「サマーチャール・パトゥル」15号1994年8月4日

 この頃本当に暑いですね。皆様いかがお過ごしですか。

 わたしは、とくに暑い季節になると手袋病に悩まされるのであります。手袋病の症状は、手と足だけが、ちょうど手袋をしているようにほてる、というものです。病気というほどではないにせよ、これが原因でなかなか寝つけない。当然、蒲団から手足をはみ出させ冷却をはかることになります。逆に寒い季節になると今度は手足のみが冷たい仕義とあいなり、どうにもやっかいな友人です。血の巡りの悪さはどうも頭だけではないようです。

 さて、7ヵ月ぶりのサマーチャール・パトゥル15号をお届します。例によりまして今回も、94年度1月~7月に中川家周辺で起きた出来事と今後の出来事の紹介です。暑中見舞いも兼ねておりますので、見舞状を下さった方々へは、この通信をもって返信とさせていただきます。

 

◎これまでの出来事◎

 

■2月2日~4月 住信基礎研究所依頼による「湊町再開発文化施設企画案」参加。

 これは、大阪ミナミのすぐ西側に広がる広大な空き地の再開発に関わるものでした。文化施設(ハード)の建設計画に際し、そこで何が行われ、どう運営されるのかを、まず考え、その企画運営案(ソフト)を元に施設(ハード)の具体的な形を探る、というものです。それぞれの分野の「専門家」が定期的に会議をもち、その討議の中から理想的な施設のありようをまとめる作業でした。最終計画案は、再開発の主体(大阪市)に提出されたはずですが、実現できるにしても、かなり先の話になるようです。

 依頼主である住信基礎研究所のスタッフと、小生の担当する「アジア文化センター」のコンセプトを論議したとき、いったいわれわれにとってアジアとは何か、という基本的なことが話題になりました。考えてみれば、漠然とわれわれはアジアといっていますが、定義が実に曖昧に使われているのではないか。その曖昧さを考えてみようと、書いたのが以下の文です。実はこの文は、神戸新聞に掲載してもらおうととして書いたものですが、論旨が不明確なのですっきりさせてから提出しようとしてそのままにしていたものです。

●アジアのイメージ●

 ここ数年、全国各地の自治体が「アジアに開かれた都市」「アジアとの文化的国際交流」というようなスローガンを掲げて、さまざまな催しを展開している。福岡の「アジア・マンス」、仙台市の「アジア音楽祭」、北九州市の「アジア民族芸能祭」、大阪市の「アジア・太平洋トレードセンター」、「新潟アジア文化際」などの他、地方の博覧会などでもアジアがずいぶん取り上げられ、優れたパフォーミング・アーツ(体現芸術)に触れる機会も増えた。

 兵庫県の「現代芸術劇場」でも、「人的、地理的にもゆかりの深いアジア・太平洋地域の芸術文化が交流する拠点」として「アジア・太平洋芸術フォーラム」という部門を設け、活動の一つの柱としている。

 アジアの優れた芸術に触れる機会が増えるという面で、こうした傾向は歓迎されるべきものである。しかしわたしは、こうした傾向に対して積極的に評価したいという気持ちと同時に、一方ではまた、日本の文化状況を真剣に見据えた上のスローガンなのだろうかと、つい疑ってしまうのである。悪いことやないんやから何も文句いわんでもええやん、といわれそうだし、事実そうかも知れない。しかし、ちょっと文句をいいたい気分なのである。

 理由はいろいろある。まず、アジア、アジアという割りには、紹介されたり制作される内容の質、量が圧倒的に貧困であること。しかも、行政主導の場合、自主企画事業とはいいながら、実際は民間プロデューサーの企画に頼っているケースが多い。

 つぎに、「ゆかりが深い」からアジアだ、という説明に対してである。「ゆかりが深い」という認識であるならば、アジアとの芸術文化交流が、最近になってにわかに声をそろえる必要もないほど昔からずっと重要だったはずである。にもかかわらず、これまでほとんど無視されてきた。われわれは、にわかにアジアと「ゆかりが深く」なったわけではない。

 それに、この「ゆかりが深い」という言葉は、かなりイメージ的に使われている。世界地図区分上のアジアには、たとえばイスラエルやイスラム諸国のように、われわれとはかなり異なった文化圏も入ってくる。日本とイスラム諸国の「ゆかり」はもちろん否定できない。しかし、日本文化との相互影響や接触にはかなりの濃淡の差があり、単に地理的区分に入るからという理由では、一口に「ゆかりが深い」とは言えないであろう。

 各地のアジア関連催事や機関のパンフレットには、われわれ自身の文化芸術の創造や、伝統の見直しと再生が今、真に重要であるとうたわれているにもかかわらず、日本の芸術文化と対比してアジアの重要性を説いた記事はほとんどない。

 こうした点を考えると、なぜ、今アジアなのか、という展望がよく見えてこないのである。だから、最近の行政のいう「アジア」には、ついうがった見方をしてしまう。つまり、トレンドに乗り遅れたくないという意識や、経済進出に対する免罪符としての意識があるのではないか、と。

 では、スローガンだけにせよアジアの文化芸術に目を向けられてきたこうした傾向をより実のあるものにするためには、どう考えればよいのか。

 地理的区分上のアジアすべての文化芸術を網羅的に扱う、という考え方も一つである。この範囲には、あまり日本に紹介されていない優れた文化芸術が存在しているし、ヨーロッパ人によってひとからげに定義されたアジアという地が、実に多様な文化をもつことを認識させてくれるにちがいない。

 しかしわたしは、さまざまなアジアの文化芸術を単に紹介するというのではなく、われわれの芸術文化を、これまでの伝統を踏まえて今後どう創造していくか、という視点でアジアをとらえたいと思っている。

 われわれの足元で受け継がれてきた日本の伝統文化芸術は、この島国で純粋培養されてきたものではなく、さまざまな文化との交流によって初めて成立したことはいうまでもない。そうした交流の軌跡を辿ってみると、結果として、われわれにとっての「アジア」が浮び上がってくるであろう。

 わたしは、インド留学時代、欧米やインドの友人たちから受けた日本の文化に関する質問にしどろもどろになった経験から、積極的に日本の伝統芸能に触れようとしてきた。わたし自身はインド音楽を実践しているが、そのインド文化に深く関わって初めてその美しさや文化的意味を知ることになった日本の芸能文化は多い。そうした日本の文化が、経済活動優先によって痩せ細りつつある今こそ、アジアの文化芸術を扱う意義は大きいと思うのである。

■2月10日(木)「石踊紘一展」/難波・高島屋

 インドのベナレス遊学時代からの友人、石踊さんの個展がありましたので、高島屋へ行ってきました。石踊さんは、日本画家ではありますが、花鳥風月を題材としたいわゆる日本画とは異なり、インドの風物、人物を題材に描いておられる人です。

 今回の作品の中では、とくに「水を運ぶ」という絵が印象的でした。素朴な絵が描かれたインドの田舎の民家の泥壁が金の地で描かれ、それを背景として、重そうな3個の素焼の水壷を、頭頂と両手で運ぶ女性を背後から描いた作品です。背景の金地と、ときどき真っ赤な点の模様のある深い紺色のサリーの取り合せが美しい。カタログの作家コメントに、「・・・この嫁は、毎日水を運んで五年になるという」という文章がありますが、こうした具体的なコメントとはまったくかけ離れたような、何か夢の中に一瞬現れる光景のような感じなのです。

 画家である石踊さんは、結構、常時ハイな感じの明美夫人の多弁をときどきたしなめる、照れやで酒好きの鹿児島男児。インドに「西方浄土」を見出したのか、ますますインキチ(インチキではない、インド気違いのこと)に傾斜するのでありましょうか。

 久しぶりにお会いしたので、その日お泊りになるという弟さんの住む大阪・関目の焼肉屋で酒を飲みました。石踊さんと飲むといつもホワアーンと気持ちがよいのでつい時間を忘れ、とうとう弟さんの家に泊ってしまいました。お世話になりました。

■2月24日(木)「デアマンテス」ライブ/大阪アメリカ村・パツパツ

 デアマンテスというグループは、沖縄系ペルー人を中心とした、いわゆるラテンバンドです。

 今後、南米に限らず、こうした日系外国人による、新しい語法をもつ音楽の担い手が日本の音楽シーンを変えていく原動力になるのかも知れません。それにしても、かれらが根拠地を置く沖縄という土地は、まだまだ音楽生産力が旺盛です。しかし、ある程度「メジャー」になり、内地の飽くなき音楽消費にさらされ生産エネルギーが減退していくことをちょっと恐れています。この通信にたびたび登場する「りんけんバンド」を先日京都で聴きましたが、内地の音楽シーンに登場したときのパンチ力がやや衰えたような気がします。

■3月10日(木)「高橋アキピアノコンサート」/ジーベックホール・神戸

 高橋アキさんのピアノは、いつもシャープで気持ちがいい。ピーター・ガーランド、モートン・フェルドマン、タン・ドゥンなどの現代音楽作品が紹介された。

「足をちょっと開き加減に立ち、手を腰に当てて堂々と曲目を解説してサマになるのはアキさんぐらいだよね、ねえー」というジーベックのスタッフ、ハコさんの嬉しそうな表情が印象的でした。

 

■3月25日(金)「敦煌古楽演奏会」/アイフォニックホール・伊丹/出演者:佛山市古楽演奏団

「甦る敦煌」という副題の演奏会でした。敦煌の莫高窟壁画に描かれた絵から復元された楽器と、解読された楽譜による古代の音の再現、というわけです。

 期待してでかけたのでありましたが、企画のセンセーショナルさに比較して、はっきりいってつまらなかった。古代の音楽というのは本来つまらないものなのか、演奏がまずかったのか。解読、というぐらいですから、きちんとした総譜(スコアー)ではなく、何か数字か文字の断片から組立てられたのであろう楽譜のアレンジがまずかったのか。全体に「音程のずれたヨーロッパ中世音楽」という感じでありました。会場でお会いした「ダンスリー・ルネッサンス合奏団」の岡本一郎さんに、「まるでへたなダンスリーみたいですね」といいましたら、「んーん。ほんまにああやったんか、わからんな」という答。こうした演奏会の試みは評価されるにしても、その音を聴いて何か釈然としない印象が残るのでありました。

■ベナレスの学生時代■

 演奏会の帰り道、ふとベナレスの学生時代を思い出しました。

 ベナレス・ヒンドゥー大学体現芸術(パフォーミング・アーツ)学部の建物は、芝生のある中庭を囲む円形の2階建構造になっていました。中庭の芝生はゆるく階段状に傾斜し、奥にステージ状のものがありましたから、野外円形劇場としても使われていたのかも知れませんが、われわれのいる時にはそこで演奏会があったという記憶はありません。ともあれ、その屋外ステージ状台の後ろの大きな部屋では、毎週木曜日になるとミニ演奏会や研究発表会などが開かれ、われわれ(小生と配偶者)も毎回楽しみにでかけたものでありました。

 当時のわれわれの指導教授で学部長でもあった、うっすらと口髭のあるプレーム・ラター・シャルマー女史の、今日の発表者は、私の友人であり、かつUKはオクスフォード大学の優秀な民族音楽学研究者であるので、皆、心して彼の講演を拝聴しようではないか、という挨拶のあと、講演が始ったのでありました。その研究者の名前は今どうしても思い出せません。

 インド人のRのきつい英語にようやく慣れてきたわれわれには、ちょっと気取った流れるような英国英語になかなかついていけなかったのですが、要は、南インドのある石窟に刻まれた意味不明の文字の羅列が解読されたので、その古代の音を再現してお聞かせしよう、ということでありました。結論を導き出した様々な蘊蓄とスライド披露のときは、教授陣を含めた聴衆に、うん、うん、うーん、おー、まあー、うんうん、よう勉強しとんなあ、へー、うんうんうんうんうんうんうんうんうんうんんうんうんうんうんうんううん、といううなづきが随所で散見され、分る単語だけをつないで想像するしかない小生は、なんとなくすごい研究なんだろうなあと、それにしてもRのきつくない英語というのはきれいなもんだなあ、などとぼやーっとしつつ拝聴したのであります。

 で、蘊蓄披露を終えた発表者は、では、古代の音を聞いて下さい、とカセットテープのスイッチを入れたのでした。再現した楽譜を友人のギタリストに演奏してもらったもの、という音楽は、不思議な音楽、というかポツンポツンとした音の羅列なのでありました。伝統的既製音楽語法の積極的な逸脱と偶然性を重視するいわゆる西洋現代音楽風の最初の数フレーズを聞いた聴衆の間に、うなづき攻勢とは逆に急速に私語が多くなり、期待崩壊落胆嘲笑的状況というものが支配的となったのでありました。

 オクスフォード研究者氏の1時間にわたる講演に謝意を表しつつ、うっすら口髭のシャルマー女史は、

「確とした記録音のない古代の音楽が今聞いたようなものではなかったとは、誰も否定できない。しかし、何かしら現代のインドの音楽と共通する旋律の断片でもあれば、というのが率直な感想である。ともあれ、インド人ではない発表者の研究のご努力とユニークな発想には評価を惜しむものではない」といった感じの心やさしい挨拶をして、その日の研究会は終了したのでありました。小生は、「音楽学」とはこういうことをする学問なのか、こういう「とんちんかん(ではないかも知れないが)」なことでもエネルギーと費用を注ぎ込んで論文という形にすれば研究者としてやっていけるのか、と変に納得したのでした。

「敦煌古楽演奏会」の演奏を聴いて、何かしら釈然としないものを感じたのは、音を楽しむ対象としての音楽ではなく、研究対象としての音楽を強く感じたからなのかも知れません。

■3月26日(土)「シタール、バーンスリーによるインド古典音楽」/アイル・モレ・コタ(大阪北浜)/シタール:田中峰彦、タブラー:中島知晶、タンブーラー:寺原太郎、田中理子、朗読:林百合子、バーンスリー:中川博志

 3部構成で、1部が田中さんのシタール、次いで小生のバーンスリー、最後に林百合子さんの朗読するタゴールの詩『ギーターンジャリ』に

サロード、バーンスリー、タブラーの伴奏というか相の手を入れたプログラムでした。

 田中さんは、アミット・ロイの弟子のシタール奏者で、この通信でもたびたび登場する人です。最近かなり旺盛にライブ活動をしていますが、この人はれっきとしたサラリーマンなのです。以前は蒲団屋さんの店長でしたが、現在は珊瑚を扱う宝石商に勤めているのです。中川さん、今度トルコ音楽やりましょうよ、などと言うぐらい器用な人で、シタールの他にサロード、ウードなどを演奏してしまうのであります。小生は、インド音楽だけで手一杯でとても違うことをする余裕はないのですが、会社勤めの彼はいったいいつ楽器を練習するのだろうかと、一日中ぼーっと家にいて時間の有り余っている中年主夫としては、たまげてしまうのでありました。

 第3部はどうしましょう、という田中さんの相談を受けたとき、たまたま小生のところへバーンスリーの練習にきている寺原太郎の同居人、林百合子さんがいて、タゴールの詩を百合子さんに読んでもらうということがなにげなく決まったのでした。

 演奏の結果はまずまずでした。それにしても、タゴールの詩は良いですね。ちょっと長いですが、当日朗読した一部を以下に引用します。

  あなたに「唄え」と言われると、私の心は得意になって、はち切れそうだ。そしてあなたの顔を仰ぎみると、私の眼に涙が溜まる。

  私は知っている、私の歌があなたのお気に召すことを。私は知っている、歌い手としてでなければあなたのお傍に寄れないことを。

  唄う喜びに酔って私は自分を忘れ、ご主人であるのに、あなたを「友」とよぶ。

  あなたの音楽の光は世界を照す。あなたの音楽の命の息吹きは空から空へ駆けめぐる。あなたの音楽の聖なる流れは岩の障壁をすべて破って突き進む。・・・ああ、あなたの音楽の限りない網の目に、あなたは私の心を捕らえてしまった、お師匠さま。

  私の歌は飾りを脱ぎ捨ててしまった。衣裳や装飾などをもう誇りはしない。飾り立てたらお互いが結びつくのに妨げとなり、あなたと私との仲を隔てることになろう。飾り立てる騒音があなたの囁く声を打ち消してしまうだろう。

 詩人としての私の誇りは、あなたを見ると恥ずかしさのあまり死んでしまう。おお、大詩人よ、わたしは足許に坐っている。私の生命が純真で真直ぐになるようにして下さい。あなたが音楽を吹き込む葦笛として。

  『タゴール詩集-ギーターンジャリ』(渡辺照宏訳、岩波文庫、1977)英語本による散文訳より抜粋。P237~P240。  

 

■3月30日(水)21:00PM~31日(木)9:00AM/宗門子弟養成講座『お別時』/浜光明寺・明石/シタール:アミット・ロイ、タブラー:吉見正樹、バーンスリー:中川博志、タンブーラー:寺原太郎

 この催しは、浄土宗のお寺の子女を対象とした、いわばお坊さん予備軍のためのものです。浜光明寺は、かつて明治天皇が泊ったことがある、という由緒正しいお寺です。この日は、非常に寒く、本堂の内陣の両横にストーブを置いていただき、阿弥陀像を背後にふるえながらの演奏でした。深夜の本堂は、しみじみとした聖空間でした。

 タブラーの吉見選手とは久しぶりの演奏でした。彼は今東京方面で頑張っている、タブラー演奏のみで妻子を養う日本唯一者なのです。シタールのアミットも、カルカッタを中心にかなり演奏会をこなし、どこでもかなり高い評価を得た、と喜んでいましたが、演奏内容も非常に充実していました。

 

■4月8日(金)花見大会/護国神社・神戸六甲/主催・施主:天藤建築設計事務所

 例年は芦屋川で行われるのですが、芦屋市が、川のそばで焼肉等のための火気はけしからんので禁じる、という実に不粋な決定を下してしまったために急遽、六甲の護国神社の境内ということになりました。

 この日は、桜が大満開。ちょっと寒くて、参加者は炭火のあるドラム缶周辺にかたまり立ち食いの様相を呈していたのでありました。

 境内の近くの場所では、偶然、かつて小生が建築現場監督として勤めていた戎工務店の人たちも宴をはっていて、10数年ぶりの再会になつかしいおもいでした。

 淡路島の出張先から帰る配偶者と合流することになっていまして、帰りは車で帰れるかと思っていたのでしたが、「高速ランプの手前のガードレールにぶつかり、車が前進も後退もしないのよおー、どおしようおー」という電話があり、結局電車で帰りました。

 

■4月8日(金)配偶者、自損事故/淡路島

 上述の花見に出かけようと準備をしていたら、配偶者から電話がきました。

「もしもし、中川です」

「今、高速料金所の手前にいるのよ」

 ここで相手が配偶者であると判明。

「で」

「ちょっとね、車内の物を確認しようと後ろ見てたら、ガガガアーッてすごい音がしてえ」

「え、なんのこと」

「だからあ、バックしようとしたら全然動かないの」

 要領の得ない状況説明にイライラした小生は大きめの声で問い直した。

「事故ってこと?」

「そおみたい。左のね、前輪のところが結構ぐしゃっという感じで、前にも後ろにも動かない」

「怪我は?」

「あっ、それは大丈夫みたい。どうしよう」

「どうしようって。んもおー。JAF呼んで修理屋まで運んでもらわな」

「料金所の人からJAFと警察に連絡してもらったの。もうすぐくるらしいけど。だから、花見は全然無理みたい。あたしって馬鹿みたい。JAFが着いたらもう1回電話するね。どう対応したらよいかわかんないから、じゃあね」

 しばらくして、再び電話がなった。

「もしもしいー。とりあえず、JAFの人がきて牽引して近くの修理工場へもっていった。道路公団と警察の人が、保険のことをきいたけど、保険とかはどうなるんかしら。保険屋にきいてくれる。わたしは、バスとフェリーで帰ります」

 保険屋とはつつがなく話がつきました。ただし、加入していた保険では自損事故が補償されません。したがって、この冬ずっと苦闘していた『インド音楽序説』原稿約300ページのプリントアウトに数時間を要するプリンターがあまりに遅く、もっと速いレーザー・プリンターとそれに見合う超高速コンピュータを買いたいなあ、買いたいなあ、という願望は棄却を余儀なくされたのでした。「結構ぐしゃっ」とした中川車の修理費は、実に40万円弱。こ、こ、これでぜえーんぶ買えたのに。

 

■4月14日(木)コンビビアリテ4月度例会/韓国料理/中川宅/参加者(所属会社):かのこぎさん、吉田さん、坂口さん(以上ワールド)、安谷さん(バウ色彩)+小川さん(オガワロジスト)、山田さん(神戸レディスサウナ)、遅れて高井さん(クロワッサン)/料理人:中川博志、助手:中川久代

 献立/ナムル:おいしい菜、ぜんまい、わかめ、ふき(粉唐辛子大さじ2使用)/キムチ:白菜、きゅうり、たこ(市販)/チヂミ2種(市販)/自家製メンタイ(粉唐辛子大さじ1)/フェ:いか、鯛(粉唐辛子大さじ1)/わかめスープ/ひき肉そぼろまぜ御飯(粉唐辛子小さじ1使用)

 「コンビビアリテ」というあやしからぬ結社は、ときどき集まってうまいものを食べる、ということで結成され、小生自身はまったくメンバーではないのですが、配偶者が関係しているため、これまでときどき配偶者後見人として参加していたのでした。3月の例会は、日本料理大会が三宮のあやしからぬ店で取り行われ、それに参加した小生が、じ、じぶんは主夫であります、といってしまったために、それぢゃあ、今度の例会は中川さんの料理といふことにしませう、などということになってしまったのでありました。まあまあ、それほどまずくないものを提供できたのではないかと自負しています。それにしても、どの料理もみな辛かった。小生は、皆がヒーヒーというのをみて、ひひひひひひひひ、とほくそ笑むのでありました。粉唐辛子は都合大さじ4.5、にんにく約3かけ、ヤンニンジャン大さじ1がもろもろの素材と共に消費されました。もっと痛めつけて欲しひ、といふメンバーの願望もあり、またいつかやりませう。 

■4月23日(土)ラジオ関西「きいてごろうじろ」

 DJの村上和子さんとは昔からの友人で、「何か催しものがあったら、マスコミ上手に使わな」とつねづねおっしゃっていただいており、たまに出演させていただいている番組なのです。今回は、ジョン・海山・ネプチューンとエイジャ・ビートのコンサートのためのプロモーションという目的でした。アミット・ロイも確か2回はこの番組でシタールをチョロッと弾きました。

 

■4月23日(土)「バラネスク・カルテット公演」/ジーベック・神戸

 この、いわゆる「バラネスク・カルテット」は、いわゆる西洋音楽的弦楽四重奏団とはちょっと違う雰囲気をもったグループです。いわゆる西洋古典音楽は演奏しません。いわゆる伝統的既製音楽語法の積極的な逸脱と偶然性を重視する、いわゆる西洋現代音楽とは異なり、演奏するのは非常にノリの良いものです。いわゆる民族音楽から影響を受けた、いわゆるミニマリズムの手法で演奏される音楽は、いわゆる西洋音楽の創造の衰退と、それからなんとか脱却しようとする苦悩があるように感じられたのでありました。彼らのCD「マイケル・ナイマン 弦楽四重奏曲」(POCL-1159、ポリドール)は、いわゆるわたしのお気に入りのレコードの一つです。

 リーダーのアレクザンダー・バラネスクが、ルーマニア出身ということもあるかも知れませんが、Rのきつい英語には何かなつかしいものを感じたのでありました。

'I am the director of a computer in my pocket' 'Revolution!'

 いわゆる音楽を背景として叫ばれるバラネスクのいわゆるナレーションは今でも耳に残っています。

(いわゆるシリーズでした)

■4月24日(日)蓮如上人遠忌法要/専念寺・奈良市/パーカッション:高田みどり、法要音楽:アミット・ロイ、さくらいみちる、寺原太郎、中川博志

 浄土真宗大谷派中興の祖、蓮如上人の500回忌を記念して、実際の1998年より4年早いが法要を営みたい、という菊地耕住職の発案で行われた催しです。菊地住職は、以前大谷大学で高田みどりさんの演奏を聴き、そのエネルギーと力強さに、蓮如上人に共通するものを感じたということで、当初は高田さんだけのライブをご希望でした。しかし、わたしがお経とインド音楽の和奏をこれまでやっていることを話しましたら、それも是非やりましょうということになりました。当日は、本堂で約1時間の法要の後、向かいのホテルフジタへ移動し高田みどりさんのライブを聴きました。

 既に何度も和奏の経験のあるアミットのシタールには、参加された檀家の人々や住職に感銘を受けたようで、10月には彼のソロプログラムを行うことになりました。

 高田さんは、ホテルの宴会場という演奏会場のハンディキャップにもかかわらず非常に集中した力強いライブを聴かせてくれました。

 

■4月27日(水)「アジアの音楽シリーズ」第13回「アジア音楽台風」/ジーベック・神戸/企画制作:天楽企画/尺八:ジョン・海山・ネプチューン(アメリカ)、ギター:ユージーン・パオ(香港)、キーボード:松田昌、ベース:石橋けいいち、ドラム:ルイス・プラガサム(マレーシア)、インド打楽器:キルバ(マレーシア)、箏:福原左和子

 ジョン・海山・ネプチューンによる多国籍バンドです。ジャズを音楽語法のベースとする尺八奏者ジョンの音楽には、いわゆる民族音楽の手法や楽器の安易な融合ではないか、という評価もあり、それはそれでうなづける部分はありますが、最近はこの種の音楽も表現の一つとして定着した感があります。尺八の持っている重苦しい伝統という枠をあっさりと楽天的に取り払い自分の表現手段にしてしまったアメリカ人のジョンは、尺八のもつ表現能力を広げた意味で評価されるのではないかと思います。

 反面、彼の性格の反映と思われる徹底してハッピーなサウンドには、いわゆる民族音楽のもつ生活密着感や民族クササがきれいに脱色されている感があり、「アジアの音楽シリーズ」として取り上げた小生としましては、若干の迷いというものがふと沸き起こったのでありました。それにしても、参加したエイジャ・ビートのメンバーは、それぞれが巧すぎるほどの職人たちでした。

 今回来日した音楽家たちの出身地、インド系、中国系、マレー系といった多民族の混在するシンガポール、マレーシアなどでは、すでにオリジナルの地を離れて定着したそれぞれの民族の伝統的音楽が相互浸透しつつ新たな活力を生み出しているのかもしれない、と思わせるところに今回の演奏会の意味があったのではないかと思います。

 

■4月28日(金)「ロボットの音楽会・プレゼンテーション」/ジーベック・神戸。プレゼンター:ヤシャ・ライハート、挨拶:杉浦康平、山口勝弘

 この企画がおもしろかったのは、架空の展覧会(実現するかもしれないが)のプレゼンテーション(提案主旨説明)そのものを一つの催しとした点です。ある企画を提案する際には、その企画の動機、背景、意味などをスポンサーや主催者などに明確に伝えることが重要です。わたしの企画も含め、日本ではかなりイメージ的なプレゼンテーションにエネルギーを注ぐように思えますが、ヤシャ女史のそれは、提案にいたる過程や提案企画の必然性が一種の論文のように緊密に構築されていて、こういうものがプレゼンテーションというのか、と感心しました。

 日本の美術館のキュレイター(学芸員)に是非聴いてほしかったプレゼンテーションでした。

「ロボットの音楽会」という主題そのものよりも、その主題に沿うアーティストの活動の紹介の方が印象に残っています。

 

■5月3日(火)中西美代子さん他界/神戸アドベンチスト病院

「月刊オール関西」の編集長である中村雅子さんのお電話で中西美代子さんの死を知りました。死因は癌でした。

 中西美代子さんとは、一時期よく自宅へお邪魔して麻雀をやりましたが、ここ数年お会いすることもなく、どうされているか、ふと思い出すこともあったのでありましたが、突然、亡くなられたと聞かされ驚きました。以前美代子さんと電話で話したときのことを、6年前!のサマーチャール・パトゥル第4号(1988年9月30日)でも、Mさんとしてご紹介しましたが、おのれの自戒とご冥福を祈りつつ、ちょっと長いですが、再掲載します。

  先日、今回のインド行のことを美代子さんと電話で話しました。

「今度11月にインドに行くんです」

「あら、そう。それはええことやわあ。たまに充電せんと。音楽もそうやけど、精神も充電しといで」

わたしは、美代子さんの《精神も充電しといで》という言葉で、やはり美代子さんはすてきだなと思いました。美代子さんの言葉は、言葉上の単なるアドバイス以上に、自分の《精神》の弛みを点検させる力がいつもあるからです。

 インド遊学から帰ってきて既に4年たちました。帰って来た当初は、インド式シンプルライフの洗礼によって、なにも持たないというある種のすがすがしさと、ゼニも職もなくいったいこれからどうして生活しようかという少しの不安を感じていました。ところが、そのときから今まで、少しぜい肉もつき(インド前と後では10kgの体重の開きがある)、10年前式のボロとはいえクルマも買い、あっ、こんなのが落ちている式に各種アラゴミ類を収集し、狭くなったからと現在の住所にも引っ越しました。シゴトも少しずつ増え、それに反比例して読書量が減りました。義理人情的人間関係も増えました。山形の田舎の両親がおそらく食べたことのないようなものを食べ、そしてかつてベナレスの我が家に来ていたお手伝いのチンターマイの1ケ月分の給料の10数倍を一回の食事に費やすこともするようになってきました。もちろんそうたびたびではアリマセン。電話なども、当初は東京にかけるのに一大決心が必要でしたが、今は何でもない用事でもかけることがあります。この1回の電話代とて、ともすればチンターマイの月給をはるかにオーバーするのです。つまり、現在の日本の経済効率優先的資本主義的消費アジテーション的社会システムにずるっずるっと引き込まれつつあるような感じがします。と言いましても、われわれの生活などは同世代のいわゆる一般の人々に比較すればまだまだカワイイものだと思います。とまれ、生活がそのように変化しつつあるのに、精神のみがシンプルであり続けることはありえません。こうしたもろもろの変化は、本人の気付かぬうちに精神に入り込むものでしょうから、わたしたちにとっては、ここにきて当然《精神の充電》と言うか自己を相対化して点検するという作業が必要だと思うわけなのであります。そして、可能ならば、先号でちょっと書きましたヒンドゥーの理想的人生の第3段階、モノを少しずつ捨て去り自己や社会を相対化するという林住期に入りたいなあ、でもまだまだモノに未練があるなあ、と思っていましたら、形は違うが美代子さんが実行しつつあるということなのです。

美代子さんは、自宅もモノもできるだけ処分しスペインの田舎に住もうという計画をたて、ごく最近、賃貸の住宅に引っ越したのです。そして10月末の催しのことを話したら、「そんとき、おるかどうかわからへん」というぐらいな実行段階突入状態なのです。

「みんなこのごろ忙しくてええことやけど、自分を見失なわんようにせなあかん。見失っている自分すら気がつけへんようになったらしまいやで。そのためにもインド行くいうのんはええことや」

「そうですね。僕も、このごろ結構バタバタしていまして、自分の本意じゃない事を言ったりしたりしないといけないこともあります。それを自覚しているうちはいいですけど、タテマエがそのうちホンネの一部になってしまうのはコワイことやね」

「そうや」

とても、われわれよりはずうーーーっと年配の人とは思えない、張りのあるカワイイ声で美代子さんは答えた。

「それにしても、相変わらず元気そうですね」

「このごろはモノも人もすっきりしたから、ごっつう健康やねん。この間も、だんだん若くなるねえって言われたも。ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。当分は日本と行ったり来たりや思うけどいずれは向こうに住むつもり。今は、英語を習ってて、これからスペイン語をやるんよ」

4住期について触れた先号のサマーチャル・パトゥル発信の後も、美代子さんは次のような話をしていました。

「あんたの言う通り、モノはだんだん捨てなあかん、ほんまに。年とってくると守るべきものが多くなってくるからねえ。ホンマはとるにたらんもんばっかしやのに。そいで人間は身動きでけへんようになる」

 わたしたちのマージャン仲間でもあります美代子さんは、人を元気にさせる爽やかさがあり、決して他者の評にとらわれず、直せつ明解かつずばっと切り込むスルドサをお持ちの、われわれよりはずうーーーっと年は取っているはずなのに、誰に聞いても確とした彼女の年令を言える人がない、われわれも年とったらああなりたいと思わせる、ま、とにかく、素敵という言葉の使える数少ない人のひとりであります。その美代子さんとの電話で、今回のインド行にはずみがつきました。彼女の言うように、《精神を充電》しにしばらく外へ出ます。      

 美代子さんは、享年64歳だっことが後で分りました。

 

■5月7日(土)「大阪ジャズフェスティバル」/シアター・ドラマシティ・大阪梅田

 昨年、ハリプラサド・チャウラスィア師のソウル公演でお世話になった徳山氏から、

「金大煥(キム・デファン)氏が大阪へきてるので会おうや」というお電話をいただき、久しぶりに徳山氏と金さんにお会いしました。

 待合わせ場所である梅田の茶屋町にあるドラマシティでは、たまたまジャズフェスティバルが行われており、徳山氏の親しい日野皓正さんのライブが進行中でした。ライブ後の日野さんの楽屋へいきちょっとおしゃべりをした後、ミナミの高級そうな料理店でお寿司をごちそうになりました。

 金大煥さんのことは、昨年、タブラーのスバンカルと一緒にお宅まで遊びに行き、楽しい時間を過ごしたことをこの通信でも触れましたのでご記憶の方もおられるかもしれません。金大煥さんは、60歳をちょっと越えた韓国のパーカッショニストなのです。月に1回の東京でのライブ活動の他、ときどき来日して演奏活動を続けているそうです。

 日本のフリージャズ愛好者であれば金さんの名前は知られているかも知れませんが、わたしはむしろ、伝統をどう乗り越えて新しい音楽を作っていくのか、という意味で、是非、金さんの演奏会をどこかで紹介できたらと思っています。

 

■5月12日(木)「レクチャー・フィリピンのポップスはいま・・・」/ジーベック・神戸/レクチャー:田川律

 田川さんの話も面白かったが、'カスカラ'という竹の楽器のアンサンブルがとても良かった。一人ひとりの役割は単純だがそれが統合されると非常に複雑な音楽になるというよい見本でありました。このような考え方は、インドネシアのガムランやケチャなどと共通しています。

 

■5月19日(木)「ジョーイ・アヤラとバーゴン・ルーマッド コンサート」/ジーベック・神戸/出演者:ジョーイ・アヤラとバーゴン・ルーマッド(フィリピン)

 ジョーイ・アヤラは、非常に歌のうまい人です。歌詞はタガログ語なのでまったく分りませんでしたが、ミンダナオの自然や日常生活の断片を歌ったものだそうです。たくさんの歌の中で、「鷹」というタイトルの歌が印象に残っています。

 

■5月20日(金)植松和子さん他界/神戸アドベンチスト病院

 5月8日に見舞いに行ったとき、和子さん(以後カズチャン)と、同じ病院で3日に亡くなった美代子さんのことなどを話していたのでしたが、そのカズチャンもとうとう帰らない人となってしまいました。カズチャンがその病院のホスピスへ入院したのは、実は美代子さんがそこにすでに入っていたからだったのだそうです。

 カズチャンといってもお分りにならない人もいると思います。カズチャンは、現代美術作家として活躍する植松奎二さん(ケイチャン)の配偶者であり、美代子さんもそうでしたが、麻雀仲間であり、長年の友人でもありました。インド遊学を終え、彼らの住むデュッセルドルフへたどりついたとき、原因不明の病気の小生の一時的配偶者でもあった人でした。などと書きますと誤解を招きますが、ドイツでは医療費が高いからカズチャンの夫としていけば保険で安く医者へいける、ということで、カズチャンに付き添ってもらい医者へ行ったのでありました。

 当時、しばらく静養も兼ねて植松家に居候を決め込み、毎日麻雀をしていました。インド帰りと病後ということもあり、配偶者も小生も麻雀のカンが大幅に狂っていて、情容赦のない中川家イジメがその後約1ヵ月続いたのでありました。ケイチャンの麻雀は、勝つ時は手がつけられないという感じのフィーリング麻雀でしたが、カズチャンは実に手堅く、仲間内では「鬼カズ」などと呼ばれていましたから、インドぼけのわれわれの敵ではありませんでした。

 植松家が日本にも本拠を置き、ドイツと日本を往復するようになると、帰国のたびに西宮の植松家へいき麻雀をよくしたのでありました。あの「鬼カズ」にはどれだけ負けたか。

 麻雀だけではなく他にいろいろ思い出すことがたくさんあります。しかし、ここではあまり書きません。ねちねちと過去を振返ったり、ぐちをこぼしたりすることは、カズチャンのなによりも嫌いなことでしたので。

 近い将来の自分の死を客観的にきちんと見据え、生き残った多くの友人たちに最後までエネルギーを与えつづけた彼女の態度は、本当に立派でした。最後まで付き添ったケイチャンの「カズチャンはほんま、すごかった」の一言にそれは明らかです。

 享年45歳でした。

 

■5月22日(日)「アジアの音楽レクチャーシリーズ」-インド音楽のリズムと鑑賞・第1回/ジーベック・神戸/講師:中川博志

 思いの他、多くの人の予約があり、とうとうキャンセル待ち、などということになるくらいの盛況でありました。インド音楽の熱心な愛好家が日本でも育ってきつつあるのではないか、表面的「珍しさ」からの興味から一歩踏込んでより深く理解したいと思う人々が増えたことは、本当に悦ばしいことであります。岡山、奈良、京都、姫路など、遠いところからいらっしゃった方もたくさんおります。

 

■6月4日(土)「日本音楽の水脈」/京都会館

出演者:伊藤多喜雄、りんけんバンド、椎葉・民謡神楽保存会、柳田村民謡保存会、菊水鉾保存会、壬生六斎念佛講保存会、勝島徳郎&がじまる会、オドゥバル(モンゴル)、東儀兼彦、上杉紅童、伏見稲荷大社、篠崎史子、山口恭範、笹本武志、大原魚山声明、天王寺楽所、三波春夫、都はるみ、桜井敏雄、若松若太夫、桜川唯丸、佐原一哉+スピリチュアルユニティー

 1:30PMから9:00PMくらいまで、途中休憩をはさんで延々7時間に及ぶコンサートでした。あまりに多くのプログラムを詰込みすぎ、それぞれが素晴らしい出演者たちの細切れハイライトショーになってしまったのは残念かつプロデューサーのセンスを疑います。

 印象に残ったのは、まず、都はるみ。これまで生の公演に接したことはなかったのですが、やはり彼女はすごい。会場で会った中川真さんは、「彼女のまわりにはオーラが見えた」などとのたもうておりました。

 まるでグレゴリオ聖歌のように響いた大原声明の美しさも格別でした。しかし、都はるみ以外に最も印象的だったのは、伏見稲荷大社に伝わる儀式でした。同じことの繰り返しが延々と続き、思わず寝てしまいそうになりましたが、繰り返しの中になにかしらのわずかな変化があり、その変化がゆっくりと場の空気密度を高め、荘厳かつ静謐で濃密な空間を作り出す儀式は、音楽というよりも、空間魂の現出を試みているかのようでした。

 

■6月5日(日)「アジアの音楽レクチャーシリーズ」-インド音楽のリズムと鑑賞・第2回/ジーベック・神戸/講師:中川博志、タブラー実技指導:田中理子、助手:田中峰彦、寺原太郎

 

■6月6日(月)「上沼恵美子のおしゃべりサロン」/ラジオ大阪

 放送作家の伊久さんからの紹介で、ちょっとしゃべることになったのでありました。上沼さんは、よくテレビにでてくるタレントです。パーソナリティーやタレントは、仕事とはいえ、あまり関心のない話題や人に、さも関心のあるかのようにしゃべらなくてはならず、大変ですよね。インドのことを上沼さんにいろいろ聞かれましたが、彼女がどれだけ覚えているか、後で聞いてみたいものです。収録1時間後には、なんと中川真さんにインタビューをしていたくらいですから、おそらくわたしのことは、ヒゲの中年オッサンくらいの記憶しかないだろうなあ(失礼かな)。

 

■6月11日(土)インド音楽ライブ/楽屋・北野町・神戸/田中峰彦:シタール、田中理子:タンブーラー、中島智明:タブラー、寺原太郎:タンブーラー

「田中バンド」の第2回でした。かなりの聴衆が入り、ほぼ満員でした。今後もこうしたライブを続けていきますので、機会がありましたらおいで下さい。次回は9月11日です。

 

■6月13日(月)『インド音楽序説』最終校正原稿提出/東方出版・大阪

 今年はこの仕事があったためインド行をやめたのでした。わたしの初めての出版物です。この通信のような、感想や個人的ぶつぶつを書く分には、書いた文章に責任を負う必要はありませんが、一般書店に出るとなるとそうはいきません。まして翻訳ですから、原著にできるだけ近く、かつ日本語として分りやすく書くのは大変なものです。まあ、本当にくたびれました。本の「訳者あとがき」にも触れていますが、お忙しいにもかかわらず助けていただいた方々には本当に感謝しています。インド書翻訳大変記などというものが書けるくらいいろんな意味で勉強になりました。3800円とちょっと高い本ですが、店頭で見かけ、かつ購入に十分なゼニをもち、かつ購入するのにやぶさかではない人は是非、購入して下さい。8月の第1週には、全国の大書店に並ぶということです。

 お世話になった方々には献本をさせていただきました。手前味噌になりますが、「・・・大いに利用させて頂きます」(峰岸由紀さん/アセアン文化センター)、「なにしろ今までこのような本がなかったのですから、インド音楽研究のための大きな第一歩、快挙・・・」(田中多佳子さん/東京芸大)「御訳の出現で状況が変ります。大変慎重な翻訳のようで・・・」(辛島昇先生/東大)、「一応スタンダードができたわけですな」(船津和幸さん/信州大)、「待望の書物に出会えたという歓びいっぱいです」(小西正捷夫人/立教大)「まさに帯に書いてある通り『インド文化の気になる』人々にとっても、とてもよい参照文献になるものと思われます」(橋本泰元/東洋大)などなど、インド学や音楽を専門とされている方々や他の多くの人から、過分かつ心やさしいお褒めの献本お礼状をいただきました。人に褒められるというのは嬉しいものでありますね。   

 

※小生のところにも在庫があります。購入ご希望の方は、出版社に直接注文されてもよいし、小生に申し込んでくださっても結構です。郵送の際は、本体価格\3,800+〒\380です。送金先/郵便振替/神戸4-71890(又は01140-8-71890)/天楽企画

 

■6月17日(金)「廣田均氏ジーベック退社記念宴会」/NADI事務所・神戸六甲

 廣田均氏は、㈱ジーベックの最初の社長として、これまでのジーベックの活動を指導されてこられた方です。わたしがジーベックと共同でいろいろな仕事をするキッカケになったのは、廣田さんが気軽に「ほな、なんかやりまひょ」といってくださった一言でありました。その廣田均氏が定年でジーベックを退社されることになり、常設宴会場と化した感のあるNADIにて記念宴会が催されました。NADIの社主、川崎義博選手は相変わらずこまめに料理をこしらえ、音関係者用専属宴会場NADIの将来は明るい。最近京都から山口の大学へと職場の変った水谷さんも見えておりました。

 

■6月19日(日)「アジアの音楽レクチャーシリーズ」-インド音楽のリズムと鑑賞第3回/ジーベック・神戸/講師:中川博志

 

■6月26日(日)「ヴォイジャー/ジョージ・ルイス+三宅榛名」コンサート/ジーベック・神戸/出演者:ジョージ・ルイス+三宅榛名

 コンピューターと生演奏の合奏でありました。ジョージ・ルイスの演奏するトロンボーンの唾抜きから大量の唾が舞台に放出されていたのが思い出されます。

 

■7月1日(金)「楽舞悠久/ジャワ宮廷ガムラン・舞踊の精華」/長岡京記念文化会館・京都/出演者:インドネシア国立ヨグヤカルタ総合芸術大学

 久々の本格的ガムラン演奏と舞踊でした。特に、「王家の子女たちに、美しい立ち振舞いと、長時間の静かな動きに耐える強い心を鍛えるために教えられた」(公演パンフレットより)という宮廷舞踊「スリンピ・パンデロリ」は、実に雅なものでした。芸術的優雅なのです。4人の踊り手のうちの最もカワイイ女性に視線を集中していたところ、隣の配偶者がするどくその視線の先をたどり、こうのたまわった。

「ずうーっとあの人見てたでしょう。んもおー」

今回の仕掛け人の一人である中川真さんと、松江の瀬古さんによりますと、八雲村での公演が、雰囲気、内容とも最高だったと聞きました。演者も聴衆も神がかりに近い状況だったそうです。会場の熊野大社には是非いきたかったのですが、ジーベックのレクチャーと重なってしまい、返す返すも残念でした。

 

■7月3日(日)「アジアの音楽レクチャーシリーズ」-インド音楽のリズムと鑑賞第4回/ジーベック・神戸/講師:中川博志

 

■7月6日(水)「OSAKA寺町フォーラム」/一心寺シアター・大阪/スピーチ:高口恭行、落語:桂雀三郎、パネラー:橋爪紳也、橋本敏子、林信夫、島田裕巳

 建築家でもある一心寺住職、高口恭行氏の分りやすい講義で、寺町の由来がよく分りました。「フォーラム」という催しを開くこと自体、対象としているものの斜陽性を表わす、という島田さんの発言は、実に当たっています。

 

■7月17日(日)「アジアの音楽レクチャーシリーズ」-インド音楽のリズムと鑑賞第5回/ジーベック・神戸/講師:中川博志

 

■7月24日(日)「観世雅雪・観世寿夫追善能」/大槻能楽堂・大阪/演目:能舞「相問」、狂言「無布施経(ふせないきょう)」、能「鸚鵡小町(おうむこまち)」、能「大会(だいえ)」

 大槻能楽堂のプロデューサー、千葉定子さんから「面白くかつ珍しいプログラムなので是非」というお誘いを受け、でかけました。久しぶりに能を堪能しました。大会はかなり面白く、珍しく睡魔のこない能でしたが、夢幻能といってよい鸚鵡小町のときは、極端に変化の乏しい動きをみているうちに猛烈な睡魔に襲われ、文字通り夢幻の境地をさまよいました。

 

◎これからの出来事◎ 

■8月7日(日)「アジアの音楽レクチャーシリーズ」-インド音楽のリズムと鑑賞第6回/ジーベック・神戸/講師:中川博志

■8月13日(日)中川博志ライブ/インド・タイム・堺(問い合せ℡.0722-24-2998)

■8月17日(水)18日(木)/「ケチャ」公演/大阪厚生年金会館中ホール/出演:バリ島プリアタン村総勢100名 

■8月19日(金)「インド古典声楽ラシッド・カーン・コンサート」/広島市南区民センター/主催/(財)広島市文化振興事業団、(財)南区民センター、(財)広島アジア競技大会組織委員会/出演者/ ラシッド・カーン:声楽、タンモーイ・ボース:タブラー、デーバプラサード・デーイ:ハールモーニヤム、中川博志:タンブーラー /問い合せ:082-251-4120

 昨年から準備を進めてきました、現代インド古典声楽の若手ナンバーワン、ラシッド・カーンのコンサートです。残念ながらわずか3公演のみですが、今から楽しみにしています。今年のインド音楽のハイライトになることと確信しています。 

■8月21日(日)16:00PM開演--19:00/「即興の芸術 Ⅱ」<アジアの音楽シリーズ第14回>/ジーベック・神戸/出演者/ ラシッド・カーン:声楽、アミット・ロイ:シタール、タンモーイ・ボース:タブラー、デーバプラサード・デーイ:ハールモーニヤム、田中理子+寺原太郎+田中峰彦:タンブーラー

■8月22日(月)ラシッド・カーン レコーディング/ジーベックスタジオ・神戸

 これまで3枚出ましたOD-NETレーベルCDのための録音です。現在資金不足のため出版が滞っておりますが、昨年録音しましたハリプラサド・チョウラシア師の分もあわせていずれCDにしたいと考えています。

■8月23日(火)16:00PM開演--19:00 /「インド古典音楽と真言声明」/ラブリーホール/河内長野/出演者:ラシッド・カーン:声楽 、アミット・ロイ:シタール、タンモーイ・ボース:タブラー、デーバプラサード・デーイ:ハールモーニヤム、寺原太郎+中川博志:タンブーラー、真言宗僧侶約10名:声明

 ここでは、声明とインド音楽の和奏が試みられます。 

■8月から10月/南インド古典舞踊「カタカリ」公演/全国各地(9月29日~10月2日/P3・東京ほか)/問い合せ:「ポストインド祭を考える会」/℡ 0257-52-2396(新潟・ミティラー美術館) 

■9月11日(日)田中峰彦+中川博志ライブ/楽屋・神戸北野町 

■9月17日(土)、18日(日)「インド音楽研究会例会」/太鼓館・東京浅草・宮本卯之助商店/一部ライブとしゃべり:中川博志(予定) 

■10月10日(月)アミット・ロイ シタールライブ/専念寺・奈良市 

■10月16日(日)18:00「ハイブリット・ガムラン」/ふくやま美術館・広島福山市/出演者:ガムラン・ダルマ・ブダヤ/企画・コーディネイト:天楽企画 

■10月26日(水)(予定)アミット・ロイ シタールライブ/須磨友が丘高等学校・神戸/アミット・ロイ:シタール、アビジット・ベナルジー:タブラー 

■11月3日(木)(予定)タブラーワークショップ/ジーベック・神戸/講師:アビジット・ベナルジー 

■11月12日(土)(予定)アミット・ロイ シタールライブ/山形県南陽市

■12月3日(土)18:30「ハイブリット・ガムラン」/高松市美術館・香川高松市/出演者:ガムラン・ダルマ・ブダヤ

■12月4日(日)18:30「ハイブリット・ガムラン」/倉敷市立美術館・岡山倉敷市/出演者:ガムラン・ダルマ・ブダヤ

 

大好評!OD-NETレーベルのCD最新版依然として多数在庫あり。ヴァイオリンのD.K.ダタールによる「インドの暝想ヴァイオリン」とスルタン・カーンのサーランギによる「雨季のラーガ」。購入ご希望の方は今すぐ天楽企画/電話&FAX 078(302)4040へご連絡を。

 サマーチャール・パトゥル1~11号をまとめた冊子が依然として我が家のあるスペースを占拠しています。CD、『インド音楽序説』ともども、速やかな退去にご協力お願いします。ご希望の方は、390円切手を同封の上お申し出下さい。

 


◎サマーチャール・パトゥルについて◎

 サマーチャールはニュース、パトゥルは手紙というヒンディー語です。個人メディアとして不定期に発行しています。

 

編集発行発送人/中川博志
精神的協力者/中川久代
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