「サマーチャール・パトゥル」20号1996年7月25日

 暑中お見舞い申し上げます。蒸し暑い日が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 さて、よたよたと続けてきたこのサマーチャール・パトゥルも今回で20号となりました。第1号の発信日付が1988年1月23日(わたしの38歳の誕生日でした)ですから、すでに8年ということになります。食って飲んで寝て、とにかくなんとか元気でやってまっせ、という、まあ、どうでもよいようなことを書き続けてきましたが、不定期とはいいつつ20回もだし続けてきたことにわれながらある感慨にふけるのでありました。このごろは、あっ、もう半年か、通信を出さなくちゃ、というプレッシャーを感じるほど体力気力減退的中年怠惰傾向を感じるのであります。しかし、世間で言う「油の乗り切った働き盛りの壮年」という形容からはほど遠い、実にヒマな半主夫という境遇に慣れ親しむこと久しく、そのヒマをいよいよもてあます周期がこの通信の発行時期にあたるのでありましょう。ほとんどなんの役にも立たないこの通信でありますが、根気よく読んでいただく人もいらっしゃるらしく、ときどきお返事をいただくこともあり、書いている方としてはうれしい限りなのであります。 

◎おことわり◎ 

 前回の通信で、昨年10月の「エイジアン・ファンタジー」東南アジアツアーの始末記について「今年はとことんヒマそうなのでゆるゆる書こうと思っています。おそらく、これは願望ですが、次回のこの通信のときまでにはまとまっていると思います」などと書きました。「それがなによりも楽しみ。是非読みたい」というお返事をくださった人も二、三いらっしゃいました。
 しかし、こう宣言したものの、かつ「今年はとことんヒマそうなので」という状態に基本的に変化はないものの、以前からふつふつと機をうかがっていた猛烈凶暴な怠惰がわたしを襲い、わがマックのデスクトップに始末記というタイトルのみが放置され、なんらの進捗をみせていないという事実を皆様に公表せざるを得ない状態であります。この生来の猛烈凶暴な怠惰は、人にチヤホヤされたり、表面的多忙によって一時的に癒される性質のものですが、いざヒマになってみるとぐっと頭をもたげるようであります。
 どうもわたしには激しく鞭を打ってくれる人が必要なようで、それを配偶者に期待すればよいようなものでありますが、しっかりと1日12時間睡眠を維持する配偶者も、わたしに輪をかけて怠惰なものですからいかんともし難いのです。
 ただ、先日「エイジアン・ファンタジー」のプロデューサル、本村鐐之輔氏より、「東南アジアツアーのCDブックレットのようなものの出版が企画されそうだが、それに始末記のようなものを書くというのはどうお」という電話があり、ひょっとしたらそれが愛の鞭になりそうな気配です。でも、もう「これこれをいつまでやる」というような宣言はしないようにします。毒にもクスリにもならないとはいえ、かつ一部の人の一時的な退屈しのぎの読み物とはいえ、ご期待下さった方々には、ゴメンナサイ、というしかないのであります。ゴメンナサイ。

 

◎アラン・ディオ中川家滞在◎

 先号でも触れましたが、フランス人画家アラン・ディオが、この1月25日から2月1日までわが家に滞在していました。アランは、1月27日から28日にかけてオールナイトでジーベックで行われた「アクト・コウベ」に参加するために来日したのでした。日本語はもとより英語もまったく話さないアランとわれわれの意志疎通のてんやわんやは先号でちょっと触れました。曲がりなりにも仏文出身であるにも関わらずほとんど彼の言っていることが分からない配偶者と、意味不明むちゃくちゃフランス語風発語には定評あるもののフランス語会話能力ゼロの小生が、夜毎酒を飲みながらどのような会話をしていたのか。ほとんど漫画のようなやりとりでしたが、ここでは触れません。
 ただ、一度、アランにわたしの意味不明むちゃくちゃフランス語を披露したことがありました。アランは、げらげら笑いながら「ちょっと聞けばフランス語のように聞こえるが意味がまったく分からないので、フランス人政治家の演説のようだ」といっていたようです。ようです、と書いたのはわれわれは彼の言葉を推測するしかないからです。したがって、以下はあくまで推測によるわたしの理解です。わたしと配偶者のあらん限りの推測力と辞書を引き引きなんとか理解したように思う彼の阪神大震災にまつわる発言には深い含蓄があると思いました。
 彼によれば、震災後の人々の様子を見にフランスからやってきたが、それがまったく見えないということでした。たしかに街は「復興」の工事で忙しく、場所によっては大地震があったことさえ分からないほど急ピッチで「復興」が進んでいることが分かるといいました。しかし、震災によって変化したであろう人々の生身の暮らしや考えがほとんど見えてこない。このことを説明しようとアランは紙に図を書いて説明を試みました。これが実に分かりやすかったのです。
 まず彼は、中央にビル群を表す大きな四角形を数個書き、その周辺に住宅らしい小さめの四角形をたくさん書きました。そして「で、トレンブルマン・ドゥ・テール」(地震)といいつつその紙を揺らした。そしておおざっぱに斜線を引いて災害があったことを表現し、さらに「リコンストラクスィオン、ン、ダコー?」といいつつ太線で四角形群をなぞりました。これは復興を意味しています。ついで「エー(そして)」とつぶやきつつ大小の四角形群のまわりをさっと円形で囲み、その円周の内側に沿って小さな丸を加えました。小さな丸は「オンム」といっていたので人々のことを指しています。
「で、アウトサイダーであるわたしはここにいるわけだ」と、アランは本人を表す丸を円の外側に書き加え、わたしたちが理解しているかどうかを確認するかのように笑顔を向けました。わたしたちは、図解されてなんとなく彼の説明がわかったので「ダコー(了解)」などとしたり顔で頷く。
「で、街を囲んだ円は塀のようになっていて、わたしから見えるのは真ん中のビルだけなんだ。外周の塀越しの光景しかわたしには見えない。塀の内側のこれ、」と人々をさす小さな丸をペンで示して続ける。
「ここがまったく見えない。真ん中のビル群の復興の様子はわれわれにもよく見えるけど、肝心の人々が見えない」「ダコー」と再びいいつつわれわれは日本酒をすする。
「実は、これはパリも同じことだ。パリを訪れるアウトサイダーも、塀越しにパリを見る。見えるのは事務所のつまった高い建物だけ。でも、高い建物に人々が住んでいるわけではない。夜はがらんどう。で、塀の内側のきわにいる、本当の生身の人々はアウトサイダーからは見えない。がらんどうの華やかなビル、つまり発展とか進歩とかいったものしか見えない。現代の社会というのは、どこもこんな風になっている。アフリカもアメリカも一緒だ。震災復興中の神戸は、こういう現代社会の構造がよく分かる意味で象徴なんだ。ぼくがここに来ている意味はそこにある。鈴木昭男さんのカートゥーン(段ボール生活者)のパフォーマンスは、そこのところをよく表現していた。外周の塀を低くして見せるのが芸術家なんだ」
 うまそうにグラスの酒をぐいっと傾けつつ、アランはこういったのでした。とはいっても、彼のこうした主張を一気にわれわれが理解したわけではないことはいうまでもありません。幾多の紆余曲折を経て理解した内容を、あたかもすらすらと分かったかのように書いているだけです。くどいようですが。
 で、「ダコー」といいつつわれわれも日本酒をすする。

 アランも「ダコー?」といいつつ、空になったグラスをわたしに差し出すのでした。わたしは彼のグラスに酒をとくとくと注ぐ。それを口にもっていったアランは、真面目な表情を一転させ実に楽しそうにそのグラスを持ち上げるのでした。
「はははははは、ま、とりあえず乾杯。はははは、サーケー、トレビアン、カンパイ」

 ◎これまでの出来事◎

 

■1月27日土曜日20:00~28日6:30AM//ACTE KOBE 3/ジーベックホール/出演者/赤井啓三:能管、アラン・ディオ:ライブペインティング、イナミスナオ:ギター、Wolfgang Nai(赤松正之、和泉希洋志、ニシジマアツシ:コンピュータ)、内橋和久:ギター、川崎義博:サウンドデザイン、川端稔:サックス、小島剛:コンピュータ、サム・ベネット:パーカッション、歌、斉藤徹:ベース、坂本悦子:サックス、佐野真紀子:舞踏、沢井一恵:箏、庄司勝治:サックス、杉山知子:CAP代表、鈴木昭男+淳子:サウンドパフォーマンス、ダンス、角正之:舞踏、HACO:歌、林樹一郎:ギター、バール・フィリップス:ベース、ハンス・バーグナー:ヴァイオリン、久田舜一郎:小鼓、ピーター・クラット:シタール、樋野展子:サックス、浩子クラット:タブラー、フェルディナン・リシャール:ベース、福島匠:ヴァイオリン、松原臨:サックス、山内桂:サックス、山沢輝人:サックス、吉沢元治:ベース、リチャード・タイテルバウム:シンセサイザー

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 この催しが開催される経緯に関しては、先号でもちょっと触れました。マルセイユやベルンのアーティストたちが、神戸の被災したアーティストたちの支援のためにと開催した「アクト・コウベ」の3回目でした。パキスタン人のダンナと一緒に岐阜からかけつけてくれた中村敦子さんなど、いろいろな人たちが来てくれました。
 コンサートの内容は、フランス側のバール・フィリップス、フェルディナン・リシャールやスイス側のハンス・バーグナーといったフリーインプロビゼーション系のアーティストたちの提唱でもともと始まったこと、受け入れ窓口がジーベックを中心としたわれわれだった、という主催者サイドの性格から、いわゆる普通の音楽会ではなくむしろかなり実験的な色彩の濃いものになりました。それにしても、ほとんど全部のプログラムに参加した60歳を越えるバールの体力気力には脱帽です。
 わたしの思いつきの、能の囃子方+5本のベースのセッションはなかなかスリリングなものになりました。もっとも、リハーサルも何もなしでぶっつけでお願いしたので、たとえば「オレはホームレスなのだ」といっていた吉沢さんなどは「いったい何をせえいうとんじゃ」と当初とまどいもあったようです。
 鈴木昭男さんにはいつも驚かされます。段ボール箱の中で蓑虫のようにうごめく昭男さんも根っからのホームレスそのものにみえましたし、淳子さんのホームレスおばば姿ダンス+タイテルバウムのキーボードのパフォーマンスには、聴衆もなにかを感じとったのではないかと思います。アランは、その後何度もこのパフォーマンスについていっていました。
 最後のセッションは、八百屋前掛けの小生にベースのバール、ヴァイオリンのハンス、シタールのピーター、タブラーのヒロコさん、パーカッションのサムという構成でした。徹夜というのは本当にくたびれます、とにかく。 

■1月29日月曜日/ACTE KOBEの今後会議宴会/鴻華園/アラン・ディオ、川崎義博、下田展久、中川博志、バール・フィリップス、ハンス・バーグナー、フェルディナン・リシャール、福島匠、森信子

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 今後の「アクト・コウベ」をどうするか、というテーマの話し合いのハズだったのですが、酒が入ったりでどうしても宴会の部類になってしまいました。それでも、今後も交流活動を継続することをみんなで意志一致しました。とりあえず、ハンスから来年の暮れにアクト・コウベ4を、またフェルディナンがマルセイユ側からアーティストを神戸に送るという提案がなされ、それに向けて神戸も体勢を整えていこうということになっています。 

■1月31日水曜日/アラン・ディオ送別会/ガンダーラ/アラン・ディオ、下田展久、中川博志・久代、ハンス・バーグナー、森信子/シャンパン・ドン・ペリ

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 アランの送別会はインド料理のガンダーラ。アランは、ここはシャンパンだ、ということで近所の酒屋へいき、これにしようと手に取ったのがなんと1本7千円もするドン・ペリニオン。彼に何度もそんな高いものでなくとも、といったのですが、「ウィ、セ・ボン」といいつつうれしそうに購入したのでありました。さすがこのシャンペンの味は絶品でした。

■2月1日木曜日/アラン・ディオ離日 

■2月6日火曜日/仙波清彦プロジェクト・レコーディング/信濃町ソニースタジオ/磯野義幸(3D)、上野洋子、植村昌弘、佐藤一憲、仙波清彦、高橋努、田中顕、中川博志、星島裕樹(ソニー)他/バーンスリー、アンクルン、ボトル/打ち上げ/ホテル・サンルート新宿泊

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 このプロジェクトは、はにわオールスターズでおなじみの仙波清彦さんのもの。昨年のエイジアン・ファンタジーで同行したメンバーも多数加わり盛りだくさんの内容になっています。仙波氏は、できるだけアコースティック楽器だけを使ってアルバムを作りたいということで、実にさまざまな楽器が使われています。わたしはその中の1曲に、バーンスリー奏者、瓶吹奏演奏家として参加しました。
 パーカッショニストとして名高い仙波さんのアルバムなので打楽器がメインのものかと思っていましたが、さまざまな民族楽器が加わったメロディアスで気持ちの良いものになりそうです。当初は、わたしはバーンスリーだけの参加の予定でした。ところが、アンクルン(インドネシアの竹の楽器)はやらされるわ、水を注入して音程を調節したソフトドリンクやら焼酎やらウィスキーやらの大小さまざまなボトルを吹かされるわ、のはめになったのでありました。ボトルは、最初はそれぞれにチューニングされたものに見合う人数で始められたのですが、吹く、という行為になれていない人もあり、結局、仙波氏と二人で多重録音ということになりました。録音が2日に渡ったのはこの理由からです。 

■2月7日水曜日/仙波清彦プロジェクトレコーディング/サウンド・イン(日本テレビ内)/上野洋子、金子飛鳥(見学激励)、星島裕樹(ソニー)

■2月8日木曜日/フェルディナン・リシャール離日 

■2月14日水曜日/ロンティボー・ガラコンサート/ザ・シンフォニー、大阪/大阪センチュリー交響楽団、矢崎彦太郎:指揮、ペール・テングストランド、エヴリナ・ボルビー、野原みどり、青柳晋:ピアノ/グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16、ラヴェル:2台のピアノのための「ラ・ヴァルス」、ルトスワフスキ:パガニーニの主題による変奏曲、サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22

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 たまに「クラシック」を生で聞くのもよいものです。「ただ券もらったので、いっしょに行きますか」というライターの進藤紀美子さんのお誘いでした。最近は、いわゆるクラシックのコンサートにはただ券をもらったときくらいしか行かないようになっていますが、学生時代にはよく聞きにいったものです。ラヴェルの作品はなかなかでした。 

■2月16日金曜日/七聲会第2回目録音/京都嵯峨・清涼寺/川崎義博、陶山(ジーベック)、中川博志、七聲会

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 昨年から続けている七聲会の声明の録音は、どうしても車の雑音などが入り完璧ではありませんでした。そこで、七聲会代表の南忠信さんの、あそこなら大丈夫かも知れない、という提案で嵯峨清涼寺になったのでした。しかし、鉄筋の会場は広々としていたものの、近くに幹線道路が走っていてやはり雑音がどうしても入ります。自動車が通るたびに中断しながらも録音は行ったのですが、どうもCD制作に耐えられるものではありませんでした。「ここがダメなら、もう京都市街では無理かもしれない」という結論に達し、次回は市内であれば深夜にやろうということになりました。 

■2月17日土曜日/ACTE KOBE後始末および今後会議/神戸・居留地、TOMO's /下田展久、森信子、杉山知子、赤松玉女、川崎義博、中川博志

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「アクト・コウベ」の今後を話し合う第1回目の会合でした。月1回のペースで会合をもつということになりました。この会合の前後に、マルセイユのフェルディナンが提唱したアーティスト・イン・レジデンスを神戸側としてはどう受け入れるのか、その資金的基礎をどうするのか、という問題を神戸市や兵庫県の担当者に相談したのですが、かなり困難なようです。どちらも震災のためにゼニがないということもありますが、それ以上に文化交流の必要性の、ヨーロッパとこちらの認識の差があまりにも大きすぎます。そこで、浮上してきたのは、われわれがNPO(非営利組織)をたち上げるというアイディア。しかしこれも、住専問題で右往左往する今国会にNPO法案提出されないことになり、前途はかなり多難です。 

■2月23日金曜日/映画「ザ・ペーパー」「ノーバディーズ・フール」/パル公園シネマ/榎忠+蘇我了二氏中川宅乱入どろどろ徹夜麻雀

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 半ば失業者のわたしと堂々とした失業者である配偶者とで仲良く映画にいって10時過ぎに帰宅すると、「麻雀するぞお。いまからいくからなあ」と、陶芸と生コン車運転手で生計をたてる蘇我さんから留守電にメッセージが入っていました。背後ではどこかの飲み屋らしい喧噪が聞こえています。蘇我さんはいつもこんな調子で出し抜けに「麻雀しよう」といってくる人です。結局その後、チューサンこと榎忠さんとわが家へ乱入し朝までどろどろの麻雀をしました。「心を入れ替えたので麻雀に開眼したのだ」と申し述べた蘇我さんの一人負け。ひひひひ。いつでもお相手しますよ、蘇我さん。チューサンも相変わらず元気です。 

■2月25日日曜日/アミット・ロイ96秋ツアー企画書封筒つめ/林百合子/スパゲティ 

■3月4日月曜日~5日/自動車名義変更手続き

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 この馬鹿みたいな役所通いにはうんざりしました。これまで、駐車場を又借りしていたため、わが中川アコードは登録上の所有者が義弟の駒井さんになっていたのですが、突然数年ぶりに公団の駐車場が当たったので名義変更手続きをしたのです。これが実に厄介かつ無益な時間の消費なのでした。
 公団の駐車場賃貸契約書をもって警察→駐車場証明書の発行依頼→発行→六甲アイランド近くの陸運事務所での名義書換手続き、とそれほどの困難さには見えませんが、なにせ今神戸は震災のため年中渋滞と交通規制で動くのがままならない。陸運事務所まではほんの数キロなのですが電車の駅からは離れている。そこで、遅くとも4時には着けるだろうと2時ごろ車で出かけたのでしたが、とんでもない渋滞。結局その4時になってもたどり着くことができず一日目は断念。で、次の日は余裕をもってなんとか間にあった。ところが係員に、住民票がいるのだ、そんなこと警察でいってなかった、いや、いるのだ、ということで出直し。ようやく3日目に区役所で住民票をもらい再挑戦しすべてが完了し、中川アコードは晴れて使用者と所有者の一致を見たのでありました。
 ところで、毎日それで通っていた配偶者には退職のためにアコードは不要となり、かつひどい渋滞のため市内で使用するにはあまりに無駄が多いことを考えますと、正式に所有者となり車庫も確保したにもかかわらず、もういらないのではないか、と話し合っているところなのです。 

■3月18日月曜日/ヒンディー語訳詞/ラリタ

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「ヒンディー語訳詞」などと出てきたのでいったいなんだろうと思われる人もいるかもしれません。実は、仙波清彦さんのCDで東京在住のインド人女性ヴォーカリストに日本の歌をヒンディー語で歌ってもらおうということになり、その訳詞を依頼されたのです。しかし、わたしはちゃんと「訳詞」をするほどヒンディー語を知っているわけではないので、わたしが下訳したものをネイティブのインド人にチェックしてもらったというわけであります。ラリタさんは神戸在住のインド人女性で、以前、彼女の息子のニシャーントにバーンスリーを教えていたという縁で彼女に頼みました。わたしの下訳はさすがにボロボロで、ほとんど全面的に書き換えるという仕儀とあいなりました。で、当初は「訳詞」だけでよかったのですが、歌ってもらう人に言葉とメロディーをきちんと把握してもらわなければならない必要性が生じ、結局東京のスタジオまででかけて歌唱指導まで、というはめになったのです。それが後に出てくる「仙波清彦プロジェクト印度人声楽家歌唱指導」という項目です。 

■3月19日火曜日/YEN TEN公演/夙川バートンホール/ラーメン、ハコ+クリストファー

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 YEN TENというバンドは、どうにもジャンル分けしにくい音楽グループです。わたしのところでバーンスリーを習っている寺原太郎や、ガムランのダルマ・ブダヤのメンバーでヴァイオリンからパーカッションまでなんでもこなしてしまう本間直樹くん、フリーインプロヴィゼーション系の女性サックス奏者の坂本エッチャン、役者をやりつつヴォーカルもやっている女性三人組、ベース、ドラム、マネージャーの林百合子さん(寺原太郎の内縁の配偶者)などなどやらなんやらで構成されています。面白く新しい試みをテーゼとするこの種のグループが「ポスト・ワールドミュージック」として次第に増えてくるのかも知れません。 

■3月22日金曜日/ACTE KOBE後始末および今後会議2/ジーベック・カフェ/杉山知子、赤松玉女、中川博志、川崎義博、藤本由紀夫、松尾直樹、江見洋一、下田展久、森信子 

■3月23日土曜日/阪神大震災外国人メモリアルコンサート/ジーベックホール/閻杰:琵琶(ピーパ)、新井英一:ギター、歌、春待ちファミリーバンド

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 ブルースの新井英一がジーベックでやる、ということが分かったのが前日というくらい広報活動に力がはいっていなかったためか、聴衆はほんのわずかでした。新井英一フリークのわたしと配偶者としてはしっかりと堪能しました。本当に彼の歌は心に沁みます。彼のステージでの語りもとつとつと誠実そうでよいですね。彼の新しいCDを思わず買ってしまいました。 

■3月26日火曜日/渡辺香津美「おやつ遠足ライブ」/神戸チキンジョージ/渡辺香津美:ギター、井野信義:コントラバス/ゲスト/金子飛鳥:ヴァイオリン、中川博志:バーンスリー/打ち上げ:ワシントンホテル地下俵屋

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 わたしが仙波清彦さんの録音で東京にいるとき、渡辺香津美さんのツアーで九州にいっていたピットイン・ミュージックの本村鐐之輔さんから「神戸ではゲストで演奏するのだ」という命令を受けて出演しました。というかギターの神様香津美さんと部分的ではありますが共演の機会をいただきました。同日は東京から再婚して近年ますます忙しい金子飛鳥さんもかけつけ楽しいライブとなりました。わたしの加わったのは飛鳥さんの曲と、香津美さんとアーシシ・カーンとの共作でCD「おやつ遠足」にも入っている「サヒール」の2曲。チキンジョージで演奏したのは初めてでした。
 次の日は、飛鳥さんが「神戸でおいしい中華料理を食べたあーい」ということで、香津美さん、井野さん、配偶者も加わり中山手通の「鴻華園」へ。ここのベトナム風春巻きは本当にいつ食べても絶品です。よく流行っているので店は2倍以上に拡張されています。 

■3月30日土曜日/駒井さとし(甥)泊/映画「ブロークン・アロー」/寿司「うを勢」/ジャズ喫茶「木馬」

■4月4日木曜日/仙波清彦プロジェクト印度人声楽家歌唱指導/スリーディー事務所・東京中目黒/星島裕樹、マイケル(両名ともソニーレコード):立ち会い、磯野義幸:立ち会い、仙波清彦:ディレクション、久米大作:キーボード、ギーター・デーシュパーンデー:ヴォーカル、マカランド・デーシュパーンデー:ギーターの夫+つきそい/目黒川の桜/変なまぐろ飲み屋/ホテル・サンルート・東京泊・新宿

□4月6日土曜日/7日日曜日/ギーター録音/サウンドイン(日本テレビ内)/上野洋子:アレンジ、仙波清彦:ディレクション、久米大作:キーボード、ギーター・デーシュパーンデー:ヴォーカル、マカランド・デーシュパーンデー:ギーターの夫+つきそい、星島裕樹(ソニーレコード)、磯野義幸:たちあい他

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「ヒンディー語訳詞」の項でも触れた歌唱指導で東京に4日間ほど滞在しました。中目黒にあるスリーディー事務所の前を流れる目黒川の両サイドの桜がほぼ満開でした。
 で、その桜の花の満開のころ、スリーディー事務所のスタジオでなにをやっていたのかといいますと、在京のインド人女性声楽家ギーターに歌唱指導するというもの。日本語の歌の歌詞をヒンディー語に訳したのですが、メロディーラインとその歌詞をうまく合わせなければなりません。また、インド人が歌うということで、特徴のあるスパイスが要求されていたのです。しかし、インドの独特な歌い方を知っているのが、とりあえず小生しかいない、ということでわたしの参加ということになったのでありました。
 神戸のインド人の友人ラリタに紹介してもらったギーターは、最近ご主人の仕事の関係で東京に住むようになった若くてかわいい女性。古典声楽を子供の時から習っている女性でしたが、きちんとインドの舞台で演奏するにはまだまだ訓練が必要です。とはいうものの、インドの厳しい基礎訓練を経てきているので音程の正確さやテクニックにはなんら問題がありません。美しい若妻を単独で家の外に出すことを恐れるあまり、わざわざ会社を休んでまで常にギーターに付き従うダンナの痩身マカランド、ギーターそしてわたしは、ヒンディー語に訳された歌詞の語順や言い回しを変えたりしながら、なんとか仙波さんの思い通りの録音ができたと思います。ギーターの声は、日本人歌手とは違った不思議な雰囲気があり、ポップス歌手として誰かがプロデュースすれば結構いい線にいけるかもしれません。そのギーターの歌や一部にわたしの演奏も入っている仙波さんのCDは、10月にソニーレコードからリリースされるそうです。もしよろしければ購入して聞いてみて下さい。 

■ピットイン/封筒宛名シール貼り/インドカレー/サムラート

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 ギーターの録音が終わってピットインの本村さんに電話したところ、「今、エイジアン・ファンタジーのチラシを送るんで封筒はりしてんのよ。3000通もあるのよ」ということで新宿の事務所に手伝いに行きました。事務所は、家内制手工業工場あるいは造花の内職現場のようなありさまでありました。工程は、ワープロでタックシールに印字(小林絵美嬢)、シール剥奪封筒貼り付け(中川)、三つ折りチラシ封筒挿入(制作部長本村鐐之輔氏)、封印(中野氏)、ゴム輪束ね(品川氏)といった5工程が流れ作業で進むのでありました。白澤氏と菊地さんはそれを横目で見ながらなんかの打ち合わせ。こうした作業では絶えまないバカ話が潤滑油となります。それにしても、コンサートの制作というのは、表向きは派手に見えますが、実際は家内制手工業とたいして変わらないものなのです。ま、この種の単純な作業はわたしも結構好きですけどね。
 作業後は本村さん、絵美さんとインド料理のサムラートへいきカレーを食べたあと、ジャズライブハウスでコーヒー。こうして、さまざまな人生模様を描きつつ新宿の夜は更けていくのでありました。

 

■4月7日月曜日/ピットイン/中村屋カレー/神戸帰宅

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 かつて、中村屋創業者相馬黒光の長女と結婚したインドの革命家ラス・ビハーリー・ボースのアイディアで始まった中村屋の名物カレーを本村さんにおごってもらって初めて食べました。そおーんなにびっくりするほどの美味ではないなあ、と思いつつ神戸に帰宅。

■4月10日水曜日/七聲会録音整理/ジーベックスタジオ/川崎義博、陶山、中川博志 

■4月16日火曜日/天竺組リハーサル/中川宅/田中峰彦:シタール、田中理子:タブラー、寺原太郎:タンブーラー他、中川博志:バーンスリー

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「天竺組」というのは、上記のメンバーでできたにわかバンド名です。 

■4月17日水曜日/七聲会録音現場下見/大原古知谷阿弥陀寺、三千院

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 京都市内では雑音がどうしても入るために、七聲会の録音を思いきり山の中の寺でやろうという提案をしていただいた南忠信さんと、百万遍の橋本知之さんとで古知谷の阿弥陀寺まで下見にいったのでした。阿弥陀寺は、山門から細い坂道をかなり登ったところにある古く割りに大きなお寺です。そこで録音をする予定の本堂の柱が傾いていたり、高い石垣から半分突き出て、まるでチャップリンの「黄金狂時代」に出てきた山小屋のごとくでありました。この谷全体に数棟の坊のあるお寺をご住職のご家族だけで維持されるのは大変です。ここは冬になると2メートルほどの雪が積もるのだそうです。 

■4月21日日曜日/あしゅんライブ/神戸三宮あしゅん/クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、中川博志:バーンスリー

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 この日のライブの聴衆は確か3人ほど。前回のあしゅんライブではゼニを払う聴衆は2人だったのでお客様が飛躍的に増えたことになりますが、なにせ絶対人数が、ちょっと。ま、最近はぼちぼちと聴衆も増えていると聞いていますので、めげずに続けていきたいと思っています。「あんなに長いアーラープをするのはピーターと中川さんだけよ」とサキさんがいっていたように、この日は1時間以上の長いアーラープを演奏しました。わたしは気持ちよかったのですが、お客さんは退屈だったかも知れません。どうも、まともに古典音楽をやる機会があんまりないので張り切ってしまうのですよね。 

■4月25日木曜日/ポスト・アクト・神戸寄り合い/ジーベック/下田展久、森信子、杉山知子、藤本由紀夫、原久子、江見洋一他

■4月26日金曜日/七聲会録音/大原古知谷阿弥陀寺/川崎義博、陶山、林百合子、七聲会、中川久代

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 阿弥陀寺に下見にいったとき、これほどの山の中にもかかわらずジェット機やトラックのエンジン音がしていたので、夜に録音ということになりました。現地集合が7時でしたので、その前に同行した林百合子さん、ジーベックの陶山クン、配偶者とで大原の音無しの滝まで行きました。で、メシでも食おうか、ということになり三千院門前界隈や街道筋を探したのですが、食堂はどこも閉まっていました。かろうじてあいてそうな店に入ると、女将らしき女性に「もう閉めましたけど」といわれてしまったのですが、なんでもいいからと強引にお蕎麦を作ってもらいなんとか食事にありつけました。お蕎麦はそれほどの味ではなかったのですが、「わたしの分だけ炊いた」というタケノコご飯はおいしかった。女将は織田作之助賞をとったという小説家でありました。無理矢理あけてもらったこともあり彼女の本を購入いたしました。一世代前の私小説というおもむきでした。
 録音は、本堂の空間感もよく出て非常にうまくいったと思います。また、七聲会のメンバーには、ふだんあまりやらないやり方の声明や新しい試みなどもやっていただきました。輪唱形式の回向文は素晴らしかった。また、それぞれ音程を変えた浄土三部経の同時読経と三唱礼は、とても7人だけで唱えているとは思えないほどの量感のあるもので感動しました。
 録音が終わったのは12時過ぎていました。急な細い坂道を上がったところに車を停めてあったので、真っ暗闇の中で方向転換するのに緊張しました。星がきれいでした、この夜は。で、さあ帰ろうかというとき、南忠信さんの車のバッテリーがあがってしまい、再びバックしてチャージするというハプニングもありました。また、中国縦貫から六甲トンネルを抜けるコースの帰路で、六甲トンネルが工事で通れず、結局六甲山頂まで登るなどということもあったりで、帰り着いたのは3時を越えていたと思います。 

■4月27日土曜日/ジーベックサロン/音楽療法について/話題提供者:小林愛

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 小林愛さんは、かつては川崎義博さんのNADIで働いていたかわいい女性です。彼女は昨年、奈良県が始めた音楽療法士コースに難関を突破して合格し、訓練に励んでいるのです。彼女の話を聞いて、一般にいう音楽療法という考え方がすこし分かりました。ただ、現在の日本の状況では定着するのがなかなか大変なようです。なんといっても、一つの専門職として受け入れる体制があまりにお粗末なのです。 

■4月28日日曜日/第2回大阪国際室内楽コンクール&フェスタ・協賛イベント「リラックス・タイム・コンサート/IMP吹き抜け特設ステージ/主催:讀賣テレビ/天竺組

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 天竺組というのは、シタールの田中峰彦さん、タブラーの田中理子さん、タンブーラーの寺原太郎さんとでにわかにでっち上げたバンドです。ダルマ・ブダヤのメンバー、東山真奈美さんからの「大阪国際室内楽コンクールのにぎやかしとして出演しませんか」というお誘いで急遽作ったのです。当日の条件は、まあ、なんというか、悲しいというか、という感じのライブなのでありました。会場は大阪のIMPビル1階吹き抜け特設ステージでした。ステージ周辺は、まるでデパートのバーゲン売場の様相だし、われわれの紹介係であるいわゆるMCのミニスカートお嬢さんがまたしっかりその職務を果たすのでした。われわれの持ち時間は30分でしたが、職務にあくまで忠実たらんとする彼女は、「これは珍しい楽器ですね、なんていうんですかあ」とか「この後ろの楽器も珍しいですね、インドの伝統的な楽器なんでしょうね」などと「珍しい」という言葉を8回も申し述べ、持ち時間の半分は彼女のしゃべりなのでした。おかげで演奏時間は圧倒的に短縮され、どうせギャラは一緒なんだからむしろ良かった良かったと複雑に喜こんだのでした。いわゆるイベントものではたいてい登場するこの手のMCって本当に必要なの。黙っていてほしい。黙ってろ。でも、観客の中にはこうしたMCのしゃべりにうんうんうんうん頷く人もいるのよね。こういう人たちのことを、わたしは「うなづく人々」と定義していますが、特にオバサンの場合はたいていの場合はげしくうなづくので「激烈型うなづきオバサン」と呼んでいます。

 ■4月30日火曜日/伝統音楽と舞の会「縁(ゆかり)」/池田屋山荘えにし庵・大阪四条畷/大倉正之助:大鼓、たかだ香里:十三弦、三好芫山:尺八、古澤侑峯:地歌舞、和田啓:クンダン、金崎二三子:舞踊

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 大阪四条畷のえにし庵というのは、オーナー多河さんの「道楽」で建てられた和風のパフォーマンス空間です。庭の片隅には芝生の能舞台もあります。四条畷という大阪のはずれにはあるものの、質の良い公演が定期的に行われているのです。この公演は、箏のたかだ香里さんから招待券をいただいたこともあり出かけました。震災のときにご一緒したこともある大倉正之助氏や京都の三好芫山氏も出演するということで楽しみにして出かけましたが、期待にたがわずよい演奏会でした。こういう場所でしっとりとした邦楽や舞踊を鑑賞するのはよいものです。以前から筑前琵琶の片山旭星氏にお名前だけは伺っていた天然肉体派詩人の藤條虫丸氏と初めてお会いしました。奈良の書道家松本さんもいらしてました。大倉正之助氏や和田啓氏と話をしたかったのですが、彼らは打ち上げの食事会を待たずに早々に引き上げてしまっていて残念でありました。
 わたしは結局えにし庵に一泊して次の日に神戸に帰りました。

■5月9日木曜日/TIPOGRAPHICAライブ/チキンジョージ

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 TIPOGRAPHICAは、ギターの今堀恒雄選手のバンドで、今回は聞くのが2回目。最初のときよりも彼らのやっていることがなんとなく見えて、慣れてきたようです。非常に複雑な構成と技巧を要する今堀選手の曲は、あらかじめ細部まで決められているということですが、全メンバーの一糸乱れぬ緊張した音の連続にはたまげてしまうのでありました。会場では、ギターの内橋和久氏、ジーベックの下田展久氏、森信子さん、ハコのライブで一緒だった横川さんなどと会いました。 

■5月11日土曜日/山梨から丸茂玄英さん、立石さん、桜林父子来神戸

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 山梨の人たちがはるばるとなぜわたしに会いにこられたかといいますと、彼らと親しいネパールの演奏グループ「スル・スダー」の日本公演プロモーションを彼らに依頼されたからです。丸茂玄英さんは日蓮宗のお坊さんです。みなさん酒どんどんいってみよかてな感じの結構ぶっとんだ人たちで、なかなか楽しいミーティングでした。来年の「スル・スダー」日本公演は是非成功させたいと思っていますがどうなりますことか。 

■5月18日土曜日/植松和子さんをしのぶ会/神戸アートビレッジ

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 植松和子さん(カズチャン)が亡くなって丸2年以上になります。神戸の昔からの知り合いたちの集まる機会が年々減っているなか、年1回集まっていろいろおしゃべりをするのもカズチャンのおかげです。そのしのぶ会の席では、カズチャンに先立たれた現代彫刻家の植松奎二さん(ケイチャン)が秋には渡辺信子さん(ノブチャン)と再婚するということです。時間はどんどん経っていくものです。他の若いお客さんの会話やBGMのざわざした雰囲気のなか、笛を吹いたのですが、音を出している最中にちょっとカズチャンのことを思い出しました。 

■5月24日金曜日~5月26日/「古代の丘あそびVol.3 丹後'96」/サウンドインスタレーション/鈴木昭男、川崎義博、フェリックス・ヘス、ロルフ・ユリウス、ハンス・ペーター・クーン(+ユリアナ)、ポール・パンハウゼン/新作ガムラン/ダルマ・ブダヤ+野村+ TASKE

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 鈴木昭男さんと淳子さんは、二人とも人々を引き寄せる独特の磁力があります。神戸から丹後までは車で3時間以上かかるのですが、その磁力とヒロシさんのカレーがおいしい、食べたいというわたしへの料理ちやほや持ち上げ力に抗しきれず、配偶者と一緒に丹後まで行ってきました。
 この通信で毎夏の十津川盆踊りリゾート合宿のことを紹介しています。合宿と温泉リゾートとゲージュツが三位一体となった現象は、わたしと中川真さんが「十津川状況」と命名しているのですが、この丹後もその一つなのであります。
 フェリックス・ヘスは元物理学教授現サウンドアーティスト、ユリウスは看護婦の奥さんに生計を支えられているサウンドアーティスト、ハンス・ペーター・クーン(+妻ユリアナ)はドイツ人の歌も歌うサウンドアーティスト、ポール・パンハウゼンはオランダのアポロ・ハウスの館長かつ擦針金サウンドアーティストです。
 今回の丹後行きで印象深かったのは、フェリックスが神社に仕掛けたインスタレーション、ダルマ・ブダヤ波打ち際ライブ、そして異色のヴォーカリストTASKEでした。
 フェリックスの作品は、小さな太陽電池パネルで作動するサウンド発生装置を神社の小祠の四方に並べたインスタレーションでした。太陽の動きに連れて神社の木々の影が刻々と移動することで音や発声頻度も変化するというもの。
 ダルマ・ブダヤ波打ち際ライブは本当に良かった。砂浜に突き出た岩山、おだやかな砂浜とかすかに聞こえる波音、真夏のようにカキッと照りつける太陽・・・といった背景が、彼らの発する金属のうなりの音と同化し、夢の中のような非現実的な風景を作り出していました。岡本さゆきさんのインドネシア舞踊、淳子さんの海水まみれ舞踏も幻想的でしたが、ハンス・ペーターの歌はちょっといただけなかった。ズボン吊り出腹強度近眼眼鏡太鼓腹ポール・パンハウゼンは、砂浜にボーっとしているだけで存在感がありました。ダルマ・ブダヤのメンバーは、足元に力の入らない砂浜をガムランの重い金属の楽器を運んだのですよね。素晴らしいライブには苦役が伴うものなのであります。
 TASKEつまりタスケにはたまげたのでした。タスケといわれてもなんのこっちゃか分からない人も多いと思います。彼は障害者手帳をもつ青年詩人かつ朗読というのか歌うというのか、われわれの日常を超越したゲージツ家というか、とにかく彼の「歌」を一度でも聞けばその異能さに打たれない人はいないでしょう。真さんもすごい人を発見したものです。彼は、ダルマ・ブダヤに新曲を提供したピアニカ道成就願望サザエ異色若手作曲家の野村誠クン、社有車のブレーキ故障で同乗を余儀なくされたジーベックの下田展久氏とともに中川車で神戸まで帰り、結局野村クンとともにわが家に一晩泊まりました。神戸帰りの車中はほとんど彼のリサイタル会場と化し、運転する下田さんは正気を保つのに相当の努力を要したといってました。「なあーるほどお。では、次はポカサン・ドーモを歌います。はい」のタスケクンの今後を期待しています。

■6月3日月曜日~6月16日日曜日/土井啓輔プロジェクト録音/ウエスト・サイド・スタジオ(ウーテンドルフ・スイス)/ベンツ・オスター:コントラバス、土井啓輔:尺八、作曲・構成、高田ひろこ:ピアノ、アニンド・チャタルジー:タブラー、中川博志:バーンスリー+コーディネイト、高松泰+祝田民子(プレム・プロモーション):立ち会い

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 このスイス録音は、昨年知り合いになった尺八の土井啓輔さんの2枚目のCDのためのものでした。土井さんは、尺八といういわば不便な楽器をまるで西洋フルートのように自在に演奏してしまう人です。昨年わたしからバーンスリーを習い初めたので、まあ、わたしの弟子ということになりますが、尺八界では押しも押されぬ気鋭の演奏家なのです。
 で、その土井啓輔さんから、プレム・プロモーションからの2枚目のCDをヨーロッパで録音したいという願望をうかがい、「それでは、親しい友人がいるスイスのベルンではどうか」と提案したのがきっかけでした。当初土井さんは、ミュンヘンのスタジオを予定していたということですが、途中でちょっとした行き違いが生じてストップしていたのでした。 

なぜスイスなのか 

 ヨーロッパまでわざわざ出かけて録音をしたのは、ヨーロッパの乾いた大陸的な風土が音質にもよい効果を与えること、スタジオ代、往復旅費の経費を全部入れても東京でバカ高いスタジオ使用料を払って制作するよりも安上がりにつくこと、ヨーロッパのミュージシャンとの交流がはかれること、信頼できる友人のネットワークが使えることが理由です。わたしの役割は、スイス側のすべてのアレンジの代行+渡航雑務+一部録音参加、でした。
 ベルンの友人というのは、この通信でもよく登場するタブラーのクラット・ヒロコさんのダンナ、ピーター・クラットです。この1月にはジーベックで一緒に演奏しています。彼とは、ヒロコさんに「結婚相手なのよ」とボンベイで紹介されて以来数年越しのつき合いなのです。彼は、グル中のグルにして、ラヴィ・シャンカルの最初の妻、北インド古典音楽中興の祖アラーウッディーン・カーンの娘であるアンナプールナー・デーヴィーからシタールを習っている関係で、よくボンベイで一緒に演奏会にいったり遊んでいる仲間なのです。昨年から、ヒロコさんの実家の堺市に生活の本拠を移したのですが、出稼ぎのためにベルンに帰るといっていたころタイミング良く土井さんから話があったというわけです。
 土井さんの録音の話をピーターに話すと「知り合いによいベーシストがいるし、ぼくも手伝えるからベルンでやってはどうか」といってくれました。そのベーシストがベンツ・オスターでした。そのベンツは、なんと偶然にもベルンでのACTE KOBEの主要メンバーとして、ハンスから送られてきたビデオや新聞の切り抜きに常に登場していたベーシストなのでありました。 

高水準的スタッフ陣 

 今回の編成は、尺八、ピアノ、ベース、タブラー、そして付録でバーンスリー。タブラーは、たまたまヨーロッパツアー中のアニンド・チャタルジーに参加してもらいました。アニンドはヒロコさんの先生であると同時に、わたしの先生であるハリジーとよく共演するタブラー界のトップの一人で実力的にも申し分のない人選です。当初はピアノの人選もベンツにまかそうということになっていましたが、いつも土井さんとユニットをくんで活動することの多い高田ひろ子さんに急遽決定変更されたのでした。
 録音は土井さんやCD発売元プレム・プロモーションの社長の高松さんが大満足だったように成功裏に終わりました。今回の主役である絶大自信的超絶技巧どっしり不動的旋律創作大人的尺八奏者の土井啓輔氏、しなしな風流漂泊型ちぢれ長髪なんでもござれ楽天的ベーシストのベンツ、あははは眼鏡ひょうひょう型ビール無制限しなやかピアニストの高田さん、腰痛持病的頭部上半身常時連動性欲過多型天才タブラー奏者アニンド・チャタルジー、といったミュージシャンのレベルの高さはもとより、ひょろり長身四角眼鏡直線眉飾り強烈スイス語なまり英語的優秀エンジニアのベノワや、巨大体型多大発汗型饒舌的こまやか全面奉仕のピーターの助力によるところも大きかったと思います。なにごとかを問題なく完遂するには、互いの信頼に根ざした良好な人間関係が重要なのでありますね。

 以下は、12年ぶりに訪れたスイスの印象をだらだらと書いたものです。当初は日記を紹介しようと思ったのですが、分量が多いので割愛しました。

 

●スイス印象記●

 あまりに美しすぎる 

 スイスは、誰でも知っているようにどこへ行っても絵はがきのように美しいところです。ああ、あの山々、緑の牧場とゆっくり草をはむ牛や羊たち、真っ赤な日除けのあるベランダ、色とりどりの花で飾られた窓のある切妻屋根の木造農家、ちょうどその農家のあのあたりに一本の木があれば、と思うところにちゃんとぴったりの木が心地よい影を作り、その下では人々がテーブルを持ち出してワインやチーズの昼食をとっていればパーフェクトだなあ、と思っているとちゃんとその通りになっている、てな風景なのです。 

ベルン

  街並みもまた、美しい。特に今回ずっと滞在したベルンは、街全体が美術館のごとくでありました。古い石畳のゆるやかな3本の道を挟み込むようにびっしりと中世からの建物が立ち並ぶ旧市街は、デザインも高さも色も素材もばらばらで混沌とした日本の都市とは較べものにならない落ち着きがあります。石畳道路に面した建物の1階部分は歩道になっていて、雨や雪に濡れずに街を歩くことができます。この旧市街の建物は、政府の保存指定を受けており、所有者であろうと勝手に改造してはいけないことになってるとのこと。
 そうした旧市街の最良の位置にピーターのお母さんのヴェラと義父のハービーの住居があります。川に面したバルコニーからは、時計塔のある学校、川岸の林、斜面の牧草をはんでいる羊などが見えます。勢いよく流れる川は、かつては汚染がひどかったということですが、現在では市民が泳げるほどきれいになり、飲めるほどです。現にわたしも泳いでみました。冷たい清冽な水でした。強い日差しで暖まった体には実に気持ちの良いものでした。川魚も豊富で、川岸のシュヴェーレン・マッテリというレストランで食べた新鮮な白身魚がおいしかった。
 経済、商業、文化の中心地で、国際空港のあるチューリッヒは、ベルンに較べると忙しく街のたたずまいもちょっとがさつでした。しかし、このスイス第一の都市に接するチューリッヒ湖の水は、これほどの都会にありながら非常に澄んでいました。チューリッヒ湖のキュスナハト遊泳場でも泳ぎましたが、3、4メーターほど潜ると、底に縞模様の魚がゆらゆら泳いでるのが見えるほど透明でありました。 

街にBGMがないことの幸福 

 街にBGMがないことも印象に残りました。レストランや商店街にはまったくBGMが流れていません。中心部のレストランで聞こえてくるのは、人々の会話、注文をとるギャルソンの声、ストリート・ミュージシャンのギターやフルート、アルプスの長いホルンくらいなものです。これは、音楽に携わるものとしては実に気持ちの良いものなのです。それに較べて、わが日本や、スイスのあとに訪れたソウルのなんという音楽の充満か。醜いものは目をふさげば拒否できますが、音や音楽はそれができません。日本のわれわれは、一方的に流される音楽の洪水に耐えることしかできない。スイスに滞在して、われわれの街の音楽公害のひどさと、それに対する無自覚さを思い知らされました。また、街に文字の少ないことも印象的です。 

スイスは巨大なゴルフ場だった? 

 このように、スイスは国全体が非常に美しく落ちついた生活ができる環境が整っています。しかし、ふと、どうも美しすぎる、というようにわたしには感じられるのでした。というか下世話な騒々しい活力がなく、しばらく住むとたちまち退屈になってしまうような気がします。もちろん美しいにこしたことはないのですが、なにか、そこにビンボーニンが嫉妬を抱くような美しさがあるのです。川や湖の良好な水質、建物の無原則的なデザインを禁じる旧市街のただすまい、建物と緑の絶妙のコンビネーション、これらを維持するためには相当のエネルギーと富が必要です。
 チューリッヒからの帰りの飛行機の窓から見おろしたとき、緑の厚みが意外に少なかったこともあるでしょうが、スイスは国土全体がまるでバンカーのないゴルフ場のように見えました。点在する民家はクラブハウス風です。あの美しいスイスの自然は、ほぼ完璧な人工物なのです。スイスを離れるときに、ピーターのいった言葉をそのときふと思い出しました。
「赤十字発祥の地スイスは国全体がサナトリウムなんだ。落ち着きのある生活にはよいところもあるが、人々は退屈し、その退屈をまぎらすために不満のネタを探す。スイスの富の源泉は、銀行と観光と武器製造。あのきれいなトゥーン湖のあたりには武器の工場がいっぱいある。かれらは、それが売れるところであればどこへでも売っている。そんな国さ、スイスは。マリワナがほとんど合法なのは最高だけどね」

■6月16日日曜日~6月19日水曜日/ソウル食べ歩き/進藤紀美子、中川久代、中川博志

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 スイス行きに大韓航空を使った関係で往復とも韓国に立ち寄ることになりました。行きは1泊でした。そのときは、同じ1泊組の高松さん、祝田さん、高田さんとで、ソウル在住テーグム奏者の友人元長賢夫妻に案内されたミョンドンのレストランでキムチキムチプルコギの夕食をごちそうになりましたが、キムチプルコギテンジャンクッナムルナムルの本番は、スイス帰りの16日から19日までの3日間なのでした。 

とりあえず冷麺

 16日は、かつてのバリ島邂逅妄想の図のように、スイスからのわたしと関空から飛び立った配偶者が、金浦空港の滑走路で、はじめは点のように見えた両者が互いの姿を確認しあい小走りになりそして最後は全力で走って近づき、からだが折れんばかりにひしと抱擁を交わす中年男女の図、というものになるはずでありました。しかし、関空からの便が遅れたこともあり、われわれはパスポートコントロールのところで「あれっ、着いたの一緒やったんやなあ」と、神戸からの同行者の進藤紀美子さんともども会うことになったのです。
 空港にわれわれを出迎えてくれたのは、16日のセジョンホテルの予約をお願いしていた旅行社の夫京眞さん、かつてのわたしの韓国語の先生の兪泰鎬さん、そしてなんとオーストラリアへの遊学以来音信のなかった香村かをりさんなのでした。香村さんは、ソウルの大学の大学院で韓国音楽の研究をしている女性で、昨年はエイジアン・ファンタジー・オーケストラのメンバーとして一緒に旅をしたのです。音信不通の原因は、彼女の韓国への再入国ビザに問題があったからということでした。彼女の存在はほとんどあきらめかけていたので、うれしい驚きでした。
 最初の日は、スイスからの便で一緒だった高松さん、高田さん(彼らは同日の便で帰国)も加わり、まずは冷麺。スイスからのくたくた不眠状態に加え、お金持ち日本人旅行者通訳案内人夫京眞(プーさん)の妙に明るく「ためになる」観光案内に疲れたわれわれは、兪泰鎬氏、香村かをり氏、配偶者、進藤紀美子さん、高松さん、高田さんとで、まずは冷麺でシャキッとしようということになったのです。しかし、思ったよりも随分細目の韓国冷麺は、超美味妄想でふくれあがったわたしの舌が感じる現実の味とのズレがありました。しかし、無制限摂取のキムチはやはりうまい。 

元長賢氏夫人の家庭料理

 夜は、大阪へ行っていてご主人のいない元長賢氏夫人の家庭料理。香村かをりさんは、上下関係に厳しい韓国の芸事師事関係を意識してか、夫人をかいがいしく手伝うのでした。昨年訪れたときはまだ工事中だった自宅はすっかりできあがっていました。1階が伝統服のブティックになっているのにちょっとびっくり。次の日の17日は、兪泰鎬さんの自宅に泊めてもらうことにして兪泰鎬さん、香村さんと分かれ2日分の睡眠をとりました。禁煙室でしたが、ばんばんタバコを吸ってしまった。セジョンホテルは、ソウル銀座ともいうべきミョンドンにあり、南大門の市場にも近いのですが、1泊2万円とかなり高級なホテルです。 

韓国うどん+兪泰鎬宅家庭料理

 17日はまず、どしゃぶり雨の中、香村かをりさんの身元保証人である趙健行氏の案内で新村(シンチョン)の手打ちうどん屋でランチ。新村は、梨花女子大や延世大学などのある学生街。通りの両サイドにウェディングドレスのブティックが立ち並んでいることでも有名です。手打ちうどんはカルグクスといいます。湯がいたあとのぬめりをとらない割とどろっとした細目の麺でした。ここで食べたペク・キムチは絶品でした。ランチのあとスイス風喫茶店でコーヒー。南大門市場雨中移動。わたしと配偶者は市場の屋台でビール飲みつつ雨の中を歩く人々をぼーっと見て過ごしました。
 当初は兪泰鎬さんの学校近くに地下鉄でいくはずが、趙健行氏が車でいってあげるというのでそのまま郊外へ。渋滞や趙健行氏にとっては「すっかり景色が変わってしまった」というくらいで迷いに迷い、約束の時間を大幅に過ぎて兪泰鎬さんと合流。ここで趙健行氏と香村かをりさんと別れる。
 兪泰鎬さんの務める学校の職員室へいくと、同僚の生物の先生がいきなりするめをあぶってくださったのにはびっくりでした。学校を辞して兪泰鎬さんのアパートのある軍浦市山本洞へ。このあたりは、高層のアパート群が林立するソウルのベッドタウンです。36坪の兪泰鎬さんのアパートでは、われわれのために彼の2人のお姉さん、日本語教師の夫人が盛りだくさんの家庭料理を作って待っていました。どれもおいしかったなあ。 

スウォン城、民俗村そしてプルコギ

 18日は、昼食を兼ねた朝食のあと、わざわざわれわれのために学校を休んだ兪泰鎬さんの車で水原市(スウォン)の城見物、かつての農村落を再現した民俗村へ観光旅行。韓国はどこへいっても文字がやたら多いことに気がつきました。鹿児島から修学旅行できていた一団がぞろぞろいました。
 スウォンのブルコギは値段が高い、という兪泰鎬さんの主張で、彼のいきつけのプルコギ屋で食事をしたあと兪泰鎬さんと分かれ地下鉄でソウルへ帰りました。その日のホテルはちょっときたないプリンス・ホテル。夜のミョンドンを散歩しましたが、とにかくにぎやかです。若い女性が圧倒的で、それを見込んだ女性向けの店がほとんどです。げに女性の購買力は日本も韓国も変わらないようです。アカコスリという言葉を27回主張していた進藤紀美子さんはこの日もアカコスリに縁がなく、結局至福のアカコスリは今回は享受できなかったのでした。 

南大門市場

 19日はようやく晴れ、再び香村かをりさんと合流。ビビンバ、あこがれのサンゲタン、ユッケなどの昼食後、南大門市場へ。朝鮮人参エキス、キムチを作るさいに欠かせないアミのしおから、テンジャンなどを購入。どうしてもわたしの買い物は食材関係に偏ってしまいます。実はスイスで買ったものも、チーズ、ステンレスお玉、じゃがいも切り器なのです。市場巡りの途中で、明日わたしも東京へ帰るんですけどお、ここでパンツとかの買い物があります、という香村かをりさんと別れて空港へ。空港でタバコとキムチ、朝鮮人参エキスを購入してウォンを完全消費し、くたくたになりつつ韓国小旅行から帰ったのでした。

 

■7月6日土曜日/土井啓輔+中川博志ライブ/京都黒谷永雲院/土井啓輔:尺八、クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、中川博志:バーンスリー

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 土井さんの本曲とオリジナルのソロ、わたしの古典音楽、二人のデュオという構成でした。土井さんのソロは素晴らしかった。デュオでは急遽、ホーハイ節もどきを基本に即興をしました。35名ほどの聴衆はこのデュオが気に入ったようでした。ライブの後は、永雲院の土井住職の推薦する近所の飲み屋で打ち上げ。天楽企画・大阪をたちあげて今回の制作にがんばっていただいた林百合子さん、ご苦労様でした。 

■7月9日火曜日/げんたけだけライブ/土井啓輔:尺八、内橋和久:ギター、クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、中川博志:バーンスリー

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 中川、土井さん、内橋さんの導入的ソロ、土井+中川によるホーハイもどきバートン版、休憩、内橋+ヒロコによるデュオ、全員によるぐちぐちゃ非予定調和的セッションという構成。雨の気配にもかかわらず11人もの多数のお客さんが聞きに来てくれました。有本としみさん、三浦寛子さん、一風堂の宮垣さん、武庫女院生の西村くん、ハコ+クリストファー、ご来場ありがとうございました。バートンホールの森腋さんと相談してまたこのようなライブをやりたいともくろんでいます。 

■7月13日土曜日~21日/エイジアン・ファンタジー/東京渋谷・シアターコクーン

17日水曜日/「歌謡うきうき・ハッスルポップス」/梅津和時:Sax、巻上公一:Vo、清水一登:Key、太田恵資:Vn、三好功郎:Gt、湯川トーベン:Bass、新井田耕三:Ds、仙波清彦:Perc、佐藤一憲:Perc、田中顕:Perc、ザイナル・アビディン:Vo、小川美潮 :Vo、東京ナミィ:Vo、やまもときょうこ:Vo

18日木曜日/「猛烈太鼓・打ッ打ッ打ッ」/仙波清彦:Perc、レナード衛藤:太鼓、新良幸人:Vo・三弦、サンデー:沖縄Perc、園田エイサー:エイサー太鼓、スバンカル・ベナルジー:Tabla、アトマジ・コスワラ+リサン・ロチェン+アデ・ティルタ:クンダンランバック(インドネシア)、望月左之助:小鼓、籐舎円秀:大鼓、仙波和典:太鼓、田中顕:小鼓、福原徹彦:笛、近藤達郎:Key、メッケン:Bass、浦山秀彦 :Gt、仙波宏祐:鼓

19日金曜日/「七夜月の宴・民の歌、愛の歌」/金子飛鳥:Vn、木津茂理唄・囃子、木津かおり:唄、井上鑑:Key、中川博志:Bansuri、坂井紅介:Bass、越智義朗+越智義久:Perc、中野律紀:唄(奄美)、スータパ・バッタチャルジー:Vo(インド)、デーバシシ・バッタチャルジー:Gt、デウィ・マルヘニシン:Vo、スウィト・スマルト:Perc(ともにインドネシア)

20日土曜日/「遥遥大地・百華繚乱」/賈鵬芳:二胡、久米大作:Key、姜小青:古箏、費堅蓉:三弦、邵容:琵琶、チ・インチョウ:笛子、チャン・イェンジュエン:揚琴、吉野弘志:Bass、れいち:Perc、仙波清彦:Perc、矢野晴子:Vn、深見邦代:Vn、熊田真奈美 :Va、立花まゆみ:Vc、チャカ:Vo、劉王婉:唄

21日日曜日「夏の祭・フィナーレ」/梅津和時 :Sax、巻上公一:Vo、仙波清彦:Perc、金子飛鳥:Vn、太田恵資:Vn、清水一登:Key、久米大作:Key、レナード衛藤:太鼓、三好功郎:Gt、湯川トーベン:Bass、新井田耕三:Ds、佐藤一憲:Perc、田中顕:Perc、大工哲弘:唄・三弦、小川美潮:Vo、木津茂理唄・囃子、木津かおり:唄、東京ナミィ:Vo、やまもときょうこ:Vo、香村かをり:チャンゴ、中川博志:Bansuri、れいち:Perc

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通訳兼世話係兼笛吹き

 このコンサートには、昨年のアジアツアーも含めて3回目の参加となりました。わたしは2日目のゲストプレーヤーである大顔大人不動的高等数学導入打法的タブラー奏者スバンカル・ベナルジー、3日目のアスカ組に参加した生活超保守型菜食主義声楽家スータパ・バッタチャルジーおよび彼女のエスコート役兼一部ギターで参加した未完成冗談連発饒舌感情過多オレガオレガタイプのデーバシシ・バッタチャルジーの兄妹の通訳および生活支援、一部送迎かつバーンスリー奏者として参加しました。昨年の場合と違って、3日目の金子飛鳥さんがボスのコンサートでは全曲参加となり、バンドマンみたいなポジションでありました。バンドマンということで一応全曲の楽譜を渡されたのではありましたが、どの譜面にもバーンスリーのパートが指定されていません。リハーサルのときに「えー、ぼくのパートはどこになるんですか」と尋ねると、妊娠六月的下腹部膨満疲労時瞳孔離散ノーテンキ型美麗旋律創作編曲大人アスカ姫は「うーん、中川ジーは放置状態だなあ、適当にぴらぴらでよろしく」ということになりましたが、それなりにキメの部分もあり、要点は押さえておかなければなりません。ところが未完成冗談連発饒舌感情過多オレガオレガデーバシシは、のべつ下らない冗談を連発したり、他者の会話に強引に割り込んでスータパや自分のパートを確認しようとするので自分のパートに集中できず、わだすは一時キレカカッテいたのでありました。 

リハーサル

 アスカ組のリハーサルは、大久保駅近くの細い路地を入ったオンエアープラス。外見は神戸の仮設住宅風でしたがなかは立派なリハーサルスタジオです。
 今回は充分な準備期間もとれなかったということもあり、アスカボスはほぼぶっつけでインド組とインドネシア組の曲を編曲しなければなりません。ソロ地方ガムラン風ブンガワンソロでは、配偶者従順寡黙的美麗シンデン家デウィさんの唄と異生活高速順応型楽天素朴音楽家スウィトさんのグンデールの不調和的メロディーに、アスカボスはもとより、デウィさんの強い好奇心を刺激し続けた頭頂部長髪後ろ髪束ね関係汗みどろ打楽器奏者の越智アニも赤顔長髪のほほん打楽器奏者の越智オトウトも最初の一拍を把握する役目の野菜市場活発従業員風楽天民謡家木津茂理ちゃんも寡黙的都市型鍵盤職人井上鑑さんもしばし無言の当惑状態でした。またスータパの苦労して五線譜に書き換えた民謡曲、バティアリやルンバレ・ルンバでは、バンドマンの入る位置が当初はまったく不明で、きちんとまとまるまでにちょっと時間がかかりました。しかし本番ではどれもバッチリ。
 このようにわたしは「ミュージシャン」であるにもかかわらず、自動的にインド人世話係となるように宿命づけられているのでありました。インドネシア人音楽家を紹介した生活環境順応享楽型研究者兼通訳高岡結貴も同種のポジションでした。宿泊した京王プラザホテルのそれぞれの部屋で毎日ポルノ番組のチャンネルをカチャカチャやったためにチェックアウト時に8万なにがしかを請求されたクンダンランバックの3人組、年齢六十代対他者偉大芸術家認識願望過多ダランのコスワラさん、寡黙型自信保持的終止当惑大先生リサンさん、若年型自信満々初期的当惑柔軟進歩型のアデくんたちの世話は、後にスタッフとして加わった鼻髭長髪後髪束ね放浪街頭音楽的ひょうひょうインドネシア語通訳松尾章さんに変わったので高岡結貴さんの負担も軽減しました。それにしてもこの二人の通訳は、まるでわが子を舞台に上げるごとくに彼らの練習や本番を見守るのでありました。 

本番はばっちり?

 アスカ組のコンサートは、プログラムや音楽家たちのバランスがとれていて素晴らしいものになったと思います。なによりも舞台で演奏していて気持ちがよかった。ちちゃこくてメンコイ中野律紀ちゃんの唄も、力強くそれでいて叙情的な木津かおりちゃんの唄もよかったなあ。最後のアンコール曲「ハルシオン」でデウィさんの短いソロもかわいかった。

   エ、エ、エー、ニナン、 カロ、 ニロ
(E, E, E , NGI-NANG KARO NGILO)

 この歌詞は、ねえねえ、いっしょに噛みタバコでもしようよ、というような意味だそうです。
 アスカ組のコンサートが終わるとたくさんの人たちが楽屋にかけつけてくれました。スイスで一緒だった尺八の土井啓輔・あさ子夫妻、シャンペン差し入れ高松さん、祝田さん、高田ひろこ+岡野夫妻、扇子をプレゼントしてくれたインド政府観光局およびわが長井高校後輩の平さん、バリ芸能研究会の松澤さん、声明家の桜井さんなどなど。高田さんはスバンカルのタブラーセットを購入して満悦でありました。 

他の会場では

 今回は、他の組が本番中にリハーサルが進行するのでアスカ組以外のコンサートは、センバ組(18日)とわたしも急遽参加することになったフィナーレ(21日)を聞いたのみでした。センバ組のコンサートもなかなか楽しいものでした。センバさんの飾らないトークはなかなかです。師匠でありかつ父親の仙波宏祐氏が出番を終えて退出したあと、ひひひひひひひひ、これでオヤジもいなくなったし、といったあたりは場内爆笑でありました。スバンカルのタブラーは本当にすごかった。和太鼓の銀粉まぶしレオもさすがに大迫力。ただ、構成や音響に若干難があったように思います。とにかく太鼓でみんなぶっ飛ぶようなものであればもっと楽しめたかもしれません。沖縄の新良幸人さんはちょっと影が薄かった。
 実際のコンサートにはいけなかったのですが、ちらっとリハーサルをのぞいた久米大作・賈鵬芳組の「遥遥大地・百華繚乱」は是非聞きたかった。この組は、久米、賈、吉野、チ・インチョウ各氏以外はすべて美人女性という豪華版。視覚的にも楽しめたはずであります。彼らのリハーサルでは、まだ10代のころに京都で演奏してもらった姜小青に久しぶりに再会。当時の少女の面影はなく、当たり前ですが、すっかり成熟した女性へと成長していたのでありました。 

絢爛のフィナーレ

 フィナーレには、わたしは当初は参加する予定ではありませんでした。「北の家族」でのアスカ組打ち上げ後わずか2時間睡眠してインド隊を成田まで送り出し、朦朧としたまま常時過大寸法上着着用フラリフラリ的中野氏、高岡結貴、松尾章氏、疲労困憊にもかかわらずいつもひと風呂浴びた後のような小林絵美さんとで都心へ向かっていると、ハンドルを握りながらうつらうつらするほど連日の睡眠不足と過剰労働でよれよれのはずのプロデューサル本村鐐之輔氏から「中川君もフィナーレに出るのだ。よってこのまま日テレタレントセンターまで出動せよ」という指令。リハーサルではほとんど死に体状況でありました。他のメンバーも充分な練習もとれないにもかかわらず、本番は実に盛り上がったよいものになったと思います。アドバーンストアナクロホーミー大人の巻上公一氏がスココン的雰囲気を作り、アラブ風よじれヴァイオリンの太田恵資大人も不思議な味を出し、センバ隊パーカッションがゴンゴンぶっ叩き、レナード衛藤氏がど迫力の和太鼓で会場を揺るがし、木津姉妹がしっとりとかつ威勢良く民謡を唄い、大工さんが三弦と唄で琉球の香りを漂わせ、小川美潮さん、やまもときょうこさん、マルガリータ東京ナミィ嬢が昭和歌謡で盛り上げ、旋回肌頭サックス奏者梅津和時氏が舞台狭しと跳ねまわる。本来はスタッフとしてこまめに働いていた香村かをりさんも特大チャンゴで参加しました。

 例によってどろどろ打ち上げ

 フィナーレが終わって新宿ピットインで最後の最後のどろどろ打ち上げは、解散が朝の5時という異様な盛り上がりでした。大工さんの即席民謡唄+望月左之助氏の小鼓+仙波和典氏の太鼓+わたしや梅津さんのカチャーシー踊り、わたしの山形弁即席朗読+梅津さんのピアノ+久米さんのなんと小鼓、マルガリータ東京ナミィ+久米ピアノ、やまきょう、飛び入りの山下嬢の場違い風本格横文字歌謡などなどが飛び出し、巻上さんのナレーションじゃないけど、オリンピックだあ、オールスターだあと騒ぐ世間をよそにバカ騒ぎに興じる異様な一団の異様な深夜セッションとなりました。これがあるからミュージシャンはやめられないのですよね。
 次の日は、目がまだよれよれ状態のまま本村鐐之輔大人の車で、大工さんを羽田まで送り、銀座で1.5にぎりを食べ、銀座東急ホテルでコーヒーを3杯飲み、スバンカルにもらったタブラーを首からぶらさげ新幹線で神戸に帰ったのでありました。

 
◎これまでの宴会リスト◎

(ここには、公演後の打ち上げは含まれていません)

■1月23日火曜日/中川博志生誕46周年記念宴会/中川宅/ピエンロー鍋、ホンマグロ、高岡からドリアン、森チャンからケーキ、鯛サラダ、ゼンマイナムル他/川崎義博、高岡結貴、河原美佳、鎌仲ひとみ、中川真、ちょっとだけ森信子、下田展久
■2月7日水曜日/フェルディナン・リシャール送別会/NADI川崎義博宅/鴨鍋、まぐろアボガド/フェルディナン・リシャール、下田展久、川崎義博、中川博志・久代
■2月9日金曜日/進藤パーティー/進藤紀美子宅/タラのトマトソース、ローストポーク、サラダ、自家製ティラミス他/進藤紀美子、中川博志・久代
■2月26日月曜日/カニ宴会/高岡結貴、中川真、川崎義博、永畑青年/中川家
■3月27日水曜日/中華料理「鴻華園」/渡辺香津美、井野信義、金子飛鳥、中川博志・久代
■4月5日金曜日/花見/タイ料理/新宿御苑/小林絵美
■5月15日水曜日/ACTE KOB髑ナち合わせ/カレー/中川宅/下田展久、森信子、藤本由紀夫
■6月22日土曜日/山崎晃男+徳岡尚美結婚披露宴会/神戸北野シアター・ポシェット
■6月23日日曜日/古幸邦拓+辻壽見結婚披露宴会/神戸三宮「あしゅん」
■7月7日日曜日/駒井亜矢子カナダからの留学帰国記念寿司宴会/明石・駒井家

 

◎これからの出来事◎

■7月28日日曜日/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第1回「インド音楽の旋律創造の基礎訓練」/ジーベック/ゲスト=アミット・ロイ

■8月3日土曜日/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第2回「インド音楽のリズム」/ジーベック/ゲスト=クラット・ヒロコ

■8月4日日曜日/レクチャー「インドと日本の音楽」/大阪河内長野・ラブリーホール/ゲスト=クラット・ヒロコ

■8月5日月曜日?~8月15日木曜日/十津川盆踊り

■8月18日日曜日/中川博志ライブ/神戸三宮あしゅん/クラット・ヒロコ:タブラー(予定)

■8月24日土曜日~25日日曜日/レクリエーション・リーダー研修「倍音と気への気づき」/大阪府青年の家/天野泰司(関西気功協会事務局長)+中川博志

■9月6日金曜日~8日日曜日/第4回「庭火祭」/島根八雲村熊野大社/ハムザ・エルディーン:ウード、タール、歌、木下伸市:津軽三味線、民謡、木津茂理+木津かおり:民謡、囃子、中川博志:バーンスリー

■9月15日日曜日/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第3回「ラーガとドローン」/ジーベック

■9月24日火曜日/フォーラム・イベント/愛知芸術文化センター/今井勉:平家琵琶、吉野弘志:コントラバス、斉藤徹:コントラバス、今掘恒雄:ギター、七聲会:声、他ダンス、映像、美術、詩などとのコラボレーション

■9月26日木曜日/げんたけライブ2/夙川バートンホール/たかだ香里:箏、クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、中川博志:バーンスリー

■10月1日火曜日/アミット・ロイ96年秋ツアー/大分市/アミット・ロイ:シタール、クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、中川博志:バーンスリー

■10月3日木曜日/アミット・ロイ96年秋ツアー/日田市宇治山哲平美術館

■10月4日金曜日/アミット・ロイ96年秋ツアー/玖珠町

他予定(日程未定)--武生文化センター、岡山美星町、総社など

■10月19日金曜日/「ヌビアの歌、日本の歌」/滋賀水口碧水ホール/ハムザ・エルディーン:ウード、タール、歌、木下伸市:津軽三味線、民謡、木津茂理+木津かおり:民謡、囃子、中川博志:バーンスリー

■10月25日金曜日、26日土曜日/ダヤ・トミコインド舞踊公演/井上憲司:シタール、クラット・ヒロコ:タブラー、中川博志:バーンスリー

■10月27日日曜日/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第4回「声明とインド音楽1」/ジーベック

■11月9日土曜日/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第5回「声明とインド音楽2」/ジーベック/ゲスト:桜井真樹子(声明演奏家)、南忠信(知恩院式衆)

■11月10日日曜日/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第6回「打ち上げ」/ジーベック/ゲスト:桜井真樹子(声明演奏家)

■11月22日金曜日/七聲会コンサート/ジーベック

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 これは声明グループ七聲会の初の公式デビューになります。現在定期的に練習会を開いてさまざまな試みをする準備をしていますので楽しみにして下さい。素晴らしいコンサートになる予定です。

■11月29日~12月1日/Indian Music and the West/ボンベイ/クラット・ヒロコ:タブラー、中川博志:バーンスリー他

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 5月にインドから突然手紙が届きました。なんとインドのサンギート・リサーチ・アカデミーの主催するセミナー「Indian Music and the West」に演奏家として招待したいというもの。たまげました。で、詳しくみてみると、「ただし、宿泊はこちらでみるが、予算がないので日本・インドの往復旅費およびギャラはなし」と書いています。インド政府やロッテルダム音楽院なども関わったセミナーでもあり、このようなわたくしでもよければご招待を受けることはこのうえない名誉なのであります、と返答しました。ということで、ボンベイでは初めてのわたしの公演になる予定です。

 

◎ごくらく組コーナー◎
お初にお目見えということで・・

 ある夜、見た夢。
 私は眠っていて、意識下の意識であった。私は脳内(情動+情報伝達)エネルギーであって、同じような、ある他者の意識下の意識=脳内情動+情報伝達エネルギーと、意識下意識を通じていた。その相手は27歳のごく健康であった男性で、今年3月、ゴルフ場で倒れ、救急病院に運ばれ、1時間半、心停止の状態だったあと、心臓は再び鼓動を始め、しかし意識はもどらないままである。
 夢で私はその人の意識下意識と、波動あるいは粒子あるいは波粒子を介して話している。その人のエネルギーは、僕は意識はまだそっちにはもどっていないけれど、でも今に元気になるよ、そのために意識=無意識をいま集中しようとしているんだ、と言う。
 私の意識下意識はそのメッセージを受けて、わかった、私もいっしょに集中するわ、と、その人のエネルギーと意識=無意識に呼応しようとする。
 意識=無意識の活元。無意識から意識へと飛び越えること。集中し、呼応すること。
 息苦しくなって、そこで私は目が覚めた。
 私はその人とはそんなにも近しい間柄ではなかった。だから、3月の未明、唐突のようにその人の夢を見たとき「なんで夢に出てきたのかな」と不思議に思った、その日のお昼、彼は倒れたのだったが、その彼が私の夢にあらわれた4度目の夢がこれだった。でもそれ以来、見ていない。
 別の夜、見た夢。
 いまインドに行っている友人のK夫妻と私たち(博志さんと私)がニューデリーかどこか、インドの大都市にいる。何か事故が起きたらヤバイなと思った、換気の最悪な、ニューデリーの一大地下ショッピングセンターを地上に出たあたりだったような気がする。
 そのとき向こうからこちらへ、地面を振動の波が走った。速い大きな波形がそのままの形で地面を走ってくるのだ。(これは明らかに私の中に残る昨年の地震のトラウマであると自分で夢判断した。) そして続いて炸裂する音、闇、闇をつんざく閃光。私たちは何が起こったのか、わからない。私たちは建物の影に身をひそめ、おびえる。誰かが、これはインド政府による核実験である、と言っている。今日あと5回、核実験をするのだという。そして炸裂する音と闇をつんざく閃光が連続した。おびえる人たち。その中をひとりのインド人が何か透明のパック剤かワセリン様のものを人々に配って回っている。これを顔に塗れば、安全なのだという。(!!) 映画で見たような地球最後の日にあって、私たちは身を寄せ合い、顔のパックをするのであった。 この夢は夢でいっしょだったK夫妻の、インドからの手紙をもらった夜に見た。
 K君へ。
『すべての男たちは、自分の「ハーレム」をイメージの中で追い求めつづけているのだが、一つの表情をもつ100人の女を愛すか、100の表情をもつ一人の女を愛すか、といった表層上の違いは大したことではないのだ/娶ること、すなわち、ハーレムを持つこと、なのである』(寺山修司『幻想図書館』)
 ウーン。この言が正しいかどうかはわからないが、仮に男がそうであるなら、女もそうだと思います。(この欄のみ天樂企画ごくらく組/中川久代)

 ◎最近の原稿コーナー◎

 この9月7日に島根県八雲村の熊野大社で行われる予定の「庭火祭」プログラムの原稿を書いてほしい、と主催者の一人瀬古康雄さんに依頼されて書いた原稿です。「庭火祭」は第1回目から関わっていますが、今年は、お馴染みのハムザ・エルディーン、津軽三味線の木下伸市さん、民謡の木津茂理さん、木津かおりさん姉妹にお願いして出演していただくことになっています。

◎津軽三味線のこと◎

日本の誇るインストルメント音楽

 津軽三味線というのはかなり特徴のある音楽だ。唄いものや語りものの伴奏が主である日本の伝統のなかにあっては異質と思えるほど器楽的な使われ方をする。また、打楽器のように激しく撥(ばち)を打ち下ろす演奏技法は、いわゆる邦楽三味線の微妙な洗練さとは対称的で、攻撃的とすらいえる。普通の三味線は水平に構えるが、津軽三味線はまるで琵琶のように斜に立てて演奏される。古典芸能の伝統にはある種の権威的安定感があるが、津軽三味線にはそれがまったくない。権力、権威、安定をはねかえすパワーと自由、エネルギーの奔流、そして苛烈さ。これが津軽三味線の不思議な魅力である。そして、こうした魅力が、津軽三味線が日本の誇るべきワールド・ミュージックとして大きく開花していくことを予感させる。というのも、昨年の「エイジャン・ファンタジー・オーケストラ」アジア・ツアーでアジアの聴衆からもっとも注目を浴びたのが木下伸市の津軽三味線であったからである。 

無視されてきた芸能

 このようなスタイルがいつどのように形成され今日に至ったのか。優秀な演奏家たちが活躍し、全国に教室ができるほど愛好者が増えてきたこの芸能だが、その由来については意外に知られていないのではないか。書店や図書館で探しても、津軽三味線のことを書いた本がほとんどない。わたしのもっている「新音楽辞典」(音楽之友社)には、いわゆる邦楽三味線のことはあっても、津軽のつの字もない。芸能のスタイルとして新しいということもあるだろうが、どうも、まっとうな芸能と認知されてこなかったばかりでなく、この芸能が本州の最果て北津軽の盲人芸能者である坊様(ぼさま)という特殊な人よって始められたことに理由があるのかも知れない。
 坊様というのは仏教の僧侶ではなく、芸能や鍼灸按摩師として生活せざるをえなかった男性の盲人で、津軽地方でこう呼ばれていたのである。江戸時代には、男性盲人の職業救済組織として当道座という治外法権的組織があった。総検校、検校、匂当、座頭などというのはその階級を表す官位名である。箏の山田検校、生田検校などはこの当道座のトップクラスの人たちである。津軽三味線の基礎を作ったのは、その当道座にも入れなかった一人の坊様であった。 

それは一人の坊様(ぼさま)から始まった

『津軽三味線の誕生-民俗芸能の生成と隆盛』(大條和雄著、新曜社ノマド叢書、1995)によれば、現在の津軽三味線のスタイルは、北津軽に生まれた秋元仁太郎(1857~1928)という一人の坊様によって始められという。仁太郎は、下層身分の生まれであったため当道座にも加入できず、また11歳のとき唯一の肉親である父親と死別し天涯孤独となるという、これ以上ないハングリーな条件下で芸能者としてスタートした。このハングリーさと彼の生来の音楽的才能が、当時の芸能や社会的な伝統の呪縛から自由で独創的な音楽スタイルを生み出したのである。つまり、この芸能はスタートから権力、権威、安定をはねかえすパワーと自由、エネルギーの奔流、そして過酷さをもっていたのである。その発生は、ちょうど虐げられた黒人奴隷の叫びから発生したジャズを思い起こさせる。
 仁太郎が津軽三味線の基礎を築いたのは明治になってからだが、それはまだまだ津軽地方一帯でブームになっていたにすぎない。それが一躍知られるようになったのは、昭和34年(1959)の「三橋美智也民謡生活20周年記念リサイタル」で白川軍八郎という希代の弾き手が東京の聴衆を驚かせたことがきっかけだという。その後、木田林松栄、竹山ブームを引き起こした高橋竹山らによってこの芸能は全国に知られることになった。高橋竹山は、いまだに健在でがんばっている。しかし今では、今回出演する木下伸市のように、彼よりも2世代、3世代あとの若い優秀な弾き手がどんどん育っていることを考えると、津軽の寒村の一人の坊様によって産声をあげたこの芸能が今後さまざまな形で花開いていくことと思う。


◎サマーチャール・パトゥルについて◎

サマーチャールはニュース、パトゥルは手紙というヒンディー語です。個人メディアとして不定期に発行しています。

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