「サマーチャール・パトゥル」25号1999年7月13日

 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

 NATOのばかすか誤爆だらけユーゴ空爆が終わり、カシミールあたりではともに核弾頭つきミサイルをもつ印パが小競り合いを続け、日本の経済情勢の将来も不透明、震災以降超ビンボーになったはずの神戸市が住民投票なんかてんで気にしないで空港を作ろうとしているなか、ワイドショーなどで、阪神大活躍の夫を尻目にサッチーがどうの、相変わらずばかげた話題に終始しているという状況は、なかなかにノーテンキでヘーワなのでありましょうね。でも、どうみても頼りなく情けない感じのオブチソーリをはじめとした為政者たちは、「地理的概念ではない周辺事態」などという訳の分からない言葉を盛り込んで「戦争は金輪際しない」という憲法を骨抜きにし、「これからはおおっぴらに盗聴だってするもんね」「君が代は国歌なの、日の丸は国旗なの」などと、けっこうしぶとくじわじわと、かつて進んだ道へ向かっているような気がします。景気回復の手っ取り早い方法は、人口削減と短期間大量消費を兼ねた戦争が一番でありますが、そっちの方に流れないようにわれわれは注視すべきでありますね。

 ところで今年、神戸市議会選挙がありました。空港反対住民投票条例が昨年あれほど盛り上がったのに、賛成派議員が相変わらず選出されるというのは、どうしたわけか。不思議です。

 

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◎これまでのできごと◎
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■1998年12月27日(日)/宝地院忘年会

 恒例の「宝地院大学」の忘年会。本堂地下での宴会前ライブでは、今年はわたしも演奏しました。他に、メキシコ音楽、シャンソン、竹博士による講演などがありました。そして今回も例によって、中川浩安和尚の「ジャンガラ節」を聞きました。しかし、このときが聞き納めになってしまいました。というのは、この5月4日0:56AM、和尚さんは食道ガンのためにお亡くなりになったからです。和尚さんは「宝地院大学忘年会は今後も続けるべし」と遺言されたそうなので、忘年会は今年も開催されることと思います。和尚さんのことについては後述。

 

■12月28日(月)/「フォーラム天」ミーティング

「スペース天をマルガ・サリの練習場としてだけでなく、もっと幅広く使ってもらうためにフォーラム天という運営組織を作ろうと思うねん。ヒロシさんもメンバーになってよ。で、その打ち合わせにそっちにいきたいんだけど」ということで、真さんが我が家を訪れました。スペース天とは、彼のポケットマネーで作ったガムラン練習場のことです。

「打ち合わせ、ということであれば、少人数のほうが」と申し述べたにもかかわらず、例によって彼は若いオナゴを3人もひきつれてきました。当然ながら、肝心の打ち合わせはほとんどすっ飛び、宴会とあいなりました。

 丹後の鈴木昭男さんから「お二人で食べてね」送られてきたコッペ(カニ)や、鶴岡で蕎麦屋をやっている友人、漆山さんからこの日に届いた新そばもあったので、真さんたちは絶妙のタイミングで我が家を訪れたことになります。

 十津川盆踊りで一緒だったプスパは、普段はアハハハハ女の子なのですが、専門であるオーボエを吹くとにわかにプロっぽい。マルガ・サリのメンバーの加藤ゆうこ、アスカも元気がよかった。バーンスリーを習いにきている奈良先端科学大学院学生の奥野くんは圧倒されていました。

 

■1月4日(月)/中西勝宅麻雀大会

 久しぶりの参加でした。結果は、泣かず飛ばず。

 この麻雀大会のレギュラーメンバー、中川浩安和尚は大会後の宴会で「食道ガンやねん。胃とってもて食道と十二指腸が直結やから、これまでもあんまり食われへんかったけど、いよいよあんまり固形物はだめやなあ。まあ、ガンいうても、年寄りやから進行は遅いやろけどな」といっていました。けれどこれが和尚にお会いした最後となってしまいました。

 

■1月7日(木)~26日(火)/フランス、スイス旅行/同行者:下田展久、東野健一、岩淵拓郎、角正之、川崎義博、石上和也、小島剛、中川博志

 この旅行は、震災後にできたアクト・コウベという日仏の交流組織の活動のためでした。毎日、日記を書いていましたので、ここで書こうとするととても紙面が足りません。とりあえず、『神戸から』という雑誌に掲載するために書いた「まじめ」なものを、報告として書き出しておきます。
震災から国際的芸術交流運動へ、アクト・コウベ」へ

 

■1月29日(金)/中川家宴会/川辺龍太郎、川辺由香、渡部睦子、川瀬陽子、南野佳英

 ポートアイランドに住む元京都芸大生かつ元インド留学生の南野佳英さんが「ヒロシさんちに遊びに行きたい」ということで、お友達もひきつれてやってきました。みんな20代の若者たちであります。ウィーンにしばらくいたという川辺由香さんは、鈴木昭男さんの「日向ぼっこの空間」のお手伝いをしていた元気のいい女の子、川辺龍太郎さんは彼女の弟でコンピュータプログラマー。渡部睦子さんは、オランダでファッション関係の仕事をしています。日本画の川瀬陽子さんは、石踊紘一さんの知り合い。

 現在、就職浪人中の南野佳英さんは、ベンガルの擦弦楽器エスラージを始めたのよ、で、ヒロシさんのタンブーラーマシン貸して、とマシンをもっていきました。本気で練習しているのかな。4月には、散歩しているときに偶然出会い、「バナーラス関係の本、貸して?」と我が家を訪問。彼女とは、電車のなかや散歩中に偶然会うことが多いなあ。

 

■1月30日(土)/第14回仏教文化大講演会/森ノ宮ピロティホール/浄土宗大阪教区教化団/クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、中川博志:バーンスリー、七聲会:声明

 七聲会とわれわれは、講演会の前座という感じで依頼されたのでありました。七聲会の聲明、池上良慶氏の語り「シャキャムニ~乳を飲んだ男」の伴奏、そしてインド音楽と聲明の和奏である「聲明源流」。

 公演が終わって、みんなで近所の昼下がりの居酒屋へいきました。われわれが出演したのはお昼過ぎで、ちゃんと弁当も出してもらい、みんな空腹ではないはずなのに、結局かなり食べて飲みました。七聲会がからんだ仕事は、かならず飲み食いで完結するのです。

 

■1月31日(日)/あしゅんライブ/神戸/クラット・ヒロコ:タブラー、寺原太郎:タンブーラー

 あしゅんライブ、というと、これまではお客さんが数人というのが当たり前でありましたが、どういうわけかこの日は13人も。サキさんが、これは記録だ、というほど。シタールを弾く建築家、橋本健治さんと詩人の奥さん、彼末例子さん、アミットにシタールを習っている佐野君など。

 

■2月6日(土)/イヴニング・ティー・パーティー「ロルカの詩」/ジーベック/フランソワーズ・ブレ:朗読、角正之:ダンス、川崎義博:サンプラー、稲見淳:ギター、中川博志:ボニ、バーンスリー、フルート

 ジーベックのフォワイエをフルに使ったパフォーマンスでした。川崎氏のサンプラーと稲見氏のギターを背景に、スペインの詩人ロルカの詩を、フランソワーズがフランス語で、角正之さんが日本語で朗読することから開始。ギターの音が大きすぎてテキストが聞き取れませんでした。しかし、なによりも迫力だったのは、フランソワーズの衣装。開いたパラソルのかぶりものにロングドレス。あれはどういう意味だったのか。

 わたしは、全体に雰囲気を作ることが要求されていたので、バーンスリーの他に、ボニとフルートも使いました。ボニという楽器は、ただの穴のあいた石です。アクト・コウベのマルセイユ訪問で、地中海を眼下に見下ろす崖っぷちに立つレイモン・ボニ宅へランチにいった日に発見したものです。

 ウニ、牡蠣、ホヤの類、イカ、エビ、など新鮮魚介類で日本人たちが驚喜したボニ宅ランチの後、われわれは海岸を散歩しました。その散歩の時に海岸で偶然、手頃な大きさで、一部穴のあいた、ちょっとみにはまるでジャガイモのような石をみつけました。穴のところに息を吹きかけると、かすかに音がでました。最初は、石笛の名手でドイツからCDも出している鈴木昭男さんへのお土産にしようと思っていました。しかし、練習するうちになかなかいい音が出るようになったので、自分の楽器にしてしまいました。で、その楽器は、ボニの家の近所で拾ったので、ボニという名前になったのであります。ちなみに、始終ジョークを放つちょっと小太りレイモン・ボニは、なかなか優秀なギタリスト。東急文化村シアターコクーンのこけら落としの公演に参加したり、バラネスク・カルテットのための曲も提供しているのです。彼も、アクト・コウベの主要メンバーです。

 

■2月7日(日)/AKJ総会/アトリエTOMO's /出席:川崎義博、下田展久、杉山知子、中川博志、森信子、中島康治、東野健一、岩淵拓郎、石上和也、小島剛、寺原太郎、寺原百合子、角正之/食べ物:岩淵君作によるプチパテ

 マルセイユ訪問報告会を兼ねたAKJの総会でした。飲んだり食ったりしながら、下田さん撮影のビデオや、持ち寄った写真を見つつ、今後の方針を決めるという趣旨。ここで、2001年には、フランス側メンバーを神戸に招待してイベントを行うこと、AKの基本コンセプトを固めていく、郵送を基本とした音楽プロジェクトを進める、ホームページで個人プロフィールの詳細を紹介していく、Acte Kobe-Japanのメーリングリストの開設、公式報告会を4月に開催する、などが決まりました。

 

■2月10日(水)/「うちな~家宴会」/うちな~家、東京新宿/島田靖也、山田寛、仙波清彦+香織、小林絵美、三好功郎、笠原あやの、梅津和時、久米大作、本村鐐之輔、高橋淑子、香村かをり、途中から福島勤

 ヒマだあー、とピットインの本村さんに電話したら、「飲みにこいよ」ということになり、単に酒を飲むために東京まで出かけてきました。

 場所は、再三のわたしの抵抗を無視し、鬼門の「うちな~家」。ここで飲み食いすると、どういうわけかわたしは必ず下痢をするのです。久しぶりにAFOのメンバーと再会しました。普通もっとハチャメチャになるはずが、意外に淡々と宴会は続くのでありました。

 3月には、ギターの三好功郎ことサンチャンの生誕記念ライブがあり、それにはアジアツアーに参加したAFOメンバーも多数参加して大いに盛り上がったということです。

 そのときは知らなかったのですが、梅津和時さんが『いつだっていい加減』という本を出しました。軽妙な、いかにも梅津さんっぽい語り口でおもしろかった。AFOについても前半で触れられています。彼が「iMac買っちゃった」というと、あやのも「あら、わたしも」ということで、コンピュータルもますます大衆化してきました。

 95年AFO参加の香村かをりさんは、ソウルの大学院で論文を仕上げているはずなのに、福岡から駆けつけました。福岡にしばらく住んでいたのだそうです。

 

■2月20日(土)~23日(火)/香川大学教育学部集中講義

 1コマ90分の講義を15コマ、4日間ぶっ通しの講義。学生たちはどうだったのかは分かりませんけど、わたしは十分楽しみました。

 インドネシア滞在のため使われていない中川真所有車で、前日に大学の宿舎にいきました。宿舎である幸町会館の部屋には、なんとうどん店紹介の本が数冊。香川県にきたからには、何はさておき、うどん、なのです。早速、地元の友人の萱原孝二さんの案内で「黒田うどん」でぶっかけうどんを食べ、うどん巡礼の第1歩を記したのでありました。

 さて、わたしは大学でちゃんとした講義をするのは初めてでした。手続きなどは、青山夕夏さんにアドバイスをもらいました。

 講義対象は、教育学部の3年、4年生20名で、全員女子学生でした。必ずしも全員ではないですが、ま、先生の玉子たちです。

 最初に、インドについて知っていること、日本からインドまでの地図、世界の音楽家10人を書いてもらいました。インドについて知っていることについては、「カレーを右手で食べる」というのがほとんど全員共通の回答だったのはどういうわけか。つぎに、地図はもっとおもしろい。東南アジアがすっぽり抜けていきなり日本からインドになったいたり、中国が異常に大きかったりと、全体にきわめておおざっぱ。世界の音楽家10人を書け、では、予想通り、バッハやベートーベンなどの西洋古典音楽の巨匠たちがほとんど。予想されたことですが、インド人音楽家はもとより(誰も知らないか)、日本人音楽家をあげた学生もゼロに近い。西洋音楽中心の教育なので仕方ないとはいえ、こうした学生たちが、学校の先生になり子供たちに教えていくのであります。音楽知識のアンバランスがますます拡大していくわけですね。で、わたしは、講義のあいだはずっと「あなたたちは変なのだ。頭がおかしいのだ」ということを繰り返し主張したのでありました。

 学生たちはかなりおとなしく、真面目でした。あまりにおとなしく、質問もでないので、いったいちゃんと聞いているのか不安になったほどでした。しかし毎回書いてもらったレポートを見ると、それなりにきちんと書いている人が多かったので一安心でした。

 当初は、あまりにコマ数が多いので、どうやって間をもたそうと思っていました。しかし、用意していった素材をこなしきれないほど時間が足りませんでした。出席が極端に悪い学生以外は、全員「優」にしました。いい加減なもんです。

 おとなしい学生たちがにわかに活気づいたのは、わたしが余興に讃岐うどんについて触れたときです。わたしが、いわば通しか分からないような讃岐うどん店の名前をずらずらと挙げると、ほほー、知ってるな、という顔つきになり、どこそこのなになにのうどんも棄てがたいとか、あそこにも是非行くべきだ、などと次々と意見表明がなされたのでありました。

 当然、講義の次に重要なことは、うどんです。22日は、学生たちと一緒に、ちくわの天ぷらが絶妙、という「セルフうどんの店・ちくせい」へ。この店のシステムは、まず、入り口で天ぷら注文→うどん玉数申告→支払い→チャッチャッ→薬味ふりかけ→摂食。わたしの注文は、2玉200円+ちくわ天ぷらトッピング90円、しめて290円。うどん質も悪くなく、なかなかに費用対効果の高い店です。

 22日の講義の後は、小豆島に住む弟と甥の智晴、和宣とで市内で中華料理。甥たちは、久しく見ないうちに大きくなり、父親よりも頼もしい感じでした。智晴君は、今年から東洋大学学生として東京で暮らし始めるとのこと。私立大学なので学費も大変そうであります。和宣君は、ユーモア感覚が素晴らしいので、将来が楽しみです。

 23日の講義最終日は、講義を午前中におえて全員でうどんを食べる、ということにしました。これは決して、講義をさぼるという意図ではなく、あくまでうどんを食べながら文化について語る、という崇高な目的もあるのです。ま、実際は食べただけですけどね。行った店は「さか枝」。うどん質および費用対効果の点では、「ちくせい」よりは上でした。2玉200円、トッピング70円。私の訳本かCDを購入したものにはうどんをおごる、という約束をしたら、2名が購入しました。おごる、といってもこれだけ安いとね。

 早めに講義が終わったので、キャンパスに戻り、岡田知也さんの研究室でディデュリドゥーなどで遊び、神戸から高松に戻ってきた瀬戸さんと市内に飲みに行きました。「アジアの風」という韓国屋台とイタリア料理店。同行したのは、地元放送局に勤める神戸出身の女性と、瀬戸さんの大学院の巨漢学生。彼は現職の教師でもあります。

 

■2月24日(水)/第2次讃岐うどん巡礼

 これは、一人でも敢行しようと思っていました。しかし、前回の通信のうどんの記事に触発された、現代美術作家の植松奎二さん、シタールを弾く建築家の橋本健二さん、額縁制作者の宮垣晋作さんが、家族、友人をひきつれて参加してきました。(植松)渡辺信子夫人+篤君、学習塾経営かつうどん道探求者の藤原洋介氏+ピアノ教授晴美さん、配偶者久代さん、そして毎回登場する現地案内人萱原孝二氏、と全部で9名。

 今回の目的は、裏うどん店を最低5店巡った後、丸亀の美術館へいく、というもの。5軒の店を食べ歩くので、うどんは1店1玉、トッピングなし、という方針でした。たどったコースは、「池内」(綾上町)→「山越」(綾上町)→「谷川」(琴南町)→「山内」(仲南町)→「中村」(飯山町)→「猪熊弦一郎現代美術館」(丸亀市)。

 まず、池の鯉がうどんを食べて肥えている、という「池内」。ここは、製麺が主で、その場で食べるのはあくまで付け足し、という典型的なウラうどん店です。したがって、摂食空間もかなり雑然としています。うどんはそれなりにおいしかったのですが、どこか、ぴりっとしない。真剣な目をぎょろつかせつつ「吟味」した藤原洋介氏は、うどん切断面の角度が...などと専門家的印象を申し述べる。1玉90円。

 ついで、同じ綾上町の、伝説の「山越」へ。昨年の讃岐巡礼のとき、その高名ぶりを聞いていました。綾上町在住の萱原孝二さんも「ま、あそこが一番やろな」という店です。製麺所だったものがその場で食べさせるために拡張していったようです。すでに10人以上の人々がうどんをすすっていました。

「池内」で鋭いうどん分析をしてみせた藤原氏は、ここでも、麺の切断面、角度、塩分濃度、噛み込み抵抗度、だし汁品質、嚥下抵抗度などを子細に検分。大きく開けた目を虚空に漂わせた彼は、大きくうなずくのでありました。「うんうん。このだし汁はホンモノ。イリコを使っている。うどんも、理想的といってよい」。おそらく、のっけの「池内」で、氏自身の過剰な讃岐うどん期待感と現実とのズレにわずかに失望していたものが、この「山越」で「やっぱりすごいものだ」と変化した模様でした。生卵ぶっかけを試みました。これはいわばうどんのカルボナーラ。しかし、ちょっと失敗でした。「山越」くらいのレベルのうどんには、やはり何も足さないストレートがベストのようです。それにしても、1玉90円+生卵40円=130円というのは驚くべきことです。

 30分ほどかけて次の「谷川」へ。11時過ぎでしたが、すでに入り口には列ができていました。前回の通信でも、ここのうどん質については触れています。こしの力強さは「山越」や「山内」には劣るものの、誠実な製作努力が好ましい軽めのうどんです。讃岐の日常食としてのうどんのプロトタイプなのかもしれません。すすり込んだ瞬間に、ああ田舎に帰ってきたのだな、と思わせるうどんです。ここも1玉100円です。営業時間は、なんと11時~1時のたった2時間だけです。この店は、ご婦人たちだけで運営されています。簡素でかつ清潔な摂食空間と調理空間はきちんと分離されてるので、製麺所から発展した店ではないように思えます。

 続いて「谷川」から40分ほど走って「山内」へ。久代さんの取材できたときにもっとも印象深いうどん体験をした店です。ここのうどんは、太めの麺でかなりコシが強く、重量感にあふれています。それだけに、すでに3玉食べているわたしには、ちょっと重い感じがしました。天ぷらトッピングを横目にみていた植松篤君は「天ぷら食べたい」と小声で申し述べましたが、「まだ1軒残っているからトッピングは慎むよう」と厳命され、無念そうな表情を浮かべる。「おれはここのうどんが好きやなあ」と宮垣さん。「このコシはどうやったら....」と、自身もうどんを打つ藤原氏が感心するのを横目で見つつ、晴美夫人とノブチャンは「けっこうお腹いっぱい。けどおいしい」とつぶやくのでありました。1玉200円。

 第2次讃岐うどん巡礼の最後は「中村」です。ここの特徴は、なんといっても、食堂としての装飾をいっさい排したそのたたずまいです。外見はまったくの納屋。

 店内をのぞくと、客の一人が「用意してあったうどんがちょうど終わったところなんでえ、あらためて粉の段階からうどんを作ってる」とわれわれに告げる。われわれはかなり長い時間の待機状態でした。わたしは、前回のとき気が付かなかったのですが、土壁の掘っ建て小屋に近いうどん屋の奥に、まっさらの住宅が建っていました。うどんで家が建ったのだろうか。ここも1玉100円ですけど、家が建つほど儲かるのだとしたらすごいものです。藤原晴美さんは「ちょっと腹ごなしと菜の花摘み」に近所の堤防まで散歩。おもてをぶらぶらしていると、ようやくうどんが打ちあがり、われわれも含めた客がぞろぞろと店内に入り、素早く注文、摂食。ここのうどんはかなり塩辛く、水分の多いうどん質には難点があります。もっとも、われわれはすでに4玉も食べているので、適切公正な批評は難しい。橋本さんは、客を出しきった店内でうどんを打つ店主の動きをのぞき見したらしいのですが、その厳しい製作態度に感動した、と申し述べ、次のようなファクスを送ってきました。讃岐うどん初体験の感動が大きかったためか、おおげさでフレッシュな表現で書かれています。

「考えるに、あの中村のオヤジは何もしないのである。ハチは客にとらせ、釜の前に進み出てうどんをありがたく受け取る間も、亭主はたっているだけで何もしない。娘が(これは奥さんのマチガイ:中川注)アミでうどんをよせ、ゆで具合をチェックして盛りつける間も何もしない。打ったうどんを釜に放り込んだだけと、食った後のハチを洗っていただけ。客は、うどんを受け取り、ショウガをすり、ネギを切る。台所で自ら食事の用意をさせる。この策略は、中村オヤジの深謀なり。これは一大文化なり。世界に誇りうる独自性は、世界の人々を感じ入らせることであろう。それほどの行為として評価できる。これをロンドンでニューヨークでパリでやれば、えらいことになるだろう。マクドをこえよう。うどんを簾のように捧げ、刷毛で打ち粉を払い落とす儀式は、まさに食い物であることをこえている。精神世界といえようか。マイッタマイッタマイッタよ。あの袋小路の向こうに見えたシンプルな小屋、その窓の向こうに見えるうどんの前にはべる客人の頭頭。この情景演出にもマイッタ。にこりともしない無表情のオヤジの顔。いっさいの雑音もない静けさ。沸騰する大鍋だけを見つめるしかない。なんともにくいオヤジだった」 

 苦しいほどの満腹感を抱えたわれわれは、次に丸亀駅のそばにある「猪熊玄一郎美術館」へ。建物はクライアントにいっさい文句を言わせないという建築家、谷口吉生の作品です。オープンスペースと開口部をたっぷりとった内部に入ると、ここが丸亀とはとても思えないモダンさです。丸亀出身の猪熊玄一郎は、50歳を過ぎてからアメリカへ渡り精力的な制作活動を行い、70歳で故郷に戻ってきたそうです。50歳を過ぎてからアメリカへ渡る、というのは、その年齢に近いわたしには勇気づけられます。

 美術館の喫茶店で、今回の総括をしました。みんなのベストうどん店は「山越」「山内」「谷川」と分かれました。どこも優劣つけがたいのですが、あえてわたしがランキングをつけるとすれば、1.「山越」2.「谷川」3.「山内」4.「中村」5.「池内」かな。

 ともあれ、こうして、讃岐のうどんと美のツアーはつつがなく終了したのでありました。

 

■2月27日(土)/「仏教音楽とインドの音楽」講演/飛鳥寺/明日香村仏教団主催

 この講演は、岡本寺の柏井快英住職に依頼されたものです。話の内容は、仏教と音楽が密接に関係していること、かつてのお坊さんたちにはミュージシャンが多かった、というようなものです。大仏開眼供養会(だいぶつかいげんくようえ)と読むべきところを、「かいがんくようえ」としてしまい、なんともお恥ずかしい限りでした。漢字の読みは本当に難しいものです。

 講演の後の一席は、すき焼きでした。仏教関係者ばかりなので精進料理かと思っていました。ところが実際は、逆精進でありました。その日は、岡本寺の貴里子さんと遅くまでおしゃべり。二人とも寺の道場に泊めさせてもらいました。貴里子さん、いろいろとご苦労様でした。

 次の日、お昼頃起きてたっぷりと朝食をいだたいたあと、岡寺へ行きました。岡寺の川俣海淳住職にお会いするためです。川俣氏からは、かつての寺院の軒先には音具が下がっていたらしいが、どんなものか分からないので調べてほしい、できればそれを再現したいのだが、と尋ねられましたが、どなたかご存じの方はいらっしゃらないでしょうか。山の斜面に城塞のように建つ岡寺には、ちらほらと梅の花が咲いていました。お土産にぜんざいをもらい、岡寺を辞したのが、午後2時。

 なぜ、午後2時、と書いたかというと、実はゆっくりでも2時間で着くはずの向日市にたどり着いたのが、迷走してしまい、午後8時を回っていたのです。本間様(彼女は、山形とゆかりがあり、最上の豪商本間様の末裔かもしれないので)には、半日も待たせて申し訳ない。

 

■3月7日(日)、8日(月)/久保田酒造訪問/福井県丸岡町

 たまに飲みに行く飲み屋に「苫屋近安」があります。この店では、酒の味にうるさい客から会員を募って、とことんこだわった吟醸酒「相聞」を福井県の久保田酒造に依頼して作ってもらっています。もちろん市販はしていません。わたしも会員なので、年に一回、6升届きます。この「相聞」は、キレとコクのある素晴らしい酒です。どうしても飲んでみたい、という方はわたしまでご一報下さい。

 醸造元訪問は、「近安」恒例の行事です。店主の楠さんの体調が悪く、今回の参加は、われわれ夫婦と農作物調査がお仕事の村山さんのみでした。

 まず、酒蔵見物。黒塀に囲まれた酒蔵は、1754年創業といいますから、かなりの老舗です。ここのメインブランドは「富久駒」。われわれは、専務の直邦さんの分かりやすい説明で吟醸酒のできあがる工程を見学しました。吟醸酒は、酒造米である「山田錦」を、ダイヤの研磨のごとく、洗米の過程で6割以上も研ぎ込みます。直邦さんの話を伺っていると、吟醸酒というのは本当に贅沢に作られることがよく分かります。直邦さんは、酒屋を継ぐ意志はあまりなかったのだそうですが、東京にいるころ、実家から送られてきた酒があまりにうまかったので継ぐ決心をしたということ。非常に研究熱心な跡継ぎです。

 まだ木の香りがする母屋の座敷に案内されると、酒はもちろん、刺身、カニ、こんにゃくの田舎風煮物、ブリ大根、もずく、レンコンの筑前煮風などのごちそうがテーブルに展開されていました。ふと、庭を見ると、築山の間をかなり勢いよく川が流れています。実は、先々代の当主が農業用水路を自宅の庭に引き込んだのだそうです。川というのはすべて国有地です。したがって、個人の庭に国有地である川が流れ込むという妙なことになってしまったのです。「今では許されないことですけどね」と直邦さんは笑っていました。たった3人のためにほぼ二日間つきっきりでお世話していただいた専務さん、本当にありがとうございました。

 

■3月17日(水)/AKJミーティング/TOMOスタジオ/岩淵拓郎、川崎義博、下田展久、杉山知子、角正之、中川博志、永山真美

■3月20日(土)/同窓宴会/安藤朝広、興津哲夫、湊隆、奥山隆生、中川博志/湊宅、明石

 大学の同級生である興津哲夫さんが、関西に引っ越してきたので宴会、でした。興津さんは、西宮にある森永乳業近畿工場に勤めているのです。この日は、湊配偶者の豪華料理を堪能しました。有名な明石の魚の棚(うおんたな)から買ってきた新鮮な魚は絶品です。

 

■3月21日(日)/マックOS8.0顛末/山崎博史お助け

 数日前に、ずっと使ってきたMacOS7.6.1を8.0にバージョンアップしようとインストールしたら、なにをやっても起動しなくなり、困ったことになりました。わたしは、もうほとんどマック依存症に近いので、そうなるとなにもできません。あれこれいじってもどうにもならず、結局、マックお助けマン山崎さんに急遽、飛んできてもらいました。「あ、そのまま上書きしちゃったんですか。別個にインストールすればよかったのに」などといわれても、付録の注意書きにはそんなことは書いていません。

 山崎さんは、「もっとお酒ないの?」といいつつ修復に頑張ってもらい、なんとか動くようになりました。動くことが確定した段階で山崎さんはふらつくほどの酩酊状態。わたしも、酔っぱらいながらバージョンアップをすればよかったのかなあ。

 

■3月23日(火)/民族学博物館ビデオ収録/アミット・ロイ、クル・ブーシャン・バールガヴァ、寺原太郎、中川博志、杉本青年

 民博の展示楽器に応じた音と映像資料を収録したい、という寺田吉孝さんの要望でビデオ収録をしてきました。ビデオは、博物館内で一般公開される予定です。アミットとわたしがそれぞれ30分ほど演奏しました。

 それにしても、民博の楽器展示はちょっとバランスが悪い。インド関係は、シタール、タブラー、タンブーラーの3つだけが並んでいます。南インド音楽の楽器も一つもありません。南インド音楽が専門の寺田さんも不満のようです。隣のアフガニスタンの楽器コーナーの方が面積としては大きい。楽器も単なるモノとして飾られていたら傷んでくるし、もっともっと展示楽器を生きた楽器として使う工夫がほしいところです。

 

■3月25日(木)~27日(土)/四万十川取材/外賀嘉起+松崎有子、中川博志+久代

 配偶者取材くっつきで四万十まで行ってきました。今回は、外賀嘉起フォトグラファー(カメラマンといってはいけない。カメラマンとは、カメラや機材を担ぐ人であって撮影者ではない---外賀嘉起談)の配偶者でライターの松崎有子さんも同行でした。

 日本最後の清流といわれる四万十川は思った以上に雄大で、山々との対比も美しかった。また、両岸に咲く菜の花の黄色が印象的でした。川というのはこういうものだったんだ、と再認識させる力がありました。ただ、最近は森林の伐採などで少しずつ濁ってきているのだそうです。昔は、鮎の背を渡って対岸まで行けた、というほど魚類も豊富だったらしい。澄んだ川面を眺めていると、少年時代に遊んだ山形の川を思い出しました。「こぶな釣りしかの川」なんて、もはや夢のなかの一こまのようです。

 あいにく、小雨模様の天気のため、撮影のタイミングや場所の選定が難しく、われわれはポイントを求めてあちこちに移動しました。支流の黒尊川上流の水は本当にきれいでした。道中に見た赤白混合色の梅の花が妙に強い印象に残っています。

 宿泊は、西土佐村口屋内の民宿「せんば」でした。ここの料理や、明るい若夫婦の応対は気持ちのよいものでした。

 二日目の午前中は、撮影に忙しい外賀嘉起選手を横目で見つつ、河原にテントを張っていた自転車旅行青年たちにビールを差し入れたり、近所を散歩したりと、仕事とは関係のない身分のわたしは勝手にぶらぶらです。たまたまその日は診療所落成記念餅播き大会があり、地元のおばさんたちとあさましく餅を奪い合いました。

 一通り取材を終えたわれわれは、再び黒尊川上流のアマゴ養殖場まで行きました。谷あいの養殖場には、稚魚から成魚まで効率よく管理されたアマゴがプールのなかで固まりになって泳いでいました。外賀嘉起選手はそのアマゴを購入したわけであります。バケツに入れられた生きたアマゴが、いきなり電極を差し込まれてあっという間にみまかる有様は、なかなかに人間の無慈悲さを感じさせるのであります。フォトグラファー兼運転手の外賀嘉起さん、毎度のことですけどご苦労様でした。

 

■4月2日(金)/ケニー遠藤来宅

 ハワイ在住日系和太鼓奏者のケニーが久しぶりに関西にやってきました。芦屋ルナホールでのダンス公演の音楽のためです。昨年は、彼の公演であわやニューヨークに行けそうになりました。実際は取りやめにはなりましたけど、行きたかったなあ。ともあれ、彼は全米を忙しく駆け回っています。

 

■4月3日(土)/天藤建築設計事務所花見/護国神社

 恒例の花見。今年は桜も満開で、それほど寒くもなく、理想的な花見でした。天藤さんの事務所は、城之崎の公営温泉場設計コンペで選ばれとても忙しいようです。写真家の北さんと「ミュージシャンはその場で喝采を得られるのでうらやましい」「いや写真家は作品が残るけど、ミュージシャンはその場で終わりではないか」などと、酒を飲みつつしゃべりあいました。例によって、護国神社の後は事務所に舞台を移して宴会でした。なぜか、ゼネコンや工務店の人たちにホーミーがうけました。

 

■4月7日(水)/ダンスリー・ルネッサンス合奏団/ベルギー・フランドル交流センター、大阪天王寺

 ダンスリーは、中世ルネッサンス音楽の専門楽団として内外で知る人ぞしる存在。代表の岡本一郎さんは、髪の毛がじゃっかん薄くなり、遠視眼鏡のレンズもこころなしか厚くなりながら、コンセール・ビメストリエと銘打った隔月のコンサートをコンスタントに続けています。

 ダンスリーのサウンドは、いつ聴いてもふわーっとして気持ちがいい。演奏の切れ目にたびたび登場するマリボンヌの、ひょうきんな、ちょっとフランス語なまりの日本語は笑いを誘います。

 

■4月8日(木)/めやみ地蔵ライブ/京都/七聲会:聲明、クラット・ヒロコ:タブラー、林百合子:タンブーラー、中川博志:バーンスリー

 昨年はアミットも参加しましたが、今年はわたしだけでした。参拝客が次から次とやってくるなか、午後の雨のラーガであるデーシュを演奏しました。

 例年のごとく、終わった後は京懐石ワンパック・ゴージャス弁当にお酒+バカ話、の七聲会規定コース。

 めやみ地蔵に行く前に、尺八の三好芫山さんの案内で「カフェ・デイヴィッド」に行って来ました。そこで翌月ライブをやることになっていたです。「カフェ・デイヴィッド」は書画骨董店「桃源洞」の奥に作られた喫茶店です。壁面や年代物の家具の上には、値の付けられない日本画、チベット密教画や仏像、宝石などが飾られています。これらは、オーナーの森本氏のコレクションで、氏自身によれば、世界的コレクションなのだそうです。

 

■4月9日(金)、10日(土)/鈴木昭男宅訪問

 丹後に住む昭男さん宅に遊びに行き、1泊してきました。昭男さんとは、知る人ぞしる世界のサウンドアーティストであります。同行者は、ジーベックの下田さんとモリチャン。配偶者淳子さんドイツ生活中につき熟年独り身生活を続けている昭男さんを慰問する、というのが目的でした。

 丹後町にある鈴木宅は、町からかなり離れています。運転できない昭男さんは、寒い冬の日々を一人でどうして生活していたのか。「うん、石笛の練習したり、いろいろ整理してたりで、だあいじょうぶよ。ははははは」とはいっていましたが。

 予想に反して屋内はきれいに片づいていました。きっと、われわれが来るというので掃除したんだろうなあ。畳敷きの、床の一部がへこむ座敷にはテーブルとイスがおかれ、上には食器まできちんと並んでいるではありませんか。遅めに到着したその日は、われわれの持参したおかずを肴に酒を飲みました。

「これえ、すんごく昔の写真。ちょっと、恥ずかしいなあ」と見せてくれた写真をみてみんなはびっくりでした。20代後半のものは、肩まである髪をポニーテールにしてシタールを抱えています。ドラムセットの前で髪を振り乱しているものや棒術かなんかの武道姿、ご両親との記念写真などなど。職業軍人で発明家だった父親のこと、たった一人でピョンヤンから滋賀の別荘まで引き揚げてきたこと、名古屋では広大な邸宅に住んでいたこと、など、これまで知らなかった昭男さんの人生をかいま見ました。

 離れの寝間に案内されると、すでに布団が敷いてありました。枕の横にきちんとたたんだタオルが縦長に置かれていました。きっと配置角度まで考えたのでありましょう。わたしと下田さんは、その細やかな愛情に枕を濡らすのでありました(うそ)。

 翌日は、かなり遅めに起きてお昼頃までだらだらし、まず、建築途上の新宅見学です。小さな湖の端にある新宅は、基礎から壁の一部が立ち上がったばかりの状態のまま放置されていました。この家は、基礎のコンクリートから、壁や床になる日干し煉瓦、廃材などを使い、ほとんど職人の手を借りずに完全自立で建てる予定なのです。芸術家の建てる家、ということで雑誌にも紹介されたほどで、完成すればすてきな家になるはずです。ただ、淳子さんとの共同作業を前提としているので、今後どうなるのか。「このままかもしれないなあ」と昭男さん。というのは、淳子さんのドイツ滞在が、さまざまな事情でもっと延びそうだからです。

 丹後松島へ瑪瑙(めのう)拾いに行きました。丹後松島への海岸沿いは本当に美しい。あいにく小雨模様でしたが、われわれは、誰もいない海岸で石拾い遊び。このあたりは瑪瑙がよくとれるところだそうです。乳白色の小石を見つけるたびに「昭男さん、これは瑪瑙ですか」「うーん、そうそう、こういうのが、いいのよね」「これはどう?」「あっ、それは単なるガラス」などという会話を交わしつつ、頭に平べったい帽子をかぶった熟年男性と、ちょっと腹の出た中年男と、中肉中背の前中年男性と、元気もりもりの若い女性は、熱心に浜辺を徘徊するのでありました。

 途中のスーパーと魚屋で買い物をして帰宅し、アンコウ鍋で仕上げでした。

■4月16日(金)/AKJマルセイユ渡航報告/乾邸

 1月のマルセイユ訪問報告会が行われました。今回はとくに県や市など、今後のわれわれの活動に理解を深めてほしい人々を招待しました。参加されたのは、 畑中正人氏(神戸市国際部国際課主査)、岩畔法夫氏(神戸市市民局文化振興課主幹)、 島田誠氏(海文堂書店&ギャラリー 代表取締役社長)、中村誠司氏(兵庫県生活文化部生活文化課次長)、永井秀憲氏(神戸市国際観光交流課参与)、木ノ下智恵子氏(アートヴィレッジ)、渡辺仁(ワタナベエディトリアル)、中西康子氏((株)大恵 社長)、 岩崎勝氏(神戸市市民局文化振興課係長)。AKJのメンバーも16名参加し、わきあいあいの報告会でした。

 多彩でおいしい料理を一手に引き受けたマキノさん、報告書を作成した林百合子さん、12時間もの映像を20分にまで縮めて編集した下田展久さん、臨時パフォーマンスの東野健一さん、会場設営準備の杉山知子さんなどなど、わがAKJには多彩な才能がそろっているのであります。わたしも東野健一さんの紙芝居のバックにボニとバーンスリーを吹きました。

 

■4月22日(木)/四天王寺舞楽法要/四天王寺石舞台/四天王寺楽所雅亮会:雅楽、四天王寺舞楽協会:舞楽

「四天王寺に舞楽を見に行きます。一緒にいかが?」というメールが、埼玉の河野亮仙さんから前日の深夜に届きました。急だったので、待ち合わせの時間や場所を決めずにとりあえず四天王寺に行きました。河野亮仙さんは、同じインド留学組、浦和の延命寺の住職、大正大学の講師です。

 石舞台では最初の演目「振鉾」が始まっていました。舞台を挟んだ両サイドには、数百人ほどが舞台に見いっていました。本堂や舞台の鮮やかな色彩の飾り物と雅楽ののびやかな音があたりを華やかにしていました。

 河野氏を探そうとあちこち移動していると、誰かに背中を叩かれました。スティーヴン・ギルさんがカメラを抱えて「やっぱり、なっかがわさんでしたか。そのお、ピンクのめがねホルダーで、そうではないかと思ったですがあ」と話しかけてきました。スティーヴンは、京都に住むイギリス人です。生け花ならぬ「生け石」をやる人で、日本の伝統芸能や伝統文化に強い関心をもっています。「わったしは、宮内庁や春日大社の雅楽はみましたがあ、四天王寺のもっのは初めてですので、興味をもって来ました。やはりい、がっがくは宮内庁のものがレベルが高いですね」などと、日本の古い文化にやたらと詳しいのです。12時から5時過ぎまでの長時間、どっぷりと中世の雰囲気に浸ることができました。

 途中で、イス席に座る河野氏を発見しました。「いやあ、舞楽をうちのお寺でもやってるので。そのうち輸出しようとおもってるんよね」といいつつ、ビデオとスティール写真撮影に余念がありません。

「カズエと梅田で待ち合わせしています。遅れると、彼女は、大変怒ります。なっかがわさん、そのお友達と梅田で会いませんか」といいつつ先に帰ったスティーヴンを追いかけて、河野氏と梅田へ行き彼らと合流しました。「今日中に新幹線で帰る」という河野氏と、ギル夫妻とで居酒屋で歓談しました。

■4月26日(月)/慧奏宅リハーサル/押尾光太郎、杉山八郎

「風の楽団」などで活躍する慧奏さんは、最近、奈良から淡路島へ引っ越しました。かなり古い民家を改修したその自宅で、次の日の大阪でのライブのリハーサルでした。

 新しい(建物は古い)家は、山がすぐ近くの坂なりにあり、瀬戸内海を見下ろすことができます。神戸からバスで50分ほどですが、近くの山では山菜がたくさんとれる静かな山里なのです。1700坪で1500万円の土地がある、ということですが、皆様、いかがですか。

 

■4月27日(火)/「あめつちのうた」トリイホールライブ/慧奏:ピアノ、ディデュリドゥー、パーカッション、えま:声、二胡、押尾光太郎:ギター、杉山八郎:箏、中川博志:バーンスリー

 久しぶりのトリイホールライブでした。大雨にもかかわらず、30人ほどの入場者でした。私の出番は、慧奏さんの最新CDにも参加している「イツカ、マタ」と、最後のボレロ。ボレロは、いうまでもなくラベルの有名な曲です。この曲は、押尾光太郎さんのギターソロの十八番なのですが、今回はバーンスリー、二胡も加わり、とてもへんちくりんなサウンドになりました。ボレロ民族楽器バージョンもなかなかおもしろいですよ。

 押尾さんは、非常に透明感のあるギターを演奏する人です。また、杉山八郎さんは、伝統楽器の箏を全然伝統的に弾かない、ユニークな箏奏者です。コンサートは、ふんわりとしてなかなか気持ちのよいものでした。

 

■4月29日(金)/佐藤一憲氏宿泊

 打楽器奏者の佐藤さんが、「久しぶりに休みが取れたので、出雲まで一人旅なのよね。で、神戸を通過していくんすけど、中川さんとこにご挨拶していかないとやばいっすから」と我が家を訪ねてきました。焼酎を飲みつつ、東京のミュージシャンたちのうわさ話や、名古屋で予定している打楽器ワークショップのことなど、とりとめのないおしゃべりで、寝たのは3時過ぎでした。

 

■5月1日(土)/激辛宴会/中川宅

 名古屋の南山大学にいっている亜矢子チャン以外の駒井家全員と、近所に住む英語の先生リードと咲子夫人が来宅。むちゃくちゃ辛いカレーの激辛パーティーでした。

 リードは、久代さんの通っている神戸外大を退職し、現在はスポーツジムに通ったり、本を読んだりと、ま、悠々自適のリタイヤ生活です。われわれのアパートからは徒歩数分の距離に住んでいます。彼は近い将来、カナダに戻り、株の売買で儲けてゆったり暮らす、といってました。

 駒井さんは、リードの元で長年勉強しているのになかなか流ちょうにならない英語で、いかにも英語の生徒が聞くような簡単な質問をリードに連発。今年の入試に滑った仁史と、ひょろひょろと大きくなった高二の和彬は、黙々と激辛カレーを食べ、さらに黙々とした恭子さんは、われわれの会話ににこにこしながらうなずき、客人がくるとにわかによく働く久代さんはサービスにつとめるのでした。

 

■5月4日(火)/「祈りの踊り」上映会/長田神社/ギリヤーク尼ヶ崎

 1930年函館生まれのギリヤーク尼ヶ崎さんは、これまでずっと自作の舞踊を路上で行ってきた人です。以前に、生田神社境内のパフォーマンスを見たことがあります。土の匂いと明るい怨念のこもる大道芸というのがわたしの印象です。

 そのギリヤークさんが、「祈りの踊り」という記録映画を昨年に完成させました。上映会が長田神社であるというので、見に行きました。彼の神戸地方の協力者である東野健一さんにも「とにかく、いっぺん見てよ」と誘われていましたし、昨年、NHKで映画作りの模様がドキュメント番組になり放映されたのを見ていましたので、迷うことなく長田神社まで出かけたのであります。

「ええやろ、これえ、雰囲気あってえ」と東野さんが強調したように、昔、田舎で見た巡回上映会のような、なつかしい感じのする上映会でした。上映会場はは、壁のない建物なので、ほとんど野外という感じです。小雨が降っていたため、お客は10人程度。

 映画は、各地の路上で踊るギリヤークさんの遍歴を、美しい映像でつづるものです。真っ赤な衣装のギリヤークさんが、断崖の上で髪を振り乱しつつ踊るシーンと、雪の中で「じょんがら節」を踊るシーンが印象的でした。

 ギリヤークさんは、われわれが今年いったマルセイユでも上映会と路上パフォーマンスをしたいという希望を持っています。そこで、東野さんが「なんとかでけたらええけどなあ」とわたしにも相談をもちかけました。当日は、ギリヤークさんとそのことでちょっと話をしました。本人によれば「体はぼろぼろ」だそうですが、声の張り、引き締まった体、しゃべり方は、とても70歳近い人とは思えないほどです。マルセイユ公演が実現できたらいいなあと思っています。

 

 

■5月8日(土)/マルガサリ公演「天の音」/スペース天、大阪豊能町/マルガ・サリ:ガムラン、佐久間新+富岡三智+ハリヤント:ジャワ舞踊、村上圭子:ヴォイス、牧子供会:うた

 中川真さんが昨年に立ち上げたガムラン練習場「スペース天」が増殖しています。ガムランセットがさらにもう一つ加わり、その収納場所兼冬季練習場を併設。建物は、震災の仮設住宅を格安で分けてもらったそうです。また、現代美術を展示するギャラリー「テンバ・エー」もオープンしました。ギャラリーは地元の古谷さんが運営しています。なんだか、あのあたりがにわかに豊能町の文化拠点になるような様相です。

 しかしアクセスがなかなかに大変です。阪急池田駅から、1時間に一本しかないバスにのって45分もかかります。当日は、偶然、同じバスに元ダルマブダヤの棚橋さん、その夫のエディさん、二人の製作品が乗り合わせました。

 今回は、「スペース天」開設1周年記念の公演と同時に、ギャラリー新設お披露目でもありました。「ほとんど宣伝もせえへん」この催しには、スペースに入りきらないほどの大盛況でした。

 演奏は、ジャワ伝統曲と現代曲。昨年の立ち上げ時に比べて、演奏レベルはかなり上がっています。今回特に印象的だったのは、ジョグジャカルタ留学から帰ってきた佐久間新さんの舞踊、地元の牧子供会とガムランの共演、そしてハリヤントのコミック舞踊でした。佐久間君の舞踊は、抑制された表現が見事でした。一つ一つの体の動きや表情に、鍛錬と自信を感じました。今年の暮れにはインドネシアから婚約者も来日する予定で、夫婦舞踊を見るのが楽しみであります。彼は、8月29日の河内長野ラブリーホールでも、マルガ・サリと一緒に踊ってもらうことになっています。

 牧子供会の子供たちはかわいかった。地元に伝わる童歌とガムランという組み合わせもなかなかにあっていました。童歌の歌詞がけっこうシュールでした。「一年、芋盗んで、二年逃げて、三年探して、四年嫁はんもろて、五年ごんぼでしばかれて、六年牢屋に入れられた」

 打ち上げで騒いでいるうちに、当然、帰りのバスはもう終わっていました。島根からハリヤントとインドネシア人青年アンディを連れてきていた瀬古康雄さんの車で家まで送ってもらいました。結局、彼らも我が家に一泊。ハリヤントには、舞踊で使うトペン(仮面)をもらいました。

 

 

■5月12日(水)/バール・フィリップス来神/鴻華園宴会/参加者/下田展久、森信子、川崎義博、杉山知子、東野健一、石上和也、進藤紀美子、岩淵拓郎、角正之、中川博志

 その分野では知る人ぞしるベース奏者で、かつアクト・コウベ・フランスの代表であるバール・フィリップス氏が、30キロのウッドベース、20キロのトランクを携えて神戸にやってきました。

 所定の起床行動を終えぼーっとしていると、玄関のあたりに靴音がして、新神戸駅まで出迎えに行ったポニーテール舞踊家兼スミ語達人角正之殿、同じ新幹線で東京から同行した川崎義博摂津之守義博殿とともに、頭頂部無髪周辺白毛髪後ろ束ねのバール御大が巨大な楽器とともにやってきたのでありました。この1月にマルセイユで会って以来の再会でした。

 この日、国際アクト・コウベ・サミット宴会が鴻華園で執り行われました。

 この鴻華園サミットは、当初は翌日の助役会見の作戦会議、今後のAK運動方針の意見交換、というものになるはずでしたが、予想通り、ほぼ単なる飲み食い会になりました。料理は、ハム、キュウリ、クラゲなどのオードブル、例の蒸し春巻き一人一本、海鮮五目炒め、レタス包み、スープ、追加注文した蒸し春巻き、エビの甘酢あんかけ、焼きビーフン、デザートに杏仁豆腐でしめて一人4300円なり。もちろん、当初の予定であるちゃんとした話題も、咀嚼音や分散会話の隙間を縫って交わされました。

 この日は、10時半ころに散会し、わたしとバール御大はポートライナーで帰宅。御大は、イッツ・グレートのホット・バスを堪能し、パンツ一つでわれわれとおしゃべりし、1時すぎに就寝。

 

■5月13日(木)/前野保夫神戸市助役訪問/ハーバーランド・ランチ/ブラジル移民センター見学/バール・フィリップス・ソロライブ/ビッグアップル/打ち上げ小宴会

 バール御大は、昨夜は1時過ぎに就寝したにもかかわらず6時起床。わたしが起き出してきた9時半ころ、溌剌とした顔で「散歩してきたけど、ビューティフル・モーニング。ハハハハハ」と元気がいいのです。彼は、1934年生まれなので、今年でもう65歳になっているはず。とてもその年のジーサンとは思えません。わたしは、いつにない早起きのためほとんど脳機能不全状態でした。

 11時にやってきた下田さんと市役所へ向かいました。組関係者的黒眼鏡の川崎義博殿、杉山知子姫、角正之殿、石上和也殿と市役所で合流しました。会談までちょっと時間があったので、角正之殿、石上和也殿を1階に残したわれわれは24階の展望室へ行き、眼下に広がる神戸港などを眺めるのでありました。この日は快晴でしたが、なんとなく霞のようなものが薄く漂っていました。

 11:38になったとき、畑中主査に「そろそろなので、14階の会議室へ」と促され入室すると、バリッとした背広姿の楠本国際部長、碇山課長などが、名刺手渡しいつでも待機状態で待っておられました。楠本国際部長は、バール御大を確認するや素早く近づき、満面の笑みをたたえ名刺を手渡しつつ英語で挨拶をかわす。しばらくわれわれも名刺交換ペコペコ状況に否応なく巻き込まれるのでありました。そのうち、入り口方面にささやかなざわめきが起こり、白人女性通訳や2名のおつきを伴った前野助役が登場しました。いかにもお役人風の人です。彼が正面の席に着くや、名刺交換ペコペコ状況は、会談開始おごそか状況に突入しました。正面の、バールと助役の対座テーブルには日仏国旗が整えられていました。杉山知子姫は、会談の状況をこう報告しています。

「神戸市助役との会見はテーブルの上にフランスと日本の国旗が飾られ笑えるほどすっかり表敬訪問スタイルでした」。

 たまたま隣り合わせたわたしとトモさんは、バールと助役の対話のたびごとに目を合わせて、ん、もー、絵に描いたような、中身のある人間的交流にははるかに遠い会見であるな、と苦笑の連続なのでした。

「AKFには震災以来、なにかとお世話になっています。また、AKJメンバーのマルセイユ訪問のときにもお世話になり大変感謝しております」と助役が申し述べると、助役の発語スピードの2倍ほどかけて白人系女性通訳が英語に直し、それにバールが「・・・姉妹都市提携40周年に当たる2001年には、是非、ご協力をお願いします」と返答すると、バールの発語スピードの2倍ほどかけて白人系女性通訳が日本語に直し、助役がうなずく、という、なんとももどかしい会話のやりとりです。「あなたは1934年生まれと伺っていますが、実はわたしもそうなんです」などという助役のちょっとした軽口も間にはありましたが、基本的には、儀礼的な表敬訪問に終始したのでありました。なにせ会談時間は20分という制限で、かつ通訳が挟むので、AKJの強烈アピールを目論んでいたわたしはその機会がなかなかつかめませんでした。会話時間比率は、バール2.5、助役2、下田0.5、中川0.5、杉山0.25、川崎0.25、通訳4くらいか。

 こうして20分の助役会見はあっけなく終了しました。別れ際に「マルセイユのわれわれのイベントには向こうの助役さんが2度も見に来られていました。今度はわれわれ神戸の催しにも見に来て下さい」とわたしは助役にジャブを繰り出しましたが、「そうですね」とあっさり受け流されてしまいました。

 下では、会談にも同席していた神戸新聞社の市役所担当クラブの佐々木氏がバールにインタビュー。その記事は、紙面に掲載されました。

 市役所を辞したわれわれは、神戸新聞社の中西弘則氏を訪ねて、そのまま近所の赤煉瓦のレストランへ行き、チキン定食と魚定食のランチを摂食。

 摂食後、旧ブラジル移民センターへ移動。ここは、C.A.P.がこの11月半年間、実験的にアートセンターとして使用する計画があり、そうなった場合にはAKJも何かできるかも知れない可能性のある場所なのです。5階建ての古い(昭和3年に建設された)建物の中には入れませんでした。ジーサンガイジン、組関係者風眼鏡的川崎義博殿、ポニーテール中年ダンサー角正之殿、鼻笛にうつつを抜かす下田展久殿、タバコをふかしつつあちこち見回す石上和也青年、ちょっ腹の出たリッパ中年中川博志、そして気品あふれる紅一点杉山知子姫といった妙な組み合わせの集団が、建物の周辺をうろつき回り、なにやらしゃべったり指を指したりする光景は、現在この建物を使っている神戸海洋気象台の人には変な風に写っているでしょうね。

 現地解散の後、角正之氏の車に、バールと石上和也青年とわたしが乗り、とりあえず我が家へ。バール御大は盛りだくさんのメニューと早起きがたたったのか、「今日は仕事だあ。一寝入りだ」と別室で昼寝を開始。その間、石上、角、下田とわたしは、鎌仲ひとみさん作ったNHKの番組「エンデの遺言」と、ギリヤーク尼ケ崎さんの「祈りの踊り」のビデオを鑑賞。そうこうしているうちにバール御大が目覚めました。

 バールの巨大ヴァイオリンを角車に押し込んだわれわれは、この日のソロライブ会場であるビッグアップルへと向かうのでありました。

 ビッグアップルのライブは素晴らしかった。ライブには、上記AKJのメンバー以外に、松原青年も見えていました。また、次のライブ予定地広島からの人もいました。ライブ前のバールは、森チャンにきれいな袋に入った香取ブタ印の手ぬぐいをもらってうれしそうでした。きれいな袋が彼は好きなのであります。

 これまで、完全なバール御大のソロをまともに聴いたことがなかったのでよけいにすごさを感じました。エアコンのファンの音が消え、照明を暗めにしたとたん、バールの世界が始まりました。彼の表現バリエーションは多彩です。まるでトランペット、クラリネット、パーカッション、ヴァイオリン、チェロ、フルート、シタールと聞きまがう音色が、たった一台の5弦コントラバスからつぎつぎと繰り出され、旋律と非旋律の変化、展開、強弱のプロポーションが実に絶妙に配され、彼の音楽表現の引き出しの多さに驚きました。それでいて、リラックスした伸びやかな自由がありました。

 バールの演奏を初めて聞いた進藤紀美子さんは、「昨夜のバールさんは,赤いシャツがすっごく似合っていて、本当に素敵でした。演奏もよかった…と思います。でも,本当は私はあまり音楽がよくわからない!ただ、バールさんの指が弦をはじいたり、こすったりするとき、なんだか私のリンパ腺も反応して、バールさんの元気をもらいました」と感想を申し述べられています。「リンパ腺が反応」とは、なかなかにすごい表現です。

 終わったのは11時前でした。打ち上げは、すぐ近所の遅くまでやっている中華料理店「天竺園」でした。ここの勘定は、バール御大のおごり。

 帰宅してから、バールとお茶を飲みながらおしゃべり。彼はアメリカのロス生まれで、13歳のときにベースに魅せられ演奏活動を始めたこと、そのとき始めたのはデキシーランドジャズだったこと、7歳年上のお兄さんが音楽好きで影響をうけたこと、大学では言語学を勉強しその学位もあること、25歳になって、学問よりもベースのほうがよくなり本格的な演奏活動を始めたこと、などを話してくれました。もう50年近く音楽をやっているんですね。

 翌日の14日、バールは、駅のそば屋できつねそばを食した後、広島へと発っていきました。その彼は、広島、佐伯、大分とライブをして、17日は再び神戸にやってきました。→より細かい報告へ

 

■5月15日(土)/「カフェ・デイヴィッド」ライブ/クラット・ヒロコ:タブラー、三好芫山:尺八

 このライブは、「カフェ・デイヴィッド」のオーナー、森本さんから依頼を受けた三好芫山さんの企画です。

 当日のお客さんは割と年輩の女性が多かったようです。わたしの大学の先輩、奥山隆生さんも見えていました。

  この日は、古典音楽を1曲、三好芫山さんの尺八とインドの曲をベースにセッションしました。その模様は、京都テレビで放映されることになっているそうです。公演はそれなりに好評でした。森本さんは「今度は屋上で月でも見ながら聴いてみたい」といっていました。

 

■5月16日(日)/C.A.P.パーティー/乾邸

 C.A.P.とは、杉山知子さんが代表をつとめる神戸のアーティスト団体です。11月3日からの半年間、旧ブラジル移民センターを使って芸術的実験を行う予定になっています。先月のAKJマルセイユ報告会に引き続き、C.A.P.のパーテーが乾邸でありました。わたしは、オクラのカレーを持参。杉山さんの配偶者江見さんと川崎義博選手の、終始、台所に張り付いて洗い物などしながらの主夫的会話、長身の大野さんのちょこん前掛けなどが、ちょっと変でおもしろかった。

 

■5月17日(月)/インド総領事公邸ディナー/芦屋

 アショク・クマールインド総領事の招待を受け、芦屋の自宅でカレーをごちそうになりました。当日の招待客は10名ほど。

 総領事からアトラクションとして、ブーシャンとわたしの演奏を依頼されていました。広い居間の一角に絨毯を敷いた演奏の場がもうけられ、そこにわれわれは楽器をおいていました。ところが、来客は楽器を無視して靴のままどんどんその絨毯のあたりを徘徊する。ブーシャンは「楽器と音楽に対する冒涜だ」と憤慨。インド人音楽家の楽器に対する神に近い尊敬を知らないといえばそれまでですが、あんまりでした。

 ブーシャンのタブラーソロ、わたしの「バスリヤー」で約30分演奏しました。

 総領事宅を辞したわたしは、バール・フィリップス歓迎宴会が進行中の角正之さん宅へ急行しました。宴会のはしごです。甚平を羽織ったバールは、みんなのメッセージが書かれた番傘をもらってご機嫌でありました。

 

■5月18日(火)/中川浩安上人葬儀/宝地院

 5月4日に亡くなった中川浩安上人のお葬式の受け付け手伝いをしました。会場には生前の和尚さんの読経を録音したCDにあるわたしの笛が終始流れました。京都の知恩院イベント以来10年以上会っていなかった内田さんが進行役でした。

 われわれがインド留学から帰り、仕事もなくぶらぶらしていたとき、和尚さんにはずいぶん助けていただきました。宝地院の保母さんたちへのヨーガ教室、甥にあたる正興君や正業君の家庭教師も、わたしたちの生活再建には大きかった。あのころはほとんど毎日、宝地院に行って和尚さんと顔を合わせていました。また、わたしがコンサートのプロデュースをするきっかけになったのは、1987年の知恩院の「三上人八百年遠忌・印度西域音楽法要」ですが、これは和尚さんの薦めと協力があってはじめて成立したものです。あの催しがきっかけで、日本の仏教や仏教音楽に触れたことも、その後の私の活動に強い影響を与えています。一緒にコンサートもやりました。飲み食いにつれていっていただいたことも数え切れません。和尚さんを通して知り合った人たちも数多く、わたしたちの財産になっています。阿弥陀如来のことを語るととたんに涙ぐむほど信仰の強い、いまどき珍しいお坊さんでした。ここではとても書ききれないほど、遊んだり、教わったり、アドバイスをいただいたりしました。ご冥福を祈ります。

 宝地院の新しい住職は、かつてわたしが家庭教師をした若い正興君が継ぐことになります。以前にもましてにぎやかな人間関係のある宝地院になってほしいものです。

 

 

■5月19日(水)/ネッド・ローゼンバーグ買い物

 以前、我が家に未洗濯パンツを置き残していったサックスのネッドが久しぶりに神戸にやってきました。ギターの内橋さん、打楽器のサム・ベネットとのトリオ「エド・サリバン」のビッグアップルでのライブのためです。今回の泊まりは、六甲の方に引っ越して著しく住環境が充実した内橋宅でした。内橋宅の大家は、わたしのインド人の友人のラリタです。

 ライブの前に、ネッドの買い物に4時間つきあいました。娘に浴衣を買いたい、ということで街中探し回りましたが、なかなか難しいものです。それにしてもネッドはよくしゃべる。町を歩き回るあいだずっと彼はしゃべりっぱなしです。

 ライブは、いわゆるアバン・ギャルドな即興音楽でした。やはり、演奏家が優れているとこの種の音楽もなかなかよいものです。間の取り方、やりとりの絶妙なバランスは、わたしのやっているインド音楽にも共通するのです。とくにネッドのサックス、バスクラリネットはいいなあ。

 

■5月22日(土)/サム・ベネット+はるなライブ/ビッグアップル、神戸

「エド・サリバン」ライブで、久しぶりにあったサムとはるなさんに、今度一緒にやろう、といわれたので、ちょこっと乱入しました。お客の入りは泣きたくなるほどの少数ではありましたが、ライブ自体はおもしろいものでした。漫画を書いている宝塚の堀口朝世さんも見えていました。ハコのヨーロッパツアーで臨時独り身のクリストファーに家まで送ってもらいました。「たまにハコちゃんがいないと、開放感があるの。ふふふ」とはクリストファーのひとりごと。

 

■5月23日(日)/アクト・コウベ・ジャパン披露宴1/岩淵拓郎宅、宝塚/下田展久、川崎義博、中西弘則、石上和也、杉山知子、大野裕子、中川博志、寺原太郎+百合子、遅れて角正之+岩淵拓郎ご友人大丸勤務女性

「披露宴」というタイトルは、アクト・コウベ会員の個人活動を、それぞれのメンバーの自宅に集まって披露しようということからつけられました。その1回目が、岩淵拓郎宅で開かれました。

 岩淵宅は、宝塚の山手の新興住宅街にある一戸建てです。きつい坂道を上りきったところにあり、徒歩であがったわれわれは、到着したころには息切れをしているのでありました。坂のてっぺんにあるので眺めは抜群です。こんな素晴らしい家に独りで住んでいる岩淵青年がうらやましい。引退した両親がフィリピンに移り住んでしまったために、彼が管理人のように住んでいるというわけであります。

 会員の専門を披露する、という目的ではありましたが、結局は飲み食いの宴会が主になりました。この団体の集まりは、どうしても宴会は避けられないのです。わたしは、専門であるバーンスリーを披露することもなく、単にチキンカレーを作っただけでした。ただ、下田展久播磨守の口琴、鼻笛と思いがけないピアノ演奏、川崎義博選手の朗読作品CDは、食後の心地よい睡眠を誘い好感がもたれました。すっかり宴会も終わった頃、角正之さんが「あれえー、もうおわっちゃったのお」と駆けつけました。次回は、その角正之邸で披露宴2が開かれます。

 

■5月30日(日)/リングリング・フェスティバル/ヒットパレット・神戸アートビレッジセンター/一楽儀光:perc、田中悠美子:三味線、内橋和久:ギター、クリストフ・シャルル:コンピュータ、WON:vo、高田健一:Didlidoo、高田知佳:舞踏、木下和重:vn、岩崎哲二 :bass、江崎将史:trp、岡本光広:drum、小島剛 :sampler、岩田江:sax、渕上純子:vo、安東まきこ :trombone、稲田誠:bass

 急遽開かれたこのフェスティバルは、元来、ユーゴスラビアのベオグラードで開催される予定のものでした。しかし、ご存じのようにNATOによる空爆によって開催できなくなり、主催者が、関わりのあるアーティストたちにインターネットでゲリラ開催を呼びかけたものです。したがって、同じ日に、世界中でミニ・フェスティバルが開かれました。

 これまで日本からは、今回の神戸開催を呼びかけた内橋和久さん、義太夫三味線の田中悠美子さん、ハコなどが参加したそうです。世界中のアバンギャルド音楽家が集まる祭典らしい。

 内橋さんからの呼びかけに答えてわたしも参加しました。多くのミュージシャンが参加していたので、臨時にユニットを組んで行われました。わたしは、ヴォーカルの渕上純子さん、サックスの岩田江さんとのトリオでした。演目は、渕上さんの「椰子の実」「美しき天然」の歌にバーンスリーとサックスがからむ、というまか不思議なパフォーマンスでした。

 アメリカ在住ドクトル新井こと新井義朗さんの我が家への訪問が重なってしまったので、彼も会場に連れていきました。ハコのヨーロッパツアーで臨時独り身のクリストファー、川崎義博選手、マルセイユから川崎さんちに来ていたフランソワーズなども見えていました。

 

■6月3日(木)/デヴァカント公演/石上神社、天理

 デヴァカントとは、わたしと同じ師匠に習っているイタリア在住アメリカ人バーンスリー奏者です。NHKBSの「奥の細道」という番組に、芭蕉のたどった道を訪ねるバーンスリー旅人として登場しました。

 天理市には滅多に行かないので、ついでに天理大学の先生、堀内さん夫婦に会うことにしました。「今日は、わたしは13000歩も歩いたからいいかな」とケーキを食べるみどりさん、ぼくも結構最近腹が出てきて、という智彦さんと、環境汚染著しいネパールのことなどを喫茶店でおしゃべりしました。彼らは、最近の学生は勉強しない、といってましたね。でも、わたしも学生の時は勉強なんてしなかったなあ。

 コンサート会場は、同行したスティーヴン・ギルによれば「ぼくの一番気イにいってる、とてもいい雰囲イ気の神社でえす。いそのかみのいそは石と書っきますけど、昔は、あの辺は池でエしたのから、浜あま辺のイソ(磯)なのでエす。特ッ別のフニキ(雰囲気)で僕は大好きでエす」の石上神社の一室でした。

 ライブには100人以上の人がきていました。前日にメールでしらせた奥野稔青年もきていました。インド音楽だと思っていたら、シンセサイザーカラオケをバックに、ぎんぎんのエフェクトをかけた、いわゆるヒーリング系バーンスリーでした。あまりにリバーブをかけていたので、目をつむって聞いているとまるでレコードコンサートを聴いているような感じでした。音楽自体は美しいけど、あれではライブの実感が乏しい。

 演奏後、デヴァカントは「あー、ヒロシ、あんときのサモサ食べたの覚えてるよ」と、数年前、ムンバイでハリジーのレッスンの後にチャイ屋へいったときのことなどを、CDへサインしながら応答していました。

 公演終了後、ギル夫妻、元創元社の編集者原章さんと天理駅前の居酒屋であわててビールを飲み、それを逃したら京都に帰れないという10時10分の電車に飛び乗りました。この時点で、実はわたしも神戸には帰れない時間であることが推測され、結局、学園前の原さん宅に泊めてもらうことにしました。

 まだ木の香りがただよう原邸は、閑静な住宅街に1年前に新築したということです。お休みだったお母さんや、京都に日舞を習いに入っている奥様をお手を患わせつつ、われわれは3時くらいまで酒を飲みつつよくしゃべりました。原さんはずっと以前からたびたびお会いしていたのですが、まともにきちんとした会話を交わしたのははじめてでした。

 

■6月12日(土)/イサム・ノグチ庭園美術館+讃岐うどんツアー/橋本健二+例子、萱原孝二(現地案内人)、宮垣晋作、松本昌之、川島守彦+元永紅子、植松奎二+信子+琢磨+篤+芳野麻衣、中川博志+久代

 2月に敢行した「讃岐うどん+美術館ツアー」第2弾。もはや、すっかり讃岐うどんの魔力にとりつかれてしまった前回参加メンバー、橋本健二さん、植松奎二さん、宮垣晋作さんは、ついに家族や友人たちまで巻き込み始め、今回の14名という大ツアーに発展したのでありました。

 今回のコースは、「谷川」→「山越」→イサム・ノグチ庭園美術館→「山田家」。前回は、とにかく多くのうどん店を巡るという目的から、1店1玉トッピングなし、という方針でした。しかし、天ぷらトッピングを食べたかったのに、という植松篤くんの不満もあり、店数優先から集中方式に変えました。そこで、今回は「谷川」一点攻撃ということにしたのです。

「谷川」に到着したのが10:45。驚いたことに、11時の開店なのに、すでに30人ほどのお客さんが列をなしていました。前の青年カップル「大阪からです。山越、中村はさっき行ってきました。ここから長田に行く予定」、まるまる肥えた別の青年「愛媛から。前回は7店巡った」などを聞くと、讃岐うどん店巡りがどうやらブームになっている雰囲気です。

 この印象は正しいらしく、現地案内人萱原孝二さんのもってきた四国新聞の全紙特集記事「食・遊一体のおもしろさ~うどんツーリズム」(5月17日)によると、最近は県外からのうどん巡礼者が増えているそうです。記事ではまた、われわれのような県外うどん店巡礼者は容易に識別できるとして、山越の主人の談話も掲載されています。「たいていカップルかグループできて、男でも1玉(小)しか注文しない」。なかなか鋭いところを観察しているものです。まさにわれわれのことではないか。ブームの加熱度は、「あの店行った、すごかったあ」と喜んで知人に紹介することを憂慮せざるを得ない段階なのです。もっとも分かりにくいロケーションにある「山内」は、多数の客の処理のために店内を改装したのでワシはもう行かん、という萱原報告もありました。

 ともあれ、午前中1店のみ、という方針なので「谷川」では2玉食べました。期待通り、安くてうまい。比較的細めの麺はしっとりとした気品がただよい、「山内」のコシの重量感に比べてやさしく、かつ素朴。おばさんおよびお婆さんの運営、という点がこうした特徴を引き出しているのかも知れません。毎日食べてもあきないうどんのナンバーワンです。

 長い行列でしたが、なにしろ客の店内滞在時間は10分くらいなので、14名のツアーメンバーが「うんうん。うまかった」と満足して全員が出てきたのは、11時15分。1時予約のイサム・ノグチ庭園美術館へすぐに向かうにはちょっと時間がありました。そこで、「途中だし、やはりもう1店いってみたい。それにトッピングをまだ食べていない」ということになり、「山越」へ向かうことになりました。

「山越」到着が11:50。この「山越」周辺ではとんでもない現象が発生していました。約80名(彼末例子さん計数)がすでに待機状態、そして列はどんどん拡張しつつあったのです。イサム・ノグチ庭園美術館のある牟礼町までは、ここから約1時間の距離なので、予想待機および摂食時間からするとかなりぎりぎりなのです。しかし、全員がうどん目なので、だれも「止めよう」といいません。「山越」は、讃岐うどん界ではスーパースター。そのうどん質とトッピング充実度はすばらしいものがあります。谷川に比較してコシがかなり強いため重い印象でした。わたしは、ここでは2玉+天ぷらを食べました。植松家の息子たちの、トッピング満載3玉、という県外者にふさわしくない摂食行動のために、思いの外時間がかかりました。

 われわれがお腹ぱんぱんにして12:20に店を出てみると、列はさらに長くなっていました。その列には、さきほど「谷川」で一緒だった大阪青年カップルも混じっていました。「長田いってきました」。なんということだ。われわれが待っている間にかれらはすでに別の店を制覇していたのです。

「山越」出発が遅れてしまったので、牟礼町のイサム・ノグチ庭園美術館には予約時間を大幅に超過して到着でした。予約、と書きましたが、この美術館は厳しい入場制限をしています。往復はがきで予約申し込みをしなければ入れないのです。

 屋島の東裏の牟礼町は、庵治石の産地として有名で、晩年のノグチはここにアトリエを構え作品を作り続けたのでした。丸亀の豪商の屋敷を改造した自宅は、内部にはいることができないものの、簡素で美しい室内をかいま見ることができました。有名なノグチの和紙を使ったあかりや、石の作品があちこちにさりげなく配置してあります。実に美しい簡素さです。どういうわけか、インドネシアの竹の楽器アンクルンが天井からぶら下がっていました。

 ほとんどのメンバーが、うどんはもういい、魚だ、という気分だったので、美術館を後にしたわれわれは地元の黒之屋に向かいましたが、あいにく予約のみ。そこで、かねがね牟礼にいくならそこ、という目算だった「山田家」へ行き、うどん巡りの仕上げでした。「山田家」は、酒造倉を改造したかなり大規模な、オモテうどん店。ここのうどんは、いかにもオモテらしく万人向けの仕上がりでした。

 

■6月13日(日)/あしゅんライブ/古幸邦拓:タブラー、寺原太郎:タンブーラー、中川博志:バーンスリー

 この日のお客さんは13名。あしゅんライブとしては上々です。大学の同級生湊夫妻、奥野稔君、林百合子さん、東野健一さんとそのお友達の奈良からの女性、TOAの吉村夫妻、シタールをやりたいといっていた神戸大学の女子学生2名、河原みか+息子などなど、ほとんど顔見知りの人たちでした。ちょうどライブが終わったときに、ブーシャンも現われました。数年ぶりに共演した古幸さんのタブラーには、慣れてなかったせいか乗り切れませんでした。タブラー奏者とある程度は一緒に練習しなければノリを共有できないようであります。

 

■6月19日(土)/ブーシャン+寺原太郎ライブ/レッド・ライオン、大阪・十三

 ブーシャンのタブラーワークショップもいよいよ本格始動しています。大阪の会場であるレッド・ライオンで、その景気づけライブが行われました。寺原太郎君のバーンスリーも本当に安定してきていました。ブーシャンのタブラーソロは素晴らしかった。客は20名ほど。

 

■6月20日(日)/生パスタ大会/中川家/参加者/ピーター・クラット、ヒロコ、ラリタ、池田哲朗

 近所の外賀嘉起フォトグラファーにパスタマシーンを借りました。最近、生パスタ製造にいそしんでいます。これが、乾燥したスパゲティーなんかよりもずっとずっとおいしいのです。というわけで自慢していたら、じゃあ、食わせろ、ということになり、ピーター、ヒロコさん、ラリタと元イトマンボンベイ支店長の池田哲朗さんとで宴会をしました。

 ヒロコさんがソース担当。ラリタは、パスタ生地をを広げ麺にしていく作業を嬉々として手伝いました。もうあたりは粉だらけ。

 

■6月21日(月)~22日(火)/太地町くじら取材

 これも、久代さんの取材くっつきでした。和歌山は、同じ近畿圏なのに本当に遠いところです。ほとんど山だらけなので、目的地には直線的に行けないのです。神戸から太地町まで車で6時間かかりました。

 太地町は、C.W.ニコルの『勇魚』の舞台にもなったクジラの町。国際捕鯨委員会(IWC)の規制によって日本の捕鯨は近年著しく制限されています。しかし、近海捕鯨はまだほそぼそと太地町で続いています。現在、認められている捕鯨船は太地町で3隻だけということです。

 国民宿舎「白鯨」に一泊し、クジラ料理コースを食べました。クジラというのは、そんなにおいしいものではないですね。少年時代に、ちょっとにおいに癖のある、かみ切るのが難しいほどスジのしっかりしたクジラ肉を食べていましたが、あのときのイメージがなかなか離れない。

 準備を何もせずに出かけた今回の取材では、昨年の那智の滝深夜酩酊演奏でお世話になった芝先隆さんにお世話になりました。芝先さんに紹介していただいた民芸品作家の小出勝彦さんのお宅に突然押し掛け、焼酎をいただきました。小出さんは、クジラの形の土鈴や陶器を作っている方です。

 

■6月22日(火)/ウスマン・カーン・シタールコンサート/宝塚ベガホール/ウスマン・カーン:シタール、ムケーシュ・ヤーダーヴ:タブラー、ダナ・ジェイ-クライ:タンブーラー

 太地町から延々5時間かけて西宮まで戻り、その足で宝塚のコンサートに行きました。

 ウスマン・カーンの演奏を一言でいうと、シタールのクロード・チアリ、炭酸抜きのサイダーという感じでした。前半は全体の構成が中途半端で、舞台で練習をしているのではないかと思ったほど。後半のキルワーニーは、一つ一つの音が非常にクリアーで美しく聞こえました。しかし、いかんせん、ぐいぐい聴衆を引っ張っていく迫力に欠けています。タブラーのアンチャンは、明快な演奏でしたので、ちょっともったいない気がしました。

 会場には、アショク・クマールインド総領事夫妻、田中峰彦+理子、寺原太郎+林百合子、APASレーベルCD売り子としてジーベックの下田展久+三井康嗣氏らもきていました。以前、渡辺香津美さんとラリー・コリエルの神戸ライブの打ち上げで知り合ったムケーシュ、ラジャニの双子とそれぞれの配偶者、ショバとヨウコさんに会いました。帰りは彼らに乗せてもらいました。神戸に着いてから彼らと居酒屋で飲み食い。神戸生まれのインド人とインドのことをしゃべるのは調子が狂います。

 

■6月26日(土)/神秘のリズム"カタック"/伊丹アイフォニックホール/スラバニ・バナジー:ダンス、ラケーシュ・ミシュラ:タブラー、パンカジュ・ミシュラ:サーランギー、パルタ・ロイ:シタール、サンバュクタ・バナジー:ヴォーカル、ハールモーニアム(人名はプログラム記載のまま)

 なかなかに楽しい公演ではありました。ダンスや演奏の水準は、インド国内で見たものよりも低い。ただ、全体の構成やエンタテインメントに徹した舞台は、それなりに楽しめましたが、場慣れした聴衆サービスにはちょっと辟易でした。小柄でかわいいダンサーは、太りすぎだし、タブラーはあまり繊細とはいえず、シタールはアマチュアっぽい。しかし、サーランギーは、若い演奏家の割に聞かせます。

 アミットの弟、通称チョーター・バッチュー(小バッチュー)が来日していて、この日会いました。97年にわれわれがカルカッタの家に居候したとき以来でした。彼のビザ発給に当たっては、カルカッタの日本総領事館に赴任した笹井さんの力添えを受けました。寺原太郎+百合子、シタールの檜原選手、タゴール暎子さん、インド舞踊の櫻井暁実さん、CD売り子として頻繁に講演会場で顔を合わすようになったジーベックの下田+三井選手らも見えていました。

 公演後、小バッチュー、一緒にきた田中峰彦+理子選手と田中宅まで行きました。前日の東京公演でくたびれたバッチューが、辻口選手のレッスンをしていました。バッチューは、かなりのびた髪を金色に染め、まるでレゲエ歌手のよう。

 田中夫妻、両バッチュー、辻口選手とで近所の居酒屋へ。小バッチューに、ちょっと怖がっていた刺身を無理矢理口につっこみました。次の日、小バッチューはお腹をこわしたそうです。

 

■7月4日(日)14:00~/ひろかわでらライブ&ワークショップ/弘川寺、大阪府河南町/主催:里山クラブ

 歌聖西行が、「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」という歌を残して、境内の「花の庵」で81歳で亡くなったという弘川寺でのライブでした。弘川寺は、葛城山の麓に建つ由緒ある名刹です。

 主催は、近隣の里山を楽しみ保存する活動をしている里山倶楽部です。聴衆は、山歩きの格好をした老若男女でした。このライブは、96年8月大阪府青年の家のワークショップに参加していた井上晃一さんからの依頼でした。

 枯山水の庭が両サイドに見えるお寺の控え室から、山の緑を眺め、ウグイスなどの鳴き声を聞いていると、西行の歌が実感されます。

 帰りは、会社員の大塚憲昭さんの車で新大阪まで送ってもらいました。大塚さんは、新しいマネーシステムのことに関心があるということ。知り合いの映画監督、鎌仲ひとみさんがつい最近作ったNHKの番組「エンデの遺産」の話に興味を持っていました。

 

■7月5日(月)/竹取り/中尾さん宅/鈴蘭台

 8月の竹の楽器によるワークショップに使う竹を取りに、下田さんと鈴蘭台の中尾さん宅に行って来ました。中尾さんは、下田さんと同じジーベックに勤める人ですが、農業も営む大地主なのです。切り取った竹の油ぬきは楽しかった。

 この日はソフマップに行って、前日にもらったギャラで、外付けハードディスクを購入しました。先日、下田さんのマック内蔵ハードディスクが突然死んでしまいデータが全滅になったと聞き、あわててバックアップ用のハードディスクを買ったというわけです。それにしても、最低記憶容量が最近では4.3ギガなんですね。ものすごい量です。

 

■7月6日(火)/ダンスリー・ルネッサンス合奏団公演「ケルトの世界~シェイクスピアの時代」/ジーベック

 ダンスリーのはじめてのジーベック公演は、満員の盛況でした。古楽器は小さな音量です。しかし、その小ささと輝きがすがすがしく、とくに曲が終わった瞬間の静寂がすっと胸にしみ込んできます。今回のメンバーは、リュートの岡本一郎さん、ヴィオラ・ダ・ガンバ/フィーデルの坂本利文さん、笛関係の中村洋彦さん、ソプラノの松井智恵さん、そして例によって進行役のマリボンヌでした。松井さんの声が透明で美しかった。

 このコンサートのために京都からやってきたスティーヴン・ギル、カズエ夫妻が、我が家に一泊。血液型による性格判断の信頼性の有無、人類は系統発生か個体発生か、これから地球及び人類はどうなっていくのかなどという真面目なものから、スティーヴンとわたしの1970年代世界放浪など、2時過ぎまでおしゃべりを楽しみました。スティーヴンの放浪の話を聞いていると、アフガンやネパールの当時の様子や食堂の名前など、わたしと共有する体験がずいぶんありました。

 

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◎これからのできごと◎
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■7月17日(土)、18日(日)/びわ湖舞台芸術フェスティバル~チャンドラレーカ舞踊団&勅使河原宏『スローカ』/滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホール/問い合わせ:びわ湖ホール077-523-7136

 

■8月3日(火)、4日(水)19:00~/竹之内淳舞踊ライブ「自然(じねん)」/トリイホール/共演/岡野弘幹with天空オーケストラ、山本公成:笛+Sax、山崎晃男:ガムラン・パーカッション、ひきたま:コラ+声、浦川洋昭:弦楽器、浜中格:Sax、まむ:ブズーキ他、貴瀬誠:岩笛他、西田信之:サイコタンブーラ他、福本卓道:尺八、片山旭星:琵琶、中川博志:バーンスリー、等々力政彦:ホーメイ、慧奏:パーカッション他など/前売り2800円、当日3200円/予約問い合わせ:トリイホール06-6211-2506

 

■8月8日(日)、9日(月)/子供のための音楽ワークショップ/青少年科学館+ジーベック、神戸ポートアイランド/問い合わせ:ジーベック078-303-5600

 

■8月13日~16日?/十津川村盆踊り合宿

 

■8月25日(水)/ジーベック・ワークショップ99/ジーベック・ホール/第1回タブラー/デモンストレーション/タブラー:クル・ブーシャン・バルガヴァ、ハールモーニヤム:藤井千尋/ナビゲーター:中川博志/対象:小中高校音楽教師、一般/問い合わせ:ジーベック078-303-5600

 

■8月27日(金)/アジアの音楽シリーズ第18回コンサート「即興の芸術�」/ジーベック/ドゥルバ・ゴーシュ:サーランギー、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、中川博志:バーンスリー/問い合わせ:ジーベック078-303-5600

 

■8月29日(日)13:30~17:30/連環する時の調べ~ガムラン、琉球音楽、インド古典音楽/河内長野ラブリーホール/マルガ・サリ:ガムラン、大工哲弘+苗子:沖縄民謡、ドゥルバ・ゴーシュ:サーランギー、東野健一:ポトゥワ紙芝居、中川博志:バーンスリー/企画:天楽企画/問い合わせ:ラブリーホール0721-56-6100

 

■9月4日(土)19:00~/第7回庭火祭/国際民族音楽祭IN八雲/熊野大社野外ステージ、島根・八雲村/声楽:ダーガルブラザーズ(ヒンドゥスターニー音楽ドゥルパド声楽)、中川博志:バーンスリー他/問い合わせ:庭火祭実行委員会事務局 Tel.0852-54-0087(熊野大社社務所内)

 

■9月11日(土)14:00~/インド文化センター講演/インドの音楽と日本の音楽/盲人情報センター、大阪肥後橋/中川博志:講師/問い合わせ:アジア協会アジア友の会06-6444-0587

 

■9月28日(火)~10月2日/エイジアン・ファンタジー99/東京・青山スパイラルホール/問い合わせ:ピットインミュージック03-3352-0381

29日(水)/梅津 和時 (Sax)、ドゥルバ・ゴーシュ(sarangi)、ヨーゲーシュ・サムシー(tabla)、中川 博志(bansuri)、坂井 紅介(bass)、ゲスト:おおたか静流(vocal)

 

■10月19日(火)19:00~/中川博志ソロライブ/金沢市民芸術村・ミュージック工房

 

■10月22日(金)14:00~?/大阪市民ワークショップ

■10月27日(水)14:00~?/大阪市民ワークショップ

 

■11月1日(月)/龍谷大学学園祭/クラット・ヒロコ:タブラー、中川博志:バーンスリー他