「サマーチャール・パトゥル」13号1993年6月18日

皆様、いかがお過ごしですか。お元気でしょうか。これからいよいよ暑くなってきますね。ちょっと早めの暑中見舞をお送りします。

 さて、今年は例年になく年頭からばたばたしていました。そこでいつものような巻頭エッセイは大幅に割愛し、「これまでの出来事」の部分を増やしました。4ページ分いつもよりも増えています。いつものように、この通信は、わたしの行動報告であると同時に、あくまでわたし自身の加速度的物忘れ傾向を少しでもくいとどめたいという願望も目的の一つですので、とりとめのない駄文にご了承下さい。書くほうもエネルギーが要りますが、読む方も相当根気が要りますね。

 巻頭エッセイは、季刊「兵庫のペン」誌から依頼された原稿をそっくり掲載しました。

「《むちうん》的国際化とアジアの音楽」

 神戸ポートアイランドのジーベックホールで四年ほど前から始めた「アジアの音楽シリーズ」は、この七月のオールナイトコンサート「アジアのスーパーフルーティストⅡ」で11回を迎える。

 日本の音楽文化は、なんらかの形でアジア各国のそれと密接な関係にある。わたしたち日本の文化の客観的見直しは、こうした近隣関係にある文化と比較し初めて可能であり、はるか彼方の西洋文化を通してはなかなか自己を照射することはできない。そこで、アジアの音楽を通してわれわれの足元を見つめ直し、日本とアジア各国の同種の音楽を同時に聞くことでそれぞれの違いと共通点を知ること、がこれまでの一連のコンサートの主旨である。

 と、まあ一応しかつめらしい能書きをコンサートのたびごとに主張しているのは、わたしがインド留学中にある種のカルチャーショックを体験したからである。

 わたしと配偶者が学生として三年ほど住んでいたのは、バナーラスというヒンドゥー教の大聖地であった。とにかくインドに長く住む、という目的のわたしたちにとっては、ビザの問題などで学生という身分が最も適していたのでバナーラス・ヒンドゥー大学に入学した。わたしたちが所属していたのは、当時外国人にのみ開講されていた「インド音楽鑑賞科」で、三年のコースであった。しかし、もともと勉強が好きで行ったわけでもなく、大学が学生運動などで混乱していたため、講義らしい講義をまともに受けていたのは一年ぐらいで、あとは本を読んだり、友人たちとしゃべったり、旅行したり、楽器の練習をしたり、と「留学」というイメージからはほど遠いものであった。

 同じ学科に、イタリア人のキリスト教牧師、ドミニクがいた。彼の専門は比較宗教学であったが、音楽にも興味をもっていてわたしたちと一緒に授業を受けていた。

 あるとき、わたしたちのアパートで彼とおしゃべりをしていた。インド人の思考方法、宗教、哲学、大家の悪口などから、西洋の音楽、キリスト教へと脈絡なく話題は変化する。バッハ、ベートーベン、モーツァルト、ヴィヴァルディなど西洋古典音楽、ジャズ、インドの音楽の魅力などについて話題が盛り上がったところでドミニクがわたしたちに質問した。

「ところで日本の伝統音楽はどんなか」

「うーん。いろいろあるからねえ」

「尺八の音楽を聞いたことはあるが、あれはインドや西洋とどう違うのだろうか」

「うーん。困ったなあ。まあ、日本には尺八だけではなく箏、琵琶とか能の音楽などあるわね」といいつつ、わたしは困惑の表情で配偶者に目で助けを求めるが、配偶者もわたしと変わらない。

「シントーイズムなんかと関係あるのか」

「ん。シントーイズム。あっ、あっ、神道のことか。うーん。関係あるんやろか」

「仏教と神道の関係は」

「うーん。うーん。うーん」

 わたしたちは、ごまかしめいた返答をときどき返すのみで、無知的困惑うーんうーん状況(以下《むちうん》)におちいるのであった。いわゆる先進文明国からやってきた仲間としてドミニクなどの欧米人に親近感をいだいていたわたしたちは、にわかに突き放された感じであった。心やさしいドミニクは、すぐさまインド音楽へと話題を転じたが、わたしたちは《むちうん》からしばらく立ち直れなかった。

 インド人とおしゃべりするときも同じである。わたしたちはインドのことを知りたいためにインドに住んでいたのであるから、聞きたいことは山ほどあり、かつ彼らはインドの文化に関しては大変な誇りをもっているのでわたしたちは格好の聞き役であった。ところが、しゃべり疲れたインドの友人たちが、ところで日本の文化は云々などと質問したとたん、わたしたちはたちまち《むちうん》になってしまうのであった。

 西洋人が誇りや嫌悪で西洋社会や文化について語るとき、わたしたちにはある程度の知識があり、それなりに対応できる。しかし、仮に西洋人との西洋文化に関するおしゃべり持続可能時間を一時間とすると、わたしたちの日本文化に関する時間は一〇分も満たないのではないか。わたしは、ベートーベンが運命の扉が叩かれるのを聞いて交響曲第五番を作曲したとか、後年耳が聞こえなくなったなどということは知っていても、例えば同時代の邦楽家である八橋検校が有名な「六段」の作曲者であったことすら当時知らなかったし、能も歌舞伎も一度も見たことがなかったのである。だから、インドという異質文化の接触でさまざまなカルチャーショックは当然あったが、それ以上にわたしは、わたし自身の日本文化と西洋文化に対する知識や思考量のアンバランスな状態にショックを受けたのだった。

 もちろん、こうした知識量のアンバランスによる無知的困惑うーんうーん状況はわたし個人の状況であり、ちっともうーんうーんにならない人はちゃんといる。しかし、インド留学から帰り、特に音楽文化に関して日本の状況を見直してみると、外国で《むちうん》になってしまうのはどうもわたしだけではないのではないかと思った。

 芸術音楽というと西洋古典音楽が代表であり、ジャズ、ポップスなどの大衆音楽も西洋的方法論の上で行われている。古典邦楽はあるにせよ、腐敗しないよう冷凍庫にビニールパック保存されたものをときどき出す、という程度で紹介されているにすぎない。ましてやアジアの音楽などに関心のある人は、変り者、珍しものずきだとされる。これは、NHKのFM放送番組の西洋と非西洋の時間比率をみるまでもなく、現在のわたしたちの状況である。学校の音楽教育では、相変わらず五線譜が読めなければ成績はだめであるし、先生になるにはピアノは必須である。わたしたちは、こうした環境で教育を受けてきた。通信交通の発展によってわたしたちは限りなく「国際的」にならざるをえないが、今のような環境に変化がなければ、その国際化に比例して《むちうん》状況におちいる人は増えるのではないか。

 神戸という都市は、中国、朝鮮、インドといったアジアの人々や西洋人と日本人が混然と住む日本でも特徴のある都市である。グルメシティーなどと自称するように、およそあらゆる国々の料理をいながらにして楽しむことができる。しかし、こと音楽文化となるとこうした特徴はまったく感じられない。このような現状を少しでも変えることができれば、そしてわたしのように《むちうん》にならなくともすむ人が少しでも減れば、というのが「アジアの音楽シリーズ」というコンサートを続けている動機である。

●これまでの出来事●

■12月9日(水)金子飛鳥ライブ/神戸・チキンジョージ/金子飛鳥:ヴァイオリン

 飛鳥さんは、精力的なヴァイオリニストです。5月に渋谷東急文化村であった「エイジアン・ファンタジー」のときお会いして以来のおつきあいです。仙波清彦とはにわ隊の南アジアツアーに参加するためのインド行の前のライブでした。フュージョンっぽい曲をおそるべきテクニックで弾きこなす彼女は実にかっこいい。「飛鳥ストリングス」のメンバーでチャーミングなヴァイオリニスト金原さん、プロデューサーで飛鳥のご主人の沢井さん、事務所の篠原さんらと再会しました。

■12月11日(金)~13日(日)ソウル

 生まれて初めての韓国へ、生まれて初めてビジネスクラスで行きました。たった1時間半のフライトにビジネスクラスはもったいような気がしましたが、サービスもよくゆったりしていて、価値がありますね。

 訪韓の目的は、テーグム奏者、元長賢氏にお会いしてコンサートのことなどを打ち合せるためでした。同行したのは、今回のスポンサーである徳山謙二郎氏、森本紀正氏、清水國廣氏。この3人は、大阪の「アジアED(えーでー)クラブ」の主要メンバーです。徳山氏は、奄美出身の作井満さんの経営する出版社、海風社の主催する一八会で一度わたしが講師としてアジアのことをしゃべったときにきておられ、急速に親しくなった人です。ご本人は、実業家なのですが、アジアの人ともっと仲良くならなあかん、アジアはえーでー、ということでクラブを結成し、日韓のジャズ交流などを支援しているのです。森本氏、清水氏もともに自身の会社のオーナーという大変な人たちなのでありました。

 金浦空港には既に徳山氏らの友人である朴さんが迎えにきていました。空港から市内までは、空いていれば車で小一時間という距離だそうですが、到着の時間帯のせいもあってか大変な渋滞でした。結局、ホテルに着くまで3時間以上かかりました。車内では、ここはどうせ混むことが分っているのだから高架にするべきだ、システムの問題だな、ぷんぷん、てな感じでそれぞれコメントを申しのべ、なかなか進まないことに対するイライラ感を癒そうとするのでありました。ソウル市内の道路はべらぼうに広々としているのですが、渋滞が日常化しているそうです。

 ホテルは豪華なファイブスターのラマダ・ルネッサンス。ホテルマンが、やあ、徳山氏、ようこそいらっしゃいましたというのを聞くと、徳山氏というのは相当な大人なのであるなあと感心したのであります。

 ホテルに荷物を置くなり、元長賢氏宅へ。われわれのために晩餐が用意されていたのです。その日のメニューは、

生蛎、鱈のから揚げ、六種類の韓国風お好み焼チヂミ、ほうれんそうとぜんまいのナムル、海老+鱈+あさりの具のはいった味噌汁、もちろん自家製の白菜キムチ、5種類の雑穀を炊いた御飯、焼酎

 といった豪華なものでした。すべて元長賢氏の夫人が料理されたもので、強烈な辛さもなく品のよい味でした。あさましく苦しいほど食べました。「韓国へくると肥えるでえ」といっていた肥えた徳山氏らの言葉に納得しました。

 食事の後、93年7月のコンサートの打ち合せ。外は寒かったのですが、室内はオンドルで気持ちよく暖められています。その暖気と焼酎で頭が鈍くなっていたわたしもバーンスリーをちよっと吹き、その後、元長賢氏、息子(韓国の笛テーグムのコンクールで優勝したとか)がテーグムやチャンゴ、夫人がヘーグム(胡弓に似ていますが、弦を押しつける圧力の調整で音程を出す擦弦楽器)を演奏してくれました。

 次の日は、みぞれ交じりの中を車で市内観光。南大門の市場(ここで唐からし、ヤンニンジャン、韓国味噌などを購入)、コリアン・ジャズ・クラブ(KJC)事務所、梨花女子大周辺(ウェディングドレスの店が延々と続き、洒落たブティック、飲食店などが並ぶ、大阪のアメリカ村のような雰囲気)など印象に残っています。夕刻は、コリアンハウスで元長賢氏の公演を見る。コリアンハウスは、韓国の伝統芸能と伝統食事を同時に味わえる場所です。わたしはここで、韓日辞書と料理書を購入。食事のあと元長賢氏らと分れていったんホテルへ。

「まだ12時前やな。いきつけのジャズライブハウス行ってみよか。なんかやってるやもしれん」という森本さんの言葉で朴さんの車で清水さん、わたしも再び出かける。徳山氏はホテルで「マッサージやっとるわ」でした。 ライブハウスは、20年前の日本のジャズ喫茶風でした。しかしその日はライブは終了したとのこと。閉店後、結構酔っ払っている朴さんが「まだ飲みたらん。家へいこか」というので朴さん宅へまた車を飛ばす。まあ、とにかく韓国の人のエネルギーは凄い。朴さん宅では、2回りほど年下の若い奥さんの手料理で焼酎を飲み、結局ホテルへ帰ってきたのが3時過ぎでした。

 次の日は、早朝帰国した森本さんを除いて徳山氏、清水氏とともにレンタカー(運転手つき)でロッテワールドへ観光し、夕刻大阪へ戻ってきました。お土産のキムチをどっさり買ったので機内はちょっとキムチっぽかった。

■12月14日(月)配偶者43回目の誕生日

■12月16日(水)~12月31日インドへ

 ヒンドゥーとモスレムの衝突事件が報道されるなか、インド音楽泥沼傾斜的大学院生寺原太郎とボンベイ、デリーへ行ってきました。

 昨年の交渉以来すっかりインド音楽にいかれてしまったイトマン(現在は住金物産)のボンベイ支店長、池田さんの車がボンベイ空港でわれわれを出迎えることになっていたのですが、1時間以上たってもそれらしい車がやってきません。深夜3時、悪いと思いつつぐっすりおやすみになっているはずの池田さんに電話をすると、

「おっかしいなあ。大分前にでとるから、もう着いとらなあかんけどなあ。途中で衝突に引っ掛かったんやろか」

 結局、待てどもきたらずで、これも大変大変申し訳ないと思いつつ、天理教ボンベイ支部の佐々木さんを電話で起こしジープで迎えにきてもらいました。いつもいつも佐々木さんには甘えっぱなしです。サンタクルスの佐々木さん宅に着いたのは朝の6時ごろでした。タクシーで池田さん宅へ行ってもよかったのですが、途中にモスレム地域があり、報道されていた物騒なニュースに恐れをなし佐々木さんにお世話になったのでありました。

 次の日、佐々木宅を出て池田宅へ移りました。池田宅は、ボンベイ有数の高級住宅地、マラバー・ヒルにある、日本でいえば億ションといった感じのアパートです。池田さんは住込のメイド付きで一人ぐらしをしているのです。

「ぜんぜんかまへんから、自分の家みたいに使って下さい。わたしがいないときでも、もしお腹すいたらメイドに作らせたらええし」

という願ってもないご親切で、結局ずっと甘えることになりました。

 例の衝突事件のためコンサートのキャンセルが相次ぎ、短期間の滞在でしたが、バーンスリーの師匠ハリジーのレッスンを毎日受けることができました。

 報道の割りには街は比較的おだやかでした。しかし、一度、ボリウォリという郊外に住むわたしの第2師匠、マルハールジーの所へ行こうとしていたら、まさにそのボリウォリ駅の近くで電車内の爆弾事件がありました。

 むしろ間接的影響のほうがわれわれには残念でした。というのは、この季節はコンサートシーズンで、例年であれば毎日のようにコンサートがあり、それを楽しみにしていたのです。ところが、衝突の騒ぎのためにほとんどのコンサートが取り止めになったり延期されていたのでありました。一度だけ、バーンスリーのルーパク・クルカルニ、タブラーのファザル・クレシ(昨年来日した例のオレガオレガのファザルです)、サントゥールのハリジェンドラのコンサートに、郊外のタナまででかけました。現在人気絶頂の声楽家、ジャスラージの家で集合しタナへ行くことになっていましたが、ジャスラージ宅へ行ってみると、サントゥールを習いにきていた小室さんと名古屋のヒゲさん(名前を失念)もいました。タナの演奏会では、わたしはルーパクの、小室さんはハリジェンドラのタンブーラ伴奏をしてそれぞれショールをもらいました。美人というのはこういう人をいうのだ、というぐらい美人(実際彼女はファションモデルもしているのです)のジャスラージの娘、ドゥルガも一緒でしたので、わたしたちは大変幸福な時間を過ごすことができました。

 ボンベイでは、毎日午前中のレッスンの他、スルタン・カーン氏、ダタール氏、サーランギのドゥルバ・ゴーシュ、中島領事、丸紅の大平副支店長、ハリジー宅、本屋、レコード屋、マルハールジー、床屋、日本領事館などを回りかなりのハードスケジュールでした。

 デリーには、翻訳出版準備中の「インド音楽概論(仮)」の出版許可を得るためにインド政府情報放送省出版局長に会うことが目的で行きました。これは、92年3月に同じ局長の「3週間以内に許可は下りるであろう」という言葉を信じていたらいつまでたっても許可が下りないので業をにやして再度会いにいったのです。局長は、

「きみの書類は、たしか法務省に今あるはずである。ところが、法務省の人間ときたらてんで能率がわるくてねえ。だから、わたしもいつになったらきみの期待に応えることができるか」

「はあ」

「いっそ、翻訳じゃなくて編ということにしたらどうだ。そうすれば、こんなややこしい手続きを踏まなくとも勝手に出せるよ。それに著者はすでに亡くなっているし。うん、そうしなさい」

「え。そんな。でもおー、わたしが勝手に政府の許可を待たずに翻訳というかたちで出版するとしたら、どんな問題が生じますか」

「ぜーんぜん」

「え」

「ノープロブレム」

「えええーー」。それなら最初に言ってくれればいいのに。

 というわけで、わざわざニューデリーにそれだけのために2度も出かけたことはほとんど無意味だったことが判明したのでありました。

 ニューデーリでは、10年来の友人、インドゥーさん宅に居候でした。

 同行した寺原太郎さんは、この報告ではあまり登場していませんが、概ねわたしと行動を共にしました。彼と同行するのは問題なかったのですが、ただ一点、猛烈ないびきには最後まで悩まされました。ほんま、殺したろか、というぐらいなのです。幸い、まだ彼は生きています。

■1月3日(日)、4日(月)雀仙会/中西勝宅

 恒例の麻雀大会です。またまた久代さんが2位でした。わたしは7位。3年連続で2位というのは、どこかおかしい。そんな実力はないはずなのに。

 

■1月22日(金)兪泰鎬先生来宅、韓国語学習開始

 ソウルへ行って、通訳を介した会話があまりにもどかしかったので、インド音楽農閑期を利用し韓国語を始めました。

 まず、生来ナマケモノのわたしに最も都合のよい最大願望条件は、

 ①ごく近所に先生がいること

 ②先生は我が家においでいただきたい

 ③授業料はできればタダでありたい

 ④先生は優秀であってほしい

でした。で、近所の神戸大学インターナショナルハウスへ出かけました。わたしの願望をかなえることのできる韓国人留学生がいらっしゃいました。韓国では高校の政治経済の先生をしているのですが、文部省の招きで神戸大学にきておられる兪泰鎬さん(男性30代前半-お年を忘れてしまいました)でした。

 兪泰鎬さんは、わたしの①~④の厳しい条件をすべて余すところ無くクリアーした、実によい先生なのでありました。兪泰鎬さんは、神戸大学の教育学部に留学されていて、論文を書いてしまったので3月の帰国まではなにもすることがなく、かつ日本人と友達になりたいという願望がありましたので、うそみたいに都合のよい話なのでありました。

 最初の10日間ぐらいは、毎日お昼ごろ来宅され、わたしの作る昼食を食べるとすぐレッスンでした。ソウルで仕入れた料理本が実に役にたったことはいうまでもありません。韓国料理のレパートリーが飛躍的に増えました。

 兪泰鎬は真面目な人で、わたしが料理をしている間も、共に酒を飲みに行ってても、演奏会のために大阪へ行く電車の中でも、街をいっしょに歩いているときも、コーヒーを飲んで一服しているときも、電話をするときも、矢継ぎ早に質問するという教授意欲満々質問反復攻撃の手を弛めないのです。たとえばこんな感じです。

 家にやってきた兪さんにコーヒーを出そうとしています。

「兪さん、まずコーヒー飲みますか」

「その場合、わたしはコーピルル・ジュセヨといいます。みじゅ(水)の場合は、ムルル・ジュセヨです。はい、発音して」

 兪さんは、つ、す、の発音がちゅ、しゅとなるのです。

「コーピル・チュセーヨ」

「いやいや。コーピルル・ジュセヨ。もう一回」

「コーピルル・ジュセヨ」

「いいですね。もう一回」

「で、コーヒーいかがですか」

「あっ、はい。お願いします」

 電車の中。

「兪さんは、韓国ではよく演奏会なんか行くんですか」

「んーん。めったに行かないですね。んーん。演奏会は、ハングゴロ(韓国語で)ヨンジュヘといいます。はい発音して」

「日本の電車はきれいで早いですね。電車は韓国語でチョンジャといいますね。はい発音して」

「んーん。もう一回」

「あと5回」

 飲み屋で。

「兪さんは水割りにしますか、それともロックにしますか」

「んーん。みじゅ割りの場合は、みじゅと一緒ということですから、ムル・ワハムケーですね。はい発音して」

 とにかく、兪泰鎬さんは韓国語を教えることに熱心で、息の抜けない日々なのでした。しかし、最初はそれなりに復習などをしていたので教え甲斐があったんだろうと思いますが、しだいにわたしがナマケテきたので悪いことをしました。最後のほうは、政治のことや現在の日本や韓国のこと、歴史などさまざまな話題でおしゃべりを楽しんだのでありました。また、近所の津村喬宅へごちそうに兪さんといきましたが、奥さんの和子さんも、わたしも習うわ、ということになり、兪さん、忙しかったろうな。今、韓国にいらっしゃる兪泰鎬さんお元気ですか。カムサハムニダ。

■1月23日(土)中川博志43回目誕生日

■1月25日(月)堺・山中宅フォンジュパーティー

 ボンベイの戒厳令のような状態から無事帰国?したピーター、その妻、浩子さん、その娘で本当にますます可愛くなってきたラリタ、山中三姉妹の早苗チャンとその夫藤本クン+拓郎、智チャン、そしてますます元気なお母さんのいる堺の山中家へ、チーズフォンジュを食べに、神戸から進藤女史、兪泰鎬さんと出かけました。それにしても山中家は楽しい家族です。

■1月27日(水)ペルシアの幻想、プーリー・アナビアン サントゥール・コンサート/伊丹アイフォニックホール/プーリー・アナビアン:サントゥール、佐野健二:ウード、西澤良幸:ダフ、谷正人+北見真智子:サントゥール、伊丹シティフィルハーモニー(加藤完二指揮)

 ペルシャン・サントゥールとオーケストラによる協奏曲は初めて聞きました。プーリーは随分前から練習していたようで、コンサート前に都ホテルの彼女の店へたまたま立ち寄ったときも、「今、もう大変なのよお。頑張ってるのよお」と張切っていました。中々良かったですよ。ただし、佐野健二選手のウードのピッチが相当ずれていてつらい面もありました。

■2月3日(水)レゾナンスBOXライブ/渡辺香津美、バカボン鈴木、石田長生、山岸潤史、ヤヒロ・トモヒロ他/神戸・チキンジョージ

 日本のギター界三羽根ガラスによる楽しいライブ。ベンチャーズなどのナツメロあり、ブルースあり、ロック風ありで、レゾナンスBOX単独のときよりずっとおもしろかった。

 ピットインの本村さんは、相変わらず胸の内ポケットに紙関係をたあっくさん入れて忙しそうでした。本村さんの企画制作である「エイジアン・ファンタジー」(今年も渋谷東急文化村で7月に開催予定)が関西でもやれたらいいのになあと思います。

■2月8日(月)ひょうご舞台芸術第2回公演/「実朝出帆」(山崎正和作)/新神戸オリエンタル劇場

 兵庫現代芸術劇場の総合プロデューサー山崎正和氏の作品です。舞台設定や転換などに、能的な工夫がこらしてあり、それなりによく企まれた舞台でしたが、狂言回し的な説明がくどいのではないかと思いました。どうも山崎さんは、観客の想像力を信用していないように思えます。知の勝った芝居、という感じでした。

■2月10日(水)大槻能楽堂自主公演能/狂言「鐘の音」、能「安宅」

 兪泰鎬さんと行きました。兪さんには、電車の道々、源氏平氏の物語などを説明していたのですが、安宅の関で弁慶が観進帖を読むあたりの主従の機微を説明するのに苦労しました。あとで兪さんに聞くと、「眠かった」。

■2月14日(日)中川宅カレーパーティ/駒井家、兪泰鎬、立花泰彦(ベース)、JAZZさん+配偶者+子、TONBOさん、高野和子+太一

 立花さんはボンベイから持って帰ったバーンスリーを取りに、JAZZ+α+tonboさんはわたしのコンピューターのお助けマンしに、高野和子+太一はカレーがちょっと余りそうだから食事のお助けマンしにそれぞれやってきました。

■2月16日(火)上原まり「平家物語の世界」/伊丹アイフォニックホール

 ここも兪泰鎬さんと一緒でした。バーンスリー修業者寺原太郎も行きたい、ということで行ってみると既に満席。アイフォニックのプロデューサー西岡先生にたのんで彼だけ裏口から入れてもらいました。まりさんの語りは、ハイトーンの極上品でちょっとまだ宝塚的です。まりさんのお母さんである柴田旭堂さんは、かつての元気ではなかったようです。

■2月24日(水)中川博志ライブ/名古屋国際センター/中川博志:バーンスリー、山本弘之:タブラー、ヨーコさん:タンブーラ

 愛知県ガールスカウト連盟の総会アトラクションとして演奏しました。かつてガールだったおばさまたちのインド衣裳姿は壮観でした。中にはハイヒールでサリーを着た女性もいました。

■2月25日(木)中川博志ライブ/生協会館・名古屋/主催:インド古典音楽研究会/中川博志:バーンスリー、山本弘之:タブラー、ヨーコさん:タンブーラ

 こじんまりとしたライブでしたが、気持ちよく演奏できました。名古屋の中川さん御苦労さまでした。

■2月26日(金)~28日(日)信州ご招待の旅/吉澤敬雄氏+小布施謙三氏

 バリ芸能研究会機関誌にサマーチャル・パトゥル合冊版無料配付の宣伝が載り、それで応募された信州新町の吉澤さんのお誘いで、信州旅行を楽しんできました。一日目は長野市で酒を飲み、二日目に高山温泉和郷園の露天風呂(ヨカッタナア)、小川の庄おやき村で縄文おやきを食べたあと雪の戸隠の民宿で一泊、次の日、仏画の本庄基晃画伯宅を訪問したあと善光寺参りでした。吉澤さん、小布施さん本当にありがとうございました。

■3月4日(水)コーク・ステップホールオープニングレセプション/大阪アメリカ村

■3月5日(金)オーセインツデイ/ジーベックホール・神戸/ロジャー・イーノ:ピアノ、ビル・ネルソン/ギター、ララージ:ツィター、立花まゆみ:チェロ

 ブライアン・イーノの弟、ロジャーを期待していったのですが、期待外れでした。ただ、ララージの即興と、チェロの立花まゆみさんが良かった。まゆみさんは、ジャズベースの立花泰彦さんの配偶者で、昨年のエイジアン・ファンタジーでお友達になったチェリストです。

■3月7日(日)中川宅カレーパーティー/ピーター+浩子+ラリタ、兪泰鎬、ジョーシ・マヘシュ+ニーラム+娘2

 ピーターたちのボンベイでのアパートのオーナーであるマヘシュ家(神戸在住)を招いてのパーティーでした。我が家のパーティーでは、食器数に限界があり、多人数ではかなりな困難を伴うことを再確認。

■3月10日(水)「ふれあいの祭典」社町主催企画制作打ち合せ→東大寺二月堂お水とり録音/兵庫県社町→奈良/中川博志、川崎義博、工藤聡史+エッチャン

 11月28日のイベントの打ち合せで社町へいったあと、奈良東大寺二月堂へ行き、初めてお水取りの儀式を覗きみました。それにしても寒かった。

■3月14日(日)オーストラリア総領事宅親善パーティー/神戸市灘区

 オーストラリアのワインとビーフをたくさんいただき、配偶者は特に喜んだのでした。このパーティーは、元々配偶者の勤める会社と関係のあるもので、出席者は山脇夫妻、辻さんなどの淡路フェリー関係者なのでありました。総領事のお宅は、丁度山口組本部の北上の豪邸です。

■3月23日(火)ジュゴッグ公演/伊丹アイフォニックホール/スール・アグン芸術団

 CDではこのグループの演奏を聞いていたのですが、実際の迫力はやはりすさまじいものがありました。単純な竹の楽器からあのような重低音が響きだすとは想像を越えていたのです。それにしても、アイフォニックホールの企画はますます好調ですね。今後も見逃せない。

■3月26日(金)ホンダアコード1800EX納車

 全身打ち傷だらけの、トランクに穴があき開閉のたびに鉄錆がパラパラと落ちる状態であった我が愛すべき53年型セドリックに感謝を込めて死んでいただき、ピチピチの紺色アコード(走行4000キロの中古車)が変わって我が家の足になりました。

■3月27日、28日みろくスクール「丸山博、光代講演」/広島県沼隈町みろくの里

 丸山先生は元阪大医学部の教授で、昔ある健康雑誌の取材でお会いして以来のおつきあいです。わたしの最も尊敬する人の一人でもあります。久しぶりにお会いしましたが、84歳とはとても思えないほど頭も髪も身体もシャンとしています。奥様の光代さんは本当にかわいい(78歳の女性には失礼かも知れませんが)人。

 光代さんの濃縮出し汁に最近凝っていますが、皆様にもその製造法を紹介しました。市販のおつゆとは比較にならないうまさですよ。

丸山光代式濃縮出し汁/材料

材料 削りかつお 2カップ

煮干し可

出し昆布 25g

干し椎茸 25g

醤油 3カップ

酒 1カップ

みりん 1カップ

 

作り方

1.煮干しの場合、小ならばそのまま。大ならば、ほぐしてハラワタだけ捨てる

2.出し汁昆布は、1cm角くらいに割り、椎茸も細かく割る。

3.鍋に材料全部を入れ、まぜて一晩おく。急ぐ時でも2時間以上おくこと。

4.鍋に火をかけ、煮立ったら弱火にして3分間煮詰めてこすと一番出し汁がで きあがり。

5.鍋に水4カップを入れ、4と同じに煮て二番出し汁をとる。鍋に1/3量残し、みりん大4を入れて煮詰めると佃煮がで きあがり。炒った胡麻を入れる。

■3月31日(水)神戸アーバンリゾートフェアーオープニング/ハーバーランド・神戸

■4月2日(金)天藤建築設計事務所花見/芦屋川原

 桜は三分咲きといったところでした。しかし寒かった。震えながら花見をしたのは初めてでした。

■4月8日(木)宝地院中川浩安住職読経録音

 これは、壇家の方々が、お尚さんの元気なうちにと読経の録音を依頼されたものです。

■4月11日(日)シンポジウム「六甲シンフォニーホールを市民の立場から考える」/センタープラザ・神戸/主催:神戸をほんまの文化都市にする会/パネラー:武田則明(建築)+金月しょうこ(現代美術)+朝比奈千足(指揮者)+竹山清明(建築)

 昨年神戸新聞の「論」に載せたわたしの記事のコピーが配られていてちょっとびっくりしたやらうれしいやらでした。

 武田さんの「岩穴をぶちぬいて作る構造物には建築家として興味がある」と、朝比奈さんの「ハードの充実は歓迎すべきだが、ソフトに充分な予算を組む必要がある。しかしなによりもわれわれ音楽家および支援者は、音楽の質の向上を考えなければならない」という意見が印象的でした。それにしても、新しいホールの建設というとき、ほとんどの人が西洋古典音楽のみをイメージすることには疑問を感じます。

■4月11日(日)ブッチ・モリスのコンダクションNo.29/ジーベックホール・神戸

 指揮者つきの即興音楽なのですが、演奏時間がちょっと長過ぎるように感じました。

■4月18日(日)安兵衛一八会大ちゃんこ鍋大会/再度山河原

 恒例の「芋煮会」春版です。9月に皆で山形へ行こうということになりました。

■4月23日(金)大田楽/メリケンパーク・神戸

 中世日本の賑わいが感じられました。笛の一曾幸弘が終始頑張っていました。

■4月25日(日)FMてんとん/DJ:中川博志

〈FMてんとん〉は、現在進行中の「神戸アーバン・リゾート・フェア93」のために特設された放送局です。2時間のDJを依頼され、インド音楽の特集をやりました。しかし、聞いている人はいるんかいなあ。ちなみに周波数は76.3khzです。

■4月27日(火)「大草原からメッセージ-遊牧と歌の国モンゴルの至宝たち-」公演/タリーン・ドゥラル・アンサンブル-草原の音楽/伊丹アイフォニックホール

 モンゴルというと馬頭琴、ホーミー、オルティン・ドゥーですが、やはりホーミーにはたまげました。かれらの音楽を聞いていると本当に大草原を思い浮かべるわわわわわあ、というのが配偶者の感想。循環呼吸で吹くリンベという竹の横笛が良かったので、5000円で購入してしまいました。

■5月1日(土)駒井家国際パーティー/リード+咲子、コリン、オー

 駒井家は、配偶者の妹の家族です。

 

●シタール、バーンスリーによるインド古典音楽演奏会ツアー/アミット・ロイ:シタール、ハビットロ・デブナート:タブラー、中川博志:バーンスリー、寺原太郎:タンブーラ兼ボーヤ兼写真記録係(ボンベイに一緒に行ったインド音楽泥沼傾斜的大阪大学理学部大学院生、彼のとった写真は、わたしのそれより全然良くて、どうもそちら方面に進むことにも彼は興味があるらしい)

 毎年春に恒例化したアミット・ロイ(以下バッチュー)との演奏ツアーでした。今回は、一昨年東北などを中心に一緒に回ったタブラーのパビットロ・デブナートが再来日し、下記の場所で演奏をしたのであります。

 今回は、昨年と同様、日本が最も美しい季節のツアーでした。自然や空気の美しさに最も感動したのは、隠岐と青森です。六甲山の緑も美しいですが、なにか、緑が輝くような感じなのです。日本は本当に美しいところだなあ、その美しい土地土地を巡ることのできるわれわれは幸せだなあ、と再確認したのでありました。

■7日(金)真宗大谷派小松教務所/小松市

 ツアー最初のコンサート。バッチューのシタールが本当に素晴らしく、またパビットロも進歩著しいので今回のツアーの成功を確信しました。一色さん、教務所の浅野さん御苦労さまでした。昼食はラーメン。

■8日(土)浅野太鼓店/松任市

 ショールームの演奏会を企画した専務の浅野さんはワシントンに出張で、石田さんにいろいろお世話になりました。また、専務の奥さんには、高周波数的大音声のやたら威勢のいい寿司屋さんでごちそうになりありがとうございました。金沢からは、田中さんと喜代美さんもこられました。

 浅野太鼓店のショールームは、世界中から集められた打楽器がきれいに並べられ、博物館のような感じです。われわれは、奥の正面にデンと置かれた大太鼓の前のステージで演奏しました。演奏前、金沢からやってきた職人風50代お父さん的オジサンが控え室までやってきて、趣味で独習しているのだがといって、100万円するというフラメンコギターを弾いてくれました。職業を聞いてみると、なんと大工さんとのこと。技術はまあまあでしたが、世の中にはいろいろな人がいるものですね。

 この演奏会の前、朝早く起きたので我が愛車アコードさんをきれいきれいしようとホテルの駐車場で洗車していて、まだ苗を植えたばかりの水田に転落し泥まみれになりました。(転落企画)。車は水田から1メートルほど高い駐車場にとめてあったのですが、境界になにも仕切りがなかったのです。アコード氏の顔をていねいに洗い、ちょっと離れて光沢ぐあいを点検しようと後に下がったら、ふわっとからだが宙に浮き、気がついたら水田に横たわる自分を発見するのでありました。社会からの転落を暗示するような出来事でしたが、幸いまだ転落していないようです。昼食はラーメン。

■9日(日)喫茶「いずみ」/根上町

 第1部のわたしの演奏のとき、タンブーラを調弦していたら、弦が切れました。しかたがない、4弦でもいいかと調弦しているとまた切れる。じゃあってんで、急いで弦を張り替え再度調弦するとまた切れ、お手上げ状態となりパビットロの長いソロで切り抜けたのでありました。こんなふうに弦が切れることはかつてなく、56億年7千万年に一回起きるか、といった稀な現象なのです。おそらく、聴衆の中にこうしたことを強く願望し相当の気のエネルギーを発した人がいたのかも知れません。今となってはそれも謎。前日の転落といい、切弦といい、今回のツアーには何か忌まわしい呪いのようなものがあるのではないか、などとバッチューは威かしたのですが、以後万事順調でした。昼食、夕食ともラーメン。

■10日(月)新後隆二宅/加賀市

 加賀へ向かう途中、時間があるので東尋坊へいってきました。東尋坊はいわずとしれた自殺の名所です。そこでわれわれは、「最後の昼食」を食べるために、日本海の荒波のごとく荒涼としたとある定食屋に行きました。お昼だというのに客が誰もいません。入っていくと、一人のオバサンが奥でテレビをみてなごんでいました。店内は、装飾の統一を開店当初から放棄したような企画された雑然さ、といってもいいような雰囲気です。われわれ4人は「これが最後だからね」といいながら、カツカレーを注文。味はまあまあ。ところが、わたしのカツをかじると、中はほぼ生なのです。で早速その旨をオバサンに報告すると、

「大丈夫よ。ぶたでも生で食えるから。どれどれ。うん。大丈夫、大丈夫」

「でもおー、ちよつと。揚げ直してもらふといふのは無理でせうか」

「どうしても、ということでしたらやぶさかではありません」

 自殺のために東尋坊へきた人を何人も思い止まらせた、というオバサンの自殺防止成功理由がなんとなく納得できる出来事です。まさか彼女は、どうせ死ぬんだからカツが生でも関係ないでえ~え、とは考えてないでしょうが。

 東尋坊の俗化は激しいものでした。1978年に配偶者と婚前旅行できたときとは大幅におもむきが変わり、立ち並ぶお土産屋の中に目当ての絶壁があるってな感じです。800円の目入り眼鏡を購入したのが東尋坊行の成果でした。しかし、この眼鏡には笑えます。

 さて、小松、根上、加賀の三ヵ所のコンサートをお世話していただいたのが新後さんです。新後さんは、この日のために自宅の一部をスタジオに改造し、指を2本怪我をされたのでありました。奥さんは加賀市議会議員なのです。スタジオは20畳ほどの、古い民家を改造した空間です。お客さんもたくさん入り、気持ちのよいコンサートでした。金沢の田中さん、加賀の陶芸家藤沢夫妻+女子など久しぶりに再会し楽しい打ち上げでした。田中さんは、なんとわたしがボンベイであったマリオ青年の家庭教師であったことを知りびっくりしました。打ち上げのあとの、歩いてすぐの日本海まで深夜の散歩は印象に残っています。

■12日(水)ペンション「花いかだ」/鳥取県大山の麓

 前日ここに到着し宿泊しましたが、2階の各部屋からは大山が仰ぎ見られる湖畔の本当に素敵なペンションなのです。フルコースのフランス料理つきで一泊9000円は安い。あくまで静寂な湖を背景として13名の聴衆の午前の演奏。なかなかの雰囲気でした。

 山陰方面をお世話していただいたのは、インドに学校を建てる、と頑張っている三村博子さんです。

 加賀から大山までの道中は、ハビットロの「パドゥ・デンゲ(さあ、わたしはあなたがたにパドゥを提供しよう)」に悩まされました。彼は来日以来お腹の調子がもう一つで、パドゥを連発するのです。パドゥとはベンガル語でおならのことです。エアコンで窓を閉め切った車中の空気を異質強烈臭気を伴ってかき乱すパビットロの狂暴猛毒的パドゥから逃れたいわれわれは、高速走行中にもかかわらず窓を全開し全員がその窓から頭を出すという危険を経験したのでありました。

■12日(水)ふるさと交流センター/西伯町

「花いかだ」での演奏を終えてすぐ移動し、途中、39歳(実際は89歳)だと主張するかわいいお婆さんのいる三村さんの自宅で一服したあと、西伯町の体育館風のホールで公演しました。

250人ほどの聴衆がうすべりに座っている様子は、少年時代に学校の体育館で映画を見たことを思いだしました。

 この晩泊ったのは、緑水園という温泉旅館でした。マネージャーの元気溌剌青年板井さんが、堺在住シタールの桧原選手の遠い親戚と聞きびっくりし、そのためか大サービスで全員大量の食物を摂取しました。夜の散歩のとき、夜空を光りながら横切ったものがあり、あれはまごうことなきUFOである、とはバッチューと太郎の一致した見解でしたが、わたしには疑問であります。

■13日(木)安来市民会館/安来市

 市民会館は古いがとても立派でした。しかし、音響がうまくいかずバッチューは不満のようでした。聴衆は約200名。打ち上げは近所の喫茶店でした。主催者の経営する保育園の保母さんたちがわたしの前に座っていましたが、それぞれ紹介しあうこともなく、かつカレー、やきめし、定食とお茶やコーヒーだったので盛り上がりに欠けそれぞれが疎外されたような不思議な打ち上げなのでありました。

■14日(金)八雲町熊野大社/八雲村

 島根女子短大の瀬古先生のお世話での公演です。

 神社での演奏会の前、八雲中学校で2コマの音楽の授業をしました。生徒たちには大好評でした。わたしはここで、先生は生徒であり生徒は先生である、という重大な事実を悟ったのでありました。朝日新聞の渡辺女史や、NHKのテレビカメラの取材の中、音楽授業を楽しんだのでありました。

 熊野大社のコンサートは、「庭火のまつり」という特別な催しの一環でした。社殿で宮司さんのみそぎを受けた後、かがり火に照される約1000人の聴衆を前にした演奏は気持ちの良いものでしたが、ムチャクチャに寒い日で、バッチューもわたしもパビットロも、自分の指ではないような指で演奏しました。

 このコンサートは大好評でしたので、9月にもやることになりました。

■15日(土)隠岐島文化会館

 三村さんの差し出す安来の聴衆のための50枚の色紙にサインしつつフェリーでやってきたわれわれを出迎えていただいたのは、都万村役場の斎藤博さん、西郷町役場の小室賢治さんでした。西郷で食べたあじの刺身はおいしかったですね。

 小室さんの案内で玉若酢命神社や後醍醐天皇ゆかりの国分寺、牛突きなどを見たあと都万村のログハウスのコテージへ。フェリーが近づくに従い現われる島影、そして西郷から都万村へいたる道々は本当に美しいものでありました。

 コンサート会場は、600名収容の堂々の文化会館でしたが、堂々としていただけに客席に点在する約60名ほどの聴衆とのコントラストが大きかった。コテージハウスの近くで取り行われた隠岐牛バーベキュー打ち上げは、それぞれ職業のある音響スタッフ、斎藤さんになどと楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 次の日は、ここまで行動をともにしてきた寺原太郎が車を神戸まで運び、われわれは電車で福岡へ向かいました。ジェットなんやらという早い船の中で話かけてきた人品卑しからぬ紳士は、実は隠岐フェリーの田黒社長でした。太郎は約5時間かけて本土に渡ったそうですが、われわれはたったの1時間で境港へつき、米子から特急いずもに飛び乗り岡山へ、そして新幹線で福岡、と今回の最も長時間移動なのでした。昼食はラーメン。

■17日(月)九州キリスト教会館

  福岡の主催者、コモンセンスの諏訪万里子さんとオリッスィ舞踊の福永彩子さんに迎えられひとまずインド料理屋「シヴァ」へ。松尾なにさんというかわいいウェートレスを見ながら幸福な気分で食事をし、ホテルへ行き死にました。前夜の不眠と長旅の疲れが貯まっていたのです。

 当日は、教会堂でのコンサートでした。タンブーラは、急遽、シタールのストリートミュージシャンのアメリカ人、マイケルが担当しました。しかし彼にとってはタンブーラは初めてだったようで、特にわたしのときはちょっと気持ち悪かった。聴衆は約200名。画家の中西勝さん宅で麻雀をした後藤塾の後藤さんとも再会しました。ミュージシャンの国友孝治さんが、自分のライブを途中にはさんでPAの調整に協力していただきました。博多名物屋台村の打ち上げでは、その屋台村の仕掛け人の平川義博さん、広島の新勝寺の壇上さんの知合いの熊本の礒邊自適さんなどと飲みまくりました。その後仕上げに、博多名物長浜本店のラーメンを食べましたが、期待していたほどではなかった。

 次の日は、博多ドームのバックステージツアーなるものに案内嬢の説明にうなづきつつ参加するという完璧なお上りさんをした後、博多の有名料理屋「稚加榮」で定食を食べ福岡を後にしたのでした。

■20日(木)横浜STスポット

■21日(金)名古屋芸創センター

 わたしは同行していません。20日は、シタール:井上憲司、ギター:宮野弘紀、ベース:山田晴三、ヴァイオリン:太田、タブラー:吉見征樹のバンド〈JAJICO〉の録音のため奈良の慧奏スタジオへ行っていました。

■24日(月)青森県七戸高校

 前日にJASで三沢空港へ。10年来の友人で、七戸高校の先生である工藤光隆さんのお世話です。バッチューとパビットロは別便で青森空港に到着。歓迎の宴が旅館で開かれましたが、図書館担当の和田先生の、腕毛逆立ての術や、オレガオレガ症侯群的自己方向話題集中願望の毒気に当てられました。

 七戸高校全校生徒約600名の前で演奏しました。生徒たちは結構うるさかったのですが、感想アンケートを読むと、感激しているものもいて意味のあるプログラムだったと思います。終わった後、20年来乗っているという工藤さんのオープンジープで宿泊先の「まきば旅館」へ。旅館へもどる途中のつつじが満開できれいでした。毎日「東八甲田温泉」へ歩いていき、温泉偏愛主義者であるわれわれは幸せでした。昼食はラーメン。

■25日(火)青森県八甲田高校

 担当は町屋先生。この学校は全校生徒が200名ぐらいと小さな高校です。ここの生徒たちは非常におとなしかった。昼食はラーメン。26日の昼食も三沢でラーメン。

 青森から直接神戸へ戻り、六甲山頂ケーブルに乗ったりと遊びました。パビットロは、山頂から見る景色にある感慨を覚え、ポートアイランドの北公園に戻るとしんみりとしていました。彼は、基本的にはオレガオレガの王子様タイプですが、昨年のファザルほど洗練されていずずっと素朴な青年です。今回のツアーでは、一昨年の仙台のミキチャンのようなガールフレンドに巡り合えず、なぜわたしはモテナイノダ、ということに悩んでいたのでした。彼の胸を去来するものが何であったのか、わたしには想像の外でありました。

■29日(土)みろくの里/新勝寺・広島

 3月に丸山先生の講演を聞きに新勝寺へ行ったことは既に書きました。今回はわれわれのツアーの最後の公演でした。大きな本堂でのコンサートは、バッチューもわたしも時間もたっぷりあったのでゆったりと演奏できました。隠岐で分れた寺原太郎が同居人の林百合子さんとともに再び合流です。

 ここの副住職壇上さんは全国にネットワークをもっており、参加した聴衆もさまざまな場所からこられています。諏訪万里子さんとお友達の池野純子さんも福岡からやってきていました。実はこの池野さん、パビットロのいつにない果敢な求愛行動の対象となり、仙台のミキチャンなみになったのかどうか、部外者のわれわれには大いに興味のあるところです。お腹がよじれるほど可笑しかった舞踊指導のテンコさん、存在自身が可笑しさを誘うのだまゆみさん、信州からの民謡の巧い人、高崎からの料理人兼針灸士兼ヨーガ・練功教師菅野ちづこさん、丸山先生ご夫妻など、多彩な人々でした。丸山先生は、コンサートの後、タブラーになみなみならぬ関心を抱かれ、ついにパビットロの演奏で踊りだすという場面がありました。そのときの丸山先生の表情は実に無邪気で幸福そうでした。

■6月13日(日)FMてんとん/DJ:中川博志

 4月に続いてDJ第2弾でした。インド音楽をベースにしたポップな音楽を紹介しました。

 

●これからの出来事●

■6月20日(日)インド古典音楽演奏会/愛知芸術文化センター/中川博志:バーンスリー、さくらいみちる:タブラー

■6月26日(土)「アジアの音楽シリーズ」レクチャー/「インド音楽のリズムと旋律」/ジーベックホール・神戸/講師:中川博志

■6月27日(日)インド音楽レクチャー/愛知芸術文化センター/講師:中川博志

 

ハリプラサド・チョウラシア 来日公演スケジュール93年7月

 いよいよわたしの師匠ハリプラサド・チョウラシアが再来日されます。今回はソウル公演も含め以下のように全国各地でコンサートが開かれます。

○ 5日(月)「東京の夏音楽祭」/昭和女子大人見記念講堂/問い合せ:アリオン音楽財団03-3400-5052

○ 6日(火) Recording Session (KING)

○ 8日(木) ソウル国立劇場

○12日(月) 仙台市青年文化センター/問い合せ/青年文化センター ℡022-276-2110  

○15日(木) 大谷大学-京都/問い合せ:大谷大学 075-432-3131

○16日(金) 倉敷市公民館/倉敷/問い合せ /倉敷市文化振興財団 0864-34-0505

○17日(土)「アジアの音楽シリーズ」第11回 「アジアのスーパフルーティストⅡ」/ジーベックホール・神戸/オールナイト9:30PM~5:30AM/問い合せ/ジーベック078-303-5600/ 詳しくは同封チラシを参照して下さい。

○19(月) Recording Session(xebec)/ジーベッホール・神戸/10:30PM~

○22(木) 水口碧水ホール/滋賀県水口町/問い合せ/0748-63-2006

○23日(金) 愛知芸文センター/名古屋/問い合せ/愛知県文化情報センター/ 052-971-5516(722~724)

 

■9月18日(土)「アジアの音楽シリーズ」レクチャー/ジーベックホール・神戸/「仏教音楽とインド音楽」/講師:中川博志

■9月25日(土)「アジアの音楽シリーズ」レクチャー/ジーベックホール・神戸/「寺院における音楽」/講師:南忠信(浄土宗総本山知恩院式衆)

■9月24日~26日「庭火の祭」/熊野大社・島根県八雲村/アミット・ロイ:シタール、さくらいみちる:タブラー、中川博志:バーンスリー

■10月2日(土)「アジアの音楽シリーズ」第12回「浄土礼讃とインドの音楽」/ジーベックホール・神戸/浄土宗僧侶約30名:礼讃+読経、アミット・ロイ:シタール、さくらいみちる:タブラー他

■11月10日(水)甲崎澄彦とめぐる世界の音楽の旅/鹿児島県鹿屋工業高校/アミット・ロイ:シタール、中川博志:バーンスリー他

 

注目 大好評!OD-NETレーベルのCD最新版好評発売中。ヴァイオリンのD.K.ダタールによる「インドの暝想ヴァイオリン」と、スルタン・カーンのサーランギによる「雨季のラーガ」。購入ご希望の方はすぐ天楽企画/電話&FAX 078(302)4040へ。

 先号でもご紹介しましたが、サマーチャル・パトゥル1~11号をまとめた冊子がまだ残っています。ご希望の方は、360円切手を同封の上お申し出下さい。

戻る

 


◎サマーチャル・パトゥルについて◎
 サマーチャルはニュース、パトゥルは手紙というヒンディー語です。個人メディアとして不定期に発行しています。

 

編集発行発送人/中川博志
精神的協力者/中川久代
〒650 神戸市中央区港島中町3-1-50-515
電話&FAX 078(302)4040