「サマーチャール・パトゥル」14号1994年1月23日

 皆様いかがお過ごしでしょうか。ちょっと遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。年賀状を送っていただいた方々、ありがとうございました。

 世の中は不況の嵐が吹いているということですが、今のところ、もともと失うもののない中川家としてはほとんど関係がないように人生は進行しています。本日(23日)は、小生の44回目の誕生日となりました。年齢からいうともう立派な中年となり、39歳10ヵ月目あたりから気になりだした出腹も既に日常化してしまいました。髭そりの面倒から開放されたいと、従来の髭を鼻下部から顎部分まで拡張しましたが、白い毛が次第に一定面積を占めるようになりました。財力と外形的魅力に欠ける点も考慮すると、最早たるみのない輝く肌の若い女性とのワクワクドキドキの期待ははるかに希薄となり、淋しいものも若干あるのでありました。しかし、そうした気分とはかかわりなく時間は確実に進んでおります。

 先日は、大学時代の恩師、沢田稔北大名誉教授の訃報がありました。昨年まで毎年年賀状をいただいていた先生の死は感慨深いものがあります。一方、この8日の沢田先生の告別式のために香典を代理依託したかつての後輩であり同級生(私が大学を2年間さぼって外国旅行にいっていたので起きた現象)であった平井卓郎さんが、同級生の助手や当時(21年前)既に助手であった人を飛び越して教授となっていました。

 さて、今年はどんな年になるか、毎年のことながらまったく分りません。配偶者は、勤め人なので、勤め人なんてツマラナイと自ら退職するか、会社に致命的な損失を与えるか会社が無用な人間として判断するか会社自身の経済的理由から解雇されない限り、今年も会社員であり続けるかも知れませんが、小生の方は、いったい今年は仕事があるのだろうか、と配偶者が勤め人である限り主夫としての若干の安定感はあるものの、考えてしまうのであります。

●これまでの出来事93.6~94.1●

■6月20日(日)インド古典音楽演奏会/愛知芸術文化センター/中川博志:バーンスリー、さくらいみちる:タブラー

 地下3階の大吹き抜けのスペースで演奏しました。係員の方が、よく響く空間なのでPAシステムは不要と判断されたのでありましたが、音が垂直に拡散する構造でしたのでお客さんには音が届かない、という事実が判明。急遽マイクセットを用意してもらうというハプニングがありました。たまたま、打ち合せでセンターにきていたNADIの川崎さんの柔軟な機転のおかげで無事スピーカーのセットも完了したのでありました。担当の藤井さん、御苦労様でした。

■6月26日(土)「アジアの音楽シリーズ」レクチャー/「インド音楽のリズムと旋律」/ジーベックホール・神戸/講師:中川博志

 ジーベックのレクチャーシリーズは、わたしの企画する「アジアの音楽シリーズ」の付属的催しとして企画されたものです。というのは、舞台でしゃべるのは基本的にみだぐねぇ、演奏会は演奏を聞くためであって勉強会ではねえべ、という反省があったのです。そこで、演奏会とは切り離した解説のためのレクチャルが企画されたというわけです。予想以上の予約(65名)がありました。「インド音楽に興味をもっている人は意外にたくさんいるんですね、中川さん、大スターぢゃあありませんか」などとおだてる担当の下田さんに乗せられて、このシリーズは今年も続きます。

■6月27日(日)インド音楽レクチャー/愛知芸術文化センター/講師:中川博志

 で、神戸ではこげなレクチャルをすんなだげんどもよ、と愛知芸文センターの藤井明子学芸員にいいましたら、じゃあ名古屋でも、ということになりました。こちらとしては、神戸で使った資料はそのままでいいし、講義の組み立てもほぼ同じなのでラクでした。名古屋も予想以上の人においでいただきました。タブラーのデモンストレーションは、変な芸名のさくらいみちる氏。名古屋でのレクチャルは、7月のハリプラサド・チョウラシア師の公演を含めた「インドの憧憬」シリーズの一環でした。

■6月28日(月)東海ラジオ/名古屋

 レクチャーを終えて酒をがんがん飲んだ次の日の早朝、といっても9時ごろですが、東海ラジオまで出向きインタビューを受けたのでした。 外は蒸暑いのに、スタジオはまるで冷凍庫のような寒さ。この建物は古くて冷房の効きが偏っているのです、というセーターを着たアナウンサー蟹江篤子さんの説明でした。お礼にポケットラジオをいただき神戸に戻りました。

 

◎ハリプラサド・チョウラシア極東公演

 当初、予算などの関係もあって、呼ぶのは私の師匠ハリプラサド・チョウラシア(以下愛称ハリジー)とタブラーのスバンカル・ベナルジーの2名の予定(ラケーシュ・チョウラシアは東京公演のみ)でありました。ところが、まず香港のハリジーの弟子アヴィシャから、来日予定の1月ほど前になって突然「わたしもツアーに同行したい」と電話が入ったのです。「ハリジーもその件では同意している。渡航費、滞在費などは自分もちなのでノープロブレム、だからホテルと航空券の予約だけしてほしい」という申し出。既にツアー全日程の宿泊および交通手段の予約、予算を細部にわたって決定していた小生としては大いにプロブレムなのでした。

 しばらくすると、今度はハリジーから、

「アヴィシャはわたしとタンブーラー奏者として全日程を伴にする、諸般の調整タノム」

などと手紙が届くではありませんか。ま、師匠の頼みとあって断るわけにいかず、ホテル、航空券などのアレンジをしたのでありました。

 ふと、アヴィシャはバラモンだからひょっとして菜食主義者ではないのか、という不安がチラと頭をもたげたので電話で確認すると、明るい声で「イエース。アイアム ピュアー ベジタリアン。でも、ぜーんぜん心配なさらないで。ノープロブレムよ。ドントワリー」

 万事休す。非常に楽しみにしていたソウルでの韓国食三眛は危ういものになる予感がし、結局その予感通り、あの韓国ソウルで、あのキムチキムチしたソウルで、あのネンミョン(冷麺)がオイデオイデしている食の都ソウルで、思い浮べただけで唾液分泌の促進されるソウルで、毎晩インド料理という事態になったのでした。

 さて、あとは彼らを待つのみという3日前に話を戻すと、なんとまた一人ツアーに同行するのだ、というエアーインディアのスチュワーデス、スミタなる女性からの国際電話。日本までの足は、航空会社の人間だからノープロブレム、わたし、日本で一切自分でアレンジするから、と言われても。ハリジーのカセットテープを各会場で販売したいとのこと。即座に、

「わたしはあなたの面倒はとても見切れない。あなたが自分で勝手にわれわれについてまわるのを拒否できないが、泊るところも確保できないのであきらめよ」

と返事をしたのでしたが、成田空港の到着ロビーから、バカ重いトランクを3個引きずりつつ件のスミタがやってくるではないか。

 偶然にも、「エイジアン・ファンタジー」のプロデューサー、ピットインの本村さんが、出演者であるサーランギーのドゥルヴァと声楽家の妹、中国人の二胡奏者の出迎えのため空港におられました。前年の「エイジアン・ファンタジー」でお世話したドゥルバに空港で会えるとは、まったくの偶然なのでした。で「もし万が一、車にわれわれ3名の座るスペースと都心まで連れて行くことにやぶさかではない、ということは・・」と小声で本村さんにお願いすると「大丈夫、スペースはありますから、どうせそのつもりでしょう、ははははは」。本村さんありがとうございました。ところがその車には、スミタのスペースはなく、そのことが彼女の恨みというか願望未達成の始まりなのでありました。結局東京の安宿探しに疲労困憊した彼女は「みんな私のことなどちっとも構ってくれないし」(実際それどころではなかった)「食事も誘ってくれないし」(違うホテルにいるので連絡が取れなかった)「こんなに東京の物価が高いなんて、もう、わたし帰る」ということになったのでありました。哀れスミタ、世界は常に自分の願望をかなえるために存在する、という彼女の感覚および態度がその美しく整った顔とスラリとしたスタイルを損なっているスミタは、その後も数々の小波紋を与えつつわれわれの知らないうちに帰国したのでした。

 さて、ハリジー一行とは別便でオーストラリアから来日予定だったハリジーの甥のラケーシュには、自分でホテル(渋谷東急イン)までくるように、と連絡をしておいたのですが、予定時間になっても現れない。これもわたしの気にかかっていたことでした。エアーインディアのマネージャー、セングプタ氏に、彼が搭乗するであろうあらゆる航空会社に問い合せをしていただいたにもかかわらず、そのどれにも乗っていず、本当に実際、スミタどころではなかったのです。香港からのアヴィシャは、大阪で日航便に乗り換え羽田に到着の予定でしたが、寺原太郎を派遣していたのでつつがなく合流しました。結局ラケーシュが到着したのは、次の日の早朝で、朦朧としたわたしは新宿駅まで彼を出迎え、ホテルに無事チェックインしました。

 インド人を日本に迎える際のこうしたドタバタはおそらくまだまだ続くのでありましょうか。

■7月5日(月)「東京の夏音楽祭」/昭和女子大人見記念講堂/主催:アリオン音楽財団

 この日は最も忙しい日でした。ラケーシュを新宿まで迎えに行ったので前夜はほとんど眠らず、ぼーっとしつつ朝食を食べたあと、アヴィシャの最入国ヴィザ問題をクリアーしなければならなかったのです。

 香港の日本領事館は、今回のツアーは韓国公演が間に挟むので当然マルチプルエントリー(ヴィザ有効期間中何度も出入りできる)を発給してくれるものと思っていたのにシングルのヴィザしか出していず、保証しかねるが東京でトライしてくれ、ということだったのです。・・・たく、無責任なんだから。既に彼女のソウル行き航空券は予約済みであり、ソウルの人たちにも彼女の出演は連絡してありましたので、どうしても最入国許可が必要なのでした。

 アヴィシャが「わたしの問題だから、わたし一人で行く」というので、必要と思われる書類と行動手順を指示して彼女を送りだしたのですが、インド大使館から「ヒロシ、ヘルプミー」の電話。もうちょっと寝たいなと、まどろんでいた小生は「なにがノープロブレムだ」とぶつぶつ言いながら大使館まで行ったのでした。

 大使館の感じの悪い、笑顔を禁じられたような日本人女性スタッフにいやみを言いつつ大使の推薦状をもらうとすぐ東京出入国管理局に出向いたのでしたが、昼休み。

 入管には、さまざまな許可や申請を待つ多数の外国人が、それぞれ希望や幸福や落胆や諦感や侮蔑や憎しみや攻撃性や不安などを抱きながらウロウロしているのでした。それにしてもこんなに多くの外国人の事務処理を毎日毎日行う職員もらぐでねえなあ。自動車免許書き換え場に似た雰囲気でした。

 昼休みが終わり、職員が所定の位置に着きますと、外国人たちの塊はカウンターへ向かってどよどよ動き始める。最入国許可は相当難しいと聞いていましたが、あっけなく解決しました。職員も、一定の厚みの書類さえあればよく、いちいち個人の特殊事情を聞いているヒマがないほど忙しいのでしょう。しかし、当然のごとく、ここの職員にも厳しい笑顔禁止令が発せられている模様で、ジョークはまったく通じなく、この人たちの人生のヨロコビはいったいなんなのでろうかと、ひと事ながら同情を禁じえないものがふと胸をよぎったのでありました。

 懸案だったヴィザの問題も無事解決したので、すぐさまホテルへ戻り、リハーサルへ行く準備をしました。われわれのいない間のハリジーたちの昼食は、寺原太郎の用意したケンタッキーフライドチキンのチキンバーガー、コールスロー、コーラなのです。どうもこのパターンは定着しそうです。

 さてこの日の演奏会は、「音楽祭」の幕開けのメインイベントなのでした。2000人以上入る大ホールでしたが、ほとんど満席。この日は、リハーサルと同時に、NHKの取材(7月18日「おはようニッポン」で放映)や写真撮影、PA(星川京児選手がついたので安心でしたが)、CDやスミタが持ってきたテープの販売依頼、楽屋のお茶スナック関係、終わった後のディナー、韓国の準備状況の確認などを同時進行的にチェックしなければならず、頭はパンク状況でした。

 アリオン音楽財団の方々もパニックに陥っていた模様で、舞台に敷く布がなく直前に買いにいったり、肝心の舞台監督が走り回っていまして(中津川さんスミマセン)、どうもあまりシステマチックにスタッフが動いていない感じなのでした。そうこうするうちにさまざまな偉いさんが楽屋にやってきたり、岡山姉妹が是非会わせたいとおっしゃっていた正木晃さん、河野亮仙大師、バリ芸能研の松澤緑女史、タオミュージックの宇佐美淳子さん、わが「インド音楽研究会」の歌姫、井上貴子さんなどともお会いしたりで、もお、バンザイなのでありました。

 ハリジーの舞台はやはり素晴らしかった。また、スバンカルのタブラーもいい感じでしたし、なによりも伴奏バーンスリーのラケーシュの成長が目に見えたので、音楽が始まったとたん、きれいにパニック状況はすっ飛んでいました。アリオンの江戸京子さん、井上さん、中津川さん、本当にお疲れ様でした。

■6日(火) Recording Session (KING)

 ゆっくり目に朝食を取り、地下鉄でキングレコードのスタジオへ。プロデュースは、例によって今や仕事に油の乗っている星川京児選手。ところで彼は結婚するしないの噂がありましたが、どうなったのかな。

 バーンスリー:ハリジー+ラケーシュ、タブラー:スバンカル、タンブーラー:アヴィシャ+松本泉美という構成。ハリジーのこの日の演奏は気合が入っていました。レコーディングの後のNHKラジオジャパンの取材の予定があり、迎えの車の手配をしていたりでじっくり聴けなかったのですが、テープを聴くと実によい演奏だったことが分ります。スタジオへ行く車中でハリジーが「なにしよ」というので「日本音階に似たブーパーリーでは」と言いましたら「ん」ということになりました。

 この録音は、前年のスルタン・カーンと合せて今月、キングレコードから発売になる予定です。曲内容などの詳しいことは、わたしがライナーノートを書きましたので、CDを購入のうえご参照のほどを。

 日本唯一タブラーのみで生計をたてる吉見征樹選手と松本泉美さんの娘、音々はますますカワユクなりました。

 レコーディング後は、渋谷のNHKへ直行です。お名前だけは伺っていたラジオジャパンのヒンディー語担当松永さん、今回の直接の担当者佐竹さんにハリジーとスバンカルを引き渡し、昼抜きの一行はNHKの食堂でようやく食事にありつきました。しかし、哀れアヴィシャの食べられるものはないのであります。ひひひひひ。

 食後間もないわれわれは、インタビューの終わったハリジーとスバンカルと合流し、NHKのインド人スタッフの推薦するインド料理店へ行きました。インド人店主は、入ってきた客がハリジーだとすぐ気がつき、なんの注文もしていないのに、これでもかこれでもかと、どかどか料理がやってきます。これはいったい店主のサービスか否か、と案じていたのでしたが、やはり小生の払うこととなり、予算よりはるかに超過した金額を、平静を装いつつ支払ったのでした。ハリジーは、たらふくのインド料理とNHKからもらったCDウォークマンをいじりつつ大満足、アヴィシャは菜食関係が出て大満足、俺は本当は小食なのだと常に主張する大食漢スバンカルもやはりNHKからもらったウォークマンをいじりつつ大満足、なかなかうまくなったとハリジーに褒められてにわかに食欲の旺盛になったラケーシュも大満足。ま、いいか。

■7日(水)早朝帰国の予定だったラケーシュを新宿駅の成田エクスプレスのホームまで送りました。朝食がわりの新宿駅立ち食いそばがおいしかったなあ。

 ところで、雨の朝の渋谷で、白装束の若い男女が、ガンバルゾーとか、ヤリヌクゾー、などと怒鳴りあっていたのはなんだったのでしょうか。ラケーシュに「あれはナンダ」と聞かれても分りませんでした。

 ホテルヘ帰ってすぐ荷造りをし、韓国行に不要な荷物を東京駅に預け、成田へ。旅慣れているハリジーの荷物は少ないのですが、スバンカルと特にアヴィシャは、自分の腕の本数を考えろと言いたいぐらい、うんざりするほど荷物をもっているのです。

 ソウルへの機中では、ハリジーにアリランをレッスンしました。

 金浦空港には、ソウル公演のスポンサー徳山氏、清水さん、タフな朴さん、公演主催者でありテーグム奏者、元長賢氏夫妻他に出迎えていただきました。前回と違い、空港から市街までは比較的スムーズに到達し、特2級デラックスのリベラホテルに荷を解きました。永東大橋の下を流れる漢河が窓から見える立派なホテルです。広々として清潔な部屋で、1泊8000円というのは安く、これはコネで超割引価格にしてもらったのだそうです。東京渋谷東急インの狭い割に高かったのとは大違いなのでした。

 ホテルで一旦休憩したのち、今回の公演の主催者である元長賢氏宅へ。キムチ、ナムル、チヂミ、ビビンバ大会でした。元氏宅では、いやあ、食べた食べた。わたしは、ハリジーたちの通訳も兼ねていたので、その日のメニューをいちいち記憶する余裕がありませんので紹介できませんが、とにかく、おいしかった。ハリジーたちも結構食べていましたが、ホストへのサービスという感じでした。ピュアーベジタリアンの哀れアヴィシャは、菜っ葉しか食べるものがなく、ひひひひひひ。

■8日(木)「韓国・インド 笛の競演」/国立劇場・ソウル/元長賢+テーグム国楽院+ハリジーグループ

 この日は、朝食のあとスバンカルの部屋へ行き練習です。うすうすと感じていたのですが、スバンカルは大変な腋臭と判明。人格も体格も円満な好青年ですが、部屋に入ったとたんに鼻腔を鋭く直撃する臭いには強烈なものがありました。まあ、これも慣れてくるとどうってことはありません。主奏者の旋律の動きがよく分っているタブラーワラなので気持ちよく練習することができました。

 さて、昼食の後は公演会場である国立劇場へ。南山公演の近くにあるこの劇場は、非常に大きく、3000人は入れるものです。楽屋のソファがちょっと汚れていたり、建物全体も日本のピッカピカのホールとは違います。舞台から3階まである客席を見ますと、奥行がそれほどないためコンパクトに感じました。

 前日の元長賢さんとの進行打ち合せも、具体的ではなくなんとなくもどかしい思いで会場に入りました。なんとか、せめて出番のタイミングだけでも知りたいと思い元さんを探すのですが、彼自身もかなりパニックで常に走り回っています。ようやくつかまえて打ち合せ。

 元長賢氏は、小生は韓国語がペラペラだと思い込んでいるのか、早口で説明します。悲しいかな0.1パーセントぐらいしか通じません。元氏夫人のもどかしい英語通訳で聞いてみると、われわれはなんと、奈落の底からせり上がる、という演出でありました。ハリジーの「うーん」で、その演出は取りやめになりました。

 楽屋では、テレビ、新聞、雑誌などの取材者が溢れ、大混乱の状態でした。インタビュアーのなかに、現在バナーラスの大学でタブラーを習っている、という金昌洙青年に会いました。「きっと僕が、インド音楽を習う最初の韓国人だろう」と言っていました。私の同窓生ということになるわけで、親近感を抱きました。今後彼ともいろいろできそうです。

 予定より大幅に遅れてわれわれのリハーサルが始まりました。PAの金さんに、「ヴォリューム ルル チャンカンマン(ヴォリュームをちょっと)・・・」と注文すると、ギロッと鋭い目で睨まれ、日本語で「ワカッテル、ちょっと待って。音を大きくね」。小生のハングルは、食事のときはなんとか通じたものの、やはり全然だめなのでありました。

 今回の公演でのハリジーの持ち時間は35分しかありません。韓国とインドの笛の競演という割りには、圧倒的に韓国伝統音楽の方が時間的に長かったのです。しかし、ハリジーの短時間に凝縮した演奏は、客席の心を確実にとらえ、終わると嵐のような拍手がなりやみませんでした。チマ・チョゴリの元氏夫人もタンブーラー奏物としてアヴィシャと共に参加。私もバーンスリーでハリジーの伴奏をしました。しかし、これほどの聴衆からこれほど熱烈な拍手を受けたのは初めてです。拍手がやむとハリジーは、「最後に、5分間だけ、ソウルに来てから憶えた民謡を演奏します」といって、小生と密かに練習しておいた「アリラン」を演奏し始めました。しーんとした会場は、次第に興奮の波に変り、最後は歌いだす人まで現れました。終わると聴衆は総立ちです。ほとんどの人が初めてインド音楽を聞いたわけですが、これほどの興奮になるとは。音楽の力は偉大です。ハリジーは、次のお礼の言葉で締めくくったのです。「カムサ、ええ、カムサンダ、ん、アリガト。サンキュー」。日本と韓国の違いが分かっていない。

 公演終了後は、ロビーでパーティーが始まっていて、大変な人でした。われわれは皆空腹でしたが、さまざまな韓国のエライサンに次つぎと紹介されたり記念写真を取られたりで、食べるひまもありません。

■9日(金)ハリプラサド・チョウラシア師歓迎レセプション /インド大使公邸・ソウル

この日は、ハリジーはホテルで休養です。アヴィシャは通訳の夫京眞(ブー・キョンジン、以下ブーさん)と市中へマーケティング。スバンカルは個人練習で、インド人がめいめいの行動でしたので、小生はその隙間をぬって旅行会社の朴美子社長と近所の食堂へビビンメンを食べに行きました。もう、狂暴に真っ赤なビビンメンは、辛いなんてもんじゃなかったが、これがなくてはなんのソウルかってな感じでした。

 夕方、われわれハリジー一行、ミス・ブー、徳山謙二朗氏、徳山氏の会社の原田信一(もと麻布警察署長だそうです)さん、元長賢氏夫妻が、インド大使より夕食会の招待を受けました。山の手にある大使公邸からは、ソウル市街の夜景を見降ろすことができました。庭といい、建物といい、本当に豪邸なのです。大使は、以前東京に永らく在住したことがあり、この時はアメリカへいって留守だった奥様は日本語ができるのだそうです。

 夕食は、もちろん、ギンギンのインド料理。当日同席していたのは、大使の他、大使館書記官、インド料理店アショカのマネージャー、たまたまソウルを訪れていたインド空軍学校の校長夫妻。

■10日(土)ハリプラサド・チョウラシア師歓迎レセプション/レストラン「アショーカ」・ソウル

 アヴィシャは、ミス・ブーと買物へでかけ、店主に罵られながらディナーセットをとことん値切って買ってきて御機嫌でありました。

「しまいに怒りだすんだから」とはアヴィシャの弁。店主がかわいそう。

 小生とスバンカルは、日本のフリージャズシーンではよく名前の知られているパーカッショニスト、金大煥(キム・デファン)氏宅へ遊びにいきました。ホテルまで迎えにきていただいたのですが、なんとその車は、韓国には1台しかないというフォルクスワーゲンの戦場仕様という感じのフルオープンカー。街を走るのがとても気持ちよかった。

 金さんの家は団地アパートの3階です。まず、見せられたのが、びっちりと極微細に「般若心経」の書かれた米粒やはんこ。ギネスブックに載ったのだそうです。彼の舞台のビデオも見せてもらいました。前日の公演を聞いた金さんは、「韓国の笛は負けたよ。ありゃーすごいねえ」スバンカルのタブラーにも感心して、今度は一緒になんかやりましょう、ということになりました。お宅を辞した後は、韓国食堂でチゲ鍋とプルコギを御馳走になりました。何でも食べる小食主張的大食漢スバンカルと一緒でよかった。

 午後、私の韓国語の先生、兪泰鎬氏がホテルへ訪ねてきました。久しぶりでなつかしく、永東大橋からホテル周辺の住宅街を散歩しました。3,4階たての住宅や、アパートの屋上やベランダにキムチ甕が並んでいるのが印象的でした。兪泰鎬さんは、私がすっかり勉強を怠けていることが分かったので、神戸にいたころの教授攻撃はありませんでした。

 夜は、昨夜の大使が再びわれわれを招待。今度は、今ソウルで一番ナウい繁華街、梨泰院(イテウォン)にあるインドレストラン「アショカ」での夕食会。毎晩、あのキムチキムチしたソウルで、インド料理なのでありました。次の朝は、尻に火がつきました。イテウォンの路上で、わたしは皮製の黒い帽子を約1000円で、スバンカルはヨメハンへのお土産の白い犬のぬいぐるみを購入。

■11日(日) 徳山氏ら日本人は前日帰国していましたので、われわれハリジー一行とミス・ブーとで金浦空港へ。これを記念にもって行って下さいと、非常に立派な公演プログラムとポスターの束、およそ10キログラムの紙関係を携えてきた元長賢夫妻に見送られながら一路、仙台へ向かいます。その紙関係は、仙台空港で置き忘れ、後で神戸に送ってもらいました。

 韓国公演では、準備段階で協力していただいた森本さん、元長賢氏夫妻、徳山謙二朗氏、清水さん、韓国の元長賢氏と徳山氏の友人たち、ホテルやハイヤーや通訳を担当していただいた世林観光のスタッフ、ミス・ブー、インド大使など他にも名前の思いだせない数多くの人に本当にお世話になり、ありがとうございました。

 仙台は、国政選挙の真っ最中でした。仙台ホテルの窓からは、陽にやけた三塚氏が白い手袋を振って通行人に愛想を振りまいていました。

 夕方から3時間、ハリジーのレッスンの後、青年文化センターの高橋さんとホテルで食事。アヴィシャは、特注野菜サンドしか食べるものがありません。ひひひひひひひ。

■12日(月) 仙台市青年文化センター

 午前中スバンカルと練習した後、その彼と昼食にラーメンを食べました。おいしかったなあ。

 青年文化センターの会場は、約600名入るシアターホールでした。満員でした。私は、バーンスリーでハリジーの伴奏をしました。いつもそうですが、仙台の聴衆は非常におとなしかった。また、担当の高橋さん始め、スタッフがしっかりしてるのでほとんど大事件が起きないのです。この時期には既に、われわれを招待した仙台市長は検察から取り調べを受けていたのでしょうね。

■13日(火) 「東京の夏音楽祭」出演者歓迎レセプション/インド大使館・東京

 仙台から新幹線で東京へ。スバンカルとアヴィシャは初めての新幹線に興奮していました。東京駅には、エアーインディアのセングプタ氏が迎えに来られていました。預けた荷物をどうにかセングプタ氏のクラウンのトランクに押込んで、インド大使館に近いフェアモントホテルに到着。このホテルは、前年スルタン・カーンとファザルとも泊っています。

 大使館でのレセプションには、「東京の夏音楽祭」の関係者、インド人VIPなどかなりの人数が参加しました。以前神戸のインド総領事であったヴァルマ氏の企画でした。しかし、ただただ飲んで食べるのみで、誰も互いに紹介し合うことがないのです。星川京児選手、ティム・ホフマン、アリオンのスタッフ、井上貴子さんなどと再会した他は、本当にただただ飲んでインド料理を食べるのみなのでありました。

■14日(水)東京から京都へ新幹線で移動。夕方から3時間、ハリジーのレッスンでした。ハリジーは、レッスン後のイタリア料理が気に入ったようでした。

 京都は宵山祭りです。通りはすごい人出でした。かなり前からの予約でもホテルの空室が取れず、結局、京都の繁華街のど真ん中、四条河原町のビジネスホテルでした。この日、神戸からわがアコードを運んできた寺原太郎と合流。

■15日(木) 大谷大学-京都

 おそらく大谷大学での公演が、今回のツアーでは最良の演奏だったと思います。700人ほどの大講堂はほぼ満員でした。演奏後は、また、また、木屋町の川沿いのインド料理店でした。店は日本人だけのスタッフなのに結構インドの味が楽しめました。

 大谷大学の釜田哲男さん御苦労さまでした。

■16日(金) 倉敷市公民館/倉敷

 京都から車で倉敷まで移動です。前回ハリジーが来たとき、オレガ運転スルノダ、とボンベイ流運転術(他者無視的割り込み平気)で神戸から京都へ移動したのを思いだしましたが、今回は後ろで大人しく座っていました。途中、牛窓に近いブルーラインの休憩所で休憩。師の前ではタバコが吸えないので、この時間を利用し隠れるように慌ただしく一服。ここからの美しい瀬戸内海の眺めは最高ですね。

 倉敷ターミナルホテルに荷を解いた後、会場である倉敷市文化会館に向かいました。この会場は、なかなか渋い外観とは異なり、内部は相当に歴史というものを感じさせます。昔の活動小屋という感じでした。

 演奏会は、小生がバーンスリー伴奏になったので、第2タンブーラーを寺原太郎が担当しました。

 公演後、岡山のクスリ屋のミッチャン(小西道子さん)と原田さんが手配してくれていた「カナディアン」で食事をしました。食事に関しては、あのベシダリアンのアヴィシャのおかげでインド料理一色なのです。

■17日(土)「アジアの音楽シリーズ」第11回「アジアのスーパフルーティストⅡ」/ジーベックホール・神戸/オールナイト9:30PM~5:30AM/バーンスリー:ハリプラサド・チョウラシア+中川博志、シタール:アミット・ロイ、タブラー:スバンカル・ベナルジー、タンブーラー:アヴィシャ・クルカリニ+岸下しょうこ+田中峰彦、能管:松田弘之、小鼓:大倉源次郎、大鼓:山本哲也、太鼓:上田悟、テーグム:元長賢(ウォン・ジャンヒュン)、伽耶琴+牙箏+小金:白寅栄(ペク・イニョン)、杖鼓:金清満(キム・ジョンマン)

雨の降る倉敷から神戸への途中、ミッチャンのクスリ屋により、寺原太郎、原田さん、ミッチャンたちの車と合流し、神戸へ移動。

 ハリジーとスバンカルは、ポートアイランドのホテル・ゴーフルリッツに宿泊でしたが、予算の関係もありアヴィシャは我が家に滞在です。

しばらくしてシタールのアミット・ロイも合流したので、我が家は突然2人の料理人を抱えることとなりました。

 さて、恒例のオールナイト演奏会は内容的に非常に充実していて大成功だったと思います。ハリジーやアミットの演奏もさることながら、韓国チームのシナウイの大迫力、能グループの緊張感もよかった。

 韓国組の楽屋には、ジャズの大塚善章さんも見えていました。わたしは、元長賢さんに、ソウルで約束していたタンブーラーを進呈しました。元氏夫人も来日の予定でしたが、聞くと直前になってヴィザが失効していたことが判明してこれなかったということです。

 ジーベックのプロデューサー下田さんの、「オールナイトというのはよいが、そろそろスタッフの体力を考えないとね」という言葉が妙に実感されるのでありました。

 この日は、細川内閣誕生を決した選挙の投票日でした。

 徹夜明けの夕方は、我が家で、中川家臨時料理人2人とスバンカルによる豪華インド料理。またです。というか、毎日なのです。

■19(月) Recording Session(xebec)/ジー ベックホワイエ・神戸/10:30PM~

 恒例の深夜録音です。オーディネットCDのための録音でしたが、現在のところ資金不足と販路の未開拓のためまだCDは出ていません。

 約70分の演奏は、ラーガ・ビーンパラースィーの1曲だけです。この演奏ははすごいですよ。CDが出たときは是非お買い求め下さい。

 20日~21日は完全休養の日でした。たいていは、ハリジーともども我が家で過ごしました。20日は、インド人がきたら必ず連れて行く規定観光コース、六甲ケーブル+六甲ロープウェイに彼らを案内しました。

■22(水) ハリジー歓迎レセプション/インド総領事公邸・芦屋/ハリジー一行の他に、ジーベックから下田さん、廣田さん、天藤事務所から、天藤さん、内田はるみさんなどが参加しました。新しい総領事夫妻は、文化活動に理解の深い方々であります。

■22(木) 水口碧水ホール/滋賀県水口町

 前日に神戸から移動して、水口センチュリーホテルへ。ハリジーは、やっぱり空気のきれいな田舎はいいなあと満足していました。

 ハリジーは毎朝最低1時間は早足で散歩をします。糖尿の傾向があるので必須なのです。水口では、せっかくきれいな空気なのに、ホテル周辺には安全な散歩道がなく、ホテル横の広大な駐車場をぐるぐる回る作戦に切り換えました。ちょっと太めのインド服の中年ハリジーと、彼に遅れまいとちょこまかくっついて歩くジーンズ姿の若いインド人男女、それに鼻髭短足日本人中年が、駐車場を何回も何回も歩くの図は、平和な田舎町水口町住民には奇妙な集団と映ったでしょうね。

 碧水ホールは満員でした。水口町の聴衆は、ハリジーの超絶技巧とロマンチシズムのコンビネーションに打たれ、暖かいものをわれわれに放射しているように感じました。

 公演の後は、例によって打ち上げです。公演に関わったあらゆる人が参加しました。ハリジーは珍しく日本酒を飲み、いけるいけると上機嫌でした。事前連絡をしておいた主催者スタッフの中村さんと上村さんは、アビシャ用に菜食関係の食べ物を用意してくださっていましたが、彼女は単に菜食主義ではなく超保守的なのでほとんどのものが食べれず、ひひひひひひひひ。

■23日(金) 愛知芸文センター大リハーサル室/名古屋、主催/愛知県文化情報センター/ハリジー一行+アミット・ロイ

 長いハリジーツアー報告でしたが、いよいよ最後の段です。

 前半がアミット・ロイ、後半がハリジーというプログラムでした。PAは心優しい料理人NADIの川崎選手。最後のハリジーの演奏は、わたしは全ツアー中で最も不満のあるものでした。おそらくかなり疲れも貯まっていたのだろうと思います。ゆっくりした部分を大幅にはしょり、最初から飛ばしっぱなしという感じでした。超絶技巧も魅力的ですが、先生の本当の魅力は導入部のアーラープにあるとわたしは思うのです。 担当の藤井明子さんはじめ芸文センターのスタッフの皆さんに感謝しております。

 さて次の日は、ハリジーとスバンカルを新幹線(彼ら待望の「のぞみ」)のホームで東京に送りだし(東京から成田へのアテンドはエアーインディアのスタッフにあまえました)、わたしとアヴィシャは車で神戸へ帰りました。アヴィシャはその次の日、食に関しては不幸でしたが、十分に日本・韓国旅行を楽しみ大阪から香港へ帰っていきました。

 約3週間のツアーでしたが、実に長く感じられました。ほとんどトラブルもなく無事終えることができたのは、このツアーで関わった多くの人たちの協力があったからです。改めてお礼を申上げたいと思います。

■8月8日(日)安藤朝広宅厳選同窓会/奥山隆夫+風太+湊隆+中川博志・久代/大学時代の同級生安藤の奈良の自宅で同窓会でした。

■8月24日(火)ベンポスタ子供サーカス/神戸・ワールド記念体育館

 甥と姪の駒井あや子、さとし、かずあきを連れて見にいきました。観客数に較べて会場が大きいので、ガランとした感じでした。子供サーカスそのものは、一定レベルではあるものの、ショーとしてはいま一つでした。サーカスの後は、エキゾチックタウンでお好み焼き。

 以前兵庫県近代美術館にいた友人田平純吉・まさこ選手夫妻が、このサーカスの仕掛人の一人でした。後に彼らの話を聞くと、このサーカスへの思い入れの違う人々の調整が難しかったらしい。大きなイベントを制作するのは大変なことです。

■9月3日(金)安兵衛青春18ツアー山形

 春秋の芋煮会の主催者である安兵衛寿司のオッサンが、「山形へ青春18切符でいくのだ」と宣言したので、常連客と行ってきました。同行したのは、ピアノの皆廻さん、クラリネットの松本さんとわれわれ夫婦です。別便の建築の武田則明さん、祥福寺の阿部宗岳さん、神戸市議会の高橋さんが山形で合流しました。われわれ18組は、約18時間かかって山形へ着きました。

 当日は、世界一おいしいラーメン屋のオーナー兼私の叔母の店(月美八)で宴会。宿泊は、阿部さんの義兄の陶芸家、細谷幸介氏の別宅を借り切りました。翌日の素人陶芸教室+絶品の蕎麦大会+強烈に熱い上山温泉+本場芋煮会、翌々日の山寺参拝は実に楽しかった。それにしてもこの集団も魔訶不思議なつながりですよね。われわれが山形へ行っている間、開店以来ほとんど清潔努力のなされてこなかった安兵衛寿司はぴかぴかになっていたのでした。

 皆を送りだしたあと、われわれは赤湯の実家へ行きました。長井にいる同級生蒲生と久しぶりに飲みました。

■9月11日(土)「アジアの音楽シリーズ」レクチャー/ジーベックホール・神戸/「仏教音楽とインド音楽」/講師:中川博志

■9月17日(金)鈴木昭男・じゅんこ夫妻+中川真来宅

 八雲村でのシンポジウムの打ち合せでしたが、ほとんど打ち合せにはならず、単なる飲み会となったのでありました。

■9月18日(土)アーユルヴェーダ研究会奈良/奈良・桜井/スパイスについて/講師:中川博志

 東方出版の編集長、板倉さんに誘われて奈良のお寺へいってきました。前日の酔いが残っていて、わたしの話はさんざんだったと思います。前回の濃縮出し汁でご紹介した丸山博先生の奥様光代さんも来られていました。

■9月19日(日)「乾いた風の音楽-常味裕司アラブ音楽の夕べ」/神戸・シアター・ポシェット/ウード・唄:常味裕司、ヴァイオリン:太田惠資、ダルブッカ:海沼正利

 電話では知っていた常味さんと初めて会いました。太田さんは、JAJICOの録音でつきあいましたので旧知です。アラブの軽い曲も楽しめましたが、タクシームなど本格的な古典曲をじっくり聞いてみたいと思いました。この演奏会の世話役は、ヨーガの三浦さんでした。

 演奏会の後は、田中峰彦・理子夫妻、辻口選手と久しぶりにサイモンの「マラケシ」に行き、モロッコ料理を楽しみました。

■9月22日(水)「二人の先駆者によるコンピューターミュージックの美学」/神戸・ジーベックホール/作曲・演奏:クラーレンツ・バルロー、ピアノ:藤島啓子、企画・解説・通訳:三輪眞弘/打ちあげ:高田香里さん宅

 クラーレンツ・バルローという人は、ドイツのケルンに在住している作曲家です。独自の作曲用コンピュータープログラムソフトを開発し、そのソフトに従って作曲するのです。

 興味深かったのは、彼がインドのカルカッタ出身だということです。純粋のインド人というわけではなく、アングロインディアン(イギリス人との混血)なのです。そのせいかどうか、彼の作品にはインド音楽の影響も見られます。英語、ドイツ語、フランス語、ヒンディー語、ベンガル語など多言語人でもあります。

 小生は彼と話してみたいと思い、強引に打ち上げに参加しました。神戸の夜景が眼下に広がる岡本の高田さんのお宅では、すき焼が用意されていましたが、小生のにわか参入で各自の肉の割り当てが減ったかもしれません。

 おしゃべりや高田さんの箏を聞いたりと、楽しいひとときを過ごしました。摂南大学の中島さんは先に帰りましたが、わあ、電車がない、どうしよう、と申されたピアノの藤島啓子さんは結局高田宅泊となりました。

■9月24日(金)八雲中学校音楽授業/八雲村

 島根女子短大の瀬古さんのアレンジでした。アミット・ロイ+さくらいみちる+寺原太郎というメンバー構成。

 春にも八雲中学校で音楽授業をやり、それが好評でしたので今回も、ということになりました。しかし今回は主に「国際交流」の時間となり、アミット・ロイのシタールに生徒たちの地元民謡安来節の合唱が応える、という形でした。

■9月25日(土)「第1回庭火祭-国際民族音楽祭in八雲」/熊野大社・島根県八雲村/シタール:アミット・ロイ、タブラー:ギリダール・ミシュラ、さくらいみちる、バーンスリー:中川博志、ネパール舞踊:ブバンダース・タムラカール、タンブーラー:寺原太郎/「フォーラム-音・場・神」/シンポジスト:中川真、鈴木昭男、中川博志/進行:瀬古康雄

 この催しは、春に行ったアミットと小生の演奏会を気にいっていただいた八雲村の人々が、今後毎年続けようということなったものです。 演奏会の前のこじんまりとしたフォーラムでは、中川真さんの発言と、鈴木昭男さんのアナラポス(この名前はオナラ、プスッからきたという説がある)が印象に残りました。

 印象に残った真さんの発言の一部を意訳的に解釈、紹介します。真さん、間違っていたらゴメンナサイ。意識的主体的に音を出す人間は、その音によってある空間を支配しようとする意図がある。音の管理は権力者にとって重要の問題だった。かつてヒトラーは、大衆を相手に演説する際、演壇の下に特大スピーカーを置いたそうです。サウンドスケープの目的の一つは、そうした権力者による音の管理をわれわれが取り戻すことである。選挙演説の音量は権力取得の意欲に比例する。などとなどと聞きますと、うーむ、なるほどとうなずくのでありました。音楽の演奏も、奏者の音の届く範囲を奏者の作りだす音世界で支配したいという願望があるわけなのですね。

 鈴木昭男さんのコイル式糸電話のようなアナラポスは、これまで体験したことのない不思議な音世界で感動しました。非常に素朴で恥ずかしがりやの鈴木さんと、かなり年の離れた淳子夫人とは以来親しくつきあうことになりました。

 インド人のタブラーを、という地元の強い要望で、群馬のティム・ホフマンの招待で来日していた声楽家ガネーシュ・ミシュラの息子ギリダールを急遽お借りし、小生とアミットの伴奏をしてもらいました。彼は、演奏中、主奏者に関わりなくテンポを加速するという面もありましたが、それなりのレベルのタブラー奏者で、地元の人たちも満足していました。

 わたしは、神事のあとに劉宏軍に作ってもらった土笛も吹いたのでありました。あの笛、吹いたのは初めてなのです。

 久しぶりに会ったネパール人のブバン君は、大人の顔になっていました。もう子供もいるのですから当然か。それにしてもよく飲みます。

■9月26日(日)八雲周辺神社周遊+音遊び

 瀬古さんを先生とした約20名の大人生徒たちが、近くの小さい神社で音を出し、岡山のミッチャンの気功指南や中川真さんの奇妙な音遊び指導などの野外学習をした後、近所に散在する神社巡りをし、出雲割子蕎麦を食べ、ちょっとした交通事故を目撃したり。

 瀬古さん、いろいろ御苦労さまでした。

 ■9月27日(月)「インド古典音楽会」/米子市/シタール:アミット・ロイ、タブラー:さくらいみちる、バーンスリー:中川博志、タンブーラー:寺原太郎

 浄土宗一遍上人派(とはいわないと思いますが)のお寺での演奏でした。この演奏会は米子の三村博子さんのアレンジ。

 お酒の好きな副住職の池田さんに聞きますと、山陰では過疎化が進み無住寺となっている寺が増えているそうです。ただでもよいから住んで欲しいといわれました。低収入高家賃に悩む寺原太郎は、真剣に前向きに取り組む意欲を見せましたが、家賃はタダでも生活するには現金収入がいるよと言われ、あれからどうなったか。

■10月2日(土)「アジアの音楽シリーズ」第12回「浄土礼讃とインドの音楽」/ジーベックホール・神戸/礼讃+読経:《アミターバ・サンガム》浄土宗僧侶有志、シタール:アミット・ロイ、タブラー:さくらいみちる、タンブーラー:田中峰彦+岸下しょうこ

 声明とインド音楽は、シリーズ1回目の真言声明に続き2回目でした。後からきた人の入場をお断りするほどの満員でした。知恩院からお借りした式衆の衣裳で身を包んだ18名のお坊さんたちのお経は、音楽的かつおごそかで、お客さんの中には涙を浮かべていた人もおりました。

 真言宗と較べ、浄土系の人たちには明るい印象を受けました。

 

■10月3日(日)「韓国伝統音楽+シンセサイザー」/奈良・飛鳥寺/テーグム:元長賢他

 雨の中を飛鳥寺まで行ってきました。このときは、元長賢さんの他に奥さんも来日し、ヘーグムの演奏をしました。

■10月6日(水)南インド語ヒアリング/四天王寺国際仏教大学高橋孝信助教授

 今年6月に出版予定の翻訳『インド音楽序説』のテルグ語の読みを教えていただきました。

■10月15日(金)「ツトム・ヤマシタ+声明」/奈良・東大寺

 東大寺大仏殿前の芝生に座って聞きました。レーザー光線がビュンビュン飛び交い、シンセサイザーの音がものものしい演奏会でしたが、なんか、もう、時代遅れの感じがしました。声明は、坊さんが2,3人だけなので、ほとんどツトム・ヤマシタのリサイタルなのでした。

■10月16日(土)~19日(火)サンスクリット、ヒンディー語、南インド音楽用語ヒアリング/千葉・市川市・宮本久義宅+埼玉・川口市・井上貴子宅

『インド音楽序説』のヒンディー語、サンスクリット語、南インド音楽用語などを教わるために東京へ行きました。宮本さんには本当にお世話になりました。料理はいつでも致しますのでまたご教授お願いします。井上貴子さんちにも行きましたが、おしゃべりの方が長かったかな。駅構内の境界柵を挟んで東京芸大の田中多佳子さんともお会いしました。田中さん、楽器カタログありがとうございました。『インド音楽序説』は6月出版予定で、例年のインド行をとりやめ鋭意努力しております。

■10月22日(金)23日(土)鈴木昭男+じゅんこ夫妻パフォーマンス/京都府・丹後/サウンドアート:ロルフ・ユリウス他/賄い担当:川崎義博+中川博志

 鈴木昭男さんちの裏山で行われたパフォーマンスのお手伝いでした。小生とNADIの川崎さんは、鈴木家の台所を完全に把握し、作業の人たちの食事制作を担当しました。ガムランのダルマ・ブダヤのメンバー、名古屋の藤井明子さん、ユリウスと奥さんなどとも会いました。

 鈴木さんの作った小屋や仕掛けが面白かった。鈴木さん夫婦は、今月から1年間ベルリンで住むので空家になった家はいつでも使ってよいということになりましたが、丹後は遠いなあ。

■10月23日(日)「芋煮会」/再度山河原/恒例の安兵衛寿司主催の芋煮会。

■10月28日(木)「ダヤ・トミコ&サキ インド舞踊公演」/京都府立府民ホール「アルティ」/インド舞踊:タンマイ・ナティヤアラヤ(インド舞踊研究所)、シタール:桧原孝之、タブラー:中島知晶、バーンスリー:中川博志

 ダヤ・トミコとは、以前京都ホテルに勤めていた古本登美子さんのこと。非常に優秀なバラタ・ナーティヤムのダンサーです。わたしは、彼女の創作舞踊『醜女の天女』の伴奏音楽を、桧原、中島両選手とともに務めました。

■10月30日(日)大谷大学同窓会公演/エソール広島・広島市/シタール:アミット・ロイ、タブラー:さくらいみちる、タンブーラー:中川博志

 さくらいみちる氏は、食い物に尋常ならざる執着をもっている人ですが、広島=お好み焼の連想が頭を占領していました。いったい彼はなん枚食べたのか。お好み焼を一枚食べたすぐ後にラーメンを食べるという、とんでもない胃袋の持ち主です。

 初めて広島平和記念資料館へいってきました。

 

■11月10日(水)、11日(木)「甲崎澄彦とめぐる世界の音楽の旅」/10日-鹿屋文化会館(鹿屋工業高校)/11日鹿屋中央高校体育館/シタール:アミット・ロイ、タブラー:さくらいみちる、バーンスリー:中川博志、津軽三味線:石井秀弦+社中

 2回目の鹿児島公演でした。前回は上園マコトさんの飲み食い屋「マコトゲ」でしこたま焼酎と魚三眛でしたが、マコトさんちにいろいろ事情が生じ、マコトゲはなし。

 鹿児島では有名な鹿児島弁テレビタレント甲崎選手は相変わらず元気でちょっとええかげんなのでした。女に釣られて鹿屋まできてしまった岩手の安藤さんが今回の担当でしたが、そのうち陶芸の世界に入るのだ、などと悟りの境地に近付いているようなのでありました。

 連日の飲み食い三眛は言うまでもありません。特に食い物に尋常ならざる執着をもつさくらいみちる氏は、鹿児島市までカルマンギアーに乗せられてフランス料理を食べにいくという飽くなき執着ぶりを示したのでありました。

■11月13日(土)「第5回TIAフェスティバル」/豊田市民文化会館/主催:豊田市国際交流協会/韓国伝統音楽、日本民謡、ブラジル音楽、シタール:アミット・ロイ、タブラー:さくらいみちる、バーンスリー:中川博志、タンブーラー:足首骨折的高木くん

 本番まで時間があったので皆で猿投温泉(さなげおんせん)に行きました。温泉は大変よかったが、入場料が高すぎる。

■11月14日(日)タミル語ヒヤリング/名古屋大学山下博司助教授+Dr.G.Ravindran/山下さん、ありがとうございました。

■11月15日(月)リゾナーレ小淵沢

■11月16日(火)八ケ岳高原ロッジ

 配偶者が神戸からわがアコードをひっぱってきて名古屋で合流し、一気に山梨県の小淵沢と八ケ岳までリゾートしに行ってきました。豊田市でいただいたギャラを全部このリゾートで吐きだしました。八ケ岳で見た星は美しかったが寒かった。安い安いと路上売り高原野菜をしこたま買って帰りました。

■11月17日(水)大谷大学学園祭「ジャズ+和太鼓 」

■11月20日(土)武庫川女子大シンポジウム/尼崎/パネラー:山口勝弘、藤本由紀夫他/進行・コーディネイト:平松幸三教授/主催:武庫川女子大学生活美学研究所

■11月28日(日)「ふれあいの祭典・ひょうご-世界民族音楽の祭典」/兵庫県社町国際学習塾/ヤンチン:友枝良平、タブラー:逆瀬川健治、ベース+カリンバ+声:山田晴三、風物(プンムル):民族教育文化研究所(大阪)、パーカッション:高田みどり、獅子舞:木梨神社獅子舞保存会/企画:天楽企画

 久しぶりの高田みどりさんのパフォーマンスはよかったし、良平健治晴三トリオも健在。在日韓国朝鮮人たちの風物(プンムル)は元気いっぱいでした。

■11月30日(火)コレステロール教室/中央区役所・神戸

 血液検査で、ちょっとコレステロール値の高めという人対象の講座でした。ほとんどがオバサンでした。神戸弁を使って変にくだけた講師にもザワザワ感がありましたが、その講師にうんうんうなづきつつ神妙に従うオバサンたちにも、なにかしらザワザワ以上のものを感じ、早々と退出いたしました。

■12月3日(金)「胡弓音楽の夕べ-畦地慶司と胡弓」/神戸・ジーベックホール

 ピッチのずれた胡弓の演奏に耐えられず途中棄権しました。

■12月6日(月)ホテルシェレナディナー/神戸/ジョーシン電器の抽選で当たったのです。

■12月14日(火)配偶者生誕44年記念ディナー/大槻寿司/神戸

■12月17日(金)「MUSIC」オープニング/神戸ジーベックホール/パフォーマンス+対談:村上二郎、嶋本昭三

 村上さんの紙を破るパフォーマンスに、多数のお客さんは大喝采でした。

■12月22日(水)忘年会1/中川宅/ピーター+浩子+ラリタ、進藤紀美子、高野和子+太一、川崎義博、今井球(まり)

■12月25日(土)忘年会2/神戸・三好食堂/板倉敬則(東方出版)、岩崎淳、下村俊彦、松村信人、今井進、配偶者

■12月27日(月)大学の恩師、沢田稔北大名誉教授死去、享年74歳。ご冥福をお祈りします。

■12月28日(火)忘年会3/有馬温泉・兵衛向陽閣/主催:天藤建築設計事務所

■12月29日(水)忘年会4/NADI事務所(川崎義博)神戸芸工大の森下明彦氏、ニューヨーク在住の映像作家、鎌仲ひとみさんと朝まで飲みあかしました。

■1月4日(火)新春恒例麻雀大会(雀仙会)/神戸・中西勝宅

 なんと、今年は小生が第3回目の優勝を遂げたのでありました。1,2着を予想する馬券でも配偶者ともども配当がつき、ラッキー。

■1月8日(土)天藤建築設計事務所移転記念新春六甲寒中登山大会+味噌チャンコ鍋大会

 友人の天藤さんの事務所が、三宮から六甲に移転した記念として、裏山である六甲に登ろうという企画でした。六甲ケーブルの終止点を2.5時間で往復する、かなり初心者向けのコースなのでありましたが、登りの辛かったこと。改めて己れの体力の衰えを思い知らされました。

 

●これからの出来事●

■3月26日(土)「シタール、バーンスリーによるインド古典音楽」/アイル・モレ・コタ(大阪北浜)/シタール:田中峰彦、タブラー:田中理子、バーンスリー:中川博志

 関西ではめったに演奏の機会のなかった、日本のバーンスリー第一人者(だいひとりしゃ)であるわたしの演奏があります。よろしければおいでください。

■3月30日(水)21:00PM~31日(木)9:00AM/宗門子弟養成講座『お別時』/浜光明寺・明石/シタール:アミット・ロイ、タブラー:吉見征樹、バーンスリー:中川博志他

 この徹夜の催しは、浄土宗のお寺の子弟のためで公開ではありません。

■4月24日(日)蓮如上人遠忌法要/専念寺・奈良市/パーカッション:高田みどり、法要音楽:中川博志+吉見征樹他

■4月27日(水)「アジアの音楽シリーズ」第13回「世界の楽器としての尺八-ジョン・海山・ネプチューンとその仲間たち」/ジーベック・神戸/企画制作:天楽企画/尺八:ジョン・海山・ネプチューン(アメリカ)、ギター:ユージーン・パオ(香港)、キーボード:松田昌、ベース:石橋けいいち、ドラム:ルイス・プラガサム(マレーシア)、インド打楽器:モード・ヌール(シンガポール)、箏:福原左和子

 ジョン・海山・ネプチューンによる多国籍バンドです。前半が古典曲、後半がジョンのオリジナル。

■5月22日(日)、6月5日(日)、6月19日(日)7月3日(日)、7月17日(日)、8月2日(日)/「アジアの音楽レクチャーシリーズ」-インド音楽のリズムと鑑賞/ジーベック・神戸/講師:中川博志

 

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 サマーチャール・パトゥル1~11号をまとめた冊子がまだ残っています。ご希望の方は、切手を同封の上お申し出下さい。

 

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