「サマーチャール・パトゥル」12号1992年12月10日

 皆様いかがお過ごしですか。

 今年もいろいろありましたが、もう残り少ない日々となりました。毎回書いていますように、まったく時間がたつのは速いものです。この個人通信を出し始めたのは、1988年1月23日、わたしの38回目の誕生日でありました。そして今年は最早1992年も終わろうとしています。この通信の届く頃には配偶者が、そしてその40日後にわたしが43歳になるのであります。愕然となります。

◎「サマーチャル・パトゥル」バックナンバーがまとめて冊子になりました◎

 このサマーチャル・パトゥルのこれまでのすべてが一冊になりました。しかも巻末人名索引つきです。この索引、なかなかのアイデアで、わたしにとりましても実に有用でかつ不思議な面白さがありました。

「毎回面白く読ませて頂いてます。それでこちらの行事のときなど、きた人にコピーして配ってもいいでしょうか」

 滋賀県水口町貴生川公民館の中村道男さんから、ある日こんな電話をいただきました。

「このサマーチャル・パトゥルは決しておおやけのメディアではなく、純然とした個人のそれであります。毒にも薬にもならない単なる一個人の手紙なのでありまして・・しかし、んー、おおやけになって都合の悪いこともありませんので結構ですよ」

 しばらくして、件の、9号からの読者である中村さんからまた電話が入りました。

「できましたら、9号以前のものも読みたいですね。まだ原稿は残ってますか」

「はい。しかし、一部づつは残していますが、全部コピーするとなると大変ですね。分量が結構ありますから。フロッピーディスクでよければお送りしますよ」

「それで結構です。実は先日マッキントッシュを購入しましたのでそれで読めますから」

 そこで、1号から11号までをフロッピーディスクに収めて彼に送りました。

「折角ですから、あれを一冊にまとめていいですか」という申し出があったのは、しばらくしてからです。物忘れの度合いが加速されつつあり、何年の何月には何をしていたのか、というのを思いだせないときにはこの通信を引っ張りだして確認していたのですが、ばらばらのものをひっくり返して読み直すには時間とエネルギーがかかり面倒だなあ(それほど大げさなものではないか)、とかねがね思っていましたので願ってもない申し出なのでありました。しかも、

「公民館の簡単印刷機がありますし、マッキントッシュを買ったばっかりで、使ってみたいので」と、すべて中村さんがやって下さるのでわたしの方の手間も費用も要らない、とおっしゃって下さるではありませんか。

 というわけで、しばらくしてダンボール箱4コ口の宅配便が、安眠の幸福を無残に引き裂くかのごとく早朝8時半に我が家に到着したのでありました。

 これまで、直接お会いできた人には配りましたが、もし欲しい方がいらっしゃったらお申し出下さい。まだ百部ほど残っています。郵送ご希望の場合、360円分の切手を同封していただけましたらありがたいのですが。お申し出が殺到するとはとても思えませんが、とりあえず切手を同封された方の先着順ということにさせていただきます。

 ◎高松のうどん文化◎

 9月に演奏会のため再び高松市に行きました。そこで、高松市の人々は大変幸福だ、と思ったものがあります。

 うどんです。

 四国の讃岐といえば、うどんの本場として全国に知れ渡っています。無類の麺好きであるわたしは、また、あの、本場の讃岐うどんにめぐり合えるのだ、というわくわく感をいっぱいにして高松に向かったのでありました。5月には、髪の薄いスイス人ハインツ、髪の大変薄いインド人タブラー奏者アビジット、髪だらけのインド人シタール奏者アミットと行ったことは前号で触れましたが、9月はタブラーのみで生活を維持する日本の唯一者、吉見征樹さんと、阪大の大学院生でありながら次第にインド音楽の泥沼へと傾斜しつつある寺原太郎さんが同行者でした。

 会場の高松市美術館に到着し、担当の、すがすがしく麗しい人妻、佐藤直子さんとセッティングのことなどを打ち合せているとき、すでに、わたしの「うどんわくわく感」は他のすべての想念を排除しつつありました。

「安くておいしいうどん屋さんは?」

「またうどんですか」

「はい。前回紹介していただいた高級うどん店は、具の豪華さでうどんそのものの感激度がもうひとつ薄れたので、ここはひとつ、高松市民の人気のある安い店を教えて下さい」

「じゃあ『うどん市場』へ行ってみますか」 タブラー生活維持的日本唯一者吉見征樹さんも、大学院生次第忘却的印度音楽泥沼傾斜的タンブーラ奏者寺原太郎さんも、今回のボスである日本のバーンスリー演奏第一人者(だいひとりしゃ、と読みます)中川博志ことわたしのうどん想念満杯状態にすっかり感染してしまい即座に同意しました。

 セルフサービス方式の小さな店、「うどん市場」は、栄光の讃岐うどん文化を高らかに具現していました。麺および汁というかタレの高水準に反比例し信じがたい安さなのです。 まず、本体であるうどん。1玉(小)100円、2玉(大)150円。てんぷらトッピング関係は、海老てん130円、かき揚げ60円、さつまいも、ごぼう、茄子各70円、コロッケ60円、ミンチカツ90円、白身魚80円。カレーライスもありまして、小が230円、大は300円。(料金調査協力:NHK高松支局嶌田治記者)

 システムはこうです。トレイを手にした客は、まずカウンターに並ぶてんぷら具関係を選択します。そしてそのコーナーを進み、さっと湯でチャッチャッしたうどんの上に選択申告した具を載せ、その上に汁をかけた丼が手渡されます。ねぎはとりほうだい。値段は、最終コーナーで素速く勘定されます。わたしは、最高額の海老てん+うどん大を選択し、280円を支払いました。都そばチェーンの立ち食いそばのような、内容密度の低い白黄色の揚げたてんぷら粉せんべいではなくちゃんと中身のあるてんぷらであり、阪急駅そばのような、噛み切るときの悲しくはかない抵抗感ではないしっかりとコシのある、それでいて流れるような嚥下感のする麺でした。童貞喪失時のように、感動をじっくり噛みしめる間もなく1回目をツルリと食べ終わってしまったわたしは、うどんそのものを味わうために再度展示コーナーにとってかえし、ねぎ、おろししょうが、醤油のみのうどん小を注文し100円支払い、じっくりと2杯目を味わったのでありました。汁のないこのシンプルなうどんは実においしかった。数多くの相当にきびしい味覚鑑賞者に耐え得てきた「うどん市場」の自信、自負、威厳、矜持がこのねぎ醤油うどんに現われているのです。同行者も同様お代わりし、そのコスト・パフォーマンスの高さに感動を分かち合ったのでした。

 公演の翌日、再び佐藤さんに会い、

「うどん」

と言うと、

「はい。わかりました。ちょっと遠いから公用車でお連れしましょう」

と、今度は屋島の麓にある田舎屋敷風の「わらや」へ。ここはテレビなどでよく紹介される有名店です。

 4人で腹いっぱいになる木桶に入った釜揚げうどん、2200円(料金調査協力:嶌田治記者)。だしじゃこをたっぷり使った自家製タレが絶妙。もちろんうどん本体の質の良さは言うまでもありません。高松の人は、うどんは噛まずに飲み込むので早くたべるのだと聞いていましたが、われわれはまだその域には達していません。それでも、飛び散る熱湯と箸からの麺脱落を気にしながら、割りとからめのタレに浸した長い長いうどんを口中に移送する作業を黙々かつ迅速に行ったのであります。アッという間でした。そして最後は、うどん湯で薄めた汁をズルズルと啜り有終の美を飾ったのであります。

 この「わらや」でも前日に劣らず感動したわれわれは、このようにおいしく安いうどんを毎日食べることのできる高松市民を羨みつつ、対岸の福山市へと旅立つのでありました。

 と、ここまでは一応状況説明です。ここで考察に移りたいと思います。安価高品質は文化度を推測する基準の一つである、という考察です。

 一般に人(一切ゼニカネを気にする必要のない種類の人は除く)が感動する要因はいろいろあると思います。コストパフォーマンス(原価当たり性能。費用対効果比率。投資とその効果を比較した評価値-『知恵蔵』)の高さは中でも最も重要な要素ではないか。

 たとえば、その名が冠されればたいていどこでも最低1万円はかかるであろうと思われている神戸牛ビーフステーキが、ふらりと入った店では同等の質量で1000円ポッキリだったとしたとき、人は(少なくともわたしは)感動を覚えるのです。逆に「1万円か、ま、こんなもんやろな」と注文したステーキが、期待した質、量ではない場合、人は(少なくともわたしは)、二度とくるものか、皆にこの事実を知らしめ誰もこないようにしたい、許せない、といった憤りを覚え、ときには力を込めてドアを閉めたり、表の看板を蹴飛ばしたり、わずかに口をつけた料理をそっくり残し决然と席をたち、憤然とゼニを払ったり(わたしの場合は非常に稀ですが)、主人にゼニ返せと抗議し、そのような店がたまたま通過ないし短期滞在する初めての町で入る最初の店であれば、その店に対する憤りは店の所属する町への憤りと変化し、内向的な人はそうした店を選んでしまった自分に怒り、そうした自分の人生をののしり、そうした自分に従う同行者すらを罵倒し、といったように憤り対象がどんどんと拡張するという大変なことになってしまうのであります。

 一般にわれわれは、費用対効果比率の基準をそれなりにもっていまして、それは社会的諸関係に対する観察および考察によって暗黙の内に構築されます。これをここでは「ま、こんなもんか」感基準と定義します。この「ま、こんなもんか」感基準の対象とのズレは、ときには感動、ときには憤り、ときには基準の修正をもたらすわけであります。

 で、うどんです。高松のうどんはあんなにおいしいのに、なぜあんなに安いのか(こんなふうに言うと、たった3軒の店に入っただけなのにそんなこと言えるか、という問題にかかわりがあるのではないかとの印象を抱きますが)。

 その解答は、確とした高松うどん文化あるいは讃岐うどん文化の存在にある、とわたしは考えたいのであります。高松うどんの安さとおいしさ、それを提供するうどん店の経営成立の背景には、それを奨励支援する市民の文化を想像させるのです。まずくて高いうどんは許さない、という市民の圧力を感じさせるのです。高松にはうどんしか食べるものがないわけではないのですから、うどんは市民の生命維持必須食品ではない。一年ぐらい「うどん断ち」をしても、一生うどんに縁がなくても生きていけます。となると、高松のうどんは単なる食品ではなく、共同嗜好であり文化だといえます。

 店の経営ということだけを考えれば、関西並みに多少高くすれば楽してより多くの利益を得ることができますし、何もしんどい思いをしてうどん屋をしなくてもいくらでも他の生計および利益追求手段があります。しかし、「うどん市場」や「わらや」の姿勢は、昨今の日本の大勢であるこうした利益優先ゼニカネ優先コンセプトとは若干異なり、よりおいしくより安く、が大前提にあるのではないか。市民は市民で、ほうぼうのうどん屋でうどんを食べ、鑑賞能力を養い舌を洗練させ、うどん哲学の蘊蓄を傾け批評しあう。そのような市民が相手であるから提供側も、ちょっとでも気を抜いたり儲けのみに走ると、あそこはあかん、とたちまち暗黙あるいはあからさまな攻撃に晒されるから、ますます切磋琢磨する。こうした好循環が、高松の栄光のうどん文化を開花させ維持させている、とわたしは思うのであります。そして、食という生活に根差したものだから、その文化にはゆるぎがない。ゆるぎがないから「高松世界うどん博」も「今世紀最大のうどんショー」も「高松うどんグルメ大賞」などという、本来そこにしっかりと存在しないがために景気づけの意図をもって行われる種類のうわついたイベントも要らないのです。

 それにひきかえ、グルメシティ、食い倒れなどと自称するわが神戸や大阪には、はっきり言って誇るべき食文化があるとは思えない。なぜなら、高松のうどんのように、安さと高品質を同時に楽しめる店が少ないからです。「ま、こんなもんか」感基準を高価な方でくつがえす店はたくさんあるが、安価方面ではない。常にゼニカネを気にせざるを得ないビンボー笛ふきおよび主夫であるわたしは、リーズナブルな安定感よりも、驚きのある感動が欲しいのです。

 と、高松のうどんについて書いてきましたが、考えてみれば、うどんを音楽や美術や演劇と言葉を代えても、本考察のテーゼである「安価高品質は文化度を推測する基準の一つである」が成り立つのではないかと思いますが、いかがでしょうか。たかがうどん、されどうどんでした。

 

◎ちょっとソウルへ、そしてまたインドへ◎

 

 一昨年、ジーベックホールのオールナイトコンサートで深い感動を与えてくれたわたしの師匠、ハリプラサド・チョウラシアに再び来日、演奏してほしい、と来年の7月にタブラー奏者のショバンカル・ベナルジー氏ともども再度、日本にお招きすることにしました。これまでに確定した公演日程は次の通りです。

1993年7月

11(日) 来日 成田

13(火) レコーディング (キング)-東京?

14(水) 「東京の夏音楽祭」-東京

15(木) 大谷大学-京都

16(金) 倉敷市文化公民館-倉敷

17(土) ジーベックホール-神戸

 ↓  オールナイト

18(日) ジーベックホール-神戸

19(月) レコーディング(xebec)-神戸

23(金) 愛知芸文センター-名古屋

 

 各方面に公演開催依頼を引続き行っています。ハリジーには7月末まで日本に滞在していただこうと考えていますので、公演に興味のある方は是非ご一報下さい。

 神戸公演は「アジアの音楽シリーズ」第11回目の演奏会になります。概要は;

 とき/7月17日(土)9:30PM~

    18日(日)5:30AMまで

 ところ/ジーベックホール/主催/ジーベック/共催/(予定)/㈱オーディネット+兵庫県現代芸術劇場/企画制作/天楽企画/出演予定/ハリプラサド・チョウラシア: バーンスリー/ショバンカル・ベナルジー:タブラー/アミット・ロイ:シタール 元長賢(ウォン・チャン・ヒュン):テーグム+アージュン、カヤグム、チャンゴ各奏者/大倉源次郎:小鼓/大倉百之助:大鼓/松田弘之:笛

プログラム予定/

第一部 インド古典音楽-夜のラーガ

第二部 能のハヤシ

第三部 テーグム散調

第四部 深夜のラーガ

第五部 タブラーソロ

第六部 早朝のラーガ

 そこで、この韓国のテーグム奏者、元長賢さんにお会いしたり、ハリジーのソウル公演の可能性を調べる目的で、12月11日~13日ソウルへ、またハリジーとの打ち合せ、レッスン、ハリジー主催の大演奏会、別の用件であるインド政府との交渉、などもろもろの目的で、12月16日~31日インドへ行ってきます。

 国立国楽院民俗演奏団主席、無形文化財である元長賢(ウォン・チャン・ヒュン)さんとの会見は、これまで日本-韓国のジャズ交流活動を続けていらっしゃる徳山謙二郎さんのご紹介およびスポンサードで可能になりました。で、現在わたしの頭は、キムチ、プルコギわくわく想念で一杯の状態であります。 ボンベイでは、ついにインド音楽にのめり込んでしまったイトマン・ボンベイ支店長、池田さんのフラットに居候となる予定です。今回のインド行には配偶者も誘ったのですが、どうしても会社を休めないのではないかとの印象を抱いたようで、結局、大学院生次第忘却的印度音楽泥沼傾斜者寺原太郎さんと一緒に行くことになりました。

 インド滞在は実質14日間という短い期間ですので忙しくなりそうです。ハリジーはもとより、ヴァイオリンのダタール氏、スルタン・カーン氏、ファザル、佐々木さん、今年結婚したバーンスリーのルーパク・クルカルニ、サーランギのドゥルバ・ゴーシュ氏などつぎつぎに会わなければならないのです。

 そうそう、D.K.ダタール、スルタン・カーンのCDは来年早々に出る予定です。

●これまでの出来事●

■6月28日(日)「アジアの音楽シリーズ」第7回演奏会『爪弾き、歌う』/ジーベック/企画制作:天楽企画◇出演/徳久寿清、棚崎富子:奄美島唄、ハムザ・エル=ディン:ウード、タール、歌

 この演奏会は、南島コミュニティーのパワーを見せてくれました。素晴らしい舞台を終えた徳久寿清さんと棚崎富子さんに、花束とご祝儀の山(とわたしには思えた)がどっと押し寄せたのでした。ハムザの舞台は一転して静かな感動を呼び、今でも彼の声やウードの音が耳から離れません。

■7月11日(土)「天河曼陀羅」/京都・萬珠堂ホール/主催:天河曼陀羅実行委員会◇参加出演者/宇高通成、松田弘之、中村保雄、見市泰男、津村喬、鎌田東二、山田龍宝、宮迫千鶴、山折哲雄、渡辺豊和、矢崎勝彦、環栄賢、上田紀行、龍村仁、横沢博明、中川博志、山田せつ子

 いろいろな意味で、今日の世界と宗教を考えさせる催しでした。天河神社の危機を、精神性一般の危機に一挙に帰納させるには無理がありますが、現在進行しつつあるもろもろの問題の核心には人間のエゴがあり、世界は、そのエゴの短期的充足状態のみを追いかける傾向にどこかで歯止めをかけなければ最早どもこもならんしょっ、という状態になるのではないかとの印象を抱きました。(・・・ではないかとの印象を抱いた、という竹下登の言葉は、はっきりとそう言うには自信がない場合も使えて有用ではないかとの印象を抱いています)。

■7月26日(日)「アジアの音楽シリーズ」第8回演奏会『原色ガムラン遊唱歌』/バーズビル・神戸住吉◇出演:ダルマ・ブダヤ/企画制作・主催/天楽企画+ダルマ・ブダヤ

 恒例のダルマ・ブダヤの演奏会。昨年は、いわゆる「現代音楽」作品など、インドネシヤの伝統を越えた積極的な作品を聞かせてくれた彼らは、ほとんど彼ら自身のオリジナルを引っ提げて再登場。新人も入り若干の若返りに成功しているものの、それだけに一定レベルの維持・向上には苦慮がみられます。特に歌唱は、もっともっと努力すべき点があるのではないかとの印象を抱きました。

■8月17日(月)ゲミュートリッヒコンサート/フーケ・神戸三宮◇出演者/中川博志:バーンスリー、古幸邦拓:タブラー、岸下しょうこ:タンブーラ

 演奏後、フーケのケーキプロデューサーである平田茂さんの話をうかがうと音楽修業もケーキ修業も変わりないなあと思いました。

■8月29日(土)「エスノポップ・イン・オオサカ」/四天王寺・大阪◇出演/スルタン・カーン:サーランギ、ファザル・クレシ:タブラー、岸下しょうこ:タンブーラ、スモーキーマウンテン(フイリピン)、姜修智(韓国)なにわ太鼓、バリ舞踊研究所、桜川唯丸、佐藤通弘:津軽三味線、沢田穣治:ベース、芳垣安洋他/主催:大阪JC

 スルタン・カーン氏とファザルの日本での最初のプログラムでした。公演そのものは、四天王寺の石舞台の雰囲気もよく、演奏内容もよかったと思います。しかし、彼らの来日以来、次第に判明しつつあったファザル・クレシのオレガオレガ症侯群に悩まされることとなり、以後の日本ツアーのわたしのアテンドに暗雲がたちこめるのではないかとの印象を抱いたのでありました。

 オレガオレガ症侯群というのは、

①主催者ないし招聘者は、演奏家に奴隷のようにそのあらゆる要求に即座に応えなければならない

②俺の技術には絶対の自信があり、何人も俺を尊敬しなければならない

③俺への尊敬の度合いはゼニの高低で判断される

 と考える種類の人間、ひるがえって、物事の否定的側面をことさらに指摘したいと考える人間、から受ける有形無形の心理的圧迫状態の持続による心身不安定症侯群のことです。結構いますよね、こういう人。このオレガオレガにかかると、ホテルの部屋が狭い、朝食はコーンフレークでなければならない、水は氷抜きでなければならない、楽屋はテントではなく冷房のがんがんきいた快適な場所でなければならない(四天王寺の楽屋は実際猛烈な暑さをとじ込めた仮設テントでした)、音だしはできるだけ短時間、しかも適正な音量バランス(つまり自分の音が大きく明瞭)でなければならない・・・という、ねばならないに悩まされることになるのです。主奏者のスルタン・カーン氏は、内心不満のある部分があるにせよ、ああそうかそうか、と寛大でしたが、ファザルは終始吠え続けたのでした。まあ、悪意のないお坊っちゃん的言動であり、根はシンプルな人間だから、と思考を転換し、かつ、まあまあ、リラックス、リラックスと言ってくれるアミットが一緒でしたので、この症侯群からは逃れることができました。また、彼がそうしたオレガオレガの役割を演じ続けなければならなかったのは、スルタン・カーン氏が、英語がうまく話せない、大学教育を受けた人間ではないから交渉事は得意ではない、ファザルの父アララカや兄のザキール・フセインによって世に出た、などといったもろもろの心理的抑圧からと思われる要因によって、意思伝達の大半をファザルに任せていたということがあったと思いますので仕方がなかったのかも知れません。

 四天王寺公演では、大阪JCの松下さん、河部さんにお世話になりました。

■8月29日(土)レコーディング/ジーベックホワイエ/スルタン・カーン+ファザル・クレシ+中川博志

 7時前に四天王寺の公演を終えてただちに神戸へ移動、途中マクドナルドのチキンバーガーの夕食、ホテルで仮眠、そして深夜11時頃にレコーディングスタート、ということでスルタン・カーン氏はかなり疲れていたようですが、さすがは大御所、レコーディングは一発でOKでした。ファザルのオレガオレガによって若干タブラーの音が大きくなってしまいましたが、いい録音だと思います。既に触れましたように、彼らのCDは来年の始め出ます。

■8月30日(日)「アジアの音楽シリーズ」第9回演奏会『即興の芸術-インド古典音楽の名人たち』/ジーベック◇出演者/ スルタン・カーン:サーランギ、アミット・ロイ:シタール、ファザル・クレシ:タブラー、岸下しょうこ:タンブーラ/企画制作:天楽企画

 お蔭様で満員でした。随分遠くからいらっしゃった人たちもいました。アメリカからはサロッド奏者のデヴィッド・トラソフ、金沢の田中さん、きよみさん、今治の羽籐さんなど、この演奏会だけのためにわざわざおいでいただいた方もいます。デヴィッドは結局山形、仙台、東京と追っかけをしたのでした。アミット・ロイのますます円熟みを増したシタール、オレカオレガのファザル・クレシもソロでは実力を充分に披露し、そしてトリのスルタン・カーンの繊細、雄大なサーランギは素晴らしかった。特に最後の、ラジャスタン地方の子守歌ローリーは、彼のハスキーな声と流れるようなサーランギが素晴らしく、何か大きなものに抱かれる思いでありました。ジーベックのスタッフ、そして天藤建築設計事務所のスタッフに感謝。

 打ち上げは、インド総領事ヴァルマ夫妻の主催で、ポートアイランドの「ゲイロード」。

■9月4日(金)「インド古典音楽演奏会」/水口町立碧水ホール/水口町・滋賀/出演者:スルタン・カーン:サーランギ/ファザル・クレシ:タブラー/中川博志:タンブーラ

 神戸から新快速で京都へ。楽器を別にしてもかなりな荷物なので、一旦新ミヤコホテルに預けました。たくさんの荷物をもっての移動で発見したことが一つ。京都駅というのは実に人を登りおりさせる駅だということです。

 スルタン・カーンさんは、大黒様のように突き出たお腹のおかげで、ただでさえちょっとした距離の歩行すら困難を訴えていたのでしたが、京都駅の神戸線到着ホームから新ミヤコホテルへいたる階段の登りおりに完全に参ったようでした。今回の日本ツアー中の彼の唯一の不満表明が、お前は俺をあんなに歩かせた、なのです。ジョージ・ハリソンとの全米ツアーは彼のプライベート・ジェットであった、などといわれたわたしは返す言葉もありません。それにしても、世界中から観光客の集まる京都にしては、実にとんでもない表玄関ですね。なんとかしてほしい。京都観光は、京都タワーお登りとすぐ近くの本願寺でした。

 さて、水口町の演奏会は、今回の演奏会のなかでは最も良かったのではないかと思います。スルタン・カーン氏も気に入っていたようで、CDは水口のもので作っては、と言われたほどです。水口町の中村さん、そして碧水ホールの上村さん、御苦労さまでした。

■9月5日(土)チャイハネ開店10周年記念「インド古典音楽演奏会」/ミュージック昭和ホール(セッション)/山形市◇出演者/スルタン・カーン:サーランギ、ファザル・クレシ:タブラー、吉見泉美:タンブーラ/主催:チャイハネ/企画:天楽企画

 水口での演奏会のあとすぐさま京都へ戻り新ミヤコホテルに投宿し、早朝の新幹線でまず東京へ。山形、仙台では不要な荷物を東京駅の一時荷物預りへ預け、タンブーラを演奏することになっている松本泉美さん(タブラー生活維持的日本唯一者吉見征樹夫人および長女音音の母)と開通したばかりの山形新幹線ホームで合流し山形へ。この京都→山形移動、到着してほぼ間を置かず演奏会、今回最もハードなスケジュールでした。

 演奏会は、会場に若干難点があったとはいえ、常に好意的反応の山形の聴衆の圧倒的支持を得て成功だったと思います。わたしも前座で演奏しました。紅花国体とかでホテルがとれず、わたしひとりだけ世界一のラーメン屋を経営する叔母の家で泊りました。小玉さん、政子叔母さん、ありがとうございました。

■9月6日(日)パフォーマンス広場イベント『即興の芸術』/仙台市青年文化センター◇出演者スルタン・カーン:サーランギ、ファザル・クレシ:タブラー、吉見泉美:タンブーラ/主催・仙台市青年文化センター/企画:天楽企画

 仙台では、スルタン・カーン氏の勧めでバーンスリーで彼の伴奏をしました。バーンスリーは息つぎがあるのでサーランギについていくのが難しかったのですが、大御所の伴奏というのは名誉なことです。青年文化センターの高橋さんにはまたまたお世話になりました。

 演奏後は、すぐ東京へ移動しました。

■9月7日(月)レコーディング/キングレコード・東京/スルタン・カーン+ファザル・クレシ

 インド人演奏家を成田まで出迎えにいっていただいたエスラージの向後さん、ラバーブの鈴木さん、タブラーの吉見さん、デヴィッド、ディレクターの星川さん、プロデューサーの福田さんの見守る中、スルタン・カーン氏、ファザル・クレシは気持ちよく演奏し、レコーディング一発OKでした。この録音は、来年秋にキングから発売の予定です。  

 ホテルに「ASIAN FANTASY」でお世話になったシステマの沢井さん、金子飛鳥さん、篠原さんらがみえ、六本木の中華料理屋さんへ。

 金子飛鳥さんらのメンバーはその後もホテルへ尋ねてこられ、ヴァイオリンとサーランギの演奏合戦などもあり楽しい時間を過ごしました。離日までは、買物、新宿都庁舎、ピットイン、歌舞伎町のタイ料理屋(ここではピットインの小林さん、品川さんと)など、結構忙しく動き回りました。

 彼らを成田から送りだした後は、ぐったり疲れそのまま神戸へ戻りました。

■9月18日(金)美術館演奏シリーズ/倉敷市美術館◇出演者/中川博志:バーンスリー、吉見征樹:タブラー、寺原太郎:タンブーラ/9月19日(土)/福山市立美術館/9月20日(日)/高松市美術館

 春にアミット・ロイらと行った美術館演奏会シリーズの秋版です。今回は、吉見さんの運転するジェミニでの移動でした。倉敷では、阿部さん宅に例によって宿泊させていただきました。結局朝まで酒を飲んでドロドロでした。高松公演のとき、タンブーラ伴奏者寺原太郎さんのことを、奴隷に近い、と紹介したところ、アンケートの中に「奴隷さん頑張って」というのがあり笑ってしまいました。高松から福山へ行く瀬戸大橋の途中の与島で、生まれて初めてヘリコプターに乗りました。一人3分\3,900の遊覧飛行は、初めての人には値打ちがあると思います。福山の村上さんは酒を飲むと結構アグレッシブになりますね。彼のBMWの乗り心地はよかった。特製ケーキを差し入れていただいた岡山のミッチャン、原田さんにも会えました。

■10月8日(木)宝地院の中川浩安上人夫人、咲子さんが、パーキンソン氏病の長い闘病生活のすえお亡くなりになり、お葬式がありました。どしゃぶりの中でのお葬式は、咲子夫人には生前いろいろお世話になったこともあり、感慨の深いものがありました。ご冥福をお祈りします。

■10月9日(金)愛知芸文センター内覧会

 前日アミット・ロイ宅に泊り、新しい芸文センターへ出かけました。とにかく、とんでもなく立派な総合芸術施設です。特に3000人近い収容人員の大ホールは、大きな舞台のあちこちが自在に可動する装置つきのごっついものです。オペラなどの予定イベントが目白押しでしたが、有効的持続的使用が望まれます。来年の7月23日には、この大リハーサル室でハリジーのコンサートが開かれる予定です。お楽しみに。藤井さん御苦労さまでした。

■10月10日(土)ダルマ・ブダヤ宴会/鉄砲寿司/石橋・大阪

 活躍著しい京都芸大の中川真さんが1年ぶりに帰国したり(ベルリンで書いたという彼の「平安京-音の宇宙」は面白いですよ。これで彼はサントリー文芸賞を受賞し100万円もらったはず)ダルマ・ブダヤのメンバー棚橋さんとインドネシアの男性エディさんと結婚したりのなんやかんやで宴会となりました。

■10月17日(土)JAJICOレコーディング/タウンハウス・スタジオ 京都

 JAJICOは、シタールの井上憲司さんの無国籍風バンド。ビデオのBGMの録音ということでわたしも参加しました。

■10月18日(日)「アジアの音楽シリーズ」第10回演奏会『秋霜弾弦-日本のこと、中国のこと』/ジーベック◇出演/福原左和子:箏、金堅:古箏◇賛助出演/曹雪晶:二胡、村田栄美:箏、石川利光:尺八/企画制作:天楽企画

 このシリーズにしては聴衆の入りは若干少なめでしたが、いいコンサートでした。福原左和子さんも金堅さんも実力派、それぞれの特色を充分に出し切った好演奏でした。最後の日中合奏「春の海」は、直前に二人にお願いしたのですが、さすがプロフェッショナル、すごく良かった。

■10月24日(土)能「巴(ともえ)」/大槻能楽堂・大阪/天保山水族館見物

■10月31日(土)第2回アジア・太平洋芸術フォーラム「ラーマーヤナの芸能~東南アジアへの広がり」/ジーベックホール/シンポジスト:大野徹、土佐桂子、シースラング・プンサップ、徳丸吉彦、イ・ニョマン・ウィンダ、山口修、通訳:青山亨◇出演:スマラ・ラティ歌舞団(バリ)

 スマラ・ラティ歌舞団の水も洩らさぬ息の会ったパフォーマンスには感動しました。シンポジウムはもっとじっくりと、例えば何日かかけて行えば良かったのではないかと思いました。さらに言えば、「ラーマーヤナ」をこの神戸で考えることの必然性が感じられればさらによいイベントになったと思います。日本人ダラン、梅田さんはなかなかです。

■11月1日(日)芋煮会/再度山河原/「安兵衛」レギュラーメンバー+林公子+山崎晃男+河原美佳+寺原太郎+林百合子

■11月5日(木)倉敷市美術館演奏シリーズ「スーパーカッション」◇出演:小幡亨

 例によって阿部宅でドロドロ。

■11月6日(金)倉敷市文化振興財団/来年のハリジー倉敷公演の打ち合せ。

■11月8日(日)「諸井誠の世界-竹林奇譚」ジーベックホール◇出演/三橋貴風:尺八+鳴子

 三橋貴風さんの尺八の実力を思い知った演奏会です。ジーベックホールでもああいった演出ができるんだなあ、と思いながら、ちょっと不思議な演奏会を聞いていました。

■11月10日(火)鹿屋農高/鹿屋市文化会館・鹿児島◇出演/シタール:アミット・ロイ、バーンスリー:中川博志、タブラー:吉見征樹、タンブーラ:中川久代

 早朝の公演そのものは若干問題なきにしもあらずでしたが、鹿屋のマコトさん、甲崎選手のホスピタリティーにはいつもながら感激です。習い覚えた鹿児島弁です。

 はらが減ったでめすくわんしゃい。はよくわんしゃい。いまくわんしゃい。あんべえよかでしょつのまんしゃい。わっぜえ、ほがねえ。意味ははお分りですか。

■11月12日(木)「あじまぁツアー-りんけんバンド」IMPホール・大阪

 ますます元気なりんけんバンドのライブでした。りんけんビデオを買いたい、全日空のポスター欲しい、と思ったのですが、全部なくなっていました。楽屋ではりんけんさんとトモチャンに会いました。本当に、彼らのライブは楽しめます。機会があれば皆さんも是非。新しいCD「あじまぁ」もいいですよ。会場で水口町の村上さんに会いました。

■11月20日(金)榎忠個展「薬筴」ギャラリーミウラ・神戸北野坂

 われらがチューサンの久々の個展でした。まあ、昔よく会っていた神戸の知合が大挙しておしかけ、まるで同窓会のような趣でした。

 元「シャネル」のママとも久しぶりに再開し、「安兵衛」で一緒に飲みました。

 

注目 お待ちかね!OD-NETレーベルのCD最新版が来年早々にリリース。ヴァイオリンのD.K.ダタールによる「インドの暝想ヴァイオリン」と、スルタン・カーンのサーランギによる「雨季のラーガ」。同時発売!!

 


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