「サマーチャール・パトゥル」23号1998年6月16日

 みなさま、いかがお過ごしですか。この個人通信は8ヶ月ぶりの発行です。これほど遅れてしまったのは、エイジアン・ファンタジー・オーケストラ(以下AFO)アジア・ツアーで2月半ばから4月上旬に家を留守にしていたともありますが、ますます進行しつつあるナマケと記憶力減退が主要な理由です。ツアーが終わり、とことんヒマ状況に突入した2ヶ月でようやく書き終えたというわけであります。そうこうしているうち、インド、ついでパキスタンが危険で忌まわしい腕自慢ごっこをはじめ、インドネシアでは暴動が発生し、ドイツでは高速列車がつづれ折りになり、大沖神の日本侵略開始が明らかになり、いわゆるアジア経済の混迷が進行し、円がますます安くなり、となかなかに不安な世の中に突入しつつあるように見受けられます。そんななか、久代さんは女子大生としてるんるんの日々を送り、わたしは「ぜーんぜん、仕事ないもんね」といいつつそれなりに生存しているのであります。われわれが生存しているという事実だけでも励みになる、などという知人がいるほど、われわれはノーテンキにテンポラリー極楽情況にいるのです。たしかに、たとえば65歳になったときどないなってるんやろ、と考えると空恐ろしいものもありますが、ま、そういったローゴ不安想念を頭から排除すれば、誰からも束縛を受けず、昼すぎ起床テレビ読書練習たまに仕事といった、まるで隠居のような生活スタイルは、一時的であれ極楽に近いものでありましょう。今回も冗長で何の役にも立たない駄文の羅列でありますが、適当に流し読みしていただければ幸いです。

 この1月にムンバイにいってきました。宿泊したホテルのあるジュフ海岸を散歩したのですが、さまざまな人々がさまざまな営みを展開し、まるで世界のプロトタイプをみるようでした。以下はその印象をつづったものです。

---ジュフ海岸の凝縮された人間模様---

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 ムンバイ市中心部から車で40分ほどのジュフ海岸は、現在は比較的裕福な人々の住む郊外住宅地のようになっているが、砂浜沿いには高級リゾートホテルが林立し、まだ立派なリゾート地である。

 海岸から一段高いホテルのプールサイドからアラビア海に沈む夕日を眺めていると、ぼろをまとった親子連れが砂浜からこちらを見上げて「バクシーシ」と叫んでいた。わたしは、視線をあわせないように遠くを見るふりをした。すると彼らは芸を始めた。3歳ぐらいの女の子が砂浜で何度も何度もでんぐり返りをする。がりがりに痩せたルンギ姿の父親は、それを見て大声で「ホイ、ホイ」とかけ声をかける。彼らを囲むように人だかりがし始めた。それに勇気づけられたのか、今度は父親自身が激しく砂の上で回転した。誰でもできる程度の簡単な回転を必死にやっているところが痛々しい。穴の空いたランニングシャツは砂と汗にまみれた。横目で見ていたわたしも、ついつられて顔を向けた。わたしにチラと媚びを含んだ視線を投げかけた父親が、今度は仰向けになり、娘を両足にのせくるくる回し始めた。隣に力無く座る母親らしい女は、手提げから取り出した太鼓を叩き、うつむき加減で歌い始めた。弱々しく、なんとももの悲しい歌声だ。彼らの繰り広げる芸も、あまりに稚拙でやりきれない。父親の発案なんだろうか。それとも彼のカーストの伝統芸なんだろうか。などと考えていると、一本の長い竹竿の先端に娘を紐でくくりそれを肩に担いだ。ほこりと汗で煮染めたような赤っぽいワンピースを着た娘は、竹竿の上で逆立ちしたり手をばたばたさせたりしている。何日も洗っていない長い髪を揺らし、うつむき加減に黙々と「芸」を披露する。もうやめてくれ、と叫びたいほど執拗にその芸が続く。父親は、再びわたしに視線を投げた。彼は娘をくくりつけ竹竿を担ぎながら、こちらに移動してきた。砂浜とわたしの位置には3メートルほどの高低差があり、わたしは見おろすかたちで彼らの芸を漫然と眺めていたのだが、小さな娘はわたしと同じ目の高さですっとこちらにやってきた。そして目の前で「バクシーシ、旦那」とつぶやき、小さな手を差し出した。わたしは、彼らの計算に舌をまいた。それまでの稚拙なでんぐり返りも、父親の足の上の娘の回転も、弱々しい母親の歌声も、最初からわたしが目当てだったのかもしれない。うーむ、やるなあ、と思わず心の中で喝采したわたしは、迷わずに20ルピー札を少女に手渡した。ちょっと離れたところでわたしと同じように眺めていた白人の男は、わたしと視線が合うと苦笑を返してきた。ぼくも一度やられたんだよ、と語っているようだった。

 この後、砂浜に降りて1時間半ほど散歩した。砂浜はまるで祭りのような人出だった。ちゃんとしたジャージーとスニーカー姿でジョギングや速歩している太った男女に、一掴み100円ほどのピーナツを売りつけようと一緒に走る痩せた青年。太った金持ちが痩せるために走り、痩せた貧乏人たちが太るために小商いをしている。手をつなぐ男同士、恋人同士らしい男女、なにげなくたたずむ男、クリケットをする少年たち、痩せた物売り。砂浜で展開される小商いの業種も多様だ。小さな団子を油で揚げて中空ボール状にし、それを酸っぱいスープに浸して食べるベールプリー(これがもっとも多い)、焼きトウモロコシ(1本20円くらい)、紙飛行機凧、犬散歩少年、チャナ豆、投げ輪、乗馬、馬車、手回し観覧車、手回しブリキ自動車メリーゴーラウンド、炭酸飲料、親子曲芸師、物乞いの老婆。投げ輪屋は、砂を固めて平らにしその上に白い布を敷いて、安物の商品を並べる台の代わりにしている。砂地に円い線をひき、そのまわりを犬がぐるぐるまわり、その犬が止まった人にゼニを乞う初老の痩せた男。三枚の円盤の裏の色を当てる賭屋とどうもサクラらしい男たち。円錐状にした新聞紙に入れたピーナツを15円で売っている中年男。板につけたゴム風船をあてる射的屋。どれもみな悲しいほどの小商いである。

 小さな電球が点滅する箱形の機械にヘッドフォンをつないで、何かを聞かそうという商売もあった。わたしは、何かなと思ってそのヘッドフォンを耳に当てると、ヒンディー語の説教が聞こえてきた。シヴァ神に毎日お祈りすれば何でも願い事が叶う、といったような内容だった。若い男は、お前聞いたんだから10ルピー(35円)出せという。するとかたわらでわたしを見ていた少年が、こいつは外人だよ、言葉分からないのにお金せびるのはよくない、とその若い男にいう。歩き出したわたしの後をついてきた少年は、ああいう人間がいるからインドは恥ずかしい、僕はジャイプルの近くの村からきた、あんたはどこからきたのか、どこに泊まっているのかと英語で話しかけてくる。黙って無視していると、最後に「僕は手相見なんだ。あんたの手相からなんでも当てるから一回見せてみろ。たった100円だから」と営業活動をしだす。服装も顔つきも体型も社会も学歴も違った人間たちは、ジュフ海岸に毎日毎日このようにして繰り出すのだ。ジュフ海岸には凝縮された世界がつまっている。

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◎これまでの出来事◎
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■10月8日(水)/北九州国際交流ウィーク/アドリブ音楽の妙味「インド古典音楽の夕べ」/北九州市立響ホール/出演者: アミット・ロイ、クラット・ヒロコ、寺原太郎、中川博志

 たいていの地方都市にあるような非常に立派なホール。八幡の町並みからはちょっと高台にあり、総ガラス張りの矩形の建物は建築デザインとしては面白味に欠けますが、パンフレットには「世界有数のコンサートホール」、「聞く人を大切にした芸術の発信地」と書かれています。この手のコピーはいったい誰が考えるのでしょうね。控え室あたりは豪華な邸宅の居間のようで、われわれはふかふかしたソファに座り、用意されてあったバナナをかじりながらテレビを見るのでありました。会場の音響もよく、8割ほど入った聴衆の前で気持ちよく演奏できました。

 上等そうなカーディガンをふわっと肩に掛け、もうすっかり水商売人姿が板に付いたスダンシュが、友人たちとかけつけてくれました。公演後、遅い時間の関係もあってか、巷の灯に乏しい八幡の千草ホテルでエネルギー消費未解決のまま寝るのはあまりに淋しい。そこで、にぎやかな小倉方面へ。スダンシュが、インド料理「カーシー」の他にも、紺屋町マルゲン30ビル1階で最近始めたというスナック「QK(キューケー)」でしばらくビールを飲みました。客の若い女性、ひとみ嬢と話をしていたアミットは、彼女がマザー・テレサを知らないことにショックを受け「信じられない。こんなことがあっていいはずがない」と嘆く。「中川さん、お好みいきしょ」というスダンシュに誘われたわれわれは、QKから「まるたま」へ移動し、サーフィンショップ経営アメリカインディアン風ポニーテールの松本尚守ショウチャンらと、わたしにとってその存在すら許し難いお好み焼きを食べました。その否定的食物はしかし、しゃくに障ることにけっこうおいしい。

 

■10月9日(木) 長距離移動の一日でした。八幡駅から電車で博多、博多から地下鉄で福岡空港、全日空で羽田へ飛び、一気に浅草の宮本太鼓スタジオで、日系米人和太鼓奏者ケニー遠藤さんのリハーサルに参加し、市川の宮本久義家に宿泊でした。
■10月10日(金)~13日(月)/リハーサル

 それにしても、浅草の夜は淋しい。インド政府観光局に勤めるわたしの高校の後輩、平千佳さんと浅草で飲もうということになり飲み屋を探したのでしたが、繁華街の灯はまばらで、そこを寒風が吹き抜けるのでありました。ようやく見つけた飲み屋で、平嬢はべろべろによっぱらっちまいあがる。そのころ、キーボード奏者の久米大作家では、彼もその制作にかかわった息子の慈音が産声を上げつつあるのでした。

 11日は休みで、山形県立長井高校の同窓生、伊藤博子さんと東中野駅に近い梅若能楽学院会館に江戸神楽を見に行ってきました。ケニーの公演にも笛と鳴り物で参加する鈴木恭介さんが獅子舞で登場しました。江戸神楽を見るのは初めてでした。能をぐっと大衆化した感じでなかなか面白い。演者の着物を着せたり脱がせたり、腰掛けを用意したりとあれこれの世話をしつつ、あたかも舞台に存在していないかのごとくじっと角にたたずむ後見の揺るがぬ視線、足のしびれでよろけた笛方、京公家のようなのっぺりとした表情の若山勲さんなどが印象に残っています。会場では、元アリオン音楽財団の茂木淳子さんと国立劇場に勤める夫の仁史さん、ケニー公演出演予定の藤舎清成さん、ケニーのアメリカの弟子、ジョージ亀田、マサト馬場(彼らの顔は日本人なのに英語しか通じない)に会いしました。

 13日は、リハーサルをかねたレコーディングでした。このときの録音とライブでの録音がCDになっています。

■10月14日(火)、15日(水)/日暮里サニーホール(東京)/「ケニー遠藤和太鼓リサイタル」/出演者/ケニー遠藤:和太鼓、納見義徳:パーカッション、鈴木恭介:笛、パーカッション、栗林秀明:十七弦、パーカッション、中川博志:バーンスリー、藤舎清成:和太鼓/特別ゲスト/大倉正之介:大鼓//主催 : (株)宮本卯之助商店太鼓館

 

 ケニーはハワイ在住の日系アメリカ人和太鼓奏者です。ハンサムでいなせな顔立ちのケニー本人のたたずまいと音楽には、日本的なものが純粋培養されたエッセンスとアメリカ的な乾いた雰囲気が同居しています。

 浅草の太鼓メーカー、宮本卯之助商店の芳宏社長がケニーのいわば旦那的存在。その宮本卯之助商店「太鼓館」の学芸員、越智さんから「ケニーがどうしても中川さんに出て欲しいといっている」という連絡をかなり前にうけていました。円形高周波数発声の越智さんは、「わたしはまったくシロートなのになにもかもやれっていわれて、もうたあいへんなの」とぶつぶついいながら、こまごまとした仕事に走り回る。

 彼の公演に参加するのは初めてでした。ケニーが、震災後の芦屋公演のために来日したとき、わたしは会ってはいたのですが、この公演までわたしの実際の演奏を聞いたことはないわけで、どんなことを要求されるのか、当初は若干不安でありました。

 ケニーの公演は、同じ和太鼓でも、緊密な構成と舞台進行が不思議な緊張感をうみだす「鼓童」のそれとはかなり雰囲気が違います。アメリカ的軽邦楽といえるか。日本伝統の重々しさが、カリフォルニア的フィルターで濾過されハッピーな音楽になっています。演奏する方もハッピーな気分でした。ただ、わたしの左後方から和太鼓の爆発的打撃音、右隣から高周波能管の鼓膜直撃音がのべつ攻撃するので、公演が終わったときには頭くらくら状態でした。  楽屋ではちょっとなよっとした十七弦の栗林さん、ラテンパーカッションのベテラン納見さん、笛関係の鈴木さんらと、楽器や音楽にまつわる苦労話などでげたげた笑いやばか笑いやらで和気あいあいでした。神戸以来久しぶりに会った大倉正之介さんは、相変わらず大忙しのようで、ケータイ片手にそこら中バイクで走り回っているとのことでした。

 1日目の打ち上げは、宮本久義さん、最近はNHKの番組でも頑張る映画監督のカマチャンこと鎌仲ひとみさん、尺八の土井啓輔さんらと近所の居酒屋で。プログラムの校正ミスで、わたしが「インドの人間国宝受賞者」と紹介されたことなどをサカナに盛り上がるのでありました。2日目は、藤舎清成さんの経営する池袋のスナック・ペペで、宮本芳宏社長、バリ芸能研究会の松澤緑さん、ケニーで打ち上げ。「指輪がなあい。どうしよう。ははっ、わたし酔っちゃったみたい」と半泥酔緑髪松澤さんの、指輪探索の一幕もありました。

 

■10月16日(木)/国際交流基金公演課長西田和正氏ジャカルタ赴任歓送会/「うちな~家」新宿/参加者:島田靖也、日下部陽介、駒井康一、岸本由紀子、本村鐐之輔、小林絵美、仙波清彦、磯野義幸、福原寛/ホテル・サンルート泊

 AFO公演の事前調整にかかわってきた西田さんがジャカルタに赴任されるということで宴会。わたしは泡盛とともにゴーヤやラフティこと豚の角煮などを見境なく摂食したためか、次の日はひどい下痢。のちのち見舞われることになったわたしの「うちな~家」ラフティ泡盛不調和傾向の初めての兆候でした。

 

■10月17日(金)/スイス人とインド人の中川家来襲

 夕方、東京から帰宅するとまもなく、ピーターとデボプリオが来宅。デボプリオは、カルカッタ在住のタブラー奏者。頭脳高速回転の彼は、ヒロコさんと同じ、腰痛アデランス的凄腕タブラーのアニンド・チャタルジーに師事している青年です。ジョークとばか笑いとザキール奏法ものまねが得意です。料理のできないインド音楽演奏家の希な例でもあります。来日してずっと堺のヒロコさん宅に寄宿していました。わたしとの「あしゅん」ライブのために来宅したのでした。

 彼らと鍋をつつきながら冗談をいっているうちに、今度はスイスの高級腕時計メーカーCentury Gemの御曹司フィリップと、会社の営業担当者マークが来宅しました。フィリップは、ピーターの以前からの友人で、やはりインドフリークの一人。一時はシタールを習っていたようですが、現在は父親の創業した時計会社を引き継ぎ、一つン百万円の高級時計を扱うビジネスマンなのです。神戸にも支店があり、その営業テコ入れに来日したのでした。フィリップは、長身で、いかにも精力あふれる見事な肌頭と、つるんとした顔に現れる好色な表情、語り口のなよなよした感じはどうみてもホモ系統ですが、本人は「違う」といっています。マークは少しピントのずれた真面目な若い番頭がしらという感じ。アタッシュケースとびしっと決めたダークスーツ姿の二人をみれば、スイス人的くそ真面目さがただよい、ビジネスマンというより役人か身辺警護隊員のように見えます。デボプリオは我が家に宿泊でした。

 

■10月18日(土)/「あしゅん」ライブ/神戸・三宮/デボプリオ : タブラー、寺原太郎、中川博志

 移動と宴会の連続の日々の後でしたので、体中によどんだ疲れが演奏にも出てしまったかもしれません。それでもデボプリオとの演奏は気持ちのよいものでした。彼の伴奏だと、剽軽軽妙な対応が即座に伝わってくるのです。この日は、佐野さん、林百合子さん、住金物産の池田さん、大学時代の同級生で現在大手建材メーカーに勤める大塚保則夫妻、デボプリオ自宅連れ戻し役のヒロコさんなど、ほとんど知り合い関係がお客さんでありました。

 

■10月25日(土)/町民芸術鑑賞会/鶴田町公民館、鹿児島県/出演者: アミット・ロイ、クラット・ヒロコ、寺原太郎、中川博志

 東京で「日印友好協会」を主宰する三浦守さんのお世話で、久しぶりの鹿児島公演でした。鶴田町以外の公演可能性もあたりましたがこの一公演だけとなり、日帰りという強行軍になりました。要は、宿泊費の余裕がなかったのです。

 刈り入れの終わった田園と紅葉の山里を眺めながら会場の公民館へ。昼過ぎの公演にくることのできたのは、有閑非生産労働者のみ。つまり、われわれは敬老慰問演奏団と化したのでありました。ほとんどの町民は稲刈りなどに忙しかったのです。

 アミットの演奏中、最前列の老人が、ふわっと立ち上がったと思うとにわかに床に崩れ落ちました。インド音楽を聴いて大往生か、と会場は一瞬ざわつきました。幸い、その老人はしばらく後に意識が戻りました。彼の意識を失わせたのがアミットの演奏だったのかどうかは分かりません。もしそうであれば、アミットは「往生音楽家」として有名になるかもしれませんね。

 ともあれ、このようなハプニングはありつつも鶴田町公演を終えたわが敬老慰問演奏団は、「心が風邪をひいた」というアミットの要望で桜島周遊コースをとり、さまざまな人生模様と夕焼けと紅葉を味わいつつ、日帰り鹿児島旅行を完結したのでありました。

 

■10月26日(日)/「渡辺香津美/アローン・アット・竹中・イン・西宮」/竹中酒店B1

 わたしのコンピュータお助けマンの一人、通称ジャズさんこと守口さんたちの主催でした。この日、竹中酒店に集まったのは、守口さんの配偶者で翻訳家の理恵さん、全国からきた彼女の仲間たち、トンボさんこと菅田さんなど40名ほど。

 ピットインミュージックのマネジメントから離れ独立した香津美さんのソロライブを久々に聴きました。ぽっちゃり手の凄腕ギタリスト、香津美さんのソロは素晴らしかった。このような地下の飲み屋の小規模なライブを聴いていると、わりと派手な場面でしか彼の演奏を聴いたことがなかったためか、ほんわりした肩にどことなく哀愁が漂よっているようにわたしには見えました。ライブの後、香津美さん、ライブツアー同行の谷川公子さん、ジャズさんと鍋をつついて打ち上げでした。

 

11月1日(土)/兵庫県新宮中学校文化祭/出演者: アミット・ロイ、クラット・ヒロコ、寺原太郎、中川博志

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 西播磨文化会館館長の松下さんからの依頼で、兵庫県新宮町へ行ってきました。松下さんは前の兵庫県現代芸術劇場の事務局長です。新宮中学校体育館のサウンドチェックのため、前日の31日に入りました。体育館には、担当の音楽の網野先生らが機材の設営をしていました。拡声機能のみのかなりシンプルな音響機材でしたがなんとか調整し終え、文化会館の井内さんの案内で会館付属の宿泊施設に泊まりました。山間に建つ施設周辺には、不気味な様相の神社や墓地があります。

 ジーベックのスタッフが別の催しのためにこの施設に泊まっており、「あそこには霊がいる」などという噂がささやかれたことを事前に知っていたわたしは、ヒロコさんやアミットに、「実はここは平家の落ち武者が無惨な最後を・・・」と拡大脚色して申し述べました。すると、ヒロコさんは「やあめえてえー」と耳を覆う。ひひひひひ。この日は完全にわれわれだけの貸し切りで、2段ベッドが4セットある部屋にそれぞれ一人づつ泊まりました。残念ながら霊は出現しませんでした。

 新宮中学校文化祭の演奏はなんと朝の9時半から。夜更かし朝寝坊のわれわれにはとてもつらい時間帯です。1000人ほどの生徒を前に、北極のような舞台でふるえながら演奏しました。夜は、熊見校長や網野先生、井内さん、松下さんらとゴージャスな刺身打ち上げでした。

 

■11月2日(日)/兵庫県立西播磨文化会館

 西播磨文化会館では「97西播磨生活創造フェスタ」が進行中でした。チラシには、アミットと私の写真が掲載されています。また、松下館長が「はははは、こんなものも作りましたで」と、チラシと同じデザインのテレフォンカードも見せてくれました。わたしとアミットの顔写真のあるテレカは、新宮町周辺の人しか知らない稀少なものなので、おそらく将来は億単位の莫大なプレミアムがつくことは間違いありません。

 フェスタ当日は、地元の人たちの民芸品、絵画、模擬店など、まばらな人出の会館内外で展開されていました。外はかなり肌寒かった。われわれの出番はお昼過ぎでした。昼食後の聴衆の方々には、インド音楽がさぞや平和な午睡を誘ったことでしょう。舞台からは、熟睡する人たちも散見されました。

 もののけ出没気配の宿泊所が気に入ったアミットは、生徒のシタール研修は是非ここでやりたいなどと宣言、あの後どうなったか。ともあれ、われわれは「揖保の糸」のふるさと新宮町での公演を終え、お土産そうめんを購入し、今回のために太郎君が精神病院の知り合いから借りてきたホンダ・ビゴーを駆って帰途につくのでありました。

 

■11月3日(月)/アート・ポーレン/神戸市旧居留地/企画・主催:C.A.P

 この催しは、CAP(芸術と計画会議)の主催でした。アートポーレンは、「人と街への関わりかたをテーマに、美術館や画廊という閉ざされた空間での表現活動を行うのではなく、積極的に街に飛び出していき、アーティススト自身が作品を通して直接鑑賞者と関わりを持つことで、相互の理解を深める」催しです。要は、日常の延長である街路をアーティスティックな仕掛けで非日常化してしまおうというものです。等身大の人物写真を細切れにして参加者に配り後で元の写真に再現する、その場で茶碗を焼き上げるための簡易電気釜を乗せてリヤカーを引っぱる、薄くスライスした石鹸をガラスドアや窓に張り付ける、可動音発生装置をずるずる引っ張る、ヘリウムガスの入った風船を参加者に配る、それ自身はなんの役にも立たない金属製の張りぼて屋台を単に引っ張って歩く、参加者が街で遭遇するアーティストにプログラムにパンチで穴を開けてもらい、パンチで切り取られた丸い色つきの紙片をもとに作品を作る、などなど、文化の日の人出でにぎわう旧居留地に変なものが登場して買い物客などの意表をついたのでありました。小生は、短めのバーンスリーをもってあちこちで吹きまくりました。神戸弁インド式紙芝居の東野さんの声が、オープンエアーでは実によく通ります。それにしても、連休を利用した買い物客たちは、実利とは無縁な変なパフォーマンスの数々をどう見ていたのでありましょうか。

 

■11月5日(水)/ヒダノ修一ライブ/ビッグアップル/ヒダノ修一:和太鼓、土井啓輔:尺八、清野拓巳:ギター、中川博志:ちょこっとバーンスリーで乱入

 元「鼓童」のきりっとした男前、ヒダノさんから、広島のライブのついでに神戸でもやる、という電話をもらい、笛をかついで山本通りのビッグアップルへ行きました。尺八の土井啓輔選手も一緒でした。清野拓巳さんというのは、バークレーでジャズの修行をしてきたというおとなしいギタリスト。民謡系の曲にちょっととまどっていましたが、ジャズ系になると俄然張り切っていました。「すごいテクニックの演奏なのに、実に不機嫌そうな表情で吹いているので、人気という意味では損しているかもしれない」と土井さんに申し述べると、ちょっとむっとした表情を見せて「うーん」とうなっていました。土井さん、気にしないでね、本当のことだから。

 

■11月8日(土)、11月9日(日)/ジーベックスタジオ/「アジアの音楽シリーズ」レクチャーワークショップ97/ヒンドゥスターニー音楽鑑賞講座/第1回・・・ラーガ/第2回・・・ターラ、演奏の構成

 

■11月11日(火)/南山進流ライブフォーラム/梅田太融寺

 南山進流というのは、真言宗の声明(しょうみょう)です。ドイツ人旅行団観光ガイドとして高野山にいったとき、宿泊した大円院の藤田光寛副住職に紹介していただいた加藤栄俊さんが中心となり「声明をどんどん聞いてもらいたい」ということでスタートしたコンサートです。「ライブハウスであろうが、お寺であろうが、ところかまわずやっていきたいんです」と加藤さん。声明という伝統が次第に忘れられつつある現在、このように声明ライブの試みは貴重です。

 で、本来ならばライブが終わった段階で帰宅、ということになるのですが、この日はミナミの松竹座で「クレオパトラ」という芝居をやっていて、AFOの仲間である佐藤一憲さんとタナこと田中顕さんが音楽担当で来阪していました。「芝居ですか。うーん。わざわざ見に来るっつうほどでも、かなあ」と佐藤君がいうので芝居はパスしました。でも、関西にはめったにこない人たちなので「飲もうよ」ということになり、ミナミのおでんやで飲みました。

 ふと気がつくと、神戸行き最終電車に乗れるか乗れないかという微妙な時間になっていました。あわててタクシーで梅田までとばしましたが、終電が出たのは到着2分前の0:23でした。しばし駅で呆然としていると、「にいちゃん、どこまで」とはげた中年のオッサンがそっと近寄ってきました。「神戸」「そらあかんわ、今出てもた。どや、今やったら1万5千円で行きまっけどな」

 いちおうそれくらいのゼニは持っていましたが、オッサンのいうままになるのもしゃくなので、「いや、いいです。なんとかしますから」と答える。「そないいうたかて、帰られしまへんのに」「この辺のサウナにでも泊まりまっさ」「よっしゃ、1万3千にしとくわ、普通やったら2万はかかるでえ」「うーん」「しゃあないな、乗った、乗った、1万ポッキリにしたるわ」「やっぱりやめとくわ」「勝手にせえ」というようなやりとりの後、タナが「もし遅れたら僕の部屋にでも潜り込めば」といっていたので、彼らの泊まっているホテルに戻りました。ホテルについてタナに電話すると「あれ、やっぱり遅れたんですか。今ちょっと瞑想してるので10分待って下さい」

 待つ間、フロントに空室の有無を聞くと空いていることが分かり、面倒なのでその場で部屋をとりチェックイン。タナが後で持ち込んだワインを二人でなめる深夜なのでありました。最初からチェックインしていればもっとゆっくり飲めたのに。

 

■11月24日(月)AFOリハーサル/国際交流フォーラム/参加メンバー/仙波清彦、梅津和時、久米大作、中原信雄、新井田耕造、伊藤クミコ、賈鵬芳、木下伸市、中川博志/スタッフ/磯野義幸、本村鐐之輔、島田靖也、小林絵美、多田/見学/武内香織

 

 AFOアジア・ツアーを控えてのプレ・リハーサルでした。本格的リハーサルは2月14日からでしたが、その前段階のサウンドを探ることがテーマでした。とりあえず、メインになる候補曲を久米さんや梅津さんが持ってきていました。AFOメンバーではない伊藤クミコさんは、仮ヴォーカルとして参加。本村さんが「なにか曲を持参せよ」というのでわたしも持っていきました。

 会場は、赤坂の国際交流フォーラム。400人は入れるちゃんとしたホールです。贅沢にも、ミュージシャン7人だけ中央に陣取りリハーサルを行いました。

 例によってこの日もピットインに近い「銅鑼」で宴会。仙波宴会朝四時の法則の通り、朝4時にリステル新宿のベッドでバタンでした。

 

■11月25日(火)AFOリハーサル/国際交流フォーラム

「まだまだ、みんな手探り状態だなあ。オレもそうだから仕方ないけどね。いい曲もあるけど」と、リハーサルを聞いているような聞いていないような本村さん。もちろん彼はちゃんと聞いていたのでしょうが、その「聞いているような聞いていないような」感じが、久米大作選手の酒でむき出しになった絶縁不良神経回路部分に接触したのか、その日の宴会場「うちなー家」でにわかにショートサーキット状態になりました。キレタ久米選手の目は完全にカラミメトロン状態。彼は、丸っこい眼鏡のずり落ちをときどき指で修正し、垂れてくる髪パラリを直しつつ吼える。「グワオー。だいたいさあ~、××さんなんかさあ~、彼らしいとてもいい曲を作れる人なのにさあ、あんなつまんない曲・・・。僕さあ、寝ないで書いたのよね、ずうっーと。他の仕事もあってさあ。ね、すこしはさあ、なんかいってくださいよね、ね、こら、本村!ちゃんと聞いてるんか、ンナロ。全体の構成を考えるとさあ、あの曲がなあーんで入ってくるわけ?ん?」「お前、ちょっと待てよ。わがあったから、な。ちゃんと聞いてるよ。たださあ、まだなんか、今度のAFOに欲しい歌のイメージがさあ、もう一つ君も含めて、みんなのなかでもこなれてないんだよな。もうちょっとしたらさあ、うんとよくなるけど」「けど、ぬわにいー、僕、寝ないで作ったんすよ、寝ないで。本村さんのさあ、あの態度は、うーん、ちぉおっとさあ、不安にさせるのよね。こら、もうちょっと酒!ダロー、仙波さあーん」「まあまあまあまあ、いーじゃないの、お兄さん、そこはそれ、な、だからあ」とフィクサー仙波選手も対応に苦慮するのでした。

 わたしをそれを聞きながら、ラフティをついばみ泡盛をぐびくび飲むのでありました。しかし、にわかに吐き気がし、かなりひどい体内状況になりました。「うちな~家」における臓器動転現象は10月にも発生しましたので、どうも、ブタ泡盛交互摂取はわたしの体内システムに適合しないのではないかと考えています。今後の沖縄料理宴会では、ブタ食べるならアワモリ飲まず、アワモリ飲むならブタ食べず、というブタアワモリ二者択一方式を取らざるを得ない。ともあれ、この日も仙波宴会朝四時の法則がしっかりと貫かれたのでした。

 

■11月26日(水)AFOリハーサル/国際交流フォーラム

 強弱間欠的ガンガン頭痛と下痢状態のまま、本村さんの車でフォーラムへ。それにしても本村さんはタフであります。昨夜、あれほど飲んでカラミメトロン星人と相対し、よれよれになって帰宅し、そんなに寝なかったであろうに、けっこうすっきりした顔でした。

 もちよった曲はほとんどさらったので、リハーサルは早めに終了しました。主要メンバーが、おぼろげに立ち上がってきた今度のAFO曲の雰囲気を把握できたのでリハーサルの意義は大きかったと思います。

 リハーサルから戻ったあと、3Dの磯野義幸さんからの紹介のミュージックランド関谷さんから「東京においでになっているなら是非に」といわれていたレコーディングに出かけました。場所は日本テレビにあるサウンド・インスタジオ。なにを録音したのかというと、「極道の妻たち~決着編」という映画の一部に使われる音楽です。音楽担当の栗山和樹さんから上京前に譜面はもらっていたのですが、スタジオで実際録音したのはまったく別の、いわば雰囲気モノ。トミーズ雅扮する一匹狼の殺し屋が現れる場面でバーンスリーの音がほわーんと響く、という趣向です。殺し屋のテーマですね。録音に要した時間は1時間弱でしたが、収録時間はトータルでも2分ほど。ギャラは10万円なので、1分5万円、時間給にするとなんと300万円。こんな仕事が毎日あったら億万長者であります。でも、年に一度ではね。

 神戸出身の栗山和樹さんは若手の作曲家で映画全体の音楽を担当しています。プロデューサーは東映音楽出版のおくがいち明さん。結構なお年のように見えましたが馬力満点という人でした。1月にこの映画が神戸にきたとき一人で見に行ってきました。映画そのものは、話の筋がわかりにくくほとんど感動はしなかったものの、たしかにトミーズ雅が出てくるときに怪しげな笛の音が鳴っていました。栗山さんのなかで、どうして殺し屋とわたしのバーンスリーが結びついたのか。ともあれ、わたしの映画音楽初体験はこのようにして終了したのでありました。「終わったらケータイに電話して」といっていた本村さんとはまったく連絡が取れず、結局その日はホテルに戻ってすぐ寝ました。

 

11月27日(木)/「アジアの音楽シリーズ」レクチャーワークショップ97/ジーベック/ヒンドゥスターニー音楽鑑賞講座/第3回・・・デモンストレーション1/タブラー/ゲスト:クル・ブーシャン・バルガヴァ

 このレクチャーのためにほぼ1月ほどかけてタブラーのことを調べて勉強になりました。タブラー流派系統図も初めて作ってみました。かなり長い記事をホームページに掲載していますので、興味がおありの方は是非のぞいてみて下さい。バーンスリーも当然そうですが、一般に旋律奏者は打楽器奏者が何をやっているのかあまり関心がありません。コンサートで、わたしが主に聴いているのはやはり主奏者の曲の流れです。逆にタブラー奏者は一般にタブラーしか聞いていない。われわれ旋律奏者には、打楽器奏者が異星人に思えることがあります。今回のレクチャーのおかげで、それまであまり関心のなかったタブラーのことがある程度分かるようになりました。

 

■11月28日(金)/「アジアの音楽シリーズ」レクチャーワークショップ97/ジーベック/ヒンドゥスターニー音楽鑑賞講座/第4回・・・デモンストレーション2/シタール+タブラー/ゲスト:アミット・ロイ(シタール)、クル・ブーシャン・バルガヴァ(タブラー)/ピッツバーグ在住医師、新井ドクトル宿泊/29日(土)/まとめと茶話会

 最終回は、ほとんどわたしのディスクジョッキーという感じでした。参加者の中にかなりインド音楽の事情に詳しい大柄な女性がいました。わたしと同じように、バナーラスに長くいて音楽を習った野中晃子さんでした。意外といはるんよね、こういう人が。

 

■12月7日(日)/アジアの音楽シリーズ第16回「即興の芸術」3/ジーベックホール/出演者/アミット・ロイ:シタール、クル・ブーシャン・バルガヴァ:タブラー、藤井千尋:ハールモーニアム、カミニ+田中理子:タンブーラー/ジーベックレーベルのためのレコーディング

 久しぶりのアジアの音楽シリーズでした。本格的なインド人タブラー奏者、クル・ブーシャン・バルガヴァが明石に定住したこともあり、アミットのきちんとしたコンサートと、ついでに98年に予定されるジーベックCDのための録音をやってしまおうということで企画されました。アミットやブーシャンのように、他の優秀なインド人演奏家もこうして日本人女性と結婚してどんどん日本に定住してもらいたいものです。まったく、日本の女性はえらい。

 このときのアミットの演奏は気合いが入っていました。ラーガはラーゲーシュリー。美しいラーガです。しかし、あまりに気合い込めたためか、弦を押さえる指が痛くなり、コンサート直後の録音はもう一つでした。指痛だけではなく、選んだラーガのせいもあったのかもしれません。インド古典音楽のラーガの中でもかなり重厚なダルバーリー・カーンナラーだったのです。このラーガ、友人のサーランギー奏者ドゥルバ・ゴーシュはこんな風にいっていました。「これは皇帝のラーガ。王冠をつけた皇帝は、じゃらじゃらと宝飾類のついた長いローブを身につけているので軽快に歩くことができない。どうしてもゆっくりでかつ重々しい。ときどき立ち止まり居並ぶ家臣たちに威厳も見せなければならない。そうした雰囲気を表現するわけだ。なかなか難しいよね」。アミット自身も不満だったので録音は改めて1月に取り直すことにしました。

 聴衆は、いつものアジアの音楽シリーズに比べて少なめでした。配偶者藤井千尋さんのハールモーニアム伴奏で披露したブーシャンのタブラーソロは素晴らしかった。彼らにはマイチャンというかわいい娘がいます。この夫婦が演奏するときはマイチャンのお守り役が必要で、この日は林百合子さんが「ちゃんと演奏聞かれへんかった」と不満を申し述べつつ粛々とお守りをしていたのでありました。

 

■12月11日(木)キムチ着け

 配偶者の神戸外大の同級生、李容玲さんにちゃんとしたキムチのレシピをもらったため、これまで試行錯誤してきた我が家のキムチは一気に品質が向上しました。十分に市場に耐えうるものです。おのれの運命に納得した白菜が次第にキムチに成り変わっていく様子を透明なタッパーウェアーの上から眺める喜びは格別のものであります。あまりにうまくできたので、キムチ壺の制作者、小鹿田の坂本茂木さんに送ったり、近所の知り合いに食べてもらいました。レシピ提供者の李さんは「すごおい。ばっちりですね」という評価でした。この冬はずっとキムチを欠かすことはありませんでした。レシピは、ホームページに公開しています。

 

■12月13日(土)/インド上昇気流/クレオ北大阪/カミニ、杉本伸夫:シタールデュオ、田中理子:タブラー、寺原太郎:バーンスリー、佐野敏幸:タンブーラー、アミット・ロイ:シタール、クル・ブーシャン・バルガヴァ:タブラー

 ジーベックのアミット公演から1週間後の大阪で続けてインド音楽公演が計画されたので、主催者である寺原太郎君と林百合子さんが「どうなるんかね」といっていましたが、400人は入る会場は大入り満員でした。出演関係者の家族も含め、まさに老若男女、暖かい聴衆でありました。これはなんといっても、出演者でもあるアミットの弟子たちの宣伝活動のたまものです。太郎君たちの意気込みと頑張りを見ていると、関西で誰もインド音楽なんか知らないころに、しこしこと演奏会を作っていたときのことが思い出されます。あのころは、チラシを抱えて町中歩き回ったものでした。公演の成功は、内容もさることながらやはり主催者の意気込みが最も重要です。

「上昇気流」とあるように、インド音楽演奏発展途上者であるアミット・ロイの弟子たちの発表会に、先生のアミットも加わるという形のコンサートでした。日本に定住して数年になるアミット・ロイの影響は少しずつ浸透してきています。演奏だけで食えるという状態ではまだありませんが、彼に習う人たちも増えてきています。今では、本拠の名古屋だけではなく、大阪、東京でも教えるようになっています。

 舞台上で静かな火花を散らすカミニと杉本君のデュオは、スリリングでした。技術的に未完成の部分はあれ、同じ先生に習ってもストロークや歌い方の違いが出てくるものです。太郎君のバーンスリーもなかなかでした。これまで彼の古典をまともに聞いたことがなかったのですが、アミットというよいガイド役のおかげで構成もしっかりしていました。タブラーとの合奏部分の構成にいまだに混乱しているわたしにとっては、うらやましい気持ちもあります。「今住んでいるマンションで練習していたら周りから圧力を受けるので、車のなかで練習してるんですよ」という太郎君の頑張りにはわたしも勇気づけられます。

 次の日名古屋でレッスンのあるアミットは、配偶者の裕美さん、娘のサラ、山本オジサン、弟子の本多恵幸さん(お坊さんです)、同じく弟子の茶髪パチンコ台製作アルバイト業志水かおりさんと公演の後すぐ名古屋に帰りました。

 その日は会場近くの洋風食堂で打ち上げの後、佐野君とともに太郎君宅に宿泊でした。

 

■12月28日(日)/忘年会/宝地院、神戸

 今年は参加者を大幅に拡大したため、例年よりも焦点が曖昧な忘年会でした。多数の人間の参加する宴会は、滅多にあわない多くの人たちと話をするチャンスではあるものの、あまりに多すぎて密度の濃い会話ができない欠点があります。知り合いは多いのに、妙に孤独感を感じた忘年会でした。それと、あまりのれなかった原因は、1週間ほど前、上の糸切り歯が折れてしまい、まともに咀嚼できないこともありました。中川浩安住職の恒例のジャンガラ節あり、ちゃんとしたクラシック歌手や喉に自慢のある人たちの歌あり踊りありでにぎやかではありましたが。中西勝さんは相変わらずぶっ飛んでいました。本当にお元気な人です。

 

■12月31日(水)~1月2日/西明石のお正月

 配偶者の実家での恒例のお正月でした。1日は義弟の駒井家も揃って新年の焼き肉パーティー。ジーベックでのワークショプ用に購入したMDに、そのときの会話を録音しました。10年後に聞いたら面白いかもしれません。

 

■1月5日(月)/歯医者

 歯は一本でも欠けると実に憂鬱なものです。12月のある日、固い干物を何気なく噛んだらガリッと音がして痛みを感じました。骨がはさまったかなと思って指を差し入れると、差し歯にしていた糸切り歯が途中から折れてぐらぐらしていました。あわてて近所の森寺歯科にいって見てもらいました。歯医者なんてなるんじゃなかった、とおのれの選択を後悔しているような顔の森寺医師が「困ったね。お宅は注射がいやだというし。どこで折れたかによって結構やっかいな治療にもなりますよ。深いところではなければいいですけどね。どっちにしても今年は無理ですから来月5日にきて下さい」という。

 そこで、正月明けの5日に診てもらいました。幸い浅いところで折れたようで、もうその日に型をとり、二、三日うちには治療が完了する予定でした。ところが、その二、三日うち後に再び行くと、「こちらの間違いで、作った差し歯の色が違った。作り直すので14日にきて下さい。今日の治療費は要りません」という。15日からムンバイに行くことになっていたので結局ぎりぎりで間に合いましたが、実に憂鬱な1ヶ月でありました。

 

■1月8日(木)/狩野泰一氏来宅

 狩野さんは佐渡の「鼓童」のメンバーだった人です。耳を痛めてしまったこともあり去年、退団し独立しました。奥さんの実家が西宮にあり、たまたまこちらにきているので、と我が家を訪れました。話しているとなかなかに忙しい人です。音楽家として独立し自力でやっていく困難さはいずこも同じですね。もちろん、絶対的基本的暇状況であるわたしとはレベルは違いますけど。「ヨーロッパでレコーディングの話しもあり・・・」「はあ、ふんふん・・」「最近では篠笛でジャズなんかも・・・」「はあ、なるほど」「尺八とか三味線なんかもずっとやってきたので」「へええ、すごい」などという会話が続いたのでありました。

 

■1月11日(日)/かもねぎ麻雀/三宮平和荘

「かもねぎ会」というのは、わりと年輩の人たちが中心の神戸の麻雀サークルです。わたしは所属はしていませんが知り合いも何人かいて楽しい集まりのようです。今回は、画家の中西勝さんに「中川君あいてへんか。メンバーの穴空いてもてな、きてくれへんか」という緊急勧誘で参加しました。結果はちょっとプラス。50人中10位くらいでした。

 

■1月15日(木)~23日(金)/ムンバイAFO事前打ち合わせ/同行者/仙波清彦、久米大作、島田靖也、山内明/滞在/Sun-n-Sand Hotel, Juhu

 

 AFOに参加するインド人ミュージシャンのナヤン、ドゥルバのゴーシュ兄弟、そして新たに参加することになったタブラーのアニーシュ・プラダーンと演奏曲目を具体化するための話し合いのために、ムンバイに1週間行って来ました。また、久米さんが書き下ろしたオープニング曲「My People」(この段階ではまだタイトルがなく単にM-1と呼ばれていた)のイントロで流れる子供たちの歌声も録音してきました。と、いちおう所期の目的は果たして帰国しましたが、予測のつかない事態というものは常に訪れるものです。

 当初は、久米さんが16日、仙波さんが19日にムンバイ到着、20日に久米さん、22日にわたしと仙波さんが帰国、というあわただしいスケジュールでした。したがって、本来ならわたしの着いた翌日の16日に久米さんが合流し、さまざまな作業を開始することになっていました。以下は簡単な行動報告です。

 

 16日・・・朝、「久米さんのマニラからのフライトが1日遅れる、到着は未定」というファックスが東京の彼の事務所から届きました。その日の仕事は久米さんを空港に迎えに行くことだけでしたので、急に何もすることがなくなりました。

 とりあえず、まず午前中にナヤンに会いました。ナヤンは、子供たちの録音は18日で大丈夫だといっていました。しかし、肝心の久米さんの到着が判明しないのでとりあえずできるかぎりの準備だけはしておこうということにしました。その日のナヤンは「血圧がムッチャ高くて」とやつれた顔でした。

 さらにドゥルバがホテルまでやってきて、うまあーい魚カレーのランチどうだ、というので彼の家に行き、ベルギー人の奥さんロザリン、その連れ娘のサマエ、ドゥルバの友人のロック歌手ウダイ・ベネガル青年と一緒にジョークまみれのランチをごちそうになりました。

 ホテルに戻り、今度は、山形の白鷹音楽祭出演候補のガザル歌手チャヤ・ガングリー(結局キャンセルになった)をともなってやってきたアニーシュに会うなど、なかなかに忙しい日になったのでありました。

 ホテルには国際交流基金からも電話が入り、久米さんの到着が未定とのこと。晩は、おみやげチキンラーメン持参でサンタクルスの佐々木則夫さん宅で夕食。日本人保育所の保母さんになっためぐみさんや渡辺さんらとおしゃべり。アヤチチャン、ユミチャン、ナオチャン、マコトの佐々木家ご子息ご息女たちもびっくりするほど成長して元気いっぱい。メニューはモヤシ炒めトマト添え、薄揚げあんかけ千切り大根あえ、茄子の味噌いため。

 

 17日・・・ナヤンの自宅ランチに招かれました。魚カレーの予定だったが魚を買う時間がなかったのでと、ダール、チャナ豆の煮物、三度豆のカレー、アルーゴービー、ライタ、ローティ、ご飯という菜食ランチ。みなシンプルな味でおいしかった。夕方はドゥルバが自作の候補曲数曲持参で訪ねてきたのでそれらを五線譜に直す作業をしたあと、ドゥルバの運転する車で、基金の島田靖也さんと機材担当スタッフの山内さんが到着予定の空港へ行きました。彼らは予定通り到着したものの、久米さんが別のフライトでこの日に着く可能性もあったので、バンコクからの便をチェックしたものの不明。久米到着なし、という結論で全員ホテルに入って三人でビールを飲んでいると、「いやあ、まいったよ、空港からタクシーでなんとかここに着いて今チェックインしたのよね。ディープだよね、やっぱりインドは。はははははは」と本人が現れたのでした。

 彼は、島田、山内さんと同じキャセイに乗っていたのです。

 

 18日・・・ナヤンが頑張って仮予約してくれていた近所のビデオ・ヴィジョン・スタジオで、子供たちの歌を録音する事ができました。子供たちは、ナヤンの学校の生徒で11人。ホテル周辺の物乞いの子供たちと違い、こぎれいな服を着た山の手少年少女という感じでした。親たちも一緒にきていて、心配そうにスタジオの外で待っていました。薄汚れて狭いスタジオでしたが、山内さんの機材チェックとナヤンの超真面目な指導で、久米さんのイメージした音がとれました。これで今回の大きな目的の一つはクリアーしました。

 録音の後、久米さんとドゥルバ宅で打ち合わせを兼ねたディナーにアニーシュの車で行きました。ホテルに戻ると、到着したばかりの仙波さんが島田さんと食事をしていました。

 

 19日・・・会場下見のためにホテルを移動する島田、山内の車に乗せてもらって、先生のハリジー宅へ行きました。ハリジーは、バンガロールから到着したばかりでしたが、夕方のフライトで今度はカトマンドゥーへ飛ぶ、という超多忙ぶり。そのハリジーと一緒にバンドラのレッスン場へいき久しぶりのレッスン。ラケーシュ、イティアン、フランソワ、ドイツ人のラジネーシ名シャンタムことロルフ、のり、スミタ、ラケーシュ、インド人男2名、タブラーのピーターなど、みなと久しぶりに会いました。

 ホテルに戻ると、仙波さんがアニーシュとパーカッションだけの曲「オレカマ」の打ち合わせ、久米さんがナヤンの学校で打ち合わせ、とそれぞれ作業が進行中でした。ナヤンから「遅くなるが今夜はうちでディナーはどうか」と招待を受け、仙波さん、久米さんとで出かけました。ポンフレのフライ、特製ライタ、ダール、マッタル・パニール(ドライ)、ブドウ+リンゴにアイスクリームをのせたデザート、のメニュー。南インド出身のナヤンの奥さん、ジョーティの自慢料理です。うまかったなあ。腰を痛めて療養中の妹トゥリカーにも会いました。

 

 20日・・・曲の打ち合わせがほぼ終わり時間ができたので、3人でアニーシュが出演するというネルーセンターのコンサートを見に行きました。演奏者は、二人ともわたしの知人のアメリカ人、スティーブ・ゴーン(バーンスリー)とデヴィッド・トラソフ(サロード)でした。スティーブの演奏にインド人聴衆も喝采を送っていました。オペロイ宿泊中の島田、山内さんも見えていました。会場には知り合いもたくさんきていました。

「うーん、これまでインドのリズムは分かんなかったけど、ターラっつうのも、ちょっおーっと見えてきたな」と仙波さん。コンサートの後、島田、山内、仙波、久米、ナヤン、アロク(ナヤンのアメリカ在住インド人弟子)で近くのレストラン「メーラー」で食事。一人600ルピー(2000円)、けっこう高い。ホテルに戻ったわれわれは、膨大な衣服関係に満ちたトランクに荷物を押し込む久米さんの帰国を見送りました。その後は、例によって仙波宴会朝四時の法則。今回のムンバイにくることになっていたマネージャーの磯野義幸氏がなぜ突然会社を辞めたのか、とか、AFOのコンセプトの難しさなどなどを肴に、インドの代表的ラム酒オールド・モンクをなめつつ夜は静かにふけていくのでありました。

 

 21日・・・私の部屋にきたノリのレッスンを仙波さんが見物。ノリとは、ぷくっと健康的な若い女性古川のりこさん。現在、ムンバイに住みハリジーにバーンスリーを習っているのです。レッスン後、ノリと一緒に両替屋にいき、サンタクルス駅近くのレストランでランチ。ターリーの量がものすごい。夜は、再びドゥルバ宅で招待ディナー。魚カレーとサラダ。

 それにしても、今日はランチだ、じゃあ明日はディナー、てな感じのゴーシュ兄弟の交互接待攻勢は、料理も実においしいのでうれしかった。しかし、決してドゥルバ家食事会にナヤンがこないし、逆にナヤン家食事会にはドゥルバがこない。この状態は打ち合わせでも同じでした。わたしが彼らと知り合った頃はもっと仲がよかった。しかし、彼らの父親であり家庭内の絶対権力者、ニキル・ゴーシュが亡くなってから、家族内がかなりぎくしゃくしてしまったようです。この兄弟の不仲は結局AFOツアーでも尾を引くことになりました。

 

 22日・・・午前中、仙波さんとバーンドラの楽器屋へ行き、注文していたタブラーのプーリー(表面の皮)と締め紐、サンプラー音源の最新式デジタルタンブーラーを購入。ホテルに帰り、「デリー公演で参加することになったので一度連絡を取りたい」と仙波さんがいっていたラター・マンゲーシュカルと電話で話しました。わたしは、最初英語で話したのですが会話がぎこちない。そこでヒンディー語に切り替えると、怒濤のようにしゃべり始めました。声は、歌のようなハイトーンではなく、落ち着いたオバサン声でした。大スターと直接電話で話す興奮の体験でありました。

 夕方、ホテルをチェックアウトし、仙波さんとわたしははドゥルバの見送りでムンバイを後にし、翌日の早朝、無事関西空港に到着して日程を消化しました。

 

 

1月23日(金)/下田雅子生誕40周年+中川博志生誕48周年記念宴会/下田展久邸・神戸/参加者/下田夫妻+娘二姉妹、川崎義博、寺原太郎、中川久代、中川博志

 早朝にムンバイから関空に到着したわたしは、仮眠をちょっと取った後、久代さんと下田邸へと向かったのでありました。ジーベックの下田さんの配偶者雅子様とわたしは期せずして同じ誕生日。そこで、ついでに二人分いっしょに生誕会パーティーをやることになったのでした。下田邸は神戸市といっても西のはずれで、むしろ明石市に近い新興住宅地の巨大なマンションビルにあります。変形の広い居間には無駄なものがなくすっきりしていて気持ちがいい。こじんまりした宴会は暖かく心地良い。

 しかし、ホストの展久殿は鬱々とした表情でした。われわれの誕生日を祝福したくないからではなく、数日前に発生した事故のせいです。女連れの若者が停止した下田車へ追突したのです。「追突した男は、止まったお前が悪い、とむちゃくちゃな理屈で文句をいうし、その男の加入する広島の農協の保険屋は、おたくにも悪い点がある、などと加害者に同調し、処理をむずかるのよ、もう、まいっちゃう」という状況なのでありました。わたしたちが下田家を訪問したときも、展久殿は先方の保険屋と怒りを押し殺しながら応対していたのです。「やっぱり厄年なんすかね。なあーんか、とことんついてないんすよ、去年から」と、まるで笑い話のように連続する不運を嘆く下田さんを肴に、雅子・博志生誕記念宴会は続くのでありました。

 

■1月24日(土)/アミット・ロイ・レコーディング/クル・ブーシャン・バルガヴァ:タブラー、寺原太郎+田中理子:タンブーラー/音響エンジニア/三井康嗣、須山均、追矢史人/イヴニング・ティー・パーティー/カレー

 12月のコンサートのとき、わたしが冗談で「よいインド音楽演奏家はよい料理人でなければならない。アミットもなかなかのモノだ。今度は演奏じゃなくてバッチューの料理でイヴニング・ティー・パーティーをやったら」といったら、下田さんが「あっ、それいいですね、やりましょう」ということになり、アミットはシタールの代わりにタマネギをもち、ブーシャンはタブラーの代わりにお玉を持つことになりました。また、せっかくアミットが名古屋から出てくるのだからと、この料理セッションの前に「アジアの音楽シリーズAPAS」CDのための録音を行いました。12月7日にも彼の録音はやったのでしたが、ノリが今ひとつで本人も気に入っていなかったのでもう一度取りたいといっていたのです。

 録音は、前回のダルバーリー・カーンナラーではなく、同じ深夜のラーガのバーゲーシュリーでした。また、前回はホールでしたが、今回はスタジオを使いました。前よりはずっとよい演奏になったと思います。この録音は、APASレーベルのCDとしてジーベックより、今年の秋に発売になる予定です。アミットのものも含め、これまでのアジアの音楽シリーズコンサートのために来日した演奏家たち、ハリプラサード・チャウラースィヤー、ラシッド・カーン、スルターン・カーンのものが4枚一挙同時にリリースされます。

 バッチューの料理は相当おおざっぱです。スパイス、ん、こんなもんか、と適当につまんでバサッと入れ、タマネギのいたまり具合、ま、こんなもんだろう、てな感じでプロセスも簡略化されます。「これはインド料理ではなく、僕の即興料理なのだあ。オレは演奏家なのだあ。ノープロブレーム」と宣言、しかし最終的な味はなかなかのものでした。スパイスがむちゃくちゃ多かったのでかなり贅沢なカレーとはいえます。ブーシャンも自分の食べるものは自分で料理するというくらい料理にはちょっとしたうるさいのですが、この日は伴奏者としての立場を最後まで維持しました。20人はくる、という下田さんの予測ははずれ10数人になったため、かなりの量のカレーが余りましたので、しばらく我が家のおかずはカレーでした。

 

■1月29日(木)/中国の調べ/ザ・フェニックスホール、大阪・梅田/賈鵬芳:二胡、姜小青:古箏

 ザ・フェニックスホールは、秋にハリジーのコンサートをすることになっているホールです。そのため下見を兼ねて賈(じゃー)さんと姜(じゃん)さんのコンサートを聞きに行きました。賈さんも姜さんもめったに会うことがなく、久しぶりでした。二胡の賈(じゃー)さんとは、昨年のAFOプレ・リハーサルでお会いしていますが、古箏の姜さんとは2年ぶりくらいでした。二人とも素晴らしい演奏家です。まだ20代になる前、来日して間もない姜さんに、神戸と京都で演奏してもらったことがありました。そのころは頬がほんのりと赤らみ、いかにも純朴な少女といった風情でありました。現在はそのころと比べるとずっとスリムで、げらげら笑いながら冗談もいうが落ち着いた美しいレディーになりました。むっつりジョークの賈さんといいコンビです。

 座席は舞台の下手でしたので、演奏中の姜さんのチャイナドレスのスリットがまぶしかった。演目は中国の古典音楽が中心でした。賈さんの、真面目そうな外見だけにすっとぼけると味わいのあるナレーションもよかったし、しっとりとしたよい演奏会でした。うっとりと聞く聴衆をみていると、日本人は中国音楽が好きなんだなあと改めて思いました。

 この日は、同じ二胡を演奏するえまさんと一緒でした。えまさんは、風の楽団などで活躍している慧奏さんの配偶者なのです。えまさんは演奏会などでわたしを見て知っているということでしたけど、わたしは彼女にきちんと会うのは初めてでした。

 公演の後、ホールのある超高層の同和火災ビル最上階のレストランでの打ち上げにくっついていき、その場豆腐(豆乳とにがりが出てきてその場で作った豆腐を食べる)などを大阪の夜景を見ながらごちそうになっちゃいました。ホールの大矢支配人、酒井さん、企画制作のアリオン音楽財団の秋田さん、賈さん、姜さん、えまさん、そしてわたしというメンバー。元読売テレビのプロデューサーである支配人は、なかなか押し出しが強いというか話の好きな人で、われわれは豆腐をつつきつつひたすら聞き役となりました。ここのおそばはなかなかおいしかった。ゼニを払っていないので分かりませんが、高そうでした。

 

■1月31日(土)/アクト・コウベ総会/杉山スタジオ/出席者/川崎義博、下田展久、杉山知子、森信子、ハコ、小島剛、永山真美、石上和也、東野健一、仲里秀樹、小池照男、中川博志

 ワインとチーズが切れ目なく出されたのでほとんど宴会ミーティングでした。バール・フィリップスやアランなどマルセイユのアクト・コウベ・フランスとどう連動して活動を続けていくかを話し合いました。とりあえずこの7月には、われわれがマルセイユに送った写真、マルセイユから送られてくる1月17日に撮影された写真、作品を展示するということになりました。早いもので、もう震災から3年も立っているのですね。

 

■2月1日(日)/中川宅宴会/土井亮+福原、川崎義博、池田哲朗、今井球+新川/ナムル、トムヤン鍋

 久しぶりに会った土井亮さんを囲んで宴会すべし、という川崎義博選手の発案で宴会を執り行いました。土井亮さんは、同じポートアイランドに住むキーボード奏者。ほっそり京美人タイプの福原さんは土井さんの弟子ということですが、あやしいほど仲がいい。同じ隣組で田崎真珠に勤める今井球さんが同じ職場のお友達、新川さんを連れてきました。彼女とは一度、昨年のアミットのライブのときお会いしています。池田哲朗さんは、この通信でもたびたび登場するようになった住金物産社員。かつてのボンベイ支店長です。新川さんに電子メールソフトをコピーしようとしたら、登録してあったメールアドレスを間違って全部消去してしまい、パニックになりました。どうやっても回復せず、かなりの量の再登録作業を思い呆然となりましたが、一部MOにバックアップしていたのを思いだしほっとしました。なんでもバックアップは取っておくべきであります。配偶者もバックアップをとっておくか、なんていうと配偶者は怒るかな。

 

■2月7日(土)/鉢が峰宴会/カルロス・ゲラ、中村徳子、寺原太郎、林百合子、ヒロコ+ピーター+ラリタ、山中富美子、藤本早苗/サラダ、リゾット、ワイン、キルシュ、手羽先、ケーキ

 カルロスはスペインのバーンスリー第一人者、寺原太郎君は日本のバーンスリー第二人者(だいふたりしゃ)、そしてわたしは日本のバーンスリー第一人者(だいひとりしゃ)であります。もしこの宴会中に爆弾が投げ込まれたら、日本とスペインのバーンスリー界は壊滅状態だ、などと冗談を言いつつ、ヒロコさんとピーターの作るイタリア風料理に舌鼓を打つのでありました。ヒロコさんのお母さんの富美子さんは真っ赤なスーツをきて超元気です。ヒロコさんの妹の早苗さんの特製ケーキはおいしかったですよ。

 

2月13日(金)~3月28日/エイジアン・ファンタジー・オーケストラ(AFO)アジア・ツアー/主催:国際交流基金(アジア・ツアー全体)、Indian Council Cutural Relations(インド公演)、ヴェトナム文化情報省、日本大使館(ハノイ )、フィリピン文化センター(マニラ)、AFO実行委員会(東京)

 ◎日程

 2月14日~25日/リハーサル/国際交流フォーラム、東京・  赤坂

 3月5日、6日/デリー公演/シリフォート・オーディトリア   ム/ニューデリー

 3月11日、12日/ムンバイ公演/タタ・シアター/ムンバイ

 3月18日、19日/ハノイ公演/越・ソ文化宮/ハノイ

 3月25日、26日/マニラ公演/マニラ文化センター/マニラ

 4月7日、8日/東京公演/新宿文化センター/東京

出演者

仙波清彦:Perc.・ミュージシャン団長、梅津和時:sax・副団長、久米大作:key・副団長、三好功郎:gt.、坂井紅介:c.bass、中原信雄:e.bass、新井田耕造:drum、佐藤一憲:perc.、田中顕:perc.、矢野晴子:vn、深見邦代:vn、武内香織:vn、大久保祐子:vn、高橋淑子:viola、森田芳子:viola、立花まゆみ:cello、笠原あやの:cello、賈鵬芳:二胡、張林:楊琴、姜小青:古箏、中川博志:bansuri、ナヤン・ゴーシュ:sitar、ドゥルバ・ゴーシュ:sarangi、アニーシュ・プラダーン:tabla、望月太八郎:笛・尺八、木下伸市:津軽三味線・唄、大工哲弘:島唄・三線、大工苗子:島唄、グレース・ノノ:vo、香西かおり:vo(ハノイ、マニラ、東京)/ゲスト/アーシシ・カーン:sarod(デリー、ムンバイ)、ミー・リン:vo、テ・ダン:dan uhi, kni、タン・タン:dan bau、ホン・プク:dan trung(以上ハノイ)、ジョイ・アヤラ:vo(マニラ)

 

 スタッフ

本村鐐之輔:プロデューサー、小林絵美:アーティストマネージャー、五頭裕美:アーティストマネージャー、山内明:制作監督、小川裕:舞台監督、琴谷中:音響、小野口哲也:音響、植木浩司:音響、尾崎知裕:照明、松井幸子:照明、佐藤正巳:照明、福島勤:機材、丸本修:機材、熊谷太輔:機材、イシャク・サマド:機材、エカリン・ナークュール:機材、波田野充:ツアー・マネージャー、島田靖也:国際交流基金、岸本由紀子:国際交流基金、原貴光:香西かおりマネージャー(ハノイ、マニラ)、田中宏子:香西かおりマネージャー、多田葉子:マネージャー(ハノイ)、ウィリアム・リー:音響(デリー、ムンバイ)

 リハーサルを入れるとほぼ2ヶ月間、このAFOのために家を留守にしました。総勢50人以上のメンバーとはほとんど毎日顔をつきあわせていたので、実にいろいろなことがありました。こまごまとした行動記録を日記で書いていましたが、4万字以上になります。とてもこの限られた通信でご紹介することはできません。そこで、サマーチャール・パトゥル別冊として「エイジアン・ファンタジー・オーケストラ・アジア・ツアー、よれよれ日記風報告」(B4裏表12ページ)を作成しました。ご希望の方に配布したい思います。ほとんどが下らない内容で、世の中には何の役にも立ちそうにないレポートですが、どうしても読んでみたい、そんなに興味ないけど読んでみるのにやぶさかではないという方は、

 心苦しいのですが80円切手はりつけご住所を記入の封筒を送付して下さい。また、同じ報告は、わたしのホームページにも掲載する予定です。アドレスは、http://www2s.biglobe.ne.jp/~tengaku/です。なお、東京公演の模様は、5月20日、21日にNHKBS2の「真夜中の王国」でも紹介されました。

 

4月3日(金)/梅津和時ライブ/エスパス446、大阪

 アジア・ツアーから帰ってすぐに出稼ぎライブを始める梅津さんは、できるだけぼーっとしていたいわたしと違い、エネルギッシュで疲れというものを知らないように見受けられます。ま、わたしもそろそろアジアボー状況(略アボジ)から脱却しつつあったので、バーンスリーをもって彼のソロライブにちょこっと乱入させてもらいました。およそ2時間、唾を飛び散らしつつ全力疾走でサックスを吹きっぱなし、ぐいぐいとお客さんを引っ張っていくのはさすがであります。頭の中にメロディーや技術の引き出しをいっぱい持っている梅津さんは、その引き出しを次から次へと開けてみせるのでありますね。一番前の、唾のかかる近さで聞きましたけど、あの小さめの体とスキンヘッドにどれほどの力が詰まっているのか。ほとんど肉体労働的サックスでありました。それにしても、サキソフォンというのは生音でも音が大きい。マイクなしのライブだったので、一緒に音を出すとバーンスリーはほとんどかくれてしまう。このライブは、昼間はギャラリー、夜になるとバーになってしまうという、こじんまりとした空間で行われました。お客さんも満員で、梅津さんの人気がうかがえます。ハノイまで梅津さんに会いに来た脱サラ清水一郎さんのお世話のライブでありました。

 

■4月4日(土)/天藤建築設計事務所花見/護国神社

 今年の花見はそれほど寒くもなく、雨もなく、確保した場所もよく、これまでで一番よい条件でした。気持ちがふわっと浮き立つ桜満開の下、定番のバーベキューは最高です。護国神社の花見門限が8時だったので、天藤事務所に場所を移して飲みました。建築不況のなか、天藤さんのところは忙しいようです。この花見の時だけお会いする人たちも多い。主に工務店、家具屋、建築家の人たちです。わたしとはまったく畑違いの人々の話を聞くのはなかなか面白いものであります。もっとも、わたしもかつてはこの業界にいたのですが。

 

■4月5日(日)/植松奎二・渡辺信子新宅披露パーティー

 ケイチャンもノブチャンもいわゆる現代美術の作家です。その彼らの新居兼スタジオ完成披露パーティーでした。箕面の閑静な住宅街にある新宅は、ノブチャンの実家の土地に新しく建てられました。開口部の多いコンクリート打ちっ放し3階建ての建物は、周辺の普通の日本家屋に比較すると大胆な外観をしています。道路に面した壁面にかなり大きなガラスがはめ込んであるので屋内が外から丸見えだったり、中空廊下があったり、と開放的な間取りです。設計者の遊びがかなり感じられる建物です。シタールを弾く建築家、ケンさんこと橋本健治さんは、断熱・遮音性能などに多大な課題を残す建物である、と辛口の批評を申し述べておられました。ま、私も同感でありますが、ただ、住居は本人たちが満足していればよいわけで、他人があーだこーだいう筋合いのものではありません。久代さんとわたしの感想は、うらやましいなあ、でも掃除が大変そうだなあ、でした。一番落ち着けるのは1階のお母さんの間でした。その母の間で、ケンさんの配偶者れい子さんを交え、長年短歌をたしなんでおられるノブチャン母の昔話などを聞きました。

 パーティーはたくさんの人たちがきていました。初めてお会いする人たちが多かった。ワインをしこたま飲んで酔っぱらいつつ、チューサンこと榎忠さん、ジロサンこと原田治朗さん、原久子さんらといっしょに帰りました。

 

■4月11日(土)/駒井家宴会

 われわれのかわいい姪、駒井家長女の亜矢子ちゃんが南山大学に入学し名古屋にいってしまいましたので、ちょっとにぎやかさが少なくなりました。

 

■4月19日(日)/桑田氏誕生会/西宮北口

 AFOで一緒だったヨッチャンこと森田芳子さんに誘われ、桑田さんという人の家にお邪魔しました。その日は、面識のない桑田さんの誕生パーティーでした。集まった人たちはほとんどがバロックや中世ルネサンス音楽をやっている人たち。アジアツアーの後だけに、日系東洋人が、高価なワインやチーズやパンをいただきながら「やっぱり古楽器の音はいい。ねえねえ、バッハやってよ」などと会話したり、西洋音楽の演奏に興じる雰囲気にはどこか違和感を感じました。そんな雰囲気の中で、やはり日系東洋人であるわたしが、あやしげインド製電気タンブーラーを流しつつインド音楽を披露するのもかなりへんてこりんな姿ではあります。もっとも、とくに音楽文化において日本的なものを排除することに勤めてきた日系東洋人にとっては、こうした、なんでもあり、が「自然な」姿であるのかもしれませんが。

 

4月24日(金)/ハンドベル公演/恭子さん小豆島より来宅

 恭子さん、とは小豆島に住むわたしの弟、拓治の配偶者です。アイフォニックホールでハンドベルの演奏会があると連絡すると、濃霧の瀬戸内海をわたって一人でやってきました。

 

■4月26日(日)/インド政府観光局シヴァカミ氏とミーティング

 ハリジー日本公演の旅費支援申請中のインド政府観光局東京事務所の新任所長シヴァカミさんに初めてお会いしました。ドラヴィダ系の沈んだ暗褐色の肌をした40前後の彼女は、精力的ながらどことなくサンドペーパーのざらつきを思わせる対応でした。来年定年を迎える20年来の知り合い、北インド出身のラジクマールによれば「彼女はスケジュールド・カーストだったのでなんにも知らないのに所長になったのだ。彼女は南インドのアウトカーストだ」と露骨に嫌っているようでした。彼女は、「文化支援と観光促進とは違うセクションなので、こういう話は文化局にもっていくべきだ」と相手に隙間を与えずテンポよく一方的にしゃべりまくるのでした。

 

■5月1日(金)~3日(日)/スペース<天>お披露目

 

 スペース<天>とは、玉子偏愛主義者にして音楽学、美学、サウンドスケープ学者、ガムラン演奏家である中川真さんが「私費を投じて」設営したスペースです。場所は、ダイオキシンで有名になってしまった大阪府豊能郡の山里。かつて寒天工場であった木造の建物を、新(真)ガムラングループ「マルガ・サリ」の練習場に改装したのです。彼は、今年になって自身が代表であったガムラングループ「ダルマ・ブダヤ」を代表みずから脱退し、これも「私費を投じて」購入した新しいガムランセットを使った新しい演奏グループを立ち上げたのでした。

 建物の内部は、楽器群が置かれたコンクリートたたきの中心部を、1.5mほど板の間が取り囲むガランとしたシンプルなレイアウトです。入り口の角には、寒天製造用の巨大な釜がゴロンと鎮座しています。壁面と屋根との間の風通しの隙間はそのままにしてあるので、夏は快適としても冬は厳しいかもしれません。

 車があればアクセスは問題ありませんが、バスの便が限られているので公共輸送に頼らざるをえない人々にはつらい位置にあります。なにせ、いったんこの場所にたどり着いたら帰ることがままならず、ずっと居続けるしかないのです。こうして、客が気軽に帰れないという、主催者には有利な情況のなか、そのスペースのお披露目兼徹夜演奏会が敢行されたのでありました。

 徹夜演奏会は2日の夜から3日早朝まででした。わたしは、「ヒロシさん、100人分カレーつくろかなと思てるんやけど、監督してくれる。実際の作業はみーんな若いこ(ほとんどが女性)がするからヒロシさんはただ指示するだけでええから」と真さんにいわれて、その前日から泊まり込みました。「買い物も、これこれが必要といってくれたら用意する」ともいっていました。それなのに、前々日には「大鍋貸してくれる、19歳の、ふふふ、ミミチャンが取りに行くから」、そしていざ家を出ようとすると「スパイスを買うてきて」の指令。ぶつぶついいながらも、楽器など重い荷物を抱え北野町まで行ってスパイスを購入し、約束の池田駅で真さんに落ち合うと「かきまぜお玉もない」などというのでありました。さらに現場に到着すると大鍋にかけるかまどの設営から始めなければならないという。「ただ作業員に指令を下すだけでなにもしなくてもよい、ということだったのではないか」と不満を申し述べると「ひひひひひひひ」と不遜な笑いを浮かべて真さんがいう。「こんなもんですよ、たいてい。あきらめて」。たしかに若い女性たちはタマネギ切断作業までは行っていました。しかし、その他の作業を含め、とても「なにもしなくてもよい」体勢とはほど遠い。「こ、これでは、さ、詐欺だあ」と申し述べましたが後の祭り、心憎くないかわゆい若い女性たちとわたしは和気あいあいとチキンカレー製作に専念するのでありました。作業員に若い女性を配したところが真さんの絶妙な作戦。真的酒池肉林勧誘作戦はこれが最初じゃないですけどね。ともあれ、これまで作ったことのない大量のカレーの味はばっちりでした。

スペース<天>オープニング・コンサートプログラム

1.マルガ・サリ(ガムラン)+岡村さゆき、ハリャント:踊り/
 まだ雑ですが、若々しいサウンドでした。とても結成3ヶ月とは思えません。

2.カミニ(シタール)杉本伸夫(シタール)クラット・ヒロコ(タブラー)/シタールデュオ
 よい意味で切磋琢磨する二人の奏者のバトルはなかなか。

3.鈴木昭男(サウンド・パフォーマンス)和田淳子(ダンス)
 常に期待を裏切らない印象的なパフォーマンス。隕石直撃をかろうじて免れた昭男さんはやはり素晴らしい。淳子さんのクネニョロゴースト的ダンスもあやしい雰囲気。

4.ダルマ・ブダヤ
 中核メンバーをごっそりもっていかれたダルマ・ブダヤは、新入生を注入して若返り。音質はおとなしげ。同じ楽器でも奏者が違うと音が違うものです。

5.三宅由紀(龍笛)
 本来なら情けないような龍笛の音が美しい。美しすぎる、という意見も。

6.天波博文
 70年代初期がそのまま現代にやってきたような風貌と音楽。

7.野村誠、林加奈らによるピアニカ合奏団
 わざわざ東京から、このためだけに駆けつけた野村君の雰囲気転換が見事でした。

8.フェリックス・ヘス飛び入りパフォーマンス
 
昭男さんの新宅工事で来日していたオランダ人赤顔フェリックスの数分のパフォーマンス。

9.長野義信(ハンマーダルシマー)+本間秀樹(e.bass)
 わたしは、次の出番だったので聞けなかった。

10.中川博志(バーンスリー)+寺原太郎(バーンスリー)+クラット・ヒロコ(タブラー)
 ほとんど頭朦朧で演奏。聞く方も同じ条件なので気が楽です。終わったのは、午前5時でした。

 

 50名を越える出演者、さらに「とくに宣伝もしていない」にもかかわらず口コミだけで延べ200人以上の人がスペースに集いました。最終バスが出たあたりから、雨が次第に激しさを増し、車で来た人たちも帰るに帰れない状況。遠隔地会場公演観客強制参加の法則。5時に演奏を終えたわたしは、山口から車で走ってきた水谷さんらとおしゃべりしつつ、9時頃家路につきました。ところが、電車に乗ろうとしたら財布をどこかに忘れたことに気づき、同じポートアイランドに住む南野さんに2千円借りてなんとか帰り着きました。40億円ほど入った財布は会場で無事発見され、後に戻りました。ボランティアで、カレーを作り、酒も飲めない長い待ち時間を耐えて演奏もしたのに、財布までなくしてしまったのでは目も当てられません。財布発見の報を聞いてまずは一安心なのでありました。

 

 ■5月5日(火)/神戸外大同窓会宴会/潘愛莉、西岡青年、山口美重、石水佐代子、黒木愛美

  

  ほとんど20代の久代さんの同級生が我が家でカレーパーティー。西岡青年の切なる「もてたい」願望がなぜ叶えられないか、を彼の心理分析を通して考える会のようになってしまいました。人は誰でも愛されたい願望がありますが、他人も同じように愛されたいのだということに気がつけば解決できそうにも思えます。

 ある人が、たとえば「昨日、大阪で友達に会った」というと、たちどころに相手が「わたしも神戸で友達に会った」という。「大阪で友達に会った」とはじめにいう人は、どんな友人なのか、大阪のどこで会ったのか、何杯飲んだのか、というような質問を期待している場合が多いのに、相手は最初の話者のキーワードから触発された自分の体験をすかさず繰り出し、話の土俵を強引に自分の側に引きつける。西岡青年もたぶんにそういう傾向があり、そこらへんにモテナイ原因があるのだという結論になりましたが、こういった傾向はわれわれにもずいぶんあるのですよね。

 

■5月10日(日)/小林愛+西村篤結婚パーティー/アイルモレ・コタ、大阪・北浜

 かつて川崎義博選手の事務所NADIにいた小林愛さんは、現在は音楽療法士として奈良で働くかわいい女性、一方の西村篤君は武庫川女子大の博士課程院生で、大阪・平野の音環境づくりに精を出す好青年。こじんまりとした二人のお披露目パーティーでした。二人とも以前からの知り合いです。川崎選手、当日泡盛など手みやげ持参で沖縄から飛んで帰った武庫川女子大の平松さん、兵庫教育大の長尾さん、阪大の山崎君夫妻+共同新作品ベイピーなど、顔見知りは少なかったが、こじんまりとした気持ちのよい宴会でした。シャンペン、日本酒、コタ特製パーティー食をたらふくいただきました。あいさつを、というのでわたしは短い笛で山形民謡を披露しました。

 

■5月13日(水)/五月の風/トリイホール/共演/慧奏:ピアノ、パーカッション、えま:声+二胡、クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー

 

 このライブは、トリイホールでこの4月から始まった「楽音Live」シリーズの一つです。「風の楽団」の中心メンバー慧奏さんが事務局を運営しています。有料入場者が13人と少なく公演としては赤字でした。赤字というのはわれわれビンボーミュージシャンとしてはつらいものがあります。ここのシステムは、演奏者が主催するという形をとっているため、われわれが赤字になることもあるのです。ミナミの歓楽街のど真ん中にある会場は100人ほど入れるコンパクトでよい空間です。「楽音Live」のラインナップは、邦楽や民族音楽系フュージョンが中心。

 今回のライブはわたしが主役で、前半が、慧奏さんのピアノと慧奏配偶者えまの二胡と声で「五木の子守歌」、そしてドゥルバ・ゴーシュの作曲した「Ray of Hope」、後半がインド古典音楽という組み合わせでやりました。音響のバランスが非常によく、久しぶりによい音で演奏が出来ました。使う予定だったインド製電気タンブーラーのリモコンを忘れてしまいどうしようかと思いましたが、太郎がタンブーラーを持ってきてくれたので大助かり。インド製電気タンブーラーは、リモコンでしか動かないのです。音はサンプリングなので実際の楽器に非常に近いので最近重宝しています。

 インド古典音楽の1曲が予想よりもあまりに長いのでショックだったという感想を書いた初めてのお客さんがいたそうです。細切れの転換の速い音楽になれている人には、古典音楽はたしかに長いかもしれません。

 

■5月17日(日)/あしゅんライブ/クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー

「あしゅん」でのライブは、店の大きさも関係しますが、客数人というのが普通です。もっとも、10人も入ればいっぱいになるわけで仕方がありません。ただ、インド音楽を聞きたいという目的のはっきりした熱心な客ばかりなので、気軽であると同時に緊張感もあります。この日は、かねてから演奏したいと思っていた難曲、ラーガ・ダルバーリー・カーンナラーを演奏しました。シタールを弾く建築家の橋本健治さんも見えました。つい最近、その橋本さんの配偶者の彼末れい子さんの詩集『指さす人』が壷井繁治賞を受賞しましたが、そのなかの一編を紹介します。詩というものも、なかなかよいですよ。

 はじめ
世界のすべてのものは
暗い意識の地平に伏せて眠っていた
まだうっすら
白いもやのかかっている
目覚めたばかりの朝
幼いわたしに
指さす人よ
遠い記憶のなかで
あれは霧 これは湯気
こっちが煙
けむたいねえ
やさしい人の指にさされて
はじめて世界のかけらはひとつずつ
姿をあらわした
名前を呼ばれた子供のように
パッと輝く瞳をあげて
砂をはらって立ち上がった
人にさされるときにはいつでも
夜明けを破ってはじけて跳んだ
言葉の種子
もうことばも弾力を失い
世界も光らない
おとなになるということは
意識の薄い膜の上にのり
ことばにうもれて暮らすことだった
そんなときにも
指さす人がいる
海辺の宿の空に出た星をさす人
あれがアルクツールス 麦星
その日から
その星をわたしの夜にともして
去った人よ

■5月30日(土)/インドの竹笛~バーンスリーのしらべ/法然院、京都/カルロス・ゲラ : バーンスリー、クラット・ヒロコ : タブラー、中村徳子:タンブーラー、中川博志:バーンスリー、南沢靖浩:音響

 スペインのバーンスリーの第一人者、カルロス・ゲラと、わたし以外にもおおやけで演奏する人間が出現し(かつてわたしが教えた寺原太郎君のこと)、今や第一人者(だいひとりしゃ)なのだと大きな声ではいえなくなってしまったわたしの笛だけのコンサートでした。「天空オーケストラ」のシタール奏者として活躍する南沢靖浩さんが自前の機材をもちこみ音響を担当しました。現在わたしにバーンスリーを習っている奈良先端技術大学院生奥野稔殿下にも手伝ってもらいました。

 インド音楽に理解のある梶田住職の快い承諾で法然院の本堂を使わせていただきました。カルロスがラーガ・ミヤーン・キ・トーディー、わたしがラーガ・キルヴァーニーと、それぞれたっぷりと古典を演奏した後、最後に二人で軽めのトゥムリースタイルの曲をやりました。インド音楽というとたちどころにシタールを思い浮かべる人が圧倒的な日本の聴衆に、バーンスリーもあるのだ、とアピールする意味でも意義のあるコンサートだったと思います。カルロスと徳子さんが宣伝に頑張ったので、本堂は100人を超える聴衆でいっぱいでした。欧米人も多く、京都ならではの雰囲気でした。

 終演後、梶田住職も加わり近くの北白川通のバーでピザとワインの打ち上げ。そのままわたしはカルロスの家に宿泊でした。カルロスと徳子さんは、京都市内から大原へ向かう山間の八瀬に住んでいます。「ハイテクの会社を作ったのだ」といってピッツバーグからやってきたわたしの大学時代の同級生、ドクトル新井こと新井義郎独身医師、カルロスたちの知り合いの福谷ジュンコさん、コンビニバイト村田青年、埼玉在住のカルロス弟子青年も一緒でした。かつて下宿屋だったという彼らの家は、今は使われなくなった部屋がたくさんあり、何人でも泊まれるのです。正面には比叡山が間近にせり上がり、緑一色の素晴らしい環境です。

 翌日、カルロス特製のパエリアで遅いランチをとったわたしとドクトルは、叡電→京阪と乗り継ぎ日本橋でんでんタウンで買い物をし、よれよれ疲れをひきづりつつ三宮の交通センタービルの「燦」でコース4,500円のディナーを食べ(ドクトルのおごり)、ふー、疲れた、疲れたと中年的感想をつぶやきつつその日を終えたのでありました。久代さんは前日から雑誌の取材で利賀村へ出かけていて留守でした。

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◎これからのできごと◎
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■6月22日(月)19:30~/「シュキャムニ~乳を飲んだ男~」/トリイホール/七聲会:声明、クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、池上良慶:お話、中川博志:バーンスリー

 久しぶり七聲会の登場です。今回のライブは、声明の他に、七聲会の池上良賢さんのお兄さんの良慶氏が独特の話法でシャカ一代記をつづるという趣向です。七聲会は、浄土宗のお坊さん声明バンドですが、それぞれが多忙なのでめったにライブのチャンスがありません。しかし、この秋には独演会をやるのだ、と決意表明していたので楽しみです。ともあれ、このトリイホールのものもめったに見られないライブになりますので、興味のある方は是非おいで下さい。

 

■7月15日(水)/吉野弘志・中川博志ライブ/レッド・ライオン(06-303-9236)、十三・大阪/吉野弘志:コントラバス、クラット・ヒロコ:タブラー、中川博志

 

「7月にいずみホールのコンサートがあり大阪に行くので、そのあたりでついでになんかやりませんか」という吉野さんのお誘いでライブをやることになりました。吉野さんは、95年のAFOで一緒だった日本有数のベース奏者です。どんなライブになるのか、まだ曲も構成も考えていません。即興を中心とした気楽な雰囲気になると思います。

 

■8月8日(土)/「神戸からの祈り~満月祭コンサート」

神戸メリケンパーク野外特設ステージ/主催:神戸からの祈り実行委員会(0797-34-7757)/鎌田東二:法螺貝、石笛、喜納昌吉&チャンプルーズ、ダヤ・トミコ:インド舞踊、都倉雅代、竹之内淳:舞踏、佐々木千賀:声楽&林昌彦:ピアノ、津村喬:気功、アシリ・レラとこどもたち:アイヌ舞踊、兵庫商校龍獅團:中国獅子舞、阿波踊り他

 神道学者の鎌田東二さんと喜納昌吉さんが震災にちなんだ祈りの祭典を開こうと企画されたコンサートです。詳しいプログラムはまだ決定していませんが、同様の音楽祭は10月に東京でも企画されています。すでに事務局もでき公演成功に向けて動きが始まっています。ただ、大規模な割に管理運営がちょっとあいまいで、じゃっかん不安な面もなくはありません。

 

■9月17日~10月4日/ハリプラサード・チャウラースィヤー韓国・日本公演98/企画制作・演奏

 

 5年ぶりにわたしの先生、ハリジーが日本にやってきます。「東京の夏音楽祭93」のハリジー公演を主催したアリオン音楽財団と天楽企画との共同企画制作です。今回は、若手美人タブラー奏者として現在最も注目を浴びているアヌラーダー・パールがハリジーに同行することになりました。
 公演日程などについては、ここをクリックして参照して下さい。

 ■10月5日(月)/山田セツ子舞踏公演/奈良・明日香村石舞台/音楽:慧奏+中川博志/問い合わせ:ヴィレッジ(06-377-5450)

 

■10月27日(火)/トリイホールライブ/共演者:クラット・ヒロコ他

 

■10月29日(木)/神戸国際大学付属高校芸術鑑賞会/明石市民会館/アミット・ロイ:シタール、クル・ブーシャン・バルガヴァ:タブラー、中川博志:バーンスリー他

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◎最近書いた原稿◎
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 以下は、友人の長尾さんから「民族音楽的見地から、さらにインドの音風景をふまえて、堅苦しい音楽学の連中に、新風を吹き込みたく存じますので、ここに日本音楽学会関西支部通信という真にマイナーなミニコミ紙ではございますが、ご執筆の労を恐縮ながらお願いできないかと、頭を本当に低くしてお願い致したいと存じます」などという平身低頭メールを受け取り、いやといえないわたしがタダで書いた原稿です。アジアツアーでハノイに行ったときに感じたことをグチャグチャと書き散らしたものであります。下記のタイトルをクリックして下さい。

--「増幅拡声装置のついた一弦琴」--
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◎お知らせ◎
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 近日中に、わたしのソロCDを自費でリリースする予定です。100枚限定です。ご希望があれば郵送します。枚2,500円+〒190円の喜捨。内容は、昨年、カルカッタのスタジオで録音したものです。タンモーイ・ボースにタブラーを伴奏してもらった古典音楽、即興にオリジナル曲に慧奏さんのスタジオで他の楽器を重ねたもの、全体で約70分あります。