「サマーチャール・パトゥル」21号1997年3月21日

 世界が暖まり春めいてきました。皆様いかがお過ごしでしょうか。本当に遅ればせながら、年賀状をいただいた方々にはお礼を申し上げます。前回の通信(96. 7. .25号)から8ヶ月もたってしまったのは、途中に2ヶ月のインド旅行があったからです。また昨年は例年になくバタバタしていた関係で、それぞれの出来事を書き記すのに時間がかかりました。8ヶ月というのは、過ぎ去ってしまえばあっという間ですが、思い返してみると本当にいろいろなことがあったものです。
 インドから1月21日に帰ってきて、あまりの寒さと風邪でほとんど家にこもりきりの日々でした。完全に仕事から足を洗った久代さんは、それなりにかいがいしく主婦していますが、昼過ぎ起床パターンは変わりません。まあ、二人ともヒマで、冬眠状態なのです。そろそろ冬眠から目覚めなければ、といいつつ春眠をむさぼる中年男女は暖かい季節の到来を切望しているところであります。今年はしかし、仕事つまりゼニ関係に関しては、寒い季節が続きそうであります。

◎これまでの出来事◎

■7月28日(日)/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第1回「インド音楽の旋律創造の基礎訓練」/ジーベック/ゲスト=アミット・ロイ

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 このシリーズは全6回通しで、ふたをあけるまではどれくらいの人が申し込むか分かりませんでした。結局定員の30名に近い申し込みがあり、この種のワークショップの潜在的な需要が思いの外あることが分かりました。受講者の職業や参加動機はまちまちです。ギター、ヴァイオリン、キーボード、ベース、変わったところでは能管、というようにすでに何らかの楽器を演奏する人、大学や高校で音楽教育に携わっている人などが集まり、真面目に取り組みたいという人が多かったのです。
 インド古典音楽は、メロディーをその場で作るという意味では即興音楽です。しかし、即興とはいってもかなり厳密な規則によってある程度規制されるので、まず旋律創造の種子というべきパターンを徹底的に頭にたたきこんでおく必要があります。そうした無数のパターンとその変形を実際の演奏の場では繰り広げることになるからです。インド音楽の演奏家は、ときには10年といった長い基礎訓練を経て始めて舞台に立つというか座るのです。その訓練の一つがアランカールといわれるものです。
 今回のレクチャーは、このアランカールの一例をアミット・ロイ(以下バッチュー)に示してもらい、受講者に練習してもらいました。脈絡なくだらだらとしゃべるわたしのレクチャーにも、バッチューのちょっとややこしいパターン練習にもみんな熱心につきあい、当初心配していた「退屈になるのではないか」という懸念は杞憂に終わり、2時間の予定が3時間ほどになったのでありました。 

■8月3日(土)/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第2回「インド音楽のリズム」/ジーベック/ゲスト=クラット・ヒロコ:タブラー、ピーター・クラット:シタール

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 インド音楽では、旋律創造の種子をどう展開していくか、と同時に、リズムの変形をどう作っていくのかもポイントになります。そこで、タブラーのデモンストレーション演奏を通じてそれを実感してもらう、というのが第2回目の趣旨でした。当初、タブラーのヒロコさんだけをデモンストレーターとして依頼していたのですが、主奏者との関係もつかんで欲しかったのでシタールを演奏するヒロコさんのダンナのピーターにも来てもらいました。
 今回の受講者は、演奏の実際に触れることでターラ(リズム周期)の周期性などが分かりやすくなったのではないかと思います。「神戸は遠いからイヤダ、家から出るのは面倒だ」とむずかっていたピーターも汗をかきつつ結構気持ちよくシタールを演奏していました。
 バッチューの秋期公演打ち合わせのために来ていただいた山口県立大学の水谷さんも、ヒマだから、と参加しました。驚いたことに、「ターラ当てクイズ」では、並みいる熱心な受講者を尻目に彼女が抜群の好成績。「数なんか数えないで、なんとなくパターンを追えば簡単じゃないの」。自ら受講料を支払い、数を数えて必死に当てようとするポジティブな受講者にとっては、ついでに来た、という感じの水谷さんの好成績は当惑だったに違いありません。みんな「えっ、なんで」という感じでありました。 

■8月4日(日)/レクチャー「インドと日本の音楽」/大阪河内長野・ラブリーホール//聴衆約60名

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 ラブリーホールのプロデューサー、長島さんから、インド音楽鑑賞理解のためのレクチャーを、ということでしたが、のっけに美空ひばりのりんご追分けを聞いてもらう、というところからスタートしました。リンゴ追分け、悲しい酒、花笠音頭、声明、三味線、というように、前半はひたすら日本の音楽を聴いてもらいましたので、インド音楽の解説を期待されて来られた人たちには、ちょっととまどいもあったかも知れません。
 久代さんと中川アコードで行ったのですが、すんなりと河内長野へたどり着くことができませんでした。呪うべきは、日本の道路標識のデタラメさでありまして、決してわれわれ中年の標識および地図読解能力でないのだ!! レクチャーを終えたわれわれは再び道を尋ねつつ、ヒロコさん、ピーターの住む鉢ガ峰へ。ヒロコさんのお母さん、富美子さんは、相変わらす派手派手真紅上着的お元気光線を発しまくり、泉州弁ばりばりのラリタも超元気でありました。ココナツミルクベースのゴア風エビカレーをごちそうになりました。うまかった。 

■8月7日(水)/ジーベックサロン「EARS WIDE OPEN」/ジーベック・カフェ/DAVID SOLDIER

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「コーヒーとケーキがつくのだ」というジーベックのモリチャンの殺し文句に誘われて参加しました。少人数のサロンでしたが、言葉通りケーキもおいしく、楽しいひとときなのでありました。
 このとき紹介されたのは、大学の数学教授でかつ作曲家というデヴィッド・ソルジャーでしたが、それにしても、アメリカには実にさまざまな作曲家がいるものなのですね。 

■8月18日(日)/中川博志ライブ/神戸三宮あしゅん/クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー

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 客3人。前回のあしゅんライブは有料入場者が3人でしたから、聴衆の飛躍的な伸びはないということか。新神戸オリエンタル劇場の板坂麻里さん、尺八の福本卓道さん、太郎君の同居人林百合子さん。 

■8月24日(土)~25日(日)/レクリエーション・リーダー研修「倍音と気への気づき」/大阪府青年の家/天野泰司(関西気功協会事務局長)+中川博志

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「アートでレクリエーション」などと、訳の分からないタイトルでこの研修を行った中川真さんから「僕そのころダルマ・ブダヤのジャワ公演でいないのよね。で、ヒロシさんになにかやってもらおうと思って。なんでもいいみたいよ。僕んときは、昭男(鈴木)さんと淳子さんとで、ホームレス体験してもろたんよ。おもろかったでえ。ひひひひひ。で、担当の明石さんと○○日に三宮で会うことにしたので、是非受けてよ」などという電話がきっかけで結局受けることになったのでありました。研修者は主に学校の先生や、研修オタクのような人たちで、かなり「熱い」受講者たち。2泊3日みっちりとなにかしらの研修をやるわけなのでありますが、小生にはとても3日間も人々の興味を惹きつけるネタはないので受けるのをむずかったのでした。しかし強引な真さんは「ね、ね、頼むわ。ヒロシさんしかおれへんねん」としぶとく説得工作を続けその工作にまんまと引っかかったのでした。わたし一人だけではとても間がもたないと思ったので、関西気功協会の天野君に相談をもちかけ、助けてもらうことにしました。タイトルは、明石さんとの打ち合わせのときにふと思いついた「倍音と気」としました。驚いたことにこのタイトルがどういう訳か人気を呼び、定員50名のところに150人ほどの申し込みがあったということです。
 天野君の気功の指導が実に素晴らしく、わたしは彼の合間にちょこちょこっととみんなに声を出してもらったり、レコードを聞いてもらったりしてなんとか2日間をしのぎました。例のO-157騒ぎがあったりして、完全煮沸後冷却されたモモなどというものが給食で出ました。

■9月6日(金)~8日(日)/第4回「庭火祭」/島根八雲村熊野大社/ハムザ・エルディーン:ウード、タール、歌、木下伸市:津軽三味線、民謡、木津茂理+木津かおり:民謡、囃子、中川博志:バーンスリー

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 この「庭火祭」という催しには、92年の第1回目にバッチューと参加しました。友人かつ島根女子短大助教授かつ自らシタールを演奏する瀬古康雄さんが主催者の一人ということもあり、これまで企画などについて相談しあったりしてきました。この催しも4回目を迎え主催組織の安定と催事内容のレベルの維持に伴い、音楽祭として定着してきた感があります。
 なにしろ会場とシチュエーションが素晴らしい。なだらかな山々に囲まれた、のどかな八雲村を流れる小さな川の側の熊野大社境内が舞台なのです。また「庭火祭」と銘打っているように、社殿とその奥の大木を背景とした舞台をとりまくように篝火が焚かれるのです。当日は3000人を越える人たちが、篝火に映える雅楽と舞、われわれの舞台をとりまくのでありました。
 出演は、ヌビアの歌旅人ハムザ・エルディーンと、津軽三味線の若手ホープ・木下伸市、日本民謡の木津茂理・木津かおり姉妹そしてわたしでした。それぞれよく知っている人たちなので和気あいあいと楽しい時間を過ごすことができました。今回はこれらのメンバーに、同伴者としてハムザの配偶者直子さん、そして久代さんが加わりました。
 舞台運営、雰囲気、演奏内容ともによく、都会では味わえない一体感のあるよいコンサートでした。八雲村の人々をはじめ、このコンサートに関わった人たちの暖かい歓迎に本当に感謝しています。
 印象に残っているのは、スターパークのログハウスと焼き肉パーティー、イカ釣り船の光が遠くで瞬く夜景、申し合わせたように周辺環境非調和的唐突安価デザインとネーミングの共通する公共温泉保養施設八雲村版の「ホットランドin八雲」での入浴と水泳、茂理チャンの水着姿、「チェックインは3時です」という言葉に「ほらみろ、日本のあらゆるサービスは消費者のためではなく提供者の便宜のためにあるんだ」とハムザが怒って宣言した松江東急イン、伸チャンとハムザが大人気だった八雲中学校および高校体育館での生徒交歓会、「子どもはだめ。タバコだめ。追加注文だめ。わたしはわたしの考え方でやるのだ」という強烈自己主張オバサン蕎麦屋でのびろびろうどん(これがオイシイのです)、天狗印緋半纏の篝火隊とのどろどろ打ち上げ、「おーい、茂理、まず、飲め」と赤ら顔で迫る八雲村議会教育民生常任委員長安達さん、「そばは自分で打つのだ」という蕎麦好き三好の修ちゃん、ポットの自家製チャイと三千恵チャン、真奈美チャンの二人娘をひきつれてサービスに務める瀬古康雄氏と喜代栄夫人、「毎年こんなのができたら最高だ」という建築家の米田さんなどなど、とにかく多くの暖かい人たちと盛りだくさんの歓迎行事でした。

■9月9日(月)/「エイジアン・ファンタジー・オーケストラ・アジアツアー記念CDブックレット」座談会/国際交流基金・東京赤坂/出席/梅津和時、金子飛鳥、久米大作、香村かをり、小林絵美、賈鵬芳、仙波清彦、中川博志、本村鐐之輔、横道文司、渡辺香津美(敬称略)

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 前日神戸に泊まったハムザと同じ新幹線で東京へ向かいました。ハムザは途中、熱海で下車し、わたしはそのまま新宿のピットイン事務所へ。
 一昨年のアジアツアーの報告書のための座談会でした。
 何かが終われば飲みに行く、という国際宴会条約を遵守し、このときも、久米、梅津、仙波、本村、小林氏らと新宿の「呑者家」へ飲みに出かけたのでありました。ホテルサンルート新宿に戻ったのは深夜1時頃でした。

 ■9月10日(火)/長井高校選抜同窓会/有楽町某ビル地下料理店/出席/伊藤博子(旧姓中井)+鈴木寿子(旧姓遠藤)+阿部恭子(旧姓丸山)+中島孝子(旧姓芳賀)+大木繁隆+中川博志

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 当初、本村さんと昼飯をするはずが、昼までの時間つぶしで入った新宿東口のパチンコ屋で信じられないほど玉が出続けたので、ランチはすっぽかしてしまいました。玉を入れた大箱はわたしの周囲に壁のように積み上げられ、うらやましげな客が見物しているなかぶっ通しで4時ころまで台をにらみ続けたのでした。本村さん、スミマセン。で、結局12万円ほどの収入となり、この種のゼニはすぐ使わなあかん、と大急ぎで秋葉原へ行き、楽譜ソフトOverture、電子手帳、ワープロソフト一太郎を購入しほぼ消費し尽くました。こういうこともあるのですね。ひひひひひひひ。
 わたしが東京へくる、というので急遽鈴木さんが選抜同窓会を組織してくれました。「28年も会ってないのに、お互いに確認できるかなあ」の質問に「大丈夫よナカガワクンは忘れてるかもしれないけど、わたし覚えてるから」と自信ありげだった鈴木さんと東京駅で待ち合わせをしたのですが、時間になっても両者はしばらく確認できませんでした。わたしは、それらしい中年女性に「鈴木さんですか」と人違いの尋問をしたりしました。最終的に彼女がわたしを確認したのですが、彼女を見たときほとんど高校時代の彼女を想起できませんでした。
 会場につくと、あっ、あっ、と分かるかつての同窓生に会い、本当に懐かしい思いでした。1965年から68年の3年間が凍結したまま現前したかのようです。再会した同窓生は当時ごく親しい人もいれば、あまりしゃべったこともない人もいるのですが、28年という時間がその関係を等距離にしたようでした。東京周辺の人たちはときどき集まっているということです。わたしは、彼らにいわせるとずっと「行方不明者」でした。 

■9月15日(日)/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第3回「ラーガとドローン」/ジーベック 

■9月21日(土)碧水ホールフォーラム/小暮宣雄(全国市町村国際文化研修所参与兼教授)+中川博志:報告及び対談

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 国土庁地方振興局在職時に「ステージ・ラボ・プロジェクト」や「財団法人地域創造」の創設で活躍された小暮さんのお名前はさまざまな方面から聞こえていましたが、お会いしたのは初めてでした。小暮さん、司会の碧水ホール館長竹山靖玄さん、そしてわたしはその日は申し合わせたように坊主頭でした。竹山館長は現職の浄土宗僧侶、小暮さんは頭髪僅少、そしてわたしは、愛知芸文センターのイベントに合わせて頭を丸めた、というそれぞれの事情はあるにせよ、まったくの偶然です。
 公営ホールの企画運営はどうあるべきか、をテーマとしたフォーラムでした。ともすれば、納税者である住民のコンセンサスを気にするあまり、公共ホールでの自主企画はどうしても「一般受け」のするもの、誰からも文句の出ないもの、になりがちです。そうした傾向が、全国各地の公共ホールの企画に関わる人たちや専門家である学芸員などのフレッシュな発想を萎縮させ、ダイナミックな文化情報発信センターとしての機能を不活性にしてしまう、というのが現状だと思います。わたしは、そうしたことへの不満などを、以前この通信でも触れた高松のうどん文化などを例に、例によって脈絡なくだらだらとしゃべりました。
 小暮さんは、逆にきちんとした視点で要点をまとめます。彼は、まったく「役人」らしくなく実に腰の軽い人で、さまざまなイベント現場に出没しているようです。
 この会議の模様は碧水ホールのホームページhttp://www.jungle.or.jp/hvs/でも閲覧できます。 

■9月24日(火)/フォーラム・イベント「舟の丘、水の舞台」/愛知芸術文化センター/今井勉:平家琵琶、吉野弘志:コントラバス、斉藤徹:コントラバス、今掘恒雄:ギター、七聲会:声、五井輝:舞踏、美枝・コッカムポー:ダンス、米井澄江:振り付け、ジョエル・レアンドル:コントラバス、大木裕之:映像、澤井宏治:総合演出

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 わたしが坊主頭になった原因のイベントです。当初は、七聲会だけの出演予定でした。しかし、ベースの斎藤さんの構成した曲にどのきっかけでどう入るのかという点において、本職がお坊さんであってミュージシャンではない七聲会のメンバーにとってすこし不安があったのです。そこで急遽わたしも僧侶の格好をして出演することになりました。
 このイベントは藤井明子さんたち学芸員やスタッフが長期間に渡って準備したおおがかりなものでした。芸文センターの大吹き抜けが舞台でした。出演者ばかりでなく、スタッフの数も多いため、まとめていくのは大変だったようです。
 リハーサルは11時から、との連絡で地下の控え室で待機しているわれわれ「お坊さん」たちに「記念写真だから本番の衣装でこい」という伝令がきて上に行くと「そんな指令は出していない」と総合演出の澤井さんはぶすっとする。全体にてんやわんやのありさまでした。ジーベックの「アクト・コウベ」で一緒だった斉藤徹さん、HACOのツアーに同行した今掘恒雄さん、「エイジアン・ファンタジー」で一緒だった吉野弘志さんと澤井さんとも、久しぶりに会いました。ひょうきんオバサン風のジョエル・レアンドルのベースはすばらしかった。七(+1)聲会のヴォイスは評判が良かったようです。聴衆としてやってきたオジサンこと名古屋の山本弘之さんが「ギターが鳴ったとたん、近くのスピーカーから30メートル待避した」というくらい全体は大音響だったようですが、われわれはベースの音が聞こえず、きっかけをつかむのに苦労しました。 

■9月26日(木)/げんたけライブ2/夙川バートンホール/たかだ香里:箏、クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、中川博志:バーンスリー

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 バートンホールでの2回目のライブでした。すばらしい箏の演奏家として尊敬しているたかだ香里さんとのジョイントです。
 当日の有料入場者は、ほぼ関係者に近い二人+アルファ。ほぼ関係者とは一人は寺原太郎の配偶者、林百合子さん、そしてたかださんに「インド音楽とやるんですって。うーんどないかなあ」と憂慮を表明して見に来た藤井智子さん。
 たかだ香里さんは「わたしだけのリサイタルでも1000人以上は来はるのに、なあに、これえ。宣伝たれへんわ、ほんまに。今日はもうやめとこか」とイカっておられる。しかし、少ないからといって完全に止めるわけにはいかないので、まあ、練習も兼ねるというかたちで始めました。内容的には面白く、心配していた藤井さんも「いいですねえ。じゃあ、次回はわたしがお客さんを集めてきますので、是非近い内にもう一度ちゃんとやりましょう」といってくれました。 

■9月27日(金)/「尺八・横山勝也の世界-蟲月夜」/中世夢が原山城地下ホール・岡山県美星町/出演:横山勝也、古屋輝夫、関一郎、眞玉和司、石川利光、柿堺香

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「中世夢が原」というのは町営のテーマパークです。「鎌倉から室町時代にかけての吉備高原一帯にみられたむらのようすを、絵巻物や発掘資料をもとに、時代考証により再現したもの」(パンフレット)です。ここではイベント企画ボランティア「夢が原あそしえいと」が活発に活動していて、かなりレベルの高い公演や映画会が行われているのです。
 ここでバッチューとわたしのコンサートを11月に行うことになり、そのスタッフの超元気的髭眼鏡中年元演劇人志望日高奉文さんから「是非下見がてら来て下さい」というお誘いを受け、配偶者と車で出かけたのでした。
 山陽道笠岡インターからほぼ15キロ真北に位置する美星町は、その町名の通り、星が実に美しい山里です。「中世夢が原」の側には、全国でも珍しい、これまた町営の、公開天文台としては日本最大級の美星天文台があり、一般の人でも、口径101センチの反射望遠鏡をのぞくことができます。
 中秋の名月の下、横山勝也さんのコンサートが開かれました。横山勝也さんは、尺八界ではおそらく世界的に最も有名な人で、現在この美星町の住人です。彼がここに国際尺八研修センターを開き、「国際尺八音楽祭」や合宿研修などの活動を始めたので、美星町はその方面でも知る人ぞ知る町なのです。94年の「国際尺八音楽祭」は、人口6500人の町に世界中から3000人近い人を動員し話題になりました。
 コンサートは、「鹿の遠音」「山越」の古典本曲以外は現代曲がほとんどでした。洞窟のようなホールや外に出ると冷ややかに輝く十五夜の月と、月に照らされた山里のたたずまいが美しく、不思議な静謐な気分にひたりました。
 コンサートの打ち上げにわれわれもちょっと参加したあと、その日、居候させてもらった獣医師の西野昇さん宅で二次会。日高さんはじめコンサートを企画した「夢が原あそしえいと」の面々と深夜まで飲み食うのでありました。関係ありませんが、その夜、自宅のある岡山市へ車で帰る途中、睡魔に負けた日高さんは車輪を路肩の溝にはめてしまったそうであります。 

■10月1日(火)~11月21日(木)/アミット+中川博志96年秋ツアー/アミット・ロイ:シタール+クラット・ヒロコ:タブラー+寺原太郎:タンブーラー+中川博志:バーンスリー

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 今回の秋期ツアーは、地域も時期もバラバラでしたが、公演回数11回と久しぶりに充実したものになりました。バッチューの演奏には成熟度が一層加わり、ヒロコさんもその刺激を受けてますます安定した実力を発揮し、ツアー中、練習を欠かさなかった太郎もひそかに成長しつつ雑事とタンブーラーで活躍し、かくいうわたくしもじっくりと古典に取り組むことができたのでありました。「もおう、わたしかて女性なんよ。ちょっとは意識してんか」と不平をもらす河内女とインド人男と日本人男二人のチームは、真剣さと滑稽さと笑いと酔眼をふりまきつつ各所を動き回ったのでありました。 

●10月1日(火)威徳寺本堂・大分市

 大分県内三公演が実現できたのは、毎日新聞日田通信局の田畑知之さんにいろいろ骨を折っていただいた結果です。田畑さんとは、神戸支局時代に知り合い、以来、この通信の読者というか一方的にこちらから送り続ける一人でありました。久しぶりにお会いした田畑さんには、総選挙やなんやとお忙しいなか、大分各地主催者の紹介だけではなく、われわれに終始つき合っていただき、本当に感謝しています。なお、田畑さんはこの4月から宝塚支局に転勤が決まりました。
 さて神戸中突堤発別府行きフェリー、サンフラワー号の「ふれあいと出会いに満ちた」(関西汽船パンフレットより)雑魚寝大部屋船室のふれあいを避けて2段ベッドの2等B-416号室に部屋をとり、大分へ出発したところからこのツアーが始まりました。

 大分公演の主催者は、市内のカレー食堂「サルナート」のマスター瀬口さん、ユミ夫人を中心とした斉藤さん、生源寺(しょうげんじ)さん、佐藤ようこさんなどの仲間たちで、会場は威徳寺(浄土真宗西本願寺派)本堂でした。
 目しょぼしょぼのまま別府に着いたわれわれは、別府の古色蒼然伝統家屋的公共浴場でひと風呂浴び、人工の滝、錦鯉の泳ぐ池のある庭を見わたす威徳寺の豪華離れの間で、室内の中国椅子や高価そうな陶磁器を眺めつつ美人の奥様からお借りした毛布と枕で仮眠したあと、東京のアジャンタやアショカで修行したというサルナートのマスター瀬口さんのおいしいカレーで腹ごしらえをし、最初の演奏に臨んだのでした。瀬口さんたちは160人ほどの聴衆を見込んでいるといってましたが、ふたを開けると200人以上でした。
 本番後は例によって打ち上げ。威徳寺の若い副住職(住職はこのときネパール旅行でした)瓜生徳さんは、素晴らしかった、ぜひまた来て下さい、あの離れにずっといていただいて結構です、などと酒をどんどんすすめるのでした。「オレ、酒止めた」と宣言したバッチューが本当に飲まなかったのにはみんな驚きました。しかしその決心はいつまでもつか。 

●10月2日(水)/日田市へ移動及び観光

 大分から日田へ向かう高速道路を走行中、寺原太郎が「この車、異常に振動してませんか」というのでスタンドでみてもらうと、なんと後輪のタイヤが、金属メッシュが露出するほどすり減り、バースト寸前状態でした。やむなくタイヤ交換。思わぬ出費を強いられちょっとめげましたが、そこで落ち合った田畑さんの「鮎食べにいきましょう」の言葉で気を取り直しました。この鮎ランチが、日田公演ツアーのハイライトの一つです。
 田畑さんに案内されたのは、三隈川べりの「鮎やな場」。ここは、市の第三セクターが経営しています。風通しのいい河原に仮設風の食堂があり、その横に細竹を編んだやなが設けられています。客はそのやなでとれたばかりの鮎を食する、という趣向。塩焼きは当然として、鮎の背ギリ、これも日田名物であるうなぎの湯引き、鯉こくの味噌汁、鮎メシという川魚フルコースを堪能しました。緑の匂いのするちょっと大ぶりの鮎、骨ごと薄く縦割りされ軽く熱を通したうなぎ・・・などと書いているだけで、あのときの幸福感が蘇ってきます。さらに素晴らしかったのは、以前にここを取材した田畑さんといっしょだったためか、勘定が全部タダだったことです。
 もう一つのハイライトは、バーナード・リーチが滞在していたという小鹿田焼(おんたやき)の里を訪れたことです。唐臼のどたん、どたんという絶え間ない音がサウンドスケープの小鹿田皿山の小さな里では、窯元の家々の庭に素焼きの焼き物が並べられていました。その一軒で挨拶した坂本茂木さんとは、コンサートの後の打ち上げで再びお会いすることになります。その小鹿田皿山からの帰り、にわかに『小鹿田の女』という物語が浮かびました。これは国際的恋愛殺人ミステリーになるはずのもので、ホテルであらすじを入力したのですが、入力して3時間ほどたったころ、わがパワーブックが突然フリーズしてしまい露と消えました。 

●10月3日(木)/日田市宇治山哲平美術館

 会場の宇治山哲平美術館は、日田市の豆田町にあります。豆田町は、江戸、明治時代からの古い蔵や商家が立ち並び、落ち着きと気品があります。
 宇治山哲平は、日田出身の抽象画家だそうです。この美術館は、自身も画家の伊藤忠雄館長をはじめ作家を慕う人たちによって運営されています。普段は、館長と、ラブラドール犬モモ母こと渡辺女史が、ひっそりと仕事をされています。古い蔵を改造した展示室は外観も中も瀟洒で洒落ています。宇治山哲平の幾何学的な作品もなかなかです。
 公演主催を引き受けた館長は、わたしの送ったバッチューのテープを聞き、美術館のニュースレター『ひびき』にこんな風に書いています。
「・・・春先から、ほとんど毎晩聞いているので、もういい加減曲を覚えてもよさそうなものだが、テープが回り始めるまで思い出せない。・・・印象だけはあるのだが音が出ると、ああこれだと安心する。・・・絵を描きながら聞いていると・・・不思議に飽きることがない。絵に夢中になっていると、曲の流れている事を忘れてしまう。ふっと、ああまだ鳴っているなと気が付く・・・」。
 本番までの控え室もゴージャスでした。美術館の裏手にあるホテル「風早」の一室なのです。このホテルは、オーナーのあごひげ武内真司さんが贅にあかして作ったもので、ホテル滞在自体ががリゾートといったゴージャスさです。フロントの青年Aはスイスのベーシスト、ベンツによく似ていました。本番は、宇治山哲平の大きな作品を背にした仮設舞台で行われました。会場も聴衆も素晴らしく、よいコンサートだったと思います。
 恒例の打ち上げは、ホテル「風早」の食堂でした。しこたま飲まされてしまいました。酔った伊藤館長は、2度目の再婚相手だという奥様を「きれいでしょうきれいでしょう」と褒めちぎります。やはり酔ったわたしは、やはり酔った小鹿田窯元の坂本茂木さんに、不遜にも「キムチ着け用の壺が欲しい」と冗談半分にいったところ、つい先日素晴らしい壺が送られてきました。酒の席なのでお忘れかと思い、しつこく催促ハガキまで出しましたが、届いたときは本当にうれしかった。坂本さん、ありがとうございました。あの壺でキムチを漬けています。
 さて、宴たけなわの頃、武内さんが是非と勧める檜風呂に入ったのですが、これがわれわれの酔いを加速し、次の日の大後悔へと結果しました。ところで、大分からモテっぱなしのヒロコさんによれば、ホテルに帰りベッドに横になったころ、ホテル「風早」のフロント青年Aからお誘い電話があったという。夫子のある彼女はもちろん断ったそうですが、バッチューにも同様の誘いがあったとのこと。あの青年はただ者ではないという結論に達しました。

●10月4日(金)/玖珠町中央公民館

 吐き気と頭痛の残る午前中、原次郎左衛門正幸さんの醤油工場見学および、後述の「香西かおり・・・わがままライブ」で使った前掛けと醤油の購入活動後、ホテル「風早」オーナー武内さんがやっている欧風懐石レストラン「秋子想」での贅沢なランチ(「花コース」2000円 - とろろ、はんぺんなどの前菜、スープ、サラダ、地鶏、ご飯、味噌汁、ソルベ、デセール、コーヒー)の後、田畑さんの案内で玖珠町へ移動しました。いったん宿舎である「風の丘」へ行きましたが、思ったよりも遠かったので、一服する間もなくとんぼ返りして開場ぎりぎりに会場に到着。
 聴衆は150人ほどでした。前の晩の飲み過ぎから回復していないわれわれには不満の残る演奏でしたが、玖珠町の聴衆からは暖かい拍手をいただきました。
 打ち上げは、PRと講釈がうるさい主人の焼き鳥屋「田舎庵」。玖珠町公演の主催者グループ「スクランブル90」の方々も、楽しい人たちでした。代表は、とても48歳には見えない童顔の学校事務職員秋山泰士さん。他に、マックおたく歯科医の頭頂部頭髪希薄麻生弘さん、「食物とエネルギーの自給自足」を目指す角刈り鼻髭の長瀬真行さん、九重町教育委員会の日野優一さん、本屋の渡辺和彦さん、若い女性3人などです。ところで、あとで読んだ麻生さんの痔手術顛末記『肛門漫遊記』は、切なくもきたなく涙ぐましい傑作闘病記でありましたね。
 12時ころ宿舎に帰り、亀田夫妻とログハウス建築までの苦労話などを2時すぎまで伺い、それぞれ一部屋ずつ用意していただいた木の香りのする広い部屋でわれわれは眠りについたのでした。 

●10月5日(土)/大分~神戸移動

 ログハウスの前庭で昼食がわりの芋煮会+ほうれん草のナムル、大根葉とツナのゴマ油醤油あえ大会を挙行しました。素晴らしい眺めと抜けるような青空の下の冷たいビールとはふはふの芋煮、いつか大儲けをしてこんなログハウスを建てようとバッチューたちと語り合いつつ、しみじみと幸福感を味わう秋の一日なのでありました。
 さて、亀田夫妻と6歳の娘ミナちゃんに別れを告げたわれわれは、飯田高原九重星生ホテル露天風呂で大分ツアーを締めくくりつつ別府にもどり、再び、修学旅行団体の充満したサンフラワー号に乗り込み神戸へと向かうのでありました。 

●10月6日(日)/兵庫県相生市「コスモスフェスタ」~東京移動

 神戸に早朝到着しましたが、わが家へは立ち寄らずすぐさま相生市へ移動しました。相生市役所の斎藤達二さんに案内された「コスモスフェスタ」会場は、仮設テントのシンプルなもので、田舎のオジサンオバサンコドモたちがタラリタラリと蝟集していました。舞台上の司会者の威勢のいい呼びかけにタラリタラリと反応するオジサンオバサンコドモたちは、われわれの30分ほどの演奏にもタラリタラリと聞き入っていました。
 われわれは、この相生市で一時解散でした。名古屋に帰るバッチューと東京へ向かうわたしは同じ新幹線に乗り、一方、ヒロコさん、相生まで太郎に会いにきた百合子さんと太郎が中川車で帰路につきました。
 で、東京へ向かったわたしは、風俗関係店街のど真ん中、新宿歌舞伎町のホテル・ケントの宿泊客となり、必要最小設備のある狭い部屋でハメ殺しの偽窓をむなしく開けようと努力をくり返し、前日までの幸福と一日後の現実との落差に、ふっと溜息をもらすのでありました。

■10月7日(月)/「香西かおりIN グロープ座with飲み友だち」リハーサル/TOKYO BAY STUDIO

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 香西かおりさんは「無言坂」でレコード大賞を受賞した演歌歌手です。インド笛のわたしがなぜ彼女のリサイタルに参加するようになったのか。これは仙波清彦さんのせいなのです。他に二胡の賈鵬芳さんも参加していますので、演歌歌手のリサイタルとすればかなり風変わりなメンバー編成(下記)でした。私以外のメンバーはすでに何度かリハーサルをしていました。わたしは、楽譜とテープをもらっていただけでこの日が初めての練習でした。参加する曲も結構ありましたのでそれぞれの内容を把握しきれない内にリハーサル終了となり、宿題をたくさん抱えたまま、夜の新宿へと戻りました。ピットインの事務所で本村さんと小林絵美さんと合流し「呑者家」へ飲みに行きました。ここへ仙波さんと大橋助手が加わり、宴会はどろどろ状況となりました。突然「ああにいってんだよ」などといい出した絵美さんの酔いの迫力にはすさまじいものがあります。結局この日は朝の4時すぎにホテルに戻りました。 

■10月8日(火)/ピットインで練習/「朝日レディースコンサート」/オーチャードホール・渋谷、榊原栄指揮東京フィルハーモニー交響楽団+古澤巌Vn、渡辺香津美Gt

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 周辺風俗産業的偽窓密閉小空間のホテルではとても練習する気がしないので、ピットインの事務所で次の日のコンサートの練習をしたあと、渡辺香津美さんがオーケストラと一緒にやるというコンサートに絵美さんと出かけました。会場で本村さん、香津美さんの前の?奥さん、ポリドールの丸茂さんなどとお会いしました。会場は、やんごとなさそうでいてやんごとありそうなオバサンオネエサンたちで満たされていました。
 いかにもオバサンオネエサンたちが好きそうな軽いクラシックのプログラムでした。指揮の榊原栄氏、売れっ子ヴァイオリンの古澤巌氏、渡辺香津美氏には、髭という共通点がありましたが、トークのノリがそれぞれ違いなかなか面白かった。
 コンサートが終わり、スポンサーのエスティ・ローダーの口紅のおみやげをもらった中年山形出身者は、一人静かにホテルへと帰りました。 

■10月9日(水)、10日(木)/「香西かおりIN グロープ座with 飲み友だち」/仙波清彦:ドラム+久米大作:キーボード・ピアノ+浦山秀彦:ギター+バガボン鈴木:ベース+佐藤一憲:パーカッション+中川博志:バーンスリー+矢野晴子:バイオリン+森田芳子:ビオラ+河田夏実:チェロ+小口かな子+西涼子:コーラス/打ち上げ/酒林坊(新大久保)

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 演歌歌手のコンサートというのは、わたしがやっているようなものとはかなり趣が違っています。このコンサートは、ミュージシャンの不敵な顔ぶれからしていわゆる普通の演歌のコンサートとは違うのですが、それでも聴衆は香西さんの追っかけというかファンがほとんどです。圧倒的に多いのは、お金がかかってそうでいてどこかパーフェクトさを手抜きした感じのファッション的善男善女的オジサンオバサン。なかでも前2列目中央付近のお客さんはよかったなあ。終止、満面に幸福な明るい表情をたたえたオッサンでした。香西さんのトークに、歌に、しぐさに、うなづき、笑い目をうっとり輝かせるその50代前半短髪板金職人風オッサンを見ていると、なんか、こお、僕たちは幸せを与えているんだなあ、としみじみ感じさせられるものがありました。いいなあ、あんなの。わたしも、若い女性たちからあんな風に見てもらえたらなあ。
 アンコールの後、香西さんがメンバー紹介をしたのですが、一人一人紹介される毎に客席からその名前が帰ってきて大拍手。「わたしの飲み友達でいろいろ相談事を聞いてもらう仙波清彦さんでえす」「せえんばあーさあーん」拍手、・・・「バーンスリーは、神戸の八百屋さんの中川博志さんでした」「なあかがわあさあーん」拍手、「じゃああーさあーんー」大拍手、てな感じです。
 第一日目の打ち上げは、新大久保駅前のカンボジア料理の食堂と居酒屋。この居酒屋で食べたものが新鮮でなかったのか、次の日はおなかをこわしてしまいました。
 2日目の打ち上げは、前日と違って、レコード会社や香西さんの属する事務所スタッフなどが加わり賑やかなものになりました。バカボン鈴木さんの特技べろ笛(丸めた舌を口から突き出す演奏形態なので、決して美しいものではない)と、西宮出身の森田芳子さんことヨッチャンのガハハハ笑いが特に印象的でした。それにしても、香西さんをはじめみんなよく飲む。 

■10月10日(金)/宮本氏と秋葉原、/同窓会/金陵(有楽町ビルB1)~銀座あやしげカラオケニューハーフバー/平吹清郎+伊藤博子(旧姓中井)+鈴木寿子(旧姓遠藤)+阿部恭子(旧姓丸山)+中川博志+遅れて中島孝子(旧姓芳賀)

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 東京方面のメインの居候先、宮本久義さんが、「マック買おうかな。なあーんも知らないから、秋葉原につきあって」というので電気屋街をうろつきました。神田薮蕎麦で腹ごしらえをしたあと、モノだらけのビルを放浪し、くたびれました。結局、彼はパワーブック5300C、MO、CDドライブ、モデム、プリンターを38万なにがしで購入しました。
 宮本さんと分かれ、くたびれつつ有楽町の和風小料理屋へ。「中川君がせっかく東京にくるんだから」(同級生のオバサマたちは僕のことを未だにナカガワクンと呼ぶ)と前月に引き続き一席設けてくれたというわけです。前日の「香西かおりコンサート」にも、同窓オバサマたちが花をもって聞きに来てくれました。
 二次会場の銀座のカラオケバーは、なんとも気色の悪いニューハーフの店でした。ちょっとぼられるような感じの店でしたが、客引きの○○円ポッキリに嘘はなく、「どっちにしろ、変なとこだったなあ」という感想をのこしつつ、山形県立長井高校43年卒中年男女は闇鬼紅燈の巷から、めいめいの家路へと向かうのでした。わたしは、マックお助けを待つ市川の宮本家へ。 

■10月12日(日)/東京~神戸/月と遊園地/ジーベック/神蔵香芳:ダンス+カーレ・ラール(ミュンヘン):ギター+クリストフ・ガリオ(チューリッヒ):サックス+エドアルド・アクリン(タリン):トロンボーン+マルト・ソー(シアトル):クラリネット+サム・ベネット(ニューヨーク):パーカッション+風巻隆:パーカッション

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 東京から神戸につき、そのままジーベックへ行きました。このコンサート、久しぶりにサムと再会したことくらいでほとんど印象に残っていません。

 

■10月16日(水)/神戸山手女子短大公開講演会「コンピューターミュージックとメディア・アートの現状と可能性」/ジーベック/長嶋洋一:講師+デモンストレーション/マックス

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 コンピュータで作る音楽の概要がなんとなく分かるよい講演でした。マックスというソフトはなかなか面白そうなので、後日購入してしまいました。収入がないというのに。 

■10月18日(金)/MADE IN FRANCE(1)/ジーベック/ジョエル・レアンドル:コントラバス+ディディエ・テロン:ダンス+ミシェル・ミュレイ:ダンス

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 このコンサートは、96年度のジーベックの数あるコンサートのうちでも出色のものだと思います。特に、ベースのジョエル・レアンドルは、どこかとぼけたオバサンという風貌なのですが、非常に緊張感のある雰囲気を作り出します。来日してから連日移動という過密スケジュールだったためか、彼女の楽器が一部壊れてしまい、当日は自転車チューブを胴体に巻き付けていたのが印象的です。この女性は漫画も描くのか、わたしたちがインドから帰ってきたとき、楽しいファクスが彼女から届いていました。
 ダンスも、それぞれ個性があり楽しめました。ディディエ・テロンは京劇音楽、ミシェル・ミュレイはドイツ歌曲を音楽に使っていました。日本のいわゆる舞踏系の場合は、どこかパーキンソン氏病的動きに定型化されていて面白くない、と彼らのダンスを見ながら思うのでありました。

 ■10月19日(金)/「ヌビアの歌、日本の歌」/碧水ホール・滋賀県水口町/ハムザ・エルディーン:ウード、タール、歌、木下伸市:津軽三味線、民謡、木津茂理+木津かおり:民謡、囃子、中川博志:バーンスリー/演目/第1部/津軽山歌(唄:木下伸市)、津軽よされ節、じょんから節(三味線ソロ)、津軽あいや節(唄:木津かおり)、バーンスリーソロ→太鼓ソロ→三味線ソロ→合奏「ホーハイもどき」、津軽甚句(唄:木津かおり)、木下伸市、木津茂理、中川博志/第2部/ハムザソロ/第3部/全員で「ハマヤラ」

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 水口町立碧水ホールは、ほぼ毎年なんらかの形でお世話になっているところです。館長の竹山靖玄さん、企画制作の上村秀裕さん、教育委員会の中村道男さんや、自主企画お助けスタッフのボランティアの人たちは、実に勉強熱心です。
 さて、「ヌビアの歌、日本の歌」というコンサートは、島根県の八雲村で行ったものとほぼ同じです。八雲村では喉をつぶしていたシンチャンの津軽山歌は良かったなあ。もちろんハムザ、木津茂理・かおり姉妹も元気いっぱいで本当に楽しい演奏会でした。東京からのかおりさんが「ひかり」と「こだま」を間違えて到着が遅れる、というドジも今では笑い話です。かおりチャン、ひらがなはちゃんと読めるようにしてね。
 ほとんどが20代の若い女性というボランティアスタッフたちとの打ち上げに、ハムザも大満足。「ハハハハハ、サケ、ウマイデスネ。ワタシ、サケ、トッテモ、スキデス。あめーりかデモ、サケアリマスデス」。次の日早朝に出なければ、といっていたシンチャンは結局京都駅前のホテルをキャンセルして水口泊まり。ホテルに戻ってから、ナカガワバーはバカ話社交場となりました。
 次の日は、ハムザと配偶者の直子さんを大阪のホテルまで送りました。さらにその次の日、再び大阪のホテルに彼らを訪ね、東京から合流したマネージャーの山口千鶴子さんとランチをとり、無事彼らをアメリカへ送り出しました。 

■10月25日(金)吹田メイシアター、26日(土)アルティー(京都)/ダヤ・トミコインド舞踊公演/スレーシュ・シュリダール:ダンス+大谷紀美子:ダンス+井上憲司:シタール+クラット・ヒロコ:タブラー+中川博志:バーンスリー

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 以前に参加したダヤさんのオリジナル舞踊作品「しこめの天使」の音楽に再び参加しました。今回は、井上君のシタール、ヒロコさんのタブラー、井上君の女弟子のタンブーラーという編成。
「前にやっていただいた感じがよかったので同じようにやって下さい」といわれましたが、昔のことは完全に忘れていました。で、こんなんでしたか、とやってみるのですが、なかなかダヤさんのOKがでません。うーん、ちょっと違う感じ、なんかこう、啓示を思わすように神聖な、それでいて沈み込まない、それでいて・・・、とはいっても・・・、などというような抽象的な指示をなかなか把握できず、試行錯誤の連続でした。舞踊の音楽、とくに物語性があるようなものに即興的に音楽をつけるのははなかなか難しいものです。
 かねがねお噂はお聞きしていたり、実際お電話ではお話したことのあった大谷紀美子さんに初めてお会いしました。それほどお若いわけではない日本のインド舞踊研究者の草分けである彼女も、導入部の仙女の役で踊りました。やんごとない人のやんごとない踊りという感じでありました。どうも、やんごとない人のことを書くと、文章もやんごとない丁寧語になるのであります。 

■10月27日(日)/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第4回「声明とインド音楽1」/ジーベック/ゲスト:桜井真樹子(声明)

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 桜井さんは、日本唯一の在家女性声明師です。ガムランのダルマ・ブダヤにも所属していた人なので気安くお手伝いをお願いしました。声明の音高を線で図形化するという作業は参加者も楽しんでいたようです。このワークショップでは、声明が、それぞれ名前のつけられた定形の節の組み合わせで歌われる、ということが分かりました。わたしは、音階型ないし旋律型というインド音楽的な理解をしていたのですが、きちんとした文法があるのです。 

■アミット・ロイ+中川博志96年秋ツアー第2期

●10月27日(日)山口県立大学華月祭

 このライブには、同じ日に上記のワークショップがあり参加することができませんでした。山口公演は、ジーベックのワークショップのターラ当てクイズで驚異的な好成績を収めた同大学の助教授水谷由美子さんの依頼でした。水谷さんは、彼女が京都におられるころからの遊び仲間です。水谷さんが服飾の専門家ということもあり、ヒロコさんのインド服飾紹介などもありました。次の日福岡で再会したメンバーは、よかったよかった、といっていましたので、だいぶいい思いをしたようです。 

●10月28日(月)/神戸~博多

 29日の筑紫女学院中学公演のお世話をしてもらった東京の三浦さん、山口からのメンバーが福岡の同じ宿に集合しました。三浦守さんは、日印友好協会という団体を組織している鹿児島出身の柔道家です。バッチューのコンサートを全国各地の学校でやれたら、とプロモーションをやっていただいています。
 この日は福岡ではなにもやることがないので、中洲のあたりを散歩しました。福岡の街は、歩道が広く開放的な雰囲気です。那珂川べりの遊歩道の草むらにたくさん生息するゴキブリを仔細に観察する太郎クンはときどき彼らの恋路を邪魔するのでした。とにかく魚を食べよう、ということになり、われわれは実に安易に「さかな市場」という炉端関係に足を運び、ひひひうまいうまいといいつつ福岡の夜は更けていくのでありました。 

●10月29日(火)筑紫女学院中学・高校

 一千人弱の黒系制服の女子中高生で満たされた大講堂の舞台に座ると、女性だけという異様な集団圧迫を感じます。われわれの演奏が始まると、ひとときの睡眠を楽しんだり、隣の友達とひそひそ話をしたり、あらぬ方向に視線を遊泳させたり、熱心に耳を傾けていたり、と、これだけの数になるとどうしても統一はとれないのですが、それでもみんな大人しくしていました。舞台にいるわれわれは、客席を観察しているものなのです。ときどき目を開けて演奏するバッチューは「ジンキリキリ(アミット用語で"かわゆい女性"の意)が少なくとも5人はいた。特に左サイド前から5列目はなかなかのジンキリキリだった」などと報告しました。ここは駅伝で有名な学校なのだそうです。演奏を終了したわれわれは、生徒たちにいただいた花束を抱えつつ博多駅から帰途につきました。 

■10月29日(火)/博多~神戸/アクトコウベ・ミーティング/バール・フィリップス+廣田均+森信子+川崎義博+兵庫県生活文化部長宮崎秀紀+ふれあいの祭典実行委員会事務局総務部広報課課長代理小野明彦+下田展久+中川博志/愛園/シャギー

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 博多から新幹線で神戸に着いたときは、すでに中華料理屋「愛園」でのミーティングというか宴会は始まっていました。
 バールとは9ヶ月ぶりの再会です。阪神大地震がきっかけで始まったマルセイユ、ベルン、神戸の3都市を結ぶ文化的な交流運動アクト・コウベを、今後どうしていくか、というテーマのミーティングです。日本側の対応が、ゼニと時間と熱意の関係で足踏みしている一方、バールのいるマルセイユではすでに団体を設立し具体的なプログラムを提案するところまでいっています。
 バールとわれわれは今後もお友達として仲良くしていきましょう、という確認をしただけで、具体的なプログラムに関しては、こちら側の具体的対応が明確ではないのでまたまた持ち越しとなりました。
「愛園」での食事の後、口ひげ小野明彦さんの案内でブルーグラス飲み屋「シャギー」へ行きました。ここでは、ドラム、ヴォーカルの小野さんと、なんとベース界の世界の大御所バールの共演が実現しました。バールは、ちょっと一緒にどうですか、と小野さんにいわれ、うーんと、うん、楽器あるかな、うん、じぁあこれでいいか、といいつつ店にあったコントラバスをにこにこと弾き始めたのです。 

■11月1日(金)インターリンク96「The Body Electric」/ジーベック/ドナルド・スウェリンジェン、ラティシア・ソナミ、パメラ・Z

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 ドナルドは終始コンピュータ、キーボード周辺でなにやらいじっているだけでしたが、ラティシアのあやしげな手袋センサーと手の動き、パメラ・Zの見事な声と豊富編み編み髪が印象的でありました。コンピュータとセンサーを使ったパフォーマンスの実験は本当にいろいろ行われているのですね。 

■アミット・ロイ+中川博志96年秋ツアー第3期

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●11月3日(日)神楽伝承館(美星町・中世夢が原)

 バッチューとヒロコさんとわたしは、前日の2日に美星町に入りました。新倉敷駅で日高さんの出迎えを受けたわれわれは、まず「星の郷ふれあいセンター」へ行き、そこでわれわれが勝手に動けるようにと手配してあった車をお借りして、とりあえず宿舎である「老人憩いの家」へ行きました。40畳ほどの和室にわれわれ3名が泊まるのです。
 その日は、大鳴さん宅で山海珍味の大ご馳走責めにあいました。ご主人のとってきたマツタケをがばがば食っちゃいました。大鳴さんの奥さんは中世夢が原で紬織りや染めを担当しています。ご主人は、寡黙で酒をぐいぐい飲むたのもしい農業人。ここの息子は東大生なのよ、という日高さんの言葉に「そんなことはどうでもええ」と照れくさそうにさらにぐいぐい酒を飲む。
 夜通しやっているという地元の備中神楽に心惹かれましたが、明日の演奏のことを考えて断念し、漆黒の闇と化した山里道を町役場の荒木青年に先導されて宿舎に帰りました。それぞれの布団まで10メーターは離した睡眠中発生音声考慮的布団配置にもかかわらずバッチューの睡眠中発生音声に悩まされたわたしは、ずるずると布団ごと別室へ移動しました。
 当日は、とりあえず温泉です。美星町鬼ケ嶽ラドン温泉で、鬼の行水→極楽湯と薬師の湯→鬼の釜→鬼の指圧→鬼の河原→鬼の肩たたき→仏の湯→鬼の釜フルコースのあと、「かねたか」の蕎麦ランチでした。不味かった。
 会場は、「中世夢が原」の入り口にある神楽民俗伝承館でした。普段は神楽の練習所になっている場所を舞台にし、それをとりまくように、お客さんが座ります。雰囲気も規模も音もよい演奏会でした。
 早島からは林百合子さんのご両親が、差し入れ持参で、福山からも新勝寺の壇上さんが駆けつけてくれました。打ち上げは、われわれが宿舎にしている老人憩いの家で華々しく繰り広げられました。
 打ち上げの途中、天文台で土星の輪をみよう、ということになりました。晴れ間の少ない夜空でしたが、わたしは生まれて初めて、土星の輪を見て感動しました。よく見る写真のように大きくカラフルなものを想像していましたが、意外に小さく、白く、薄ぼんやりと見えるのです。
 次の日は、ゆっくり寝ていたいのに、大正琴練習熟女たちのドケドケパワーに圧倒され、退去を余儀なくされました。 

●11月4日(月)コンダヤタンス店(岡山市西大寺)

 この日の会場は、タンス屋の倉庫をホールに改造した場所でした。
 西大寺の商店街は、大正時代のまま凍結したように派手で下品なネオンもなく、ひっそりとして切なく、近所同士のぬくもりを感じる、懐かしい雰囲気があります。われわれの楽屋というか待機所として使わせていただいたのは、江戸時代から続く古い落ち着きのある森家家の一間でした。この近辺の人たちは、再開発という名の街の砂漠化に抵抗し、コンサートなどを企画する「西大寺井戸端会議」というグループを作っています。もちろん日高さんも加わっています。本当にこの人はいろんなところに顔を出すのです。
 コンサートは、会場は寒かったものの、そんな主催者のぬくもりを反映した暖かいものでした。打ち上げは、メンバーのもちよった食べ物と飲み物。阪神大震災で牛窓に移り住んだカメリアーノ氏と宇吉堂の宇企子さん、おいしいおにぎりのトイ米を育てた都井都さん、複雑精妙な折り紙を淡々と披露する森家家の長男崇雄君、それを見守る孝明・淳子夫妻、「ヨシオヤ雑貨展」というミニ博物館をやっている三道一正さん他メンバーの方たちに感謝しています。

 ■11月9日(土)/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第5回「声明とインド音楽2」/ジーベック/ゲスト:桜井真樹子(声明演奏家)、南忠信(知恩院式衆)

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 3名による鼎談という形式で、インド音楽と声明との共通点、違い、伝統ということなどをしゃべりあいました。 

■11月10日日曜日/アジアの音楽シリーズ・レクチャー第6回「打ち上げ」/ジーベック/ゲスト:桜井真樹子(声明演奏家)/大塚、増田、桜井、寺原太郎、林百合子、福岡、槙野、池辺、野中

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 これまでの5回のワークショップの総集編ということで、参加者にそれぞれ即興演奏をしてもらいました。参加者は本当にさまざまでした。ストリートギター小僧、能管修行者、ベース小僧、キーボード小僧・・・。わたしのつたないワークショップは、少しは彼らの役に立ったのでしょうか。まあ、少なくともわたしは楽しかったのです。

 ●この日、わたしの尊敬する衛生学者、元阪大教授の丸山博先生が亡くなられたことを後日、新聞で知りました。享年87歳でした。先生にもこのサマーチャール・パトゥルを送っていました。森永ヒ素ミルク事件を丹念な疫学調査で明らかにした先生は、子どものような純真さとするどい問題意識の人でした。庭が雑草だらけのお宅に以前うかがったことがあります。そのとき庭の雑草のてんぷらをご馳走になりました。93年5月29日、福山の新勝寺で、先生がパビットロのタブラーに合わせ、目をくりくりさせながら踊られた様子を思い出しました。 

■11月15日(金)「げんたけだけ即興ライブ3」/バートンホール・夙川/たかだ香里:十三弦、二十弦、クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、スワラマンダル、中川博志:バーンスリー

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「なあに、これえ。宣伝たれへんわ、ほんまに。今日はもうやめとこか」とたかださんがイカった前回の集客が嘘のように、満員でした。これは、たかださんのマネージャーの藤井さんが方々に声をかけたり、たかださん自身が、教えている学校の生徒を誘ったりした結果です。わたしの知り合いもきてくれました。下前さん、中西咲子さん、小島さん、聖子チャン、三木さん、元住金物産ボンベイ支店長の池田さんなどなど。
 ライブは、たかださんが十七弦と十三弦と2面もってこられたので、前回の練習もどきライブよりはずっと面白くなりました。わたしの古典に、たかださんが即興で加わるという場面もありました。たかださんは演奏技術のすごい人なので、即興の道にますます引きずり込むと面白いものができる、などと不遜にも考えています。 

■11月16日(土)「天台声明・極楽聲歌」/大津市伝統芸能会館/片岡義道:導師、復曲・監修、清水修:雅楽指導、真盛楽所:雅楽、天台真盛宗法儀団:声明

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 数百年ぶりに復元されたという『極楽声歌(ごくらくしょうか)』を聞きました。これは、声明研究で名高い片岡義道氏によって復曲されたもので、20名余の天台真盛宗の僧侶、13名の雅楽演奏家たちによって演奏されました。雅楽のゆったりした楽音にのせて唱えられる声明の響きからは、平安のみやびさと荘厳な香りがたち登り、一気に850年前にタイムスリップしたような気分でした。
 この公演には、七聲会の南忠信さんと清水秀浩さんとで出かけました。公演の後、坂本の有名な「そばは一番電話は二番店は角から三軒目」の「鶴喜そば」で南さんがざる+きざみ、清水さんがざる+おろし、わたしがざる、を食べて京都方面へ帰るのでありました。 

■アミット・ロイ+中川博志96年秋ツアー第4期

●11月18日(月)ぎゃるり葦・山形市

 名古屋から日航機でくるはずのバッチューは、渋滞のため空港到着が間に合わず、新幹線を乗り継いで山形にたどりつきました。
 バッチューが到着してすぐラーメン、ということになり、わたしの叔母の「月美八」へとりあえず行き、世界一の水晶ラーメンをたっぷりの漬け物と一緒に食べたのであります。山形へいくと必ずここに立ち寄るのですが、叔母は相変わらず楽天的元気でありました。
 さて、第1日目のコンサートは、演奏内容も会場の雰囲気もよいものでした。当初、PAがないということでちょっと心配でした。しかし「なしでも充分なんだ」という山形訛りのチァイハネのマスター小玉さんのいう通り、大丈夫でした。今回は、山形市唯一のインド音楽喫茶チャイハネの何周年かの記念公演でもあり、かつこれまで続けられてきたインド音楽コンサートシリーズの第11回目で、会場はほぼ満員でした。採算のとれにくい規模で経済的には苦しい山形シリーズでしたが、久しぶりに帰省もできたし、温泉とうまい酒と、なによりもゴージャスな大松庵のそばランチを味わえたので大満足です。 

●11月19日(火)ぎゃるり葦・山形市

 秋田からバッチューのシタールを聞くためにやってきた県庁職員相場勝也青年の車で、わたしの両親のいる赤湯へみんなで行きました。山形市から40分ほどです。「糖尿なんだげども運動してっからよ、まあず、よぐなったみでだ」という母親も、「ほほう、久すぶりだごでえ」という父親も、めったにこない客人に舞い上がっていました。マツタケご飯をわれわれに食べさせたあと、母親は、なんとプロのミュージシャンの前で大正琴まで演奏したのであります。本番までのつかの間の邂逅でしたが、たまあには帰省するものでありますね。
 二日目もたくさんお客さんが入りました。南陽からは、以前バッチューやダタールさんのコンサートを主催してくれた「維新塾」の、佐藤さん、熊坂さん、大山さんなど。また、わたしの訳書『インド音楽序説』の翻訳でタミル語の読みを親切に教えていただいた東北大学の山下博司氏の奥さん、93年安兵衛ツアーでお世話になったかわゆい細谷ヨーコさん、そして花束をいただいたヨーコさんのお母さん、長井高校の同窓生の弁護士の山上朗さんなど。地元でのコンサートは何か格別なものがあります。打ち上げでの、米沢からきたおなごだづは活きがえがっだっす、たまげだっす。 

●11月20日(水)/出羽庄内国際村ホール・鶴岡市

 鶴岡に出かける前に、小玉さん夫妻、ヨーコちゃん、山下さんらと、小玉さんの奥さんの大きな油絵が出展されている県立美術館へ行き、市内の有名な漬物屋で定食のランチ。ここで、ボンベイにもっていく漬け物を購入しました。
 えがったえがった、と満足のわれわれはバスで鶴岡市へ向かいました。月山、湯殿山の間を走る峠道には、すでに雪が積もっていました。この道はわたしはこれまで通ったことがありませんでした。山形といっても広いのであります。
 峠を越えると、庄内地方です。わたしの故郷の置賜地方とはかなり趣の違う風景、言葉、人々なのです。
 遠くに鳥海山を確認し、無事鶴岡のバスターミナルに到着したわれわれを待っていたのは、蕎麦屋の漆山永吉さん。われわれは、細身長身頭頂髪発生密度少暗緑色外套の漆山さんに案内され、会場である出羽庄内国際村へ向かいました。
 出羽庄内国際村は明るくて立派な建物です。ここには、どうして山形に、どうして庄内に、という感じのアマゾン民族館があります。これは、館長の文化人類学者山口吉彦氏のこれまでの収集品を展示することになったためだそうです。
 われわれのコンサートのタイトルは、「ベンガル古典音楽の夕べ-バングラディシュ・学園建設支援コンサート」となっていました。主催が、「バングラディシュの恵まれない子供たちのための学園建設支援」する「アロアシャの会」事務局だったためにこういうタイトルになったようです。確かにバッチューはベンガル人ですが。
 鶴岡公演は、時間の関係でバッチューの演奏とわたしの簡単な解説だけとなりました。ここのスタッフたちもよく酒を飲みます。さすが酒どころ山形です。
 次の日は、やはり、温泉だあ、ということになり漆山さんの車をお借りして、雨の中、近くの湯田川温泉へいきました。入湯券を売っているミニスーパーで買った洋梨をかじりつつ入る温泉の味はまた格別であります。
 温泉の後、96年秋ツアーは大松庵の贅沢蕎麦昼食でとどめでした。大松庵は、漆山さんと、ヒロコさんと同じ堺出身の奥さんとでやっている、とことんこだわりの蕎麦屋です。古い農家を改造した店内はとても普通の蕎麦屋には見えません。お客は、各部屋にある囲炉裏を囲んで酒を飲みつつおいしい蕎麦を食べます。竹筒の冷や酒、てんぷら、山菜、漬け物、蕎麦の実などすべての料理に漆山さんの気配りが感じられます。「その辺でやめといたら」という忠告を無視して、くいくいくいくい酒を飲んだヒロコさんは、ついに空港で気分が悪くなる羽目となり、「わああ、みんな吐いちゃって、あんなにご馳走だったのにもったいないわあ」と嘆くことしきり。げに、このツアーの締めくくりにふさわしい、温泉とうまいものとうまい酒、なのでした。 

■11月22日(金)/アジアの音楽シリーズ第15回「天界音楽~百千種楽」/ジーベック/七聲会:声明、読経、アミット・ロイ:シタール、クラット・ヒロコ:タブラー、川崎義博:ドローン+音響デザイン、桜井真樹子:Voice、寺原太郎:スワラマンダル、中川博志:構成+バーンスリー/打ち上げ----「むすび割烹 俵」

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 94年8月21日の「即興の芸術2~ラシッド・カーンの声楽」以来ですから、久しぶりのアジアの音楽シリーズでした。地震以降のジーベックでは、なかなかそれまでのような活動が思うようにいかなくなっていて、本当に久しぶりなのです。
 七聲会は、愛知芸術文化センターの「舟の丘、水の舞台」に10分ほど参加しましたが、このコンサートがいわば公式デビューでした。彼らの録音を昨年から重ねてきて、このところ声明のもつ重層した倍音と独特の宗教音楽的世界に魅せられています。いずれは、インド音楽とのユニットを組んで外国公演もともくろんでいますが、まだまだクリアーすべき問題があります。
 第1部の般若心経では、清水さんの叩いた太鼓が迫力ありました。こういう形態が仏教儀式のなかにあるということを初めて知りました。オルゴールを使った桜井真樹子さんの作品は、静謐でちょっと不思議な雰囲気。七聲会+桜井真樹子の散華、浄土三部経+笏念仏では、桜井さんのアウトオブチューンがちょっと気になりましたが、幾重にも重なる声による濃密な空間は声明ならではのものでした。最後のインド音楽との合奏は、構成などにまだ多くの課題は残しています。それでも、多くの人たちから、これまでとは違った体験で感動した、という声を聞き勇気づけられました。6月28日には、今回とほぼ同じ内容のコンサートが滋賀県水口町碧水ホールで開かれます。もし興味がおありでしたら是非おいで下さい。詳しくは後述。 

■11月23日(土)/(株)みつプロダクション撮影/中川家

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 高橋光さんとスタッフが「中学校の音楽鑑賞11~世界の民族音楽(1)~日本とアジアの楽器・東アジア編」というビデオの収録のためにわが家を訪れました。阪大教授の山口修さんが監修です。雅楽器を中心としてそれらと似たアジアの楽器を紹介するというものです。わたしは、龍笛に関連してバーンスリーの構造と演奏技法について、ほんのちょっとですが登場するのです。後で送ってもらったビデオを見ると、当然のことでかつ避けがたいことでありますが、もはやわたしは完璧な中年オッサンなのであることを確認しました。
 収録後、神戸ポートアイランドのアパートに住む中年男女は、次の日からのインド旅行のために、黙々とそれでいて、いるいらないのちょっとした口論を交えつつ、深夜までパッキングにいそしむのでありました。

■11月24日(日)~97年1月21日(火)/インド・シンガポール中年よれよれ旅行

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 今回の旅行は、招待を受けた「Indian Music and the West」というセミナーに参加する、というのが表向きの理由です。しかし、実際は、交通費はなし、勝手にくるんなら、という招待でしたし、久代さん離職記念ということもあり、もうほとんど普通の旅行でありました。訪れた場所と滞在日数は以下の通りでした。 

11月25日(月) ボンベイ(佐々木宅および住金物産山口さん宅居候)
12月10日(日) ゴア(1泊300ルピーの貸部屋)
12月20日(金) ボンベイ(住金物産山口さん宅居候)
12月24日(火) デリー(友人インドゥーさん宅居候)
12月25日(水) KATHGODAM(友人スニール宅居候)
12月27日(金) NAINITAL(友人スニール宅居候)
12月29日(日) コーベットナ・ショナルパーク(友人スニールの招待でジャングルリゾートホ テル)
12月31日(火) KATHGODAM(友人スニール宅居候)
1月 3日(金) デリー(友人インドゥーさん宅居候)
1月 5日(日) カルカッタ(アミット・ロイ宅居候)
1月18日(金) シンガポール(普通のホテル)
1月21日(火) 関西空港着  

 ほぼ2ヶ月の旅行でしたから、本当にいろいろありました。パワーブックでつけた日記は、72860字にもなるのです。全部紹介したいのはやまやまですが、紙面が足りませんし、他人が知ってもなんの利益にもなさそうなので(といってもこの通信自体がそうなんですけどね)印象に残ったことだけを以下に紹介したいと思います。 

●ボンベイ

 夜の9時ころボンベイに到着すると、佐々木めぐみさんと渡辺さんが車で迎えにいらしていました。その晩は佐々木宅で宿泊。佐々木さんの娘たち、アヤチャン、ユミチャン、ナオチャンは大きくたくましくなっていました。初めて会うマコトくんは今がイタズラ盛りです。めぐみさんはドントコイお母さんとしてますますたくましくなっていました。
 さて、これまでボンベイにいったときの居候先は、前の住金物産ボンベイ支店長の池田哲朗さんのお宅でした。しかし池田さんが昨年に日本に戻ってこられたので、頼れる人がいなくなりました。と思っていると池田さんが「ウチの会社の駐在員の山口さんにちゃんと申し送りしといたから、心配せんでええで」とご親切にもいっていただきました。ということで、今回は夫婦で山口さん宅に居候しました。
「いらっしゃい。全然遠慮なさらずに、自分の家のように使って下さい。ぼくは出張が多いので鍵もお渡ししておきます。食事とか洗濯はメイドのデルフィン(25歳のかわいい女性)にいってもらえばなんでもやりますから」という山口さんのご親切なお言葉に甘えて快適な居候生活でありました。山口さんも、池田さんと同じで単身赴任です。無類のゴルフ好きで、播州弁ばりばりの、ちょっと痩せ気味の山口さんは気さくなかたでした。「重いプリント柄見本を担いで砂漠を行商したこともありまっせ」などという外国での商売体験話は、われわれとはまったく違う世界で、面白かった。本当にいろいろとお世話になりありがとうございました。

 

●「Indian Music and the West」

 このセミナーは、インド独立50周年記念行事の一つとして11月29日、30日、12月1日の3日間にわたって開かれました。主催はSangeet Research Academy (SRA)、協賛がインド政府文化局、Zee Music、ロッテルダム音楽院、オランダ国際アジア研究所、協力がNCPA (National Center for Performing Arts)、Music Forumと、関係する団体も国際的でした。セミナーでは、会議の終わる夕方から、二つの会場で演奏会ももたれました。3日間の出演者は総勢30名ほどでした。パネラーとして報告する人も、わたしのように単に演奏するだけの人もいます。
 このセミナーに参加したほとんどの人たちは、研究の一貫としてではなく、自身の表現法としてインド音楽を学習し始めた、いわば第一世代です。この第一世代の活動が、それぞれの国で成熟しつつある状況をこのセミナーで感じました。例えば、欧米の一部の音楽教育機関では、インド音楽が正課として取り上げられ教授法の研究なども進められています。今回のセミナーの協賛団体であるロッテルダム音楽院(オランダ)では、インド音楽の講座があり、主任教授はわたしの先生のハリプラサード・チョウラスィア氏、講師の一人はシタール奏者のブッダーディティヤ・ムケルジー氏です。同じような状況は、質や規模の違いはありますが、欧米ばかりではなく南アフリカ、モーリシャス、オーストラリア、ニュージーランドなどから参加した人たちの報告からもうかがえました。
 1日目が「Across Time and Space」・・・西洋とインド音楽のこれまでの歴史的な関わり、2日目が「Educational and Performing Models」・・・ヒンドゥスターニー音楽の効果的教授法や世界各地の教育例、3日目が「Indian Music in New Perspective」・・・普遍的音楽としてのインド音楽の今後のあり方、といったテーマでさまざまな議論が活発に行われました。議論を聞いていると、インド音楽が単なる一地域の民族音楽としてではなく、普遍的な音楽表現の一つとして世界的に既に認知されていることが分かります。
 日本からは、わたしと、クラット・ヒロコさん、ハリジーにバーンスリーを習うために偶然ボンベイにいた若い女性ノリさんのみの参加でした。日本人だけ3人、しかも女性二人をバックにした演奏の図は、かなり妙な感じに映ったのでしょうか、Zeeテレビの長いインタビューを受けてしまいました。
 演奏はまあまあうまくいったと思います。一応、ボンベイでの公式デビューのようなものであり、かつ聴衆はほとんどがれっきとしたインド内外の演奏家、研究者たちばかりなので、最初は緊張しました。終わると、サーランギーのスルターン・カーン氏が「グールージー、最高。今度はオレとやろう」と抱きついてきたり、「いい演奏だった」とシタールのブッダーディティヤ・ムケルジーが楽屋まで来てくれたりと、さまざまな人たちが祝福してくれました。まあ、ガイジンにしては、といったところでしょうが。他の人たちの演奏も聴きましたが、なかには、どうかな、という人もいたものの、全体にガイジンのレベルも相当あがっていると思いました。特に、最後の最後に演奏したサロードのケン・ズッカーマンは、満員の並みいる聴衆をうならせるほどでありました。彼のCDはボンベイのレコード屋でも売られているのです。

●ゴア

 アラビア海の水平線に沈む夕日を飽かずに眺める完全リラックスの日々でした。アンジュナ海岸の断崖まで20メートルほどのところにあるVICTOR GUEST HOUSEでの10日間の滞在中は、本当になあーにもしていません。朝起きて、隣の堀立小屋風レストランでオムレツとチャイの朝食、練習、読書、散歩、そこここのレストランでビールを飲みつつ昼食、昼寝、夕方起き出して夕日見物、俳句ひねり、暗くなると夕食のための食堂をさがしつつ散歩し、再びビールと夕食、部屋に戻って読書して就寝、これがゴアのわれわれの生活リズムでした。食事は、久代さんがたいていエビカレー、わたしが魚カレー。
 12月14日にバンガロールからバスで15時間かけてやってきた小島卓・寺田秀子夫妻と久しぶりに再会しました。この日はたまたま、久代さんの47回目の誕生日だったので、タクシーでバガビーチのレストランに出かけました。男女ペアの歌い手がゴアの民謡で祝福してくれました。彼らは16日に再びバスで帰っていきました。秀子さんは、日本語教師としてごっつう稼いでいるようです。卓さん、しっかりせえやあー。 

 ・・・ゴアで詠みし駄句

   --久代作--
  日没の 日々の円弧に 笛の音
  海にあっては 蟻見て暮れる 壁伝う日
  我が蟻か パパヤ喰う蟻 薄闇の
  犬が寝て 牛が寝て ヒトが寝て
  ひり出し 太一文字の 罪深さ(代理読み)
  いち日は 異なる影なく 今日も夜明ける
  椰子の木の いずれも新月に 傾斜して

   --博志作--
  アラビア海 水平線に 牛の夢
  椰子の木に 羽を休めり 啼き烏
  赤土に かかと染めつつ ゴアの海
  物売りの 声を聞きつつ 午睡の夢 

●デリー

 デリーは今回の旅行の目的地ではなく、車で北へ6時間のKATHGODAM往復の中継地点でした。
 ボンベイもかなりすさまじいものの、デリーの排気ガス汚染は強烈でした。とにかくすごい。ニューデリーからオールドデリーに向かうあたりは、特に猛烈です。われわれはスクーター・リキシャでそこを通過しました。目はちかちかするし、頭痛はするし、鼻の穴は真っ黒になるし、まるで石炭製錬所のような感じでした。のろのろと進む渋滞の道路には、真っ黒な排気ガスをもうもうと吐き出すバス、トラック、白いガスを吐き出す乗用車、オートバイ、スクーター、リキシャ、喧しいクラクションの騒音交響曲が満ち満ちています。しかし、そうしたもろもろの乗り物の間をすり抜けつつ雑誌や新聞を売る少年少女、物乞いのなんというエネルギー。雑誌によると、デリー市民は、毎日タバコ25本分の毒ガスを吸っているといいます。そのせいなのか、かつてはこの時期旅行者がたくさんいたコンノート・サーカスは、閑散とした印象でした。昼でもスモッグが覆い陽はめったにささず、夜はかなり冷え込むインドの首都は、こうした悪条件下でいかに人間が生き延びることができるか、の実験場のように見えました。 

●コーベット・ナショナルパーク

 1318.4平方キロの虎保護区を中心とした広大な自然公園です。われわれは、スニールの招待で2泊3日の小旅行をしました。彼の友人から借りたTATA-SUMOというオフロード車で、スニールと奥さんのアルカ、リチャ、カヌ、チャンドリカの3人娘、運転手のシェーカル青年と一緒に出かけたのです。宿泊したのは、各部屋に暖炉のあるコテージタイプのコーベット・ジャングル・リゾートでした。高級な感じでしたから決して安くはないホテルです。
 まだ暗い早朝5時ころ起き、虎のお姿をさがしつつ虎保護区ジャングルを走り回りました。しかし、ゲートで乗り込んだ若い案内青年の「車を停めて。さあ、これを見て。ここに足跡があるでしょう。これは、たった今、虎がいたという証拠だ。こんなふうに虎は朝水を飲みにくるのです。ひょっとしたらその辺にまだいるかも知れません。注意して見て下さい。前に来たとき・・・ペラペラペラペラ」とか「ほらほら、この木の皮を見て。まさにこれは虎がごく最近ツメを研いだ跡なのです。ここには98頭の虎が生息していますが、わたしが見たのは・・・・ペラペラペラペラ」という絶え間ない説明にもかかわらず、肝心の虎は一向に姿を現すことはないのでありました。結局われわれは、鹿や猿や鳥や野豚や巨大な蟻塚や鬱蒼としたジャングルを見ただけです。それでも、深い森林と清流のあるこの公園は平原部では経験できない緑あふれる素晴らしいところです。 

●カルカッタ

 カルカッタではいつものようにバッチューの実家に居候でした。ここでは、コンサート、練習、ミュージシャンとの交流、とほとんど音楽に囲まれた日々でした。居候先が音楽だらけということもありますが、カルカッタはボンベイやデリーとくらべて文化を感じさせます。街角にコンサートのポスターが貼ってあるなどということは、他の大都市ではあまりありません。
 コンサートできていた先生のハリジーにも会うことができました。信じられないハードスケジュールのハリジーは体重も減り、やつれて痛々しく見えました。ラーマクリシュナ・ミッションでのコンサートのときお尻に大きなできものがあるため座るのに苦痛だった、と語るハリジーには休息が必要だと思いますが、結局彼は走り続けるしかないのかも知れません。スターの座を維持するとは大変なことなのであります。
 声楽のラシッド・カーンの公演に一度ついていきました。場所は、カルカッタから116キロ離れたバルドワーンの町。久代さん、わたし、バッチューは、ラシッドとタブラーの共演者タンモイ・ボースに一緒に行こうと誘われたのです。久しぶりにラシッドの演奏が聞けるし、電車で1時間半の距離だし、人に聞けば車でもせいぜい3時間だということなので2台の車に分乗して一緒に行くことになりました。距離的にいっても、当然当日中に帰ることができるとみんな思っていたのでしたが、ひどい道路事情と主催者の混乱のせいでとんでもない疲労困憊小旅行となりました。カルカッタに帰り着いたのは次の日の朝6時なのです。
 今回訪れたどの都市もそうでしたが、最近のインドの道路交通事情は劣悪の一途を辿っているように見えます。自由化政策によって急増した自動車の数に見合う道路整備が圧倒的に立ち後れているからです。バルドワーン疲労困憊小旅行ではそれを身にしみて体験しました。
 カルカッタ市内から幹線道路に入ると、料金所のある高速道路ゲートがありました。おっ、インドもついに自動車専用道路ができたか、と感心していると、人もリキシャも牛車も自転車も、のんびり通っていました。自動車専用道路であれば、道路と周辺、速度による乗り物の区別は明確ですが、どうもインドではその辺がまだ曖昧なようで、ハイウェイといえども未だに古代から現代までのあらゆる交通手段の展示場のようなのです。
 途中まで順調にきましたが、ある地点ですごい渋滞になりました。ある程度の渋滞であれば、じっと待つしかありません。しかし、渋滞がただ事ではない規模になり、路上は一気に無法地帯と化しました。対向車線であろうが踏切であろうが舗装のない路肩であろうが、とにかく車の通れるスペースがちょっとでもあれば、我先に割り込んできます。その割り込みがさらに渋滞状況を悪化させます。ついには前後左右身動きがとれず、あるものはエンジンを切り運転席で寝てしまい、あるものは車から離れ、路上は運転者同士の井戸端会議場と化してしまっていました。こうなるともはや人智ではなにも解決できません。できることはただ一つ、あきらめることです。このあきらめに関してはインドは日本よりも達人です。日本だと、理不尽な割り込みにめくじらをたて頭のキレる人続出というところですが、そうかそうか、オレもあせってるけど君もそうだよな、てな感じて許してしまう。
 そんなこんなで、バルドワーンまで往復大渋滞の結果、翌朝帰還となったのでした。ラシッドのコンサートはなかなか良かったのですが、今思い出すのは、あの死ぬほどくたびれた移動のことだけです。
 バッチューの「今回は、CD10枚分の録音をすることにしているけど、グルジーもどうか」というので、わたしも録音してきました。スタジオは、パークストリートにあるJMDスタジオでした。タンブーラーはバッチュー、タブラーはタンモイ・ボース。ハリジーと一緒にカルカッタにきていたルーパクの協力でタンブーラーを手配してもらいました。録音したのは、40分の古典と、30分5曲のオリジナルです。ゆくゆくはCDという形にしたいと思っていますが、まだ最終的リミックスはしていません。今年中にはなんとかしたいなあ、と考えているところです。 

■1997年1月24日(金)/川崎義博サウンドワークス個展オープニング(+付録/中川博志生誕47周年記念パーティー/ジーベック・ホワイエ/角正之:ダンス

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 カルカッタから風邪気味をひきづりつつジーベックに。熱帯のシンガポールに3日ほどいて帰ってきたので、日本のあまりの寒さに震え上がり、布団にくるまっていようかなと思っていました。しかし、わが川崎摂津守義博大先生の個展のオープニングであり、かつ1日遅れとはいえ、わたしの誕生日も祝ってやりましょう、という愛にあふれる申し出があったので出かけました。
 川崎さんの作品は透明アクリルにスピーカーを貼り付けたなかなか美しいものです。オープニングパーティーには、風邪大流行の割にはたくさんの人たちがきていました。
「満月なのでイモをゆでてもってくること。もし可能ならばなにかおかずも持参すればなおよろしい」という彼の指令を受けたわたしは、里芋をゆでたものと自家製明太子ディップを持参し好評でありました。
 県庁に勤める大学の先輩佐々木さんが、あまりにしつこくジーベックから案内をもらうので遂に来てみました、といって現れたり、廣田さんのお誘いでいらした同じ県庁の総務部次長がべろべろに酔っぱらって、自分のことをヒロリンなどと呼んでからんだり、とにぎやかでかつ楽しいパーティーでありました。角さんもヒロリンにはからまれていたなあ。 

■1月26日(日)植松家麻雀

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 植松奎チャン、一風堂宮垣さん、笠原画廊の島末さん、久代さんとで二抜け麻雀。勝ちました。この麻雀仲間に会うのも、麻雀をするのも本当に久しぶりでした。ノブチャンのおでん、おいしかったです。勝負のあと、同じ仲間で最近『自立建築』なる提案で勢いのある林英雄大先生の噂話や美術界のあまり明るくない話などで、盛り上がったり盛り下がったりしました。 

■1月27日(月)ネッド・ローゼンバーグ中川家宿泊

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 フリーインプロビゼーションのアメリカ人サックス奏者、ネッドが家に泊まりました。神戸に招待したギターの内橋和久さんと華英さんから「家狭くて泊められへんねん。で、中川さんとこ、あかんかなあ」という依頼でした。ネッドはなかなかのミュージシャンでかつおもろい人間です。彼のネットワークも広い。次の日、部屋に未洗濯のブリーフ、短パン、Tシャツを「おみやげ」に置いていくユーモアのセンスもあります。実際は忘れただけですけど。後で彼から「申し訳ない。次は少なくとも洗濯した下着を置くようにします」という電子メールが届きました。 

■2月5日(水)/デブ・チョードリーシタール公演/Lシアター・大阪

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 寒い季節、大阪の大きなホール、という条件にもかかわらず8割ほどの入りでした。主催したマハリシ研究所の堀井さんに集客協力を依頼されましたが、急なこともあってそれほど協力できませんでした。それでも、シタールの田中峰彦・理子夫妻、元住金物産ボンベイ支店長の池田さん、池田さんと同じ会社の女性、篠塚みな子さんなどをお誘いしました。池田さんは、久しぶりのコンサートに大満足でした。
 その池田さん、最近インターネットに接続して興奮しています。ときどき「メール読まれへんねん。なんか設定ちごうとるんやろな」「娘がちょこちょこっといじりよったら、できるようになったわあ。中川さんからの電子メール読めましたでえ」「あかんな、年取ると。マニュアルの説明、さっぱり分からへん」などと電話がくるのです。
 デブ・チョードリーの演奏は、まあまあといった感じでした。ちょっと客受けを狙った演奏ではありましたが、充分楽しめました。

 ■2月10日(月)/佐藤通弘+内橋和久ライブ/ビッグアップル・神戸

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 お名前は前から知っていた津軽三味線の佐藤通弘さんに初めて会いました。「武士」という形容がぴったりきます。ビッグアップルには、和太鼓のヒダノ修一さんも来ていました。わたしも飛び入りでライブに参加しました。

 ■2月22日(土)/川崎義博サウンドワークス個展/パフォーマンス/鈴木昭男、淳子

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 前日はわが家で、準備を終えた川崎さん、昭男さん、淳子さんとでタイスキ風鍋の宴会でした。当日は前日から「パチンコ問題」で久代さんと若干波風が立ちわたしも久代さんもふてくされていた、ある原稿の締め切りが迫っていた、などなどの理由で、注文の茹で里芋と自家製明太子の配達のみで早々と帰宅しました。 

■2月24日(月)/インド料理セミナー/丸山小学校/料理指導:ショリー・ラジャン、音楽のはなし:中川博志

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 最近はどちらも忙しくて、というか先方だけが忙しくて久しく会っていないジローさんの奥さん、原田啓子さんからの依頼でした。わたしの小学生の友人アヤチャンの母親啓子さんは、丸山小学校PTAの会長です。料理指導したショリーさんはケーララ出身のインド人女性です。西明石で英会話を教えていますが、関西弁的日本語はぺらぺらです。 

■3月2日(日)/ジャスト・フォーラム#2/コンサート「箏の音によって蘇るハリー・パーチ」/ワークショップ「新しい音律を考える」/藤枝守:企画・レクチャー・作曲、西陽子・丸田美紀・中川佳代子:箏

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 西洋的平均律から音楽を解放し、純正律の自然な美しさを見直す、というコンサート。純正律に調弦された箏による現代音楽です。箏の音色は中性的な響きでした。十七弦は、とても箏とは思えない音色で、調弦と奏法によって楽器はこうも変化するものかと思いました。考えてみれば、インド音楽のラーガも純正律に近い考え方です。 

■3月12日(水)/「夢の乱入者・打ち上げ公演」/チキンジョージ・神戸/渡辺香津美+清水興+東原力哉+島田昌典/ゲスト/有山じゅんじ+NORA/13日(木)/ゲスト/山下洋輔+吉田美奈子

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 95年のエイジアン・ファンタジー・アジアツアーのCDブックレットがようやく出来上がり、それをピットインの本村駿河守鐐之輔穴蔵氏にもらいにいくということで、ジャカルタからたまたま帰省している高岡結貴さんとチキンジョージの香津美さんのライブを見に行きました。本村駿河守鐐之輔穴蔵氏は相変わらず「ビンボウヒマ無しだよ。走れ、走れって後ろから突っつかれてるから、走るっきゃねえよ」と忙しそうでした。
 夢乱バンドのライブはなかなか楽しいものでした。通常のチキンジョージのライブとすれば意外に短時間で物足りない感じですが。オルケストラ・デ・ラ・ルスのヴォーカリスト、NORAさんは歌唱力がありますね。香津美さんは、栄養蓄積と放散のバランスを欠いているのか、ちょっと肥えたようです。
 ハードカバーのCDブックレットは非常に立派で、とても単なる報告書には見えません。非売品ですが、市販してもよいほどの体裁です。編集した小林絵美さんの苦労がしのばれます。
 13日のライブにも行きました。この日は、ジャズが中心でした。香津美さんのアコースティックギターはいいなあ、やっぱり。

 

■3月14日(金)/のじぎくサロンコンサート-たかだ香里"箏"の輝き/兵庫県公館/たかだ香里:箏、望月太八次郎(こと竹井誠さん):尺八・能管、石垣清美:箏、桑原康雄:マンドリン

 500人以上は入っていたと思います。演奏家はすべて洋装で、たかださんは白いひらひらすけすけのコスチューム。公館でのコンサートのためか、選曲は比較的分かりやすいものでした。PAが自然でよかったと思います。
 竹井さんと久しぶりに会いました。公演終了後すぐ東京へ帰るということで、休憩のほんのわずかな時間に話しただけでした。他に会場でお会いしたのは、摂南大学の中嶋さん、マックス使いの左近田夫妻、ジーベックの下田さん、毛髪僅少の田平さんなど。 

◎これからの出来事◎

 

■3月20日(木)18:30~/「インド音楽に親しもう-魅惑のバーンスリー」/大阪天満橋・ドーンセンター視聴覚スタジオ/クラット・ヒロコ:タブラー、中川博志:バーンスリー+レクチャー/主催:ギータンジャリ友の会

■3月29日(土)~4月1日(火)/仏教瞑想ツアー添乗及び案内及び通訳/大円院・高野山/ピーター・クラット

■4月6日(日)15:00~/灌仏会奉納演奏/仲源寺・京都四条通り/アミット・ロイ、クラット・ヒロコ、中川博志

■4月13日(日)14:30~/「東方交友録~ジパングに集う楽士たち」/みつなかホール・川西市/たかだ香里:箏、唐華:中国琵琶、ウベ・ワルタ:尺八、クラット・ヒロコ:タブラー、中川博志:バーンスリー/企画制作:藤井智子(縁)

■4月25日(金)/中川博志ライブ/ビッグアップル・神戸/クルブーシャン・バルガヴァ:タブラー、藤井千尋:タンブーラー

■5月11日(日)/アミット・ロイ+中川博志ライブ/松坂市

■5月18日(日)/中川博志ライブ/あしゅん・神戸/クルブーシャン・バルガヴァ:タブラー、藤井千尋:タンブーラー

■6月28日(土)18:30~/「浄土声明×インド音楽~時空を超えて」/水口町立碧水ホール/七聲会:声明、アミット・ロイ:シタール、クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、川崎義博:サウンドデザイン+ドローン制作

◎ごくらく組コーナー◎ 

 パチンコ問題でわが家に波風の立った宴会の夜。(註=このパチンコ問題とは某日、12万円分の勝ちをおさめた某さんのパチンコではなく、私のパチンコ依存僻問題です。誤解を招くといけないので。招いても別にいいか)。このときにも話したと思うけれど、私はかねがね夢における音楽について不思議に思っていた。つまり夢の中で、音楽を聞くことがある。明確な旋律をもつ音色もくっきりとした、音楽。たいていは西洋音楽っぽいもので、インドっぽいのや浄土っぽいのは聞こえてきたことがないのは私の修行が足りないせいか。夢から覚めて、ストーリーの記憶は失せても、音楽の流れていた印象を、不思議に思って反すうしつつ考える。あの音楽は一体どこから来たのか? 夢の中の私もしくはその意識がとっさに作曲したものなのか、あるいはいつか聞いた音楽を無意識が再生したものなのかあるいは夢で明確な旋律と思ったものは実は、音楽を聞いたという印象に過ぎないのか?
 と、割につまらない疑問をときどき悩みつつ47年、生きてきましたが、ついにその問いに対する答となる夢をみたのです。夢の内容は目覚めるや、ほとんど忘れていましたが、目覚めて私はあるごく短い旋律を寝ぽけ頭の中でくり返していた。そして思った。これは夢で聞こえていたメロディだ。しかし私の知っている有名な曲のものではないし、また、聞いたけれど忘れているだけの有名な曲のものでもない。なぜならあまりにシンプルな、能のない、つまらな過ぎるメロディだから。
 と、私は夢における疑問のひとつをついに解決しました。夢では、夢の荒唐無稽なストーリーを生み出すように、私の意識主体が音楽をつくり出すこともあるらしい。残念だったのは、シンプルな、能のない、つまらな過ぎる、そのメロディを記録しておかなかったこと。次は必ず覚えておこう。


 ◎お知らせ◎

 電子メールアドレスが下記のように変わりました。したがって、封筒に記入してあるアドレスは無効となりました。というのは、今世間で騒がしいインターネットにようやくつながったのです。でも、モデムが遅くてインターネットの閲覧は大変もどかしい。ISDNにしたいのですが、ゼニが問題です。 

 新アドレス・・・tengaku@mxn.meshnet.or.jp


◎サマーチャール・パトゥルについて◎

サマーチャールはニュース、パトゥルは手紙というヒンディー語です。個人メディアとして不定期に発行しています。

 

編集発行発送人/中川博志
校正および精神的協力者/久代(天楽企画ごくらく組)
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