、人間の生きることの普遍性と、その表現の文化による違いを感じとることです。-

●第8回コンサート

 これは、オールナイトコンサートです。オールナイトですと、結構費用がかかり、かなり協賛金を集めないとなかなか難しいのですが、是非実現したい。ゼニの余っている人を募集中です。一応、仮に以下の様な企画を立てています。

 ザ・胡弓・ナイト(仮タイトル)

 -オールナイトコンサート第3弾-

とき/92年8月29日(土)9:30PM~30日(日)5:30AM

ところ/ジーベックホール

出演予定者/ウスタッド・スルタン・カーン /サーランギ、ファーザル・クレイシ/タブラー/畦地慶司+胡弓合奏団/姜建華/二胡

プログラム(案)

 第一部 インドのサーランギ  

 第二部 日本の胡弓  第三部 中国の胡弓   

 第四部 タブラー・ソロ

 第五部 インドのサーランギ

企画主旨抜粋

-インド、中国、日本の代表的擦弦楽器を一堂に会してのオールナイトコンサートです。

 弓で弦を擦る楽器は世界中に広く分布しています。日本や中国の胡弓、二胡など「胡」という文字から推測されるように、中央アジアのケマンチェがその祖と言われています。また西洋のヴァイオリンやインドのサーランギも起源は中央アジアであると考えられています。したがって、おそらくその起源が同じであろう楽器が揃うことになります。

 インドのサーランギは、主に宗教音楽、民俗音楽の主要伴奏楽器として用いられてきました。インド音楽には、独特のポルタメント奏法(音をスライドさせる方法)がありますが、サーランギはフレットがなく、このような奏法には適していたために少なくとも13世紀ころから知られていました。しかし最近では、サーランギによる古典音楽の演奏も一般的になっています。

 中国の二胡は、元代のころに新疆省地方から中国に伝わったと言われています。

二胡は、四弦の四胡と同様、一般に胡琴と呼ばれる楽器でです。四胡は主として北中国、蒙古で使われていました。二胡は主に南中国で用いられていましたが、今では、北中国でも一般的な楽器になりました。女性の声に近い、甘く切ない音色が特徴的です。

 日本へ胡弓がいつごろ伝来したのかは不明です。南蛮楽器ラベイカの模造説、三味線改良説、沖縄胡弓改良説などがあります。とまれ、江戸時代初期には使われていたようです。古典本曲の独奏や、箏、三弦との合奏曲などで演奏される他、富山の「風の盆」や高知の「花台囃子」のような祭囃しの楽器としても親しまれてきました。-

●第9回コンサート

「箏と古箏-日本のこと、中国のこと」

とき/1992年10月18日(日)19:30PM~21:30PM

ところ/ジーベックホール

出演予定者/金堅 JIN JIENG/古筝 CHINESE GU-ZHENG/福原左和子 SAWAKO FUKUHARA/筝SOH/賛助出演予定者/劉宏軍LIU HONG JUN/中国笛DIES

プログラム(案)

 第一部 中国の古箏

 第二部 日本の筝

企画主旨抜粋

-起源の共通する日本の筝と中国の古箏の響きや演奏法の違いを聴いてみようというものです。

 箏は、起源は明らかではありませんが、中国の戦国時代(BC403~221)の秦で用いられたことから秦箏と呼ばれていました。西方から伝来した、という説もあります。漢代には既に現在のような12弦と13弦のものがあり、この形式は、かなり古くからあったようです。その後、時代を経るにしたがい、一般に普及していくことになります。現在使われているのは、日本の箏より小ぶりで金属弦が張ってあり、独特のポルタメント箏法に特徴があります。

 一方、日本の箏は、奈良時代に唐から招来された13弦の楽器ですが、最初は雅楽に用いられました。しかし、純然とした器楽用楽器から、歌曲の伴奏にも用いられるようになりました。室町時代の末期に入ると、寺院歌曲の中の箏伴奏の曲が独立し、これが後の箏曲となっていきます。この流れの中で、有名な八橋検校(1641~85)が、上方で箏曲を確立します。八橋によって確立された箏曲の伝統は、その後弟子たちによって全国へ広まり支流ができあがっていくことになります。中でも生田検校(1656~1715)が立てた生田流と、山田検校(1757~1817)の立てた山田流が、現在の箏曲の二大潮流となりました。

 こうして、中国から伝わり、その後独自に発達してきた日本の箏は、古典だけではなく現代音楽にも多く用いられるようになり、まさに日本の代表的伝統楽器の一つとなっています。- 

◎これまでの出来事◎

 このコーナーは、年々エントロピー増大的加速度的過去記憶拡散減少傾向に対する小生の備忘録として書いております。

◆6月25日/兵庫文化サロン/ホテル北上(三宮)主催/淡神文化財協会/講師:金子量平

 兵庫文化サロンシリーズの第1回目でした。金子さんは、アジア民族造形研究所を主宰されている方ですが、今回の「アジアの見方・考え方」と題する講演では、アジアというものに対する考え方を新たにしました。単一民族だと自称する日本人も、遠く遠く辿ればなんらかの混血人。日本という国家のできる以前まで歴史を遡ると、単一民族説も根拠がないのです。

◆6月27日/「ネーネーズ」公演/神戸新開地湊川公演音楽市場/主催:新開地アートビレッジ夏三眛'91実行委員会/大雨のち小雨

 この催しは、年々衰退の一途をたどる神戸新開地界隈の町内起こしといったものでした。かつては、封切り上映映画館が何軒も軒を並べ、ハイカラな品々、くいもんが溢れ、遊閣にはその筋の女性が溢れ、といった新開地も、元町から三宮へと中心地が移動するにつれさびれてしまっています。今では、パチンコ屋がもっともカラフルなぐらいで閑散とし、大開通りの南は、なっぱスボンにつっかけサンダル、模造皮ジャンパー姿といった中壮年おじさん群が、どう言うわけか道路の端をゆるやかに歩行し、アーケードの取り払われた通りは、まるで大正時代にもどったかのようなおもむきなのであります。それはそれでなかなか心ひきつける雰囲気ではありますが、やはり、ちょっと寂しい。てなわけで、商店街のオッサン、オバハンたちの危機意識をたくみにつき、新開地をアートビレッジにしようではあーりませんか、てな感じで開催される運びとあいなったのでありましょう。しかし、あれから半年以上たって訪れた新開地は、相変わらずうらぶれておりました。
 それはそれとして、「ネーネーズ」です。オネーサンたちが登場してくる前のバンドのたたずまいは、河内音頭帽子をつけた色眼鏡のいかにも場慣れしたトークや、ラテンパーカッションやシンセサイザーや三線など、前奏の後に何がくるか予測できないのでありました。しかし、4名のオネーサンたちがいったん舞台に現れるや、雰囲気は一気に沖縄です。黄色地に細かい模様のついた、赤い襟のラインもあざやかな大きな紅型を帯のところでたくしあげた美しい沖縄衣裳のネーサンたちは、一様に小柄で、決して美人とはいえないがいかにも明るいネイティブ・ガールズの笑みをたたえ、ユニゾンで歌う。その存在感。そのパワー。その声量。歌い込んだもののみがもつ頼もしさ。バックのバンド員は、彼女たちが登場したとたんその存在は薄くなるのです。このあたりが、メンバー全員なんとなく家族的同好の志的に感じられるりんけんバンドと違うところです。まあ、当分ヤマトでは沖縄のパワーに圧倒され続けるであろう、と感じたのでありました。

◆7月1日/「からいも交流財団」甲崎氏現る

 鹿児島の「からいも交流財団」の明るく快活な青年、甲崎氏が家に泊っていきました。話しているとこちらが元気が出てくるような青年なのでした。

 

◆7月4日/「姜建華+本田竹曠デュオ」/兵庫県民小劇場/主催:「胡弓を通じてアジアに想いをはせる会」

 姜建華さんは、ヴァイオリンの難曲ツィゴイネルワイゼンを驚くべきテクニックで二胡で弾いてしまった中国の女性です。ザ・胡弓・ナイトにも出てほしいなあ、と思っています。

◆7月7日/ナディ旗揚げパーティー/六甲

 関西の彼の関係者のほとんどが受信装置不備のため聞けない衛星放送局セント・ギガのプロデューサー、川崎義博氏の事務所開きでした。六甲の事務所は、なんとわたしが以前勤めていた工務店所有のビルで、かつてわたしは、家賃取り立てなどの業務をしていたこともあるのです。

◆7月10日/阿藤久子スペイン舞踊コンサート「サンチャゴの異邦人」/新神戸オリエンタル劇場/音楽:ダンスリー・ルネッサンス合奏団

 フラメンコはもひとつでしたが、ダンスリー・ルネッサンス合奏団の演奏が光っていました。

◆7月12日/アミット・ロイ シタールの夕べ/大谷大学大講堂/タブラー:吉見征樹

 アミット・ロイは、サラという娘ができ、現在オトウサンオカアサンしています。

◆7月13日/宵々山コンサート/京都先斗町歌舞演場/高石ともや、影法師

 

 実は、高石ともやさんの舞台を見ようと行ったのではなく、大谷大学の釜田さんに、山形の長井市から影法師というグループが出る、と聞いたので足を運んだのでした。高石ともやさんの舞台は、かつての学生時代に流行ったフォークソングのスタイルを冷凍庫に保存していたような、ある種のなつかしさと、傲慢な素朴さ、皺のある笑みのもつ媚び、ファッションと言葉の韜晦さなどなど、こちらの気持ちがねじ曲っているのか、どうにも好きになれない。

 で、影法師です。彼らはほとんどが小生の高校の後輩たちだと判明、にわかに親近感をましました。音楽はギター、バンジョー、ベースの典型的アーリー・アメリカン・スタイルです。楽器の技術も歌唱力も、まあ、まだシロートです。しかし、画期的に嬉しくなったのは、彼らが山形弁の歌詞で歌っていたことです。京都の聴衆にとっては通訳の必要な言葉でした。小生は、自分たちの言葉 で表現しようとする後輩たちに、よしよし、とうなづきつつ感動したのでありました。現状憂い派といったらいいか、「社会派」といったらいいか、歌詞内容も面白いので、ここに一つだけ紹介します。田舎の青年たちの、反都会的心情です。

 

「白河以北一山百文」

作詞 あおきふみお/作曲 横沢芳一

都会で出だゴミ しこだまつけで
トラックこっちさ のんべにくる
こごらの土地は 値打ぢねえがら
ゴミぶん投げに 丁度ええなだど

※白河以北 一山百文て
見がすめらっちゃ あん時から
あっちの野郎めら 持ってくんなは
おらのだってもの ばっかしだ
リゾートなつうもの こしゃうために
山だ沢だて ぼっこされる
ちゃらちゃら遊ぶ 野郎めらのため
なしておらだが 泣がんなねやな
※繰り返し

原発みだえな だってものは
なえでもこっちさ 押つけてよごして
ええ思いしんなわ われらばっかし
ばっぺなもんだね 東北なつうなは

※繰り返し

ゴミだて原発だて おめだのもんだも
そっちで何とが すんながスジだべ
ゴミにまんびっちぇ 生きでみんだ
原発しょって 暮してみんだ

 漢字のところもぐっとなまるので、実際の歌を聞くと理解不能の人もいると思います。しかし文字にすると比較的わかりやすいので、ここでは、訳をつけないでおきます。

◆7月16日/津村喬誕生会/ポートアイランド

 神戸の生んだ、今や人気のジャンク・バンド「春待ち疲れBAND」の面めんが座を盛り上げました。津村氏のご子息、タイチ君ひいきのバンドです。

◆7月21日/「夏だ!夏だ!ガムランだ!」公演バーズビル/ダルマ・ブダヤ/主催:天楽企画

 おかげさまで赤字を出さずにすみました。ダルマ・ブダヤのメンバーも、現代曲やオリジナル曲に意欲的に取り組み頑張っています。この演奏会はシリーズ化しようと考えています。

◆7月25日/生涯学習セミナーミニコンサート「インド音楽の夕べ」/豊中市中央公民館/主催:豊中市教育委員会/バーンスリー:中川博志、タブラー:古幸邦拓、タンブーラ:岸下しょうこ、つきそい:ハンス・シュマッハー

◆8月5日/天河神社奉納演奏/同行者:津村喬、ハワイのシャーマン、サージ・キング夫妻他関西気功協会有志

 津村氏に誘われて、久しぶりに天川へ行ってきました。深夜の1時から1時間ほど奉納演奏をしました。
◆8月6日/「インド音楽の精神を現代に」公演 岡山/小西道子/シタール:堀之内幸二、タブラー:龍聡、バーンスリー:中川博志

 天川からずるずるとそのまま岡山へ。小西シスターズにはお世話になりました。倉敷市美術館の阿部さんと知合になり、今後いろいろ協力しあうということになっています。

◆8月10日/丹波地域芸術村構想フォーラム/県民会館

◆8月19日/フーケ・ゲミュートリッヒコンサート「熱帯音楽」/三宮フーケ/バーンスリー:中川博志、タブラー:古幸邦拓、タンブーラ:岸下しょうこ

 人がおいしそうなケーキを食べているのを見ながら演奏の準備をするのは、つらいものがあります。

◆8月28日/ラジオ関西/三田屋提供

 出演料として、三田屋特製のハム、チーズをいただきました。

◆9月2日/シタール演奏会/県民会館ホール/シタール:チャンドラカント・サルデーシュムク/主催:関西日院文化協会

 サルデーシュムク氏の演奏は、なんというか、色っぽさに欠けていたように思います。ビラまきにいったつもりが、通訳をやる破目になってしまいました。

◆9月7日/高家寺インド祭/明石高家寺/シタール:橋本健治他YMCAインド音楽教室メンバー、エスラージ:岩崎咲子、タブラー:古幸邦拓、箏:茨木春重、寛子他、舞踊:永井登志春、バーンスリー:中川博志、

 久しぶりに古い知合に会ったり、新しいインド総領事、バルマさんご夫妻を知ることができました。井藤上人、ありがとうございました。

◆9月12日/倉敷ライブ

 岡山ライブにきていただいた倉敷市の三宅さんのご自宅でのライブでした。たまたまオーストラリアからきていたアボリジニーの人と話をし、オーストラリアにおける伝統音楽とは何なのか、という感慨にふけりました。 

◆9月14日/ダタール氏、ラグベンドラ来日

 彼らは、成田から自力で新神戸駅までついたのでしたが、新幹線を降りる時、あまりのたくさんの荷物であったために、一旦車外に出た後再び荷物をとろうと中にはいったとたん、新幹線は無情にも発車。キップもパスポートももたない哀れダタールさんはホームに取り残され、ラグベンドラは西明石まで乗って行ってしまった。ラグベンドラが家に電話してきました。

「ハーイ、ヒロシ。いま、ネクスト・ステーションにいるんだが、どないしょう」

「なに。何という駅名だべが。ダタールさんは一緒か」

「彼は新神戸駅のホームにおりまっさ。ここがどこかは、ノー・アイディアでんねん」

「ほならな、今と反対のホームに行ってもいっかい新幹線に乗らんかいな。新神戸でまってるさかい」

 アミット・ロイがホームの西、わたしが東を探索した結果、膨大な荷物を足元に置いたダタール氏をアミットが発見。遅れてラグベンドラが西明石から到着。2人とも日本は始めてなのでありました。

 移動中以外は、2人とも我が家に寝泊まりでした。苦労したのは、2人とも完全菜食主義者で、めったに外食できないこと。彼らの帰国する10月1日まで、わたしもずっと野菜カレーなのでした。

 演奏会はどこも大好評。特に山形・赤湯ではわたしの少年時代の友人たちも多数かけつけてくれたり、若い人達のガンバリで大成功でした。しかし、故郷とはいいもんですね。人口2万数千人の南陽市で実に160名以上の人が集りました。120万の神戸市で約300名、100万の仙台市で約400名と比較すると大変な数です。維新塾のみなさん、本当にありがとうございました。

 仙台市では、わでぃ・はるふぁのマスター、中田さんらと一緒に見にいったテント小屋絶叫芝居も印象に残っています。ダタールさんたちには、寒いし、日本語は分らないし、ちょっと苦痛だったかもしれません。

 

◆9月17日/兵庫文化サロン/ホテル北上/「スパイスの話」/講師:中川博志

 唐辛子がアメリカ大陸から旧大陸にもたらされたのが、1500年代。またたくまに世界中に広がったのですが、唐辛子のない時代のインドは、朝鮮は、いったいどうゆう世界だったのでありましょうか。

◆9月18日/《インドの超越暝想ヴァイオリン》/ジーベックホール/ヴァイオリン:D.K.ダタール、タブラー:ラグベンドラ・クルカルニ、タンブーラ:岸下しょうこ/主催:㈱オーディネット/企画制作:天楽企画

◆9月21日/大谷大学公開セミナー《インドの超越暝想ヴァイオリン》公演/富山市民プラザ

 富山市は、全体にすがすがしい街でした。水がおいしい。魚も自慢だそうですが、やはり、インド人とつきあいカレーだったのが残念。

◆9月22日/生田の森イベント/生田神社/箏:沢井和恵、パフォーマンス:サルドノ・クスモ

◆9月23日/ダタール氏レコーディング/ジーベックホール

 4月にCDを発売する準備中です。

◆9月27日/「インドへの誘い、悠久の調べ」公演/赤湯ニュー南極/主催:赤湯ふるさと維新塾

◆9月29日/《インドの超越暝想ヴァイオリン》仙台公演/仙台市青年文化センター

◆10月7日/兵庫県芸術文化センターシンポジウム/神戸国際交流センター大ホール

◆10月16日/松江のインドレストラン「スパイス」でのライブ/タブラー:古幸邦拓、バーンスリー:中川博志

 始めての山陰でした。宍道湖のしじみ、出雲のわりごそばがおいしかった。宍道町から松江にはいる湖畔の道筋は美しいですね。スパイスの成瀬さんちの92才になるお爺さんが、あまりに元気でしゃきっとされていたのが印象的です。出雲大社の本殿に入ろうとして木戸をこじ開けようとしたとたん、警備員に大声でしかられてしまった。スミマセン。

◆10月20日/芋煮会/再度山河原

◆10月21日~23日/リハーサル/慧奏スタジオ

◆10月24日、25日/Music For Eternal Cycle/京都マイジャーホール/ヤンチン:友枝良平、パーカッション:慧奏、タブラー:逆瀬川健治、バーンスリー:中川博志

 楽譜に結構制約された曲がほとんどだったのと、まだ、即興部分に互いの遠慮などがあったりして、わたしとしては満足のいくコンサートとは言えなかったのでした。友枝さんの作曲は美しいものだっただけに、残念でした。もうちょっと、互いの呼吸合せとわたしの練習が必要なのでありました。それにしても、楽譜を暗記することの難しさ、想像以上であります。

◆10月27日/阿南竹の祭典/阿南市民会館/主催:阿南市/企画制作:日本民族芸能国際交流協会/尺八:三橋貴風、中国笛:劉宏軍、パンフルート:岩田英憲、シンセサイザー:片倉三起也、タブラー:吉見征樹、タンブーラ:岸下しょうこ、バーンスリー:中川博志

 演奏内容も、舞台構成も非常によいと思ったのですが、いかんせん、聴衆がほとんど非協力的でした。わたしが演奏中に、最前列正面の座った青年2人が特大のせんべいをばりばりかじっていたのが、とくに強烈でした。ちなみに、わたしはまだ見てませんが、尺八製作人森川玄風氏によれば、この演奏会の記事が「邦楽ジャーナル」に載っているそうです。

◆11月3日/立命館大学学園祭「音・楽・園」/シタール:アミット・ロイ、タブラー:吉見征樹タンブーラ:田中峰彦、民謡:大野実佐子、田中慎子、フォルクローレ:コンフント・エルドラルド、解説:中川博志

 民謡の大野さんは、歌はうまいし、美人でしたねえ。アミット・ロイとわたしは、ほれぼれと舞台を見入るのでありました。

◆11月13日/大谷大学学園祭園遊会イベント/りんけんバンドライブ/企画/天楽企画

 りんけんバンドは相変わらずのパワーでした。楽屋で林賢さんと話をした内容を、あるチョコレート会社の宣伝コピーとして書いたのが以下の文章です。

---「沖縄では、とにかく音楽がないと、なにも始らないんですよ。祝い事とかお祭りとかになるとまず音楽なんです。ヤマトでは、大災害とかで世の中が騒がしくなると、音楽どころではない、という雰囲気があるでしょう。でも逆に、そういう苦しいときに、歌を歌うんですよ。音楽のない生活は考えられないし、音楽は大事なメッセージみたいなものなんです。まあ、この頃は沖縄もヤマトナイズされてきて、商品としての音楽が消費されているし、昔みたいに、たいていの人が民謡を歌うことはなくなったけどね。それでも沖縄にはまだ六千以上の民謡があるんです。誰かが数えたらしいけど。新しい歌も作られている。ぼくらの音楽活動も、そういうところにベースがあると思います」
 最近ヤマトに沖縄音楽ブームを巻き起こしている<りんけんバンド>のリーダー、照屋林賢さんは、こう語る。二度目の熱狂的神戸ライブの後、楽屋に彼を訪れたときのことだ。
 このバンドの魅力の一つは、林賢さんの言葉のように、生活と音楽が密着した土壌を感じさせる点だと思う。そのような土壌で生れる音楽は、容易に引き抜くことのできない根菜類のようなたくましさと腰の強さをもっている。
<りんけんバンド>は、初めてのヨーロッパツアーで大成功をおさめたそうだ。ロンドンでCDも作ってしまった。ヨーロッパの人たちも、軽快な三線(サンシン)と、からだが自然に動き出すシンプルなリズムに大いにのってしまったことを考えると、追っかけファンとしてはうれしくなってしまう。そして、彼らの成功は、生きることが場所を問わず普遍的であるように、しっかりした土壌で育まれた音楽も普遍性をもつことを教えてくれる。
「ヤマトにも、そろそろヤマト音楽が出てきてもいいのにね」という林賢さんの最後の言葉が、ヤマトンチューであるぼくには印象的だった。---

◆11月16日/インド古典音楽研究会例会/名古屋・長円寺会館/タブラー:古幸邦拓、タンブーラ:山本弘之、バーンスリー:中川博志

◆11月27日/プレミアムコンサート「インド音楽でお茶会を」/ホテルオークラ神戸34階メイフェア/主催:アペタイトクラブ/タブラー:吉見征樹、タンブーラ:岸下しょうこ、バーンスリー:中川博志

◆12月5日/恍惚の大聖堂/ジーベックホール/ダニエル・レンツ・グループ

 金髪の歌い手が舞台でワイン飲んでいたのが、おいしそうだったなあ。

◆12月8日/ハイパービートルズ/ジーベックホール/ピアノ:高橋アキ


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