「サマーチャール・パトゥル」27号2001年1月30日

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。あれよあれよという間に、2001年になっちゃいました。年賀状を送っていただいた方々には、この通信がその返信だとお受け取り下さい。

 われわれは、これまで通りよれよれとしぶとく元気で過ごしています。一日缶ビール5本と10時間睡眠態勢(アメリカにいる友人のドクトル新井は、これを10.5生活と命名)をかたくななまでに遵守する久代さんは、卒業まであと少しとなり、「単位は足りてるけど、やるもんね」と卒論に没頭しているように見受けられます。

 さて、半年に1回のペースで発行してきたこの通信でしたが、昨年は例年になく落ち着くヒマがなく、かつ、非可逆的怠慢傾向に歯止めのかからないありさまのため、前回の2月号からはほぼ1年経ってしまいました。このような、何の役にも立たない通信を発行し続けるには、適度な仕事と圧倒的な自由時間が必要だとつくづく思います。今回は、その圧倒的なヒマ状況がじゃっかん破綻し、とにかく出たり入ったりが多かったので、このように遅くなってしまったわけであります。

 まず3月は、アクト・コウベ・プロジェクト2000のためフランス、スイスに10日間、5月はフィリピンのバギオに11日間、7月はイギリス各地に12日間の海外旅行がありました。これで約1ヶ月は家を留守にしました。また、6月、7月、10月にはそれぞれ10日間ほど東京でした。これでさらに1ヶ月、留守でした。このような留守状況に加え、こまごまとした日常のあれこれが通信完成を阻んできたのであります。

 そこで、今回は大幅に編集方針を変えました。2月以降のことは、すでに100年ほど昔のことに感じられとても思い出せません。したがって、いちいちの出来事に関しては最小限のコメントのみとし、今年、いろいろ見たり聴いたり、考えたりしたことをつらつらと書き連ねるというスタイルにしました。編集方針が変わったからといって、ためになることはほとんどない、という旧来のトーンは変わっていません。

 

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改名宣言◎
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 前号でも触れていますが、昨年からHIROSと改名することにしました。といっても、役所に届けるといった「正式」な変更ではなく、これからはそう呼んで欲しいという単なる願望です。

 博志という名前は、わたしの承諾もなく両親が勝手につけたものです。ところが、彼らは、名付けたそのときからヒロシではなく、これまでずっとヒロスと呼んできました。母親の使う言語は、文字通りマザータングです。したがって、マザータングに忠実であろうとすれば、ヒロスが正しいのです。

 ヒンドゥー至上主義政党BJPが政権を取ってから、インドでは地名の改変が行われました。ボンベイはムンバイ、マドラスはチェンナイ、カルカッタはコルカタになりました。これは、イギリス植民地時代の英語なまりの地名を、それ以前の正式な呼び名に戻したいという理由からです。改名に伴う多大なコストとエネルギーをものともせず、200年以上にわたって使われてきた通称を惜しげもなく捨て去った矜持は立派なものです。

 さて、誇り高きインド人が敢行したのだから、わだすも改名をやっていいはずです。これまでずーずー弁というさげすみに満ちたレッテルを貼られてきた我がマザータングである山形語の正式な発音を表記すべきだ、と考えたのでありました。しかし、悲しいことに山形語は、言文一致文字というものをもたない。「日本標準語」でヒロスと書いても、スのあたりが微妙に違っていて正確に表記することができない。そこで、HIROSということにしました。ローマ字であれば、世界中の多くの人たちが即座に発音できるし、なによりも字数が少なくて簡単です。そして、「中川博志」といちいち呼んだり書くよりもエネルギーとコストが少なくて済む。というようなわけで、今後はわたしのことはHIROSと書くなり呼んでほしいのであります。改名を決意して以来、この名前は神戸および欧米極小限定地域でかなり定着してきています。3月にマルセイユにいったときは、フランス人たちは「イロース」と発音してましたが。ともあれ、そういうことですので、よろすくご協力のほどを。

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再び、うどんについて◎
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 この通信で、讃岐うどんのことについて再三触れてきました。読んだ人からは「ああいうものを書かれては困る。猛烈なうどん欲が刺激されて、いてもたってもいられない。責任とってほしい」という反応がありました。どうも、うどん欲の強い人が世の中には多いようです。

 先日、小豆島に住む森さんからビデオが届きました。森さんは、わたしの弟の配偶者の父君です。ふだんはほとんど交渉のない人なので、だしぬけにビデオが届きびっくりしました。森さんは、いつもわたしが送りつけるこの通信を読み、ははあ、あの男はうどんというものに並々ならぬ欲があるようだ、このビデオを送って反応をみてみよう、と思われたようです。

 狂喜しました。内容は、「巡礼讃岐うどん八十八箇所」。これは、岡山の民放テレビ「Voice21」という1時間の番組を録画したものでした。うどん特集は、1ヶ月に1回の放映で5回分。ということは、小豆島の森さんは約半年にわたってその度に録画したもののようです。リタイヤ生活のなせるわざか、持続力がすごい。

 四国札所八十八箇所というのはお遍路さんの巡礼で有名です。しかし、讃岐うどん八十八箇所というのは、なんとなく胸騒ぎのする響きです。今や文庫本にまでなってしまった『恐るべきさぬきうどん』を出した麺通団と称する結社が、巡礼コースとしてたどれるように八十八箇所のうどん店をリストアップして、タウン誌の付録としてつけたことがことの発端らしい。

 実にローカルなコマーシャルをはさむ番組は、女性と男性のレポーターが初代うどん王などというものの案内で巡礼コース順に各うどん店を案内するという趣向。バラエティーに富んだ讃岐的激安うどん屋が次々に紹介されるのを見ていると、夕食を食べたばかりだというのに強烈なうどん摂食欲が刺激されます。そこで、加ト吉の冷凍うどんを1玉、醤油で食べました。

 それにしても、やはり讃岐というか香川はちょっと変です。うどん嗜好遺伝子が組み込まれているとしか思えないほど、ひたすらうどんなのです。どうしてあんなにうどんが好きなんでしょうか。そして相変わらず、安い。うどん一玉はたいてい100円から高いところで300円程度。いわしの天ぷらトッピングで有名なある店では、いわしの値段が一定しないので時価という値札を下げているのですが、150円~200円の間で10円単位で変動します。良心的というよりも、頑迷実直的。こんなことは、儲かってるのに「ぼちぼちでんなあ」などという関西では考えられません。

 一般に食べ歩き番組の、タレントやレポーターの食べるありさまはけっここう浅ましく下品です。たいてい店側が客にすり寄る姿勢が感じられる。しかし、この番組は、洒落のなかに真剣さが漂い、清貧的きっぱり感がありました。これは、担当のディレクターのうどんへの愛情がにじみ出ていたからでしょう。うどん太りらしいころんとした彼自身もたびたび登場し、わさわさとうどんをすする。報告者も取材対象者も、映像も、決して品性のあるものではありませんが、一種の文化を感じさせます。

 番組で、八十八箇所すべてのハンコをもらった人がすでに何人か出ていることを紹介していました。新しい巡礼の形です。ただ、心配なのはこれがブームになることです。余計なお世話かも知れませんが。ともあれ、近いうちにぜひ踏破したいものです。

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アクト・コウベについて◎
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 3月に、アクト・コウベの仲間14人と一緒に、マルセイユとベルンに行きました。昨年も同じコースで訪ねましたが、今回は国際交流基金の助成金を得たので自腹ではありません。

 以下は、アクト・コウベの通信に書いたものです。旅行中はいろいろありましたが、なにせ100年前にも感じられるほど昔のことなので細々としたことはここでは書きません。

 渡航メンバーは、石上和也(コンピュータ音楽)、稲見淳(コンピュータ音楽)、ウィヤンタリ(ジャワ舞踊家、佐久間新配偶者)、鎌仲ひとみ(ドキュメントタリー映像)、川崎義博(サウンドアート)、小島剛(コンピュータ音楽)、佐久間新(ジャワ舞踊)、進藤紀美子(文筆)、杉山知子(現代美術)、角正之(ダンス)、中川博志(団長、バーンスリー)、中島康治(写真)、林百合子(編集)、東野健一(紙芝居)、森信子(ジーベック)

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未来につながるActe Kobe 2000

 アクト・コウベ・ジャパン(AKJ)は国際交流基金の助成を受け、3月11日から10日間、マルセイユとベルンを訪れた。今回は15名が、両市で開催されたActe Kobe 2000に参加した。

 昨年のActe Kobe 1999は、日仏会員が互いに知り合うための交流が中心になった。今回は芸術交流の具体的な活動が1カ所で集約的に行われ、双方の参加メンバーも昨年より増えた。その結果、人間関係のみならず、芸術的な意味でもより幅のある緊密な関係を築くことができたように思う。

 AKFの仲間たちは、活動をする上で必要なものが完備された素晴らしい空間、GMEM(Groupe de Musique Experimental de Marseille)を用意してくれていた。われわれは毎日、会場に集まり、それぞれができること、やりたいことを出し合い、音楽、美術、舞踊、さまざまな試みを行った。それは、AK活動のコンセプトである「壊れやすさ」と「創造性」をはらんだ芸術家たちの自発的で自由な「遊び」であった。その成果は、同会場で行われた最終日の公演において、聴衆にも十分に伝わったと確信している。

 また、ベルンにおいても、さまざまな芸術家たちの活動拠点となっているダンプツェントラーレ(元水力発電所の建物)を会場として、マルセイユの活動の精神を引きつぎつつ、2日間にわたる公演が行われた。震災後、マルセイユに続いて連帯の意志表示をしてくれたベルンで、AKの実質的な交流活動が行われたのは、今回が初めてだったので、新しい仲間たちと知り合うことになった。

 忙しい10日間であったが、今回の渡航は、われわれAKJだけではなく、AKF、そしてスイスの仲間たちと今後どのようなことができるのかを確認する意味で貴重な体験であった。来年、神戸で開催することになっているActe Kobe 2001は、今回の貴重な経験を生かし、よりダイナミックなものにしたいと考えている。

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 さて、今年は逆にアクト・コウベ・フランスのメンバー20名が神戸にやってきます。やってくるメンバーです。

 

●7月1日第1弾来日

 クロード・アバド(画家・・・小児マヒのため口で画筆をとる。99年、アラン・ディオの家でわたしと東野さんと共に居候)、イヴェット・ブスケ(写真家・・・クロードの夫人。スピード狂でかわいい眼鏡オバサン)、ヤシャ・アジンスキー(映像作家、ビデオ・・・プロバンスに住むアメリカ人映画監督。若い女性をすぐ口説く)、キャリー・アジンスキー(ビデオ、ヤシャ氏夫人)、アラン・ディオ(画家・・・アクト・コウベ運動の発起人の一人。酒をこよなく愛するペンキ職人のような芸術家)、アレキサンダー・ディオ(現代美術・・・アランの息子。2000年3月にはDJとしても活躍。のほほん好青年)、オリヴィエ・ウーア(現代美術・・・経済学者ピエール・ウーアの息子。タランティーノによく似たひょうきん芸術家。美女の弁護士妻とのあいだに子供が最近できた)、マガリ・ラティ(現代美術・・・ファッショナブル、クールで可愛い女性芸術家。日本人の若い男に圧倒的な人気)、アラン・パパローン(現代美術・・・わたしが楽天的厭世家と名付けた中年すねすね画家。定住家がなく、転々と居候の生活を営む)、マキ(写真家、音楽家・・・赤ら顔耳ピアス短髪の即興ギタリスト。アバンギャルド系音楽ラジオ番組の制作者)

 

●7月19日~31日第2弾来日

クリスティアン・ブラゼール(音楽家、bass/巨体なのにどこか気の小さな素晴らしいミュージシャン)、ライオネル・ギャルソン(音楽家、sax)、ステファノ・フォゲール(音楽家、cello/どんなセッションにも首を突っ込みたがる俳優兼ミュージシャン)、ジャン・ピエール・ジュリアン(音楽家、percussion/沈着クールでいながら絶妙のセッションバランスをもつパーカッショニスト)、リシャール・レアンドル(音楽家、bass/地味な物腰に超強烈フェロモンを発散させるベーシスト)、バール・フィリップス(音楽家、bass/アクト・コウベ・フランス代表。プロバンスのお城に住むカリフォルニア出身のアメリカ人。65歳の青年)、クロード・チャミチャン(音楽家、bass/2000年3月には、ギタリストのレイモン・ボニとまかない係に徹していたジョーク好きのミュージシャン)、シルヴィエ・クニエコウ(ダンサー・・・製鉄所の労働者を思わせるしぶとくたくましいのたうち系ダンサー)、ジュヌヴィエーヴ・ソラン(振付家、ダンサー/レイモン・ボニ配偶者。すらりとした長身、気品漂う振付家。アコーディオンの名手でもある)、フランソワーズ・バスティネリ(事務局スタッフ/無口な強力実務家。表立たないが、誰もが無視できない頼もしさに満ちている)

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 これらの人々に、AKJのメンバーはもとより、スイス・ベルンや台湾からも加わる可能性もあるアクト・コウベ2001プロジェクトは、今年の7月いっぱい神戸で繰り広げられる予定です。諸財団の助成金も得て資金的なめどもたち、着々と準備に入っているところです。活動予定は以下の通り。わたしは、6月、7月、CAP HOUSEに詰めて全体の調整係を行う予定です。興味のある方は是非、参加して下さい。

 

●アトリエ活動

場所:CAP HOSUEで一人1部屋を基本に使用/期間:2001年7月1日~30日を予定/活動:作品制作、コラボレーション実験、アトリエ公開、作品展示など。

●公開メイン・イベント(パフォーマンス):AKの主旨をプレゼンテーションする/会場:ソニックホール:「神戸電子専門学校の新ホール」/期間:2001年7月27日(金)、28日(土)/チケット:1000円(1日)/出演者:AKF、AKJメンバー/AKの活動主旨を理解して参加してくれる友人/内容:*AKFの提案によるシアターピース・プロジェクト。

 

●展覧

会場:CAP HOUSE(メインは2階のCAP GALLERY)/期間:2001年7月8日(日):オープニングレセプション~7月29日(日):ファイナルパ ーティー/入場無料/作品:2001年6月中に過去の作品も集め、展示。アトリエ活動での作品も各部屋で発表あり。 写真プロジェクトの写真は全て集めて展示(できれば1階オープンスペースで)

 

●シンポジウム

テーマ:AKの活動/芸術と社会/アクトコウベのこれから(仮)/会場:CAP HOUSEオープンスペース(1階)/日時:2001年7月29日(日)夕刻/参加無料 ・パネラー:未定

 

●AKJ披露宴

基本的に1月~4月は、プロジェクト2001の準備

 

●その他のイベント

■ワークショップ:CAP のアート林間学校の企画とタイアップしてCAP HOUSEで数回開催。主にアトリエアーティストが担当/時期:7/21(土)~29(日)のいずれか

■酒心館/ウェルカムパーティー/会場:酒心館(東灘)/日時:2001年7月21日(土)午後/内容:来日メンバー歓迎と、パフォーマンスのある日本酒パーティー/参加者:AKメンバーと招待客

■神戸山手女子短期大学特別講議:7月初旬に来日アトリエアーティスト中心に参加依頼

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フィリピンについて◎
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 9月の京都芸大集中講義のとき、日本からインドまでの地図を学生に書いてもらいました。精度はまちまちでしたが、一つだけ共通点がありました。それは、全員の地図にフィリピンが抜け落ちているのです。どうも、彼らにはフィリピンの印象はとても薄いようです。わたしも実は、2年前にAFOツアーでマニラへ行く前までは、彼らと同じでした。

 そのフィリピンへ、5月の連休のあと、河内長野市ラブリーホールの宮地泰史さんと行きました。目的は、バギオ市に住むカリンガ族のアーネル、エドガーのバナサン兄弟に会い、彼らの竹の楽器の製作や音楽を習うことでした。

 この兄弟を知るようになったきっかけは、南浦和に住む友人の映像作家、鎌仲ひとみさん、通称カマチャンの借りている家のオーナーが、アーネルの奥様、反町真理子さんだったからです。そして、なんと都合がよいことに、アーネルはカリンガ族出身のミュージシャンだったのです。

 カリンガ族の竹の楽器による音楽は、ホセ・マセダの『ドローンとメロディー』(高橋悠治訳、1975)や、『ウドゥロッ・ウドゥロッ』(30人から数千人にいたる演奏者のための音楽)という作品、ビクターから出ている映像『世界民族音楽大系』などでなんとなく知ってはいました。しかし、直接フィリピンまで出向いて、楽器や音楽に触れたのは今回が初めてです。

 

バギオ市

 彼らが住んでいるのは、マニラから車で7時間ほどかかる山上都市、バギオ市です。ねっとりとした暑気の充満するマニラに比べて涼しく、海にも近いため新鮮な魚介類や、野菜も豊富です。坂なりに展開する中心街の混雑した市場には、道の両側に魚や野菜を売る小さな店がびっしりと連なり、買い物客であふれかえります。またここは、フィリピンの金持ちたちの別荘地としても有名で、広壮な別荘があちこちに点在しています。全体の雰囲気としては、イギリス人たちの開いたインドのシムラーやダージリンといった植民者避暑地を思い起こしました。

 熱帯の土地にいることを忘れさせる避暑地ですが、コルディレイラといわれる山岳地帯からの人々の流入、無計画な乱開発などで問題も多いようです。排気ガス規制などてんで関係のなさそうな自動車の多さによる大気汚染が強烈です。また、水問題が深刻です。なにしろ山のてっぺんに開かれた町なので常に水不足です。家々には必ず雨水を貯めるタンクがあります。アーネルたちの家では、バケツに貯めてある水を使ってトイレやシャワーに使い、飲料水は買っているということ。

 

カリンガの楽器と音楽

 バナサン家にはそのとき、アーネル・真理子夫妻、アーネルの弟エドガー、長男アラシ、次男ビリク、生まれたばかりの長女キカ、ひょろっとしておとなしいローウェル、大学で観光学を学ぶ18歳のリオの8人にわれわれが加わり、総勢10人いたことになります。またときには、カリンガから元気なお母さんがやってきたり、9歳の息子ミラを連れたアーネルの姉のジョスリンなどもやってきて、とにかく出入りの忙しい家です。

 さて、居候のわれわれは、毎日、楽器素材である竹を近所の山に行ってとってきたり、楽器を作ったり、それで音楽を習ったりしたのでありました。

 かつては首狩り族であったというカリンガ族の音楽は、実にシンプルです。いろいろな形の楽器が竹から作られますが、音楽の基本はすべて同じです。一人一人は、単純なリズムパターンを繰り返すだけです。ソロ演奏はありえません。必ず、6人が一組になって演奏される。ただし、全員で同時に打ち出すのではなく、同じパターンを次々に半拍ずつずらす。すると、単純なリズムパターンは錯綜したうねりをもってくる。半拍ずつずらす、というのは最初はなかなか把握できませんでした。しかし、慣れてくると全体の音のうねりに埋没していくような、トランスにおちいるような気分になるのです。アーネルは「カリンガの音楽を楽しむには、友達にならなければならない」といってましたが、まさにその通りで、一人だけ目立とうとするとたちまち調和が崩れ去ってしまう。個人の技術や表現力だけが重要なインド音楽とは対極にあるといえます。

 

バギオからマニラ

 カリンガ楽器徒弟生活のバギオから、お土産の野菜をもってマニラのグレース・ノノの家に4泊、居候しました。彼女は、AFOツアーでずっと一緒だった素晴らしい歌手です。不快指数100点満点のマニラだというのに、家にはエアコンがなく、しっかりと熱帯生活を満喫しました。彼女の家ではほとんどなにもせず、つい最近演奏活動を再開した夫のバークレー卒ギタリスト、ボブ、グレースのそっくりコピーである娘のタオとおしゃべりの日々でした。

 日曜日、グレース一家と映画を見ようとメガモールへ行きました。メガモールは、巨大なショッピングセンター。エアコンギンギン空間なので、涼みに来る人たちでいっぱいでした。なかに映画館がかたまったフロアがあり、われわれは、そこにトイレ近辺で何を見ようかと午後4時ころ相談をしたのでした。次の日曜日の同じ時間の同じ場所で、時限爆弾が破裂し死亡者を出したことを知ったのは、帰国して10日ほど後のことでありました。フィリピンもなかなかにスリリングなのです。多民族、他言語、政治腐敗、富の分配の不均衡。フィリピンに限らず、植民地であったことで今もってひきずる問題の解決はかなり遠いようです。

 カリンガ青年、アーネル、エドガーそして真理子さんと子供たちは、8月に来日し、十津川村で盆踊りを楽しみ、大阪のトリイホール、神戸のジーベック、河内長野でそれぞれワークショップを行い11月に無事帰国しました、と書きたいところですが、エドガーだけが国内で行方知れずとなり、現在もどこかで不法滞在者としてふらふらしている模様です。たくましいというのか、近代法治社会的よりも部族社会的原理に基づいて行動しているかのようであります。

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イギリスについて◎
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 7月に、わたしの関係する聲明グループ「七聲会」公演のため、イギリスへ行ってきました。以下は、出発前に新聞社に送った文章です。
七聲会、ロンドンへ

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 というわけで、7月5日から約10日間、上の記事の予定通り9回の公演をこなし17日に帰国しました。どの公演でも暖かい聴衆に恵まれ、所期の目的は果たせたのではないかと思います。シティー・オブ・ロンドン・フェスティバル主催で行われた公演では、主催者のプロデューサー、マイケル・マクロード氏が「今回のすべてのフェスティバル・プログラムのなかでは一番のハイライトだった」と絶賛してくれました。この公演は、バービカンのセント・バーソロミュー・ザ・グレートという12世紀創立の古い教会で、中央の十字架のある祭壇を舞台に行われました。また、他の公演も好評でした。各地の聴衆が、公演後、舞台にやってきて、紙でできた「華」を拾い集めたり、質問をする聴衆の姿が印象的でした。公演数は、ロンドンが6回、Brawby村、Kendal、Winchesterが各1回の9回。ロンドン以外は、運転手つきのミニバスレンタカーで移動でした。フリーメイソンのメンバーだと自称する63歳の実直、超安全ドライバー、ダニーがずっと一人で全行程を運転しました。

 エピソードに事欠かない、妙な、男だけのツアーでしたが、以下、印象の強かったことを書きます。

 

イギリスは寒い

 まず、イギリスは寒かったこと。かなり暑かった日本からロンドンについてみると、空は常にどんよりとしてすっきりせず、つかの間、陽が出たと思ったらとたんに小雨が降りだす。他の出演者たちの練習に刺激された七聲会のメンバーが、ロンドンの宿舎の中庭で声を出したときが最も寒かった。わたしは、デジカメを持つ手が震えていたのでありました。ときおり晴れると今度は汗ばむほどの暑さ。というように、ロンドンでは真夏、春、秋、冬用の衣類と傘を常に携行しなければならないのです。着たり脱いだりがとにかく忙しい。

 

ロンドンは汚い

 ついで、ロンドンの街は意外と汚い。インド系、アフリカ系、中国系など、ロンドンには多くの非白人が住んでいることも関係しているのかも知れません。どの大都市も、ディテールのところでは特有の汚さをもっているものですが、ロンドンは、乾いた粘液的汚れというのか、どことなくインドに共通するものをもっているようです。とくに、われわれが滞在していた宿舎のあるキングス・クロス駅周辺は、ボンベイの街のように見えました。実際、インド系の経営するコンビニやホテル、レストランが多かったせいでもあります。パリと比べて、なんとなく雑然とした印象です。

 

イギリスは美しい

 一方、ロンドン以外は、ひたすら美しい。なだらかな緑の起伏が延々と続き、まるで全国土が富良野か十勝平野のようです。子供の背くらいの高さの石垣に区切られた牧草地では、羊や牛がのんびりしています。そして、麦やジャガイモなどのゆるやかな起伏の畑。人間の姿はない。わあー、きれいだなあ、と最初はビデオに撮っていましたが、そのうち何時間も風景に変化がないので、あきてしまう。ときおり通過する小さな街は、歴史と一緒にたたずんでいる印象でした。

バスタブ漏水事件

 ヨークシャーに近いMaltonという小さな町のSuddabyis Crownホテルで、バスタブに貯めていた湯があふれ出す、という事件がありました。このホテルには、部屋の外に共同バスタブがあります。入浴に飢えていたお坊さんの一人、最も若い池上良生上人が、3階にあるタブにお湯を入れようとしたのはいいが、部屋に帰って貯まるのを待つ間、寝てしまった。自動止水装置などというものはないので、あふれ出たお湯は築100年以上という古い建物の床をひた走り、隙間を見つけて2階の天井に到達、そのままオーナーの事務所兼寝室に落下、紙関係や事務機をびしゃびしゃにし、さらに2階の床をくぐり抜け、最終的には1階のバーのグラス棚にまで至ったのでした。止水を忘れた本人がしっかりと寝ている間、けたたましいアラームに起こされた、あわれオーナーの家族と伊藤俊浄上人は、勝手気ままに走り回るお湯を追いかけていた、というのをわたしは朝になって知りました。オーナーは、朝食をとっているわたしに、「とにかく、見てんか」と漏水個所を案内。「ほんまに、こんなんは初めてや・・・ぶつぶつぶつぶつ」「弁償とかはどうなりますか?」「うーん、ま、誰がやったか分からんさかい、保険でなんとかしまっさあ」となんとなく大阪弁のような感じでいってました。このやりとりを報告すると、あわれ、池上上人はひたすら縮こまる。

 

イギリスの食事は不味い

 昔から、イギリスの食事は不味い、というのが定評があります。で、実際、われわれが10日間滞在した限りでは、やはり、不味い、といわざるをえない。イギリスの典型的な料理というと、フィッシュ・アンド・チップス、ということですが、フェスティバル関係者の誰も勧めなかったのです。イギリス人である彼らは、中華が、インド料理が、タイ料理が、と勧めてくれるのですが、イギリス料理については触れない。自信がないのかなあ。フランスの人たちとはかなり違いますね。

 有名なジョークがあります。人生最良の選択は、日本人を妻にし、アメリカの家に住み、中国人のコックを雇い、イギリス人の執事をもつこと。一方、最悪の選択は、アメリカ人を妻にし、日本の家に住み、イギリス人のコックを雇い、中国人の執事をもつこと。

 中華料理、インド料理以外のイギリスで食べた料理は、どれも味に微妙さがなくがさつな感じです。肉は大味だし、野菜の種類も少ない。グリーンピース、ニンジン、どっさりついてくるポテト(わたしは憎んでいる)くらいです。もっとも、われわれは高級料理ではなく、大衆料理だけをたべていたのでこのような印象になったのかも知れません。

 帰国後、東京のコンサートで一緒だったバグパイプ奏者、デビット・ハッチャーによれば「どこにいっても食事のことだけを話題にするのは、日本人くらいなもの。日本のテレビは食い物番組とばか番組だらけ。イギリスでは、食べ物がそんなに話題になることは少ないのだ。食べ物は単なるエネルギー源であり、精神的に充実した生活にとっては些末なこと。いいのよ。不味いっていわれても」ということ。わずかな体験で結論づけるのは、乱暴ではありますが、不味いのには、なにか積極的な理由があるように思えます。

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CAP HOUSEについて◎
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「これまでの出来事」でたびたび登場してくるこのCAP HOUSEは、1999年11月3日から2000年5月まで、神戸のアーティスト集団C.A.P.(芸術と計画会議、代表:杉山知子)や、われわれアクト・コウベ・ジャパン(AKJ)が使用している、5階建てのビルです。かつてはブラジル移民収容所と呼ばれ、ここにブラジルへの移民たちが一時的に逗留したのでした。

 当初、所有者である神戸市から2000年の5月までの期間限定で借りるということでしたが、われわれの活動がマスコミに登場しある程度知られるようになったからか、あるいは壊す財源が相変わらずないのか、あるいはどうせ放置しているのだから、という理由からなのか、2001年の9月まで使用許可が延期されたのでした。

 CAP HOUSEが稼働していると、けっこう忙しい。毎週土曜日には、CAPの居留地映画館プロジェクトの打ち合わせ、アート・パーティー、AKJ披露宴、最近だと英会話、バー、カフェなど必ず何かがあるのです。年中ヒマなわたしもほぼ常連です。C.A.P.のホームページ<http://www.cap-kobe.com/>には、随時、情報が更新されていますのでぜひ見て下さい。

 

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AFOについて◎
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 10月は、東京の赤坂ブリッツでAFOのコンサートが2日間ありました。メンバー構成は、これまでの出来事に書いています。このプロジェクトは91年からスタートしたので、10年目ということになります。それぞれのミュージシャンの持ち味と全体がうまく組み合わされたせいか、なかなかにまとまりのある良いコンサートだったと思います。メンバー構成がほとんど変わらないということも、チームの一体感を引き出した原因です。今回は、新たに長唄の今藤郁子さんが加わり、独特の粋な雰囲気がありました。

 ところで、このコンサートでは、いつも考えさせられることがあります。それは、音楽を創る側の意識の問題です。企画制作全体としては、さまざまな意図が込められていて、参加者は評価しているとはいえ、演奏する、創るという側に限定していえば、また違った意識も出てくるのです。

 地理的区分や歴史的関わりからだけでは同一視することが不可能なほど多様なアジアのさまざまな音楽に文法や表現の嗜好の共通性はあるのか、ないのか。「欧米人が一人もいないオーケストラ、という意味で意味がある」(インドツアーのときの観客の感想の一つ)という、いわばアジア・ナショナリズムのような、反欧米主義的賛辞は別として、消費音楽で圧倒的な影響力をもつ欧米の音楽文法にかわるものが作り出せるのか。欧米の消費音楽生産にたいするカンフル剤のような役目を担った、いわゆるワールド・ミュージックの「変わった」音色や「変わった」様式がフュージョンという様式を生み出したわけですが、文字通りの意味での融合とはほど遠い。これは、「融合」対象である「開発途上地域」の音楽に対する生半可な理解と浅薄な解釈によるところが大きい。アジアには、芸術音楽から低俗で安物の音楽まで途方もない多様さでそれぞれの(国)地域に併存していますが、それらをいっぱひとからげで、たとえば「インド音楽風」などとして安易に借用されてしまう。これはちょうど、単なる野菜の煮付けに調合スパイスをふりかけると「インド風野菜の煮込み」になったり、ニョクマムを使って「ベトナム風煮込み」と呼ぶことと同じように、ある国、地域の特有のエッセンスをわずかに加えて、ちょっとばかり「変わった」ものに仕立て上げようという精神が元になっているといえます。もちろん、カレースパイスやニョクマムは、インドやベトナムの人々の嗜好をある程度代表して集約しうるとはいえ、彼らの多様な味覚を理解したことにはなりえません。フュージョン料理というものがあるとするならば、それは、一つの一つの素材や調理手順において、それまでなかった調味料が、創作される料理にとって必然性を伴ったときです。

 このような音楽プロジェクトは、おそらく日本でしか発想されないかも知れません。日本の音楽家は、デラシネ(故郷喪失者)の自由と不安定をもっていると思うからです。明治以来の西洋音楽教育は、音楽家の故郷を喪失するのに多大な貢献をし、いまだに着地点を見いだせないように見えます。西洋音楽教育、あるいは欧米的近代合理主義的生活へのあこがれの醸成によって蹴散らされ見捨てられた「伝統」は、今ではほとんど生命力を失っています。日本の音楽家たちがいざ故郷を訪ねようとしたときに目にするのは、かろうじて立っている廃屋の残骸か、生活から遊離した装飾で飾り立てられたえせ御殿しかありません。そこで、われわれが「故郷」を思うよすがとするのは、丹念に拾い集められた生きた廃棄物と、もしかしたら似たような原風景を共有していると思わせる「アジア」の音楽になるのかも知れません。しかし、いまや幻想でしかないかも知れないわれわれの「故郷」や「アジア」の音楽をつなぐ接着剤として、いわゆる西洋的手法を使わざるを得ないという限界がある。われわれはまだ、真の意味でデラシネの自由を満喫するほど厚顔になりきれていない。自由でいながら荒涼としたデラシネの自由を互いに謳歌し、同時に荒涼とした孤独を癒すこと、そして癒しあいの中から新しく快適な住居が見つかるかも知れないという希望が、エイジアン・ファンタジーの目的の一つだと思うことがあります。

 ほぼ10年のAFプロジェクトが、この辺をどこまでクリアーできたのかは明確ではないとはいえ、少なくともそれぞれのミュージシャンの資質や性格や音楽性を互いに認識し刺激しあい、音楽活動の動機を高め、なにものかを作り出すという意味では、意義のあるものだと思います。ただ、まだまだ課題は残っています。

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◎これまでの出来事◎
2000年2月14日~2001年1月
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■2月14日(月)/ワークショップ・世界の民族楽器紹介4/ジーベックホール/講師:佐久間新+ウィヤンタリ/ナビゲーター:HIROS

 中川真、佐久間新+インドネシア人配偶者ウィヤンタリは前日に我が家に宿泊し、カレーを食べつつ進行の作戦を錬るも、勝手の違う小学生相手だったので反省しきり。 

■2月15日(火)/ワークショップ・世界の民族楽器紹介5/ジーベックホール/講師:中川真+佐久間新+WIYANTARI/ナビゲーター:HIROS

 次の日は実にスムーズにワークショップは進みました。反省はするべきものなのです。

■2月19日(土)/地域通貨がひらくアートの可能性/CAP HOUSE

 NHKのスペシャル番組『エンデの遺言』制作者の一人、映像作家カマチャンこと鎌仲ひとみさんに浦和から来てもらって、地域通貨についてのお勉強。

■2月20日(日)午後/児島公民館祭レクチャー&コンサート/倉敷市児島公民館/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、林百合子:タンブーラー、HIROS:レクチャー&バーンスリー

 公民館の阿部さんにお世話になりました。百合子さんにとっては、帰省もできた倉敷行。

■2月22日(火)/中川真+タイ女性宿泊

 ころんと丸いタイの女性音楽研究者が宿泊。わたしたちのインド留学のときの同窓生、チャルムサックが偉い先生になっていることが判明。真さんはいろんな人を連れてくる。

■2月23日(水)/スヌ・ヘルコムメンバー宿泊

 セネガルの巨人たち4名と日本人2名のバンドメンバー全員が、我が家の空間を占拠。

■2月24日(木)13:00~/SUNU XELCOM(スヌ・ヘルコム)ライブ/香枦園小学校体育館

 1月のジーベック・ワークショップのラティール寝過ごしスッポカシ事件の埋め合わせのために、東京からフルメンバーをそろえて、すっぽかされた小学校まで出前ライブ。子供たちはこのほうがずっと良かったようです。ムチャクチャのっていました。アサヒビールの河村めぐみさんがついでに参加。

■2月26日(土)/ダンスリー合奏団/甲東ホール

 だいぶ頭頂部周辺がすずしくなってきた岡本さんも、ひょうひょうとしたマリボンヌも相変わらず頑張っています。

■2月27日(日)/AKJ披露宴/CAP HOUSE

■3月11日~3月20日/アクト・コウベ2000/マルセイユ、ベルン

■3月25日(土)/レクチャー/「ヨーガと音楽」/西芦屋会館

 三浦寛子さんの依頼によるレクチャーでした。カレーうどん。

■3月26日(日)/Acte Kobe 2000報告会/CAP HOUSE

■4月1日(土)/駒井仁史来宅

 甥の仁史君は、鳥取大学農学部獣医学科に入学。

■4月4日(火)/前野神戸市助役CAP HOUSE訪問

 TOMOさん(杉山知子)と助役を迎えることになり、館内を案内しました。AKJルームで、「これがブッシュ・ド・ローン県の旗です」と説明すると、助役は「ほほう」とかいいながら旗の端っこをつかみました。ここで、一方の端をつかんだTOMOさんが笑顔で話しているのを撮影。「AK運動に対するブッシュ・ド・ローン県の協力のシンボルである県旗を感慨深げにもつ神戸市助役」などというキャプションがつきそうな写真になっていると思います。

■4月7日(金)/フローラ博インドデー/淡路島/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、田中峰彦:シタール、田中理子:タブラー、藤井千尋:歌、ハールモーニアム、HIROS:バーンスリー

 この、全体を貫く品性の絶無さとざわざわした消費促進的安っぽさに満ちた会場に、何という多くの人々。いったい人々は何が面白くて花博に来ているのだろうか。物珍しさだけの立体映像に列をなし、世界のガーデンなどと名付けられた各国の貧相なブースに並ぶ弱々しい草花を見て、どうして「体験のゾーン」と言えるのか。充実ぶりを発揮していたのは屋台に毛の生えたような簡便くいもん屋。定番のお好み焼き、焼きそば、ラーメンにまじって、エジプト、インド、スリランカ、マレーシアなどの「エスニック」ファーストフード。地代というか出店権利料金が反映したものか、どれもコストパフォーマンスが低い。

 こんな雰囲気のなか、インド月間のイベントとしてインド総領事館からの依頼で演奏しました。30分ずつの3回公演でした。会場は、テントで覆われたすりばち状特設ステージです。櫻井暁美さんたちの舞踊グループと交互に出演することになっていたので、われわれの平台の舞台を出したり引っ込めたりと、スタッフはなかなか大変です。われわれの演奏は、周囲のざわざわ感にフィットするようにヤケクソ軽ノリインド音楽に徹しました。

■4月8日(土)/めやみ地蔵ライブ/寺原太郎、百合子、ブーシャン

 ギターの三好功郎さんの知り合いで、バーンスリーに興味があるという、秋田出身豊胸おばこの遠藤桂子さんが、見に来てくれ、打ち上げまで参加しました。

■4月15日(土)フローラ博インドデー/淡路島/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、田中理子:タブラー、藤井千尋:歌、ハールモーニアム、HIROS:バーンスリー

 雨が降っていて、寒い日でした。観客の数も少なく、なんとなく情けない感じで演奏したあと、すぐさまCAP HOUSEへ行き、寺原太郎君のバーンスリーソロを聴いたのでした。本当に彼は成長しています。

■4月16日(日)/さくらの日/CAP HOUSE/インド音楽/HIROS:バーンスリー、藤井千尋:タンブーラー、ハールモーニアム、林百合子:タンブーラー、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー

 CAP HOUSEでは初めてソロ演奏をしました。それまでは、演奏したとしても、いわゆるフリーインプロ系だったので、わたしがこういうことをやっていることを初めて知った人も多かったのではないかと思います。

■4月19日(水)/ホムスは歌う/ジーベック

 シベリアにあるサハ共和国の驚くべき口琴をジーベックで聞きました。サハでは、口琴が最もメジャーな楽器で、時報も口琴でなされ、鉄道駅のシンボルマークまで口琴なのです。そのテクニックは実に驚嘆すべきものでありました。

■4月21日(金)/祝田民子/CAP HOUSE

■4月22日(土)/CAP HOUSE/メビウスの卵展

■4月25日(火)/藤原晴美宅宿泊

■5月2日(火)~4日/現代アートの森ワークショップ/スペース天/備忘メモのみ

5.2・・・カレー、佐久間+WIYANTARI池田ピックアップ/買い物、真、吉田(同志社大院生)、古谷/2:30am就寝/Tenba-A和室宿泊

5.3・・・11:00コーヒー沸かしで失敗/WSはギャラリー20名/ホーミー、高砂族/14時/佐久間WS人数増える/動き方、歩き方/マルガ/真、東山、本間、斉藤?楽器伴奏/外でインプロ/軟弱腰つきのどうしても治らない小柄な眼鏡女の子/ケチャ練習/買い物/麻婆豆腐、出し巻き卵、カレー残り/20時真、吉田、古谷、佐久間+W、ひろみ、岩沢(広島大オーバードクター、タイ舞踊)/Wは佐久間の膝枕で寝る/古谷・・・バツイチの兄と父が同居、独身42歳

5.4・・・水が出ない。11時過ぎ、昭男さんのWS/名札色違いアキニャン。道路に寝る。50回まわる。木に抱きつく。地主の黒田夫妻も。神戸の音を聞く、50年前の寒天工場の音を聞く、現在の音を聞く。仙人の話。空を飛ぶ白鳥になりたい青年。10年修行。集中すること、信じること。陶けん演奏。ベルリンの足形。佐久間車で神戸に。佐久間+W宿泊

■5月5日(金)/AKJ披露宴/CAP HOUSE/カレー

■5月7日(日)/CAP HOUSE ファイナルミーティング/表彰

■5月8日(月)~5月16日(火)/フィリピン/マニラ、バギオ

■5月20日(土)/CAP HOUSE掃除・打ち上げ

■5月21日(日)/「へき亭」/中島康治+さとみ+林百合子+佐久間新+WIYANTARI+中西すみ子

 将来そこで何かできるかも知れないから一緒にどうか、という中島さんのお誘いで、上記メンバーと園部にある贅沢和風料理レストラン「へき亭」へ行きました。江戸時代の建物はよく保存されていて、時代劇のロケに使われるのだそうです。ちょっと変だったのは、その後に案内された英国骨董品倉庫。ものすごい量の骨董品でした。

■5月23日(火)/CAP HOUSE/AKJ

■5月25日(木)/CAP HOUSE/神戸市関係者

■5月27日(土)/味わい深いインドの音楽・日本の音楽/ロバの家/川口厚子:長唄

 バラタナーティアムの櫻井暁美さん宅で、日印音楽比較のレクチャー。交野市というのは神戸から遠い。

■5月29日(月)/神戸山手女子短大

■5月30日(火)/CAP HOUSE臨時会議

■6月1日(木)/マイチケット創業何周年かのパーティー/中国客船内

■6月9日(金)/松井智恵+デヴァカント/甲東ホール

 デヴァカントは、現在イタリアに住むアメリカ人で、わたしのグル、ハリジーの弟子仲間です。エフェクター使いまくりのバーンスリーやフルートは、楽器本来の音があまりにゆがめられているような気がします。松井さんが彼と出会った、というのもすごい偶然です。

■6月11日(日)/あしゅんライブ/あしゅん、神戸三宮/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、奥野稔:タンブーラー、HIROS:バーンスリー

■6月15日(木)/七聲会練習/大光寺、京都

■6月21日(水)/甲南大学図書館ライブコンサート/エントランスホール/七聲会:聲明、松井智恵とLA萌DIE:グレゴリオ聖歌/企画・コーディネイト:藤原晴美

 讃岐うどんツアーで一緒だった藤原晴美さんの企画でした。甲南大学図書館のロビーで、聲明とグレゴリオ聖歌の組み合わせのコンサートでした。松井さんは、ダンスリー・ルネッサンス合奏団のヴォーカリストでもあります。

 打ち上げは、うどんは最近あきてきたという藤原ダンナの手打ちうどん。うちたては本当においしいものです。

■6月29日(木)、30日(金)/ケニー遠藤リサイタル/日本橋ホール・東京/ケニー遠藤:和太鼓、鈴木恭介:笛、太鼓、納見義徳:パーカッション、浜田均:マリンバ、ホノルル和太鼓アンサンブル

 アメリカ在住和太鼓奏者ケニーのリサイタルに呼ばれての演奏でした。このコンサートには、97年にも参加しています。6月25日にリハーサルのため上京し、市川の宮本久義さん宅に一泊。後は、浅草のホテルでした。リハーサル期間中は、高橋淑子さんと渋谷に飲みに行き、ピットインを辞めて自分の事務所プラルットアーツを立ち上げた本村さんの新しい事務所を訪問してAFO会議に参加し、星川京二氏、鎌仲ひとみさんと新宿で飲んでそのまま星川宅に押し掛けて紹興酒をごちそうになったり、となかなかに盛りだくさんの日々。

 前回もそうでしたが、ケニーのコンサートは楽しい。今回は、奥さんのチズコさんやゲームボーイを離さない息子のゼンとマイケルもハワイから参加しました。印象的だったのは、サンフランシスコ太鼓道場の創始者、田中さん。叩くことに対するパワーを感じました。彼は、わたしの似非ホーミーが気に入ったようです。宮本久義さん、カマチャン、YAS-KAZ、寺田徳子さん、長井高校同級生の阿部恭子さん、中島孝子さんが来てくれました。

 昨年の暮れ、このコンサートの録音がCDとなっています。ただし、アメリカでの発売ですが。

 東京から帰宅して、今度はイギリス行きの準備が待っているのでありました。

■7月5日(水)~17日(月)/City of London Festival, Sacred Voice Festival/ロンドン、ブロービー村、ケンダル、ウィンチェスター/七聲会:聲明・・・巻頭記事参照

■7月27日(木)、28日(金)/第2回C.I.O.F.F.ワールドフォークロリアータコラボレーションプログラム/東急文化村オーチャードホール/金子飛鳥とアスカ・ストリングス、アジア擦弦楽団(本條秀太郎:胡弓、賈鵬芳:二胡、姜垠一:ヘグム、許胤昌:アジェン、チ・ボラク:馬頭琴:ドゥルバ・ゴーシュ:サーランギー、カシムゾン・イスマイロフ:ギジャック、ナジ・バラージュ:ハーディー・ガーディー、デビット・ハッチャー:ビオラ・ダ・ガンバ、バグパイプ、ヨーゲーシュ・サムスィー:タブラー、ヤヒロトモヒロ:パーカッション、木津茂理:太鼓)、笛のコラボレーション(三橋貴風:尺八、坂田明:クラリネット、一噌幸弘:能管、稲葉明徳:篳篥、デビット・ハッチャー:バグパイプ、HIROS:バーンスリー)/阿木耀子:ナビゲーター

 イギリスから帰国して2日間だけ家で休み、すぐさま東京へ行きリハーサルでした。この公演にはわたしも出演しましたが、ほとんどはドゥルバとヨーゲーシュの通訳でした。渋谷駅前にできたばかりのマークシティーにあるホテルがわれわれの宿舎。20階の部屋から渋谷を見下ろすと、街全体が実に汚い。

 われわれは、二日間だけホールで公演を行ったのですが、この催し自体は、全国的に展開されるかなり大規模なものでした。ただ、出演者の数や関係者の数があまりに多かったことや、プロダクション側の想像力の欠如のせいか、様々な面で不備が多く、出演者のほとんどはかなりフラストレーションのたまった公演でした。本来なら行けるはずだったアサヒビールでのマルガ・サリのコンサートにも行けませんでした。残念です。

 集客も最悪。収容人数2000人ほどのオーチャードホールは「向かうところ客なし」(坂田明)の有様で、演奏する側もなんとも力が入らない。

 例によって、外人生活支援担当になってしまったわたしは、「イン・ハンガリー」を連発し「日本円ない」というナジ、酔っぱらって部屋におしかける姜垠一、「ひっでえオーガナイズだあ」とくだを巻くヨーゲーシュ、「ラーメン、タンタンメン」と不気味に陽気なドゥルバ、「女を紹介せよ」と迫るイスマイロフ巨匠らと食事をしながらつきあいつつ、夜はスズコこと高橋淑子さんやストリングスの女性たちとビールを飲み、空き時間にはたまたまブルーな日々の続くハンガリー語通訳の横井雅子さんや豪快唯我独尊チ・ボラクさんをやさしく支える加茂真理子さんとおしゃべりしと、とても忙しい日々でした。三橋貴風さん、坂田明さん、一噌幸弘さんに久しぶりにお会いできたし、篳篥の稲葉明徳さんやデビット・ハッチャーとも知り合いになれて、それなりの面白さはありました。

■8月2日(水)/世界民族芸能記念フェスティバル~林英哲とともに/大阪国際会議場5階メインホール/林英哲:太鼓、UNIT SEMBA/仙波清彦:ドラムス、パーカッション、坂井紅介:コントラバス、ラティール・シー:パーカッション、山田貴之:パーカッション、中原信雄:ベース/タトパニ/クリストファー・ハーディ:パーカッション、アンディ・ベヴァン:サックス他、ロバート・ベオグラード:サックス、タブラー他/木下伸市:津軽三味線、金徳洙:チャンゴ/司会:羽野昌紀

 金徳洙の日本公演をマネジメントしている本村さんから「よかったらおいで」といわれて大阪に出かけました。大阪にあんなにすごい立派なホールができていたとはしりませんでした。最後列に座ったら、演奏者の表情すら見えない。英哲さんの太鼓は大迫力でした。シンチャンもかっこよかった。ユニット・センバもなかなかに聞かせます。それにしても、曲間にいちいち出てくる女の子のいわゆるMCのうるさいこと。「だまっとれー」と叫びそうになったのでした。

 打ち上げの勧誘を断ったのですが、配偶者と近くの沖縄居酒屋りんご村で一杯いこか、と飲んでいると、出演者やスタッフたちがどやどやと登場。偶然にも同じところだったようです。今やスターの英哲さんは、涼しい印象の好人物でした。仙波さん、山田さん、中原さん、木下さん、ベニさんたちとは、AFOで一緒なので、また会ったね、てな感じでありました。

■8月11日(金)/ユールク死去

 スイスにいるクラット・ヒロコさんから電話で「ユールクが死んだ」と知らせがありました。白血病でした。3月にベルンに行ったとき、彼に電話したのが最後の声でした。「もう、いく準備はできてる。あっちへいったら、ニーチェ、プラトン、カントなど友達がいっぱいいるからね」。

 ユールクは、ベルン近郊の自宅でひたすらタブラーを研究していた男です。ニーチェが好きで、なにかというと本を引っぱり出してきて「ニーチェはこういった」と話していたのを覚えています。

■8月12日~16日/十津川盆踊り+那智の滝ツアー

 二日前にフィリピンから第1弾としてやってきた反町真理子さん、アラシ、ビリク、キカの親子+カマチャンたちと、関空でアーネル、エドガーを拾い、そのまま十津川へなだれ込みました。フィリピンの山から出てきた青年たちにいきなり日本の都会へ連れ込むよりは、似たような環境にまず順応させてから、という配慮です。というのはウソです。ともあれ、フィリピン・トルネードが日本に上陸したのでありました。

 十津川盆踊りは、ここ数年かかさず通っています。中川真さんとその追っかけおなごたち、作曲の野村誠さん、盆踊り追っかけオバサン腰の池田宏子さん、枡田さん、佐久間+ウィヤンタリ、山口の水谷女史(後で無理矢理誘う)、河内長野の宮地泰史くんなどの定例メンバーの他に、共同作業なんかてんでしないバカップルなど、今年は新人が多かった。そのためか、村人や武蔵青年会館に一時的に蝟集する青年たちとの、しっぽりとした交流には乏しかった。今年が最初のカマチャンは、まるでベテランのように台所を仕切る。もちろん、わたしもマカナイ担当。

 例によって、カマチャン財布置き忘れ事件をはらみつつ、十津川のナムチェバザール、大野部落の盆踊りに参加しました。時差ボケの残るバナサン兄弟は、いきなり連れてこられた田舎の盆踊りにきょとんと見るだけ。次の日は、メインの武蔵盆踊り。地元のタクシクンも元気でした。初参加のウィヤンタリはさすがに舞踊家、あっという間にややこしい踊りを覚えてしまいました。

 フィリピン・トルネードと十津川で水遊びとバーベキュー。わたしは、アラシとビリクを背中に乗せて浅瀬をはい進むワニになっちゃいました。もちろん、温泉にも浸かりました。というように、例年のごとくに十津川盆踊りを楽しんだのでありました。

 フィリピン・トルネードとわれわれは、十津川の後、これも例年お世話になっている那智勝浦の芝先隆さん宅へ行きました。佐久間夫妻も合流したので、二日後に奥さんがイギリスへ出発するというのに芝先家になだれ込んだのは10人。本当にご迷惑をおかけしました。

 午後に、彼らを那智の滝へ案内しました。わたしとカマチャンは、滝の音すらかき消すほどの特大ボリュームで3分ごとにアナウンスされる滝の解説に激怒。当局者にとっては、滝壺へ誘うことでより収入を得ようという魂胆らしいが、とにかくひどい。傲慢そうな神官に抗議すると「君たちはお賽銭もあげてないじゃないか。文句を言われる筋はない」などと開き直る。ただでさえ、参道のあちこちにうるさい解説文が貼られているというのに、神聖な滝を前にしても「この滝の高さは103メートル・・・」なんて聞きたくない。この種の無神経はどうにかならないのでしょうか。サービス提供者の都合が優先する日本社会の縮図が醜い形で現れている一例でした。

■8月19日(土)/民謡教室/中島康治宅

 十津川からずっと居候しているエドガーと、AKJの中島康治氏夫人さとみさんの民謡を習いに行きました。おしゃべりしている時間の方が長かったのですが、いちおう、真室川舟唄を歌えるようになりました。エドガーもグチャグチャの日本語で覚えたようです。

■8月21日(月)/ワークショップ「フィリピン山岳民族カリンガ族の竹製楽器製作および伝統音楽」/トリイホール/アーネル・バナサン+エドガー・バナサン:楽器製作、音楽指導/企画:天楽企画

「せっかくだからやりましょう」といってくれた慧奏さんのお世話で、トリイホールで日本第1弾ワークショップを行いました。参加者は10名ほど。

■8月22日(火)/ワークショップ「フィリピン山岳民族カリンガ族の竹製楽器製作および伝統音楽」/ジーベックホール/小中学校音楽教師対象/アーネル・バナサン+エドガー・バナサン:楽器製作、音楽指導/企画:天楽企画

 この日は、カリンガの村へフィールドワークで通っているという神戸大学院生平田さんの撮影したビデオなどを見てもらい、竹の楽器を製作しました。

 大人であるはずの教師たちが、意外にナイフをうまく使えないことが判明しました。勢い余って太股を切った負傷者も出ました。

■8月23日(水)、24日(木)/ワークショップ「フィリピン山岳民族カリンガ族の竹製楽器製作および伝統音楽」/河内長野市、茶花の里/アーネル・バナサン+エドガー・バナサン:楽器製作、音楽指導/企画:天楽企画

 5月にフィリピンに一緒に行った宮地さんの企画でした。親子同伴のワークショップでしたが、大人たちの方が楽しんでいたようです。二日目に、楽器を鳴らしながら山を歩いて、息切れしました。

 われわれ3人は「茶花の里」に泊まり込みでした。食堂から見上げると緑の山々、見下ろすと墓地、という不思議なロケーションです。

 この企画は、別な形で2001年にも行われる予定です。

■9月10日(日)14:00~/インド音楽の演奏と解説/和泉市久保惣記念美術館/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、藤井千尋:タンブーラー+ハールモーニアム、HIROS:バーンスリー

 この演奏会は、兵庫教育大の長尾さん経由で依頼されたものです。

 久保惣記念美術館にあるホールは、実によく響く素晴らしい空間でした。めったに使用されていないようですが、もったいないことです。録音などでまた是非使いたいものです。

 同じ日に別の場所で演奏していたアミット・ロイや太郎君、百合子さんたちと合流し、ファミリーレストランで食事をして分かれました。

■9月15日(金)/ワークショップ「フィリピン山岳民族カリンガ族の竹製楽器製作および伝統音楽」/ジーベックホール/アーネル・バナサン+エドガー・バナサン:楽器製作、音楽指導

 8月に同じジーベックで音楽教師対象に行いましたが、今度は子供たちでした。子供たちは、音楽よりも道具作りに熱中していました。カリンガの音楽は単純とはいえ、息がぴったり合わないとなかなか難しいものです。ナイフによる負傷者はなし。

■9月16日(土)/ワークショップ「フィリピン山岳民族カリンガ族の竹製楽器製作および伝統音楽」/CAP HOUSE、神戸/アーネル・バナサン+エドガー・バナサン:楽器製作、音楽指導

 ジーベックのついでに、アーネルとエドガーにCAP HOUSEでもワークショップをやってもらいました。参加者は20名ほど。エドガーは、楽器作りだけでなく、ピナクベットまで料理するという頑張りぶりでした。

■9月20日(水)~23日(土)/京都芸大集中講義

 集中講義を行う非常勤講師に対する大学の態度は、真さんによれば「勝手4原則」に貫かれているそうです。つまり、勝手に大学に行き教室を探し当て、勝手に講義して、勝手に成績をつけ、勝手に帰る。この「勝手原則」の勝手が分からないわたしには、勝手の違いに戸惑ったのでありましたが、結局勝手に終わりました。

 講義対象は、大学院音楽研究科の院生7名。いわゆるクラシックや音楽学を学ぶ学生たちです。彼らには、西洋音楽だけを学ぶことがいかにバランスを欠いたことかを、インド音楽の紹介を通してしゃべりまくりました。朝から夕方までびっしり4日間連続の講義は、聞く方もしんどいと思いますが、ぶっ通ししゃべったり笛を吹いたりの当方にとっても、楽じゃありません。

 京都芸大は、京都市の西はずれにあり交通の便が悪い。初日は神戸から電車を乗り継いで2時間半かかりました。毎日通うにはあまりに時間がかかるので、豊野町に最近定住した佐久間・ウィヤンタリの家に寝泊まりして通勤しました。真さんのガムラン練習スタジオ「スペース天」に近く、毎日、真さん、マルガサリの本間妙圭さん、佐久間さんらの車の送迎つきでした。

 折からオリンピックが真っ盛り。佐久間宅に帰宅し、二重写りのぼやっとした映像でサッカーの試合などを観戦するのでありました。「スペース天」に寝泊まりしてガムランの指導にあたるトゥグー先生(インドネシア芸術大学講師)も佐久間宅にきて、試合の進行にあわせて「あっ」「あれー」と声をあげる。ウィヤンタリは相変わらず飄々としたマイペース主婦ぶり。「ははは、わたし、1日3回、ウンコ」などといいつつ、佐久間君が料理する食事を横になって待つのでありました。

 二日目に、マルガサリの「スペース天」での練習を、近所のコンビニで購入したレトルトカレーを流し込みつつ見ましたが、彼らの演奏レベルも上がってきたようです。さまざまな課題があるとはいえ、個性のあるメンバーを束ねつつ練習を重ねる真さんのエネルギーと情熱はすごい。

 土砂降りの最後の日は、サッカー決勝トーナメント進出のかかるアメリカ戦を見るのだと宣言し、早々と3時過ぎに講義を切り上げ、コントラバス専攻の村田君の車で桂駅まで送ってもらいました。同乗者は、島根出身オーボエの田儀君、ヴァイオリンの青山君、建築家の橋本健二さんの奥様例子さんの教え子だったというフルート科の学部1年生江戸君。

 帰宅して見たサッカーの試合結果は、皆さんご存じのように、最後のPK戦で中田が失敗し惜敗。

■9月24日(日)~28日(木)/インド人友人スニール・シャルダー氏居候

 われわれがインド留学中からの知り合いのスニールが、仕事で日本にやってきて、我が家に逗留。ソウル経由だったので、キムチも持ってきてもらいました。メールで「キムチってなんですか」と聞くので「爆発の恐れすらある、きわめて危険な発酵食品である。血みどろの内蔵を想わす凶暴な外観をしているので持参するときは気をつけよ」と返事しました。ソウルの友人に買ってもらったというキムチは絶品でした。

 彼は、カルゴダムというデリーから数百キロ北にある小さな村で、製薬原料となるハーブを生成加工して日本の企業に輸出しているのです。昔から家族ぐるみのつきあいです。彼の住んでいる地域が、別の州になったとのこと。以前は、広大なウッタル・プラデーシュ州の一部でしたが、山岳地域を分離して別の州としたようです。都市名をどんどん改名したりしているインドも、変化が激しいようです。

■9月28日(木)/七聲会リハーサル/大光寺、京都

■10月2日(月)/神戸日仏協会訪問/神戸市畑中氏と

■10月6日(金)/文教短大特別講義/仏教と音楽/知恩院和順会館、京都/七聲会

 600名ほどの女子大生を前に話を始めようとしたら、演壇がいきなりぐらっときました。鳥取地震でした。ざわざわしていた学生たちに、美空ひばりの「悲しい酒」をしばらく聞いてもらいました。この講座は本来、学生たちに七聲会の聲明を聞かせたいということで依頼されたらしいのですが、時間が余ってしまうのでわたしにもまわったきたのです。

 京都からの電車の中で精神分析の羽下大信さんに会い、三宮に降りたらエスラージを練習している南野佳英さんに出会いました。1万年に一回くらいしか起こりそうもない偶然でした。

■10月7日(土)/アクト・コウベ披露宴/CAP HOUSE/北川真智子:三味線、地唄、大釋真佐俊:尺八、堀律子:箏

 たまに、邦楽をじっくり聞くのはいいものです。しっとりしました。

■10月8日(日)/あしゅんライブ/あしゅん、神戸/田中理子:タブラー、奥野稔:タンブーラー、HIROS:バーンスリー

 客は、詩人の富さん、ダンサーのマキノさん、岸本さん3人。ま、ゼロよりはましか。

■10月9日(月)、10日(火)/山形/神保宅泊

 今年77歳になる父が、遺跡発掘現場で乗っていたパワーショベルから転落し入院した、という知らせを受けて、久しぶりに配偶者と帰省しました。すでに父は退院していて元気でした。母も父も高齢になってきたので今後も何が起きるか分からないという状況にさしかかってきています。糖尿病をかかえる母も心配です。

 せっかくだからと、両親と山形市に近い中山町に住む叔父の家を初めて訪問しました。挨拶だけのつもりが結局泊まることになり、中川家関係者だけの宴会になりました。それまで個別認識していなかった姪の美江ちゃん、甥の光秀君は心優しい20代の青年たちで、親戚というのはいいものだとつくづく感じます。今年62になる叔父は若々しく剽軽。わたしが中学生のとき、この叔父が作っていたエレキギターを母が買ってくれたのを思い出しました。アンプも必要だとは当然思いの及ばない母からもらったギターは、当たり前ですが、シャカシャカするだけで、かすかな音しか出なかった。

 忘れていた山形語・・・ほだえねえ(分からない)、らいさま(雷)、おろぬぎ(間引き)、めんくさい(みにくい)、じょんだ(上手だ)

■10月11日(水)/山形~南浦和、鎌仲宅泊

 山形から、食用菊「もってのほか」や芋煮の材料をかついで南浦和の鎌仲宅に着くと、そこにはあらゆるものを吹き飛ばす凄まじいフィリピントルネードが待ち受けていました。家中飛び回るトルネードを避けつつ、その日泊まることになる総勢9名のために芋煮を作りました。

■10月12日(金)~17日(火)/AFOリハーサル/日本テレビタレントセンター

 AFOリハーサルは、例によってインド人のドゥルバ、ナヤン、アニーシュやフィリピン人のグレースたちと一緒に、ホテルとスタジオを往復する日々でした。ホテルは、半蔵門に近いダイアモンドホテル。およそ、ものを収納するという考え方をとらない部屋作りで、1週間も泊まる身としてはけっこうつらい日々なのでありました。

 人生的苦悩と風邪に悩むナヤンやナマケモノのドゥルバがホテルで安眠をむさぼるあいだ、わたしとアニーシュは毎朝、皇居一周散歩。アニーシュの「ショバ(妻)に真珠のネックレス買っていきたい」という要求で、どうしても皇居周囲を歩かざるを得なかったのです。本村さんの娘が勤めているというパレスホテル内の真珠屋に毎日通ったのに、いつも閉まっていました。どうもこれはアヤシイ、と思っていたら、やはり二人は違う店だけを見ていたのでした。われわれはホテルには真珠屋は1軒しかないと思いこんでいたのでありました。

 リハーサルの後は、韓国料理だ、ラーメンだ、中華だ、インド料理だ、イタメシだ、と外国人たちをつれていく役回り。白湯ないか、ブタ・ギュウはダメ、なんでもくうもんね、とそれぞれに勝手なことをいうもんだから、連れていくほうは大変なのです。新宿の韓国食堂はいいですね。魚食のベンガル人たちも気に入ってました。紹介してくれた梅津さんに感謝。

■10月18日(水)、19日(木)/AFO2000/赤坂ブリッツ、東京/出演/仙波清彦:perc.、金子飛鳥:vn.、梅津和時:sax、久米大作:key、三好功郎:gt、坂井紅介:bass、中原信雄:bass、新井田耕造:ds、佐藤一憲:perc、田中顕:perc、今藤郁子:唄・三味線、竹井誠:尺八・笛、木下伸市:津軽三味線、賈鵬芳:二胡、費堅蓉:三弦、姜小青:古箏、HIROS:バーンスリー、ナヤン・ゴーシュ:シタール、ドゥルバ・ゴーシュ:サーランギー、アニーシュ・プラダーン:タブラー、高橋香織vn、大久保祐子vn、相礎優子vn、高橋淑子va、志賀恵子va、笠原あやのvc、グレース・ノノ:vo

 98年以来のフルオーケストラバージョンAFOでした。メンバーは前回とほぼ同じ、演奏曲や流れもほぼ同じでコンパクトサイズになったせいか、まとまりのある舞台になったと思います。それぞれが、ふっと深呼吸してリラックスしたような演奏でした。「ようやくバンドとしてまとまってきた」というのが、プロデューサーの本村さんをはじめ、仙波さんや久米さんの感想でした。わたしも同感です。

 さて、このAFOは、今年の11月にいよいよ国内ツアーです。

■10月20日(金)/音や金時ライブ/音や金時、西荻/湯沢啓紀:タブラー、武藤:タンブーラー、HIROS:バーンスリー

 わたしの東京での初めてのソロライブ。20代前半のタブラー青年、湯沢啓紀さんに「どうですかあ」といわれていたのです。彼は、まだタブラーを初めてそれほどたっていないのに、今や「インド音楽業界」で噂になるほどの腕前に成長した青年です。これからどんどん腕前を上げていくと思いますので楽しみです。

 会場は、西荻窪駅からすぐのビルの地階。観客は10数名てとこか。わが山形県立長井高校の同級生オバサマたちの阿部恭子さんと鈴木寿子さん、プロの龍笛奏者で最近バーンスリーを習いたいという越後真奈美さんと師匠の高桑さん、「AFOずっといってます」というトーダイのセンセの稲村さん、タゴールソングをインドで習ったという美しい女性などなどなどなど、わりと「濃い」お客さんたちでした。マスター夫婦もそっけない感じですが、出演者に対して暖かいまなざしを感じます。

 終了後、カマチャン、稲村さんとでぎりぎり最終の埼京線に乗りましたが、あのような深夜にムチャクチャな混みよう。

■10月21日(土)/フェスティバル・イン・ビニール/梅津和時Present栄養満点Festival/白石農園ビニールハウス、東京練馬/梅津和時とこまっちゃクレズマー、おおたか静流、新井田耕造:ドラム、吾妻光良、Special Vinyl Blues Band、岩永則親とBoots Boys、佐川正和とWalk Talk/ゲスト/三枝彩子:オルティンドー、岡林立哉:ホーミー、馬頭琴、HIROS:バーンスリー

 AFOで「もしよかったら、おいでよー」と梅津さんにいわれて、カマチャンと一緒にフェスティバル・イン・ビニールにちょこっと参加しました。わたしはおおたか静流さんとデュオで「音戸の舟唄」を演奏しました。

 会場は、練馬の畑のなかのビニールハウス。客もスタッフもみんなゴム長を履いているのでした。ちょっと丸っこくて田舎の少女みたいな三枝彩子さんのオルティンドーにはびっくり。岡林立哉さんもホーミーで「生活の柄」をやってしまう。とんでもない人というのはいるものです。

 西荻窪の「美華」での打ち上げに行く前に、前日ライブをした「音や金時」に忘れたジーンズを取りに行きました。着替えのために階段の下の狭い物置に入ろうとして頭をぶつけ、自分のはいてきたズボンまで忘れてしまったのでした。無事ジーンズをリュックに納め、トルコ音楽のライブを聞きつつ帰ろうと外に出て、コートを忘れたことに気が付き、あわててまた店に。アルツか、ふと頭をよぎるのでありました。

「美華」へいくと、入りきれないほどの人たちで盛り上がっていました。マスターが、到着したばかりのカメから紹興酒を振る舞う。あけたばかりの紹興酒は実にうまいものです。飛鳥も途中から合流。わたしとカマチャンは、途中で退散しました。南浦和までは遠いのです。

■10月22日(日)/October Bass Tri-Logue/神田JAZZ Court TUC/バール・フィリップス、井野信義、斉藤徹

 朝早く南浦和から千葉の姉ヶ崎へ。ちょうど1年前に亡くなった伯父の焼香のためでした。叔母やいとこの孝に会うのも本当に久しぶりでした。

 で、千葉から神田へいき、バールたちのライブを聞きました。誘っていたカマチャン、飛鳥も合流。バールが後でいってましたが、セッションの場合、自分の持てる力をめいっぱいだそうとすると、聞く方がつらくなる。即興の場合、表現のひきだしや技術の貯金量がとても重要です。しかし、それらをすべてぶちまけるのではなく、単純な旋律のなかにも感じさせるところが、イキ、というもの。哲さんの饒舌が目立っていました。井野さんは、いるだけでセッションになる人。コントラバス3台のセッションは、最後まで飽きさせませんでした。

 世の中に、ジャズタクシーなるものがあることを知りました。会場で知り合いになったオッサンがその人。後部トランクには真空管アンプが満載された動くオーディオルームなんだそうです。その世界では有名だ、と本人がいってました。

 飛鳥、カマチャンと3人で神田の、一人の客もいない居酒屋で打ち上げでした。

■10月23日(月)/フランス大使館訪問

 地下鉄「広尾」駅ホーム中央でバールと待ち合わせ、雨の中、フランス大使館へ。受付で身分証明書を預けるという厳重審査を経て、2階のモンガゾン女史の執務室で、来日フランス人への渡航助成申請作戦について助言を受けたのでありました。モンガゾン女史は、30代前半の、ジーンズにシャツ姿の、頭の良さそうな文化アタシェです。ミーティングの後で「彼女は美人だよね」とバールにいうと「若いっていうだけだよ」とそっけない。

 大学の講義を終えたカマチャンと合流し、駅近くの和食堂で3人とも稲庭うどんを食べてバールと別れ、二人は新宿でげらげら笑いながら映画「デトロイト・ロック・シティー」をみ、「隋園」の中華料理でその日を完結したのでありました。

■10月24日(火)/東京~白子/けやきホール下見/アミット・ロイ宅泊

 東京から名古屋で一時下車し、12月に演奏する予定の鈴鹿けやきホールを下見に行きました。主催者である友風の会の本田さん、柳瀬さん、渡辺さん、という熟年トリオの案内でした。海鮮サラダ定食をごちそうになりました。

 鈴鹿の後は、名古屋のアミット・ロイ宅で一泊。弟子たちの練習するシタールの音を聞きながら、深夜までおしゃべり。簡素な室内と奥さんのヒロミさんのやっている下のカレー屋の匂い。カルカッタ(現在コルカタ)の彼の実家を思い出します。サラチャンもずいぶん大きくなりました。

■10月28日(土)/HIROS薬味店製品製造

 北野町のインド人経営スパイスショップで入手したスパイスを、4人分カレー用セットにするために小分けし、袋に詰めて商品を製作。下田さん、木村望チャン、三木さん、北川さんに手伝ってもらいました。

■11月2日(木)/AKJ食堂用カレー調理

 次の日のCAP HOUSEバザーに出すために、佐久間新+ウィヤンタリ、石田敦子さん、下田雅子さん、進藤さんに手伝ってもらってカレー仕込み。

■11月3日(金)/CAP HOUSEでバザー/CAP HOUSE/AKJ食堂

 CAP HOUSE第二次活動開始のイベントは、全館あげてのバザーでした。AKJは、芋煮、HIROSカレー、スパイスセットなどを出品。来館者たちは、館内でのみ通用する通貨CAPを受付で両替して、商品を買う仕組み。ちなみに、芋煮とカレーは一皿4CAP(400円相当)、スパイスセットは3CAPで販売し、2万円近く儲けたのでありました。利益率がよいのはスパイスセットとカレー。神戸のインド人たちは相当儲けていることを伺わせるのでありました。

 終盤のオークションでは、なんと6CAPでスキャナー購入。また、我が家にあったエア・インディアの「いらっしゃいませ」人形が、たしか30CAPで取り引きされました。「ほしい」といってたCAPカフェの山崎さんは、競り負けて悔しそうでした。オークションというのは金持ちに有利にできているのです。

 それまでのお役人生活を止め、今年から京都の大学のセンセになる多種文化大量鑑賞者小暮さんはじめ、実に多くのCAP HOUSEフリークで一日中にぎわいました。

■11月4日(土)/宝地院十夜法要/「仏教と音楽」スピーチ

 浩安さんを継いだ宝地院の住職、正興君に頼まれて十夜法要でお話でした。正興君、とれっきとした住職を君づけで呼ぶのはなにでありますが、ずっと彼の家庭教師をしていたのでいまだにその習慣が抜けません。元神戸市の理財局長安岡さんや、インドから帰国してすぐの頃、よくお目にかかっていた脇さん、立岩さんとも久しぶりにお会いしました。月日のたつのは早いものです。

■11月7日(火)/金子飛鳥+万葉妹夫婦+香凛、キリコさん来宅/カレー

「神戸に妹がいるので、そのうちアソビに行くよ」といっていたバイオリン奏者の飛鳥さんが、その妹夫婦である蓮実良一・万葉さん、娘の香凛、そして友人の赤沢キリコさんと一緒に来宅。蓮実さんは、サックスを吹くという共同通信の記者です。野菜とチキンの2種のカレーで宴会でした。次の日にジェフリーと息子セイナのいるハワイへ「帰る」という飛鳥は、日本とハワイを行ったり来たりの生活がしばらく続きそうです。

■11月8日(水)/碧水ホール打ち合わせ/ダヤ・トミコさん、中村道男さん

■11月9日(金)/第6回照の会/能『烏帽子折』、狂言『柿山伏』/大槻能楽堂

 能というと、どうしてこうもオバハンたちが多いのだろうか。特に今回は子供もたくさんいました。

 総勢32人の演者によるチャンバラがあまり能らしくない『烏帽子折』は、以前にもここで見たことがあります。義経がいるかいないか、暗闇の屋敷をおそるおそる探る役の茂山仙之丞のぼけぶりが芸術的でした。狂言『柿山伏』の柿を食べる場面も印象的です。お誘いしたのは、最近、九州から大阪に出てきたAKJの新会員、石田敦子さん。能が終わった後、彼女と鶴橋の白雲台で韓国家庭料理。

■11月10日(金)/アイフォニック地球音楽シリーズ「インド・即興の至芸」/伊丹アイフォニックホール/ラージャスターン音楽舞踊団「ムサフィール」

 いつも招待券を送っていただいているのに、なかなか行けなかったアイフォニックホールに久しぶりに足を運んで、「ムサフィール」を堪能。古典音楽と違い、歌や女装踊り手の踊りなど客を飽きさせない構成、意外に熟練した技術などなかなかの舞台です。実際聞くのは初めてだったドローンつき縦笛アルゴーザーを見聞きしただけでも勉強になりました。会場には、キャーバと声をかける太郎君、百合子さん、フーメイの等々力政彦さんなどに混じって、プーリー・アナビアンの娘、ダリアもいました。彼女と会うのは、かなり前に彼女を連れてインドへ行って以来でした。

■11月11日(土)/CAP HOUSE消防訓練+AKJ披露宴/「聲明と日本の音楽」

 消防訓練はなかなかに楽しいものです。消火器の使い方なんて、ほとんど知らないですよね。

 AKJ披露宴では、七聲会のイギリスツアーのビデオを使い、聲明と日本の音楽について解説。

■11月13日(月)/七聲会リハーサル/大光寺、京都/ブーシャン、ダヤ・トミコ、渡辺アキコ/うな重弁当

■11月16日(木)/麓鳴舘HIROS一人ライブ/麓鳴舘、大阪心斎橋

 中国音楽の紹介をしている亀岡紀子さんの紹介で、月に1回、心斎橋の小さな喫茶店「麓鳴舘」でライブをすることになり、その1回目でした。この日は、亀岡さんのお母さんと旅行代理店に勤める弟さんにも来ていただきました。た

った一人なので、電気タンブーラーで伴奏です。最近、覚えようと練習している民謡を披露しました。毎回、1曲は民謡を入れたいと思っています。

■11月18日(土)/七聲会+インド舞踊/水口町碧水ホール/七聲会:浄土聲明、ダヤ・トミコ:バラタナーティヤム、アミット・ロイ:シタール、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、寺原太郎+志水ゆうき:タンブーラー、HIROS:バーンスリー

 イギリス公演ツアーを終えて、じゃっかんミュージシャンシップの高まった七聲会と、アミット・ロイのシタール、そしてバラタナーティヤムのダヤ・トミコさんを交えた公演。前の館長の竹山靖玄さんのアイデアが実現したものです。案の定、時間は大幅に延びましたけど、聴衆も満足したのではないでしょうか。ダヤさんのソロは本当に良かった。最後のセッションで、お坊さんたちの第1発生音をシタールで提示したにも関わらず、1音下がったまま始まってしまいました。しかし聴衆にはなんとなくあっているように聞こえたのではないでしょうか。お坊さんたちのセッションは、いつもスリルに満ちているのです。現館長の中村道男さん、上村秀裕さん他、ボランティアスタッフに感謝。お客さんのなかには、名古屋からハインツ、鈴鹿から本田道子さんと仲間たちも見えました。たまたま近くで公演があったので、とやってきた東野健一さんと一緒に、ブーシャン夫人千尋さんの運転する元中川アコードで神戸に帰りました。

■11月24日(金)/アジアの音楽シリーズ第19回コンサート~源流の邂逅/ジーベック/七聲会:聲明、アミット・ロイ:シタール、クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、寺原太郎+志水ゆうき:タンブーラー、HIROS:バーンスリー/企画:天楽企画

 自主公演がだんだん少なくなってきたジーベックでの久しぶりの公演でした。このシリーズもこの10年間で19回目。今回は、水口公演に引き続き、七聲会とアミット・ロイをフィーチャーしたものでした。わたしの構成したセッション「聲明源流」はまあまあ満足すべき内容になりましたので、近々、CDにしたいと考えています。バッチューの演奏も、その音色の美しさに磨きがかかってきています。

■11月26日(日)/安藤家同窓宴会/奈良/安藤朝広+美恵子+航一+雅奈子、湊隆、奥山隆、HIROS+久代

 久しぶりの北大同窓宴会。「今年はようけ釣れた」と安藤のいう冷凍鮎を中心に、しめ鯖、アンコウ鍋という魚フルコースでした。近くに住んでいるのに滅多に会うことがないので、久しぶりの宴会は楽しかった。久代さんは、ビールをぐびぐび。安藤は、大阪市水道局の部長というものになったらしい。

■12月1日(金)/さやかホール/大阪狭山市

 和泉市久保惣美術館公演でお世話になった戸所さんの紹介で、大阪狭山市のさやかホールを見に行きました。ここで、3月に七聲会の公開録音をしようと計画しています。

 ホール運営をなんとかしなきゃ、と危機感を募らせる元気お好みオバチャン風市会議員の一村達子さんといろいろ話しました。

 さやかホールは周辺のわりと寂しい町並みに忽然とたつ立派で大きなホールです。ま、よくある、地方の豪華施設の一つです。この種の施設の運営問題は、これからますます深刻になっていくでしょうね。10数人の職員を擁してはいても、自主事業を企画できず、ただただ建物の維持管理だけにかなりの税金を費やしている現状は、全国の同種施設に共通の問題です。行政の納税者への文化サービスとはなにか、を考えさせられます。こうした施設は、単なる娯楽提供ではなく、新しい想像力の選択肢を市民に提供するために存在すると思いますが、そのためには職員が常にアンテナを広げているべきであって、楽な仕事場として考えぬるま湯に浸ったような仕事をしている限り、展望は開けません。

■12月2日(土)/AKJ披露宴+総会+忘年会/CAP HOUSE/ひょうたんフィルハーモニック

 AKJの新メンバー、三木さんの率いるひょうたんフィルハーモニックの披露の後、おでんで総会。ひょうたんリコーダーを吹かせてもらったとき、下に落としてしまい壊してしまった。すみません、三木さん。

 総会では、7月に行われるAKのメインイベント挙行体制が話し合われました。20人のフランス人たちがやってくるのも、もうすぐです。今後の披露宴では、二日間のパフォーマンスでのAKシアターピースの内容が検討されていくことになります。

■12月8日(金)/高橋アキ・ピアノソロ「ハイパー・ビートルズ」/ジーベック・ホール

 アキさんのピアノは、音質が違う。このコンサートシリーズを聞くのは今回で2回目です。世界の現代音楽作曲家に依頼されたビートルズの曲を元にした作品は、それぞれに作曲家の個性が表れていました。

 打ち上げには、アキ追っかけの加賀の新後さんも見えていました。追っかけに迫力が出てきたようです。

■12月12日(火)/「音と動きのAFFORDANCE」/酒心館、神戸/角正之:ダンス、声、ジョエル・レアンドル:コントラバス、声、久田舜一郎:小鼓

 難解言語饒舌発語的ダンサー、角さんを中心としたパフォーマンス。次第に膨らんでいく舞台中央の紙の球形オブジェが印象的でした。  ジョエルと角さんだけの、空気が張りつめ緊張したパフォーマンスは素晴らしかった。ジョエルは本当にすごいバス奏者です。久田さんの小鼓は、酒心館のあの空間によく合います。休憩で飲んだ利き酒のせいか、後半はほわーんとしてしまいました。マルセイユ帰りの川崎さんに葉巻のお土産をもらい、東野さん、白井さんと三宮の「梅春園」で台湾料理でフィニッシュ。東野さんが何かの賞をとったということで、彼のおごり。

■12月14日(木)/中川久代生誕51周年二人だけ宴会/神戸ハーバーランド

 配偶者の51回目の誕生宴会は、二人だけでひっそりと敢行されたのでした。モザイク内イタリアレストランでワイン1本あけ、古代と現代が混在するシェイクスピア映画『タイタス』を見ました。久代さんは大満足でしたが、わだすは「なんのこっちゃ」と感想を申し述べる。ハード・ロック・カフェ神戸でビールの仕上げ。

■12月17日(日) /HIROSコンサート/鈴鹿市文化会館(けやきホール)(鈴鹿市)/クル・ブーシャン・バールガヴァ:タブラー、藤井千尋:タンブーラー、ハールモーニアム、HIROS:バーンスリー

 前日に神戸を出発し、途中、伊賀忍者屋敷を体験しつつ鈴鹿のホテルに一泊。ブーシャンはホテル内の総檜大浴場を気に入ったようです。

 ホールはほぼ満員でした。500人近くいたと思います。このコンサートは、友風の会という地元の音楽愛好者グループの主催でした。本田道子さん3姉妹をはじめとした柳瀬美信子さん、林翠さんらが、われわれのために一生懸命取り組んで下さり大感謝です。打ち上げ会場に向かうときに、小雨のなか右往左往したことも今ではいい思い出です。ブーシャン夫人の千尋さんの疲れを見せぬ運転と、相変わらずエネルギッシュなマイチャンとの小旅行は楽しかったなあ。

■12月19日(火)/ミレニアム2000チュー太郎の会/生田神社会館

「中川君、最初にちょこっと笛吹いてえな。会費タダでええから」という中西勝さんのお誘いで、ちょこっと笛吹いてタダメシをごちそうになりました。チュー太郎の会というのは、ネズミ年生まれの市野弘之(陶芸家)氏、小泉正己氏(元神戸っ子)、笹山幸俊氏(神戸市長)、陳舜臣氏(作家)、中西勝氏(画家)の喜寿を祝う宴会です。わだすはエライ人たちとは縁がないのでひたすら出されたものを食べて、日本酒をゴンゴン飲むのみでありました。

■12月20日(水)/金徳洙サムルノリ「樂天響」/大阪国際交流センター

 ぼちぼち大阪に行こうかなというとき、「今、神戸だよよーん」と仙波清彦さんから電話。チキンジョージでこの日にあるT-SQUAREのライブのゲスト・アーティストとして来神していたのでありました。ホテルの近くの喫茶店でしばしおしゃべりして大阪へ行きました。

 「樂天響」コンサートは、AFOのプロデューサー、本村さんの制作によるサムルノリ公演。金徳洙はいわずと知れた、あの一世を風靡した初代サムルノリの創設者です。恐るべきリズム感とグルーヴィー感のある彼のチャンゴは、10数名からなる舞台でも光っていましたが、舞台としては人数が多いせいか、初代サムルノリのような緊迫感は感じられません。テーグムを演奏している人はどこかでみたことがあるな、と思っていたら、以前ソウルで何度も会ったり演奏したこともある元長賢氏の息子でした。それにしても、お客の数が少ない。

 誘ったジーベックの森チャンと公演後、鶴橋の韓国料理屋「白雲台」で石焼きビビンバを食べて帰りました。

■12月21日(木)/HIROS一人ライブ/大阪心斎橋「麓鳴舘」

 麓鳴舘ライブ第2回目でした。自宅から歩いて15分という池田さんも見えました。お客さんが5人と、ちょっと寂しいので、次回はカレーつき、ということにしようとなりました。

■12月23日(土)/こじんまり忘年会/寺原太郎+林百合子+池田哲朗/ピエンロー鍋

 今季の第1弾キムチとピエンロー鍋によるこじんまり忘年会でした。太郎君たちに会うのも久しぶりでした。百合子さんは、この春にオープンするユニバーサル・スタジオ・ジャパンでの仕事が決まったと喜んでいたのでありました。

■12月24日(日)/ロック・フィールド・クリスマス・コンサート/(株)ロック・フィールド静岡ファクトリーパーク特設会場、静岡県豊岡村/熊埜御堂可奈子:パイプオルガン、上田益:シンセサイザー、音楽監督、相曽晴日:ピアノ弾き語り、HIROS:バーンスリー、リコーダー、豊岡村少年少女合唱団

 ジーベックの23歳の八代あきに酷似の女性スタッフ中山真紀子さんと ともに、わだすにすれば暴力的なまでに早い朝の8時18分の新幹線で浜松まで行き、 乗り換えた東海道線の磐田駅からタクシーでゆるやかな谷あいにあるロックフィール ド工場へたどり着いた。安藤忠雄設計の工場群の空き地に巨大な発電用風車3基が力強く回転していた。その下に、吹きさらしの特設舞台が設営され、裾長黒ジャンパー のスタッフたちが忙しく動き回っていた。無防備な舞台に吹き荒れる低温の強風は、 クリップと輪ゴムで固定された譜面を引きちぎり、バーンスリーの音を消し去る。キ ーボード奏者の上田悟氏は演奏中に指の感覚を失った。シンガーソングライターのち ょっと小太り相曽晴日さんはマフラーを首に巻いていたにもかかわらず喉が寒風に襲われ た。しかし、700名ほどの聴衆は寒気に耐えつつ、われわれの演奏を静かに聴くので あった。クリスマスイブだというのに、こんなに寒いというのに、人々はなぜかくも たくさん集まってくるのか。入場料無料だったからか、ブタ汁無償配布だったから か、自分の子供たちも出演していたからか、圧倒的エンタテインメント不足からか、 工場関係者のつきあいなのか。いずれにせよ、三井さんや森チャンをはじめとしたス タッフ、65歳だという舞台監督の田川律さん、本当にご苦労さまでした。

■12月25日(月)/AKJ江戸組宴会/鎌仲ひとみ宅、南浦和/鎌仲ひとみ、川崎義博、歳森勲+林口さり、吉岡明紀+永山真美、HIROS、尾崎一家3名(ダンナ、もとこ夫人、あおい3歳)+ユキ/11名/HIROSカレー(ただし補助食品)、ふろふき大根、柿サラダ、鯛の昆布締め、寒ぶりの塩焼き、氷見いか刺身、つみれ、ちくわ、はまぐりなどの入ったゴージャス鍋、おじや、アップルパイ、大吟醸酒「一の蔵」+ワイン+ビール

 いつにない寒気、倦怠感を覚えつつ、3時ころ鎌仲宅に到着した。 この、いつにない体調の乱れの原因は、前日の恐るべきクリスマスコンサートにあっ た。睡眠不足に加わったこうした複合的条件によって、風邪のウィルスがわだすにとりついたらしかった。翌日、掛川から新幹線で東京駅に着いたとき、にわかに背筋に寒気を覚え、世界の回転スピードが遅くなった。南浦和駅に着いたとき、倦怠感と寒気が全身に及んできた。いけない、と思ったわだすは、キヨスクでアリナミ ンVなんとか、という最も高価なドリンク栄養剤を摂取しつつ、「迎えにいくよー ん」といってくれたカマチャンを待つのであった。

 鎌仲宅の台所にはさまざまな食材や食器類が平面的に展開され、客の到着を待って いた。「氷見の実家から、寒ブリ、タイのこぶ締め、イリコ、イカ、ハマグリが届いただべ」。わだすは、カレースパイスを炒めつつこう申し述べるカマチャンに、石油 ストーブのそばのソファに深々と腰をおろし、ぼんやりと反応した。しかし、スパイ スの香りが強烈に立ちのぼってくると、風邪ウィルスに押さえつけられていたわだす のカレー制作本能が頭をもたげ、いつしか鍋のタマネギ・スパイス混合体の攪拌作業 に向かわせるのだった。わだすとカマチャンは、そのカレーを虫押さえとして摂食し た。大量のニンニクが特殊な味わいと少量のえぐみを与えたカレーの味はおいしかっ た。

 ビールを飲みながらカレーや土鍋炊きご飯などを用意しているうちに、栃木の益子 から出てきた川崎鍋奉行が到着した。彼は、素早く台所の進行状況を見極め、出し汁 制作、野菜切断ざる展開などの作業を即座に開始した。その間、わだすはビールをち びちび飲みながら、先日、購入したばかりのデジカメで撮影するのであった。

 6時ころに、吉岡氏が木箱入りの大吟醸酒「一の蔵」を持参して到着した。5000円 もしたという。理学博士号をもつ吉岡氏は、現在、ソフトウェアの会社で、いわゆ るSEをしている。別の会社でホームページの制作をやっている同居人の永山真美さん が、2度の携帯電話による位置修正を経た後、合流。カマチャンの同業者であり、か つ同じ大家をもつ尾崎氏子連れ一家3名が加わり、にわかに座のにぎわいがました。 インテリアデザイナーの若い女性ユキさんもやってきた。彼女は、カマチャンの友人 で、カナダのモントリオールに長く住んでいる。乾いて健康的なお嬢さんだ。そし て、8時前頃、歳森氏、さりさん夫妻が、山形のリンゴで作ったというアップルパイ 持参で合流したので、宴会のメンバーが全てそろった。

 高岡と氷見という同じ富山出身のカマチャンとさりさんの郷土自慢、川崎奉行の土地土地のコメント、台湾から戻ったばかりの歳森さんも実はハカセであること、カマ チャンや尾崎さんの大家のこと、来年のAKの後はどうなるのか、現在住所不明の不法 滞在フィリピン青年エドガーの作った蛇骨ブレスレットを身につけたらどんどん仕事 が入ってきた、などなどなどなど、どれ一つとしてまとまりのないまま話題が移り変 わり、酒が進み、食が進む南浦和周辺なのであった。それにしても、エドガーはいま どこに。

■12月26日(火)/チャプター・ワンの吉岡氏とCD制作打ち合わせ/フラミンゴ・スタジオ、東京中野

 翌日、同じ部屋に泊まった川崎義博奉行、カマチャン、わだすは、奉行の持参した ワラにはいった水戸納豆とハマグリのみそ汁で朝食をとり、その後、二人とも外出した鎌仲宅 に一人残されてカレーを温め直し、ガスストーブと電灯スイッチを切り、錠をした玄 関の鍵を牛乳ボックスに投入しつつ、東京中野方面へと向かい、古箏の姜小青のレコ ーディングを横目で見つつ、チャプター・ワンの社長である吉岡氏とCDの企画打ち合 わせを行い、スタッフの「今度、二胡の発表会に出るのだ。アジア映画について記事を書いているのだ。ボーイフレンドがほしいのだ」というT子ちゃんに見送られ、新幹線に飛び乗り、車中に文庫本 1冊を読了したとき、新神戸にたどり着いたのでありました。風邪は治っていまし た。

■12月28日(木)/宝地院大学忘年会/神戸

 例年の忘年会。しかし、印象的だったのは、田平夫妻とともに枚田さんに連れられていったカラオケバー。先客のオッサン酔っぱらいがわれわれの席にやってきて支離滅裂なことをいう。楽しい人たちではありましたが、なんとなく抑圧エリートの悲しい陽気を感じるのでありました。その店は、三菱や川崎関係の客が多く、壁面には潜水艦の写真がずらりと並んでいました。カラオケなんてほとんど縁のないわれわれにすれば、まったく妙な二次会なのでありました。枚田さんは、わたしが持参したカツラに大満悦。変にのせられてわたしも歌い踊りまくるのでした。

■12月31日~2001年1月1日/ピッツバーグのドクトル新井とともに朝までおしゃべり

 いつもは、明石の久代さんの実家へいくのですが、今回はドクトルが泊まるというので久しぶりに自宅で年越しでした。鶴岡の漆山さんから届いたそば粉でそばをうちました。うちたてのそばは、形はバラバラですが香りと味わいが絶品。ちょっと人の話を聞くようになったドクトルと、「朝まで生テレビ」を見ながらおしゃべり。いつもアメリカ礼讃だった彼が「やはり、日本もいい」というのは、アメリカ生活にちょっとあきてきたということか。

■1月4日(木)/植松奎二宅新年麻雀/植松奎二、宮垣晋作、榎忠、HIROS/アネッテさん居候

 阪急芦屋川駅で待ち合わせしたエノチューこと榎忠さんがすごく痩せていたので、どうしたのと聞くと、糖尿病だということ。普段はまったく健康のことなど考えないわだすも、ちょっと気をつけようという気分になりました。で、そのチューサンとわたしが大負けでした。糖尿のチューサンはちょっと気の毒ですが、去年展覧会をやった鋳物製の機関銃200丁が豊田市の美術館に買い上げられたので慶事もあったのでした。植松さん、宮垣さんは相変わらずです。展覧会の搬入がある信子さんは、忙しそうでありました。

■1月7日(日)/箏とのリハーサル/北川真智子さん宅、神戸湊川

 お琴、三味線の師匠だと思っていたら本業がシステム・エンジニアだというAKJの北川さん宅で箏とバーンスリーでなにができるかを相談しに行きました。5月にCAP HOUSEでなにかできたらと考えています。

■1月12日(金)/ウイメンズパフォーマンスアート大阪/大阪市芸術創造館/白井廣美:「音姫」ピンクの折り紙小便器、永山亜紀子:「書かれていない文字の身振り」、谷川まり:「夢のパン工場」/スタッフ:森信子、Yuko、中西美穂

 地下鉄「千林大宮」駅からなんとなく寂しい道を歩くと、いったいこの界隈にその種の建物が本当にあるのか、と不安に思ったとき突然、会場である芸術創造館が現れるのでありました。白いブラウスとスカート姿のAKJの白井さんは、舞台でなにやら折り紙を始める。背後の布壁にピンで留めたとき、それがピンクの男性小便器だと気が付きました。照明の効果もあってなかなかにきれいでした。もんぺ姿の永山さんは、無音のなかたんたんとほうきで畳を掃除。もんぺを脱いでしわしわのワンピースになったとたん、わけが分からなくなった。谷川さん、小麦粉に水を加えてパン生地を練る。三人とも、妙に印象に残るパフォーマンスでありました。白井さんにバラの花を差し出した東野健一さん、ヘルニヤ小島剛さん、ジーベックの森さん、Yukoさん、正月はヨーロッパだったという大野裕子さん、メモを欠かさない小暮宣雄氏など、知り合いがけっこうきていました。終わって、大野さん、東野さんと梅田で飲んで帰宅。

■1月13日(土)/AKJ披露宴+餅つき/CAP HOUSE/納豆餅、あんこ餅、きな粉餅、おろし餅

 難解言語常時発砲ダンサー、角正之さんが伝統的餅つきセットを持ち込み、CAP HOUSEの前庭に作ったにわか薪の炉で新春餅つき大会と、AKJの打ち合わせを敢行。納豆、あんこ、きな粉、大根おろしと具関係も充実、つきたての餅はんめもんだなっす。角、中島康治コンビの杵臼関係は最強でした。

■1月16日(火)/世界の民族楽器紹介ワークショップ3/ジーベックホール/講師/木下伸市:津軽三味線/ナビゲーター:中川博志/参加校/三原郡シトオリ小学校5、6年生約30名、宝塚市高司小学校5年生約50名

 木下伸市さんことシンチャンと会うのは、AFO2000以来。今や津軽三味線のシンボルに近いシンチャンの迫力のある演奏と民謡、語りに小学生たちも静かに聞き入るのでありました。

■1月18日(木)/HIROS一人ライブ/大阪心斎橋「麓鳴舘」

 わりとこぢんまりとしたライブなので「めんこいライブ」と名前をつけたとたん、めんこい女性たちがたくさん来てくれました。CAP の大野裕子さんとオトモダチ、AKJの龍神悦子さん、「ちいさなおもちゃ博物館」の樋口さんなどなど、演奏したわたしの座席の周りはおなごだらけなのでありました。しあわせだなあ。

■1月21日(日)/あしゅんライブ/あしゅん、神戸三宮/田中理子:タブラー、奥野稔:タンブーラー、HIROS:バーンスリー

 客は、インド好き、という女の子2名、北川さん、たまたまあしゅんで個展をしていた造形作家東山嘉事さん、いつもいる名前の知らない青年など。ま、満員ではないですが、空間からすると適当な人数です。

■1月26日(金)/時勝矢一路宅訪問/打ち合わせ/森信子同行

 三田に引っ越した和太鼓の時勝矢一路さん宅を訪ねました。ちょっと安っぽい白い羽目板貼りのコロニアル風の建物。かつて喫茶店だったのをそっくり譲り受けたということです。回りは山だらけ、すぐ横を澄んだ小川が勢い良く流れています。なんどかコーチンという由緒正しい鶏や七面鳥、生まれたてのうさぎを飼っていて、その世話が楽しい、などと一路さんは申し述べる。

 本来の目的は、2月にジーベックホールで行われる予定のワークショップの打ち合わせでしたが、亜鷺夫人の準備になる天麩羅鍋と高そうなワインによる宴会となりました。一路さんとほぼ2本のワインを飲んでしまったので、かなり酔っぱらいました。

■1月27日(土)/英語で話そう/CAP HOUSE/エレン・ヘッド:先生

 最近ちょくちょくCAP HOUSEに出入りしている英国女性エレン・ヘッドさんに、せっかくだからCAP HOUSE関係者の英語力強化に応援してもらおうということでスタートしたものです。

 で、6時半開始だと思って出かけたら、すでに終わっていました。なんというボケ。仕方ないのでmamas barで飲む。閉店後は、大野裕子さん、森チャン、内村君、エレンさん、途中から現れた河崎さん、30日からイギリスとフィンランドへ行く白井ひろみさん、グル星野と天竺園で小宴会。

■1月28日(日)/合同誕生日/CAP HOUSE2階、「赤絨緞の間」

 どういうわけか、CAP HOUSE関係者に1月生まれが多く、結局、まとめて誕生パーティーをしようということになりました。祝われるのは、下田雅子さま、下田まあや様、潤井くん、的場くん、江見マリ様、そしてHIROS。

 料理は、4種鍋。ほうこう鍋、そば鍋、みぞれ鍋、かも鍋+かに。ゴージャスでした。祝われるものとしては、ワンノブゼムになったしまったきらいはありますが、合同というのもなかなか楽しいものです。この日のCAP HOUSEには、なんやかんや30人以上がうろうろしているのでありました。

 

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◎これからの出来事◎

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■2月15日(木)20:00~/HIROS一人ライブ+カレー/麓鳴舘、大阪心斎橋/問い合わせ:麓鳴舘06-6241-9219

■2月23日(金)10:00~12:00/世界の民族楽器紹介ワークショップ4/ジーベックホール/講師/時勝矢一路:和太鼓/ナビゲーター:中川博志/参加校/宝塚市美座小学校6年生約60名/問い合わせ:ジーベック078-303-5600担当:森信子

■3月2日(金)19:00~/七聲会公開録音・レクチャー/さやかホール、大阪狭山市

■3月15日(木)20:00~/HIROS一人ライブ+カレー/麓鳴舘、大阪心斎橋/問い合わせ:麓鳴舘06-6241-9219

■3月25日(日)/HIROS一人ライブ/村田公一宅

■5月連休/みどりの日/CAP HOUSE

■7月/アクト・コウベ・プロジェクト2001/CAP HOUSE他

■4月~2002年3月/神戸山手女子短大講義

■9月8日(土)/庭火祭/八雲村、島根/賈鵬芳:二胡、ジョウ・ルー:楊琴、佐藤通弘:津軽三味線、HIROS:バーンスリー

■11月/エイジアン・ファンタジー・オーケストラ日本公演ツアー/宮崎、広島、大阪、名古屋、東京/詳細未定

 

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シヴ・クマール・シャルマー来日公演◎

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 インドの人間国宝、サントゥール奏者のシヴ・クマール・シャルマー(シヴジー)師が、6月に日本にやってきます。シヴジーは、わたしのグルであるハリプラサード・チャウラースィア(ハリジー)と並ぶ現代ヒンドゥスターニー音楽の大スター。招聘するのは、シヴジーの弟子である宮下節雄さんです。彼とは、日本ではめったに会わないのですが、ムンバイの音楽会でよく会いました。

 実は、わたしも以前、シヴジーの来日公演を企画したことがあります。しかしその時は、全国の公演関係者に何百と企画書を送ったのですが、採算のとれる公演数が確保できず断念したのでした。シヴジーとハリジーは、個人的にも音楽的にも大の仲良し。シヴ・ハリというタイトルで映画音楽をともに作ったり、二人をフィーチャーしたレコード「Call Of the Valley」は、大ヒットしました。そんな関係からわたしも、ムンバイの彼の家に遊びに行ったり、食事をごちそうになったこともあります。また、前回の来日公演のときは、タブラーのザキール・フセイン一家とともに、京都見物に同行しました。もうずいぶん昔のことです。

 ハリジーと同年令なので今年63歳なはずですが、長身の外見からはとてもその年齢を感じさせません。彼の、涼やかでリズム感にあふれる演奏を聴くのが今から楽しみです。

 機会があれば、ぜひみなさんも彼の素晴らしい舞台を体験してみて下さい。

 来日するのは、シヴジーの他に、息子でやはりサントゥール奏者のラフル・シャルマー、そしてタブラーのシャファート・アフメド・カーンです。

 今回のシヴジー公演とは関係ありませんが、シヴジーとの絶妙のコンビで人気のあるタブラーのザキール・フセイン一も来日する予定です。彼の率いるパーカッション・バンドとともに、鼓童の主催するアースセレブレーションに参加するということです。ザキール・フリークのかたは、今年はぜひ佐渡へ。

 

公演日程

 6月1日(金)/かつしかシンフォニーヒルズ

 6月2日(土)/名古屋白川ホール

 6月5日(火)/アルティ、京都

 問い合わせ/インド古典音楽&舞踊センター"沙羅双樹"/代表:宮下節雄/sarasouju@gifu.email.ne.jp

 

◎グジャラート大地震◎

 この通信を書き終えた28日、いきなり大震災のニュースが入ってきました。アーメダバード近辺で死者1万5千というとんでもない大災害。現地には知った人もいるので心配です。