「サマーチャール・パトゥル」16号1994年12月10日

 ◎アイデンティティということ◎

 かつてインドのバナーラスに住んでいたとき、「われわれがインド音楽を学習することはどういうことか」といった話題で他の日本人と議論したことがありました。この議論はけっこう根の深い問題をはらんでいて、結論のようなものを出すのは不可能です。単なる「民族的」なアイデンティティに関わる問題だけではなく、音楽行為そのものの意味も問われていたからです。

 民族的アイデンティティ、といってしまいましたが、この言葉もなかなか単純にはいかずうるさい概念です。

 以前、神戸で行われた「国際青少年フォーラム」で、とんでもないことに問題提起者の一人に指名され、「伝統文化の認識」という大テーマで分科会を担当することになったことがあります。わたしは、しどろもどろの英語で「国際交流はますます盛んになっていくだろうが、自分自身のよってたっている文化をしっかり認識して初めて交流の意味があるのではないか」などと発言したところ、当然のことながら賛否両論が出ました。まあ賛否両論が出るかぎりにおいては議論を進めることに問題はなく、むしろ意見のある人たちに勝手にしゃべらせておけばこちらは楽だと傍観していたのでありました。

 ところが、オーストラリアのある白人青年の、じゃあ私はどうしたらよいでしょうか、という質問ですっかり調子が狂ってしまったのでした。

 わたしたちの能、歌舞伎、相撲、生け花、茶道、神道、わびさびなどにあたるいわゆる伝統文化は、彼のようなヨーロッパ系オーストラリア人にとっては何か。ヨーロッパとは峻別できるオーストラリア固有の伝統文化とは何か。被征服者であるアボリジニーの人たちの伝統文化は、彼にとってはどういう意味をもつのか。

 提案者のわたしはその質問後メタメタになり、まとまっていたと思われた思考は断片となって四方に飛び散り、だからオレはこんなんに出るのはイヤだっていったのに、主催者の人間関係につられて、しかもゼニにも多少つられれて引き受けた自分を、主催者の関係者である知人を、その知人の属する団体(ボーイスカウト)を、その団体に加担する人間を、会場のある神戸を、兵庫県を、日本を、世界を、宇宙を呪い、会議の早期終了をひたすら願ったことはいうまでもありません。

 アイデンティティといったとき、にわかにうるさくなるのは、帰属すべき単位としての国家や民族が単純に割り切れないからです。たとえば、くだんのオーストラリヤも含めたかつての「新大陸」の国々を考えてみます。グラデーションのごとく混血の進んでいるブラジルでは、もはや自分の民族的ルーツを辿ることすらできないし、また意味をなさない。かつての征服者と被征服者が入れ子状態になっている地域もあれば、同じ民族だと思われていても宗教が異なって対立していたりする。単一の民族としてひと括りのできる民族なんてないのですよね、厳密にいえば。あるのは共通性認識の濃淡だけです。どんどんどんどん薄くしていくと最終的には「世界は一家、人類みな兄弟」なわけであります。極論ですけど。ですから、「民族固有の伝統文化」などといっても、共通性認識が少し濃いものどうしの比較でしか語ることができない。

 民族固有の伝統文化は、その濃い集団が歴史的に育んできた美の意識によって成立しています。ところが、その集団によって一般的に認知された共通の美の感覚は、許容できうる外部からの新しい美の様式に影響を受けてきたことは歴史が証明しています。しかも、たいていそうした新しい美の様式を受け入れるのは伝統的な美的訓練を多く積んだ人たちでした。特定の美の様式に習熟した人ほど、他の美の様式に対して寛容であったと思います。それはおそらく、美への観察がある一定の水準に達したとき、固有さの濃淡を超越した美に対する態度、アーティストシップ(芸術家魂)といったようなものが獲得されるからかもしれません。そうしたアーティストシップは、人類に共通するところなのだ、とまあ考えるのでありますね。

 そこで、最初の「われわれがインド音楽を学習することはどういうことか」という話題にたち返ってみます。かなり固有性の濃いインドの音楽美の様式に触発された人は、この芸術のもつ普遍的なアーティストシップの一端に触れたことになると解釈すれば、日本人であるわたしたちがこの音楽を学習することには何の違和感もないし、むしろ新しい音楽様式の中にそうした普遍性を感じ取ることのできた感受性を大事にすべきではないか。インド音楽の美を感受できうる人はだれでも学習の門戸は開かれているし、現に学習している外国人は数多く存在しています。インド音楽をはじめ世界のあらゆる音楽を人類の築き上げた貴重な音楽様式の一つとしてとらえれば、民族や国の障壁はあまり意味をもたないともいえます。

 千年単位で連続的に積み上げられてきた固有性の濃い文化を誇るわたしたちの日本、中国、インドといっても、厳密なアイデンティティということになると、時間を遡れば遡るほど、そして今後の通信交通手段の発展につれてどんどんあやしくなっていくことは自明です。現に、日系アメリカ人のように、たとえ混血のない日系人でも、世代を経ればもはや日本伝統文化を共有する人とはいえないし、逆に日本に在住する外国人が増えている現状を考えると、日本というアイデンティティすら意味をもたない時代に入っているともいえます。

◎音楽と人間の不幸◎

 

 小泉文夫さんが『音楽の根源にあるもの』という本に収められている講演の中で次のように述べているところがあります。音楽行為ということを考える場合、彼の感想はなかなか鋭いものを感じさせます。

「私たちが音楽的だと考えていることが、本当は人間の不幸の始りかもしれない。エスキモーのことを考えてみると、私はほんとうにそう思います。エスキモーは自然なところで生活していて、何も苦労がなくて、まあ、いろいろ私たちのの知らない苦労がいっぱいありますけれども、しかし階級制度というものはない。不動産っていうのがないのですからね。だから、総理大臣が全部土地を買い占めちゃったとか何とかいう話は、全然エスキモーの社会にはない。したがって、その遺産をを次の子どもに譲ろうなんていう、そういう財産というものがない。土地は凍っているだけですから何の価値もない。したがって財産がないから身分の上下がない。偉い人も、金持ちも、貧乏人も、何もない。あまりにも単純といえば単純ですが、しかしそれだからこそ音楽の構造も至って簡単なのです。すばらしい音楽をもつことと人間の不幸とは、何か直接の関係があるような感じがしています」

 幸不幸は人によって基準が異なり一様にいうことはできないとはいえ、ふだんに「すばらしい音楽」に接しているわれわれは、彼のいうように「不幸」な社会にいるのかもしれない。

 一般に洗練された芸術は、富の分配に偏りのある社会で、その富を集めることに成功した層によって育てられてきたといえます。

 わたしのやっているインド古典音楽などはその最たる例です。実際、人口8億のインドで古典音楽を享受する人たちはどれくらいいるのか。わたしの感じでは、全人口の1㌫にすらはるかに満たないのではないかと思います。インドでは、外部からの侵略をたびたび受け、侵略者たちの文化的な影響もこうむったにもかかわらず、厳然たる階級制度、いわゆるカースト制度が今もって強い拘束力をもっています。その長い歴史の中で芸術音楽を担ってきたのは、バラモンなどの最上カーストでした。現在でもそうした傾向にほとんど変化はないようです。

 小泉さんの言葉は、このように洗練された音楽が富の偏在した社会で発展してきたという観察からきているのです。彼はこうもいっています。

「雅楽には喜怒哀楽はありません。人間の感情などというものとは無関係な音楽なんです。・・・・額に汗して働き、人生のさまざまな苦しみや喜びを体験して出てきた音楽ではなくて、貴族の遊びや儀式の音楽だからで、そこに苦しみや喜びやロマンティシズムというようなものが表れてくる余地はないんです。・・・・雅楽に似ているのは南インドのバラモンの音楽です」

 ◎これまでの出来事◎

■8月7日(日)「アジアの音楽レクチャーシリーズ」-インド音楽のリズムと鑑賞第6回/ジーベック・神戸/バーンスリー:中川博志、タブラー:田中理子、タンブーラー:寺原太郎

「北インド古典音楽の正しい聴衆のありかた」を目ざしたレクチャーシリーズの総集編として、実際の演奏を聞きながらリズムの展開を把握してもらうためのライブでした。

 最初に、それぞれのターラ(リズムサイクル)の数えかたや手拍子の打ちかたを解説しましたが、初めての参加者にとっては難題だったかもしれません。しかし、中にはきちんと手拍子をとっておられた人もいて、緊張しました。今後、これらの受講者の前ではいい加減な演奏はできないのです。こうした聴衆がもっと日本に育ってくれば、インド人の演奏家も気が気でなくなるはずです。現に、インドからやってきたタブラー奏者のタンモーイ・ボースは、ジーベックホールでのコンサートで、最前列に陣取っていた聴衆の手拍子を見て、「たまげだなあ。みんな手拍子とってた。中には正確な人もいたし。インドの外の演奏会であのような聴衆にあったのははずめでだったす」と申し述べたのでありました。インド人演奏家たちの演奏がいつになくスリリングだったのは、このレクチャーの効果も多少あったかもしれません。   

 

■8月9日(火)~11日奈良・十津川村盆踊り見学

 同じ姓にもかかわらず(関係ないか)小生とは比較できないほどの超人的活躍ぶりの京都芸大の中川真さんに誘われて奈良の十津川村へ行ってきました。

 途中、有名なつり橋を渡ってみました。人が通る度にふわふわと揺れる足元の踏み板の隙間から60数メートル下の川面を見下ろすと、肛門周辺神経が静かに興奮します。木の踏み板の厚みもなにかしらはかなく、しかも両端を固定するはずの釘が脱落しているものもあり、そこを踏むと少したわんだりするのですね。高いところは元来平気なのですが、人を驚かしたり喜ばせることに喜びを見出している真さんに背を後ろから押されたときは、鋭い冷気が下半身をかけめぐったのでした。真さんは、女の子なんかにもこういうことをやってんだろうな。へらへらしながら。彼によれば、平均して年に一度は転落死する人がいるそうです。さもありなんと思っていると、おそるおそる下を見下ろす観光客を縫いながら単車が平気で通っていたりするのです。踏み板の上で和太鼓を演奏したものもいたそうです。

 さて、十津川村は、くだんの中川真さん、大阪芸大の馬淵卯三郎先生などが中心になり、民俗芸能や風俗研究を目的としたフィールドワークの調査が行われているところです。独特の盆踊りを目当てに学生なども多数やってくるのですが、わたしが行ったときはまだ本番ではなく、宿舎である武蔵部落の青年会館には、学生3名、馬淵先生、スペイン人の人類学者ジョゼプ(ペレス博士といったほうがよいのか)、真さんそして小生のみでありました。古い民家を改造した宿舎の板張りの大部屋の中は、蒲団、枕、録音器材、イス、紙関係が脈絡なく置かれ、使用者による積極的住環境整備作業の遅滞ないし怠慢が見て取れたのであります。

 主夫として知られる小生は、食事の準備を当然ながら期待されておりました。五条市のスーパーで買い求めた材料で例によってカレーを作りました。二、三日はもつようにと大量に作ったのでしたが、食欲も性欲も減退しつつあってしかるべきであろうと推測される比較的ご年配の馬淵先生が、常人では考えられない量をあっというまに平らげてしまったのには驚いたのでありました。病的満腹感抑制機能長時間不活性状態ないし食欲促進化学物質異常分泌者なのか。これが性欲のほうにまわれば恐ろしいことになっていたでありましょう。

 十津川村は、ユニークな点がいろいろあり、それが真さんや馬淵先生ら研究者を惹きつけているのでしょうね。詳しくはそうした研究者たちの論文に任せるとして、わたしの印象に残っていることだけをちょっと紹介しておきます。

 まず、盆踊り。わたしは3晩の練習に参加しましたが、とても覚え切れないほどレパートリーが多い。それぞれの曲のステップは、いくつかあるステップ型のユニットが組み合わされてできています。その一つは、踵を引きずり加減にしながら前方へ投げ出した足を元の立ち位置まで踏み戻すもの。これを交互に左右の足で行えば4拍になります。この基本ステップに回転や前後左右移動が組み合わされるのです。また、独特なのは全員が舞扇をもつこと。わたしの田舎の花笠とは比較にならない上品さなのです。この盆踊りは十津川村全村共通のものはなく、それぞれの部落で独立していることもユニークな点です。

 全村が神道であること。仏教のお寺は一つもないのです。明治時代の廃仏毀釈で忠実に廃仏してしまったということです。

 神さまが山頂にはいず、ほとんど川にいること。山形ではたいてい神様は山頂にいたものですが、ここでは龍神、水の神などすべて川に因んでいるとのこと。だから、川に向けて、つまり下へ向けてオシッコするとタタル。川石や滝をないがしろにするとタタル。

 住宅の向き。一般には陽のよくあたる南面に平行して建てられるのが普通ですが、十津川では方角に関係なく川に平行して建てられるのだそうです。川に直行した家は「川切り」と称して嫌われ、タタル。

 他にもさまざまなタタリ物語があって非常に面白いところなのです。タタリの物語に関しては、真さんの長年のインフォーマントである村の元気な古老に伺いました。

 札幌と旭川の間に新十津川町という町があります。この町が奈良の十津川村から移住していった人たちに因んでいることを初めて知りました。

■8月13日(日)中川博志ライブ/インド・タイム・堺/バーンスリー:中川博志、タブラー:田中理子、タンブーラー:寺原太郎、岸下しょうこ

 インドタイムという茶店は、近い将来取り壊しになる建物を一時的に利用している店で、ジーという風体怪しい自称コズミックサウンド音楽家がやっていたのでした。過去形で書いたのは、現在はたぶんなくなっているはずだからです。したがって、人工的な環境は期待されるはずもなく、夜になっても猛暑をとじ込めたような猛烈な暑さの中で演奏しました。バーンスリーの歌口はいうにおよばず、指穴周辺も汗でズルズルになりました。

 

■8月17日(水)18日(木)/「ケチャ」公演/大阪厚生年金会館中ホール/出演:バリ島プリアタン村総勢100名

 本格的なケチャは今回が初めてでした。以前バリ島のデンパサールで観光客向けのものは見ていたのですが、今回のプリアタン村のケチャはさすがに迫力がありました。ただし、ちゃんとした劇場ですので、どうしても閉じられた感じがあり、バリの匂いまでは再現できていなかったのが残念です。ケチャはオープンエアーの公演が望ましいですね。

 

■ラシッド・カーン日本公演

 ラシッド・カーン、タンモーイ・ボース、デーバプラサード・デーイ(以下ラシッド組)は、18日、SQで伊丹空港へ到着しました。ジーベックの下田さん、竹上さん(以下みたいな感じタケやん)とで迎えに行きました。

プロフィール

【ラシッド・カーン】

・・・・28歳。プロモーション用に送ってもらっていた、苦悩懊悩に満ちた写真の顔とは異なり、多少尊大な表情はあるもののインドの街のアンチャンという感じでした。背はわたしと同じくらいですが、真横から見ると背筋は真っ直ぐなのに腹部がなめらかに前方へ突き出ているため、全体としてどこか滑稽な雰囲気を漂わせると同時に、そうした体形をもつ人の歩行姿がたいていそうであるようにそっくりかえったような形にならざるを得ず、その辺も尊大に見えるところなのかもしれません。整った褐色の顔とキラキラ光る黒い目は、幼さと老成した風格を感じさせる表情の混じり合った不思議な光を放射するのであります。

 無口、といってよいほどあまりしゃべりません。音楽的英才教育によって育ってきたために、英語など一般的な教育をきちんと受けていないことに対する劣等意識が若干あるのだと思います。ただし、今回の来日で初めて口にして気にいった日本酒を飲んだり、タブラーのタンモーイとデーバプラサードいじめ(後述)の相談をするときはけっこう冗舌になるのです。

 

【タンモーイ・ボース】

・・・・31歳。なめらかな英語を話す。典型的ベンガル人の顔といえます。といってもどんな顔か想像できないでしょう。人間の顔つきや表情を文章で表現するのは難しいものですね。わりに濃い褐色の彫りの深い顔ですが、輪郭はなめらかです。目をつぶった状態を斜横から見ると暝黙する釈迦のごとくなのですが、目をあけるとギョロリとくる。しかしその黒い目の光には、真面目さといたずら好きと世慣れさと純真さと精神の柔軟さが加わっているのであります。ラシッドの前方にのみ拡張方向を見せていた腹部は、タンモーイの場合横方面へもぼてっと膨らんでいるのでありました。最近日本にやってくるタブラー奏者はたいてい腹部膨満傾向が強いなあ。

 海外経験が豊富からなのか、好奇心にあふれています。日本食についても何でも試してみる精神で、ラーメン、寿司、日本酒など、わりと喜んで飲食を楽しむのでありました。

 非常に柔軟な精神の持ち主ではありますが、非柔軟非洗練保守的人物には攻撃的非寛容といった傾向を見せる。こうした性向の最大の被害者が次に登場するデーバプラサードなのです。

 

【デーバプラサード・デーイ】

・・・・41歳。英語、ヒンディー語はあまり得意ではない。デーバプラサード(神の恩寵の意、以下デーブダー)いじめに恐るべき奸智と執拗さを発揮するタンモーイの表現するところによれば、デーブダーの顔は、「尻の穴から焼き火ばしを突っ込まれて屠殺されつつある豚の顔」なのだそうです。しかし、目の前でこんな恐ろしい表現をされてもにこにこしているほど非常にナイーブで純真、素朴なのです。こうした純真さが、絶え間ない災いを招く根源になるのです。おさな友達であるタンモーイと気脈の通じた心やさしいバッチューですら、「彼はいじめられることを楽しんでいるのだ」などというくらいなのです。そのいじめがまた、どうしたらこんな悪魔的アイデアが次からつぎへと湧き出るのか、タンモーイの奸智の泉の無限さを感じたのでありました。以下は、ドキュメンタリータッチでそのいじめの数々を紹介したいと思います。

 

----いじめ①

 それは、カルカッタからの機上で始った。3人掛けの通路側に座りやすらかな眠りを楽しんでいたデーブダーは、エアーホステスの突然の「何か御用ですか」に驚いた。彼女は笑顔を見せてはいるものの、あなたは特別なのよ、といった表情ではない。彼女を呼ぶ意思表示をしていないデーブダーは、しどろもどろの英語でなんでもない旨を告げ、再びまどろみの平安に帰る。しかしその安らぎも、2度目の「何か御用ですか」に破られた。しかもくだんのエアホステスの顔には、さきほどのような笑みはなく、しばいたろか、という表情が見てとれた。

「なんでもありません。アイアムソーソーリー」 エアホステスの2度の来訪の意味は何か、などと考える間もなくデーブダーは膝にかけた毛布を頭から被った。

「あんたあ、いったいなに考えてんのさあ。他の客の迷惑になるっしょ。ええかげんそのボタン押すのやめといてんか。はんかくさい」

 というキンキン声が頭上から響いた。毛布をとってエアホステスの形のよい顔を見た。怒りと軽べつと無慈悲と非寛容を全面に表した彼女は、このばあーたれが、といった表情で足早に去っていく。これは、何か悪い前兆なのだろうか。隣ではタンモーイとラシッドが熟睡していた、かに見えた。しかしデーブダーには、タンモーイの寝顔にうっすらと薄情な笑みが浮かんでいることを知らなかった。

 

----いじめ②

 シンガポール空港は、人でいっぱいだった。初めての外国の空港の様子に、デーブダーは興奮した。行き交うさまざまな人間や、無税商店の賑い、光輝く商品の数々にみとれ、その感想を仲間に伝えようと後ろを振り向いた。ところがタンモーイとラシッドの姿がない。迷ってしまったのか。恐ろしい不安がふと胸をよぎる。仲間の姿を探そうと必死に四方を見回していると、自分の名前が港内放送から流れているのに気がついた。飛行機が飛んで行ってしまったのか。いったい何があったのか。またしても悪い前兆なのだろうか。自分の名前までは分るが、その後の指示が雑踏に消されて分らない。極度の不安におろおろするデーブダーには、すぐ近くのものかげで不吉な笑いを押し隠すタンモーイとラシッドの姿は見えなかった。

 

----いじめ③

 ポートアイランドにあるホテル・ゴーフルリッツは快適だった。なんという贅沢なのか。これが外国というものなのか。前々日の広島公演はうまくいったし、そろそろ時差ボケも回復しつつある。今日はぐっすり寝れるはずだ。スッポンポンにホテルのロゴマーク模様のついたユカタを着たデーブダーは、ひやりと気持ちのよいベッドシーツにからだを滑り込ませたと同時に急激な睡魔に身をゆだねるのであった。と、突然、電話の激しい呼び出し音が鳴り響き、いきなり心臓を冷たい手でつかまれた。暗い枕元にある受話器を手にとった。受話器からは、かすかな息づかいが聞こえてきた。「ハロー、ハロー」デーブダーは、進行しつつある事態を飲み込めぬまま自動的にこう応答したとき、相手の受話器がフックにかけられる音と、それに続く無機質な単音の持続音が帰ってきた。どうしたんだ、いったい何なのだ。ま、またしても悪い前兆なのだろうか。ま、まちがい電話かもしれない。デーブダーは再び、自身の体温の残るシーツを頭から被り、平安な眠りを取り戻そうとした。しばらくすると、再びけたたましい呼び出し音がデーブダーの平和を乱した。同じ息づかいが受話器から流れた。受話器を下ろしたデーブダーは、ベッドランプを点けしばらくその受話器を見つめた。何ものかの意図的ないたずらとしか考えられない。やるとすればタンモーイか、ラシッドか。そう考えているとき、ふたたび電話機は生き物のように叫び、静寂を破った。いそいでユカタの帯を締め直したデーブダーは、呼び出し音の鳴り続ける電話をそのままにして、タンモーイのいる隣室のドアをノックした。しかし応答がない。そこでその隣のラシッドの部屋へ行った。ドアを開けたのはタンモーイだった。

「お前ら、いたずらしてへんか」

「うー?どうしたん?」

 デーブダーは、事の次第を2人に説明した。2人は、

「あにいってるだ。おれっちができるわけねーだろ?そこの電話見てみろ。ちゃあーんとおりてるべ。なのにお前の部屋の電話まだ鳴ってるぜ、ほら聞こえるべさ」

 確かにデーブダーの部屋の電話はまだ鳴り続けていた。真剣な表情を装うタンモーイが、自室からデーブダーに電話し、受話器を上げたままラシッドの部屋に駆け込んでいたことをデーブダーは知らない。

 そうしたいたずら電話に悩まされた2日目、デーブダーは、今回の日本旅行の責任者であるヒロシに、いかに眠れないかを訴えた。ヒロシは、その原因がタンモーイとラシッドであることを知っていたが、彼らのうるわしい関係に立ち入ることはしないと決心していた。

「それは警察か、ホテルの保安責任者に訴えるべきだ。外部からは交換を通してしか電話はかけられないので、おそらく内部のものの犯行だろう。誰が何時ごろどこに電話したかは警察の調べで判明するはず。さっそくこれから警察へ連絡しよう」

 ヒロシはこういった。

「警察が関わるとなると、あなたの家族や親族も調査対象となるに違いない。事情説明のために警察署への出頭もありえるかもしれない」

 ヒロシはこうもいった。

 デーブダーには、ただでさえ慣れない外国で、ケーサツ、チョーサ、などという言葉の響きに不吉な未来の招来が想像された。

「ヒロシ、ポ、ポリスだけはやめてくれ」

「わかった。では、とりあえず電話線を切っておこう。ジャック式だからまた簡単に取付けられます」「ちゃんと後で付け直してよね。今度は電話を壊したといわれるんじやない?」

 こうして、ヒロシの適切な解決策で、デーブダーの安眠がそのご確保された。----

 

 デーブダーいじめは、上記だけではなく、機会あるごとに執拗に続行された。皆で神戸の金星台へいったとき、手すりに寄りかかり夜景に見入るデーブダーの目にうっすらと涙の光るのをバッチューは見逃さなかった。なにをして彼を泣かしめたのか、誰も知らない。タンモーイによれば、彼には美人の奥さんと子供もいるのだそうです。こんな若いやつらになめられても、淡々としているデーブダーは以外としぶとく、達観した人生観の持ち主なのかもしれません。

●8月19日(金)「インド古典声楽ラシッド・カーン・コンサート」/広島市南区民センター/主催/(財)広島市文化振興事業団、(財)南区民センター、(財)広島アジア競技大会組織委員会/出演者/ ラシッド・カーン:声楽、タンモーイ・ボース:タブラー、デーバプラサード・デーイ:ハールモーニヤム(以下ラシッド組)、中畦みのり:進行、ヴァイオリン、中川博志:タンブーラー

 とんでもなく高価なヴァイオリンで日本のメロディーを弾いた中畦さんの進行で広島公演が始りました。中畦さんは、比較的お口の面積の大きいざっかけなタイプの中年独身女性。カラッとした性格がわたしは好きです。でも、彼女のような西洋音楽専門家というのは、いわゆる民族音楽に関しては本当に何も知らないのですよね。残念ながら。

 みたいな感じタケヤンの「リハは4時から。舞台わあ、マイク4本みたいな感じでいいっすよね。そんでもってえ、8時半みたいな感じで終了ってことでいいかな」みたいな感じでうまく終了しました。この広島で、ラシッドの演奏を初めて生で聴いたわけですが、やはり生のほうが断然すばらしかった。飲料水に悩む広島市のために、ラシッドには雨を呼ぶラーガであるミヤーン・キ・マルハールをリクエストすることにしていたわたしは、広島・阪神戦を見にいくといっていた同宿の団体の人に傘の用意を忠告しましたが、無情にも雨は降らず、カープスはタイガースに破れたのでありました。

 それにしてもラシッドはよく寝ます。もうしょっちゅう寝ているのです。タンモーイとデーブダーとで原爆資料館へいっている間ずっと寝ていました。

 原爆資料館の後、街のラーメン屋に入りました。デーブダーは、ラーメンを頼むことに同意し、純粋菜食ラーメンだから試すべきだとのタイモーイとわたしの強い勧めにもかかわらず、動物性脂肪の臭気や見慣れぬたたずまいに接したとたん、食物摂取超保守主義がみをもたげ、結局定食としてついてきたご飯と味のない煮たじゃがいものみを、手でにちゃにちゃこねまわして食べたのでありました。タンモーイの、なんでもっと寛容になれないんだ、せっかく外国にきてどうして違うことを学ぼうとしないのか、という舌攻に、彼は半泣きにうつむきながら沈黙を守るしかなく、デーブダーの深い悲しみは沈殿していくのでありました。

 

●8月21日(日)16:00PM開演--19:00/「即興の芸術 Ⅱ」<アジアの音楽シリーズ第14回>/ジーベック・神戸/出演者/ ラシッド組、アミット・ロイ:シタール、田中理子+寺原太郎+田中峰彦:タンブーラー

 主奏者2人にそれぞれ90分づつ演奏してもらいました。このようにたっぷりと時間をとり、最良の状態でインド音楽を聞くことができるのはジーベックくらいかもしれません。ほぼ満員のお客さんは、心境著しいアミットのシタールと、ジーベックでは初めての古典声楽を十分に楽しんだものと思います。ことに、最近の北インド古典音楽会に彗星のごとく現れたラシッドの声楽は、インドでの高い評価と人気の所以が十分に納得のできるものでした。北インド古典音楽は、彼のような才能のある若手を輩出する機会をまだ保持しうるかぎり、今後も活力をもちつづけると思います。タンモーイのタブラーは、ソロこそそれほど派手ではありませんでしたが、それぞれの主奏者の持ち味を生かした伴奏に本領が発揮されていたと思います。

 演奏会の後は、芦屋山手にあるインド総領事公邸でレセプションがありました。

 

●8月22日(月)レコーディング/ジーベックスタジオ・神戸/ラシッド組

 

 せっかくのラシッド組の来日ですので、きちんとした録音を残したいということでレコーディングをやってもらいました。演奏は前日のライブよりもずっと集中したすばらしいものでした。ゼニがたまった段階で、いずれOD-NETレーベルからCDが出たら、と願望しています。レコーディングの後は、我が家でカレーパーティー。臨時コックのラシッドがチキンカレー、アミットが海老カレーを作りました。わたしは何もしないで横になって指示するのみ。楽ですよね、人に料理してもらうのは。タンモーイのリクエストで冷ややっこを出しました。ここでもデーブダーは、タンモーイに豆腐を食べることを強要されていましたが、広島でのラーメンのときのように半泣きなのでした。

 

●8月23日(火)「真言声明とインド音楽」/ラブリーホール/河内長野/出演者:ラシッド組、アミット・ロイ:シタール、寺原太郎+岸下しょうこ:タンブーラー、河内眞和会(真言宗僧侶約10名):声明

 ラブリーホールは、大阪近郊の河内長野市に比較的最近できた非常に立派なホールです。元NHKのディレクターである長島さんが専任のプロデューサーですので、独自の企画が今後も期待されます。

 今回の真言声明とインド音楽との和奏は、ジーベックでの「アジアの音楽シリーズ」の第1回コンサートについで2回目になります。なかなか重厚な和奏となりました。お坊さんたちは忙しい(8月は特に忙しい)毎日をぬっての練習であったためか、音程の保持に若干問題がなくはなかったのですが、和奏法をさらに洗練させることができれば、一つのすばらしい音楽ジャンルになりうる要素を秘めていると思います。

 河内長野から神戸への帰路、みたいな感じタケヤンの「夕食は途中もしあれば、マクドナルドみたいな感じでいいでしょうか」にしたがい、閉店寸前のマクドナルドで会食。みんなハンバルガルなどをかじり始めたとき、突然、ハッピーバースデーの合唱が始りました。この日は、タンモーイの誕生日だったのです。ジーベックの下田さんからのジーベックのロゴマーク入り特製時計をプレゼントされたタンモーイは、こんなにうれしいことは初めて、と喜んでいたのでありました。

 

■8月26日(金)~30日(火)スキヤキミーツザワールド/円形劇場ヘリオス・富山県福野町/文化創造シンポジウム:クリスチャン・ムセ("ミュージック・メティス"プロデューサー/アングレム市・フランス)、山崎正親(国際交流基金)、浅野昭利(浅野太鼓)、芳賀詔八郎(カンバセーション)ピーター・バラカン/出演およびワークショップ:ネーネーズ、スアール・アグン(ジェゴグ、バリ)ドゥドゥ・ニジァエ・ローズパーカッションオーケストラ(セネガル)

 毎日がほぼインド料理、といったラシッド組とのうれしくもちょっとしんどい日本公演旅行を無事終えたので、一息つく意味で富山まで足を伸ばしてゆっくり配偶者と一緒に、演奏会つき夏休みを楽しんできました。宿は結構高級な礪波町のニチマクラブ。

演奏会はもちろん最高でしたし、ワークショップもなかなか充実していて、ただただぼーっとお金を使うだけの夏休みよりはずっと意義の深い過ごしかたです。これからは、「夏休みを音楽祭で」が流行するかもしれません。

 シンポジウムでは、フランスのアングレム市からやってきたムセ氏の報告が興味深かった。

 ヒッピーのようにふらりとやってきたセム氏が、フランスの田舎町で音楽フェスティバルを制作するようになり、そのフェスティバルがしだいにさまざまな人を巻き込み、今では市当局も社会的活動として支援するようになった経緯などは、こうしたことが日本でも可能だろうかとふと思ってしまいました。行政が支援する場合の考え方に大きな示唆を与えたと思います。

 今後、リセ氏のような人たちと緊密なネットワークを組んで行くことができれば、われわれのやっていることも世界的な広がりをもってくるのではないかと思います。

 

■9月3日(土)勉強トリオライブ渡辺香津美/チキンジョージ/出演者/渡辺香津美、石田長生、山岸潤史:ギター、東原力哉:ドラム、バガボン鈴木:ベース、井上敬三:サックス他

 当代の実力者たちがつくる、半ばお遊びのライブはなかなか楽しめます。ピットインの本村さんと、来年のエイジャン・ファンタジーのことなどいろいろ話しました。相変わらず本村さんは忙しいのであります。ところで、井上敬三さんというかなりご年配のサックス奏者は、坂田明さんの師匠だったのですね。知らなかった。

 

■9月8日(木)国際交流事業連絡会/国際交流基金・東京/宮本久義氏宅泊

 全国の自治体に最近続々できている「国際交流課」「文化振興財団」などの担当者に対する基金主催の交流会でした。わたしも来年のプロジェクトの提案のために上京しました。それにしても、文化振興財団などの組織が行政主導で設立されていますが、担当者のお役人たちがどれだけ振興や交流の必要性、その意味を把握しているのか、学校の授業のような説明にいねむりしながら聞いている人たちを見て思いました。また、「文化」のついたセクションでお働きになるお役人たちの給料などの総計が「文化予算」の中に組込まれるのだとしたら、表面的には大きな額になるにもかかわらず、実際の文化振興にどれだけ寄与しているものなのか、何か割り切れないものを感じたのでありました。われわれのような「特殊」な文化に関わるものには、その人たちの「慈悲」に頼っているようなところがあるように思うのです。

 ところで、関西新空港から飛行機で上京しました。我が家の近くからは、船で30分で空港へ行くことができます。その日はちょうど伊丹空港が浸水で麻痺した日で、そこから流れてきた人や、「見学」と称してうろうろする人たちで一杯でした。それにしても、飛行機で東京へ行くのはくたびれます。宮本さんとの待合わせ場所である神田についたときはくたくたでした。

 

■9月11日(日)田中峰彦+中川博志ライブ/楽屋・神戸北野町

 楽屋というのは北野町のローズガーデンにあるライブハウスです。初めてのライブでしたが、案に相違して満員でした。

 

■9月14日(水)紙上座談会/堀内みどり+中川博志/モーティー・大阪ミナミ

 毎日新聞の友人、城島徹さんが、「たまたまインドの同じ大学に通っていた人が、同じ時期に出版された。出版物はわりに専門的でそれだけを取り上げるのは難しいので、紙上座談会みたいな感じで宣伝に協力するのだ」ということで企画されたのでした。新聞には今月掲載されることになっているそうです。

 ミナミのモーティーは最悪です。髪を紫色に染めたクラブママ風のオーナーの横柄な態度と、まずいのに高い料理なのです。わたしは怒っています。

 

■9月17日(土)、18日(日)「インド音楽研究会例会」/太鼓館・東京浅草・宮本卯之助商店宮本スタジオ/シンポジウム発表者:宮本芳宏、皆川厚一、中川博志/司会:宮本久義/中川デモンストレーション協力:荒井俊也、井上貴子

 インド音楽研究会の例会に初めて参加しました。17日のプログラムには参加せず、懇親会にのみ参加しました。ヒンディー語の坂田先生、芸能人類学の姫野先生、元鼓童の平沼さん、バリの本を最近編んだ河野亮仙氏などに久しぶりにお会いしました。

 18日のシンポジウムは、井上貴子さんのいっていたように著しい破綻のない、なんとなくよかったよかった、てな感じで終りましたが、それぞれの発表者の報告をつなぐ必然性や、学問的な一貫性にやや欠けた感があります。まあ、アカデミックな団体とはいいながら愛好会的な部分もありますから、あれはあれで良かったのかもしれません。会場を無償で提供して下さった宮本社長の鼓の話、皆川さんのクンダンやバリのリズムの話は非常に興味深かった。わたしは、すっかりサラリーマンと化し、腹部を中心にたいへんふくよかになった荒井選手にタブラー伴奏をしてもらいバーンスリーのデモを行いました。

 結婚してからいよいよ首のなくなりつつある星川氏、荒井・井上夫妻、『インド・道の文化誌』の編集・出版に忙しい宮本久義氏と帰りにラーメンを食べて、その日神戸へ帰ってきました。

 

■9月19日(月)19:26PM 木下佳通代さん没

 癌で苦しんでいた画家のカズヨさんがとうとういってしまいました。入院先は、5月に亡くなった中西美代子さん、植松和子さんと同じホスピス、神戸アドベンチスト病院でした。結局お見まいにもいかずじまいでした。ご冥福を祈ります。

 

■9月21日(水)コンビビアリテ/須磨のレストラン 飽くことなき美食を求める美女の集団の食事会に今回も参加しました。ゲストの主税(ちから)さんの、食前国際情勢分析講義があり若干食欲の陰りがみえたものの結局しこたま食べてしまったのでありました。こんどからは国際情勢分析は、是非食後にお願いしたい。

 

■9月24日(土)「甦る聖徳太子の世界」/秋篠音楽堂・奈良/主催:奈良日日新聞社/タブラー:古幸邦拓、タンブーラー:寺原太郎+岸下しょうこ、バーンスリー:中川博志

エア・インディアの三原さんから紹介を受け、奈良で演奏しました。聖徳太子とバーンスリーにはなんの関わりもありませんが、聖徳太子→仏教→インド→インド音楽→中川博志→バーンスリーという観念連想で決定された模様です。

 演奏直前に、小生のもってきたEのタブラーの皮が破れているのを発見し、古幸氏があやうく失職しかけましたが、寺原太郎の同居人林百合子さんに代わりをもってきてもらい無事終了しました。タブラーのスペアーは常に用意する必要がありますね。

 

■9月25日(日)KEIKO FUJII DANCE COMPANY公演/ルナ・ホール芦屋/和太鼓:ケニー遠藤

 9月16日にケニーと初めて会いました。彼は、日系アメリカ人和太鼓奏者です。彼は最近、宮本卯之助商店のバックアップでなかなかよいCDを出しています。

 

■9月27日(火)ペルシア・カージャール朝の宮廷音楽/伊丹アイフォニックホール/ダルヴィシュ・アンサンブル

 ペルシア音楽というのは実に優雅なのですね。

 独特のビブラートを駆使して流れるヴォーカル、繊細でかつ乾燥した風を感じさせるナイの響きが今でも忘れられません。 

 演奏会には、作曲家の水谷川さんと行きました。水谷川さんは、ずっと以前NHKFMのラジオドラマ音楽のときにお会いした人です。演奏会のあと、水谷川さんはある芝居の音楽の一部に使いたいということで、わたしのバーンスリーの音を録音するためにわざわざ東京からいらっしゃったのでありました。

 

■9月29日(木)~30日高野山ロータリークラブ例会/ゲストスピーカー:中川博志

『インド音楽序説』の出版元、東方出版の板倉さんの紹介で出席することになりました。何をしゃべってもよいということなので、インド音楽と声明の演奏会のことなどを約30分しゃべりました。

 久しぶりの高野山なので、前日から宿坊に泊り高野山の精進料理を楽しみました。宿坊は、高野山大学のインド学の先生、藤田光寛さんの自坊である大円院。神戸から車で出発したころから大型の台風が接近していて、嵐の中の宴会となりました。

 かねてから実現したいと考えている「インド音楽+声明」楽団、越天楽(えてんらく)の可能性を探るために藤田上人から高野山の関係者を紹介してもらいました。お会いしたのは、真言声明の再生を模索する辻秀道さんと本山事務局の儀式関係の課長さんでした。かれらの話を聞いていますと、声明伝統の保持に対する危機感はあるもののそれを乗り越えてまで新しく再生させることは非常に難しい感じでした。楽団の結成には時間がかかりそうです。

 

■10月7日(金)京都ホテル/主催:浄土宗京都教区教務所/バーンスリー:中川博志、タブラー:古幸邦拓、タンブーラー:寺原太郎+岸下しょうこ

 なにかと議論のあった新しい京都ホテルでの演奏でした。昨年ジーベックで行った「浄土礼讃とインド音楽」のときお世話になった南忠信上人のご紹介でした。

 浩徳院というお寺の落慶祝賀会というおめでたい会ということもあり、皆さん般若湯をたっぷりきこしめられ非常ににぎやかでしたので自分の音すら聞こえない感じでした。演奏中に参加者の一人がとっくりとおちょこを差し出されたのにはちょっとたまげました。演奏中に飲んでくれという意味だったのか、こんなことは初めてでした。

 

■10月10日(月)アミット・ロイ シタールライブ/専念寺・奈良市/シタール:アミット・ロイ、タブラー:さくらいみちる、バーンスリー:中川博志、タンブーラー:寺原太郎+岸下しょうこ

 4月24日に高田みどりさんのライブを主催していただいた菊地耕住職の発案でバッチューとわたしの演奏会が催されました。菊地上人によりますと、わたしが電話の対応をするとき常に不機嫌な声を出すということですが、そうだったのでしょうか。そのご指摘のあとはできるだけ明るい声で対応するようにしています。不愉快な思いをされた方がいらっしゃればご容赦下さい。そういうつもりはないのです。もっとも、おきがけは要注意です。くり御飯弁当ごちそうさまでした。

 

■10月11日(火)ガイヤサロン/TBホール・大阪/座談:津村喬+中川博志/バーンスリー:中川博志、タンブーラー:寺原太郎+岸下しょうこ

 近所の気功大人津村喬氏の依頼でした。気象庁のだしている『地球のきもち』というビデオをバックに演奏するという趣向です。真っ黒な宇宙空間に静かに浮かぶ地球の映像は、本来なんの音もいらないほど崇高なものです。しかし、人間の喜怒哀楽を超越したインドの音楽が背景に流れるや、不思議な、なにかしら侵しがたい存在に見えてきます。以前、CNNの湾岸戦争報道の音声を消してインド音楽をならしたことがありました。戦争という行為の空しさがひときわ際立ったことを覚えていますが、インドの音楽は人間の感情を彼方へ連れ去ってしまうような効果があるのでしょうか。

 対談では、津村氏とインドの音楽についてしゃべりました。

 

■10月13日(木)もっと光を!!クラブ例会/ゲイロード・神戸ポートアイランド

 以前神戸新聞におられた松井高男さんからの依頼で、何かインドの光かサイババについてしゃべってくれ、といわれて参加しました。サイババについてはほとんど知りませんので、主に光の祭りであるディーワーリーについて紹介しました。光の話題でメンバーの勇気づけを計るというのがこの会の主旨でありました。実は、このクラブ、メンバーの資格が明白に厳密なのです。つまり頭部毛髪僅少者だけが入会を許されるのです。もちろん松井さんは「校長」としてメンバーの厚い信頼を誇るように見事な輝く頭部の持ち主です。

 

■10月16日(日)18:00「ハイブリット・ガムラン」/ふくやま美術館・広島福山市/出演者:ガムラン・ダルマ・ブダヤ/企画・コーディネイト:天楽企画

 美術館シリーズ公演の初日でした。予定にはなかったウィダルヤントさんの舞踊がすばらしかった。また、ルー・ハリソンの「チェロとヴァイオリンのための二重協奏曲」はよい曲です。ダルマ・ブダヤも今年はだいぶ鍛えられたとみえて、なかなかレベルも向上しているようです。突然、インドネシア人と結婚しましたというお手紙をいただいた高岡結貴さんにも久しぶりに会いました。

 新幹線で帰るつもりが、中川真さん、松高さんといっしょにトラックで雨中をついて神戸に戻りました。

 

■10月19日(水)ルーパク来阪

 91年11月にわたしのグル、ハリプラサド・チャウラシア(ハリジー)と一緒にジーベックで演奏したルーパク・クルカリニがひょんなことで来日していました。なんでも東京のあるダイアモンド商人(日本人)の息子の結婚式で、サントゥールのサティシュ・ヴィヤースとともに演奏を乞われたのだそうです。なんと豪華な結婚式か。

 ルーパクには、今年ラナンジャイという女児が生れ、父となっていたのでした。10代のころから彼を知っているわたしとしては、なんとも時間のたつのは速いことか。髪後ろ束ねペタペタコットン髭関係の宮下節男氏、小室真理さんというサティシュの弟子の招きで大阪まで足をのばしたというわけで、わたしも大阪まで会いにいってきました。

 ショッピングをしたい、というから何だろうと思っていると使い捨ておむつパンパースなのです。どれがよいか、などといわれても子をもったことのない小生には分らず、近鉄デパートの店員さんの好みに合せて購入し、出産祝としてプレゼントしました。プレゼントにパンパースを買うのは生涯最初で最後でありましょう。

 サティシュ・ヴィアースは、声楽家のC.R.ヴィヤースの息子で、シヴクマール・シャルマの弟子ですが、サントゥール奏者としてよりはヒンドゥスターニー音楽会の名プロデューサーとしてインドでは有名です。つるんとした頭髪僅少関係者ですが、わたしよりは2歳ほど若い。そのサティシュは、日本橋でソニーのステレオを購入しました。ところが、わたしがダンボールケースにMADE IN SINGAPOLEと書かれてあるのを指摘したら、うっそだあー、と悔しがったのでありました。ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ。

 

■10月21日(金)レゾナンスボックスライブ/チキンジョージ・神戸/

 ギンギン大音量の渡辺香津美バンドは、神戸ではもうすっかり馴染みになりました。メンバーの一人、バガボン鈴木は、アビジット・ベナルジーのワークショップのチラシをまきに行ったジーベックの下田さんの知り合いなのだそうです。バガボンは、下半身関係の話をさせるともう本当に面白い人です。彼の話に出てきた『寄生虫館物語』(亀谷了著、ネスコ、1994)は実に面白い本でした。

 

■アミット・ロイ+アビジット・ベナルジー94年秋期演奏旅行

 例年行っているアミット・ロイのツアーです。今回は、2年前にもその華麗なテクニックと頭部のキラリと光るアビジット・ベナルジーにカルカッタから来てもらいました。

 アビジットは、本人もいうようにたびたび白人と間違えられほど色白で、整ったバランスのよい顔をしています。額から頭頂部にかけてのツルリとした頭皮はつややかで、その頭頂部にまばらに生える産毛のようなうす茶色の髪がふわりと風に揺れる。全体がふっくらととした印象で、日本式にいえば「こぶとり中背」といえるでしょう。そうした体形が関係しているのか、行動もふっくらしている。なにかしらの行動に移る段になっても、必ず彼だけが出遅れる。休みも十分とれたからさあ出発しようとか、本番だから舞台袖でスタンバイせよといったとたん、ちょっとオシッコ、などといってわれわれの気をもますのです。前回の来日のときに、わたしがこうした彼の直前準備不備宣言的行動傾向をさんざん申し述べたり、その後人にもいわれたためか、今回は違う、オレは十分反省したので最早迷惑をかけることはないであろう、などと宣言したのでしたが、そうそう長年の習慣は変わらないものですね。

 豚でも牛でもなんでも食べる「ベンガル的柔軟バラモン」なので、一般にインド的偏食主義者を迎えた時に生じる食事提供考慮的苦悩はありません。ラーメンが無類に好きな点も、小生の傾向と同じでたいへん好感がもてるのであります。しかし、外国での食習慣や生活に慣れ、思考も柔軟なはずなのに、そして非常に頭もよい男なのに、イスラム教徒のことになるとにわかに非寛容、攻撃的になるところがあり、インドにおけるヒンドゥー対モスレム対立の根の深さを伺わせるのです。

 アビジットは、今や若手タブラー界では有数の存在です。北インド古典音楽界の名だたる名人たちの伴奏だけではなく、来年はジャズサキソフォンの大御所、オーネット・コールマンとの共演予定があるほど演奏技術と表現力には定評があるのです。実際、今回の日本公演での彼の演奏には、ゆるぎない安定感に加え風格すら感じられました。

 

●10月23日(日)酒倉コンサート/森田酒造酒倉・倉敷/シタール:アミット・ロイ、タブラー:アビジット・ベナルジー(以下アミアビ)、バーンスリー:中川博志、タンブーラー:寺原太郎

 名古屋から新幹線でやってきたバッチューとアビジットを新神戸で出迎え、そのまま車で倉敷へ向かいました。時差ボケの残るアビジットは車中でひたすら睡眠。「ラブホテル市役所」付近で以前美術館におられた阿部さんと合流し会場へ向かいました。その日は阿部宅泊。

 倉敷の会場は、森田酒造の酒倉の2階でした。こちらでは、森田昭一郎社長の「道楽」で定期的に演奏会などを催しているのです。東京からも編集者やファッションメーカーの経営者などもやってきます。白壁、瓦の倉や屋敷の集中する美観地区の真っ只中にあり、2階の喫茶室から見ると、ほとんど江戸時代の眺めなのです。控え室に使わせていただいた森田家に古くから伝わる茶室、平翠軒の日本庭園も見事です。

 

●10月26日(水)須磨友が丘高等学校・神戸/出演者:アミアビ、タンブーラー:中川博志

 高校での演奏会は、昨年の青森、鹿屋に続き4回目となります。会場は体育館で、約1000名の生徒でした。高校生はいずこも同じなようで、演奏が始ろうとしてもがやがやとしています。この演奏会の発案者である小川先生は、わたしの講義のときにかなりうるさかったので厳しく注意したのですが、なかなか静まらず、ついに、こらあー!お前らあー!と一喝。

 アミアビの演奏が始ると、わりと熱心に聞いているようでした。この思春期でのインド音楽体験は将来どう影響するものなのか、興味のあるところです。演奏内容は素晴らしく、バッチューには何かしら風格が出てきたように思います。学校を辞した後は須磨の海岸へ行きました。

 

●10月29日(土)青山高原・三重/出演者:アミアビ、タンブーラー:山本弘之

 今回のツアーの最もハードな移動がこの両日に敢行されたのでありました。まずわたしは、朝11時ころの新幹線で名古屋へ(2時間)。バッチューの新しい家に到着し一服する間もなく山本さん(以下オジサン)の車で青山高原へ(2時間)。高原レストランでの演奏後、キムチ餅、納豆餅などをせわしなく口にほうばり、俺もチキン食べたかったあー、ウンコがでなああいー、というアビジットの訴えを聞き流しつつ今度は一路、信州へと向かう。須坂にあるオジサンの義父の別邸に到着したのが深夜2時。

 

●10月30日(日)夕鶴の里ホール・山形南陽市出演者:アミアビ、バーンスリー:中川博志、タンブーラー:オジサン

演奏会場は、山形に古くからある雪国の語り部の伝承を伝える施設です。300人くらいの美しい手頃なホールで、ゆっくりとお婆さんの語りを聞いてみたい気がします。当日はほぼ満員でした。赤湯の「維新塾」の皆様ご苦労さまでした。

 さて、再び山形へ至る道行に戻ります。須坂別邸を早朝8時に出発しました。わたしは、早朝の厳粛な仕事を完遂しなければならないので車中からコーヒーの飲める場所を探します。それらしい店に入ったところ、大きな誤算の予感がしましたが、緊急を要する自然の叫びには勝てません。その店は、一貫した調度レイアウトによる調和と統一を積極的に見事なまでに逸脱した混沌とふてぶてしさに溢れていたのでした。厳粛な仕事場であるパイカナ(便所)は、他者の生産品が非常な臭気を伴いもりあがっていて、当然水洗ではなく、また、暗黒、といってもよいほどはかない照明なのです。インド生活以来、読活字併用排出および肛門直接手動洗浄方式を採用している小生にはかなり苛酷な仕事場なのでした。

 その後2日間の出来事を逐次記述すると膨大になるのでキーワードのみを記します。

 巨人優勝、コーヒー(350円)、道路調査、タオル、英語CDチャプター7、野尻湖、妙高、黒姫、越前浜SA朝食、小国、紅葉、龍上海ラーメン、しめじおよび松茸御飯にぎり。太田さん、熊坂、大江さん、佐藤憲一さん、ビッグジョンうち上げ、国際電話、川合医師耳の話、オジサン朝食、滝波浴場、まんじゅう、しめじ・まつたけ御飯、芋入りみそしる、睡眠、佐藤写真館撮影、ウエストバッグ紛失、警察、ラブホテル断念。

 この最後のラブホテル断念だけちょっと触れておきます。だれから聞いたのか、アビジットが「日本のラブホテルの室内を是非見たい」といい出したのです。ベッドがこんなふうになっていて、などと皆もはやしたてるものだからますます願望が強化されたとみえ、執拗に主張し始めたのでありました。われわれは、男が一人あるいは男どうしでその種の宿泊施設に入ることの非常な誤解を受ける可能性、見た後の行動予定などを諭した末、彼は願望の棄却を余儀なくされたのでした。

 

●11月1日(火)渡辺邦夫邸ホームコンサート・栃木足利市/出演者:アミアビ、バーンスリー:中川博志、タンブーラー:オジサン

渡辺邸に至る道程をキーワードのみで走ります。

 小生のおふくろみそしる朝食、大塩温泉200円、喜多方ラーメン(阿部食堂、朝昼夜・あさひや)、タクシー運転手、ラーメン地図、チャプター11,12、コンコルドホテル、豪邸、ドクトル新井、ジャクジーバス、サウナ、テニスコート、ベランダ煙草、シャンペン、ブランコ、暖炉、豪華安楽椅子、メルセデスベンツ。

 渡辺さんは、足利で整形外科病院を営むドクトルで、わたしの同窓生です。同じ医学部出身の嫌日本文化不毛不満的好米国文化的友人兼医師、ドクトル新井から紹介してもらいました。

 この渡辺さんのお宅がピッカピカのすっごい豪邸なのでありました。演奏会はこの豪邸の広い居間でとりおこなわれました。

 

●11月2日(水)STスポット・横浜/出演者:アミアビ、タンブーラー:若尾ひろみ

 横浜ランドマークタワー、オジサン朝鮮料理初体験、STスポット、睡眠、岡崎さん、いやだあー北田くん、清水、白菜もやしのみ中華食堂、名神。名古屋帰着深夜3時。

 

●11月3日(木)アビジット・ベナルジータブラーワークショップ/ジーベック・神戸

 睡眠不足のまま名古屋駅できしめんを流し込み新幹線で神戸へ。同じ日、友人の田平さんの関わる「ジェゴグ」コンサートがあり、その集客を心配していたのですが、見学者を入れて約50人とワークショップとしては大盛況でした。アビジットのレクチャーも非常に丁寧でかつ分りやすかった。帰宅して田中理子さんの個人レッスン後、関西弁べらべらのインド人、ダスワニ氏宅でディワーリー 祭をささやかに祝いました。

 

■11月5日(土)写真撮影+ピエンロー鍋大会 中川宅/外賀嘉起+ゆうこさん+進藤さん

 

■11月12日(土)中川博志ライブ/あしゅん・神戸三宮/バーンスリー:中川博志、タブラー:田中理子、タンブーラー:寺原太郎+岸下しょうこ

 

■11月15日(火)民の詩=ジプシーヴァイオリン/伊丹アイフォニックホール・大阪/出演者:ラースロ・ベルキとジプシー楽団

 せつなく、むせび泣くようなヴァイオリンを期待していましたが、スピードの速い超絶技巧のみが印象的でした。ツィンバロン奏者は、肥満児、という言葉が一瞬浮かぶほどよく肥えて、木の細いばちがはかなく見えました。それにしても、全曲楽譜なしであれほど緊密な演奏は素晴らしいものです。会場で偶然お会いした立田先生ご夫妻に阪急伊丹駅前の食堂で夕飯をおごってもらいました。

 

■11月19日(土)和太鼓一路公演/碧水ホール・滋賀水口町/企画コーディネイト:天楽企画

 時勝矢(井上改め)一路さんは、セブンスターのテレビCMで太鼓を叩いていた人なのです。後ろ姿しか分らないので気がついた人は少ないかもしれません。当日は大入り満員の盛況でした。曲目転換すら連続して見せる舞台は迫力満点でした。ヨーロッパツアーを始めますます一路さんは忙しくなると思います。

 

■11月26日(土)落語鑑賞ダブルヘッダー

①「古典落語の世界」/芸術工学研究所・神戸ポートアイランド/講演:小佐田定雄、落語:桂雀三郎、曲独楽:桂米八②「五人の会」/暫ホール・大阪ミナミ/桂米朝他一門若手

 三重、長野、山形、栃木、横浜、名古屋の全工程を運転していただいた(というか他人の運転を嫌う)慰労を込めてオジサン(山本さん)に関西にきていただきました。食と落語が無類に好きな男で、結局前日から落語のダブルヘッダーとなったわけです。次の日は能の鑑賞と、なんとまともにこれまで食べたことないという韓国料理大会でした。

■11月27日(日)能「花筐(はながたみ)」/大槻能楽堂・大阪→韓国料理「白雲台」

 

◎これからの出来事◎

 

■12月3日(土)18:30「ハイブリット・ガムラン」/高松市美術館・香川高松市/出演者:ガムラン・ダルマ・ブダヤ/企画コーディネイト:天楽企画 

■12月4日(日)18:30「ハイブリット・ガムラン」/倉敷市立美術館・岡山倉敷市/出演者:ガムラン・ダルマ・ブダヤ/企画コーディネイト:天楽企画 

■12月10日(土)インド音楽ライブ/楽屋・神戸北野/シタール:田中峰彦、タブラー:田中理子、バーンスリー:中川博志、タンブーラー:寺原太郎+岸下しょうこ 

■12月14日(水)配偶者生誕45周年記念晩餐会

■95年1月5日~2月10日前後/ボンベイ、カルカッタ音楽修行 

■5月23日(火)~6月13日(火)アーシシ・カーン+ザキール・フセイン日本公演(予定)
 インド音楽界の偉大な長老、アリー・アクバル・ハーンの息子で、ジョージ・ハリソンなどとの演奏で知られるサロードのアーシシ・カーンと、今や世界のパーカッショニストのスターであるザキール・フセインの最強力コンビによるコンサートを企画しているところです。


 大好評!OD-NETレーベルのCD最新版依然として多数在庫あり。ヴァイオリンのD.K.ダタールによる「インドの暝想ヴァイオリン」とスルタン・カーンのサーランギによる「雨季のラーガ」。購入ご希望の方は今すぐ天楽企画/電話&FAX 078(302)4040へご連絡を。

 サマーチャール・パトゥル1~11号をまとめた冊子が依然として我が家のあるスペースを占拠しています。CD(各3000円)、拙訳『インド音楽序説』(3800円)ともども、速やかな退去にご協力お願いします。ご希望の方は、送料390円切手とも同封の上お申し出下さい。

 


◎サマーチャール・パトゥルについて◎

 サマーチャールはニュース、パトゥルは手紙というヒンディー語です。個人メディアとして不定期に発行しています。

編集発行発送人/中川博志
精神的協力者/中川久代
〒650 神戸市中央区港島中町3-1-50-515
電話&FAX 078(302)4040